ゆうきの話 -13ページ目

絵雑記

絵雑記を描こう!!

1枚1記事とするか、この記事に随時追加更新するか、どっちが良いんだろう。


ゆうきの話

絵で雑記を描こう。

雑記なので下書きはせずに、気の赴くままに描こう。

その時に感じた事とか、出来事をざっと描こう。



ゆうきの話

しょこたんのコンサート(想像図)

ギザッ!!!!!!!!!

とぅっとぅるーー


コンサート行きたいなぁ。

こんな感じかな。

行けなければ描けば良い。

欲しければ描けば良い。

それが私のモットーだ。


雑記としてまとめるか、1枚ごとに別記事にするか、どっちがいいかな。

あと、清書とか色塗りは、後でやるかも知れない。



ゆうきの話

葡萄と梨が食べたい

そろそろ店頭に葡萄と梨が充実して来た。

もう少ししたら梨も葡萄も果物売り場に山盛りで並ぶだろうから、一番良いやつを選んで食べよう。

秋は美味しい。

描く

次の絵を描く時間だ

次の絵を描こう。

と言っても、特に何を描くのか決まっているわけではない。

自由というのは、描く自由もあれば描かない自由もある。

両方あって本当の自由だ。

描かねばならないのであればそれは自由ではない。

自由は幸せかといえば、そうとも限らない。

自由は生きるも自由ならば死ぬも自由だ。

何にも捕らえられないと言う事は、何にも捕らえられていないと言う事だ。

完全な自由は完全な球と同じだ。

完全な球には一切の凹凸が無く、他の何かが取り付く事は出来ない。

それは球が望むと望まざるとに関わらずに、何もくっつけない。

それが自由だ。

鍛錬の問題点はそこにある。

鍛錬は自由なので、何の義務も無いし、少なくとも外部にその理由を求める事は難しい。


絵を描こう。

誰かに喜んでもらうために何かを描く、これはとても良い事だと思う。

実際にそういうものが出来れば、とても良い。

正直な所、生まれて今までで、絵を描いて誰かに喜ばれたという事が1度も無い。

だから、どんなものを描けば喜ばれるかが分からない。

基本的に絵を描く能力が決定的に劣っているので、望まれたものを描く事自体が大変に困難であるのだけど。

これは前にも書いたが、私は自分よりも下手糞な絵を見た事が無い。これは冗談ではない、本気だ。

だからこそ鍛錬をするのだ。

絵を描くこと自体は好きだし、それで漫画とか絵本とかを作りたい。

でも、それに必要な能力が全く足りない。

具体的には、人を人として描く能力、モノをモノとして描く能力、そして喜ばれる能力だ。

単純に人体の形状を再現するだけでも困難だが、更に困難なのがそれを見た人に喜びを得てもらう事だ。

今の所、形状を再現するのに苦労している段階で留まっていて、喜んでもらうレベルには達していない。

人並みのものを描ける様になるのに、あと何十年かかるのだろうか。



ゆうきの話


ゆうきの話


ゆうきの話

走り描き

人間に見える、と私は思うが、人間って、大体こんな形をしていると感じているが、違うのかな。

壁のシミも3つあれば顔に見えるけど。

壁のシミよりも人間に見えるように描こう。



前も書いたけど、ツイッターではこちらで勝手に誰かの絵を描いてしまうと言う事をやったが、あれのブログ版をやっても良いかもしれない。

つまり、気まぐれでブログを描いている誰かの事を勝手に絵にして、勝手に贈ろうと言う訳だ。

ツイッターでやった時は相手からは全く何の反応も無かったが、ブログではどうなるか、やって見ても面白いかもしれない、私は。

私は面白くても、相手にとっては不気味と感じられる可能性が非常に高い。

私が名の知れた人物なら描かれた方も安心して絵を見られるだろうけど。

もっと上達しないとならないな。

絵を描こう


雑記

秋の草花


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ゆうきの話

ゆうきの話

キバナコスモス・オオイヌタデ・ムラサキエノコログサ?


たまには写真でも。

もっと撮ろうと思ったが、カメラの電池が無かったのでこれくらいで。

イチョウはまだほんの少し黄色くなっている程度だが、銀杏はかなりしっかり付いている。

まだほとんど落ちてきてはいないけど。

東京では紅葉が綺麗になるにはあと1ヶ月は掛かる。

デラウェアは近所のスーパーではまだ置いていない。

もう少し先か。

そういえば、以前デラウェアの果肉が入った缶ジュースがあったが、まだ売っているのかな。



ゆうきの話


稲光

この前、カミナリを写真に撮ろうと試みたが、結局撮れたのがこれくらい。

光に反応してシャッターを自動で切る装置を使ったり、連射すれば撮れそう。




ツイッターのタイムラインを見てみると、色々な人が色々なことをつぶやいている。

世界には色々な人がいて、みんな違う事をやっていて、違う事を考えている。

当たり前だけど、不思議だ。

今ではツイッターは何人かのツイートを眺めるためだけに使っている。

個人RSSと化している。

ツイッターを情報発信ツールとして活用するには、発信者にそれなりの発信力や魅力が必要だ。

ブログも似ているが、ブログは長文が書けてアーカイブとしても機能するので、その点が違う。

いずれにせよ、何を使うにも、使う本人の能力が問われる。

具体的には、例えば面白い話を書ける能力や、コミュニケーション能力、上手い絵を描く能力もその一つだ。

何らかの能力が、周囲の人よりも優れていれば、ブログやツイッターは活用できると思う。

それらが活用出来ていないと思えるならば、自分の能力不足を疑わなくてはならない。



56

2012年1月1日から9月26日までに私のwebサイトにアップした絵は合計1058枚。

そして、全ての絵への総アクセス数は合計56。

1月平均6アクセス程度となる。

これが2012年の現在の私の能力の数値化の結果の一部だ。

ちなみに、同じ時期のサイト全体への総アクセス数は8000程度。

ネットへは繋がっていて、検索エンジンも問題無く機能している証拠だ。

(ちなみに両方ともユニークユーザーの数)

