雑記 | ゆうきの話

雑記

秋の草花


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キバナコスモス・オオイヌタデ・ムラサキエノコログサ?


たまには写真でも。

もっと撮ろうと思ったが、カメラの電池が無かったのでこれくらいで。

イチョウはまだほんの少し黄色くなっている程度だが、銀杏はかなりしっかり付いている。

まだほとんど落ちてきてはいないけど。

東京では紅葉が綺麗になるにはあと1ヶ月は掛かる。

デラウェアは近所のスーパーではまだ置いていない。

もう少し先か。

そういえば、以前デラウェアの果肉が入った缶ジュースがあったが、まだ売っているのかな。



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稲光

この前、カミナリを写真に撮ろうと試みたが、結局撮れたのがこれくらい。

光に反応してシャッターを自動で切る装置を使ったり、連射すれば撮れそう。




ツイッターのタイムラインを見てみると、色々な人が色々なことをつぶやいている。

世界には色々な人がいて、みんな違う事をやっていて、違う事を考えている。

当たり前だけど、不思議だ。

今ではツイッターは何人かのツイートを眺めるためだけに使っている。

個人RSSと化している。

ツイッターを情報発信ツールとして活用するには、発信者にそれなりの発信力や魅力が必要だ。

ブログも似ているが、ブログは長文が書けてアーカイブとしても機能するので、その点が違う。

いずれにせよ、何を使うにも、使う本人の能力が問われる。

具体的には、例えば面白い話を書ける能力や、コミュニケーション能力、上手い絵を描く能力もその一つだ。

何らかの能力が、周囲の人よりも優れていれば、ブログやツイッターは活用できると思う。

それらが活用出来ていないと思えるならば、自分の能力不足を疑わなくてはならない。



56

2012年1月1日から9月26日までに私のwebサイトにアップした絵は合計1058枚。

そして、全ての絵への総アクセス数は合計56。

1月平均6アクセス程度となる。

これが2012年の現在の私の能力の数値化の結果の一部だ。

ちなみに、同じ時期のサイト全体への総アクセス数は8000程度。

ネットへは繋がっていて、検索エンジンも問題無く機能している証拠だ。

(ちなみに両方ともユニークユーザーの数)

56と言う数値は数多くある数値の一つに過ぎないが、分かりやすい目安でもある。

他のサイトではどの程度見られているのか分からないが、56が多くは無いと言うのは分かる。

最大の理由は言うまでも無く、絵そのもののクオリティだ。

第2の理由としては、説明文の不足、とか、宣伝の不足、とか。

でもそれだと、サイトのほかの部分へのアクセス数が説明出来ない。

他の部分も説明は大差無く、違う点はフリー素材であると言う点だったり、ゲームに関係することだったりと言う点だ。

まあ、実はどうでもいい事ではあるのだけど。



空飛ぶ島に住みたい

最近ますます思う事がある。

外部と完全に隔絶された空飛ぶ島に住みたい。

そこで、自分が食べるものだけを作ったりして、過ごしたい。

それが叶うなら、インターネットも要らないし、1人でいい。

猫とウサギは連れて行くけどね。

大好きな人と一緒に行ければ幸せだけど、たぶんそんな生活に耐えられる人間は居ないと思う。

だから行くときは1人で行こうと思う。

怪我や病気になったらそのまま野垂れ死にだろうけど、そういうのも良いと思う。

ただ、地球上に人間の関わらない土地は無い。

どの土地も誰かの所有物であり、その隣にも人間がいる。

だから空飛ぶ島がほしい。

または、火星とか宇宙の果てとか、そういう場所で暮らしたい。

こう考えるには幾つか理由があるが、大きな理由の一つは、能力の不足だ。

客観的に見て、あらゆる点における能力が、一般人のそれに及ばない。

すべての人間には役割があるが、空飛ぶ島に住むと言う役割を持つ人間がいても良いと思う。

実際には空飛ぶ島はまだ作られていないので、この夢は当分叶いそうもないけど。

能力が無いと、とかくこの世は住みにくい。

普通の人と渡り合う能力が今の所何も無いので、それを身に付けるのには1000年は掛かる気がする。

普通の人を見る度に、改めてその凄さを感じる。

みんなそんな能力をどうやって身につけたのだろうか。

それがさっぱり分からないので、能力を身につけるといっても、何をすれば良いのか不明だ。

でも、普通が好きじゃない事も確かだ。

私は他の人と同じである事にあまり関心がない。

これは自分が劣化した普通人間だからだ。

自分に無い物を求めるのが人間だと思うので、みんなと同じである事に飽き飽きしているのだと思う。

普通の凄さを認めると共に、それにいまひとつ興味が持てない自分がいる。

だからこの世は住みにくい。

不思議と周りの人に助けられて何とか生きてはいるけれど、そんな感じでいいのかなぁ。

まあ、いいや。

しかし、こんなの未来の知性以外には絶対読まないだろうな。

こんな文章を読ませてしまってごめんなさい。

次はもっと明るい事を書こう。




明るい事だって一杯あるよ


秋は食べ物が美味しい。

葡萄に梨に柿にキノコに銀杏に米に・・・色々食べ物が美味しい。

秋は紅葉が綺麗だ。

トンボが沢山飛ぶ。

ゲームがドンドン進歩していて、やりたいゲームが一生掛かってもやりきれないほどある。

文字が簡単に書けるので、こうやって文章をいくらでも書ける。

あと、絵を描くのも紙に描くより格段に便利になっている。

いつも猫が可愛い。

しょこたんはいっつもギザかわゆすだ!!


