文化果つるところ(1951) | つぶやキネマ

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★注意!!! 作品の内容に触れています★

 

文化果つるところ(1951)

 

 シンガポール海峡にある島の貿易港にあるヒューディック商会で管理責任者をしていたピーター・ウィレムス(トレヴァー・ハワード)は、経理の不正が発覚したとして支配人のヒューディック(フレデリック・ファルク)から解雇を言い渡される。貿易商のトム・リンガード船長(ラルフ・リチャードソン)の貨物船が寄港する事を妻(ベティ・アン・デイヴィス)から知らされたピーターは恩人のリンガード船長を港で出迎える。ヒューディッグは事務所を訪れたリンガード船長に推薦されて雇ったピーターを詐欺の容疑で解雇したので連れて行けと告げる。ヒューディック商会を解雇された事を知って激怒した妻に家から追い出されたピーターは、酒場で彼を慕っているラムゼイ(ジェームズ・ケニー)や支配人のヴィンク(ウィルフリッド・ハイド=ホワイト)に金を無心するが断られ、船に戻るリンガード船長の跡を付け彼の目の前で海に飛び込む。狂言自殺である事を見破ったリンガード船長は、14年前にも困窮していたピーターを助けた事を懐古、今回の事を悔い改めるならもう一度助けるから一緒に来るように告げる。

 ピーターを乗せて出港したリンガード船長は、岩礁を抜ける水路と操船の方法を教えバタム島の海岸近くにある交易村に連れて行く。水上生活者たちが暮らすシンバと呼ばれる魚村でピーターはリンガード船長の貿易業務をしている義理の息子エルマー・オルマイヤー(ロバート・モーレイ)と夫人(ウェンディ・ヒラー)、孫娘のニーナ(アナベル・モーレイ)に紹介され、オルマイヤーの補佐役として働く事になる。村人たちによってリンガード船長の寄港を歓迎する宴が開かれている中、村人たちを仕切っているババラッチ(ジョージ・クールリス)が盲目の村長エル・バダヴィ(A・V・ブランブル)とその娘アイーサ(ケリマ)をつれて現れ、投網漁の障害になっている川底の岩を取り除くため火薬を譲って欲しいと迫る。リンガード船長は、彼らの真の目的は岩礁を破壊してアラビア商人アラガパン(ピーター・イリング)の交易船を通行可能にしジャングルに道路を通して交易の支配を狙っているのだと反論し、リンガード船長を欺こうとすればトラブルや不幸を招くと警告する。

 ピーターは翌朝、出航を控えたリンガード船長が船室を出た隙に秘密の水路が記された海図を複製する。オルマイヤーから補佐役は不要と言われたため暇を持て余していたピーターはボートで水上生活者たちの様子を見に出かけるが、宴の時に会った村長の娘アイーサに目を奪われる。そんなピーターにババラッチが声をかけ村長の家に案内し客として来ていたアラガパンを紹介、彼はシンガポールでのピーターの噂を聞いたし勇気と航海士としての能力のある男だと知っているので一度腕前を見せて欲しい、シンガポールから流れてきた者同士仲良くしようと語る。

 アイーサに対するピーターの様子に不安を感じていたオルマイヤー夫人は、夕食後のトランプで圧倒的な強さを見せたピーターに、ギャンブラーだと知っているがアイーサは父を支えて戦った兄弟たちより勇敢で無慈悲だったという噂だと警告する。オルマイヤーの誕生パーティの席でリンガードの帰りが遅れている理由を聞き鹿撃ちに行くから銃を貸して欲しいとせがむピーターにオルマイヤーは「お前はハンターじゃない、着飾って好きなゲームがしたいだけで、鹿よりもガゼルを追いかけたいのだろう、二本足の危険なガゼルを」と罵声を浴びせる。怒ってボートを漕ぎ出したピーターは水上生活者の家の柱の影にいるアイーサを見つけ物陰に誘い出すと抱擁を交わすのだった…というお話。

 