56と言う数値は数多くある数値の一つに過ぎないが、分かりやすい目安でもある。

他のサイトではどの程度見られているのか分からないが、56が多くは無いと言うのは分かる。

最大の理由は言うまでも無く、絵そのもののクオリティだ。

第2の理由としては、説明文の不足、とか、宣伝の不足、とか。

でもそれだと、サイトのほかの部分へのアクセス数が説明出来ない。

他の部分も説明は大差無く、違う点はフリー素材であると言う点だったり、ゲームに関係することだったりと言う点だ。

まあ、実はどうでもいい事ではあるのだけど。



空飛ぶ島に住みたい

最近ますます思う事がある。

外部と完全に隔絶された空飛ぶ島に住みたい。

そこで、自分が食べるものだけを作ったりして、過ごしたい。

それが叶うなら、インターネットも要らないし、1人でいい。

猫とウサギは連れて行くけどね。

大好きな人と一緒に行ければ幸せだけど、たぶんそんな生活に耐えられる人間は居ないと思う。

だから行くときは1人で行こうと思う。

怪我や病気になったらそのまま野垂れ死にだろうけど、そういうのも良いと思う。

ただ、地球上に人間の関わらない土地は無い。

どの土地も誰かの所有物であり、その隣にも人間がいる。

だから空飛ぶ島がほしい。

または、火星とか宇宙の果てとか、そういう場所で暮らしたい。

こう考えるには幾つか理由があるが、大きな理由の一つは、能力の不足だ。

客観的に見て、あらゆる点における能力が、一般人のそれに及ばない。

すべての人間には役割があるが、空飛ぶ島に住むと言う役割を持つ人間がいても良いと思う。

実際には空飛ぶ島はまだ作られていないので、この夢は当分叶いそうもないけど。

能力が無いと、とかくこの世は住みにくい。

普通の人と渡り合う能力が今の所何も無いので、それを身に付けるのには1000年は掛かる気がする。

普通の人を見る度に、改めてその凄さを感じる。

みんなそんな能力をどうやって身につけたのだろうか。

それがさっぱり分からないので、能力を身につけるといっても、何をすれば良いのか不明だ。

でも、普通が好きじゃない事も確かだ。

私は他の人と同じである事にあまり関心がない。

これは自分が劣化した普通人間だからだ。

自分に無い物を求めるのが人間だと思うので、みんなと同じである事に飽き飽きしているのだと思う。

普通の凄さを認めると共に、それにいまひとつ興味が持てない自分がいる。

だからこの世は住みにくい。

不思議と周りの人に助けられて何とか生きてはいるけれど、そんな感じでいいのかなぁ。

まあ、いいや。

しかし、こんなの未来の知性以外には絶対読まないだろうな。

こんな文章を読ませてしまってごめんなさい。

次はもっと明るい事を書こう。




明るい事だって一杯あるよ


秋は食べ物が美味しい。

葡萄に梨に柿にキノコに銀杏に米に・・・色々食べ物が美味しい。

秋は紅葉が綺麗だ。

トンボが沢山飛ぶ。

ゲームがドンドン進歩していて、やりたいゲームが一生掛かってもやりきれないほどある。

文字が簡単に書けるので、こうやって文章をいくらでも書ける。

あと、絵を描くのも紙に描くより格段に便利になっている。

いつも猫が可愛い。

しょこたんはいっつもギザかわゆすだ!!


こう考えると、楽しい事は自分の外にある事がよく分かる。

だから、自分の事を書く文章がつまらないのは当たり前だ。

でも、他人にとっては私は外部なのだから、他人にとってみたら、私の書く文章も面白いのかもしれない。

でも、私は私が他人では無いので、私の何が楽しいのか客観的に見る事は難しい。

楽しいと感じる心は自分にあるけど、楽しい事そのものは外部にある。

そんな事を考えるのは楽しいけど、これも楽しいものがあるからこそ考えられることだ。

基本的に外部は楽しい。

自分自身の内部には何も無い事は分かりきっているので、あらゆる外部が楽しく感じる。

自転車で公園を走るだけでも、植物や景色や歩く人々を見るととても楽しい。

もちろん、物理的な外部だけでは無く、情報としての外部も楽しい。

外部からの情報とか、特にネットは見だすと止まらなくなるので、最近では少し抑えている。

外部が楽しすぎると、自分の中から何か出すのが大変になる。

多少外部からの情報を制限しないと、内部から出そうとしても押し戻されてしまう。

楽しくないから仕方なく、自分の中から楽しいものを作り出す、それが何かを作ることだと私は思う。

外部が楽しければ、わざわざ自分で作る必要など無いのだから。

何かを作りたければ、自分をつまらない状態に置いて、作り出すしかないように仕向けるのが一番だ。

例えば私が描く絵には、それが端的に表れている。

私が様々な面で満たされていたら、今描いているような絵を描く事は無いと思う。

仕事で描く、なんて事はあるかもしれないけど。

外部は楽しいけど、外部から得られる喜びには限度がある。

その限度を決めているのが、能力だと思う。

人はその能力に応じた喜びを自分の周囲に揃える事が出来る。

その能力の無い者は・・・私なら絵にでも描くしかない。

だから、私は絵を描くのだ。

この文章も同じ事だ。

言い換えれば、己の無能さの証明が、何かを作ると言う行為であるとも言える。

もちろん、全ての作る行為がそうではない。

でも、私の場合はそうだと思う。


やばい、楽しいことを書かねばね。


音楽について

音楽が好きだ。

時間を取りこんでいるので、絵よりも次元が高い芸術だ。

絵は2次元の芸術であり、音楽は4次元の芸術だ。

そして、声は最高の楽器だ。

だから、声楽こそが最高の音楽であり芸術だと思う。

私はクラシック音楽が好きだが、歌付きの音楽が特に好きだ。

第九とかモーツァルトとかヴェルディーのレクイエムとか歌劇とか、とても良い。

もちろん歌の無い音楽も好きだ。

これを書いている瞬間も音楽は流れている。


BGM : Take The 'A' Train


A列車でいこう。

wikipediaによると、ニューヨークにある地下鉄の「A列車」に乗ってジャズを聴きにハーレムに行こう、みたいな内容の音楽だそうだ。

まあ、細かい事は気にせずに、ただ聞いて楽しいと感じられればそれで良いと思う。

理屈抜きで楽しいのが音楽の良い所だから。

私は音楽の細かい理屈は全く分からないけど、直感的に楽しい音楽とそうでもない音楽は感じ取れる。

みんなそうだと思う。


BGM : Moanin'


音楽を聴こう。




しょこたんぶろぐを読んだ事を書く?

