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平和の礎 「史跡散歩道」

スポーツクラブ仲間の今年のお花見は、先日の千葉市を美しくする会主催の健康ウォークを

真似て、千葉市の平和の礎 「史跡散歩道」を巡りながら最終地点の千葉公園で楽しむこととなった。


曇り空の3月31日(土)千葉市発行の「史跡散歩道」ガイドマップを片手に、参加者8名で巡った

約5.8kmの行程は次の通りである。

 JR西千葉駅・西千葉稲荷大明神→来迎寺→大日寺→なわしばり塔→作草部公園・平和の礎→

 川光倉庫(旧気球聯隊格納庫)→千葉医療センター(旧陸軍病院)→鉄道大隊記念碑→

 千葉公園→JR千葉駅


寺社



来迎寺        大日寺

来迎寺の五輪塔                        大日寺千葉家累代の墓


来迎寺は1276年千葉貞胤により建立され、境内には千葉氏胤以下7基の追善供養塔(五輪塔)がある。

大日寺は1254年の創建とされ、千葉常胤以下十六代の墓と伝えられている五輪塔がある。

五輪塔の各部の名称は、上から空輪、風輪、三段目の屋根状のものを火輪、四段目を水輪、

五段目を地輪と呼ぶという。

立派な扁額を見ていたNさん、それが高雄の牛乳大王から贈られたものだと見てとり、かつて大手の

乳製品のメーカーに勤務していたMeguさんを、これから「真砂牛乳大王」と命名すると言ったのには

皆大いに笑った。


千葉公園の高台にある護国神社横の広場には、忠霊塔をはじめ遠く戦地で散った戦友への鎮魂の

石碑がいくつも見られた。幸運にも帰国できた人々の気持が伝わってくる。


民間信仰


JR西千葉駅前の松山の一角に西千葉稲荷大明神の小さな鳥居と祠があった。

ここは、江戸時代の佐倉藩の刑場跡といわれている。

モノレール作草部駅近くに、なわしばり塔と呼ぶ道標が保存されていた。

風邪をひいた時、塔を縄で縛り祈願すると平癒し、治ったら縄をといてお礼をするのだという。


戦争遺跡



川光倉庫        鉄道大隊記念碑

川光倉庫(旧気球聯隊格納庫)               鉄道大隊記念碑


軍靴の音の響きから名付けられたという轟町をはじめ、この度訪れた松波・作草部・椿森・弁天地区は

かつて、軍隊の町といわれるほど軍事施設が存在していたという。


JR西千葉駅近くの東京大学生産技術研究所千葉実験場の前身は、東京帝国大学第二工学部で、

日華事変以後軍需産業の拡充に伴い高級技術者大量養成の目的で、昭和17年4月に開設された

ものだという。

平和の礎記念碑は陸軍歩兵学校跡の作草部公園にあった。

また、公園のすぐ近くに旧気球聯隊格納庫だった川光倉庫はあった。

ここで巨大な飛行船が作られていたという。

旧陸軍衛戍病院だった千葉医療センターは捜しあてたが、鉄道大隊記念碑は椿森公園の近くとあるが、

なかなか見つからない。昼近くなり腹をすかして飯、飯と訴えるひと(女)が出る始末である。

さながらオリエンテーリングのようにやっと見つけたが、この椿森・作草部一帯には、かつて鉄道第一聯隊

があったという。

そこからすぐの所に、昼食予定の千葉公園はあった。

公園内には鉄道第一聯隊の演習作業場であったところから、架橋演習用の橋脚が残っていた。


お花見


史跡散歩道では随所に満開のソメイヨシノに出会うことができた。

千葉公園では綿打池の枝垂れ桜の下で和気あいあいと昼食を取ったが、お花見広場の一角にある

ムスカリがやけに少ない?昨年青紫の絨毯のような群生に感動したものだが、どうやら不心得者により

持ち去られたようである。

皆をあっと驚かそうと思っていただけに、大変残念だった。

しめは美浜温泉でリフレッシュ。お疲れ様でした!!









