私はいつも自分の存在価値を気にして生きてきたような気がする。


親にも大切にして貰えず、自分の居場所もなく、自分の存在や自分の居場所を求めていたのかもしれない。


誰かに頼りにされたり、誰かの面倒をみたり、そこに自分の存在価値を置いているような気がする。


今思うことは、そんな事は無意味に過ぎない。


依存にも繋がっているような気がする。


ACは依存をする!とよく聞くが、そういう所もACのせいなのかもしれない。


間違った依存!


私は人に依存するのも、依存されるのも嫌いだ!


でも、そんな事を言っている自分が1番依存しているのかもしれない。


依存をすれば、失う事が怖くなる。


どこかに依存をしていなければ、安心できないのかもしれない。


依存。。。


1番嫌な事なのに、依存が付きまとう。。


本当に生きづらいな。。。。


自分が依存をして嫌われるのが怖い。


依存をされて、失うのが怖い。


だから、依存もしないフリ、依存をされる事を避ける。


本当に意味不明である。。。


支離滅裂な自分が嫌になってしまう。


今までの私は、子供の頃から問題が起きると見ないフリをしたり、空想の世界に逃げ込んで、時間が過ぎるのを、ただただジッと待っていた。


今でもこの傾向はある。


問題を直視出来ないのである。


なんとなく結果は見えている、いつも。


答えは出ているのに、気がつかないフリをしているのだ!


でも、こんな自分を変えなくては、


前に進むために、こんな自分を変えなくてはいけない。。。。

昨日母にあった。。。


毎回見るたびに、老いを感じる。。。


母は幸せだったのだろうか?


私を産んだのは、きっと実の父を引き止めたい為だったのだろう。


母に


「どうしてパパ(実父)と結婚しなかったの?」


と、娘がお腹にいるときに、聞いてみた。この時私は27歳だった。


母は


「だって向こうは結婚してたから・・・」


初めてこの時、私は不倫の子だと知った。


とてもショックだった。。。。


籍は入れてなかったのは知っていた。深くも考えなかった私も悪いんだけど。。。。


最近深く考えてみた。


母の性格だったら、きっと見込みがなかったら堕胎をしてただろう。


でも私を産んだ、産んでくれた。。


母も実父も同じ事を言う


「赤ん坊の頃のお前は可愛かった」


そのときが、母は幸せだったのだろう。。。。


でも、実父は母を選ばなかった。


だから別れて、今の父と結婚をした。


母は今でも実父を物凄く憎んでいる。


実父に似ている私も憎かったのだろう。。。。


結婚しても、思うように行かずに、私に当たるしかなかったのかもしれない。。。


今も実父を憎み、老いていく母親、見てて不憫にさえ見える。


もっと楽に生きれば良かったのに・・・・・。


口から出る言葉は、不平不満ばかり、眉間にシワをよせて・・・・・。


私も自分がACだと気がつかなかったら、一生憎しみを抱えて生きて行ったのかもしれない。


母のように、眉間にシワを寄せて・・・・・。


憎しみを抱えて生きていくなんて、なんてつまらない人生なんだろう。。。


私は気づく事が出来た。それだけでも幸せなのかもしれない。


アダルトチルドレンと気がつけた事が、アダルトチルドレンにとっての幸せの1歩なのかもしれない。


その後自分が乗り越える山を一つづつ越えるたびに、幸せへ前進できるのかもしれない。


気づけた事に感謝をしよう。。。。

アダルトチルドレンは、連鎖をするそうです。。


私の親もアダルトチルドレン・・・。


私の母親は、あまり自分の事を教えてはくれません。


弟にはいろいろ話をしているようですが、いつも私は弟から聞かされます。


連鎖・・・。


嫌な言葉です。


私は、自分と同じ思いだけは子供にさせたくない!


