もぎたて!アメリカ暮らし。  -13ページ目
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ピーカン!!

久しぶりに、自信たっぷりの


晴れ~!!青空~!!

晴れ

朝9時、家の玄関から空を見る。


同窓会

今度の土曜日の夜、中学1年のときのクラスの同窓会があるらしい。

いきたい、いきたい、いきたい、けど、ちょっと遠くて行けんはなぁ。


もうすでに、何年か経ってしまったけど、前回、日本に里帰りしたときは、みんなと会う機会があったので、そりゃうれしかった。


この同窓会は数年前に第一回を開いてから、定期的にやってるみたい。

オイラと同じく、日本国内であっても遠くに住んでる人はなかなか参加できないのかもしれないけど、みんなが集まるって聞いただけでも、なんだか、うれしく楽しいような気分になる。


中学時代って、一番よかったな。

毎日、楽しかったしね。

いつの間にか、ずいぶん昔のことになっちゃって、ねえ。


で、あれ、何ていうのかな、机の上に置くビニールのシート、ペロンてめくって書類とか、ポスターとか中にはさめるヤツ。

一部はさんである物も含め、いま自宅で使ってるのは日本にいた頃のものですごく古いんだけど、このシートと机の間に、中学の遠足の写真が忍ばせてあり、たまに見るのだ。ここのほうが色あせなさそうだし、飾らないでたまにヒョイと取り出して見るのがいいのよ。


↓こんな感じ↓

つくえ

まぁ、散らかってる机だこと。


↓写真を見ると↓

同窓生

ああ、なつかしー。

日付はS56.5.28.春の遠足。

中学に入学して最初の遠足。

ぼかしてセピアにしてみたら、なんともノスタルジック。


んじゃ、みんな同窓会、楽しんで。

がんばって、そのうちちゃんと参加するので、よろしく。


コンギツネ


カリフォルニア ライセンスプレート

カリフォルニアのライセンスプレートをちょっと紹介。


ライセンス1

一番上の黒が最も古く、下に行くほど新しい。

我が家のコロちゃんには、青いプレートがついてる。


黒いプレートは、“ブラックプレート” (そのまんまじゃ)と呼ばれていて、これがついている旧車は、ちょっとポイント高いらしい。というのも、気候の良いカリフォルニアでずっと登録されていた証になるから。あと、年式にマッチしてるっていうのもあるみたい。ちなみに、写真のブラックプレートは1963年のもの。


そしてプレートの上のほう、両端についているスッテカーは、右が年、左が月になっている。例えば、右が2006、左がJULになっていると、登録が2006年7月まで有効。登録を更新すると、2007のステッカーがもらえるので、2007年7月まで乗れるということ。月のほうは最初に登録した時のまま登録を切らせない限り使える。

年のスッテカーは、毎年、前年と色が変わるので登録を怠ってると簡単に分かりポリスに止められちゃうのだ。(x_x;)


で、このスッテカー意外とはがして盗まれたりするらしい。盗む人は、1975年以降のクルマだと、スモッグチェック(排ガス検査)にどうしても通らず登録できない、いかがわしいクルマで登録できない、単に登録代を払いたくない、など理由はさまざまでしょうが、盗んじゃいけないよねぇ~。\(*`∧´)/


対策としては新しいスッテカーを古いものの上に重ね貼りしないとか、スッテカーを貼ったらカッターナイフで切れ目をたくさん入れて剥がしたら細切れで使えないようにしておくとか、皆さんしているようなのだ。 


車 

さてさて、


ライセンス2

この2枚のプレート、なんか違う??


そうです、上はアルファベットが一文字だけであとは数字の並び。

そして、下はアルファベットが三文字並んでる、うーん。


実は、上はピックアップトラックに付くプレートで、下はその他普通のクルマ。


たぶん自分じゃこんな違いに気づかなかっただろうけど、悲しい物語があって・・・・・。


・・・ある日、日本人の友人が払い下げになったスクールバスを運んで欲しいと誰かから頼まれ、ちょっとしたバイト気分で承諾。ライセンスプレートのないそのバスに自分のクルマから外したプレートを付け(日本みたいに封印がないから簡単に外せちゃうのだ)颯爽とスクールバスを走らせてると、後ろからポリスさんがこんにちは、で仕方なく路肩に止めて、あれこれ質問攻めに。


ポリスさんが

“・・・で、こりゃピックアップトラックに見えないがねぇ”

“ス、スクーウルビャァスでありまふぃ~” 

(おそらく動揺のあまり、こんなしゃべり方だったんじゃないかと想像)


で、ポリスさんパトカーに戻りバスにつけられたライセンスプレートを確認しながら何やらゴニョゴニョして戻ってくると、

“シェビーのS-10ピックアップ・・・・・”

と友人の愛車名を。

“あびゅ、あびゅ、あぴぴぴ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*?”

