つぶやキネマ

つぶやキネマ

大好きな「映画」について「Twitter」風に
140文字以内(ぐらい)という制約を自ら課して、
"つぶやいて"みようと思います...ほとんど
「ぼやキネマ」になりそうですが。

★注意!!! 作品の内容に触れています★

 

さらばラバウル(1954)

 

 昭和19年、ラバウルの海軍基地のナイト・クラブで酒を飲みダンス・ショーを楽しんでいた航空兵たちの前に隊長の若林大尉(池部良)が現れ野口中尉(平田昭彦)の持っていたグラスを叩き落とす。若林大尉は部下の航空兵たちに出撃前夜の遊興・飲酒は禁止していたのだが、同じ部隊の片瀬大尉(三國連太郎)は明日の生死もわからない航空兵はもっと遊ばせてやれと叱責する。撃墜王と呼ばれている若林大尉は寡黙で厳格な隊長で、野口中尉に想いを寄せるダンサーのキム(根岸明美)は若林大尉の事を「オニ」と呼んだ。片瀬大尉はホステスの道代(中北千枝子)を相手に3ヶ月前までは若林大尉と同じ事を言っていたと懐古、酔った勢いで報道班の伊藤亮(村上冬樹)に日本本土からの戦闘機や物資の増援が無いのは何故なのかを内地に帰って調べて知らせろと怒りをぶつける。

 翌朝の出撃で若林大尉の部隊は8時50分コロンバンガラ上空でアメリカ軍P-38ライトニング戦闘機150機と遭遇し16機撃墜10数機に損害を与えたが、若林部隊は16機を失い1機が行方不明、負傷4名、片瀬大尉と矢田二飛曹(鈴木豊明)が重傷、不時着機の救援の見込みは無いと報告するが野口中尉は葉山中尉(岡豊)の不時着地点をブーゲンビル島南西30マイルの環礁と確認したので救援機を出すようにと反論、不時着地点はアメリカ軍の勢力範囲で救援機を出せば損害が拡大するのは確実だった。葉山中尉を戦死と記録した若林大尉から明日の出撃票を手渡された野口中尉は怒りを露わにして抗議するが「補充の士官はもうすぐ来る」とあしらわれてしまう。

 病棟の片瀬大尉は見舞いに訪れた若林大尉にアメリカ軍の物量には歯が立たない、零戦が世界一の戦闘機だったのはミッドウェイ海戦まで、アメリカ軍の戦闘機の性能も向上しているし優秀なパイロットも豊富と嘆くが、若林大尉は「敗戦思想に毒されたのか、それを考えるのは大本営だ」と反論、看護師の小松すみ子(岡田茉莉子)から負傷している片瀬大尉には安静が必要と制止される。部隊全体の士気が下がっている事を痛感した若林大尉は、退院報告に来た島田二飛曹(久保明)を激励するのだった。

 出撃した若林大尉の部隊は機体に黄色い蛇のマークが描かれた「イエロースネーク」と呼ばれるアメリカ軍の撃墜王トーマス・ハイン(ボブ・ブース)のP-38ライトニングの攻撃を受け、撃墜された菅井隊長(西條悦郎)に代わって若林大尉が指揮を執るが復帰したばかりの島田二飛曹は燃料タンクを撃ち抜かれ墜落してしまう。帰還した若林大尉は報道班の伊藤亮から片瀬大尉も悲観的になっている、ラバウルはどうなるのかと聞かれ、「いつから大本営の作戦課勤務になったんだ?」と激怒、補充として着任した吉田少尉(小山田宗徳)らパイロット5名を自室に呼んで敵機の撃墜だけ考えれば良いと命令する。

 小松すみ子看護師がナイト・クラブを訪れ片瀬大尉が会いたがっていると道代を呼びに来るが、若林大尉は内地に帰ったと伝えろと追い返す。無視して見舞いに来た道代からその話を聞いた片瀬大尉は、若林大尉は自分より純真な男、好きな女がいても告白しないまま死ぬ、可哀想な奴だとつぶやく。

 ラバウルでの戦闘は激化し、若林大尉は再び対決したイエロースネークのP-38ライトニングを撃墜、パラシュートで脱出したイエロースネークは重症を負い捕虜になる。病棟で若林大尉たちの尋問に答えたイエロースネークは、「最初は零戦の登場とパイロットたちに恐怖を感じたが零戦の欠陥がわかり恐怖は無くなった」「零戦は1000馬力のエンジンを搭載した最軽量の旅客機にすぎない、何故なら優秀な攻撃兵器だが防御力はない」「特別に優秀なパイロットでない限り撃墜は簡単」と語る。その言葉に怒りを露わにした若林大尉はイエロースネークの飛行歴を問うが、「電気冷蔵庫のセールスマンだったが開戦と同時に空軍に志願した」と答え目の前にいるのが歴戦の鬼隊長だと知ると微笑んで敬礼し握手を求めるが若林大尉は無言で席を立つ。イエロースネークの通訳をしていた伊藤亮がナイト・クラブで酒を飲む若林大尉にその後の話を伝える。「日本の飛行士がパラシュート無しなのは理解出来ない、日本の戦術・戦法・兵器、軍人の思想までがことごとく人命軽視の上で立っている、零戦も熟練パイロットが搭乗すれば恐ろしい兵器だが未熟練のパイロットには危険なだけだ、優秀なパイロットの数には限りがあるから我々は数で対抗する、未熟練なパイロットが相手なら一対一で十分、我々の勝利は目の前だ、人間の生命の重要さを考えないような国家は戦争に勝てるはずがない」。そんなイエロースネークの言葉を聞いた若林大尉は大きな衝撃を受けるのだった…というお話。

 

 「ゴジラ(1954)」の監督として世界中に熱烈ファンが居る本多猪四郎の劇場映画第6作、前作の「太平洋の鷲(1953)」同様に太平洋戦争を扱った作品であります。前作は史実に基づいたエピソードを連ねた散文的作品だったが、本作は脚本家の木村武(馬淵薫)、西島大、橋本忍による完全なオリジナル・ストーリー。初めて観たのはテレビの邦画劇場だったと記憶しているが内容はすっかり忘れていた。その後に見た公開当時のポスター画像の印象から戦場を舞台にしたメロ・ドラマだとズーッと思い込んでいたのであります…数十年ぶりに再会して実際は娯楽性の高いハードな戦記ドラマと強烈なメッセージが混在した一筋縄ではいかない反戦映画だった事に吃驚(注;1)。

 

 作品冒頭には前作同様にアメリカ軍GHQ空軍指令部から記録フィルムを借りたと告知があり、飛行機雲の映像をバックにタイトルが現れ「最後の戦斗機」とサブ・タイトルに変わるオープニングはなかなか良い感じ。ラバウルの夜空からナイト・クラブの場面に変わるのだが本多監督の特撮映画でお馴染みの土着的な音楽とダンスで思わずニコニコしてしまった。円谷英二が本格的に参加した空中戦等の特撮場面はまだまだ開発途上な感じだが、池部良のシリアスな演技と的確な演出で構成されたドラマ部分は充実していて物語に引き込まれてしまう。俳優陣もなかなか豪華でいつもより抑え目な演技にもかかわらず存在感が抜群の三國連太郎、後に本多監督の特撮映画の常連になる若々しい平田昭彦、可憐でクールな看護師の岡田茉莉子、現地人のダンサーを演じる根岸明美、出番は少ないが若くて純粋な飛行士を演じた久保明、シリアスな演技陣の中で唯一のコメディー・リリーフ清川二整曹を演じた谷晃、そして戦地で逞しく生きる女性を安定感たっぷりに演じた中北千枝子の素晴らしさ…ナイト・クラブの私室の壁に貼られた戦死した大勢の飛行士たちの写真を見つめながら語る場面は、演出やカメラワークも含めて本作屈指の日本映画らしい名場面だと思います(注;2)。

 

 残念なのは前半は全てのエピソードやシーンがじっくり描かれていたのに、後半は全体的に描写不足で急展開の釣瓶打ち。捕虜となったイエロー・スネークの言葉にショックを受けてからの若林大尉は、洗脳から解放されたかのように人道主義者になり、敵艦隊への特攻を口にする吉田少尉たちを叱責し、以前は不時着した飛行士には救助を出さず問答無用で戦死扱いにして来たのに、野口中尉機の被弾と不時着を聞くと自ら救出に向かうあたりは説得力に欠ける。病床の片瀬大尉が精神を病んでいく過程や、密かに若林大尉に想いを寄せていた小松看護師の心情の変化も、描写が十分とは言えず唐突な感じがしてしまう。特撮で描かれるクライマックスのイエロースネークとの再対決となる空中戦は迫力たっぷりなのだが、ドラマ部分にも力を入れて欲しかったという思いが残る(注;3)。

 

 本作の企画は戦時中に流行った「ラバウル小唄」を元ネタにした「戦場のロマンス」というプログラム・ピクチャー(週替わり上映作品)の一本だったと思われるが、終戦から7年という製作時期の影響や、3度も徴兵され終戦を中国で迎えた本多監督や若き脚本執筆陣の厭戦・反戦に対する強い思いが前面に出てしまったのではないかと妄想している…メッセージ的な部分をすべてイエロー・スネークに代弁させているのは、製作した東宝に対する「言い訳」なのかなと思ってしまった。ちなみに「ラバウル小唄」を兵士たちが歌う場面があります。

