いつか、子供達が大きくなっていって何かに悩んだ時とかに役立ちそうだから書き残しておこうと思う。

 

20代の時の心の病気の時に、PTSDにもなっていたからか、当時から20年くらい経っているのに、やたらと記憶が鮮明に残ってる私。

→苦しかった過去記憶を昨日のことのように覚えているのは、もし私が本当にASDだとしたら、そういった影響もあるのかもしれない。自分がASDかどうかはバタバタしていて、受診できていないので分からないけれど。

(今も当時の記憶とか感覚は鮮明に残ってるけれど、当時に比べたら記憶を思い出した時の苦しさも減ったり、日常生活に支障が出なくなっている)

 

 

20代当時に心の病気になった時は大学生だった。

社会人になっても、まだ心の病気は続いていたけれど、大学の時の記憶は細部までいまだに鮮明なままになっている。

 

 

当時の自分の感覚を思い出すと、時間が無限に長く感じられたなあって。

 

 

39歳の今も日々次から次に悩みは出てくる。

子供の悩みももちろんあるし、自分自身の悩みも昨年の年末から、過去を振り返って向き合いをしていく中で自分で悩みを増やしちゃったところもある。

他にもたくさんの悩みはある。

 

 

それでも、今は家事や育児、病気の治療、休日に入れている仕事とかで、あまりにしなきゃいけないことのタスクが多くて・・

悩みはあるし、それぞれの悩みもそれなりに深いのだけれど、ある程度のところで折り合いをつけて次に進まないと、日常のタスクが多すぎて回らなくなる。

1日があっという間に過ぎていく。

 

年齢を重ねるごとに、同じ24時間なはずなのに時間の流れる感覚が当時の20代とは全然違う気がする。

 

39歳の今みたいに、日常のタスクが多い中で悩みを抱えて向き合うのも大変な部分はもちろんあるのだけれど・・

10代・20代の当時の自分を思うと、時間が無限に膨大に感じられて、その中で心の病気や悩みを考えるのもしんどかったなあって。

 

時間の流れがゆっくりに感じられる分、より一層自分の内面に目がいってしまっていた気がした。

同じことをグルグル考えて、なかなか切り替えられなくて。

 

それに、時間の流れがゆっくりで膨大に感じられた分、生とかその反対をより深く考えていたなあって当時の感覚を思い出す。

 

今の39歳の私から見たら、あまりに毎日があっという間に過ぎて、心の病気があったとはいえ自分の時間がいくらでもあった10代とか20代とかの自分を時には羨ましくも思う時もあるけれど・・

 

時間の流れがゆっくりに感じられた10代とか20代も、それはそれで今とは違ったしんどさがあったなあ・・。

って、いつかは思春期に入っていく子供たちを育児していく中で、私の中で忘れないようにしておきたいなあって思って書き残した。

 

 

そうそう、いつまでも時間が続いていくように感じられた当時は、その中で心の病気と向き合っていくのは本当にしんどかった。

 

 

39歳の今は、気管支喘息が年々重くなってきているのもあって、命には限りがあることが日々自分の周りを漂っているからか、人は誰でも最期を迎えることを改めて感じていて、時間をすごく貴重に感じる。

 

 

でも、10代とか20代とかのいつまでもゆっくりとした時間が続いていくような感覚、その中で悩みを抱えるしんどさも今後に生かすために覚えておこうっと。

 

 

 

 

話が全く変わるけれど、自分に当てはまるかどうかは別として、伊藤明さんの「恋愛依存症」っていう本を眠る前に読んでみているのだけれど、興味深くてスラスラと読み進めている。

まだ読み終わっていないのだけれど、あとがきが目には入って。

このあとがきの文章が好きになったので自分用に書き残しておこうと思った。

 

 

・人生に起こることは、すべてレッスン。テストではなくて、レッスン。

・合格・不合格・成功・失敗に振り分けるのではなく、私たちに必要な何かを学ばせるためのレッスン。

 

この本が恋愛についてなので、この言葉の後に続く文章は恋愛に関してだけれど、恋愛に限ることではないなあって思ったので、続く文章を自分用に要約してみた

 

・苦しんでいることがあっても、それを貴重なレッスンだととらえ、そこからどんどん学び、どんどん今後の人生に活かすことができる

 

 

人生に起こることは、私たちに必要な何かを学ばせるためのレッスンっていう考え方が素敵だなあって思ったので、忘れないように書き留めておいた。

 

 

今日も私に必要だと思える言葉に出会えたのでラッキーだったなあ。tutuzi