楽器練習依存症とでも言うべきプレイヤーの話 | 皆見つかさ 公式ブログ 〜ソロアーティストの脳内と日常

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この記事は5420文字です。(読破予想時間:約12分54秒)

 

今回の話は、あくまで僕の個人的な感覚として聞いて貰いたい。

 

僕自身がそう感じるからそうしてきただけの話であって、ピンと来ない人が実践しようとしても、実践不可能な話であるので、ピンと来ない人は、聞き流した方が得な話かもしれないからだ。

 

今回話そうと言う内容は、楽器やボーカルの練習についての僕の感覚だ。

 

決して、他人のやり方を批判するつもりではなく、自分の中に湧く自然な感覚とその感覚に従っただけの自分自身が意識する注意点と結論なのだ。

 

 

ズバリ書かせて貰うと、けっこう頻繁にこんな風に感じるプレイヤーを見かけたり、遭遇したりする。

 

練習に頼り過ぎて、センスが磨かれていない。

 

こんなタイプの人は、本当に真面目に黙々と明けても暮れても長時間、練習をし続ける。

 

勿論、練習をたくさんする事がダメだと言ってる訳ではない

 

言うなれば、「練習する者こそ救われる」「練習こそ絶対」と言わんばかりに、まるで練習教の信者であるかの如く、練習しか見えてないかの様に、練習に打ち込むタイプがヤバいって話だ。

 

こういう人は、練習する内にいつの間にか、一体、何の為に練習しているのか分からなくなるのであろうか。

 

とにかく何かを表現する為に必要な技を身に付ける為の練習の筈が、いつの間にか、練習の為の練習の様になってしまっている状態の事だ。

 

せっかくたくさん練習をしているのに、聴かせる事が出来ないと言う非常に残念なタイプのプレイヤーだ。

 

もしかしたら、そう言う人達は、自信とするものが他になく、練習と言うものにすがって安心を得ようとしているのかもしれないなと思ってみたりもするのだがそれは実際の所よく分からない。

 

こう言うタイプは、バンドを長年やっても、自分のパートしか聴こえていない様なタイプがほとんどで、バンドのアンサンブルの話をしようとしても自分のパートや自分のフレーズの話ばかりをする人間がほとんどで話すのが時折馬鹿らしくなる。

 

正直な話、こう言うタイプと一緒に演奏しても、血湧き肉踊る様なそんなトキメキを感じたりする事はない。

 

とにかく、足りないパートを埋めているだけの人って感じだ。

 

そして、この手の人は、凄く上手いのに、アマチュアやセミプロクラスで埋もれてる人に多い。

 

客観的に厳しい意見を言わせて貰うと、埋もれている原因の一つは間違いなくそこだ。

 

ま、自分も埋もれている一人ではあるので、偉そうに上から言うつもりもなく、その手のタイプについては、客観的に見ていて、一つだけ原因が分析出来たってだけの話だ。

 

 

さっきも書いたが、練習する事は決して悪い事ではなく、練習そのものはたくさんやった方がいいに決まっている。

 

特に、スタジオミュージシャンなど、その技術で飯を食っていきたいと思う様な人は、たくさん練習をして、ありとあらゆる技を覚えた方がいい。

 

ミュージシャンと一口に言っても、いろんなカテゴリーに分ける事が出来る。

 

それを大雑把に二つに分けるとすると、まず、演奏に特化した職人の様なタイプ

 

アーティストと言うより、プレイヤーと言う意味合いの強い人の事だ。

 

今しがた話した、スタジオミュージシャンにこの手のタイプは多い。

 

そして、アーティストタイプだ。

 

アーティストとは日本語で言うと芸術家であり表現者の事である。

 

しかも、他人の要望を表現するのではなく、自分が表現したい事を形にしていく人間の事だ。

 

◇アーティストである事とプロミュージシャンである事

 

これは、どちらが上とかって話ではなく、あくまでタイプの違いにすぎない。

 