このブログは、ほとんど誰にも見られていない。

そして、僅かなアクセスも、しょこたんぶろぐを読んだ事や雑記に対してでは無い。

そして、私がしょこたんぶろぐを読んだ事など、誰も知りたがる事もないし、そもそも誰も読んでもいない。

未来の知性に向けた記事として、書く意味はあるかもしないけど、それが役に立つのは1000年後とかの話しだ。

私はたまにひどく冷静になる事があって、しょこたんぶろぐを読んで、その感想をここに書く事の意味を冷静に考えてしまうことがある。

冷静に考えると、その行為は誰のためにもなっておらず、誰の喜びにもなっていない。

そして、しょこたんぶろぐについて書く事は、いわば私の心の中を晒す事になり、恥ずかしさを感じる事でもある。

そんな冷静な自分がたまに顔を覗かせて、書かないほうが良いと私に忠告する。

もちろんそんな事を毎回まじめに聞いていたら何も出来なくなってしまうので、大抵は無視する。

冷静な自分など何処かに置いて来ればいい。

そして書きたい事を心の赴くがままに書けば良いのだが、たまに心が負ける事がある。

それには大抵、些細な理由がある。

今は冷静な私の理性が、心と五分の戦いをしている。

理性が無いとカオスになり人格は崩壊してしまうが、理性だけでも、何も出来なくなってしまう。

理性だけだと、何かをする本能的な動機が消え失せてしまう。

理性が情熱を消し去る程に強くなると、何も出来なくなる。

今はちょうど理性と情熱が拮抗している状態だ。

だから、このようにしょこたんぶろぐについて書いているのだが、しかし内容の感想を書く事をためらっている。


恐るべき面倒くさい人間だな、ワシって!!!


でも仕方ない、それが私なのだから。

あーめんどくせーやつに生まれちまったもんだよ、まったくっ。


でも、しょこたんってやっぱり可愛いし、魅力的だよね、うんうん。

「しょこたん」って文字を見るだけでキュンとする、これって、あれだね、あれ。

理性の隙を突いて書けるのはこれくらいかな。

やばい、理性が恥ずかしがっている。

ここら辺にしておこうっと。

おやすみしょこたん、コンサートがうまくいって笑顔で満たされますように!!

雑記としか言いようが無い



今日、初めて「千と千尋の神隠し」を全部見た。

いままでチラッと見た事はあったが、全部を通しで見たのは初めてだ。

やはり絵が素晴らしい。

あの絵で2時間の映画を作ろうとすれば、それはそれは恐ろしい作業が待ち構えている事は容易に想像できる。

今後あのクオリティで2時間映画を作れる会社が日本に現れるのか、正直疑問だ。

単に作画能力が高いだけではなくて、それ以外の色々な事が全て揃わないと作れないだろうけど、そういうものを揃えられる存在が現れる事を願うばかりだ。

「おまえがやれ」と言われそうだけど、それはさすがに無茶振りにも程がある。

とりあえず、人間の顔すらまともに描けないので、まずはそこからだ。

しかし、一生掛かっても、ジブリ映画に出てくる背景のモブ1人すら描けるようになれそうも無い。

でも、人間が描いている線なのだから、同じ人類の1人である私が描けない物理的な理由は無い。

つまり模写なら出来るし、模写しか出来ない。

模写する気は無いけど。

一流のものを作りたければ、一流の作品を見ろ、と言われる。

手塚治虫は一流の映画や音楽などを見聞きしろと言った。

ただし他人の漫画は真似するな、とも言った。

なかなか難しい話ではある。

私の絵は手塚治虫と赤塚不二夫の影響を受けているし、そもそも何の影響も受けずに描くなんて無理だ。

ただ、影響を受けるな、では無く、真似するな、であるから、それなら可能だ。

それが世間に受け入れられるかどうかは分からないけど。

一流の漫画を読むと、試されている気分だ。

「この作品とライバルとなり戦うだけの力がお前にあるのか」と言われているようだ。

何をするにも全て、その問いが付きまとう。

「過去を乗り越えられるだけの力がお前にはあるのか」

過去の作品がデジタル化され、永久に残る時代になった今、今から何か創る人間は、過去の人類全てを乗り越えなくてはならない。

個人の才能だけでそれをするのはもはや難しく、組織として何かを作らないととても太刀打ちできない。

私がいくら絵を描いても、過去の画家に遠く及ばないし、新しいものを描く事も難しい。

そう考えると、絶望的に思えるが、絶望を忘れない限り、希望は見つけ出せる。

絶望する事を諦める時が本当の絶望だ。

と言っても、希望的な具体策は全く持って不明だけど。

まあ、未来は誰にも分からないので、嫌な未来を予測して暗い気持ちになるよりも、何とかなる方法を探し続ける方がよほど楽しい。



謎だらけ

全くもって謎だ。

一体私は何を考えているのかさっぱり分からない。

他人の心が分からないのは当然としても、自分自身が何を考えているのかも正直言ってほとんど分からない。

分かる必要も無いのかも知れないけれど。



絵を描こう



ゆうきの話

天才バカボン?


天才バカボンを記憶だけを頼りに描いて見た。

中学生の頃はよく描いていたが、最近は全然描かなくなったので、すっかり記憶の彼方に追いやられてしまっている。

余談だが、ペンタブレットのツルツル感に未だに違和感を感じる。

ペン先を滑りにくいものに交換すれば改善されるかも知れないので、今度色々な素材でやってみよう。


いろいろ走り書きをして、それを元に色々アイデアを出してみよう。



ゆうきの話

子供


5歳。女。髪は黒髪で肩まで伸びている。気が強く負けず嫌いでお洒落。お金持ち。少し強引。真っ赤なリボンがトレードマーク。

右手に何か持っているのか、握り締めている。

これからどこかへ行くのだろうか。




ゆうきの話

見上げる人

上を見上げる4人。

左上、男、10代後半、赤髪、くいしんぼう。中央、男、10代後半、こげ茶色の髪、元気、左下、女、10代後半、黒髪、まじめ、右下、女、金髪パーマ、おっとり。

4人組は幼馴染で、空に関するイベントに遭遇。

花火か、流れ星か。

視線からして、幾つかのポイントでそれが発生している様子。

複数の花火か、流星群か。

それとも、人工物の中で、例えばプラネタリウムでも見ているのかもしれない。




ゆうきの話

立ち話する3人

左、女、20代、青い髪に、水色のワンピース、白い靴下に、青い靴。中央、男、10代後半、茶色い髪、左の女性の話を来ていてる。右、女、10代後半、緑色の髪、前に進もうとしている。