子供の頃からそう思っていました。娘が生まれ、尚更そう思う気持ちが強くなりました。


だから怖いんです。子育てが・・・・。


いつも「これでいいのかな?」「これで大丈夫かな?」


不安でした。。


子供に私が親に思ったように思われたらどうしよう。。。


子供を叱るとその後物凄く自己嫌悪になります。


このままエスカレートしてしまうのかな?って思ってしまう。


ある本に書いてありました。



「子供は親を選んで生まれてくる!もちろんその後の人生も全部承知で!」



 私はその本を読んだ時、


 「自分でこの親を選んだんだ!自分で自分の人生を選んだんだ~!」 

 

 そう思いました。


 それと同時に、


「娘は私を選んで、私の所に来てくれた!責任を持って育てなければ!」

 

 そう思いました。


 今でも不安です。自分の子育ては間違っているんではないのかな?って。


 でも、今自分が出来る事を精一杯してあげたいです。


 アダルトチルドレンを克服しようと思っていて、私が思った言葉です。


 

 過去は変えられない。


 

 過去の思いは変えられる。


 

 過去の思いが変われば、今の自分が変わる。


 

 今の自分が変われば、未来が変わる。


 

 未来の為に、過去の思いを変えよう。。。


 

 自分がACで悩んでいる方、過去は変えられなくても、過去への思いは変えられます。   


 乗り越えましょう。。。   


 自分の人生、生きづらいままでは勿体無いです。   


 乗り越えられたら、今までより楽になります。。   


 私ももっと楽になりたい、生きやすく生きたいです。。   


 連鎖を止めましょう。自分達で終わりにしましょう。。。。

私はずっと本当の愛を求めていたのかもしれない・・。


その反面、本当の愛なんてこの世に存在しないとも思っていた。


親から貰えなかった愛情を、いつしか異性に求め、


でも、本当の愛かどうかもわからず、いつも不安で・・・。


そして、この愛がなくなってしまうことに恐怖心がありました。


愛がどんなものかもわかっていなかった・・・。


正直今もわかっていないかもしれない。


子供を産んで、本当の愛おしさを知りました。


同時に親の愛情が本当になかった事も、知りました。


愛を貰わないで育った人間は、上手に人を愛したり、愛されるのがヘタなのかもしれない。


だって、自分を愛していないから。


今も自分を愛する事は出来ていないと思う。


どうすればいいのかもよくわからない・・・。


でも愛は求めている。。


本当の愛を知る事は出来るのだろうか・・・・。


愛を上手にあげられる人間になりたい・・・・。


そして、自分を愛したい・・・。

 私は今まで、「諦め」ていました。

 

 私の諦めは、「諦め=逃げる」でした。

 

 子供の頃から、諦めてばかりいて、諦めた方が自分が楽で、傷つかなくて・・・。

 

 いつの間にか、それが普通になっていて、今度は恐怖心から、最初から諦めてしまうようになっていました。

 

 人に何かを投げかけても、最初から諦めているので、自分が思った答えが出なくても、あまり傷つきません。

 

 期待をしないんですね。誰に対しても・・・。

 

 期待をして、裏切られるのが怖いんです。

 

 子供の頃、何度も伸ばした手を、親に振り払われて、それでも諦めずに手を伸ばしたけど、結局握ってはもらえなかった。

 

   

 正直怖いです。

 

 振り払われるのが・・・。


 見捨てられる事が怖いんです。


 好きな人には、男女問わず無理をしててでも合わせます。


 嫌われたり、怒られたりするのが怖くて、無理ばかりしています。


 だから新たな出会いが怖い・・・・。


 自分が疲れるだけだと思っているから・・・。

 

 信じれば裏切られると思っているので、人を信用しない。


 期待すれば期待を裏切られるので、人に期待をしない。


 もし、人に裏切られても「信じた私が悪いんだ!」と、心の中で処理をしてしまう。


 悪い事はすべて自分のせいにして、自分で納得させてしまう・・・。


 ある意味楽だったんです。そう考えて生きていく方が・・・。


 見たくないものは見ない、聞きたくない事はすぐに忘れる、言いたくないから黙っている。


 自分の人生がつまらないし、向上心の欠片もない人生でした。


 今ACだと気がつき、本当は私が悪いわけではないと思い感じて、前向きな気持ちも出てきました。


 すぐに死にたくなる事もありません。


 今の私は涙の止め方も知っています。子供の頃の私よりは少し成長はしているはず。

 

 成長をしていなければ、成長させればいいだけです。

 

 すべて胸で受け止め、一人で泣くのを止めて、少しづつ人に歩み寄ってみようと思います。

 

 私は忘れていました。

 

 働き出して、いろんな人に出会い。

 

 親に教えてもらえなかった優しさを教えてもらった事を・・。

 

 今私があるのは、どうしようもなかったあの頃、見守ってくれた大人達がいたことを・・。

 