 

オルセー美術館展

3月30日(金)、友人情報により開室の9時をめざして上野駅に降り立つと、雨が激しく降っていた。

それでも東京美術館にはぞくぞくと人が集まって来た。


昨年フランスを旅行した折、ルーブル美術館は訪れたがオルセー美術館は、セーヌ河クルーズで

外観を見ただけだった。

オルセーはかつては駅舎で、展示作品はルーブル以降のもので、なじみの深い印象派の作品が

人気だと聞いた。

そのオルセー美術館展が東京で見られるというので、いそいそと出掛けたのである。



オルセー美術館展


美術鑑賞にはうといので、前もって友人から提供の日本経済新聞の特集記事を読んだり、

NHKテレビ番組の迷宮美術館を見て、展示作品のいわれや背景などを頭に入れておいた。

また、会場では音声ガイドを利用することにした。

これらの準備は、展示作品を巡る中で大いに役立った。


展覧会のテーマは「19世紀芸術家たちの楽園」だという。

いきなりルノアールのジュリー・マネ(猫を抱く子供)やモリゾのゆりかごに出会う。

思ったより小さな絵だ。次はミレーのグレヴィルの教会だ。モデルの教会はノルマンディー地方にある

という。モンサンミッシェルのあった方だな等と思いながら鑑賞する。

続いて大きな絵のモネのルーアン大聖堂に出くわした。

独特な色調で、離れて見ると大変綺麗である。


「はるか彼方へ」のコーナーでは、ゴーガンの黄色いキリストのある自画像やゴッホのアルルのゴッホの

寝室やアルルのダンスホールを見る。

ゴッホの絵は、明るくはっきりしている。南仏アルルは旅行の際訪れて、「跳ね橋」や「夜のカフェ」の場所へ

行ったので何となくなじむ思いがした。

同じく南仏エクス・アン・プロバンスで車窓から見たサント・ヴィクトワール山を描いたセザンヌの絵を見る。

横長の白っぽい山(石灰質)だったのに、絵は明るい色調で実物とは少し違うなと思った。


次のコーナー「芸術家の生活ーアトリエ・モデル・友人」では、印象派の画家たちの肖像を見ることが出来る。

バジールやラトゥールのアトリエの絵の中に勢ぞろいである。

それから、入場券にも印刷されているマネのすみれのブーケをつけたベルト・モリゾを見る。

インパクトのある絵だ。マネは印象派の先駆者だという。


見終わって時計を見たら、11時を指していた。

何かと文句の多い妻も、地名になじみがあったり、事前準備のせいか「良かった」と言った。

外へ出たら雨は上がり、春の陽気が戻っていた。



東京桜名所めぐり

上野の東京美術館でオルセー美術館展を見終わり、外へ出たら雨はすっかり上がり、

お花見陽気になっていた。

気象庁の訂正開花予報日から一週間後の今日(3月30日)、上野公園は満開である。

桜並木は人であふれている。外国人も多く見られ、特に中国ご一行様が一際目立つ。

桜は申し分ないのだが、夜の宴会用のダストボックスやブルーシートが、木の下を占拠して

趣半減である。


九段下から靖国神社へ向かう。千代田さくら祭りとかで、沿道には露店が並び、人、人の波である。

神社と桜の組み合わせの妙もかき消してしまう程の人込みである。



上野公園        靖国神社

上野公園                             靖国神社


靖国神社から千鳥ヶ淵緑道へ。

相変わらず人の波であるが、散策路は一方通行になっていたので歩きやすく、お堀端の桜の競演を

堪能することが出来た。

友人のGさんから、千鳥ヶ淵は一度は行った方がよい、と勧められてやって来たが納得の美しさで、

来年は「ちよだ花の道マップ」の千鳥ヶ淵ルートを早朝に訪れてみたいと思った。



千鳥ヶ淵        千鳥ヶ淵



千鳥ヶ淵        千鳥ヶ淵








「市中心部の昔の海辺を歩く」健康ウォーク (2)

