「市中心部の昔の海辺を歩く」健康ウォーク (2)
経塚さまから国道357号を渡り出洲港(でずみなと)へ。
左に都川の河口、前方には旧川崎製鉄跡地のフェスティバルウォークが見える。
この辺りは江戸時代寒川港と呼ばれ佐倉藩の御用港として、江戸向けの五大力船が発着
していたという。千葉港のルーツだとの説明があった。
それから千葉港(ちばみなと)へ向かい、みなと公園で昼食を取る。
この辺りは出洲海岸といわれ埋立前は、延々と砂浜の広がる遠浅の海岸だったという。
出洲海岸埋立造成事業記念碑や鵜の像が、昔の海とくらしを伝えている。
道祖神社 五大力船の碑
再び国道357号を渡り、道祖神社(新田町)へ。
やたら大きな道祖神社だと思ったら、ルーツは境内の庚申塔(道しるべと神様をお祭りした石板)で、
寒川神社の修理の際の仮社殿を譲り受けたものだと言い、神様は猿田彦命(いわゆるてんぐ様)で
交通安全の神様だという。
ここでは氏子の皆さんから歓迎のお神酒を頂いた。
新田町から登戸町へ。
ウォーク資料の登戸河岸構造図には、かつての横みよ、大みよ、穴川みよといった人工的な船道が
記載されている。登戸は江戸時代から明治にかけて房総の流通拠点として、海運業や問屋業等が
栄えた江戸湾の有数の港町で、登戸港は民間の物資や旅客を五大力船(大型帆船)で運送する
特権を許されていたという。その五大力船の碑が登戸一丁目公園内にあった。
また、近くには「千葉新地」といわれた遊郭があったとのことだが、今はその繁昌ぶりを感じることは
出来ない。
登渡神社参道 本殿 小壁はめ板彫刻
登渡神社(通称登戸神社)は高台にあり、松の木に囲まれた参道や広い境内には拝殿の奥に本殿
を有する。裏手に回ると登戸河岸の常夜燈の石柱がひっそりと立っていた。
昔の灯台の名残りだろう。
本殿の四周のなげし上の小壁板にはめこまれた十二支等の諸彫刻は、信州諏訪の名工立川和四郎
によるものだといい、実に見事である。
今回の健康ウォークは参加者59名で高齢の方が多かったが、千葉市中央交通安全協会や千葉市を
美しくする会の美しい健康部会の方々の誘導で、安全に市中心部の昔の海辺を歩くことが出来た。
また、講師は市民フォトちばで「市内の碑めぐり」を執筆されている西川明先生で、その解説は分かり
やすく、健康ウォークをより充実したものにしてくれた。
皆様に深く感謝する次第である。