 それだけでも私は幸せ者だという事を・・・。

 

 最近気がつかされる事がいっぱいあります。

 

 すべての事は無駄ではない。

 

 私に降りかかる事は、すべて意味がある。そう気づかせてもらいました。

 

 ただ、これはまだまだ私にとっての幕開けです。

 

 これから、もっと悩み苦しむと思います。

 

 泣き言いっぱい言うと思います。

 

 でも一人じゃないことを忘れずに、ゆっくり行こうと思います。



 虐待は絶対許せない事です。

 

 虐待を受けて育った私は、今も苦しいです。


 


 「虐待が新たな虐待を産む」



 こんな言葉を目にすると、自分もいずれ娘を虐待してしまうのではないのか?と、強迫観念が襲ってきます。


 私だって娘を叱ったり、手を上げてしまったりした事があります。


 でもその度に、自分を責めています。


 このままエスカレートしてしまうのではないのか?と心配になります。


 私の母親は、私にとって反面教師です。


 自分がしてもらいたかった事を、娘にしています。


 毎日今でも最低1日1回は、娘を抱きしめます。


 叱った後は特に抱きしめます。


 それが正しいのかは、わかりません。。


 そして娘をたくさん褒めて頭を撫でます。


 私が両親にしてもらえなかった事を、娘を通してして、自分の中の女の子にもしているような気がしています。


 頭を撫でて褒めた時の娘の顔は、満面の笑みをしています。そんな娘を見ていると、私も幸せな気持ちになります。



 私はましな方かもしれません。

 

 今ACだと気がつき、乗り越えようと思えるから・・・。

 

 それに生きています。娘も授かりました。

 

 世の中には、未だにACだと気がつかず、苦しい生きづらい思いをしながら、生きている人もたくさんいると思います。

 

 自分の過去を認めることが出来ずに、自分を責めて生きている人たちがたくさんいると思います。

 

 私は今気づけてます。

 

 だいぶ楽にもなってきています。

 

 その事に感謝をしたいと思っています。

 

 自分の経験を生かしたいと思っています。この経験を無駄に思いたくないです。

 

 まだまだ時間はかかると思いますけど、少しづつゆっくり歩いていきます。。。

 

 

 私の今の父親は、義理の父です。

 

 弟は、今の父親の子供です。私とは父親違いの弟になります。

 

 父は、とても優しい人です。

 

 動物と子供が大好きな人です。

 

 今は死んでしまったのですが、以前飼っていた猫が行方不明になったときは、泣きながら会社を休んで探しに行くような人です。

 

 子供が大好きで、子供にもとっても好かれます。

 

 娘も父が大好きです。

 

 父は、娘に「お兄ちゃん」と呼ばれたかったらしいのですが、母に怒られあっけなく断念。それで自分の子供の頃からのあだ名で呼ばせています。

 

 小さい頃は「まー坊」と呼ばせていて、とても面白い光景でした。

 

 今は「まー坊」か「まー坊じぃちゃん」と呼んでいます。

 

 娘をとても可愛がってくれていて、小さい頃はドライブによく連れて行っていました。

 

 母がスルメを焼いて細く切ってくれて、それを持って父と娘で二人でドライブ。

 

 いつも抱っこをしてくれていました。

 

 今は娘が恥ずかしがって、あまり抱っこさせませんが・・・。

 

 こんな父が、私を虐待していたなんて、父を知る人は夢にも思わないと思います。


  私の友達・後輩もずいぶん可愛がってくれました。

 

 未だに「とうちゃん」と呼ばれて親しまれています。

 

 こんな父を変えてしまった事・・・・・。

 

 「嫉妬」です。

 

 母が私の実の父親と会っている!と誰かに聞き、それからが始まりのようです。

 

 父は、母が夜仕事に行っていたので、夜私と弟を家で見てくれていました。

 

 見られない時期もあり、預けられていた時期もありましたが、私が小学校に入る頃には、父が見てくれていました。

 

 母の話では、父は生活費を自分と弟と母の分しか入れてくれず、私の為に働きに行っていたそうです。(これはちょっと怪しい話ですけど)

 

 父は、何処からかいろんな話を聞いてきては、毎晩酔っ払うまで飲んでいました。

 

 父はボクシングをしていましたから、暴力は振るいません。

 

 でも物を投げつけたり、私の食事を抜いたり、夜中外に私を出したりしました。

 

