今日も適当に書きます。

 

適当と言えば、とあるゲームで昔仕入れた知識として、適当とはいい加減にやるという意味だけではなく、ちょうどいい感じに適切にやるという意味もある、てなことを知って、へーとなりました。

 

それ以来、その知識はずっと私の頭の中に残り続けているんですが、それが活きているかはわかりません。

 

そういうことで言えば、学校で学んだことと言うのも、自分の人生においてどれだけ役立っているのかはよくわからない。

 

学校の授業、特に数学とかについて、こんなこと学んでなんになるんですか! と学生側が文句を言うというのは、おそらく昔も今も、そして未来も当分続くであろう伝統行事だと思いますが、まあ実際のところ、役に立つかはどうかは人によるよね、と思います。

 

表層的なことを言えば、数学を必要とする仕事や趣味をする人にとっては、その知識は当然役立つ。

 

さて、そういうのを必要としない人生を送っている人にとっても役立つかどうかは、なんともわからない。

 

意識はしてなくても、実は無意識レベルで役に立っている可能性はあるし、全然役に立ってないかもしれない。

 

歴史の授業なんかも同じで、私は世界史で記憶したことと言えば、「張作霖爆殺事件」という名前のインパクトが未だに忘れられないというのが第一に上がるんですが、この事件が歴史においてどういう意義を持つのかとかはきれいに忘れています。

 

ただ一つ言えるのは、どんな知識や経験も無駄にはならない、というのは嘘だということ。

 

正確には、どんな知識や経験もなにかしらのプラス要素は含んでいるけれど、一方でマイナスに働くこともあるので、差し引きで見たら知らないほうがよかった、経験しないほうがよかったということは確実にある。

 

私自身について言えば、精神疾患を発症したことでそれを痛感しました。

 

先日の地震で家族や知人を無くされた方も、その経験が自分の人生においてプラスになる、などとはおそらくあまりならないでしょう。

 

だから、家のドアを閉じる必要がある。

 

昨日の記事で、自分という人間を一つの家に例えましたが、放っておくとこの家の扉や窓から、呼んでもいない招待客がどんどんやってきて、家の中を滅茶苦茶にしたりする。

 

なのでドアを閉じ、窓を閉め、外部との境界線を適切に保つのは大切な気がします。

 

けれど一方で、人間という家には、そもそも外部の影響をシャットアウトする機能がどれだけついているんだろうか? という疑問があるんです。

 

引きこもったりして物理的に人との距離を取っても、それでも他人との精神的な関係性をゼロにはできないし、精神的な影響は結局肉体にも及ぶ。

 

そんなことを心に言うと、「人は追い出すもんやない、斬るもんや」と、いつものように一見物騒な返事がかえってきます。

 

でも、自分が嫌なものはちゃんと拒絶する! と言い換えれば、そりゃそうだよねという話になるんです。

 

知識も経験も他の人間も、なんでもかんでも取り入れることがいいというわけではない。

 

まずなによりも自分自身を大切にして、自分が望むものだけにできるだけ触れるようにする、それが一番大事なんじゃないかなと思うんです。

 

 

 

このブログの記事は全て、大嶋信頼先生が開発された「心に聞く」を用いて書いています。

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