AI時代に最も必要な能力は「ツッコミ力」ではないか? てなことを、ついさっき思いました。
日常的にAIを使ってる人ならよくご存知だと思いますが、AIはよく嘘をつきます。いわゆるハルシネーションというやつです。
そして今後、AIの技術がさらに発展しても、このハルシネーションが完全になくなることは難しいのでは? と言われています。
その理由については各自調べてくださいとしておきますが、私は結局のところ、「人間がハルシネーションを起こす存在である以上、AIがそれを超えることはできないのでは?」と考えています。
実際、AIのハルシネーション問題については、「AIが人間よりアホだから」みたいな理由以上に、「AI相手だと人間相手とは比べ物にならない頻度でガンガン質問できる。つまり回答が返ってくる頻度も比べ物にならないくらい多いので、どうしても間違った答えが出てくる数が増えてしまう」という部分も大きいんじゃないかな、と思うんです。
じゃあどうすんのよと考えたとき、有効なのは「ツッコミ力」ではないかと。
これは別にAI相手の話だけでなく、人間相手にも有効というか、その手の力は育てておいたほうがいいと昔から言われてるやつですね。「権力者の言うことを疑え」とか「マスコミの言うことを疑え」とか。ネットリテラシーうんぬんの話もこれに通じます。
とはいえ、じゃあそのツッコミ力を自力で育てるにはどうすればいいんだ? という疑問が生まれます。
てことで、いつものように心に聞いてみます。なおここで、「心に聞いて本当に正しい答えが返ってくるんかい!」という今さらすぎるツッコミも当然あるわけですが、まあそれはそれとして。
「一番いいのは、常に正しくなければならないという幻想を捨てることや。まあ、それができたら苦労せんという話やが」
AIうんぬんを抜きにしても、人間だって間違いを犯しまくりながら生きているのが当たり前である以上、常に正しくあれ、なんて無理に決まっとるやろ! というツッコミか?
「その通り。そもそも大事なのは正しいかどうかやない、楽しいかどうか、幸せかどうかや。偽りによって心からの幸せを得られるのなら、それを否定する意味はあるのか? という話やな」
たとえ辛い現実でも向き合わないといけない、嘘に逃げてはいけない、なんて意見もあるけど?
「その思想も所詮は一つの幻想、フィクションに過ぎん。『辛い現実』と認識しているものは本当に現実なのか? その『辛い』という解釈自体にバイアスが入ってないか? 『嘘に逃げてはいけない』のはなんでや? そもそも『逃げる』という表現自体にバイアスが入ってないか? などなど、ツッコミどころはいくらでもある」
それで言うと、「ツッコミ力を上げたほうがいい」も、実は「いや別に上げんでいいし」というツッコミの対象になると?
「その通り。上げたけりゃ上げればいいし、上げても幸せにならなさそうなら上げなくていい。実際、いろんなことをある程度盲信できる人間のほうが、人生幸せなもんやで。自分が正しいという幻想を心から抱けるっていうのは、幸せなもんや」
ふむ。じゃあ質問を変えるけど、幸せになるためにはどうすればいい?
「いつも通り。やりたいことをやり、やりたくないことはやらない。これをやれる範囲で適当にやる。完璧にやれなきゃいけないとか思う必要はないし、そう思ってしまう自分を責める必要もない。人もAIもありとあらゆるものも、完璧などではないのだから」