 勉強をしていれば、電気を消される。学校の制服は隠される。雨の日教科書を全部外に捨てられた事もありました。

 

 弟を溺愛し、私を虐めていました。

 

 きっと私の本当の父が憎かったのでしょうね。

 

 そして母を愛していたんでしょうね。

 

 精神的言葉の暴力が、いつのまにか性的虐待に変わってきました。

 

 詳しい内容は省きますね・・・・。

 

 中学卒業するまで、性的虐待をされていました。

 

 そして私が自分で稼ぐようになり、段々家に寄り付かなくなり、父は母に責められていたようです。

 

 私が不良になったのは、父のせいだと・・・。

 

 決して父だけのせいではないのですが・・・。


 

 私が20歳の頃から、私はいろんな経験や、いろんな話を聞いて、父を許す事にしました。

 

 今現在本当に許せているかは疑問が残るのですが、父は今後悔をしていると思います。

 

 私に優しくされればされるほど、父は苦しいと思います。

 

 本当は優しい人ですから・・・。

 

 今は父が好きです。昔は殺したいほど憎かった時期もあります。

 

 中学になるまで、本当の父親だと思っていましたから・・・。

 

 父に、弟と同じように抱っこしてもらったり、頭を撫でて貰いたかったです。

 

 私が子供の頃、私が胃痙攣を夜中起した時、父は寝ないで私のお腹をさすってくれました。

 

 私が過呼吸で倒れた時も、私を背負い病院に運んでくれました。

 

 今はたまに電話をくれて、「元気か~?」と聞いてくれます。

 

 父も辛かったと思います。

 

 私も辛かったです。

 

 でも今は父はきっと悔やんでくれています。

 

 父も若かったし、虐待がエスカレートしてしまったのでしょうね。。。

 


 私は顔は覚えてないのですが、小さい頃義父の他に「パパ」と呼んでた人に、2・3回会ったことがあります。

 

 それが実の父だったと思います。

 

 私が実の父に、「本当のパパだよ」と会ったのが、中学生の頃でした。

 

 小さい頃から、義父が本当のパパだと思っていたし、そう思っていたかった・・・。

 

 義父に「パパはお前の本当のパパではない!他にいるんだよ!」と言われても、信じたくなかった・・・。


 母は、本当のパパの存在を私に教えるようになってから、実父の悪口を私に聞かせ、事あるごとに、

 

 「お前は向こうのパパにそっくりだ!向こうのパパの所に行ってしまえ!」

 

 と、言うようになりました。

 

 それが物凄く嫌で、悲しくて、いつの間にか実父を憎むようになっていました。

 

 でも心の中で、実父に求めていたものもあります。

 

 愛情です。

 

 でも素直になれない私は、素直に会いたいとは言えず、いつもお金を要求していました。

 

 会う理由が欲しかったのです。

 

 最初の頃は、実父は私の年齢も覚えていなくて、そしていい事を私に話していました。

 

 「お前の為に、お前と別れてからずっと貯金してある」←嘘です。

 

 「認知もしてある」←嘘です。

 

 「お前を引き取りたかった」←たぶん嘘です。

 

 実父には、すでに家庭がありました。性格に言うと、(28歳の時に知った事実)実父と母は不倫で、私は不倫の子だったのです。

 

 実父には、子供が二人います。私より大きい年の男と女だったと思います。

 

 しかし、この子供は奥さんの連れ子で、実の子供は私だけなんです。

 

 私が20歳を過ぎた頃、実父の娘さんが結婚をして、孫が生まれました。

 

 私は、昔から実父に会うと、胸がいっぱいになり、油断をすると涙がこぼれそうになっていました。

 で

 も孫が生まれてから、私と会っていても、話す内容は娘と孫の話ばかり。

 

 とても可愛くて仕方がないようでした。

 

 私は、涙がこぼれるのを抑えるのが精一杯でした。

 

 実父と別れた後は、泣きながら車を運転して帰りました。

 

 でもそれでも会いたかった・・・。

 

 でも、私にも限界が来てしまい、実父に手紙を書きました。確か23歳の頃です。

 

 「今の父親は、養子縁組をして、私を戸籍に入れてくれています。感謝しています。パパにも家庭があって、孫もいて私は邪魔な存在だと思います。今まですいませんでした。私はこれからも、○○の娘として生きて行きます。パパもパパの家庭を大切にして下さい。もう2度と電話も手紙も書きません。ありがとうございました」