手前に何かあるのか。

左の女性が真ん中の男に話しかけて、行くのを止めようとしているように見える。

右の女性はそれを聞いていない様子でそのまま進もうとしている。

それを真ん中の男が手で遮って止めようとしている。



こうやって走り書きを元に、思いつくままに、状況とかストーリーを考えるのも面白い。

そしてストーリーが出来てきたら、絵を清書するなり、絵とは関係なく物語りだけを描き続けたりすれば良い。

昔からこんな風にノートとかコピー用紙に山ほど描いてはその場で適当な話を考えて、そしてすぐに忘れてを繰り返している。

少しこのブログでもそれをやってみよう。

キッチリした絵ばかりだと肩がこるので、こういうラフな絵も描いていこう。

未来の知性はこんなものに興味を示すかな。

21世紀の人はこんな感じのモノは見たがるのだろうか。

こう言うものに需要があれば、これなら無限に描けるので楽なのだけど。

今はもっと複雑で重厚で論理的で長編の物語が好まれるだろうからね。

物語りも様々な理論や方法が開発されていて、それを大学などの専門機関でみっちり教育された人が世の中には山ほど居る。

そういう人にしてみたら、私の描くものなどゴミ同然だろうけど、今の私にはこれしか書けないのだからしょうがない。

気にせずいこう。



猫背

子供の頃から猫背で、「背筋を伸ばせ!!」とよく言われた。今でも言われる。

気を付ければ真っ直ぐになるけど、少し油断するとすぐに猫背になる。

猫背を直すベルトというやつが昔あったけど、あれでも付けてみるかな。

でもあれって、単に背中が曲がらないようにするだけなので、ものすごく不便な気もする。

絵を描いたりゲームをしたり、何かに集中したり逆にリラックスすると猫背が発動する。

猫舌に猫背、猫化が進んでいるのかな。

後は猫耳か。




未来の知性に向けた何か

このブログは21世紀の人間に読まれる事は極めて稀なので、さらに未来に向けて書こう。

遠い未来、緑茶やコーヒーはどうなっているだろうか。

私は緑茶を毎日飲んでいる。

1リットル用のお茶っ葉を2リットルの水に入れて飲んでいる。

未来の世界では、そもそも飲み物を頻繁に飲む事が無いかもしれない。

大気中の水分を自動的に体内に取りこんで水分量を調整できるようになっていて、水分を取る必要がなくなっているかもしれない。

ただ、緑茶くらいは古臭い嗜好品として残っているかも知れない。

ものすごくマニアックな趣味になっている気がするけど。

AIなら飲む事すら出来ないだろうけど。



厄介な問題を見つけた

このブログは未来の知性に向けて書く事を大きな目的の一つにしているが、その場合、わざわざブログと言う形で公開しなくても、テキストファイルを私のサイトにでも貼り付けておけばそのうちgoogleあたりが持っていって保存してくれる気がして来た。