経塚さまから国道357号を渡り出洲港(でずみなと)へ。

左に都川の河口、前方には旧川崎製鉄跡地のフェスティバルウォークが見える。

この辺りは江戸時代寒川港と呼ばれ佐倉藩の御用港として、江戸向けの五大力船が発着

していたという。千葉港のルーツだとの説明があった。


それから千葉港(ちばみなと)へ向かい、みなと公園で昼食を取る。

この辺りは出洲海岸といわれ埋立前は、延々と砂浜の広がる遠浅の海岸だったという。

出洲海岸埋立造成事業記念碑や鵜の像が、昔の海とくらしを伝えている。



道祖神社        五大力船の碑

道祖神社                             五大力船の碑


再び国道357号を渡り、道祖神社(新田町)へ。

やたら大きな道祖神社だと思ったら、ルーツは境内の庚申塔(道しるべと神様をお祭りした石板)で、

寒川神社の修理の際の仮社殿を譲り受けたものだと言い、神様は猿田彦命(いわゆるてんぐ様)で

交通安全の神様だという。

ここでは氏子の皆さんから歓迎のお神酒を頂いた。


新田町から登戸町へ。

ウォーク資料の登戸河岸構造図には、かつての横みよ、大みよ、穴川みよといった人工的な船道が

記載されている。登戸は江戸時代から明治にかけて房総の流通拠点として、海運業や問屋業等が

栄えた江戸湾の有数の港町で、登戸港は民間の物資や旅客を五大力船(大型帆船)で運送する

特権を許されていたという。その五大力船の碑が登戸一丁目公園内にあった。

また、近くには「千葉新地」といわれた遊郭があったとのことだが、今はその繁昌ぶりを感じることは

出来ない。



登渡神社        登渡神社

登渡神社参道                          本殿 小壁はめ板彫刻


登渡神社(通称登戸神社)は高台にあり、松の木に囲まれた参道や広い境内には拝殿の奥に本殿

を有する。裏手に回ると登戸河岸の常夜燈の石柱がひっそりと立っていた。

昔の灯台の名残りだろう。

本殿の四周のなげし上の小壁板にはめこまれた十二支等の諸彫刻は、信州諏訪の名工立川和四郎

によるものだといい、実に見事である。


今回の健康ウォークは参加者59名で高齢の方が多かったが、千葉市中央交通安全協会や千葉市を

美しくする会の美しい健康部会の方々の誘導で、安全に市中心部の昔の海辺を歩くことが出来た。

また、講師は市民フォトちばで「市内の碑めぐり」を執筆されている西川明先生で、その解説は分かり

やすく、健康ウォークをより充実したものにしてくれた。

皆様に深く感謝する次第である。





「市中心部の昔の海辺を歩く」健康ウォーク (1)