 

 こんな内容の手紙を、実父に出しました。

 

 少し期待していました。実父から電話が来る事・・・・。

 

 でも来ませんでした。

 

 

 月日は流れ、娘が生まれた時、娘の写真入年賀状を送りました。

 

 約束違反でしたが、どうしても実父に見てもらいたかったのです。

 

 その時電話を貰いました。嬉しかったです。お祝いをくれると言う電話でした。

 

 会わせたかった・・・。でも未だにその後電話はありません。。。


 

 私と実父は似ているそうです。性格も歩く姿も、食べ物の好き嫌いも。

 

 確かに実の父親だと思います。

 

 もっと甘えたかった。意地を張らずに言えばよかった・・・。

 

 後悔先に立たずですね。

 

 今私が住んでいるところから、車で15分くらいの所に住んでいます。

  

 

 今更会いに行けませんよね。

 

 たぶん私から手紙を貰って、ホッとしていると思っています。

 

 何も伝えること出来なかった、何も聞けなかった・・・・。

 

 実父の中では、私は別れた頃の赤ん坊のままなんですよね。

 

 「かわいかった」といつも言っていましたから。。。

 

 実の父に関して、知っていることは、これがすべてです。


 家に監禁をされるようになり、親は家の電話線も切りました。

 

 私はすぐに始まった禁断症状と闘い始める事になるのです。


 体の震え、倦怠感、この後は、体中に虫が這いずる廻る感覚に冒されます。

 相変わらず幻覚・幻聴に悩まされ、眠れず気が狂いそうになります。

 幻覚は、人がナイフを持って襲ってきたり、家を覗いていたり、どれもこれも異常な目をした人ばかりです。

 幻聴は、ずっと耳元で誰かの話し声がします。私の悪口などなど・・。後は女の人の悲鳴や男の人の雄叫びなどなど・・・。

 布団にもぐり目をつぶり、耳を押さえ震えていました。

 勿論食欲もなく、でも喉が異常に渇くので、水だけを飲んでいました。

 眠れるようになるまで3日かかり、その後寝っぱなし。

 起きてると、相変わらず虫が私の体を這いずり廻り、幻覚・幻聴を見たり聞いたり・・。

 何度警察に逃げようと思った事か・・・。

 警察に行けば、その場で逮捕です。でも私の状態では、病院に入れてもらえる。

 病院で点滴や、拘束されて治療を受けられたら、こんな苦労はしない!と思ったからです。

 食事も出来ず、水ばかりで約1ヶ月寝て過ごしました。

 たまに見かねた母親に、無理やり食べ物を口に入れられましたが、1口が限度2口目は吐いてしまいます。

 やせ細り、最後には自力で歩いてトイレも行けなくなりました。(這っていきました)

 約2ヶ月で普通に生活できるくらいになりました。

 でもその後何年かは、幻覚は治りませんでした。

 夢でも悩まされ、夢は見なくなるまで10年はかかったと思います。

 その夢は、覚せい剤をしようとしている私で、注射器で腕に刺し、薬が効き始めるとき目が覚めるのです。

 この夢で、止められるずに苦しんでいる人もいると思います。

 私も目が覚めた時、自分で自分の体を何度抑えた事か・・・。


 その後も何度も誘惑はありました。

 目の前に出されるんです。もう打つ状態で・・・。

 勿論手が出そうにはなりました。でもあの止めた時の恐怖の方が上だったのでしょう、その後どんな誘惑をされても、手を出してはいません。


 これは本当に親に感謝をしています。

 2ヶ月間、家の電話を切り、家に訪ねてくる人たちを追い払い、ただ黙って見守ってもらいました。

 今自分があるのも、親のお陰かもしれませんね。

 今思えばですが、私は何か見えない力でも助けてもらっていたと思います。

 その当時、一緒に覚せい剤をやっていた人たちは、私以外全員逮捕されました。

 勿論私の名前も挙がっていました。

 別件で私が警察に連行された事がありました。

 (たまたま人を探していて、シンナーを吸っている溜まり場に私がいて、その時警察に踏み込まれて、一緒に連行されたのです)

