お昼寝したのでササっと書いた。

 

この間の休日に、私が宇多田ヒカルさんで好きな曲の「道」「PLAY A LOVE SONG」「大空を抱きしめて」を聴きながら掃除をして。

 

夫じゅんさんは、「日曜討論」を聴きながら別の場所を掃除して。

 

お互い、全然違うものを聴きながら掃除してて、ちょっと笑えた。

 

 

 

書く前に。

自分を見つめ直して、私も気をつけてはいるけれど両親の影響を少なからず私も受けているところはあると思う(→嫌悪感がある。。)

 

それと、人間は「加害者でもあり、被害者でもある」ってことを忘れずに生きるように心がけている。

 

 

 

夫じゅんさん。

前にも似た様な記事を私は書いたことがあった。

 

幼少期にご両親が連日のように口論でバトっていたのを見て育ったからか、もう1つは書くのは控えるけれど要因として私の中で思っていることがあって・・

 

夫じゅんさんは日常会話より一歩踏み込んだ話をするのが苦手。

 

たぶん、一緒に生活したりして長い時間を過ごさないと、ここの部分の苦手さはこれまで誰にも気づかれなかったんじゃないかなって思う。

 

日常会話より一歩踏み込んで、深めの話をしようとすると他の部屋に行く、下の階に降りる、急に忙しさをアピールする・・など。

 

私は落ち着いて話をしようとするのに、深めの話を持ちかけると急にイライラしてる。

 

 

結婚年数は増えたのだけれど、心の交流・情緒的交流というものが一向にできずに結婚年数は増えていく。

 

(結婚当初は私も頑張っちゃう性格だったから、子供が産まれる前に結婚生活をやめたくても頑張り続けてしまった。

子供が産まれてからは、子供たちはすごく夫のことを好きなのもあり、私の気管支喘息が重めで現実を考えたりして、今ある生活の中で私らしく生きていこうと思ってる。)

 

 

だいぶ前に記事に書いた様に

私の中で後悔がないように結婚10年までって決めて、心の交流が苦手な夫じゅんさんとどうにか向き合ったり、情緒的交流ができないか模索していた。

 

子供達も大きくなったら、私と夫じゅんさんの2人で過ごす時間も必然として長くなるのも見越して、情緒交流ができるのであれば今から良い方向に持っていきたいなあって思ってた。

 

 

10年間と私の中では決めてトライしたけれど、人には色んな背景があり苦手だったり、変えられない部分もあるかと思う。

私がしていたことは相応しくない部分もあったのも自分で分かっていたし、場合によっては、私の心のバランスを崩すことも考えられたから、良い方法ではないのは分かってた。

でも、後々になって後悔しないように10年と決めてトライしていた。

 

結婚してから10年間、夫じゅんさんと情緒的交流がとれるかトライしていた日々。

 

たぶん、私1人で解決しないで、夫婦でカウンセリングを受けるのが良かったのかなと私は思ったけれど、どう考えても夫じゅんさんが行かないのも分かってたから無理にはしなかった。

 

そもそも、他愛もない日常会話は良くしているので夫じゅんさんの中で私が思っているほどには問題視もなかったと思う。

(何度も向き合ったのだけれどね)

 

 

でも、結婚相手と情緒的交流がとれない  

→  情緒的交流がとれない方は心の安らぎがない・淡々と生活を続けているだけになる

ってなると思うのだけれど、まあ、夫じゅんさんに分かってもらうのは無理だったみたい。

 

 

少し前に10年の結婚記念日を迎え、私はこの10年間で情緒的交流ができるように自分なりに精一杯の力を尽くしたので、全くの後悔がなくなった。

(→反対に、開放感とかある)

 

 

私はこれまでトライしていた10年間の区切りを自分の中で大切にしたいので  (相当驚かれると思うので書くのは控えるけれど) 自分のバイト代から3万円弱の修理費を使って、結婚当初から持っていたある物を自分用に一部アレンジして修理してもらった。

→職人さんも珍しがってた。

 

もちろん、この先も夫じゅんさんから日常会話だけじゃなくて、お互いの深めの話とかを話したいとかなれば、喜んで向き合いはするけれど、そうでなかったら私の中では10年で後悔ないくらいに頑張ったから良いやってなった。

 

 

今ある生活の中で、私らしく生きていこう。

 

 

夫じゅんさんを見ていて誰かに似てるなと思ったのは、お義母さんに似てるって思った。

 

お義母さんも自分の子供(夫じゅんさんたち)と良く関わりあい、成人した今でも親子で連絡をとっている。

私は幼少期から両親とは色々とあり、距離をとりたいくらいなので、夫じゅんさんとお義母さんを見ていると仲良くて良いなあって思ったりもしてた。

 

ただ、お義母さんは、お義父さんをあまり輪に入れる感じがしない。

お義父さんが蚊帳の外に感じる。

 

お義母さんもお義父さんを大切に思っていたり、気を配っている様子は伺える。

夫じゅんさんが幼少期の頃の話を聞いた状況よりは、今は夫婦仲も良さそうな印象がある。

 

ただ、成人してからもお義母さんと子供(夫じゅんさんたち)の結束が強くて、お義父さんは自室にいることが多い。

(最近はご実家に行っていないから今はどうなのか分からないけれど・・。)

 

それにすごく似てる。

夫じゅんさんも子供たちをすごく大切に一生懸命に関わろうとするけれど、同じ家族だけれど、私とは情緒的交流・心の交流を持ちたがらない。

 

夫じゅんさんと子供で輪をつくり、同じ家族でも私がその外にいる感覚。

 

でも、ここで私が躍起になって子供を取り合おうとしても、子供が苦しむだけなので、私に必要な子供への関わりを日々考えながら子供と関わっている。

 

(私は自室ないからその場に一緒にいるけれど、なんとなく夫じゅんさんが子供と自分だけの輪をつくっている感覚が私にはある)

 

結婚して10年経って冒頭に書いた私の中での区切りはついたけれど、別に仲を悪くするつもりはなくて。

これまで通り日常会話は十分にしていくし、日頃の感謝の気持ちもきちんと伝えていこうと思ってる。

 

ただ、日常会話以上のことは夫じゅんさんが希望しない限りは、私ももう進んで持とうという気持ちは区切りをつけてなくなった。

 

 

この私がトライするのは10年間と決めてたことは、夫じゅんさんにも話したので知っている。

 

 

自分なりに精一杯向き合ってきたから、後悔は全くない。

 

 

その分、私は自分自身を理解することを続けてみたり、色んな分野の本を読んでみたり(精神医学は日々時間を見つけて自分なりに勉強を続けている)、時間を見つけて1人でも出かけてみて色んな景色を見てみたり、家族以外の人とも話してみたり・・

 

 

これからも色んなことを経験して、私自身の視野を狭くしない様にしたいなあって思う。

これからも今の生活を続けるのであれば、今ある生活の中で、私らしく自分の軸を持って生きていく。

 

自分を少しずつでも良い方向に持っていく努力は続けていく。

 

 

結婚10年経って私の中でのトライに区切りがついたので、私のこれから先の人生の決意表明。tutuzi