3月24日(土)、千葉市を美しくする会主催の健康ウォーク「市中心部の昔の海辺を歩く」に参加した。

神社や史跡石碑を巡りながら、千葉市中心部の昔の海辺の歴史や移ろい、人々の信仰心等を知る

ことが出来て、大変有意義だった。


JR本千葉駅を出発し、先ず君待橋跡碑(港町)を見学してから新君待橋の架かる都川べりを歩く。

釣具店や船宿があり、海が近いことが想像される。

少し歩くと寒川神社(寒川町)に着いた。寒川神社は海の神様で、昔沖合いを通る船舶は下帆の礼を

とったといわれる。かつて例祭で行われていた神事「お浜下り」では、8月20日の深夜に海岸の大鳥居

から立ち並ぶ提灯に照らされながら御輿が海上を渡御したという。

港町に戻って厳島神社へ。ここは弁天様を祀っており、社殿の裏には「お穴」と称する洞窟、樹木、

池、滝(ご霊泉)等弁天様の使者である蛇の棲息しやすい環境の神域がある。



寒川神社        厳島神社

寒川神社                             厳島神社 社殿裏「お穴」


それから神明町の神明神社へ。かつての地名にちなんで結城の神明様といわれる。

見所は、樹齢八百数十年という大イチョウの乳柱と水夫の力だめしの「さし石」等だろう。

隣の新宿町に出て白幡神社へ。昔結城稲荷といったが、源頼朝がこの地を通過する時、稲荷神社の

境内に白旗を建てて戦勝を祈願したことから白幡大明神と改め、源氏の守護神である誉田別命を

祀ったという。



神明神社        白幡神社

神明神社 大イチョウの乳柱                 白幡神社


続いて白幡神社のすぐ近く神明町側にある経塚さまへ。

ここで経塚さまに詳しい地元の方から説明があり、三つの自慢が紹介された。

法華経一字一石塚、馬頭観音、大師さまである。



一経一石塚        馬頭観音

法華経一字一石塚(一経一石塚)             馬頭観音


法華経一字一石塚は寛政十一年土地の有志により建てられ、法華経一巻を埋めて海難者の慰霊と

海上安全、浦辺繁栄を祈願したと刻まれているという。

大師さまは小さな祠で、千葉寺十善講の八十八寺巡りの番外としての大師堂だという。










早春の館山 その2

館山野鳥の森


館山野鳥の森        館山野鳥の森

平砂浦展望台からの眺望                  メタセコイヤと西沢の池


平砂浦海岸を望むウォーキングコースで森林浴としゃれた。

道端にはスミレ、木にはキブシが鈴なりに見られ、ウグイスが鳴く実にのどかな早春の森だった。


安房神社


安房神社        安房神社

本宮(上の宮)                          摂社・下の宮


安房神社の創始は神武天皇の勅命を受けた天富命が肥沃な土地を求め、四国阿波徳島の忌部一族を

率いて海路黒潮に乗り房総布良ヶ崎に上陸し、この地の一際高い山に忌部氏の祖神である天太玉命を

奉斎されたのが始まりという。

 上の宮 : 日本産業総祖神 天太玉命(あめのふとだまのみこと)を祀る。

 下の宮 : 房総開拓の神  天富命(あめのとみのみこと・天太玉命の孫神)を祀る。


昼食は安房神社のすぐ近くにある「地魚料理あさみ」へ案内した。   

こじんまりした店だが、安くてボリュームがあり美味しいので皆に喜んで貰えた。


那古寺


那古寺        那古寺

多宝堂                              左から阿弥陀堂~仁王門~鐘桜堂


那古寺は奈良時代の717年に僧行基が創建したと伝えられる。

鎌倉武士ゆかりの巡礼道・坂東三十三観音霊場の第33番札所(結願寺)でもある。

那古寺本坊に車を止め、坂道を少し登ると那古山中腹の境内に仁王門~鐘桜堂~阿弥陀堂~多宝堂

~観音堂(本堂)が広がる。

観音堂が修理中の為、やや趣に欠けるが江戸中期(1761年)建立といわれる多宝堂は見事で、

歴史の重みを感じさせる。


旅の終わりは、東京湾フェリーの発着場浜金谷のザ・フィッシュで買物である。

私はいつも決まっている。黒糖まんじゅうである。

この日は特別あじのひらきも買った。あじの干物が釣れたという訳である。




       




              




 





早春の館山 その1

3月17日(土)スポーツクラブのつり仲間と館山へ釣行したのだが、あいにく館山は時々小雨が降る

厳しい寒さで、つりは断念せざるを得なかった。

翌朝明るい光に窓を開けると晴れ!! しかし、強風が吹きまくっている。

またまた、つりはあきらめである。


観光に切り替えて、私が仲間を案内した行程は次の通りである。

3月17日(土)