 でも私は何もしていなかったので、すぐに釈放。迎えに来た親元に戻ると、今度は違う課の警察の方に、呼ばれました。

 尿検査をして、腕を調べられ、しかしすでに3ヶ月以上経っている私の体からは、証拠が出ませんでした。

 ブラックリストの撮影や証拠の指紋や足のサイズ、身長体重などなどを取られ返されました。

 結果私だけ、なんの罰も受けなかったのです。

 他の人たちは、年齢別で少年刑務所や刑務所に入りました。

 入っていたら、今私はここでこうして、ブログ更新などしていないと思います。



 親に救われた部分もあった事を思い出しました。

 でも私が思うに、親は世間体を気にして、そうしたのかもしれません。

 今でも、人間以下だ!と言われますからね(^.^)

 あの時、乗り越えた自分は褒めてあげたいです。

 そのくらい苦しかったです。

 今あの状態になって、乗り越える自信はありません。

 今はあの頃の事を思い出す事もないくらいに、回復はしています。

 今回ACの事で、思い出しました。

 親に感謝しなくちゃ!とも思いました。

 今娘と出会い、今こうしているのも親のお陰かも知れませんね。。。


 
 今から書く内容は、私個人が感じた事です。

 体質なども違うので、皆に果てはまる事ではありません。

 でも薬物だけはやらないでくださいね・・・。



 
 私は自分の体を痛めつけたかった・・・。

 だから体に悪い事したかった、死にたかったのです。

 始めに友達に勧められて、シンナーをやり始めました。

 私がシンナーにはまり出すのに、時間はかかりませんでした。

 シンナーを吸っているときは、何もかも忘れる事が出来たからです。

 楽しかったです。毎日が、辛い事・悲しい事、何も感じない!

 そのうち回数が増え、いわゆる「シンナー中毒」になってしまった私。

 なぜかシンナーはいつも手に入れることが出来ました。

 最終的には、道路の白線に使う塗料まで吸っていました。

 起きたらシンナーを吸い、寝るまで吸いっぱなし。

 手から袋が離れるのは、寝ているときと仕事の時だけ、シンナーを毎日吸いながら寝ていました。

 そんな生活です。(でも仕事は行ってましたよ)

 私はシンナーに手を出すまでは、記憶力に自信がありました。

 電話番号は、頭の中に150件は入っていました。(今みたいに携帯ないですから)

 1回聞けば何でも覚えられたし・・・・。

 でも、たぶんこのシンナーが原因だと思いますが、今では昨日の夕飯さえ忘れてしまいます。

 後遺症ですね。自業自得です。

 



 そのうちに薬になっていくのですが、これにはあるきっかけがありました。

 覚せい剤をやっている先輩がいて、私は止めていました。

 何度も止めている私に先輩は、こう言いました。

 「やった事のない人間に言われても、やめる気はない!」

 この日先輩に私は、初めて覚せい剤を打ってもらいました。

 シンナーとは違い意識はあります。

 体が軽くなるのを感じました。スッキリした感じかな?

 でも、これくらいならすぐに辞められると思っていました。

 私はそのうち、体の異変に気がつき始めました。

 薬が切れると、体が震えるようになり、物凄く倦怠感に襲われる様になっていたのです。

 でもすぐに覚せい剤を打つと、スッキリする。

 1日1回の回数がドンドン増えていきます。

 薬の量も段々増えていきます。

 そして、覚せい剤中毒の人と変わらないぐらいの量を打つようになっていったのです。

 ある時、物凄い量の覚せい剤を打ってしまい、私は死にそうになってしまいました。

 打った瞬間、目に見えるものがすべて、砂嵐のように流れ消え去り、私の心臓は苦しくなり息が出来なくなったのです。

 この時は本当に自分の生命力の強さにビックリしました。

 たぶん体の弱い人だったら、ショック死をしていたともいます。

 現に、この時体から薬が抜けるのに、3日。完全に抜けるのに1週間かかりました。

 この時から、私は幻覚・幻聴が始まりました・・・。


 ある日親が私の異変に気がつき、(気がつくの遅いけどね)家に帰った時、母親に服を脱がされ、全部調べられました。

 腕には、無数の注射跡と青あざが・・・。


 唖然とする父親、母は怒り狂い、木のハンガーでボコボコに私を殴り倒しました。

 そして家に監禁をされました。

 でもこれは親に感謝をしています。

 これがなかったら、私は今頃どうなっていったか・・・・・。


 この後私の戦いが始まりました。