スケープゴート
子供の風邪をもらって、具合が悪いのでペースダウンして家事してる。。無理して、今日仕事入れなくてよかったと思った。自分なりに4人育児しながら時間を見つけて、心の勉強(精神医学)を続けてみている。20代の頃に摂食障害やら、強迫性障害、PTSDなどの心の病気で、20代のほとんどをそれらの症状に振り回されて過ごしていたいたので、今は純粋に勉強するのが楽しいと感じるし、あの時に勉強できなかった分、時間を見つけて色んなことを勉強したり経験して視野を広げていこうと思ってる。それで、今朝は「スケープゴート」「スケープゴースティング現象」という言葉に出会った。大学2年生で拒食症が始まってから、大学内でも実家の中でもこれにぶち当たった。恨んでもいないし、当時の私にも反省点がたくさんあったと自分でも分かっていて反省もしているので、被害者ぶるつもりはないのだけれど・・どうみても、そうだったと言える状況だった。恨んだりしていないけれど、「摂食障害になりたくてなったわけではないのに、私だけが100悪かったのかな」っていう気持ちは今でも残っているといえば残ってる。(でも、今は苦しさは薄れて、大事な愛おしい記憶にもなっている)昨年の年末の記事で欅坂の「黒い羊」っていう歌のことを書いて、摂食障害だった大学の頃は、黒い羊の歌のようだったって書いたけれどこの欅坂の黒い羊の歌は「スケープゴート」「スケープゴーティング現象」を良く現している歌だなあって思った。まさに、羊を使っているとこも。そして、人間の集団心理というものを(羊もかもしれないけれど)つくづく、奥深いなあって思った。家庭でも学校でも起こる。私も両方、同時期に経験した。古代のスケープゴートの話を見た時に、自分が古代にスケープゴートにあっていたとしたら、ありえないくらい怖いことになっていたと感じた・・。ふと思ったのは、いじめのテーマの話を子供たちにするときに、いじめがなぜダメなのかを教えることも大切なのかもしれないけれど・・そもそもの人間の集団としてある心理「スケープゴート」を最初は羊の例えから始めていって、子供たちに説明した方が印象に残るんじゃないかなあって、ふと思ったりした。だって、古代からそんなことが続いているのに、なくしてゼロにするのは不可能に感じる。(私のふと思ったことを書き残しただけ)細かい、大学の時のスケープゴートのことは以前に書けるところは書いたから割愛して。大学3年の頃には私が拒食症で体重が減っていく一方だったけれど、母から「高い学費を払っているから留年なしに卒業してもらわないと困る」と言われていたので、自傷行為(リスカ)しないと大学に行けない時期もあった。なんとか、心を抑え込んで大学を卒業して、大学の人たちからも離れ、同時に実家も出て両親からも離れて、スケープゴートからは逃れられた。でも、無理して通い続けたからか、大学を卒業してスケープゴートから解放されたにも関わらず、しばらくしてからPTSDの症状が始まった(この辺も以前書いたので割愛)それでも、私が精神科・心療内科を受診できなかったのは、処方薬でまたODしちゃうんじゃないかっていう気持ちもあったけれど、でも、もう1つは人のことを全く信じられなくなっていて、受診しようと思なかったのもあったなあって。医療機関の人ですら信頼するのが難しかった。とにかく、両親に支配され続けないためにも働かなければ生きていけないと思っていたから、自分の心を押さえ込んで働いていた。結局、摂食障害や強迫性障害、心因性多飲症、PTSDが良くなるまでの10年間、誰1人にも「心の病気がつらい」「摂食障害がつらい」とか、つらい気持ちを言ったことがなかった。(当時、通院を続けてなくて自己中断してしまっていたから、きちんと通院していたら、もっと多くの診断名が私にはあったんじゃないかなって思う)スケープゴート・スケープゴースティング現象からは卒業したり実家を離れることをきっかけに逃れられたけれど、PTSDになっただけじゃなくて、人のことを信用できなくなった。誰が良い人で、誰が悪い人なのだろうっていう見方をしてしまっていたしようやく良い関係が築けたと思っても、ちょっと嫌なことがあると距離をとって関わらなくなるとかもあったなあ。ちょっとしたことで人の印象がガラリと変わってしまっていた。女子グループは噂話や陰口が多いから嫌。男の人は仲良くなるとそのうちに性的な見方をされるから嫌。とか思って避けるようにしてた。こういう状態が何年も何年も続いた。でも、私の仕事は人に関わる仕事で。その中で色んな人に関わったり、色んな人の生きていく様子を見て「人は良い一面も良くない一面も両方持っていて、どちらかだけってことはないんだ」って、当たり前といえば、当たり前のことに改めて気づけた気がする。色んなことを感じながら過ごしてきた中で、今でも女性グループが陰口とか噂話が始まると輪に入らなかったり、離れるけれど、でも、以前よりは人の良さも感じながら人と話すことができるようになったなあと思う。前回、夫じゅんさんの良さも忘れずにって自分自身に書いたけれど、どうしてもスケープゴートの時の記憶や感覚がいまだに残っている部分はあるので、人と関わっていくことの中での葛藤もいまだにある。私自身への課題も自分で分かってる。でも、人は良い面も良くない面もどちらも持っているのが自然だし、その両方とも受け止めながら関わろうと思えるようになったり、相手の良さも忘れないでいよう、と思えたのもスケープゴートがきっかけだったなあって思って書き残しておこうと思った。(ブログでも、以前よりブログで出会った人との関わりを減らしてしまったところがあるけれど、これまでいただいた言葉も大切に思っていて、ブログで出会った人とのこれまで関わり合いも大切に思っています)スケープゴートになったのも人との関わりの中で起こって、そこから紆余曲折して人との関わっていくことの良さも改めて感じられるようになれたのも人を通して自分が変わったことだった。tutuzi