描く | ゆうきの話

描く

次の絵を描く時間だ

次の絵を描こう。

と言っても、特に何を描くのか決まっているわけではない。

自由というのは、描く自由もあれば描かない自由もある。

両方あって本当の自由だ。

描かねばならないのであればそれは自由ではない。

自由は幸せかといえば、そうとも限らない。

自由は生きるも自由ならば死ぬも自由だ。

何にも捕らえられないと言う事は、何にも捕らえられていないと言う事だ。

完全な自由は完全な球と同じだ。

完全な球には一切の凹凸が無く、他の何かが取り付く事は出来ない。

それは球が望むと望まざるとに関わらずに、何もくっつけない。

それが自由だ。

鍛錬の問題点はそこにある。

鍛錬は自由なので、何の義務も無いし、少なくとも外部にその理由を求める事は難しい。


絵を描こう。

誰かに喜んでもらうために何かを描く、これはとても良い事だと思う。

実際にそういうものが出来れば、とても良い。

正直な所、生まれて今までで、絵を描いて誰かに喜ばれたという事が1度も無い。

だから、どんなものを描けば喜ばれるかが分からない。

基本的に絵を描く能力が決定的に劣っているので、望まれたものを描く事自体が大変に困難であるのだけど。

これは前にも書いたが、私は自分よりも下手糞な絵を見た事が無い。これは冗談ではない、本気だ。

だからこそ鍛錬をするのだ。

絵を描くこと自体は好きだし、それで漫画とか絵本とかを作りたい。

でも、それに必要な能力が全く足りない。

具体的には、人を人として描く能力、モノをモノとして描く能力、そして喜ばれる能力だ。

単純に人体の形状を再現するだけでも困難だが、更に困難なのがそれを見た人に喜びを得てもらう事だ。

今の所、形状を再現するのに苦労している段階で留まっていて、喜んでもらうレベルには達していない。

人並みのものを描ける様になるのに、あと何十年かかるのだろうか。



ゆうきの話


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走り描き

人間に見える、と私は思うが、人間って、大体こんな形をしていると感じているが、違うのかな。

壁のシミも3つあれば顔に見えるけど。

壁のシミよりも人間に見えるように描こう。



前も書いたけど、ツイッターではこちらで勝手に誰かの絵を描いてしまうと言う事をやったが、あれのブログ版をやっても良いかもしれない。

つまり、気まぐれでブログを描いている誰かの事を勝手に絵にして、勝手に贈ろうと言う訳だ。

ツイッターでやった時は相手からは全く何の反応も無かったが、ブログではどうなるか、やって見ても面白いかもしれない、私は。

私は面白くても、相手にとっては不気味と感じられる可能性が非常に高い。

私が名の知れた人物なら描かれた方も安心して絵を見られるだろうけど。

もっと上達しないとならないな。

絵を描こう