こう考えると、楽しい事は自分の外にある事がよく分かる。

だから、自分の事を書く文章がつまらないのは当たり前だ。

でも、他人にとっては私は外部なのだから、他人にとってみたら、私の書く文章も面白いのかもしれない。

でも、私は私が他人では無いので、私の何が楽しいのか客観的に見る事は難しい。

楽しいと感じる心は自分にあるけど、楽しい事そのものは外部にある。

そんな事を考えるのは楽しいけど、これも楽しいものがあるからこそ考えられることだ。

基本的に外部は楽しい。

自分自身の内部には何も無い事は分かりきっているので、あらゆる外部が楽しく感じる。

自転車で公園を走るだけでも、植物や景色や歩く人々を見るととても楽しい。

もちろん、物理的な外部だけでは無く、情報としての外部も楽しい。

外部からの情報とか、特にネットは見だすと止まらなくなるので、最近では少し抑えている。

外部が楽しすぎると、自分の中から何か出すのが大変になる。

多少外部からの情報を制限しないと、内部から出そうとしても押し戻されてしまう。

楽しくないから仕方なく、自分の中から楽しいものを作り出す、それが何かを作ることだと私は思う。

外部が楽しければ、わざわざ自分で作る必要など無いのだから。

何かを作りたければ、自分をつまらない状態に置いて、作り出すしかないように仕向けるのが一番だ。

例えば私が描く絵には、それが端的に表れている。

私が様々な面で満たされていたら、今描いているような絵を描く事は無いと思う。

仕事で描く、なんて事はあるかもしれないけど。

外部は楽しいけど、外部から得られる喜びには限度がある。

その限度を決めているのが、能力だと思う。

人はその能力に応じた喜びを自分の周囲に揃える事が出来る。

その能力の無い者は・・・私なら絵にでも描くしかない。

だから、私は絵を描くのだ。

この文章も同じ事だ。

言い換えれば、己の無能さの証明が、何かを作ると言う行為であるとも言える。

もちろん、全ての作る行為がそうではない。

でも、私の場合はそうだと思う。


やばい、楽しいことを書かねばね。


音楽について

音楽が好きだ。

時間を取りこんでいるので、絵よりも次元が高い芸術だ。

絵は2次元の芸術であり、音楽は4次元の芸術だ。

そして、声は最高の楽器だ。

だから、声楽こそが最高の音楽であり芸術だと思う。

私はクラシック音楽が好きだが、歌付きの音楽が特に好きだ。

第九とかモーツァルトとかヴェルディーのレクイエムとか歌劇とか、とても良い。

もちろん歌の無い音楽も好きだ。

これを書いている瞬間も音楽は流れている。


BGM : Take The 'A' Train


A列車でいこう。

wikipediaによると、ニューヨークにある地下鉄の「A列車」に乗ってジャズを聴きにハーレムに行こう、みたいな内容の音楽だそうだ。

まあ、細かい事は気にせずに、ただ聞いて楽しいと感じられればそれで良いと思う。

理屈抜きで楽しいのが音楽の良い所だから。

私は音楽の細かい理屈は全く分からないけど、直感的に楽しい音楽とそうでもない音楽は感じ取れる。

みんなそうだと思う。


BGM : Moanin'


音楽を聴こう。




しょこたんぶろぐを読んだ事を書く?

このブログは、ほとんど誰にも見られていない。

そして、僅かなアクセスも、しょこたんぶろぐを読んだ事や雑記に対してでは無い。

そして、私がしょこたんぶろぐを読んだ事など、誰も知りたがる事もないし、そもそも誰も読んでもいない。

未来の知性に向けた記事として、書く意味はあるかもしないけど、それが役に立つのは1000年後とかの話しだ。

私はたまにひどく冷静になる事があって、しょこたんぶろぐを読んで、その感想をここに書く事の意味を冷静に考えてしまうことがある。

冷静に考えると、その行為は誰のためにもなっておらず、誰の喜びにもなっていない。

そして、しょこたんぶろぐについて書く事は、いわば私の心の中を晒す事になり、恥ずかしさを感じる事でもある。

そんな冷静な自分がたまに顔を覗かせて、書かないほうが良いと私に忠告する。

もちろんそんな事を毎回まじめに聞いていたら何も出来なくなってしまうので、大抵は無視する。

冷静な自分など何処かに置いて来ればいい。

そして書きたい事を心の赴くがままに書けば良いのだが、たまに心が負ける事がある。

それには大抵、些細な理由がある。

今は冷静な私の理性が、心と五分の戦いをしている。

理性が無いとカオスになり人格は崩壊してしまうが、理性だけでも、何も出来なくなってしまう。

理性だけだと、何かをする本能的な動機が消え失せてしまう。

理性が情熱を消し去る程に強くなると、何も出来なくなる。

今はちょうど理性と情熱が拮抗している状態だ。

だから、このようにしょこたんぶろぐについて書いているのだが、しかし内容の感想を書く事をためらっている。


恐るべき面倒くさい人間だな、ワシって!!!


でも仕方ない、それが私なのだから。

あーめんどくせーやつに生まれちまったもんだよ、まったくっ。


でも、しょこたんってやっぱり可愛いし、魅力的だよね、うんうん。

「しょこたん」って文字を見るだけでキュンとする、これって、あれだね、あれ。

理性の隙を突いて書けるのはこれくらいかな。

やばい、理性が恥ずかしがっている。

ここら辺にしておこうっと。

おやすみしょこたん、コンサートがうまくいって笑顔で満たされますように!!