もはや、友人はお手上げ。

“スクールバスにピックアップのプレートが付いてるから、止まってもらったんだよ。それから払い下げになってるならスクールバス用の燈火類やストップサインは外さないとダメ。もひとつオマケに君の免許じゃ乗っちゃダメだよ、これ大型だから。”


ああ、ライセンスプレートが原因で、ひどい目にあっちゃったね。

くれぐれも、気をつけましょう!?




ミドルスクールのオープンハウス

昨日は、夜の7時から娘の通うミドルスクールのオープンハウスに行ってきた。

今まで授業でやってきたプロジェクトや研究みたいなものを展示するので、見に来てね、という訳である。

こちらは、学校区により小・中・高が、6・3・3であったり、5・3・4であったり、5・4・3であったりするので、なんだかややこしいのだが、ウチの学区は、5・3・4であり、娘はミドルの1年生。9月から新学期なので、そこでも日本式とずれるから、日本式だと中学1年生になる、うー、ややこしい。


んじゃ、ちょっと覗いてみようかな。

school1   school3.jpg  

おおー、展示物。                 んー、同じ顔を描いてるっぽい

                           けど個性が出るね。                                                                                  


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日本を研究しましたな、おすし、おすし。


school6

自分達の好きな分野で雑誌を作ってみたそうな。

各自が何に興味があるのか分かって面白い。


school7  school8

ウチの娘は、大好きなバレエの雑誌ね。

中は、記事があったり、架空の広告があったり。がんばったね。



自然災害や自然現象のビフォー&アフター

school9

地滑りや地震といった災害のほか、自然現象の前後を表現してみる。

力作揃い。


school10

手前は娘の作品。

波によって侵食された崖っぷちを表現!!って実はこのプロジェクトは家で作ってくるものだったので、各家庭とも父ちゃんが手伝ったりしてるのだ。ウチは提出の前夜、2人であわてて作ったのだ。

娘の作品の後方、写真右側奥にチラッと写ってる、ミョーに茶色っぽい作品はケーキで作ってあり、後で食べれるのだ。この子の家は、おかーちゃんが手伝ったのかな?もうひとり、娘のクラスにもやはりケーキで作ってきた子がいて、その作品は翌日みんなで食べちゃったそうだ。


という感じの、オープンハウスでありました。


     

街で見かけた~ポルシェ914&おばちゃん~

この日もコロちゃんで走っていると、左側となりの車線前方にポルシェ914が。

先日のボロい914のおねーチャンは、カッコ良かったな、今度は、どんなひとだろう。


信号が赤で隣に並ぶと、運転してたのは大きなおばちゃん。おそらくオリジナルのまんまと思われるライトブルーのペイントはじめ、ホイールも何もいじっていません、というよい感じのクルマだ。


もしかしたら、このおばちゃんがオリジナルオーナー?

まだ若かったであろう頃に新車で買って、そのうち結婚したり子供が生まれて、おかーちゃんになったり、いろいろあったけど、914はかわらず当然のように、ずっとそばにおいてた、とか。

もしそうだったら、なんか素敵だな。


信号が青に変わり、走り出した914に少し遅れて、コロちゃんもいつものように、よっこらしょ・・・、って感じで走り出す。

ちょっと後ろを走ってみようと思い、左の車線に移り後ろに付く。どうせもう少ししたら左折するし。


うーん、真後ろから見ると意外とカッコいいな、低く見えるし。

しかし、

おばちゃん、すんごくおそーい!!

いくらなんでもそんなにゆっくり走らんでも・・・・・。

んー、でも、このおばちゃんの超安全運転のお陰で、914はよい状態で今まで生きてこれたのかもしれないぞ。

そんなことを思いながら、左折する道になるまで、カメのスキップくらいの走りに付き合ってみたのだ。


最初に信号で並んだとき見たおばちゃんの、微笑むような楽しげな表情が印象に残った。


いいな、914.