 館山いちご狩りセンター→堤防偵察→千葉市の保養施設・臨海荘

3月18日(日)

 臨海荘→房総フラワーライン→砂山→館山野鳥の森→安房神社→古代珊瑚の泉小屋→那古寺


波左間海岸早朝散歩



波左間海岸        ハマダイコン

波左間海岸                           ハマダイコン


普段は波静かな海岸も白波が立ち、大荒れである。

道端で可憐な花が気を引いた。帰宅して調べたらハマダイコンだと分かった。

臨海荘は老朽化と来客の減少により、3月一杯で休止との事。

一泊二食付きで2700円で利用でき、海のレジャーに打って付けの施設なので、残念でならない。

いつもは土産に自家製の野菜を貰えるのだが、この日は花畑で花摘みだという。

ポピーを10本、キンセンカを5本摘み取り持ち帰った。

毎日蕾が開くのを楽しみに眺めている。何とも綺麗な春のお土産である。


房総フラワーライン



伊戸の磯

伊戸の磯


東京湾入口の標、洲崎灯台へ進むとどでかい富士山が現れた。

道路沿いの畑にはポピー、ストック、キンセンカ、菜の花が咲き乱れ、花海街道の名の通り

目を楽しませてくれた。

海の駅だいぼ前で一休み。ここは大島が真近に見える伊戸の磯である。


砂山



砂山        砂山

砂山                                砂山(海側)


約300年前の江戸中期の大地震で、平砂浦海岸が大きく隆起して一面は広大な砂浜になったという。

その大量の砂が強い海風に吹き上げられて山を覆ったという。

即ち、砂山は大地震の遺物という訳である。

我々は海側から登ったが、山側は急斜面の絶壁である。

かつて、サンドスキーやハンググライダーの発着地として、賑わったこともあるのはうなずける。






 

茶室海星庵

私の散策路の稲毛海浜公園(千葉市)には回遊式の日本庭園もある。

その中に海星庵はあり、いつか中をのぞいて見たいと思っていたところ、

市政だよりに、茶室「海星庵」公開とお茶の接待という記事が載った。

早速スポーツクラブ仲間を誘って行ってみた。



海星庵        茶室

海星庵全景                           茶室


先ず、我等一同8人掛の立礼席(りゅうれいせき)に座る。

うやうやしくおじぎをして、お茶とお菓子を運んで来た女性を見て、アット驚いた。

以前コミュニティーセンターの料理教室に参加した時のヘルスメイトさんだ。

美人で、拉致担当の中山首相補佐官ばりの物言いで、やさしく教えて頂いたのでよく覚えている。


次は茶室の見学である。説明の名札が置いてあるので、それを読みながら進んだ。

寄付き、つくばい、貴人口、にじり口、露地等と記されている。

貴人口やにじり口からのぞいた茶室は4畳半で、天井も独特な作りだ。

天井の小窓からは、必要最小限の光を採るという光の演出を見て取ることが出来る。


機会あれば、再度この茶室独自の様式をじっくり見たいものだと思った。


海星庵を出てから、皆さんを花の美術館裏庭にある満開のミモザの木へ案内した。

殆どの人が初めて見たという。

「正式名はギンヨウ(銀葉)アカシア」

「花の咲く様は、ゆで卵の黄身を散らしたよう」とか

「ゆで卵の黄身を細かくして生野菜に散らすと、ミモザの花のようなことからミモザサラダという」等と

仕入れたばかりの知識を自然観察指導員気取りでしゃべりまくった。


潮干狩りに行きたくなるような暖かい3月4日(日)のことである。







沈丁花とミモザ

沈丁花 (ジンチョウゲ)



