心が言う今日のテーマは「限界を超える」です。

 

限界ってなに? と聞くと、「いろいろあるが、とりあえず今日はこの前触れた『飽きる』についてやな」とのこと。

 

最近は好きなはずのゲーム等をやっていても、結構すぐに「疲れた!」となってやめてしまうことが多い。

 

でも、数分したら「またやりたい!」となって再開してたりもするので、これ別に本当に疲れたわけじゃないよな? とも思うわけです。

 

もちろん、数分の休憩でも回復効果はあるのでしょうが、それ以前の問題な気がする。

 

「その『疲れた』の限界を越えよか」と心は言うんです。

 

てことはこの前書いたように、価値判断を捨てる、をやるってこと? と聞くと、「そう」と心は言う。

 

あのときは、イメージの中で捨てるか、「捨てる」と言葉として唱えるか、という方法が提示されました。

 

今回もそれやるの? と聞くと、「無意識レベルで実践する方法をやろう」と心。

 

それで浮かんできたのは、オークション会場で、この商品は◯◯円です! と盛大に値が釣り上げられている、そんなイメージです。

 

でもその値段は、その商品の絶対的な価値を示しているわけではなく、オークションに参加している人たちの欲望のバランスによって変動しているだけ。

 

そして、別にオークション会場などという特殊な場でなくても、物事の価値をそれそのものを見て決めるのではなく、周りの意見に振り回されて決めてることって日常的にあるよな、なんてことを思ったんです。

 

そこから自由になれれば、あらゆる価値判断に囚われない、すなわち「捨てる」を常に実行できるのかもしれない。

 

でもそれを無意識で実践するってどうやるんだろう、と考えたとき、そもそもあらゆるものに価値なんてないんだ、という思いが浮かびました。

 

例えば食べ物の価値は、空腹かどうかで変動し、最上級の食べ物であっても満腹のときはほぼ無価値な代物と化す。

 

健康なときは病院の価値はなくなり、病気のときは多くの趣味の価値が損なわれる。

 

そう、物の価値というものは全くもって絶対なものではなく、相対的と呼ぶにもあまりにふわふわとしている。

 

けれど、いっそ「あらゆるものに価値なんてない」という極論を思ってみると、逆に楽になった感じがするんです。

 

そんな「無」の思いを心の片隅に置いておく、それぐらいの感じでいいのかもしれません。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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