例えば、バンドのメンバーが5人いたとして、その全員がアーティストなのかと言うと、僕の経験から、そのパターンは非常に珍しい

 

通常は、アーティストタイプとプレイヤータイプが混在するもので、アーティストタイプだらけのバンドより、その方が、うまくいくものだったりする。

 

つまりは、タイプの違いであるのと同時に、どっちのタイプも音楽の世界には必要なタイプではあるのだ。

 

これは、リーダータイプが複数いると上手くいかない事に似ているかもしれない。

 

◇人の役割には、それぞれに適した3つのタイプがある。

 

そして、その2つのタイプの中間的な人もいると言う事も一応断っておく。

 

 

僕は、その2つのタイプのうちどちらかと言えば、間違いなくアーティストであり、プレイヤーを目指す気など微塵もない。

 

まず、最初に断っておくが、今から話す事は、アーティストタイプはあまり練習をする必要はなく、プレイヤータイプはたくさん練習をしろって意味ではない。

 

どのタイプであれ、練習が大事である事は、間違いない。

 

そして、皆が僕と同じ様な結果になったり、僕と同じ様な現象が起こると言う話でもない。

 

あくまで、自分自身に特化した話だ。

 

僕は、どんなに凄い技でも興味がなければ、絶対に練習しない

 

それは、好きでもない技を身に付ける事で、その要素がどこかしらプレイに滲み出るようになるからだ。

 

要は、自分が嫌いだと感じるセンスが知らない間に身に付いてしまうと言う事なのだ。

 

僕は、どうやら、感受性が強いのかどうなのか、見聞きした音楽やステージから悪い影響を受けやすい様だ。

 

◇子供の頃、感受性が強過ぎて一部の音楽が苦痛だった話

 

練習をしなくても、苦手なセンスの曲を聴かされたり、苦手なセンスのプレイを目の当たりにした場合、悪影響を受けてしまう事がある。

 

そう言う直後に、嫌いな筈のフレーズやノリを自然に出してしまって、自分で「ダサッ!」などと思ったりする事もけっこう多い。

 

その瞬間必ず何の影響か頭にすぐに浮かぶもので、「これではまるで○○みたいじゃないか」と自分の一瞬のプレイを嫌悪したりしてしまう。

 

まあ、そういった悪影響は、一時的な事が多く、すぐに消えるものだが、練習しまくって身につけたものは違う。

 

一旦身に付けてしまうと、いつ、どこで飛び出すか分からないやっかいなものとして、自分の中にいつまでも居座り続けるのだ。

 

 

練習に取り憑かれて、客観性が失われてしまった人のプレイには、例外なく、いい意味での個性はない。

 

先程も書いたが、こういう人は、他のパートがほとんど耳に入らない

 

本当の意味で全く他のパートが聴けない人もいるが、他のパートを客観的に聴けないと言う人もいる。

 

客観的に他のパートが聴けない人は、他のパートのプレイヤーのフレーズが意図する所を汲み取る事も出来ないし、曲の中での自分のパートの活かし方も分かっていない。

 

アンサンブルなどおかまいなしに、とにかく、自分が凄いと思えるフレーズをそこかしこにぶち込んで来て、自己満足に浸るのだ。

 

そもそも、曲全体として聴くのではなく、その楽器だけのフレーズと捉えると、たちまち客観性が失われ、それがどんな風にカッコいいのかすら分からなくなる。

 

とにかく、「凄く難しそうなフレーズ=凄いフレーズ」となり、「凄いフレーズが出来る様になった俺=カッコいい」となる

 

その結果、こういうタイプの言うカッコいいと言うフレーズとは、派手で難しいフレーズである事が多く、フレーズの活かし方も何も一切考えず、そう言ったフレーズを覚えるとドヤ顔で、どんどん曲の中に、合いもしない派手なだけの浮いたフレーズをぶち込む様になるのだ。

 