 1896年にジョセフ・コンラッドが発表した「文化果つるところ」を原作に、「邪魔者は殺せ(1947)」「落ちた偶像(1948)」「第三の男(1949)」という傑作を続けて発表したキャロル・リードが製作・監督した作品だが、期待していたのとはちょっと違う作品になっていてがっかりした記憶がある。密度の濃いドラマ部分は相変わらず素晴らしいのだが、せっかくのロケ撮影が制約があったのか上手く行っていないような場面も多く、特に水上生活者の村が舞台になった後半はスケール感に乏しい上にエピソードもぶつ切りな感じで、演出的にも見せ場がほとんど無く、名優達の演技もあまり印象に残らないのが残念なトコロ。クライマックスに至る過程も単調で、迎えた結末もなんとなく消化不良な感じ。原作通りなのかもしれないが、ピーターとリンガード船長の対決場面(罵り合いだが)はもっと大胆な脚色があっても良かったように思ってしまった(注1)。

 

 本作一番の問題は、基本的に自分の利益しか考えていない嫌なヤツしか出て来ないのでキャラクターや物語に感情移入し辛いのだよ。ヒロインであるハズの奔放な娘アイーサも、村長の娘として生まれチヤホヤされて育ったのか欲望のままに生きている感じで好感度がゼロなのも困ったもんなのだ…こういうタイプが好みな男性は確実に存在するのだが。ピーターを慕って追いかけ回す村のカヌー少年が頻繁に登場するので、後半でストーリーに深く絡んでくるかと思ったらガッカリさせられた…ピーターが破滅に向かう流れのきっかけを作る重要な役割が与えられてはいるんだけどね。オルマイヤーの幼い娘ニーナも出番や台詞も多い割にストーリーに上手く組み込めていなくて彼女の出演場面だけ作品から浮き上がってしまっていて、登場するたびにストーリーの流れが停滞している…子役特有の台詞回しも本作の作風には合っていない。

 一番気になったのはピーターを演じたトレバー・ハワードと恩人であるリンガード船長を演じたラルフ・リチャードソンの年齢差だった。撮影当時トレバー・ハワードは38歳だったのに対してラルフ・リチャードソンは47歳なのだが、トレバー・ハワードが実年齢より老けて見えるために9歳差なのだが同い年ぐらいに見える事だ。本作のストーリー的には未開のアジアで輸送船の船長として生き抜いて来たベテランと野心家で向こう見ずな遊び人の若者ぐらいが丁度良いのだが、その辺りの違和感が最後まで付き纏い、未開地の利権をめぐって中年同士が争っている感じに見えてしまう…恩を仇で返す形になったピーターの極悪人度も薄目だし。去って行くリンガード船長に向かって開き直ったように叫ぶピーターの哀れさは中々良かったし、駆け落ちして一緒にジャングルで生活していた村長の娘アイーサに完全に見放されたようなラスト・シーンはなかなか素敵だったんだけどねぇ(注2)。

 

●スタッフ

製作・監督:キャロル・リード

原作:ジョセフ・コンラッド

脚本:ウィリアム・フェアチャイルド

撮影:エドワード・スケイフ、ジョン・ウィルコックス

音楽:ブライアン・イースデイル

 

●キャスト

トレヴァー・ハワード、ラルフ・リチャードソン、

ロバート・モーレイ、ウェンディ・ヒラー、

ウィルフリッド・ハイド=ホワイト、ジョージ・カラリス、

ケリマ、アナベル・モーレイ、

フレデリック・ファルク、ジェームズ・ケニー、

A・V・ブランブル、ベティ・アン・デイヴィス、

ピーター・イリング

 

◎注1;

  ジョセフ・コンラッドの作品は多くの映画人を刺激するようで、オーソン・ウェルズが劇場映画デヴュー作として企画しながらも頓挫した「闇の奥(1899)」、「The Secret Agent(1907)」を原作としたアルフレッド・ヒッチコック監督「サボタージュ(1936)」、「ロード・ジム(1900)」はヴィクター・フレミング監督 が1925年に、リチャード・ブルックス監督「ロード・ジム(1965)」として、「The Duel(1908)」はリドリー・スコット監督が「デュエリスト/決闘者(1977)」として、「闇の奥(1899)」は舞台をベトナム戦争に変更してフランシス・フォード・コッポラ監督が「地獄の黙示録(1979)」として、ニコラス・ローグ監督が原作に比較的忠実なテレビ・ドラマ「真・地獄の黙示録(1993)」として発表しています。小説第一作の「オルメイヤーの阿房宮(1895)」は2011年にシャンタル・アケルマン監督によって映画化される等、テレビ・ドラマも含めると28作品が映像化されている。

