言葉の壁~大人編
ふう。
言葉の壁は、なかなか高くそびえているのである、英語・・・。ヽ(;´ω`)ノ
今でこそ、仕事や日常生活で困っちゃうことはまずないけど、初めてアメリカ上陸した、田舎の大学付属の語学学校生だった、あの若き日々たるや、壁に激突の毎日だった。なんといっても高校時代は英語は10段階評価で2、これ5段階に直すと1、のまま突っ走っていたので。他の教科は、3があったけど。
洋楽興味ナシ、日本のフォークソングやらナツメロのほうが好き。洋画興味なし、日本のテレビドラマのほうが好き。ここまで英語に関して“無”であると、まぁ、空っぽなわけだからキャパは十分だぜ、と開き直るしかない。
コーヒーを頼んでコーラが出て来たり、晩ごはんに学校のカフェテリアでチリドッグ(ホットドッグにチリがのってるやつ、うまい)を買って寮の部屋に帰って紙袋から取り出すとチートスというお菓子が出てきたり・・・。
晩ごはんはチートス、そう、俺はいいのチートスで。
ま、こんなのは自分がくよくよしなきゃいいことなので問題ないんだけど、ある日寮の玄関で見知らぬ女の子に声をかけられた。今でも覚えてるけど、デボラって名前のかわいい子だった。寮の1階は男フロア、2階は女フロアだったので、デボラは2階の住人だ、ご近所だ。で、話しかけて来る、何を言ってるのやら、”ピーチクパーチク☆※☆※ジーザスがピーチク、それでパーチク※☆※なもんだからパーチクでピーピーピー・・・・・”もうこうなってくると、話を理解しようと言う意欲はうっかり失せ、かわいいなぁ~とか、よくしゃべるな~とか思いながらうなずいてるのみである。
“・・・・・と言うわけだから、これから私の部屋で一緒にプレイしない?”
フームフーム、えっ、
プレイするんですか!ヽ(*'0'*)ツ
こういうとこは、しっかり聞き取り、しかし純朴な日本人青年の脳みそは、良からぬ、いやいやもしかしたらとっても良いかもしれないけど、とにかく違う世界への想像が広がり、もう女王様にしか見えなくなってるデボラに何か答えなきゃ、と思いやっと出た言葉が、
“オォーウ、ノォ~”!(´Д`;)
何がノォ~なんだかよく分からんが。
“そう、じゃ私は2階に住んでるからプレイしたくなったらいつでも来てね。”とたぶんそんな様な事を言い残し女王様は去っていった。
翌日、みんなに自慢したね、だってアメリカ人のしかもかわいい子に誘われたってことでしょ。・・・しかし、それが語学学校の先生にまで伝わり、呼び出された。まだ若い女性の先生に必死に、そして、なぜだかうれしそうに説明すると、
“それは、プレイじゃなくてプレイでしょ!”
“へ、プレイじゃなくてプレイなの?”
“そう、プレイじゃなくてプレイなのよ”
どーにもよく分からなかったけど、紙に書いたりして根気強く説明してくれたのは、プレイはPlayじゃなくPray、祈る、神様などにお祈りをするって単語があるそうな。知らないし同じに聞こえるし。あ、でもそー言えばジーザスがどーのこーのって・・・。じゃ、宗教の勧誘だったのね、てことは、答えは“オォ~ウ、ノォ~”で正解だったのか。たいしたもんじゃないか。
この一件以来、野放しに出来ない生徒と言うことで、昼休みもこの先生と食事を取りながら授業という事に・・・。でもまぁ、先生とも親しくなり、なんせ田舎だから週末もやることがなく先生達と生徒達で集まって遊ぶようになったから、ま、いいか。この先生とは今でも家族ぐるみで交流があり、今だに最も手の掛かる生徒だったと言われるけど。
まぁ、でも友人達だって自転車がパンクして自転車屋で、“マイ タイヤ イズ パァ~ン!!”って必死に伝えたとか、犬か何かに噛まれて住宅街で死んじゃってたウサギを見ながら“このウサギどこから来たんだろうね?”と聞かれ何を勘違いしたのか“東京です。” 自分の事じゃないってばぁ、気の毒なウサギさんの話だよ。このように、みんなそれなりに恥ずかしい思いもしてるんだな。
というような事を乗り越え、言葉の壁は少しずつ崩れていく訳だけど、最近気が付いたことがある。メカニックとしてクルマ畑にどっぷり浸かって生きてきたら、英語、日本語問わずクルマの話からでないと初対面の人とうまく話せないのだ。
社交の壁が立ちふさがっており、崩すのは難しそうだ。一生、乗り越えられんかもしれん。