こういう境地に至った時、人は、練習と言う物を信じ過ぎるあまり、やがて練習に支配される様になり、全ての技を身につけなくてはならないかの様な錯覚におちいり、独自性も薄くなり、格好良さも欠け、少しダサさも滲む様になる

 

全員がこんな風になるって訳ではないが、こういう人を今までに何人も見てきたと言うのは、大袈裟ではない僕の実際の経験だ。

 

「凄いフレーズが出来る様になった俺=カッコいい」となってしまった様な人は、先程、他のパートがあまり聴こえていないと書いたが、聴こえていないからこうなるのか、こうなったから聴こえなくなったのかは分からない。

 

しかし、僕は、こういう状態になってしまっては、最早アーティストではないと思っているし、プレイヤーとしてもちょっと使い道に困る存在だと言えると思っている。

 

 

僕は、プロフィール欄にもある通り、ボーカルを軸にマルチプレイヤーとして活動しているミュージシャンだ。

 

故に全てのパートに関して例を出すとキリがないので、取り敢えずドラムに絞って例を出させて貰うと、僕の場合、ダブルストロークで転がせば済むフレーズを、物凄く素早くダブルストロークと同じスピードで、シングルでパワフルに叩く様なプレイはあまり好きではないし格好いいとも思わない。

 

だから、そういうストロークを鍛えようとはこれっぽっちも思わなかったし、実際にやってこなかった。

 

そして、やたらリズムにキックをぶっこむのも好きじゃないし、シンプルにセンスよく、けっこうスカスカに抜いたキックの方が好きだったりするので、そういう練習もしない。

 

それは当然、必要ないからに他ならないが、それプラス、そんなものを身につけたくはないと言う意識もある。

 

下手に身につけてしまって、アドリブついでにうっかり自分がダサいと感じるそんなフレーズが出てしまうのが嫌なのだ

 

僕には、ギター、ベース、ドラム、パーカッション、ボーカルなど、各パートそれぞれにそう言うこだわりがあって、僕は、何でもかんでも技を身につけようなどとはしない。

 

そもそも、マルチプレイヤーの場合、全てのパートでありとあらゆる技やフレーズを網羅している時間などありはしない。

 

◇マルチプレイヤーの憂い

 

それこそ、練習だけに毎日時間を取られて、創作の為の時間がなくなってしまう。

 

やはり、アーティストの場合、演奏そのものよりも、創作の為の時間が優先なのだ。

 

アーティストにとってテクニックを磨くと言う事は、自分にとって必要な表現手法を身につける事であって、特に必要でないテクニックを身に付ける時間があれば、創作の為に使いたいと言うのが本音である。

 

よく基礎練習と言う言葉の元に、この練習は絶対に必須と言わんばかりに解説してる人がいるが、本当に必須なものと、自分には必要のない基礎練があると僕は感じている。

 

そもそも、何が必要で何が必要でないかなんて、本人にしか分からない事だし、本人が決めなきゃ意味がないし、他人が決めるとそれこそ無意味な選択になってしまう。

 

◇リバーブのかけ具合なんて自分で決めなきゃ意味がない

 

自分が絶対的に正しいと言う訳ではないが、自分が目指す道としては間違っていないと感じている。

 

 

僕は、一人の表現者であり、つまりはアーティストでありたいと常に思っている人間だ。

 

◇歌詞で自分語りをしてはならない

 

◇アーティストである事とプロミュージシャンである事

 

故に、練習に支配されてしまってはダメだと言う結論に達しただけで、これが、絶対に正しいなんて思っちゃいない。

 

僕にとっては、この道が正解だと感じているだけだ。

 

だからこの話が理解出来る人は、参考にしてくれてもいいし、理解出来ない人は、「へぇ〜、いろんな人がいるんだな」くらいに捉えて貰った方がいい。

 

正解なんて一つではないし、何が正解かなんて、各々違って当然の物だ。

 

そこは誤解のない様にと言う事を強調して、今回は、これで終わりにしようと思う。

 

それでは、また次回。



☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*

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