 近年、世界中が右傾化していて好戦的な指導者が台頭し世界各国で戦争や紛争が続いているし、第三次世界大戦が迫っているという意見もチラホラ。本作は、会った事もない者同士が殺し合ったり、幸せに暮らしていた家族や想いを寄せ合う者が別れなければならない様な時代が1日も早く終わって欲しいと改めて思わせてくれる佳作であります。

 

●スタッフ

監督:本多猪四郎

脚本:馬淵薫、西島大、橋本忍

製作:田中友幸

撮影:山田一夫

特殊技術:円谷英二、向山宏、渡辺明

音楽:塚原晢夫

 

●キャスト

池部良、三國連太郎、平田昭彦、

岡田茉莉子、根岸明美、中北千枝子、

村上冬樹、久保明、小山田宗徳、

谷晃、ボブ・ブース、鈴木豊明、岡豊、

西條悦郎

 

◎注1;

 脚本家としては木村武(馬淵薫)、西島大、橋本忍の3人がクレジットされているが、黒澤明監督作品の脚本執筆のように3人が旅館等に集まって執筆したのではなく、木村武(馬淵薫)が執筆した脚本が最初にあり、製作決定後に西島大と橋本忍によって加筆・修正が行われたのではないかと妄想している…作品後半が少し混乱気味なのはその辺りが原因カモ。

 過去に観賞した作品の内容を全く覚えていない事は時々あるのだが、テレビ放映版だったというケースが多い。劇場に足を運んでの観賞は、その日の行動の記憶ともリンクしていて、ちょっとした出来事が作品の内容についての記憶を辿る糸口になったりするのだが、自宅テレビでの映画観賞では記憶を呼び起こすきっかけになる様な出来事はほとんどない…家族と雑談しながらの観賞だったりすると忘却も加速するよね。劇場公開用ポスターは初観賞からかなり経って映画雑誌等で見たのだが、公開時に何種類か作られたポスターは、どれも池部良演じる若林大尉と岡田茉莉子演じる看護師小松すみ子のロマンスを連想させるデザインになっているので、記憶を辿る手がかりにはならなかったのだ。それらのポスターに描かれている様なシーンは本編にはない…観客から抗議されなかったのかなぁ。

 

◎注2;

 本多監督の前作「太平洋の鷲」でも特殊技術スタッフとして参加していた円谷英二は、本作の空中戦等のミニチュア撮影に本格的に参加する事となったが、あくまでも美術の渡辺明、合成担当の向山宏と並ぶ特殊技術スタッフの一員という扱いで後年の「特技監督」という独立したポジションではない…「特技監督」とクレジットされる様になったのは翌年の「ゴジラの逆襲(1955)」かららしい。ミニチュア撮影による空中戦の場面はなかなか見応えがあるが、その完成度はシーンによってバラつきがあるのが残念。クライマックスの若林大尉とイエロースネークの空中戦は実写部分との巧みな合成や編集でハラハラさせてくれるし、野口中尉を救出した若林大尉の零戦がラバウルの飛行場に帰還する場面はミニチュア撮影とは信じられないぐらいの迫力だったが、不時着した野口中尉の零戦を俯瞰で捉えた場面のミニチュアはスケール感に乏しく、零戦が離着陸できる様な場所に見えなかったのだ…特撮予算の問題もあったと思われるケド。

 若林大尉を演じる池部良は本多監督のデヴュー作「青い真珠(1951)」につづいての主演。今回もクールな魅力全開だが、寡黙な帝国軍人役で台詞も少なく軍規に忠実で冷酷非情な人物と誤解されてしまう役柄なので前半は優秀なパイロットとして部下からは信頼されているもののほとんど悪役みたいなのだ。本多監督作品「宇宙大戦争(1959)」「妖星ゴラス(1962)」にも出演してます。

 片瀬大尉を演じる三國連太郎は本多監督の前作「太平洋の鷲」では小さな役だったが本作では準主役と言える様なポジションで存在感を存分に発揮しています…ほとんど病床で寝てるんだけどね。映画デヴュー作の木下惠介監督作「善魔(1951)」で演じた役名を芸名に。一躍注目され引っ張り凧となるが松竹と契約上の問題を起こしたあたりから「問題児」と呼ばれる様になり東宝にも出入り禁止になったために本多監督作品は2本だけ。「王将(1962)」「飢餓海峡(1965)」「神々の深き欲望(1968)」「戒厳令(1973)」「金環蝕(1975)」等、主演・出演作品多数。

 野口中尉を演じる平田昭彦は、第5期東宝ニューフェイスとして入社し本多監督作品は本作が初出演。撃墜王の若林大尉を尊敬しつつも対立してしまうという複雑な役柄で、知的でクールな雰囲気が本多監督に気に入られたようで、次作の「ゴジラ」では芹沢博士を演じ世界的に有名になり、「空の大怪獣 ラドン(1956)」「地球防衛軍(1957)」「美女と液体人間(1958)」「大怪獣バラン(1958)」「モスラ(1961)」「キングコング対ゴジラ(1962)」「海底軍艦(1963)」等の本多監督の特撮作品の常連俳優となる。

 看護師の小松すみ子を演じる岡田茉莉子は、第3期東宝ニューフェイスのとして入社し20日後に成瀬巳喜男監督{舞姫(1951)」に抜擢されてデヴューというシンデレラ・ガール。デヴュー3年間で出演作20本という人気女優となったのだが、本作ではめちゃくちゃ可愛い看護師さんを演じていてそんな人気も納得、初めて観た彼女の出演作は成瀬巳喜男監督「浮雲(1955))」だったと記憶しているが、すでにその頃はベテラン女優の風格だったのでそれ以前の「カワイ子ちゃん(死語)」時代を知ったのはかなり後になってからだった…リアルタイムで観賞出来た吉田喜重監督作品の印象が強かったからそりぁもう大騒ぎ。本作では、若林大尉への想いが徐々に高まっていくのだが描写不足で唐突な感じになってしまっているのが残念。池部良との相性や雰囲気は悪くなかったので、そんな二人のポスターに描かれているようなロマンチックな場面も観てみたかったですね。

 ラバウルのナイト・クラブのダンサーのキムを演じる根岸明美は、日劇ダンシングチーム出身で映画デヴュー作はなんとジョセフ・フォン・スタンバーグ監督の日本映画(ワォ!!)「アナタハン(1953)」…しかもいきなり主演という快挙。本作では野口中尉に想いを寄せる現地のダンサー役なので台詞は少ない上にカタコトなのが残念だが華麗なダンス・シーンはたっぷり。本多監督作品は「獣人雪男(1955)」「キングコング対ゴジラ(1962)」にも出演…黒澤映画ファンとしては「生きものの記録(1955)」「どん底(1957)」「赤ひげ(1965)」「どですかでん(1970)」の名演技が忘れられません。

 ラバウルのナイト・クラブのホステスの道代を演じた中北千枝子は、出演者のほとんどがシリアスな演技をしている中では異質にさえ見えるくらい他の出演作同様の柔和な雰囲気で戦地で働く女性を演じていて、そんな彼女の出演場面は観客の緊張感を和らげ殺伐とした物語に潤いを与えている。

 「日常の戦ひ(1944)」で映画デヴュー、黒澤明監督作「素晴らしき日曜日(1957)」で戦後の貧しい恋人同士を演じて注目される。豊田四郎監督作「わが愛は山の彼方に(1948)」小津安二郎監督作「早春(1956)」では池部良と共演、「めし(1951)」「稲妻(1952)」「浮雲(1955)」等多数の成瀬巳喜男監督作品に出演、黒澤映画ファンとしては「醉いどれ天使(1948)」「静かなる決闘(1949)」での名演も記憶に残っています。

 島田二飛曹を演じた久保明は、出演場面は少ないが悲惨な最期を遂げる若きパイロットを瑞々しく演じている。子役として活躍後に「思春期(1952)」で映画デヴュー、続編の「続思春期(1953)」で本多監督作初出演、「妖星ゴラス(1962)」「マタンゴ(1963)」「怪獣大戦争(1965)」「怪獣総進撃(1968)」「ゲゾラ・ガニメ・カメーバ 決戦!南海の大怪獣(1970)」等の本多監督作にも出演。黒澤映画ファンとしては「蜘蛛巣城(1957)」「椿三十郎(1962)」もはずせない。

 唯一のコメディー・リリーフ清川二整曹を演じた谷晃は、ラバウルのパイロットたちの本音を代弁するような役柄でニコニコさせてくれます。舞台俳優として活躍後に東宝に入社し「船出は楽し(1940)」で映画初主演、その後は名脇役として数多くの東宝作品で大活躍。「獣人雪男(1955)」「モスラ対ゴジラ(1964)」等の本多監督作に出演。黒澤映画ファンとしては「醉いどれ天使(1948)」「生きる(1952)」「七人の侍(1954)」「生きものの記録(1955)」「蜘蛛巣城(1957)」「隠し砦の三悪人(1958)」「用心棒(1961)」等が強く印象に残っています。