またはzipで固めてオンラインストレージに保管しておけば、いずれ何千年後かにそれらのデータは収集されて分析される気もする。

その頃には21世紀のデータのプライバシーとか著作権とか言う事も問題にならないだろうから。

そう考えると、ブログ化する理由が一つ減る。厄介な問題だ。

今の所、毎日1・2人の人が見てくれているので、その人の為と自分で見たりする為にブログにする意味はあると感じているけど。

テキストデータをzipで固めてオンラインストレージにアップ、これだけでも目的の半分は達成できる事は確かだ。

雑記

自己採点

絵の自己採点はいつも100点満点中10点くらいだ。

そして、10枚に1枚位、30点位の絵が描ける事がある。

せめて平均60点位にならないと、まともな事は出来ない。

少しずつでも上達していけば、いつか必ず60点になる日が来る。

昔描いた物をみると、今のもののほうが自己採点は平均的に高い点が付けられると思う。

少しずつでも上達しているらしい。

この調子で行けば、いずれ必ず合格点に到達する日が来る。

それまでは10点でも1点でも、とにかく描き続けよう。



銀杏が食べたい

これからの時期、公園などで銀杏が山ほど落ちているので、拾って来れば食べ放題だ。

その際の最大のハードルは匂いだ。

あと、食べ過ぎによる中毒。

今まで拾って来た事は無いけど、一度拾ってきて何とか食べられるようにしてみようかな。

私は苦味のある食べ物は昔から平気で、ピーマンとかニガウリも子供の頃から何の苦も無く食べられた。

一説によると、舌の感度が鋭いと苦いものがダメらしい。

色々なものを食べられるのなら、少しくらい舌の感覚が鈍くても良い。

苦いモノは平気でも、猫舌で辛いものが苦手なので、お子様みたいな舌だけど、最近は中辛のカレーなら何とか食べられるようになって来た。

もっと辛い物に親しめば、慣れて来るのだと思うけど、辛いものが好きな人と一緒に食事でもしないと、中々辛いものへの耐性が身に付きそうも無い。

とりあえず銀杏を食べよう。



絵を描こう

この一つ前の記事で昨日描いた絵の描き上がる様子を画像化してみた。

こう言うものを記録しておくと、後で自分が描き方を思い出す時に役に立つ。

描き方を忘れると言う事はよくある。

そのまま忘れても別な描き方を見つければ良いのだけど、思い出せたほうがより色々な事が出来る。

それ以前に、こう言うモノは定点観測の連続写真みたいで何だか楽しい。

アメブロは拡大写真の表示があまり速く無いので、拡大写真が連続的にスムーズに表示できる方法も欲しい。

自分のサイトでそういうコーナーを作ってもいいか。

ふと思ったが、みんな、どんな理由で絵を描いているのだろう。

もちろん、人それぞれ、と言うのが答えなのは分かっているけど、具体的には何を目的に描いているのだろうか。

私みたいに鍛錬が目的の人も居ると思うけれど、それ以外にも色々な目的があると思う。

趣味と言っても、目的があるはずで、サイトに飾ったり、仲間とのコミュニケーションに使ったり、描くと言う行為そのものが好きだったり。

趣味の世界は深い。

純粋に金銭目的で描く人ももちろん居るだろうけど、絵を描く人の99%が趣味だと思う。

だからみんな描くのを止めてしまう。

今描いている人で10年後も描いている人は多くないと思う。

私よりもずっと上手い人でも、簡単に描くのを止めてしまう。

勿体無いというか残念と言うか。

やっぱり何らかの見返り、金銭以外にも、精神的な何らかの見返りのようなものが無いと、どんなに好きでも続けるのは大変だ。

昨日描いた絵「お裁縫」は、描くのに10時間掛かり、そしておそらく1・2人の人に見られている。

そして他の人の描く複雑で綺麗な絵はもっと時間が掛かっていると想像できる。

それを描くモチベーションを維持するのは純粋な趣味だとやはり難しいと思う。

鍛錬とか言う訳の分からない理由を見つけない限り、一生描き続けるのは困難だ。

もちろん私の鍛錬は次のステップへの準備の為で、全く訳が分からないわけでも無いけど。

鍛錬のほかに、欲しいものを描く、と言うのが私の描く理由の大きな部分を占めている。

欲しかったら、まず描いて見る。

見てもらったり、喜んでもらえれば、それはとても幸せな事だけど、その段階に到達するのは難しかったりする。

私は未だにその段階に到達できていないので、更に鍛錬を積まないとならない。

まあ、見た人に聞いたわけでないから分からないけど。

ちなみに今、一番の鍛錬ポイントは髪の毛だ。

少しずつ髪の毛っぽく見えるものに近づけて行こうと考えている。

考えてみれば、今の髪の毛の描き方を漫画に直接応用するのは難しそうだ。

でも、絵本になら問題なく使える。

ほかにも、きっと何かに繋がると信じよう。

根拠は無いけど、こんな感じの絵を描く事はきっと良い事に繋がる気がする、ただの勘だけど。



メンテナンス

ブログがメンテナンスだ。

月に何度かメンテナンスが入るが、もう少しだけ短くはならないものかな。

メンテナンスのおかげでブログが正常に利用できるのだろうから、その事を犠牲にしてまで早くするべきではないけど。

私のブログの記事は、一度メモ帳に書いて、それを貼り付ける形でブログにアップしている。

だから、メンテナンス中でも問題無く書ける。

でも、しょこたんぶろぐはこれくらいの時間にまとめて読む事が多いので、今日は読めない・・・。

しょこたんぶろぐについては明日書こう。

私のブログは事実上、私のメモの倉庫と化している。

月に何度メンテナンスがあっても、データが保存されていればそれだけでありがたい。

このブログは、未来の知性に向けたデータが残る事が最優先事項なので。



未来の知性に向けて何か書こう

このブログは、遥か未来の知性に向けて書く事を大きな目的の一つとしている。

もちろん21世紀の人に読んでもらえれば嬉しいけど、未来の知性に向けると言う事も何だか楽しいのでそうする事にしている。

未来の知性というのは、人間に限らず、人工知能や宇宙人など、様々な知性を想定している。

その様な知性に対して、21世紀の人間の1人である私の価値観や思考などを伝える事はきっと意味のある事だと考えたので、その知性に向けて書く事にした。

って、この説明はこのブログで10回くらいしているけれど、たぶんこれは自分に向けて説明している。

忘れっぽいから。


急に寒くなってきた。

室温23.8度、湿度64%、外は雨だ。

21世紀の日本では天候は自由に操れない。

また、飲料水も雨水に頼っており、今年は東京では水不足だ。

冬場になれば水の消費量が減るので水不足も解消されるとは思う。

秋の収穫に影響がでなければ良いのだが。

私の好きな果物、梨や葡萄はこの時期、どれくらい水を必要としているのだろうか。

考えてみたら、そういう果物は東京ではあまり作っていないから、たいして影響は無いのかもしれない。

梨とか葡萄の写真を後日アップする予定なので、良かった見て欲しい。

きっと21世紀には当たり前にある果物でも、遥か未来からみれば、珍しいものに違いないから。

例えば、ほんの数年前まで当たり前にあった食べ物、特に加工食品については、あっという間に消え失せて、2度と見ることが出来なくなったりする。

果物についても、流行り廃りがあるので、例えば20世紀梨は最近ではあまり見かけなくなった。

その代わり、幸水や豊水などが今では主流だ。

1000年後には恐らく21世紀に食べられている果物がそのままの形で存在しているとは考えにくい。

もちろん資料は山ほどあるだろうが、それを一個人がどのように食べて、どう感じているのかは、百科事典にも載っていないはずだ。

これからも、そういう資料を提供して行こうと思う。

・・・今気が付いたが、この記事、未来の知性に書いているのと同時に、今の人に向けても書いているので、何だか少し面白い。

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雑記する

誰だ!!時計の針を動かしているヤツは!!

