この記事は3460文字です。(読破予想時間:約8分14秒)
入院シリーズ第2弾です。
入院までの経緯は下記記事をご覧下さい。
◇生まれて初めての内視鏡、そして救急搬送へ
僕は、過去四回の入院を経験している。
1回目は7才の時で、二週間きっかり。
2度目は24才の時で、ひき逃げされて鎖骨を折ったり肩の筋を切ったりで、あちこち怪我を負ってぴったり6ヶ月の入院と6ヶ月強のリハビリで完治まで約1年かかっている。
◇ひき逃げされた経験と絶対に逃げてはいけない訳
3度目も交通事故で軽のワンボックスを運転中に、小さな交差点で信号無視の車に突っ込まれて、全身打撲や両膝半月板損傷や肋骨を痛めたりと約2ヶ月の入院。
そして今回が4度目の入院で、十二指腸潰瘍の為12日間の入院だ。
このうち、1度目を除いて全てが救急搬送だ。
これは別に、入院自慢や怪我・病気自慢をしている訳ではなく、入院については手慣れていると言う事をまず知っておいて貰おうと言うつもりで書いたに過ぎない。
僕は正直な所、入院生活は嫌いではない。
確かに、採血だの点滴だのと苦痛を伴う治療は嫌ではあるが、それは入院自体が悪い訳ではない。
外来であっても、在宅治療であっても、必要な治療なのだ。
つまりそれは、入院が苦痛なのではなく、必要な治療に苦痛を伴うものがあると言うだけの話だ。
一部、例外がない訳ではないが、大抵いつも病院のスタッフさん達には恵まれ、本当に一生懸命、治療や看護やいろいろな手助けをしてくれる。
短い期間だと全てのスタッフの名前まで覚えるのは無理だが、ほとんどのスタッフの顔は今でも覚えているし、入院期間が長かった病院のスタッフは名前もほとんど今でも覚えている。
そして、病院の食事を僕はマズいなんて思った事は一度もない。
むしろ、今までの入院した病院の食事は全て美味しくて、いつも楽しみにしていたと記憶している。
今回の入院でも全て完食だったのだが、毎回、大体そんな感じだ。
入院患者が食事の文句を言ったり、ほとんど食べずに残したりして、自分で調達したお菓子や食料で腹を満たしたりする光景は、どこの病院でもよくみかける光景だ。
食べ物に文句を言ってる姿や言葉は、僕にとっては本当に見聞きしたくない姿や言葉の上位に入るくらい不快なものだ。
今回の話ではないが、2回目3回目の入院の頃、まだ院内に喫煙スペースがあった時代、喫煙スペースは、患者同士のちょっとしたコミュニケーションスペースになっていた。
今は煙草をやめてもう3年になるが、当時喫煙者だった僕も動ける様になってからは喫煙コーナーへ頻繁に煙草を吸いに行っていた。
すると、どうしても、いろんな人から話しかけられていつの間にかそこそこ親しくなってしまうのだが、そのスペースでも食事の文句は物凄く多かった。
当時は、けっこう大部屋の病室でも昼間はベッドとベッドを仕切るカーテンを全開して、患者同士のコミュニケーションが頻繁に行われたものだったが、父が入院したり母が入院したりした時に、見舞いに行くと、その様子は、年々変化していって、同室の他の患者とは完全に自分で自分を隔離するかの様に、仕切りのカーテンを閉めている人間が増えている。
今回の僕の入院では、病室は静まり返りコミュニケーションなどほとんどなく、朝から晩まで終始、全ての仕切りカーテンは閉まったままだった。
病室の仕切りカーテンが閉まった状態
僕の病室は四人部屋で、入院中の12日間で部屋の移動や入退院で、おそらく10人近くの人と同室になったとは思うのだが、誰一人顔は一度も見ていない。
今の僕にとっては、こうやって隔離状態になれる方が気が楽で願ったり叶ったりだったので、部屋は昔より、どんよりと空気も重く灯りも少なく暗い感じがするのだが、僕は、この空気感にホッとした。
それは、他の入院患者からプライバシーを根掘り葉掘り訊かれるのも嫌だし、コミュニケーションそのものを望んでいないからに他ならない。
僕が今回の入院中に他の入院患者から話しかけられたのは唯一、入院初日に、寝る前の歯磨きをしている時だけだ。
年配の60代半ばくらいのおじさんだったのだが、「若いのに、どこが悪いの?」と話しかけられて、正直な所、悪気のないそのおじさんには申し訳ないが、かなりウザいと感じたのは確かだ。
別に嫌な態度を取ったりはしなかったが、訊かれた事に答えるだけでは話は弾まないし続かない。
すぐにおじさんは「歯磨き中ごめんな」と言って去って行った。
何でだろ?