 アメリカ軍の撃墜王イエロースネーク=トーマス・ハインを演じたボブ・ブースは、アメリカ進駐軍のジャーナリストとして来日、東宝と契約して進駐軍によって接収された東京宝塚劇場(アーニー・パイル・シアターと改名)で司会等を務め映画プロデューサーの田中友幸の誘いで三船敏郎主演の「霧笛(1952)」に初出演し本作や「美貌と罪(1953」「赤線基地(1953)」「密輸船(1954)」「さいざんす二刀流(1954」等に出演、「愛は降る星の彼方に(1956)」ではリヒャルト・ゾルゲを演じています。

 

◎注3;

 イエロースネークによる日本軍批判の場面の後に、爆撃機の製造が間に合わないので戦闘機による敵艦隊への爆撃をラバウルの指揮官たちが決定する場面が描かれる。これは戦闘機に爆薬を積んで敵艦隊に体当たりして自爆する所謂「特攻」を示唆しているのだが「特攻」という言葉は使われない。そして吉田少尉たちが志願するのだが、ここでも「特攻」という言葉は使われていない。この辺りは事実だったようで作戦としての「特攻」は存在しなかったという事になっているらしい。軍上層部は「特攻」をパイロットに命令はしていない、「特攻」はパイロットたちの自主的な判断による結果、という終戦後に責任を問われないための「言い訳」だったようだが、日本軍の極秘事項なので流石にイエロースネークに代弁させる訳には行かなかったのだろう…この描写をどうしても入れたかったからなのは理解出来るが、脚本・演出共にあまり上手く行っていないので、軍上層部の姑息な工作が公開当時の観客に伝わったかどうかは疑問なのだ。

 捕虜となったイエロースネークがアメリカ軍の空爆に乗じて収容所からの脱走したという、絵的に面白区なりそうな場面も台詞のみで処理されていて、その結果イエロースネークのP51ムスタングが基地に飛来し看護師の小松すみ子たちが乗る引揚の輸送船を攻撃するまでの時間経過が不自然になってしまっている。看護師の小松すみ子が若林大尉に想いを寄せるようになる過程も、脚本・演出共にあまり上手く行っていないので、引き上げが急に決まった事を若林大尉に電話で伝える場面が唐突に見えてしまう…それを受けて港に駆けつける若林大尉の心境の変化はさらに唐突。本作の後半部分は説明過多に慣らされた現在の映画観客にはチンプンカンプン(死語?)なんじゃないかなぁ。駆けつけた若林大尉が小松すみ子のトランクを持とうとして手が触れ合う場面は本作随一のロマンティックなシーン…後半部分の脚本がもっと詳細に描き込まれ丁寧な演出がなされていれば、日本映画史に残るような名場面になっていたのにと悔やまれます。

 

 

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太平洋の鷲(1953)

 

 昭和13年、刀剣所持で逮捕された右翼の青年(堤康久)は二人の取調官(川越一平・草間璋夫)に動機を告白、殺害の対象者とした数名の中に海軍次官山本五十六(大河内傳次郎)の名があった。航空本部長を兼任する山本五十六は横須賀飛行場で新鋭戦闘機の試験飛行を査察中、日独伊三国同盟に反対している山本五十六の命が2度も狙われた事を危惧する海軍大臣米内光政(柳永二郎)に突然呼び戻された。

 総理大臣近衛文麿(高田稔)の私邸では三国同盟についての議論が続いていた。山本五十六が三国同盟の締結はアメリカとの戦争を誘発すると主張している事で会議は長引き、待合室の三名の陸軍参謀(志村喬・小杉義男・堺左千夫)は泥沼化している支那事変への影響を苦慮する。三国同盟締結を推進する政財界や陸軍は巧みに国民感情を煽り世論は挙国一致に傾き反対派は言論を圧迫され劣勢に、閣議が長引いている事を不安視し近衛総理の心中を憂慮する関根(小川虎之助)に対し高野(汐見洋)は日本国民は政党政治の腐敗を見過ごし軍閥を生み出してしまった責任を負うべきだと語る。

 平沼内閣が誕生して半年、三国同盟を審議する会議は70回に及んだと語る城田(村上冬樹)に近衛文麿は海軍は慎重過ぎると同調するが、ナチス・ドイツ側は対ソヴィエト連邦の軍事同盟は無意味との考えを示し陸軍は対イギリス・アメリカも含めた軍事同盟を考えているという村崎(青野平義)からの報告に衝撃を受ける。

 国内世論は三国軍事同盟締結に向かっていたが、ナチス・ドイツとソヴィエト連邦は不可侵条約を締結、ナチス・ドイツによるポーランド侵攻、平沼内閣は総辞職に追い込まれ、イギリスとフランスがナチス・ドイツに対し宣戦布告等、ヨーロッパ情勢の急激な変化に日本国内は騒然となる。昭和14年8月30日山本五十六は第26代聯合艦隊司令長官に就任、海軍大臣米内に対し1年か1年半後に退役するつもりだと語る。長引く支那事変の影響で国内情勢は急変し政権交代が続き米内は第37代内閣総理大臣に就任、フランスを占領したナチス・ドイツはヨーロッパ全土を支配下に置く勢いになっていた。

 山本五十六は瀬戸内海の呉軍港に到着、鹿島中佐(清水将夫)と古河中佐(二本柳寛)の出迎えを受ける。ナチス・ドイツの快進撃に陸軍首脳たちは三国同盟を急ぎ、陸軍大臣畑俊六(山田巳之助)は米内総理に辞表を提出、三国同盟に反対の内閣に陸軍から後任は出さないと告げ内閣総辞職を迫る。米内内閣を引き継いだ第二次近衛内閣の海軍大臣に就任した及川古志郎(菅井一郎)はアメリカと開戦する事になると強固に反対する山本五十六を説得、第二次近衛内閣は三国同盟を締結し日中戦争終結に向けて進む事になり、山本五十六は鹿島中佐と古河中佐に日米の国力差の分析を指示、連合艦隊は対米戦の図上演習を開始する…というお話。

 

 「ゴジラ(1954)」の監督として世界中に熱烈ファンが居る本多猪四郎は劇場映画デヴュー作「青い真珠(1951)」に続いて「南国の肌(1952)」「港へ来た男(1952)」「続思春期(1953)」を発表、劇場映画第5作となった本作は初の大作で円谷英二が特撮担当として本格的に参加した作品にもなった。初めて観賞した時はタイトルから勇ましい戦争映画を想像してしまったが、実際は山本五十六の著名な発言やエピソードを軸に時系列に沿って政府や軍部の動向を加え、山本五十六の戦死までを散文的に描いている…逆に後半の激しい戦闘場面が浮いてしまった感じなんだよね。

 戦後の占領下では映画界も連合国軍総司令部GHQ(General Headquarters)の監視下に置かれ脚本の検閲があり、時代劇も含めて国民の反米感情を刺激する可能性がある作品は製作出来なかったのだが、1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコ平和条約が発効して日本は独立、映画界もGHQの検閲から解放され本作は戦後初の本格的な戦争映画として公開された…構想した時は占領中だったらしい。

 作品前半はドキュメンタリー・タッチで描かれているのだが、真珠湾攻撃以降は激しい戦闘場面が多く作品の雰囲気がガラリと変わっていて、別の映画を観ているかの様な錯覚に陥る。記録映像も多用され戦闘機の飛行や空海戦場面にはアメリカ軍から提供された記録フィルムが使用され、山本嘉次郎監督の「ハワイ・マレー沖海戦(1942)」「加藤隼戦闘隊(1944)」「雷撃隊出動(1944)」で円谷英二が担当した特撮場面等も数多く流用されている。静かに進行するドラマ部分も激しい戦闘場面も共に見応えがあるのだが、1本の作品として観た場合には統一感に欠けるのが少し残念なトコロ(注:1)。

 

 聯合艦隊司令長官山本五十六を大河内傳次郎が演じているのだが、本作を初めて観た頃は大河内傳次郎はかつての大スターで、その特徴的な台詞回しがテレビの演芸番組で声帯模写(死語)のベテラン芸人さんのネタになっていた…それくらい彼の個性が国民に浸透していたという事なんだが。そんな「刷り込み」があったので観賞前は少しばかり不安だったが、特徴的な台詞回しは抑制されていてナカナカ良い雰囲気。本作の後も山本五十六はさまざまな俳優さんが演じる事になるのだが、本人の映像は写真が少しばかり残っているだけなのに誰が演じてもイメージが違うという批判がついてまわる…実際に会った事のある人の意見を聞いてみたいですねぇ(注:2)。

 

 本作は全体としてはバランスの悪い作品になってしまったが、冒頭の取調室の場面には意表を突かれる。それに続くドラマ部分は本多猪四郎監督らしい丁寧な演出でこんな場面をもっと観ていたいという気分にさせられる。志村喬や三船敏郎の他に東宝専属の俳優さんたちが小さな役で次々登場して、小林桂樹や三國連太郎、黒澤作品等に頻繁に登場する名脇役たちを発見するたびにうっかりニヤニヤしてしまう(注:3)。

 

 日米開戦後の戦闘場面は、記録フィルムや過去作の特撮映像が巧みに編集され視聴覚モンタージュのお手本とも言えるし、映画史上初映像化と言われているミッドウェイ海戦の場面の壮絶さは本当に素晴らしく、本多猪四郎監督の映像作家としての演出力やカメラワーク、画面構成のセンスや技術を堪能出来る作品であります。