絵を描いていたら、あっと言う間に時間が経つ。

きっと私が見ていないうちに、妖精みたいなのがやって来て、世界中の時計を好き勝手に回しているに違いない。

しかし、そう考えると、全ての時計が大体合っているのが説明出来ない。

つまり、好き勝手に動かしているのではなく、全世界で同時に妖精たちが一斉に指定された時刻へと時計を動かしていると考えられる。

つまり、妖精の親玉が居るはずだ。

そいつは全世界の妖精に一瞬にして命令出来るだけの力があるやつで、その気になれば時計どころか色々な事が出来るだろう。

では、そんな凄い力の持ち主が、私の時間の感覚を狂わすためだけに、世界中の時計を一斉に動かしたりするだろうか。

それに、もしそんな事をしたら、時計をずっと見ている人や、時間の感覚に敏感な人がどうしたって気が付くはずだ。

つまり、妖精の王は、人間の感覚も騙せる力があると言う事になる。

そして、地球上全ての人間の時間の感覚を自在に操って、そして、時計を狂わしていると言う事になる。

それだけでもものすごい事だが、実はもっと凄いことがある。

その妖精は、宇宙そのものを自在に操れるはずだ。

天体の動きは極めて正確に測定されているので、地球上の時間が1秒でも狂おうものならば、たちまちそれがわかってしまう。

GPS衛星やコンピュータ、そして、太陽や惑星の動き、そしてパルサーの脈動に至るまで、全てを完全に変更しないと、人間はたちまち気が付いてしまう。

おそらく、コンピュータ内のデータを全て変更できれば、宇宙を変更しなくても、少しの間は人間を騙せるかもしれない。

でも、数時間もしないうちに、他の方法でばれてしまう。

結局時間を変更する為に宇宙を変更しなくてはならなくなる。

そんな事のできる存在が、私にいたずらをするために、時間をいじったりするだろうか。

それ以前に、そんな事が出来る妖精の王がいるのか。

今度妖精の王っぽい人にあったら聞いてみよっと、会った事無いけど。



いきなり寒い

今日はけっこう寒い。

いよいよ秋がやって来たか。

やあやあやあ・・・・

紅葉は写真に収めねば。

あと秋は、色々な所で催し物が開かれるので、いける場所ならいってみよう。

電車を使えば都内でも紅葉が綺麗な山等に簡単に行く事が出来る。

今年は電車一本で行けて都内にある自然の綺麗な紅葉スポットを探してみるかな。



絵を描こう

さっき描いた絵「お裁縫」について補足。

制作時間、約10時間。

小物をいくつか作ったのでそれで時間が掛かった。

緑と黒の縞々の針山は、一応スイカのつもり。

針山と糸はフリー素材としてサイトにアップしよう。

マミタスは肩まで描いたものの結局ほとんど画面の外に出てしまった。

しょこたんは左利きなので、一応針も左に持たせているが、裁縫をする時に左で縫うかは不明。

左利きの人でも、やる事によって左右使い分ける人が居る。

でも、たぶんペンを使う手と裁縫する手は一緒な気がする。

私は右利きだが、左で書く訓練はもちろんしたし、両方で同時に書けるようになりたくて、しばらく練習した事もある。

二つの絵が同時に描けたら便利だと考えてやってみたが、精神が崩壊してしまいそうなのでやめた。

どう考えても常人のやる事では無い。

でも、PCを使うと、特に文字を書く時とゲームをする時は、左右の手が満遍なく使われるので、実質両利きと言っても良い。

それでも何故か左利きって、憧れる。

色々不便な事があるそうだけど。

ドアのノブとか、エレベーターのボタンとか、はさみとか、コーヒーカップとか。

コーヒーカップとか。

昔、「左利き用のコーヒーカップ」と言うジョークがあったのを思い出したのでつい・・・。

そういえば、身体の前に手が交差する仕草は、色気があるとか何とか言う話を聞いたことがあるような気が・・・。

それが左利きの人を見たときに感じる、右利きの人と違った感覚なのかも知れない。


次はどんな絵を描こうか。

しょこたん系の絵ならば幾つも描くものは頭にあるけど、それ以外の絵も描こう。

私の中では、季節のものを描くのが定番になっているので、季節の絵を考えよう。

季語とかこの季節の旬の食べ物を描こう。

欲しいモノはとりあえず描く、と言うのがモットーなので。

秋の果物は描かざるを得ない。

特に秋の味覚では葡萄と梨が大好きなので、とにかく描こう。

そういえば、前に描いた絵をバージョンアップさせると言う計画もあったな。

すっかり忘れていた。

たぶん、このブログで書いておいてすっかり忘れていることも幾つか有る気がするけど、まあ今は今に集中しよう。



しょこたんぶろぐをよもう


今日もしょこたんぶろぐをよもう。

相変わらず忙しそうだ。

ライブの格好がとっても可愛い。

そういえば、コロナとロロナとコルナって似ているよね。

コンサートに向けて早寝早起きの健康的な生活、いいね、やっぱり睡眠は大事だ。

私もこんな時間にブログを書いている場合じゃないのかも知れないけど、まあ、いいじゃないか。

それにしても、ここしばらく、妙に眠い。

昼間に眠いんじゃなくて、夜になると、眠くなる。

当たり前かも知れないけれど、私にとっては不思議な事だ。

こう言う時は逆らわずに早く寝たほうが良いのかもしれないけど、そうするとブログとかが書けなくなる。

しょこたんが健康に気を使ってくれると、とても幸せだ。

だって、その方がより笑顔で活躍できるのだから。

たっぷり眠って元気一杯のしょこたん!!

しょこたんに良い夢を、そして、笑顔と奇跡の明日を!!


