まずは・・・最初のアメリカ
初めてのアメリカは、もう20年近くも前になるけど、ワシントン州だった。ワシントンD.C.じゃなくて、カナダの下、アイダホの隣に位置するワシントン州。そのほぼアイダホ寄りの小さな町チニーで数年間暮らした。ド田舎である。どのくらい田舎かって言うと、ダウンタウンと呼ばれるのは約2マイルくらいの通り一本で、街には信号が一つだけ。その通りからちょっと上がると大学がある。基本的にはそれだけの町。まぁ、日本でも山に囲まれ川が流れる都会じゃないとこで生まれ育ったから違和感なしだったけど都会の人は面食らうだろうな。
町から外れると湖が点在しており、定年を迎えキャンピングカーなどで全米旅行中の老夫婦などが湖のほとりにチラホラいたりする。冬になるとドッサリ雪が降るけどそれもきらいじゃなかった。
生活費も安くて当時は月$100台からアパートが借りられたし、ちょっとキビシイ時は壁のペンキ塗りなどして労働でチャラなんて話もあった。しかも夏の3ヶ月間は大学生たちが里帰りして住む人がいなくなるので家賃が半額になった。
このチニーで学生だったんだけど、途中からクルマで30分ほどのちょっと大きなスポケーンという町にあるカレッジまで2年間通い、オートメカニックス専攻で卒業した。クラスは朝7:30に始まり、冬場は氷の上に雪が積もってる状態の中、$600で購入した1975年式シボレーマリブでツルツル滑りながら走るのだから通学時間は45~50分になる。それでも住む所はチニーが良かった。人生の中で唯一、朝6時台の習慣的起床と勉学に励んだ2年間である。高校時代に英語なんて赤点でも何とかなっちゃうときは何とかなるのだ。
この小さな小さな町にも日本からの学生は少しばかりいたし、アメリカ人の友人も良い人ばかりだった。今でも付き合いのある連中もいるし。
そんな訳で卒業すると半年間は働けるので、カリフォルニアのビンテージカー専門店で雇ってもらうことにした。カリフォルニアに行く、って言ったら友人が、“あそこは人間の住む場所じゃない!”と本気で言うので少々ビビッたが、確かにここはチニーとは全く違うな。でも、チニーでそう忠告してくれたアメリカ人の友人は日本人の女の子たちがギョーザを作るってんでみんな集まった時、ベジタリアンだから・・・なんて言ってたが、みんながうまい、うまいと食ってるので我慢できなくなり、ひとつ食ったらホントにうまかったらしく、あっさりベジタリアンをやめ、そのうち日本人の女の子とめでたく結婚し、ムコ入り?した名古屋で今じゃ良きパパであり、地元の草野球チームの一員であり、祭りのときは神輿の担ぎ手であり、流暢に日本語を話すんだから人生って分からないよね。
・・・そして半年間のカリフォルニアでの職業訓練期間も終えて、日本に帰国しロータス屋でメカニックとして働いて、結婚し、そしてまさかまたカリフォルニアで暮らすようになるとは想像もしていなかった。それからがカリフォルニア生活の本番、すったもんだの暮らしが始まる。
今思えば、初めてのアメリカがド田舎暮らしでよかった。ああいうのがアメリカだと思うとカリフォルニアはかなり特殊なアメリカだと感じる。
チニーも最近ではずいぶん変わったと聞いてる。チニーの大学は日本の大学と交換留学の提携をし日本人も増えたし、マクドナルドも出来たし、信号だって2つもあるらしい。すごいじゃないか。
今でも大好きなチニーで若く多感な時期に得たものは貴重な財産となっているし良き友にも会えた。そして、お恥ずかしながら埼玉県出身のママ(妻)もちゃっかりチニーでコンニチハだったのだ。うーむ。
そして、ママも予想もしていなかった、カリフォルニア暮らしが始まっちゃうのだ。