 

●スタッフ

監督:本多猪四郎

脚本:橋本忍

製作:本木荘二郎

応援監督:小田基義

撮影:山田一夫

特殊技術:円谷英二

音楽:古関裕而

 

●キャスト

大河内傳次郎、柳永二郎、高田稔、

志村喬、堺左千夫、小杉義男、山田巳之助、

汐見洋、小川虎之助、村上冬樹、青野平義、

菅井一郎、佐々木孝丸、清水将夫、二本柳寛、

山形勲、小林桂樹、三國連太郎、千田是也、

堤康久、川越一平、草間璋夫、中島春雄、

三船敏郎

 

◎注1;

 脚本は黒澤明作品「羅生門(1950)」「生きる(1952)」「七人の侍(1954)」や野村芳太郎監督作品「張込み(1958)」「ゼロの焦点(1961)」「砂の器(1974)」等の橋本忍、山本五十六に関するエピソードについては後年製作された数多くの山本五十六関連作品と比較すると物足りなさが残るが、撮影当時の取材ではこれが限界だったのだろう。

  作品冒頭にアメリカ軍から提供された記録フィルムを使用しているという断り書きが出る。山本五十六が立ち会う新鋭戦闘機の試験飛行の場面には俳優さんの演技と敗戦後にアメリカ軍に接収されていた戦闘機の記録映像が巧みに編集されていてニコニコしてしまった。そして真珠湾攻撃の場面には「あれっ?これ観た事あるぞ!!」なミニチュア特撮映像が次々と。ミッドウェイ海戦の場面には航空母艦の赤城や飛龍の巨大なミニチュアも登場するが当時の東宝撮影所には特撮用のプールがまだ無かったために、川や海にミニチュアを浮かべて撮影したらしい。その反面、航空機関連はほとんど記録映像に頼っている感じで、迫力とモンタージュ最優先だったのかミッドウェイ海戦には居なかったはずのイギリス軍戦闘機が何度も画面を横切るので笑ってしまった。新たに撮影された空母の艦橋や航空甲板の場面は、スケール感には乏しいもののナカナカ迫力がある…これが映画としての完成度に貢献していないあたりが映画の難しい所なんだよなぁ。この航空甲板のアクション場面には「ゴジラ・シリーズ」のスーツ・アクター(着ぐるみ俳優)として世界中のファンから愛される事になる中島春雄が航空兵の役で出演しています…火だるまになるスタントなんで言われても誰だかわからない。

 

◎注2;

 大河内傳次郎はサイレント時代から活躍する戦前の映画界を代表する時代劇スターで「丹下左膳」が当たり役だった。「新版大岡政談(1928)」「大菩薩峠(1935)」「丹下左膳余話 百萬両の壺(1935)」、山本嘉次郎監督「ハワイ・マレー沖海戦(1942」「加藤隼戦闘隊(1944)」、黒澤明監督の「姿三四郎(1943)」「わが青春に悔なし(1946)」「虎の尾を踏む男たち(1945)」等で素晴らしい存在感と演技を見せてくれています。

 

◎注3;

 「えっ、それでおしまいなの?」てな感じで当時の東宝専属の俳優さんたちが小さな役で次々登場、陸軍参謀として志村喬・小杉義男・堺左千夫、陸軍大臣畑俊六の山田巳之助、海軍中佐の清水将夫と二本柳寛、海軍参謀長の佐々木孝丸、参謀の山形勲・小林桂樹・三國連太郎、陸軍大佐の千田是也等々、中にはよーく見ていないとわからない俳優さんも居るのでご注意を。友永大尉を演じた三船敏郎はセリフもちゃんとある「世界のミフネ」でした。

 

 

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青い真珠(1951)

 

 志摩半島の先端の孤島に灯台員として西田(池部良)が赴任して来た。島は海女によるアワビの素潜り漁が唯一の産業なため、昼間は村人が出払って閑散としていて西田の出迎えも居なかった。西田は売店で煙草を買おうとしたが店主は留守で、通りかかった海女の野枝(島崎雪子)の機転で煙草を出してもらう。この島では灯台員が小学校の教師も兼ねる事になっており、村一番の働き者の野枝はそんな西田に想いを寄せるようになった。2年前に都会に憧れて島を出たリウ(浜田百合子)も西田と同じ連絡船で戻って来てかつての海女仲間から歓迎を受ける。

 灯台員の藤木(志村喬)からこの島の素潜り漁や海女たちについて聞かされた西田は学校の生徒たちから出迎えを受ける。都会の生活に染まって帰って来たリウに村人たちは不信感を抱き、実家での生活に戻ったリウは母(本間文子)から叱責されるが父(左卜全)は何も語ろうとはしなかった。煙草屋の店主(英百合子)は、そんなリウを好奇の目で見て誘惑しようと声をかける村の男たちや野枝の許嫁の新太郎(柳谷寛)を叱る。野枝はリウから村での生活には明るい未来が無いと聞かされ海女としての人生に疑問を抱く。野枝の両親はある理由から村を出て行ったのだった。

 テングサの解禁の日、海女たちが集う海岸へ出た西田は島のはずれの海底にある「大日井戸」に向かって泳ぎ出すが、追って来た野枝に危険だから行かないよう警告を受ける。恋愛成就の真珠があると言われている伝説の「大日井戸」は危険海域の海底にあるので村の者は近づかないのだ。

 村の龍神祭りの日、野枝は祭りの見物に来ていた西田に海女の安全祈願の儀式で使う桶の水をいきなり浴びせる。西田や同席していた許嫁の新太郎は面食らうが、藤木からそれは祭りの日に許されている求愛の証しだと聞かされる。世話になっている伯父(高堂国典)の家で宴会の手伝いをしていた野枝は、伯母(三好栄子)からあらためて両親が村を出た経緯を聞かされ、西田の事は諦めて村の慣習を受け入れるよう説得される。

 野枝は海岸で絵を書いていた西田にアワビを届け謝罪し今の心情を吐露する。月夜の晩、西田は藤木から村の慣習は「大日井戸」の伝説と深い関係があり、この村の唯一の産業であるアワビ漁を守るためだと聞かされる。そこへ現れた野枝に西田は初めて彼女に対する自分の気持ちを語る。

 リウは海女の勘が戻らない事を船頭の甚吉(山本礼三郎)から責められる。霧の深い晩、灯台を訪れたリウはラジオをつけ西田をダンスに誘い、後から灯台にやって来た野枝に二人が踊る姿を見られてしまう。リウは野枝に対する嫉妬心から西田との仲を村人たちの前で話すようになり、西田は藤木を介して野枝に結婚を申込んでいたが、許婚がいる事や土地の慣習を理由に伯父と伯母から断られてしまう。リウと西田が親密であるという噂が村中に広まり、野枝はそれを振り払うように新太郎と漁に出るのだった…というお話。

 

 「ゴジラ(1954)」をはじめとする東宝特撮映画の監督として世界中に熱烈ファンが居る本多猪四郎の劇場映画デヴュー作…実際はその前に記録映画を2本監督している。数十年ぶりに観た感想は「映画を解っている人の作品は観ていて心地良い」だった。撮影スタッフやカメラの存在を観客に意識させないカメラワークとリズム感のある演出で作品の中に自然に入り込めるし、気がついたら登場人物たちに感情移入しているのだ。そんな王道演出で展開されるドラマの中に、公開当時はまだ珍しかった水中撮影もふんだんに取り込み、海女たちの漁の様子や潜水マスク越しの女優さんの表情もしっかり捉えられ、本多猪四郎監督がデヴュー作から映画演出の基本や撮影技術についても精通していた事がうかがえる。

 原作は直木賞を受賞した山田克郎の小説「海の廃園」で、記録映画の経験を生かした作品を模索中だった本多猪四郎が監督する事になり脚本も執筆、「羅生門(1950)」を執筆中だった黒澤明監督と橋本忍と同じ旅館での脚本執筆だったらしい(注;1)。

 

 島へ新任の灯台員兼教師として赴任してくる西田を演じるのは当時東宝青春スターの筆頭だった池部良。二枚目としての存在感だけでなく演技も高く評価されるようになりスターから演技派へ転身を図っていた頃の作品だけに見応えのある名演を披露している。島一番の若い海女の野枝を演じる島崎雪子はデヴュー2年目の新人で、働き者で稼ぎ頭の若い海女ながら複雑な家庭環境にあり恋と地元の慣習の板挟みに苦しむという難しい役を堂々と演じていて素晴らしい。灯台員の藤木を演じる志村喬は、出演場面は少ないものの黒澤明監督の諸作同様に本作でも抜群の存在感を観せてくれる…出ているだけで作品の「格」が上がった感じがする不思議。都会から島へ戻って来た海女のリウを演じた浜田百合子は、華やかで明るい感じの悪女が正にハマリ役なのだが、本多猪四郎監督の巧みな演出で完全な悪役という感じにはなっていない…同情すべき点を残しているあたりが流石です。そして何より嬉しいのが他の作品でもすっかりお馴染みの東宝専属の俳優さんたちが大挙して出演しているコト。日本の大手映画会社5社による「五社協定」が結ばれる前だが、スター以外の専属俳優さんが多数出演している事でも製作会社の作品のカラーや特徴を表していた時代(注;2)。