夜の闇は私が守ろう

お裁縫


ゆうきの話

お裁縫をしているしょこたん。

最近裁縫を始めたしょこたんを描いてみました。

後ろにいるぬいぐるみ達が、しょこたんの作ったぬいぐるみ。

手前のアヒルが「あひ夫」で奥にいるのが・・・かえる。

正式名称はしょこたんぶろぐを参照下さい。

手前で裁縫の様子を見ているのはマミタス。

何を縫っているのかは・・・ご想像にお任せします。



と言うわけで、例の如く、800*800のサイズの絵は私のサイトとニコニコ静画と言う場所に貼り付けてあるので興味のある方はそちらへどうぞ。


しょこたんぶろぐをよもう

昨日はNHKに生出演。

もちろん録画している。

しかし相変わらず上手くて怖い絵を描くなぁ。

私は怖い絵は描かないけど、そのうち挑戦してみよう。

何だか、恐ろしく不気味な物を描ける気がする・・・。

今描いている絵も、見ようによったら不気味に見えなくもないから。

つくしの退院が月曜日か、手術が上手く行って本当に良かった。

最近しょこたんはぬいぐるみを作ったり貪欲ッキングに挑戦したり、いろいろな事に挑戦している。

新たな事に挑戦する心はいつになっても失いたく無いものだ。

なんか年寄り臭い事を言ってしまったが、私はまだ幼稚園児くらいだ、精神年齢は。

そろそろ歳を数える事が無意味な気がしているので、ここら辺で年齢を数えるのを止めようかな。

きっと、人は年齢を数える事で自分にその歳である事を自己暗示に掛けて、それで結局老け込んでしまう、そんな気がする。

だから、歳を数えるのは成人するくらいまでにして、それ以降は自分が好きな年齢を言っていれば良い気がする。

その方がきっと幸せになれる。

しょこたんの手料理はカップめん生活の身にとっては、七福神の宝船のように見える。

あの宝船はどうやったら手に入るんだろう。

やばい、しょこたんぶろぐをよもう、を毎日書かないと、書かなかった日の分も一気に全部書かなくちゃ気が済まなくなる。

これじゃあ毎日書いているのと変らないや。

まあ、私のブログなんだし、私が書きたい事を、読む人には少し我慢してもらって、書き散らかすと言う感じで良いかも。

こう見えても一応は読む人の事も考えているので、あんまりしょこたんしょこたん書くのも読む人にとっては辛いかなぁと思って自重していたんだけど・・・。

まあ、いいか。

読む人には申し訳ないけど、私のブログだ、私が書きたい事を書きたいだけ書くかな、やっぱり。

このところ、努めてしょこたんネタはちょっとだけ自重していた。

客観的に考えるに、読む人の事を考えると、しょこたんの事ばかり書くのもいかがな物かと、ふと思ってしまったので。

でも、考えてみれば、このブログ、まるっきりアクセスが無いんだから、べつに、私が好きなものを好きだと書き綴っても、どうと言う事はない気がして来た。

たぶん、未来の知性だけが、私のブログを全て読み、そしてニヤリとする事だろう。

やっぱり自重するのやーめた。

まあ、自重しないと言っても、特別変な事を書く訳では無く、単純に「しょこたんかわゆす!!」とかそんな事をつらつらと書き散らすだけだけど。

あ、あひ夫とかカエルとかを絵に描こうっと。

ちなみ「あひ夫」とは、しょこたんが縫ったアヒルのぬいぐるみの事です。


ちなみに私はいつもぬいぐるみを持ち歩いている。

以前は4体くらいを身に着けていたが、今では2体を身に付けている。

ゆうきの話 ゆうきの話

左:ピンク 右:シロ


こんな感じの子等で、一応「獲物」と言う事にしている。

以前は尻尾も付けていたが、最近は外している。

また付けようかな。

ちなみにピンクのほうは「ピンク」と言う名前で白い方は「シロ」と言う名前だ。

そして、ピンクはシロの父親で、以前は母親も居たが、母親は今は居ない・・・・。

ピンクとシロを何処に行く時もポケットから覗かせながら、連れて行っていたが、ピンクがだいぶくたびれて来たので、今ではシロだけをつれて歩いている。

ちなみにシロはズボンの後ポケットが定位置だ。

ピンクは上着の左ポケットに、そして肩にも一匹乗せていた。

肩に乗せるには服に加工が必要なので、今は乗せられないが。

そしてあと一匹はジャケットの内ポケットに居る。

というか、しょこたんの造った縫いぐるみ、欲しすぎる!!!

たぶん、男性の中では私が一番持つにふさわしいと思う、客観的に考えて。

機会があったら頼んで見よっと。


しょこたんお休みなさい、ゆっくり眠ってHPをたっぷり回復してね!

そして今日も笑顔と元気をありがとう!!

そして、これを御覧のあなたにも元気と笑顔が届きますように

ざっきっ

けっこうすずしい

だいぶ涼しくなってきた。

紅葉を見に行こうよう、などと言うにはまだ早いけど、秋の味覚を食べたいよう、とはすでに毎日言っても良い時期になっている。

私の食事はカップめんと決まっているので、秋の味覚を取り入れたカップめんが出れば食べる事も出来るかもしれない。

家でのガスの使用は制限されていてほぼ使用できない状態なので、事実上自力での調理は困難であり、かと言って毎日弁当と言うのはコストが掛かりすぎる、その為、必然的にカップめんと言う結論に達する。

ちなみにお湯はポットで沸かす。

ホットプレートがあれば、もう少し調理が出来るので、そのうち何とかしようとは思っている。

味覚の秋がやってくる。



ニュース

大ニュースがあれば、ツイッターで流れてくるだろうから、最近ではニュースはほとんど見ない。

テレビだけではなくネットでも。

そもそもニュースと言っても、大部分はどうでも良いような事ばかりだ。

そのような物を見すぎると、ただでさえ処理能力の少ない脳を余計な事に使ってしまう事なる。

気が向いた時にチラッと見るだけで十分だ。

ツイッターも30弱のアカウントをフォローした時点でタイムラインが一杯になってきたので、それ以上のフォローはしていない。

完全に情報を絶つ必要もないが、多すぎる情報は利よりも害の方が大きい。

私は「ニュースサイトを見だすとずっと見続けてしまう病」なので、近頃では少し抑えるようにしている。




次の絵を考える

いきなり飛躍する事は出来ないから、今までの延長線上に次の絵があると考えるのが正解か。

そして、今は絵のバージョンアップが出来ないか考えている。

今までに描いた絵のバージョンアップだ。

過去に描いた絵を今見ると、ここを直したい、と言う所ががほとんど全ての絵にある。

アプリケーションは何度もバージョンアップを重ねるのが普通だが、絵に関してもそれを行っても良いのではないか。

例えばモナリザはダビンチが一生掛けてバージョンアップを続けたと言う事も出来、絵をバージョンアップさせる事は決して特殊な事では無い。

デジタルの大きな利点は、その様な行為が簡単に出来る事にある。

新規の絵と共に、絵のバージョンアップも行っていこう。



音楽を聴こう

BGM : Maurizio Pollini - Chopin: Piano Sonata #2 In B Flat Minor, Op. 35 - 1. Grave, Doppio Movimento

BGM : Maurizio Pollini - Chopin: Piano Sonata #2 In B Flat Minor, Op. 35 - 2. Scherzo

BGM : Maurizio Pollini - Chopin: Piano Sonata #2 In B Flat Minor, Op. 35 - 3. Marche Funebre. Lento, Attacca

BGM : Maurizio Pollini - Chopin: Piano Sonata #2 In B Flat Minor, Op. 35 - 4. Finale: Presto


ショパンは良い。


BGM : Andrei Gavrilov - Chopin: Etude #1 In C, Op. 10/1


練習曲は一生聞き続ける気がする。


BGM : Beethoven: Symphony #9 In D Minor, Op. 125, "Choral" - 4. Finale Allegro Assai




絵を描こう

自分が楽しい事と、他の人が楽しい事を繋げる方法を考え続けている。

考える事を止めない限り、その答えは必ず見つかる。

人間にとって時間とは永遠である。

死とは例えるならば期日の分からない締め切りであり、分からない期日ならば、自分で好き勝手に期日を設定しても誰も文句は言わない。

その期日を永遠とするだけで、人間は永遠の時間を手に入れる事ができる。

この時間は仮の時間ではあるが、実際の期日が分からない以上、自分で設定する他無い。

そして、締め切りはなるべく遅い方が良い事は確かだ。

それだけ長く楽しめる。

だから、自分で人生の締め切りを永遠と言う事に設定してしまい、あとは無限の時間を掛けてじっくり考えれば良い。

たぶん、永遠などと言う時間を掛けなくても、答えが出るか、若しくは答えを見つけることに飽きてしまうから。

どんな面倒な問題でも、3年以上考え続けられる事は、それほど多くはない。

だから、いつまでかかるか分からないと感じられる難問でも、それを今解く必要があるならば、途方も無い時間がかかるかどうかなどと言うことは気にせずに、答えを探し始めれば良い。