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街で見かけた ~ポルシェ914~

フリーウェイをコロちゃんで走っていたら、右手、ちょうどフリーウェイから降りるランプに向かってポルシェ914が走っていた。最近じゃあまり見ないな、なんて思い見ていると、髪をひっつめた(ん、ポニーテールというのか?)まだ若い女の子が一人で乗っていた。

ボディーはツヤのなくなったグリーンで、左側のフロントフェンダーのみ白だ。解体車から取ってきてそのままつけたんだろう。

運転している彼女くらいの年だと、大抵はドレスアップした日本車とか、新しいマスタングとか、まあどっちにしても、かなり楽チンにビューン!と走ってくれる車で、友達満載でオーディオ♪ズンドコズンドコ♪とか、ケータイ電話でおしゃべりしながらとか、そういうのを良く見かけるけど、この914の彼女は、今時のクルマたちに比べればゆっくりしたスピードながら、しっかりハンドルを握って、キッと前方を見つめてフリーウェイを降りていった。

わけもなく、理屈ぬきで、どちらかというとボロい部類の914がカッコよく見えた。


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今年の冬

今年の冬は、寒かった。

年々、冬が寒くて長くなっていくような気がする。おまけに雨も多くなってきた。んがしかし、あまり雨のことを考慮してないのか昔は降らなかったのか、道路の水はけは悪くて、雨量の多いときに川みたいになって通行止めになっちゃう道が何箇所かある。まぁ、めったにそこまで集中しては降らないのだけど、そんな状況になっても雨量としては日本だったら、なーんともない程度。

日本の冬も、ずいぶんと雪が降ったり、去年の夏はえらい暑かったりと、いろんな所でおかしな気候になってんだろうか?人間が好き勝手やってるからね、地球も根をあげてるかな。ガンバレ。


最近になってようやく、雨は少なくなったけどスカッと晴れることはまだ少ないな。

冬が長引いて、ズルズルとむずがゆい天気が続いて、いきなり夏が来そうな予感。


グレープフルーツ



ま、それでも裏庭のグレープフルーツは、この通り実を付けた。うーむ。


言葉の壁~大人編

ふう。

言葉の壁は、なかなか高くそびえているのである、英語・・・。ヽ(;´ω`)ノ

今でこそ、仕事や日常生活で困っちゃうことはまずないけど、初めてアメリカ上陸した、田舎の大学付属の語学学校生だった、あの若き日々たるや、壁に激突の毎日だった。なんといっても高校時代は英語は10段階評価で2、これ5段階に直すと1、のまま突っ走っていたので。他の教科は、3があったけど。

洋楽興味ナシ、日本のフォークソングやらナツメロのほうが好き。洋画興味なし、日本のテレビドラマのほうが好き。ここまで英語に関して“無”であると、まぁ、空っぽなわけだからキャパは十分だぜ、と開き直るしかない。

コーヒーを頼んでコーラが出て来たり、晩ごはんに学校のカフェテリアでチリドッグ(ホットドッグにチリがのってるやつ、うまい)を買って寮の部屋に帰って紙袋から取り出すとチートスというお菓子が出てきたり・・・。

晩ごはんはチートス、そう、俺はいいのチートスで。

ま、こんなのは自分がくよくよしなきゃいいことなので問題ないんだけど、ある日寮の玄関で見知らぬ女の子に声をかけられた。今でも覚えてるけど、デボラって名前のかわいい子だった。寮の1階は男フロア、2階は女フロアだったので、デボラは2階の住人だ、ご近所だ。で、話しかけて来る、何を言ってるのやら、”ピーチクパーチク☆※☆※ジーザスがピーチク、それでパーチク※☆※なもんだからパーチクでピーピーピー・・・・・”もうこうなってくると、話を理解しようと言う意欲はうっかり失せ、かわいいなぁ~とか、よくしゃべるな~とか思いながらうなずいてるのみである。

“・・・・・と言うわけだから、これから私の部屋で一緒にプレイしない?”

フームフーム、えっ、

プレイするんですか!ヽ(*'0'*)ツ

こういうとこは、しっかり聞き取り、しかし純朴な日本人青年の脳みそは、良からぬ、いやいやもしかしたらとっても良いかもしれないけど、とにかく違う世界への想像が広がり、もう女王様にしか見えなくなってるデボラに何か答えなきゃ、と思いやっと出た言葉が、

“オォーウ、ノォ~”!(´Д`;)

何がノォ~なんだかよく分からんが。

“そう、じゃ私は2階に住んでるからプレイしたくなったらいつでも来てね。”とたぶんそんな様な事を言い残し女王様は去っていった。

翌日、みんなに自慢したね、だってアメリカ人のしかもかわいい子に誘われたってことでしょ。・・・しかし、それが語学学校の先生にまで伝わり、呼び出された。まだ若い女性の先生に必死に、そして、なぜだかうれしそうに説明すると、

“それは、プレイじゃなくてプレイでしょ!”