 

 本作は基本的には都会から漁村の灯台へ赴任して来た青年と地元の海女の恋愛ドラマなのだが、本多猪四郎監督の脚本によって封建制度や女性蔑視への批判等も描かれ、それが作品に厚みを加える結果となっている。少し残念だと思った点は、野枝との仲が不安定な西田と誘惑目的のリウが夜会っていた場面で、二人の関係が明確に描かれず曖昧なまま終わっている部分で、肉体関係があったのではという疑念を観客に抱かせてしまうのだ…西田が明確にリウを拒絶する場面を入れるべきだったのではと思った。野枝の思い過ごしである事が観客にはわかっている方がサスペンスが高まったと思うのだが、本作の描き方の方が公開当時のサスペンス技法としては正解だったのかもしれない。

 本作には監督デヴュー前の岡本喜八が助監督として参加、野枝の弟(従兄弟かも)の芳を「ウルトラマン・シリーズ」でお馴染みの石井伊吉(毒蝮三太夫)が演じている。

 

●スタッフ

脚本・監督:本多猪四郎

製作:小林富佐雄

原作:山田克郎

撮影:飯村正

美術:松山崇

音楽:服部正

 

●キャスト

池部良、島崎雪子、浜田百合子、

志村喬、山本礼三郎、高堂国典、左卜全、

柳谷寛、堺左千夫、三好栄子、本間文子、

英百合子、大村千吉、石井伊吉

 

◎注1;

 本多猪四郎(ほんだいしろう)監督は、大学在学中に東宝の前身であるPCL映画製作所(Photo Chemical Laboratory)に入社、山本嘉次郎や成瀬巳喜男の助監督として活動、黒澤明や谷口千吉は助監督として同期の後輩。3度徴兵され日中戦争に8年間従軍し終戦は中国で迎えたために監督昇進が遅れ、本作の時は40歳だった。実質的なデヴュー作はドキュメンタリー「日本産業地理大系第一篇 国立公園 伊勢志摩(1949)」、短編文化映画「砂に咲く花[(1950)」をはさんで本作で劇映画を初監督。「ゴジラ(1954)」や数多くの東宝特撮映画を監督している事で世界的に有名になり、海外の監督・プロデューサーにもファンが多いが、それらの作品が魅力的で多くの支持を集めているのは、本作でも明らかなように確かな演出力に裏打ちされているからだろう…ドラマ部分がしっかりしていてこその特撮映画なのだ。「ゴジラ・シリーズ」の監督として語られる事が多いのだが、「地球防衛軍(1957)」「美女と液体人間(1958」「宇宙大戦争(1959)」「ガス人間第一号(1960)」「妖星ゴラス(1962)」「マタンゴ(1963)」「海底軍艦(1963)」「宇宙大怪獣ドゴラ(1964)」「緯度0大作戦(1969)」等の日本のSci-Fi映画の巨匠でもある事も忘れないで欲しいよね。

 

◎注2;

 池部良は、1941年に東宝に入社、監督を希望したが第二次世界大戦中だったために叶わず脇役俳優としてスタート。主演作がヒットし20代を青春スターとして活躍、「青い山脈(1949)」、谷口千吉監督「暁の脱走(1950)」、市川崑監督「若い人(1952)」、小津安二郎監督「早春(1956)」、豊田四郎監督「白夫人の妖恋(1956)」「雪国(1957)」等に出演、1965年からは高倉健主演の「昭和残侠伝シリーズ」にも。本多猪四郎監督作は「さらばラバウル(1954)」「宇宙大戦争(1959)」「妖星ゴラス(1962)」に出演している。本作では海水で濡れたズボンを脱いでパンツ姿を披露しているが、青春スターのパンツ姿に女性ファンたちはどんな反応だったのだろう。

 本作のヒロイン、野枝を演じたのは島崎雪子。初登場の場面では小さな漁村の海女としては華がありすぎると思ったが、物語が進むにつれて複雑な境遇の役であるのが解り、彼女の新人らしからぬ演技力が必要だったのだと納得…自責の念に駆られどんどん自分を追い込んで行く姿には胸が締め付けられます。海女の役なので潜水マスク越しの表情を捉える水中の場面も多く、当時の撮影技術やフィルムの感度を考えると若い女優さんとしては撮影は大変だったのでは無いだろうか。本作と同年に成瀬巳喜男監督「めし(1951)」、市川崑監督「若い人(1952)」では池部良と再共演。黒澤明監督「七人の侍(1954)」では野武士の山塞に捕えられていた村の女性として映画ファンの記憶に刻まれている。神代辰巳監督と結婚後はシャンソン歌手としても活躍。本作の助監督だった岡本喜八監督の「暗黒街の弾痕(1961)」「顔役暁に死す(1961)」にも出演。

 リウを演じた浜田百合子は、都会生活に憧れたものの挫折して村へ帰還したアプレゲール(戦後派)、無責任で刹那的な考えの女性の典型を見事に演じていて思わずニコニコしてしまった。そんな困った女性にも繊細で傷つきやすい側面がある事が本多猪四郎監督の演出でしっかり描写されていて、そちらの演技もなかなか素敵です。出演作品は、谷口千吉監督作品「ジャコ萬と鉄(1949)」、溝口健二監督作品「雪夫人絵図(1950」「西鶴一代女(1952)」、森一生監督(脚本・黒澤明)「荒木又右衛門 決闘鍵屋の辻」等があります。

 志村喬は、舞台俳優として活躍後に映画俳優に転身、伊丹万作監督、溝口健二監督、マキノ雅弘監督、今井正監督等の作品に出演、戦後は黒澤明監督作品には欠かせない存在として21本の作品に出演。本多猪四郎監督作品も「太平洋の鷲(1953)」「ゴジラ(1954)」「地球防衛軍(1957」「モスラ(1961)」「妖星ゴラス(1962)」「三大怪獣 地球最大の決戦(1964)」「フランケンシュタイン対地底怪獣(1965」に出演。

 脇を固める東宝専属の俳優さんたちの中には黒澤作品でもお馴染みの山本礼三郎、高堂国典、左卜全、堺左千夫、大村千吉、三好栄子、本間文子等々、個人的にはオールスター映画なのであります。

 

 

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二つの世界の男(1953)

 

 スザンヌ・マリスン(クレア・ブルーム)は短い休暇を利用してベルリン駐在の英国軍医の兄マーティン(ジェフリー・トゥーン)を訪れるためにテンペルホーフ空港に降り立った。義姉のドイツ人女性ベッティーナ(ヒルデガード・ネフ)の出迎えを受けたが、空港ロビーにはベッティーナを注視している少年(ディーター・クラウゼ)がいた。第二次世界大戦後の荒廃したベルリンは東西に分割され、東側をソヴィエト連邦が、西側を連合国が統治していたが、検問所や中立地帯が存在し身分証の提示が必要なものの、ベルリン市民たちは東西を自由に行き来していた。

 兄夫婦と食事に行ったシアター・レストランでスザンヌはベッティーナの様子がおかしい事に気がつく。ベッティーナは誰かを探しているのか不安気に店内を見渡していた後にわざと飲み物をこぼし席を立ってカウンター席にいる人物に話しかけていたが、スザンヌの席からは衝立の陰になってその人物の姿が見えなかった。ベッティーナが頭痛を訴えたために店を出る事にするが、店の外には空港ロビーにいた少年がいて、スザンヌとベッティーナは突進して来た2台の車に跳ねられそうになる。ベッティーナはベルリンでは日常的な出来事と語ったが、スザンヌはベッティーナが深夜にドアを開け少年から手紙を受け取ったのを目撃し、兄夫婦はスザンヌに何かを隠しているのではと思い始める。

 翌日、スザンヌはベッティーナの案内で東側地区へ入るが、そこでも少年が自転車で二人を追跡監視していた。東側地区は閑散としてして建物にはスターリンの巨大なポスターが貼られ、西側地区とは街や市民の雰囲気がまったく違う事にスザンヌは驚く。二人はカフェに入って話していたが、自転車に乗った少年がこちらを指差して建物の影の人物に話しているのを目撃したベッティーナは慌てた様子で店を出ようとする。建物の影にいた人物は店内に入って来ると偶然の出会いのようなそぶりでベッティーナにドイツ語で話しかける。ベッティーナはスザンヌに友人のイーヴォ・カーン(ジェームズ・メイソン)だと紹介、イーヴォはスザンヌの東側地区のガイドを務める事を約束する。

 西側地区へ戻ったスザンヌは仕事中のマーティンを訪ねベッティーナから預かった手紙を渡し東側地区でイーヴォという男に会った事を話す。イーヴォはベッティーナの昔からの友人と答える兄にスザンヌは仕事が忙し過ぎるのが心配だと話す。スザンヌが帰宅するとイーヴォとベッティーナは口論をしていたが、スザンヌの帰宅に気づいた二人は何事も無かったのような素振りで微笑み、イーヴォはスザンヌを今夜ベルリン市内の案内をしたいと提案する。夜のダンスホール、ダンスと会話を楽しんでいたイーヴォとスザンヌの席にハロルド・ハレンダー(アリベルト・ヴェッシャー)が電話をかけて来たがイーヴォは相手にしなかった。スザンヌはイーヴォとベッティーナの関係やこれまでの活動を知りたがったが、イーヴォはどんな話ならスザンヌが気にいるのかとはぐらかしてしまう。そこへ無視された事に業を煮やしたハレンダーが二人の席に現れベッティーナとも旧知で東側地区で公演しているオペラが素晴らしいのでチケットを贈ると語る。店を出てスザンヌをタクシーに乗せたイーヴォは店に戻ると遅れて出て来たハレンダーと口論を始めるのだった。