と言いつつも、私は20年以上考えている事は山ほどある。

まあ、問題はいくらあっても、算数ドリルが発狂したとか言う話は聞いた事が無い。

人間は算数ドリルではないけどね。

穴を掘るやつじゃない方の「ドリル」って言葉、たぶん生まれて初めて書いた。


またつまらない事を書いているな、ワシは。

こんな文章、誰得だって話だ。

まあ、未来の知性、未来の知性だけがこの文章を書く言い訳になっている。

ありがとう、未来の知性。




話し言葉で書いてみよう

今ふと思ったんだけど、このブログ記事って、とっても堅いと思うんだ。

それはたぶん「だ・である」で書いているからだろうけど、これは、それが一番簡潔に文章を表せると思っているからなんだ。

それに、誰が読んでいるか分からないから、一番無難な書き方でもあるしね。

でも、たまには、もっと柔らかい、そう、こんな感じの口語体で書くのも面白いと思うんだ。

この書き方が嫌だなぁって思った人はごめんなさい。

今はお試しで書くだけだから、すぐに戻すから、どうか許して欲しいです。

ほら、昔の人も言ってるでしょ「赦しなさい」って。

まあ、嫌なヤツはとっとと赦して心の中をスッキリした方が、ずっと幸せに過ごせると、私は思うんだ。

そんな事はどうでも良いね、私はつい話が脱線しちゃう癖があるんだよね。

昔っから話がドンドン膨らんで訳の分からないことになるなんてのは、良くある事だから、もう、しょうがないね。

話し言葉だと不思議と色々な事が思い浮かぶんだ。

やっぱり頭の中では話し言葉で考えているからなんだろうけど、やっぱり普段使い慣れた言葉って言う点が一番の理由だと思うね。

だって日常的に「パンが欲しいのである」なんて言わないでしょ?

「パンが欲しいなぁ、今日はパンのターンなんだよね」とか、こんな感じで会話って進んで行くからね。

だから、話し言葉で書くと、よりストレートな感情や考えが表れる気がするよ。

これを誰が読んでいるのか分からないけど、貴方が読んでいるのだから、貴方に向けて話しかけ続けるよ。

このブログは一方通行のメディアだから、こっちから話し続けるしかないんで、ずっと話し続けるよ。

普段も、どちらかって言うとおしゃべりな方だって言われるけど、さすがに一方的に話し続けるって事はないから、やっぱり少しはなすのとは違う感覚だけど、まあ、気にせずにいこう。

今ずっと考えているのは、絵の事なんだよ。

具体的には、どんな物を描いてやろうかって事なんだ。

やっぱりどうしたって、自分のためだけに描くって言うのには限界があるからね。

それでも構わないって言う人もいると思うけど、少しは私以外の誰かにとって意味のある、そんな絵を描きたいって、ちょっと思っちゃってね。

だから、それを実現する方法、実現する絵ってやつを、あれこれと考えているよ。

ここしばらくはしょこんの絵を描く事が多いけど、これって、私以外の人間にとって何か意味のある事なのかなって、ふと考えたんだ。

描いた絵を見てくれた人たちにとって、この絵って、何か意味があるのかなぁ、ってちょっと考えたんだ。

本当は、意味なんてものは見た人が勝手に心の中で生み出すものだから、描いた人間がそれを知る事なんで出来やしないんだけど、でも、それじゃあ描く意味が分からずじまいだからね。

もう少し広く考えると、絵を飾ることで、飾られた場所はコンテンツが増えて華やかになるから、まあ、悪い事ではないとは思うんだ。

枯れ木も山の賑わい、って言うからね。

まあ、今考えられる意味って言うのはそんな所かな。

しょこたんの絵がしょこたん自身に求められていたりするのならばそれは最高の描く意味になるんだけど、実際は私が勝手に描いているだけだからね。

そこで考えているんだ。

自分以外にも多少なりとも意味がある絵ってやつをね。

そういう意味では、私のサイトにあるフリー素材はけっこう意味があるものだと思うんだ。

そこそこの人数の訪問があるから、そこそこ意味のあるものになっているって事だからね。

つまり、フリー素材以外の絵もそんな感じにしたいんだ。

欲しいなって思われる絵を描きたいなって。

しかも、自分が描いていて楽しい方が良いんだ。

なかなか難しい問題なもんで、頭を右とか左にひねったりして考え中。

まあ、こんな事、何で書いているんだろうね、たぶん話し言葉だからかな。

くだらない会話ってヤツだよね、大抵の場合、会話の99%はこんな感じのどうでも良い感じの話で埋め尽くされていると思うよ、特に自分の場合はね。

だから、物語を書く時はるべく会話は入れないようにしているんだ。

沢山入れるとこの文章みたいになっちゃうからね。

会話ばっかりの文章って、何だかおしゃべりな人の横にいるみたいで、少し疲れるかなぁって思うんで、だからこう言う文章とか、会話を沢山入れた文章はあまり書かないんだ。

でも、会話ばっかりの文章ってけっこうあって、一定の需要があるのかもしれないね。

試しに会話ばかりの文章と言うものを書いて見るって言うのも、良いかも。

漫画は会話中心の文章に思えるけど、あれは実際には絵で説明しているから、説明中心の物語って事になると思うんだ。

だから漫画を描く時に会話はそれほど沢山書く必要はなくて、重要なのは場面の説明だから、とにかくまずは絵を上手くかけなくっちゃいけないと思うんだ。

それが今絵を描く最大の理由だからね、意味の通じる絵を描くって事が。

話し言葉はここら辺にしようかな、うん、また書くよ。


話し言葉と言っても、実際には他者が居てこその会話なので、実際にこのままの話し方になるかどうかは他者しだいと言う所はある。

でも、大体このような感じになると思う。

脳内での会話は大体こんな感じだ。




誰得問題

この問題は考えれば考えるほど難しい。

例えば、このブログは実際の所、誰がどの程度、欲しているのか。

アメブロは記事が増えるほど、広告収入が増えるのでアメブロにとっては確かに得だ。

私は書く場所が欲しかったので、私にとっても得だ。

読む人にとっては・・・・得だと信じよう。

金銭的な損得とは関係無く、単純に「おかしなものを見たり読んだり出来て楽しかった」と感じてもらえれば何よりだ。

色々な人が書くブログ記事をけっこう見ているが、大抵は健康的で楽しげな記事だ。

このブログのように、訳の分からないことをあれこれと書き散らしているブログはあまり無い。

それが求められている物の主流で無い事は何となく分かるが、中にはこう言う文章が好きだと言う人も居るかもしれない。

そんな人が1人でもいれば、その人のためだけにでも、書き続ける事には意味があり、得である。

このブログは「誰得」ではあるが、誰かの得にはなっている、と信じている。

絵に関してもたぶん同じ事が言える。

「誰得」は「誰かの得だと信じろ」という意味だ。

誰得はあなたの得で私の得だ。