看護師さんや小泉進次郎さん似の主治医の先生や病院スタッフと話すのは特に嫌とは感じないのだが、自分の中に入って来ようとする人間には、何故か、拒絶反応が出てしまう。
昔、入院した時は、けっこう普通にコミュニケーションをとっていたのに、年々、他人とのリアルでのコミュニケーションが億劫になってくる。
前の入院の時とは別人の様だ。
行き当たりばったりで書いていると随分話がそれてしまったが、とにかく僕は入院生活と言うものが嫌いではない。
寧ろ、ずっと入院していたいくらいだ。
人と関わるのが苦手な癖に、一旦心を許した病院スタッフとの別れはいつも寂しく感じる。
これは入院に限った事ではないのだが、旅先などでほんのちょっと関わっただけの人でも、せっかく知り合えたのに、たったこれだけでお別れかと思って寂しくなる事が時折あるのだ。
僕自身は寂しがり屋でもなく、一人でいるのが大好きで、余りかまって欲しくないタイプだと言うのは過去何度もこのブログでも書いてきた事だが、ひょんな事でごく自然に接近してしまった場合にこの感情は起こる。
でも、一人でいるから孤独で寂しいと感じたりはしない。
かと言って調子に乗って、接近し過ぎると人間同士と言うものは、ロクな事にならない。
結局、こちらの思いと相手の思いの大きさにはいつも大きな差があり、こちらが傷付く事が多い。
そして、いつも僕にやたらと懐いてくる人間は、昔から僕が苦手とするタイプの人間ばかりだ。
何故か、自分が気に入った人間とはいつも距離がある。
病院のスタッフだってそうだ。
あの人達は、毎日毎日出会いと別れの繰り返しの中で仕事をしている。
いちいち感傷に浸っていては仕事にならない筈だ。
なので、きっと切り替えは早い。
患者を送り出すと言う使命を全うして、また、次の患者が待っている訳だからプロとして当然だ。
そこには何も文句はないし、退院後もプライベートで関わりを持ったり、友達になりたいとか思っている訳ではない。
僕の父は生前、「病院のベッドの上では死にたくない」とずっと言い続けていた。
その想いは全うさせてあげる事が出来たので僕はその点においては満足しているのだが、僕には、父の様な感覚はない。
今回は、特に死ぬ様な病気ではないが、病院の枕をじっと見ながら、僕は病室でこんな事を考えていた。
「この枕の上で息を引き取るのも悪くない。寧ろ、死ぬなら病院で病院のスタッフだけに見送られて、手際良く後始末をして貰うのが一番幸せな最後かもしれない。死ぬ場所をを選べるのなら、僕は病院を選ぶかも。」
◇ヒトの基本は野垂れ死に
以前なら、こんな事は考えもしなかった事だろう。
今、気がかりなのは、母くらいのもので、僕のこの発想の中に自分が母より先に逝くと言う発想はない。
一人、残された後の事だ。
何となく、嫁や子供など家庭と言うものとは縁遠い人間だと実感する様になって、特に見送って欲しい友などもなく、いつも一生懸命な病院スタッフを見ていると、その最後がとても幸せな気がしてならなかったのだ。
家族に見守られながら最期の時を迎えたいと言う話はよく聞くが、家庭を一度も持った事がない僕にとっては、そんな光景の想像などつく訳がない。
僕にとっては、病院での入院生活とは、俗世間での現実を忘れて過ごせる、現実逃避の場所なのかもしれない。
子供の頃、熱を出して学校を休んだりする時、「これで学校へ行かなくて済む」と言う、免罪符を貰った様な気がしたものだ。
しかし、社会に出ると、体を壊して仕事ができなくなると言う事は周りにも迷惑がかかるし、自分の代わりはなく、結局そのツケは後で自分に降り掛かって来るのだ。
社会人になってから、体を壊すと言う事は仕事が出来ない免罪符にはならない。
しかし、今回は子供の頃の様に「これでは仕方がないじゃん」と免罪符が貰えてホッとした様な気分で、入院生活を送る事が出来たのが、不思議な感覚だった。
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