 翌朝、外出しようとしたスザンヌに兄夫婦の家を監視していた自転車の少年が声をかけ、イーヴォがベッティーナの件で会いたがっているので案内すると話す。カフェで待っていたイーヴォはスザンヌに昨晩の出来事を謝罪し、ベッティーナと結婚していた事を告白する。帰宅したスザンヌにマーティンは友人のオラフ・ケストナー(エルンスト・シュレーダー)を紹介、イーヴォが車で待っていて一緒にスケートに行くと言うスザンヌにベッティーナは彼とは関わらない方が良いと忠告する。スケートを楽しんでいた二人の前にハレンダーが3人の護衛を連れて現れ、ケストナーが東側の警察官二人を西側に逃亡させた、このままケストナーの活動を続けさせるならイーヴォが戦後のベルリンで行ったガソリンや銃火器の密売等の活動記録を西側の警察に渡すと告げる…というお話。

 

 前作「文化果つるところ(1951)」はジョセフ・コンラッドの原作との相性がイマイチで傑作になり損ねたキャロル・リード監督、汚名返上と考えたかどうかはよく解らないが、本作は映画史に残る傑作「第三の男(1949)」とよく似た設定のウォルター・エバート原作の「ベルリンのスザンヌ」を映画化した作品で、演出や照明、編集等は流石と思わせる完成度だったが、不必要な複雑さに溢れているストーリーを上手く脚色出来ていない脚本が原因で映画としてのリズム感が損なわれてしまったのが残念なトコロ…主演がジェームズ・メイスンとくればキャロル・リード監督のもう一本の傑作「邪魔者は殺せ(1947)」を想起してしまうし、大好きな女優さんのクレア・ブルームがヒロインでは期待してたんだけどねぇ。

 クレア・ブルーム演じるスザンヌがドイツ西側地区の空港に到着、出迎えるヒルデガード・ネフ演じる義妹のドイツ人女性ベッティーナの不安そうな表情で薬を飲んでいたり、そんな彼女を監視しているディーター・クラウゼ演じるホルスト少年が居たりと、最初から怪しさ満点で滑り出しはなかなか快調ベッティーナは食事に行ったレストランでも暗い表情のまま様子がおかしく誰かを探していてカウンター席の人物に何か話しかけたりもする。衝立が邪魔してその人物が見えないが、カウンター席に置かれた帽子とコートから男だとわかるのだが、スザンヌとベッティーナが東側地区のカフェで話している時もホルスト少年が電話で呼び出した塀の陰にいる人物に話しかけていて、このなかなか姿を見せないあたりは「第三の男」のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)そっくり(注;1)。

 

 ジェームズ・メイスン演じる謎の男イーヴォが姿を現してからは、スザンヌが少しずつイーヴォに惹かれていく気持ちの変化の描写がイマイチ希薄なので、悪事にも手を染めて戦中戦後を乗り切って来たような怪しさ満点の男に、知的で論理的で清楚なスザンヌが最終的に愛情を抱くようになる展開の説得力が足りない感じ…もう少し感情の揺れ動きとかの描写があればねぇ。

 ベッティーナはずーっと不安げで幸薄そうな表情のまんまなのだが、ヒルデガード・ネフの熱演のおかげで変に感情移入させられ途中から満面の笑みが見たくなって困った…まさか最後の登場場面までそんな表情が続くとは思わなかった。さらにジェフリー・トゥーン演じる彼女の夫で二枚目の英国軍医のマーティンとの場面もあまり幸せそうに見えないので、夫との関係も上手く行ってないのではと勘繰ってしまうのだよ。そのマーティンもスザンヌの兄でベッティーナの夫という以上の役割がほとんど無く、ベッティーナの告白を聞いてカール・ジョン演じるクライバー警部を紹介するぐらいで、あとは傍観者でしか無いのも不自然な感じなのだ…もっとストーリーに絡んでも良かったよね。

 アリベルト・ヴェッシャー演じるイーヴォの東側の協力者で正体がよく解らないハレンダーは、信用出来ない怪しさや存在感は悪く無いのだがあまり有能そうに見えないのが残念なトコロ。反政府の脱走者の援助しているケストナーを捕まえるためにベッティーナ誘拐を企てたり、部下が間違えて誘拐したスザンヌを西側に帰すために東側の統治者の監視をすり抜ける算段をしたりと、間抜けな面ばかりが目立つのだ。ハレンダーは東側の闇商売の元締めらしく政府側の人間では無さそうなのだが、イーヴォの捜索に協力していたりして結局正体不明なまま。スパイ映画とかだったら失敗の責任を押し付けられて処刑されちゃいそうだが、特にお咎めなしなまま映画が終わってしまうのもなんとなーく消化不良な感じ。

 エルンスト・シュレーダー演じるケストナーもハレンダー同様に有能そうに見えない…人柄は良さそうなんだけどね。イーヴォを助けにクリーニング店のトラックで単身東側へ向かうのだが、こちらもハレンダー同様に有能な部下や協力者がいる訳でも無いのが不自然で、ラストはこちらの予想通りの展開が待っている。

 自転車少年ホルストを演じるディーター・クラウゼはなかなかキュートで演技も上手く作品の良いアクセントになっていてのだが、イーヴォの真の協力者は彼だけのような感じだったのが後半に突然別に協力者がいた事が解って吃驚…伏線もそれらしいセリフも皆無なのはずるいよね(注;2)。

 

 後半の逃亡劇は一難去ってまた一難という感じで、それなりにサスペンスが盛り上がるのだがイーヴォやスザンヌにあまり緊張感が感じられないので、手に汗握るという感じにはならない上に、あてもなく逃げ回っていたと思ったらビルの建設現場に来ていた自転車少年ホルストと再会したり、警官たちやハレンダーに追われてアパートの一室に逃げ込み住人の娼婦リッツィ(ヒルデ・セッサク)を買収するんだけど、ここでイーヴォとスザンヌの軽ーいギャグが挿入されてほのぼのムードに変わってしまう…椅子で寝ようとするイーヴォをスザンヌがベッドに誘っちゃったりもします。翌朝ケストナーと自転車少年ホルストが二人を助け出し、クライマックスはどうやって検問を突破するかなんだろうなと予想してたらその通りの展開で、少しばかり拍子抜けでした…追って来た自転車少年ホルストの存在が悲劇のきっかけになるのがあまりに哀しい(注;3)。

 

 題材自体は興味深いのにストーリーや脚本は問題だらけな作品になってしまったのが残念だが、演出や撮影、編集や美術はキャロル・リード風味てんこ盛りでファンにはたまらない作品なのだ…ジョン・アディソンの音楽がサスペンス映画としては物足りないケド。室内のドラマ部分は単調にならないような演出とカメラワークを駆使、夜間の場面のロケ撮影は凝った照明や影を使った演出、的確なカメラ・アングルでの移動撮影等ニコニコが止まりません。特にスザンヌが誘拐され監禁されている倉庫での映像は照明や斜めの構図で立体感を強調し緊張感を煽っていてホントに素晴らしい。スザンヌがイーヴォを平手打ちしたあと吊るされた電球を払いのける場面はアルフレッド・ヒッチコック監督の「サイコ(1960)」を思い出す…本作の方が先なので後輩に敬意を評してヒッチ先生が引用したのかも。

 

●スタッフ

製作・監督:キャロル・リード

原作:ウォルター・エバート

脚本:ハリー・カーニッツ

撮影:デスモンド・ディッキンソン

音楽:ジョン・アディソン

 

●キャスト

ジェームズ・メイソン、クレア・ブルーム、

ヒルデガード・ネフ、ジェフリー・トゥーン、

ディーター・クラウゼ、アリベルト・ヴェッシャー、

エルンスト・シュレーダー、カール・ジョン、

ヒルデ・セッサク

 

◎注1;

 本作を最初に観たのはテレビ放映の吹替版だったが、「第三の男」のキャロル・リード監督作品で主演が「砂漠の鬼将軍(1951)」「砂漠の鼡(1952)」「海底二万哩(1954)」「北北西に進路を取れ(1959)」「ロリータ(1962)」等のジェームズ・メイスンと、ハリウッド映画デヴュー作「ライムライト(1952)」を見て以来贔屓にしていたクレア・ブルームという事で、興奮状態でテレビに齧り付いていたのを記憶している。