“へ、プレイじゃなくてプレイなの?”

“そう、プレイじゃなくてプレイなのよ”

どーにもよく分からなかったけど、紙に書いたりして根気強く説明してくれたのは、プレイはPlayじゃなくPray、祈る、神様などにお祈りをするって単語があるそうな。知らないし同じに聞こえるし。あ、でもそー言えばジーザスがどーのこーのって・・・。じゃ、宗教の勧誘だったのね、てことは、答えは“オォ~ウ、ノォ~”で正解だったのか。たいしたもんじゃないか。

この一件以来、野放しに出来ない生徒と言うことで、昼休みもこの先生と食事を取りながら授業という事に・・・。でもまぁ、先生とも親しくなり、なんせ田舎だから週末もやることがなく先生達と生徒達で集まって遊ぶようになったから、ま、いいか。この先生とは今でも家族ぐるみで交流があり、今だに最も手の掛かる生徒だったと言われるけど。

まぁ、でも友人達だって自転車がパンクして自転車屋で、“マイ タイヤ イズ パァ~ン!!”って必死に伝えたとか、犬か何かに噛まれて住宅街で死んじゃってたウサギを見ながら“このウサギどこから来たんだろうね?”と聞かれ何を勘違いしたのか“東京です。” 自分の事じゃないってばぁ、気の毒なウサギさんの話だよ。このように、みんなそれなりに恥ずかしい思いもしてるんだな。

というような事を乗り越え、言葉の壁は少しずつ崩れていく訳だけど、最近気が付いたことがある。メカニックとしてクルマ畑にどっぷり浸かって生きてきたら、英語、日本語問わずクルマの話からでないと初対面の人とうまく話せないのだ。

社交の壁が立ちふさがっており、崩すのは難しそうだ。一生、乗り越えられんかもしれん。


まずは・・・最初のアメリカ

初めてのアメリカは、もう20年近くも前になるけど、ワシントン州だった。ワシントンD.C.じゃなくて、カナダの下、アイダホの隣に位置するワシントン州。そのほぼアイダホ寄りの小さな町チニーで数年間暮らした。ド田舎である。どのくらい田舎かって言うと、ダウンタウンと呼ばれるのは約2マイルくらいの通り一本で、街には信号が一つだけ。その通りからちょっと上がると大学がある。基本的にはそれだけの町。まぁ、日本でも山に囲まれ川が流れる都会じゃないとこで生まれ育ったから違和感なしだったけど都会の人は面食らうだろうな。

町から外れると湖が点在しており、定年を迎えキャンピングカーなどで全米旅行中の老夫婦などが湖のほとりにチラホラいたりする。冬になるとドッサリ雪が降るけどそれもきらいじゃなかった。

生活費も安くて当時は月$100台からアパートが借りられたし、ちょっとキビシイ時は壁のペンキ塗りなどして労働でチャラなんて話もあった。しかも夏の3ヶ月間は大学生たちが里帰りして住む人がいなくなるので家賃が半額になった。

このチニーで学生だったんだけど、途中からクルマで30分ほどのちょっと大きなスポケーンという町にあるカレッジまで2年間通い、オートメカニックス専攻で卒業した。クラスは朝7:30に始まり、冬場は氷の上に雪が積もってる状態の中、$600で購入した1975年式シボレーマリブでツルツル滑りながら走るのだから通学時間は45~50分になる。それでも住む所はチニーが良かった。人生の中で唯一、朝6時台の習慣的起床と勉学に励んだ2年間である。高校時代に英語なんて赤点でも何とかなっちゃうときは何とかなるのだ。

この小さな小さな町にも日本からの学生は少しばかりいたし、アメリカ人の友人も良い人ばかりだった。今でも付き合いのある連中もいるし。

そんな訳で卒業すると半年間は働けるので、カリフォルニアのビンテージカー専門店で雇ってもらうことにした。カリフォルニアに行く、って言ったら友人が、“あそこは人間の住む場所じゃない!”と本気で言うので少々ビビッたが、確かにここはチニーとは全く違うな。でも、チニーでそう忠告してくれたアメリカ人の友人は日本人の女の子たちがギョーザを作るってんでみんな集まった時、ベジタリアンだから・・・なんて言ってたが、みんながうまい、うまいと食ってるので我慢できなくなり、ひとつ食ったらホントにうまかったらしく、あっさりベジタリアンをやめ、そのうち日本人の女の子とめでたく結婚し、ムコ入り?した名古屋で今じゃ良きパパであり、地元の草野球チームの一員であり、祭りのときは神輿の担ぎ手であり、流暢に日本語を話すんだから人生って分からないよね。