 本作がイマイチ物足りないのは、登場人物の紹介をストーリーを先に進めるためだとは思うが色々省略してしまった脚本にあると思う…一応ストーリーが進むにつれて少しずつ人物像が浮き上がる仕掛けにはなっているのだが描写不足であまり上手く行っていない。冒頭に登場したそれなりに魅力的なキャラクターたちが中盤から全く登場しないのも勿体無い感じ。船に戻るリンガード船長をビーターが尾行する場面はナカナカ良かったのに、その後の狂言自殺の場面は無骨過ぎで盛り上がらないし説得力皆無。作品全体を通しても要所要所で描写不足が目立つ上に編集の工夫も足りない感じで、ストーリー展開のリズム感が削がれてしまう…ベテラン作曲家のブライアン・イースデイルの音楽も貢献度が低いんだよなぁ。

 

◎注2;

 極悪人が主人公の物語は別に珍しくないし、そういう役ばかり演じて大スターになった俳優さんも多いのだが、観客を物語に引き込むためには何かしら好ましい部分が必要になる。悪事を働いても観客が許してしまうぐらいに主人公が美形だったり人間的に魅力的だったら問題ないのだが、本作の主人公であるピーターにはそういった部分が欠落しているのだ。他のキャラクターたちも上部は善人風でも野心を秘めているような奴ばかりで所謂正直モノは皆無…オルマイヤー夫人は一応善人の設定なのだが、作品のイメージを変えるほどの好ましい人物とは言えない。

 主演の二人が全編で熱演しているので、物語の後半でピーターが改心するだろうと期待してしまったのがモヤモヤした原因…絶望的な結末が多めのジョセフ・コンラッド原作だという事をクライマックスに至るまですっかり忘れていた。

 ピーターは自分の行いについて後悔はしているが改心はしないし最後まで無法者のまま終わる。作品冒頭でピーターが解雇されるまでに、親しい友人や仲間と良い関係を築いている優しい無法者的な人物描写等や陽気なギャンブラーとしての姿や、愛想をつかす奥さんとビーターの夫婦仲を示す場面があったらもう少しピーターに感情移入出来たカモ。

 キャロル・リード監督が発掘したと言われている村長の娘アイーサを演じたフランス人女優ケリマの台詞がまったく無いのは物語の展開上不自然なので、聾唖者の設定なのかと思っていたら叫ぶ場面がワンシーンだけあったので違ったようだ…脚本には台詞がちゃんと合ったが英語がダメだったから喋らない設定にしたのではないかと妄想している。

 ピーターを慕って追いかけ回す村のカヌー少年はロケ地でスカウトしたようだが、何故慕うようになったかという描写が無いので作品に対する貢献度がイマイチ…村の若者ぐらいに設定年齢を上げて台詞も有りでピーターとの親密な関係を築く描写があれば良かったかと。

 映像的には、冒頭の港の場面はロケが中心でセットも雰囲気たっぷりで期待させてくれるし、スクリーン・プロセスやミニチュア合成を駆使した秘密の水路を進む場面はナカナカ楽しい。

 作品前半はシーンごとの描写不足が気になるものの密度の濃い演技合戦が続いてグイグイ引き込まれるのだが、ピーターがリンガード船長の船に乗ったあたりからなんとなく物足りない感じになり、舞台が漁村に移ってからはロケ地の制約の問題なのか単調で絵にならない画面ばかりが続き緊張感が削がれる…ロケ撮影とセット撮影の照明や画質が違いすぎるのも問題。クライマックスの舞台となるジャングルも描写不足で、どんな場所なのかがイマイチ掴みにくいので物語に対しての集中力が薄れてれてしまう…せっかくロケしているのに勿体無いよね。

 本作で一番面白かったのは、自然に振る舞うロケ地の住民を撮ったエキストラの映像を演出に上手く取り入れて編集している所で、セルゲイ・エイゼンシュテインがサイレント期の作品群で行ったモンタージュ論の実践みたいな感じになっていてニコニコしてしまった。

 

 

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