最近、宇多田ヒカルさんの「道」を聴いているからか、ふとした時に頭の中で歌詞がリピートされてる。。
そして、ここのところ不安定気味な私。。
なぜなのかは自分でもちゃんと分かってるので向き合っていこうと思う。
過去の自分と向き合って、私は依存しやすい傾向もあるのかなあって思った。
前にも書いたけれど、摂食障害の行動依存に、大学3年の一時期だけれど自傷行為、心因性多飲症も見方によっては依存といえば依存なのかな。
あとは、社会人の時に始まったPTSDの時に、カピパラさんぬいぐるみ依存などなど。。
摂食障害と同時期にあった強迫性障害はサイクルは似ているのかもしれないけれど、快楽はゼロでひたすら苦痛だった。。
うーん・・心の病気の症状がなくなってから10年ちょっと経つけれど、当時の苦しさは鮮明に覚えているけれど、それだけじゃないかも。
他の同じ病気の人がどうかは分からないし、もしかしたら私が過去と向き合っていたことで記憶を呼び戻しちゃったのもあるのかもしれない。ちょっと分からないけれど。
私が覚えているのは、心の病気の当時の苦しさだけを覚えているのではなくて。
たとえば非嘔吐過食した時の一時的な快楽感とか、自傷行為した時の一瞬頭の中がスッキリして切り替えられた感じとか・・感覚としてなんとなく今でも記憶に残っている。
非嘔吐過食する前の頭の中がそのこと一色になっている感覚も覚えている。
拒食症の時に、体重計をのるたびに減ってワクワクしていた感覚も覚えているけれど、それはこれらとは、また別物なのかはちょっと分からない。
心の病気の症状がなくなって10年ちょっと経つけれど、苦しさだけじゃなくて、そういった感覚もなんとなく記憶に残ってる。
ただ、それらの苦しさから逃れられるのは、ほんの一時的で、その後に自己嫌悪に落ち入って、自分が余計に嫌いになっていたのだけれど・・。
あの時の苦しさから一時的でも逃れられた感覚を覚えているからって、現在に苦しいこと・つらいことがあった時にあの時に戻ろうと思うかというと、それは今の私にはなくて良いような気持ちに無理している訳じゃなくて、自然にそう思えてるようになったのかも。
とはいえ、あの20代の摂食障害とかの心の病気をした時より、現在の方が遥かに抱えていることが多い上に、日々悩みも深いので他の心の病気にならないように気をつけようとは思ってる。。
ただ、摂食障害とかの症状がなくなって10年ちょっと経ったけれど、あの頃の感覚を思い出すと、一時的にでも苦しさから逃れられた感覚・・すごく強力だったなあって。
今は気分転換に音楽聴いたり、子供が眠った後に本を読んだり、心の整理にブログを書いたりしているけれど、当時のあの感覚を思い出すと次元が違った強力さがあったように振り返ると思う。(→私だけかもしれないけれど。。)
そのことを思った時に、私が抱いたことは、アディクションで考えた時に。
アディクションの中で起こっているサイクルから離脱すること、そこから数年、更にその先の何10年とスリップしないというだけじゃなくて、プラスして自分らしく生き続けていくっていうのは、相当に色んな壁を越えていくことになるのかもしれないなあ・・って、なんだか思ったりもした。
スリップしないことが最終目標ではなくて、最終的にはプラスして自分らしく生き続けていくっていうのが大切に思うけれど、それに到達するにはどれだけのハードルを越えていくことになるのだろう。
そもそもアディクションが起こった中では色んな背景が絡み合っていて、その背景を知るだけでも簡単ではないように思うし、難しいことだなあって。
なんだか、最後のところに自分の思ったことの方向性があっているのか分からないけれど、自分の中で抱いた気持ちを書き残しておきたいなあって思って書いておいた。tutuzi