 ジェームズ・メイスンは、キャロル・リード監督の「邪魔者は殺せ」でも女性に慕われる犯罪者で警察や組織から追われる男を演じていたが、今回はその犯罪歴や正体の詳細が台詞で簡単に処理されるだけで最後まで明かされないのが消化不良を起こし、悪人として哀れなラストを迎えなければならない理由が希薄なのだ…モテモテ男に天罰が下ったみたいに見えてしまう。そんな役にもかかわらず得意の英国紳士(国籍不明だけどね)を魅力たっぷりに演じていて、本作でも演技派の二枚目スターとして作品を支えている。「砂漠の鬼将軍」「砂漠の鼡」で演じたドイツ軍のロンメル将軍や「海底二万哩」のネモ船長は知的な指導者な感じがホントにハマリ役で、他の俳優さんが同じ役を演じる作品を観ても「なんか違うなぁ感」が付き纏ってしまった…「ロリータ」のトホホな感じも最高だったケド。

 ベルリンに向かう中型旅客機の機内のクレア・ブルームの可憐で清楚な姿にメロメロで本作は無条件で絶賛してしまいたい気分…とか言いつつベルトのサインを隣の席の紳士に教えてもらう機内のスザンヌ紹介のための描写は中途半端で無意味だよなぁとか思ってしまう。「ライムライト」でチャールズ・チャップリンの相手役として抜擢され大注目された彼女は、本作の後もローレンス・オリビエの「リチャード三世 (1955)」、リチャード・バートンの「アレキサンダー大王(1956)」、ユル・ブリンナーと共演した「カラマゾフの兄弟(1958)」「大海賊(1958)」、ロバート・ワイズ監督の「たたり(1963)」、黒澤明の「羅生門(1950)」のアメリカ版「暴行(1964)」、「寒い国から帰ったスパイ(1965)」「まごころを君に(1968)」「いれずみの男(1969)」等々、美人で演技力もある大人気女優として傑作・話題作が次々と公開された。特に豪胆な女海賊を演じた「大海賊(1958)」は言われないと解らないぐらいの変貌ぶりが素晴らしかったデス…本作ではクールで知的な雰囲気が素晴らしいのだが、たまに見せてくれる幼い感じが最高。

 

◎注2;

 映像も素敵で俳優さんたちが熱演しているのになんとなくストーリーに入り込めない感じがつきまとうのは、やはり脚本が問題なんだろう。面白いストーリーなのに描写不足が原因で自然な展開が生まれず、登場人物たちの関係性も上手く整理出来ていないのが勿体無い感じ。登場人物の人物像の紹介も手際が悪く、特にヒルデガード・ネフ演じるベッティーナは最後まで中途半端な感じで残念。冒頭から不安気な表情と不審な行動が演出やカメラワークで強調されてサスペンス映画の導入部としては満点なのだが、それも彼女の演技と存在感があればこそなのにねぇ。ヒルデガード・ネフは本作を初めて観た時の日本語表記はヒルデガード・クネフだったと記憶しているが、ハリウッド時代はヒルデガード・ネフで活動し現在はヒルデガルト・クネーフと表記されている。歌手としても活躍しブロードウェイ・ミュージカルにも出演した。ヘミングウェイの原作をグレゴリー・ペック主演で映画化した「キリマンジャロの雪(1952)」、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督の「アンリエットの巴里祭(1952)」、ローレンス・オリヴィエ主演のミュージカル「三文オペラ(1963)」、ロバート・アルドリッチ監督の戦争アクション「特攻大作戦(1967)」、ハマー・フィルムの冒険映画「魔獣大陸 (1968)」等に出演、ビリー・ワイルダー監督「悲愁 Fedora(1978)」では重要な役を演じ素晴らしい存在感を発揮していました。

 全編通して活躍するのが自転車少年ホルスト…立ち漕ぎしながらハンドルに装着した水筒から水分補給という荒技を披露します。前作「文化果つるところ」でもカヌー少年が主人公の結末に影響する重要な役割を与えられていたが、ロケ地でスカウトした少年だったからか台詞も無くあまり上手く行っていなかった…本作も自転車少年がイーヴォの運命を左右する存在なのでリターンマッチみたいだよね。演じるディーター・クラウゼは撮影当時は小学生で本作がデヴュー作だが、劇場映画は本作とハリウッド進出する以前のクリスティーネ・カウフマンと共演したドイツ映画「Ein Herz schlägt für Erika(1956)」だけのようだ。

 

◎注3;

 クライバー警部との話し合いでイーヴォ逮捕のためにベッティーナの家で待ち伏せする事になるが結局イーヴォは現れない。それ以前は何度も家に来ているんだしケストナーとも顔を合わせているんだから、待ち伏せとか変な小細工をしなければ簡単に捕まえられた気もする…ベッティーナやケストナーがイーヴォの手先であるホルストの存在を全く知らないのもおかしい。

 ベッティーナがイーヴォとの経緯を語る場面はヒルデガード・ネフの熱演でそれなりに迫力があるが、イーヴォとスザンヌが絶賛逃亡中なのでまったく印象に残らない。ここは二人の過去の関係を映像できちんと観せて欲しかった…回想シーンで幸せそうなイーボォとベッティーナも加えられると良かったよね。

 前半の描写からイーヴォの仲間は自転車少年だけだと思っていた(思わされていた)ら、オペラ劇場からの脱出場面で他にも仲間がいたのが解るが唐突すぎて「どうゆう事???」状態になるし、そもそもケストナーを捕まえるためにベッティーナを誘拐という作戦も意味不明なのに、ベッティーナとスザンヌを間違えて誘拐しちゃうってハレンダーの仲間も無能過ぎ。さらにスザンヌを西側に戻すために大騒ぎするのだが、スザンヌは犯罪者な訳でもないので解放されれば一人で検問を通過出来そうだよね。助けに来るケストナーや捉えようとするハレンダーがアホ過ぎて、ラストのサスペンスもイマイチ盛り上がらない…結局二人を追い詰めるのは東側の警察なんだもんね。

 イーヴォとスザンヌが逃げ込んだアパートの一室でイチャイチャしながら一夜を過ごすのだが、買収のためにイーヴォが差し出した東ドイツマルクでは承服せずスザンヌが高価な指輪を差し出すと態度を一変させる住人の娼婦リッツィを演じたヒルデ・セッサクがなかなか良い味を出していて笑わせてくれる…娯楽映画では定番手法の緊張と緩和の場面なんだけど緩和し過ぎなんだよねぇ。

 

 

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文化果つるところ(1951)

 

 シンガポール海峡にある島の貿易港にあるヒューディック商会で管理責任者をしていたピーター・ウィレムス(トレヴァー・ハワード)は、経理の不正が発覚したとして支配人のヒューディック(フレデリック・ファルク)から解雇を言い渡される。貿易商のトム・リンガード船長(ラルフ・リチャードソン)の貨物船が寄港する事を妻(ベティ・アン・デイヴィス)から知らされたピーターは恩人のリンガード船長を港で出迎える。ヒューディッグは事務所を訪れたリンガード船長に推薦されて雇ったピーターを詐欺の容疑で解雇したので連れて行けと告げる。ヒューディック商会を解雇された事を知って激怒した妻に家から追い出されたピーターは、酒場で彼を慕っているラムゼイ(ジェームズ・ケニー)や支配人のヴィンク(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)に金を無心するが断られ、船に戻るリンガード船長の跡を付け彼の目の前で海に飛び込む。狂言自殺である事を見破ったリンガード船長は、14年前にも困窮していたピーターを助けた事を懐古、今回の事を悔い改めるならもう一度助けるから一緒に来るように告げる。

 ピーターを乗せて出港したリンガード船長は、岩礁を抜ける水路と操船の方法を教えバタム島の海岸近くにある交易村に連れて行く。水上生活者たちが暮らすシンバと呼ばれる魚村でピーターはリンガード船長の貿易業務をしている義理の息子エルマー・オルマイヤー(ロバート・モーレイ)と夫人(ウェンディ・ヒラー)、孫娘のニーナ(アナベル・モーレイ)に紹介され、オルマイヤーの補佐役として働く事になる。村人たちによってリンガード船長の寄港を歓迎する宴が開かれている中、村人たちを仕切っているババラッチ(ジョージ・クールリス)が盲目の村長エル・バダヴィ(A・V・ブランブル)とその娘アイーサ(ケリマ)をつれて現れ、投網漁の障害になっている川底の岩を取り除くため火薬を譲って欲しいと迫る。リンガード船長は、彼らの真の目的は岩礁を破壊してアラビア商人アラガパン(ピーター・イリング)の交易船を通行可能にしジャングルに道路を通して交易の支配を狙っているのだと反論し、リンガード船長を欺こうとすればトラブルや不幸を招くと警告する。

 ピーターは翌朝、出航を控えたリンガード船長が船室を出た隙に秘密の水路が記された海図を複製する。オルマイヤーから補佐役は不要と言われたため暇を持て余していたピーターはボートで水上生活者たちの様子を見に出かけるが、宴の時に会った村長の娘アイーサに目を奪われる。そんなピーターにババラッチが声をかけ村長の家に案内し客として来ていたアラガパンを紹介、彼はシンガポールでのピーターの噂を聞いたし勇気と航海士としての能力のある男だと知っているので一度腕前を見せて欲しい、シンガポールから流れてきた者同士仲良くしようと語る。