ジンチョウゲ        ジンチョウゲ


沈丁花に出会うと、大学の春休みに丹沢の麓にある秦野市の友人宅に遊びに行った時を思い出します。

友人の家はタバコの栽培農家で、家はとても大きくて広い部屋がいくつもありました。

大歓迎の宴会の翌朝、大広間でテレビを見たら、沈丁花の香りが云々と芥川也寸志(故人)さんが、

話していました。

当時は、花には全く興味がありませんでしたが、それ以来沈丁花は、私に秦野の友人~春休みを

連想させるようになりました。


市民フォトちばの自然スケッチ担当の篠崎先生によれば、沈丁花は遠くまで漂う芳香から七里香

(しちりこう)の名もあり、チンチョウゲの呼び名は誤りだという。


においをかぎながら観察したら、蕾の紅と花の白が混在していて、「めでたい香り」とのタイトルが
納得できました。


ミモザ (ギンヨウアカシア)



ミモザ        ミモザ


稲毛海浜公園(千葉市)は私の散歩道ですが、その中にある花の美術館裏庭の黄色い花木が、

ずっと気に掛かっていました。

訪れる度に蕾が開いて行きます。

ある日、ハット気付きました。

昨年フランスへ旅行した時、ニースで見た花木に似ていると。


家に戻り、花の美術館の野村和子先生の四季の花だよりを開いたところ、やはり思った通り、

その木はミモザでした。

正式名はギンヨウ(銀葉)アカシアといい、花の咲く様は「ゆで卵の黄身を散らしたよう」とありました。





春色急ぎ足


紅梅        河津桜

稲毛海浜公園の紅梅                     稲毛海岸駅前の河津桜


私の散策路で一番早く咲く花木は、稲毛海浜公園に1本だけある紅梅である。

暖冬の影響か、昨年はまだ咲いていなかった時期の1月27日には早くも6~7分咲きになっていた。

先日産経新聞の「美しい言葉」の中で、梅の呼び名に「花の兄(はなのえ)」というのがあるのを知った。

梅には寒中に花開く精悍さがあるが故のようである。

海浜公園の梅は花の兄にふさわしく思え、「春の訪れを知る梅の花」として、毎年出会うのを楽しみに

している。


urugi さんのブログで紹介されている河津桜とメジロの写真に触発されて、稲毛海岸駅前の

マリンピア広場へ行ってみた。

濃いピンク色の河津桜が、昨年より1ヶ月位早く満開になっていた。

もっとも昨年は例年より大分遅れた状況だったが・・・・・。

河津桜には断続的にメジロの群れがやって来て、せわしなく蜜を吸い飛び廻っている。

何とかurugi さんのような写真を撮ろうと頑張ったが、上手くいかずカメラが悪いと諦めた。



菜の花        アンズ

千葉市花の美術館の菜の花                 千葉市美浜区高州のアンズ


もう一方の春の色と言えば菜の花がある。

マリンピア広場から足を伸ばして、千葉市花の美術館へ行ってみた。

菜の花は満開で、鼻を近づけると子供の頃の田舎の田んぼ道のにおいがした。

菜の花は千葉県の花とか。


暖冬の話の中で、スポーツクラブ仲間のGさんが「家の近くのアンズがもう咲いたよ」と言う。

春が近づくと、旅行雑誌に信州のアンズの里が紹介されるが、私は見たことがない。

これは行かなきゃと、教えられた場所に行ったつもりなのだが、梅の木ばかりである。

せっかくなので、Gさん宅のベルを押したら案内してくれるという。


アンズは桜に似た淡いピンクの花を咲かせていた。

名札が掛かっているのでアンズなのだろうが、梅にそっくりである。

写真を撮りながら梅との違いを観察したが、梅は木肌がゴツゴツしている位しか分からず、

結局果実を食べてみなければ、区別は出来そうにないと思った。


Gさんは土産に「名水高州」を持って来てくれた。

妻はコーヒーを飲むと違いが分かり、美味しいと言った。

高州は元は海なので、井戸水はミネラルたっぷりなのだろう。


尚、タイトルの[春色急ぎ足」は、産経新聞の静岡県河津町の河津桜紹介記事のタイトルを

使わせてもらいました。