・・・そして半年間のカリフォルニアでの職業訓練期間も終えて、日本に帰国しロータス屋でメカニックとして働いて、結婚し、そしてまさかまたカリフォルニアで暮らすようになるとは想像もしていなかった。それからがカリフォルニア生活の本番、すったもんだの暮らしが始まる。

今思えば、初めてのアメリカがド田舎暮らしでよかった。ああいうのがアメリカだと思うとカリフォルニアはかなり特殊なアメリカだと感じる。

チニーも最近ではずいぶん変わったと聞いてる。チニーの大学は日本の大学と交換留学の提携をし日本人も増えたし、マクドナルドも出来たし、信号だって2つもあるらしい。すごいじゃないか。

今でも大好きなチニーで若く多感な時期に得たものは貴重な財産となっているし良き友にも会えた。そして、お恥ずかしながら埼玉県出身のママ(妻)もちゃっかりチニーでコンニチハだったのだ。うーむ。


そして、ママも予想もしていなかった、カリフォルニア暮らしが始まっちゃうのだ。



まずは愛車を紹介。

コロ1

まずは、愛車を紹介。

1番手、1985年式マーキュリーコロニーパークステーションワゴン、通称コロちゃん。

もう10年以上の付き合いになるコロちゃんは、だいぶくたびれてきたけど、基本的には元気にしてる。もう路上では同じような仲間はめったに見ないけど。乗ってると何ていうのかな、こう、てろ~んとした感じが良いんだよ。アメリカ人にさえ、“何でこんなモン乗ってんだ?”って言われるけど、腐れ縁、ってヤツかな。


ヨタロー1


2番手、1972年式ロータス ヨーロッパ、通称、ヨタロー。ヨタヨタしたロータス、ヨタロー。

こいつは、5年近くも不動車で放置されていたのを譲ってもらった。ヨーロッパはずっと欲しかったクルマだしそんな状態でも大歓迎。すっごく効率の悪そうなワンキャブターボにされていたけど、ノーマルに戻せるだけのパーツは仕事柄持っていたから良かった。困ったのはタコ足。これは持っていなかったし、買うには高すぎて手が出ないし・・・。で、工場をガサゴソあさってたらオートバイのホンダCB500だかCB750だかのEXパイプが1セット4本出てきた。・・・これでいいや、ってんで切った貼ったしたら、あら不思議ちょうど出来ちゃいました。もちろん不等長だけどこれにグラスパックのマフラーをつければ、ほら、とりあえず走れるぞ。で、ブレーキO/Hして、電気系に水まわり、その他こちょこちょこちょ。その後、タコ足など買えるわけもなく、“とりあえず”のまま走り続けるヨタロー。自分の車だしコレでいいのだ。ヘンなボディーキットが付いてるし、ヘンなオレンジ色だけど、いつかフレームからちゃんと組み直してあげるから、その日までこのまま走っていよう。不動で放置されてた時よりずっといいじゃないか。そして先日、オドメーターが10万マイルを超えてゼロに戻った。新車気分。10万マイル=16万キロ、ヨーロッパにしちゃがんばってる方だ。えらいぞ、ヨタロー!


rodeo

3番手、1998年式いすゞ ロデオ。通称、ろで夫クン。(ろでおクンと読む、ひでおクンとか、そういう感じか?命名:ママ)

こいつはママ(妻)の愛車。クルマ音痴のママの希望は、“オモチャみたいな青でSUVで大きくないクルマ”だったので、ろで夫クンが我が家に来た。当初ママは唯一知ってるSUVのトヨタRAV4を希望してたが、どーも考えが古いパパは、あの格好でFFが気に入らず、FRでちゃんとフレームもあるロデ夫クンを選びママに勧めたのだった。中古だとトヨタに比べてずいぶんと安いってのもあったけど。RAV4に比べて、ちっとばかり大きいけど、ママは気に入って乗っている。しかし、この青、まさにオモチャみたいだけど街じゃめったに見かけない。いくらなんでも、ママ青すぎ。


といったところが、我が家に住み着いている3台のクルマたちです。


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