 アイーサに対するピーターの様子に不安を感じていたオルマイヤー夫人は、夕食後のトランプで圧倒的な強さを見せたピーターに、ギャンブラーだと知っているがアイーサは父を支えて戦った兄弟たちより勇敢で無慈悲だったという噂だと警告する。オルマイヤーの誕生パーティの席でリンガードの帰りが遅れている理由を聞き鹿撃ちに行くから銃を貸して欲しいとせがむピーターにオルマイヤーは「お前はハンターじゃない、着飾って好きなゲームがしたいだけで、鹿よりもガゼルを追いかけたいのだろう、二本足の危険なガゼルを」と罵声を浴びせる。怒ってボートを漕ぎ出したピーターは水上生活者の家の柱の影にいるアイーサを見つけ物陰に誘い出すと抱擁を交わすのだった…というお話。

 

 1896年にジョセフ・コンラッドが発表した「文化果つるところ」を原作に、「邪魔者は殺せ(1947)」「落ちた偶像(1948)」「第三の男(1949)」という傑作を続けて発表したキャロル・リードが製作・監督した作品だが、期待していたのとはちょっと違う作品になっていてがっかりした記憶がある。密度の濃いドラマ部分は相変わらず素晴らしいのだが、せっかくのロケ撮影が制約があったのか上手く行っていないような場面も多く、特に水上生活者の村が舞台になった後半はスケール感に乏しい上にエピソードもぶつ切りな感じで、演出的にも見せ場がほとんど無く、名優達の演技もあまり印象に残らないのが残念なトコロ。クライマックスに至る過程も単調で、迎えた結末もなんとなく消化不良な感じ。原作通りなのかもしれないが、ピーターとリンガード船長の対決場面(罵り合いだが)はもっと大胆な脚色があっても良かったように思ってしまった(注1)。

 

 本作一番の問題は、基本的に自分の利益しか考えていない嫌なヤツしか出て来ないのでキャラクターや物語に感情移入し辛いのだよ。ヒロインであるハズの奔放な娘アイーサも、村長の娘として生まれチヤホヤされて育ったのか欲望のままに生きている感じで好感度がゼロなのも困ったもんなのだ…こういうタイプが好みな男性は確実に存在するのだが。ピーターを慕って追いかけ回す村のカヌー少年が頻繁に登場するので、後半でストーリーに深く絡んでくるかと思ったらガッカリさせられた…ピーターが破滅に向かう流れのきっかけを作る重要な役割が与えられてはいるんだけどね。オルマイヤーの幼い娘ニーナも出番や台詞も多い割にストーリーに上手く組み込めていなくて彼女の出演場面だけ作品から浮き上がってしまっていて、登場するたびにストーリーの流れが停滞している…子役特有の台詞回しも本作の作風には合っていない。

 一番気になったのはピーターを演じたトレバー・ハワードと恩人であるリンガード船長を演じたラルフ・リチャードソンの年齢差だった。撮影当時トレバー・ハワードは38歳だったのに対してラルフ・リチャードソンは47歳なのだが、トレバー・ハワードが実年齢より老けて見えるために9歳差なのだが同い年ぐらいに見える事だ。本作のストーリー的には未開のアジアで輸送船の船長として生き抜いて来たベテランと野心家で向こう見ずな遊び人の若者ぐらいが丁度良いのだが、その辺りの違和感が最後まで付き纏い、未開地の利権をめぐって中年同士が争っている感じに見えてしまう…恩を仇で返す形になったピーターの極悪人度も薄目だし。去って行くリンガード船長に向かって開き直ったように叫ぶピーターの哀れさは中々良かったし、駆け落ちして一緒にジャングルで生活していた村長の娘アイーサに完全に見放されたようなラスト・シーンはなかなか素敵だったんだけどねぇ(注2)。

 

●スタッフ

製作・監督:キャロル・リード

原作:ジョセフ・コンラッド

脚本:ウィリアム・フェアチャイルド

撮影:エドワード・スケイフ、ジョン・ウィルコックス

音楽:ブライアン・イースデイル

 

●キャスト

トレヴァー・ハワード、ラルフ・リチャードソン、

ロバート・モーレイ、ウェンディ・ヒラー、

ウィルフリッド・ハイド=ホワイト、ジョージ・カラリス、

ケリマ、アナベル・モーレイ、

フレデリック・ファルク、ジェームズ・ケニー、

A・V・ブランブル、ベティ・アン・デイヴィス、

ピーター・イリング

 

◎注1;

  ジョセフ・コンラッドの作品は多くの映画人を刺激するようで、オーソン・ウェルズが劇場映画デヴュー作として企画しながらも頓挫した「闇の奥(1899)」、「The Secret Agent(1907)」を原作としたアルフレッド・ヒッチコック監督「サボタージュ(1936)」、「ロード・ジム(1900)」はヴィクター・フレミング監督 が1925年に、リチャード・ブルックス監督「ロード・ジム(1965)」として、「The Duel(1908)」はリドリー・スコット監督が「デュエリスト/決闘者(1977)」として、「闇の奥(1899)」は舞台をベトナム戦争に変更してフランシス・フォード・コッポラ監督が「地獄の黙示録(1979)」として、ニコラス・ローグ監督が原作に比較的忠実なテレビ・ドラマ「真・地獄の黙示録(1993)」として発表しています。小説第一作の「オルメイヤーの阿房宮(1895)」は2011年にシャンタル・アケルマン監督によって映画化される等、テレビ・ドラマも含めると28作品が映像化されている。

 本作がイマイチ物足りないのは、登場人物の紹介をストーリーを先に進めるためだとは思うが色々省略してしまった脚本にあると思う…一応ストーリーが進むにつれて少しずつ人物像が浮き上がる仕掛けにはなっているのだが描写不足であまり上手く行っていない。冒頭に登場したそれなりに魅力的なキャラクターたちが中盤から全く登場しないのも勿体無い感じ。船に戻るリンガード船長をビーターが尾行する場面はナカナカ良かったのに、その後の狂言自殺の場面は無骨過ぎで盛り上がらないし説得力皆無。作品全体を通しても要所要所で描写不足が目立つ上に編集の工夫も足りない感じで、ストーリー展開のリズム感が削がれてしまう…ベテラン作曲家のブライアン・イースデイルの音楽も貢献度が低いんだよなぁ。

 

◎注2;

 極悪人が主人公の物語は別に珍しくないし、そういう役ばかり演じて大スターになった俳優さんも多いのだが、観客を物語に引き込むためには何かしら好ましい部分が必要になる。悪事を働いても観客が許してしまうぐらいに主人公が美形だったり人間的に魅力的だったら問題ないのだが、本作の主人公であるピーターにはそういった部分が欠落しているのだ。他のキャラクターたちも上部は善人風でも野心を秘めているような奴ばかりで所謂正直モノは皆無…オルマイヤー夫人は一応善人の設定なのだが、作品のイメージを変えるほどの好ましい人物とは言えない。

 主演の二人が全編で熱演しているので、物語の後半でピーターが改心するだろうと期待してしまったのがモヤモヤした原因…絶望的な結末が多めのジョセフ・コンラッド原作だという事をクライマックスに至るまですっかり忘れていた。

 ピーターは自分の行いについて後悔はしているが改心はしないし最後まで無法者のまま終わる。作品冒頭でピーターが解雇されるまでに、親しい友人や仲間と良い関係を築いている優しい無法者的な人物描写等や陽気なギャンブラーとしての姿や、愛想をつかす奥さんとビーターの夫婦仲を示す場面があったらもう少しピーターに感情移入出来たカモ。

 キャロル・リード監督が発掘したと言われている村長の娘アイーサを演じたフランス人女優ケリマの台詞がまったく無いのは物語の展開上不自然なので、聾唖者の設定なのかと思っていたら叫ぶ場面がワンシーンだけあったので違ったようだ…脚本には台詞がちゃんと合ったが英語がダメだったから喋らない設定にしたのではないかと妄想している。

 ピーターを慕って追いかけ回す村のカヌー少年はロケ地でスカウトしたようだが、何故慕うようになったかという描写が無いので作品に対する貢献度がイマイチ…村の若者ぐらいに設定年齢を上げて台詞も有りでピーターとの親密な関係を築く描写があれば良かったかと。

 映像的には、冒頭の港の場面はロケが中心でセットも雰囲気たっぷりで期待させてくれるし、スクリーン・プロセスやミニチュア合成を駆使した秘密の水路を進む場面はナカナカ楽しい。

 作品前半はシーンごとの描写不足が気になるものの密度の濃い演技合戦が続いてグイグイ引き込まれるのだが、ピーターがリンガード船長の船に乗ったあたりからなんとなく物足りない感じになり、舞台が漁村に移ってからはロケ地の制約の問題なのか単調で絵にならない画面ばかりが続き緊張感が削がれる…ロケ撮影とセット撮影の照明や画質が違いすぎるのも問題。クライマックスの舞台となるジャングルも描写不足で、どんな場所なのかがイマイチ掴みにくいので物語に対しての集中力が薄れてれてしまう…せっかくロケしているのに勿体無いよね。

 本作で一番面白かったのは、自然に振る舞うロケ地の住民を撮ったエキストラの映像を演出に上手く取り入れて編集している所で、セルゲイ・エイゼンシュテインがサイレント期の作品群で行ったモンタージュ論の実践みたいな感じになっていてニコニコしてしまった。

 

 

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