『ライムライト』~午前10時の映画祭
チャップリンを知ったのは、淀川さんがいつも雑誌や本にチャップリンのことを書いていたから。田舎では「日曜洋画劇場」は残念ながら放映されておらず、雑誌、「スクリーン」や「ロードショー」とか、図書館で借りてくる淀川さんの著書「私の映画の部屋」で、淀川さんがいかにチャップリンを愛していたのかを知ることができました。淀川さんが主催する「東京映画友の会」で、身振り、手振り、歌までまじえてチャップリンのことを話される姿は、今でも目に焼きついております。内緒でこっそり来日していたチャップリンと船上で会った話。アメリカのスタジオで、天井からぶらさがったマイクを見て、指さして泣いた淀川さんを抱きしめてくれたチャップリンの話。何回も同じ話をされるのですが、こちらもそのたびに感動したものです。さて、「ライムライト」何回、観たかわかりませんが、やっぱり今回スクリーンで観て改めて感動しました。「モダン・タイムス」で、映画を作るのを終わりにしようと思い、けれども、ナチス・ドイツのヒットラーのいきおいが、それはもう盛んになってきて、たまりかねて、「独裁者」を作り、命がけでつくった「独裁者」のあと、1947年に「殺人狂時代」を作って、「ぼくはもう終わりだ、もうこの世のなかがきらいになった」といっていましたが、1952年に「ライムライト」をつくりました。(「映画私の部屋」より)映画は自分自身へのオマージュも感じられました。「のみのサーカス」なんか、今見ても面白い。芸に対する情熱なんかもすごいですよね。なんかいいセリフがいっぱい出てきて、ちょっとお説教くさいかな、とも思うのですが、老境に入ったチャップリンが言うセリフなので、説得力があります。映画の冒頭、自殺しかけたバレニーナを助け介抱しながら彼女に言うセリフ。これ、普通の役者さんだったら、きっとクサイかもしれませんね~。問題は生きることだあとは考えなくていい人間は数十億年かかって存在を確認した星になにができる 何もできぬただ静止しているそして太陽だ45万キロの彼方から熱を放ってるそれが何だ自然の資源を浪費しているんだ太陽はどうだ意識がない だが君にはあるベッドに伏せて「もう踊ることはできないのよ!」という彼女に言うセリフがまたジーンときました。人生を恐れてはいけない人生に必要なものは勇気と想像力と少々のお金だ若く綺麗なバレニーナの彼女はカルヴェロのおかげ奇跡的に歩けるようになり、元の花形プリマドンナへと戻るわけですが、チャップリン演じるカルヴェロの心境は複雑。心から喜んでいるものの、かつてはイギリス一と言われた道化師だった彼はいまや落ちぶれてしまって飲んだくれ。せっかく掴んだチャンスもうまくいかず、彼女を励ましていたのに、逆に励まされる始末。あまりの惨めさに涙を流すカルヴェロの姿に、こちらももらい泣きするようでした。これが年の差だけだったら、まだしも、芸の上で逆転してしまっているのですもね。実力がありながら、世の中から取り残されてしまっている彼。人生の皮肉さ。彼女から愛している、と言われてもどうしても素直に応えることができない。彼女の元を離れていくカルヴェロ。彼女には自分よりふさわしい、ピアニストの彼がいると。昔観たときは、彼女、テリーが、カルベヴェロに対して、自分を助けてくれた恩と同情からへの「愛」だとばかり思っていました。ところが、今回見て、テリーのカルヴェロの愛は本物だったんだなって思いました。年の差などは関係ない。心から彼女は彼を愛していたのですね。街中を彼を探すテリー。もう一度、ハレの舞台に彼を立たせようとします。同情ではない、本物の愛だと思いました。私も少しは大人になったということでしょうか。チャップリンが自分を殺してしまった、と言われたラスト。今回観て、私には幸せな終わり方のように目に映りました。拍手喝さいの中、愛するテリーの腕の中で天国に旅立ったカルヴェロ。流れるはテリーのテーマ。しかし、この映画、当時アメリカでボイコットされてなんて信じられないですよね1972年にアカデミー賞特別賞を受賞するまで、20年間アメリカの地を訪れることはなかったチャップリン。アメリカが反省した瞬間だったのでしょうか。