この記事は3247文字です。(読破予想時間:約7分43秒)
僕は、皆見つかさ(みなみつかさ)と言うソロの音楽アーティストである。
◇皆見つかさ(Tsukasa Minami)のプロフィールページ
と言う事で、今回タイトルにもなっている上手いとか下手とか言う話は当然、音楽の話であり演奏の話だ。
有名なアーティストの話をしていても、ちょくちょく「上手い」か「下手」で意見が分かれる事がある。
楽器や声楽について、あまり知らない人の場合は、それが、単純に好みの問題だったり、そのアーティストに対する感情によるものだったりする場合も多い。
しかし、自分でも音楽経験があったり、或いは、現役のミュージシャンの場合でも、意見が分かれる事は珍しくない。
これは何故かと言うと、何を持って「上手い」とするのか、人によってそれぞれ基準が違うからなのである。
例えば、僕が上手いと思ってるミュージシャンを下手だと言った奴は何人もいる。
それは非常に気分の悪い話なのだが、今は、そこは広げないでおく事にする。
僕が上手いと思っているミュージシャンを下手だと貶す奴にも、いろんなタイプがいるが、そいつらは、そのミュージシャンのテクニック、いわゆる技術面に重きを置いている連中ばかりだ。
奴らの中では、テクニックがある人=上手いと言う、絶対的とも言っていい、基準があるのだろう。
しかし、僕の中では、そういうテクニックがあるだけのミュージシャンは、単に技術力が高いだけの人なのだ。
いわゆる技巧派と言われる人であるのかもしれないが、僕の中で、そういう人達を評する表現は、単純に「テクニカルな人」である。
この表現には貶してる要素は、基本的には入っていない。
技術が高いと言う事は冷静に見極めた上で、その単語を使っているので、そこに感情は入っていない。
そして、あくまで僕の場合はであるが、技術は、人に何かを伝える為に必要なものであって、不要な場面でそれをひけらかす様なものではないと言う感覚を持っているせいか、技術だけでは、あまり魅力を感じないのだ。
◇楽器練習依存症とでも言うべきプレイヤーの話
勿論、これは、どちらが正しいと言うものではない。
何を見て「上手い」だとか「下手」だとか評価するのかと言う所に、その人の価値観がモロに出る。
故に、これは価値観の違いであって、正しい「上手い」はこれだと言う答えや、「上手い」「下手」の間に明確な線はないと言うのが答えだ。
例えばジャズなんかのライブで、各パートが長いソロを見せ合う場面がよくあるが、そのソロがあまりに長いと僕は、すぐに退屈してしまう。
「おおー!すげぇ!」と思うのは最初の僅かな瞬間だけだ。
僕は、今はボーカルを軸にマルチプレイヤーとして活動しているミュージシャンである訳だが、そこに至るまでに本職のドラマーだった時期がけっこう長期間あるのだが、そのドラマーであった僕でも、特に、ドラムの長いソロはメロディーもなく、ただただ退屈以外の何物でもない。
ライブに行っても、そんな時に指笛を鳴らしたり、皆、やたら盛り上がってる様だが、僕にとっては退屈極まりない時間であり、物凄く長く感じる時間だ。
そう言えば、同じく本職のベーシストでもあった時代もある僕の目線で見ても、ウッドベースなどで、長時間続くソロも、ドラムの長いソロに負けないくらい退屈だ。
僕の中では、聴かせる部分より、技術を見せるだけのショーは、音楽として楽しめなくて、どちらかと言えば、音楽と言うより曲芸を見せられている気分になるのだ。
僕の場合、ギターなんて特にそうだが、指がどれだけ早く動いてるかとか、どれだけ難しいフレーズを弾いてるかなんて、ほぼどうでもいい事が多い。
どれだけ聴かせてくれるかの方が重要なのだ。
昔、ヘビメタの友達に、彼の弾くフレーズを聴いて「ごめん、その速いだけのフレーズの良さが俺には全く分からない」と正直に言った事がある。
指は、確かに正確に素早く動いている。
すると彼は、「このフレーズをゆっくり弾くと物凄くメロディアスで、めちゃくちゃ奇麗なメロディーなんだぞ」と僕に返してきた。
彼も僕も、口調は穏やかで決して、侃々諤々と話している訳ではない。
とても、冷静に普通に楽しんで話していたのでそこはご心配なく。
そして、その台詞を聞いた僕は「じゃあ、ゆっくり弾けばいいんじゃないの?」と問う。
その問いに彼が「それではヘビメタじゃなくなる」と返してきたと言う話だ。
その後、音楽とは何か、ヘビメタとは何かの話を、彼と長時間話した。
結局、彼は、ヘビメタの速弾きが好きで彼にとってはたまらない魅力がある訳で、僕は、そんな事より、その奇麗なメロディーをしっかり聴かせて貰う方に興味がある訳で、だから、僕はヘビメタには、向かないのだろうと言う結論だ。
ここでもそうだが、彼は、速く弾ける事を「上手い」と表現して、僕は、そこは「上手い」とは表現しなかった。
これが価値観の現れなのだろう。
そして、特に50年代〜70年代くらいの古いレコーディングに多いのだが、今と違って、簡単にやり直しがきかない時代でもあったせいか、その時代の音源をよぉ〜く聴くと、弾き損ねや叩き損ねをけっこう発見する事が出来る。
そして、昔の大御所達のライブ映像を見ると、現代のライブより、全体的に演奏がルーズだ。
このルーズさが、独特の雰囲気を醸し出してる事も多く、これを、几帳面なミスのない正確無比なミュージシャンが演奏すると、その曲の良さそのものが、別の良さへと大きく変わってしまう。
音楽は、何かを得ると何かを失うと言う側面を持っている。
◇こだわりが過ぎると障害になる場合もある
この2つの良さを併せ持つという事は、残念ながら不可能な事なのだ。
つまり音楽に完璧などなく、だからこそ人は、それぞれの価値観にしたがって、違った演奏を追い求めるのだろうし、多様な価値観の様々な演奏が存在するのだろう。
ここまで読んでくれた人は察しがついているだろうが、僕は、そのルーズな演奏の良さが大好きな人間だ。
しかし、ルーズな演奏は大嫌いでカッチリした演奏が大好きな人間だってたくさんいる。
僕達は、このルーズさや味も含めて、彼らの演奏を「上手い!」と表現する。
しかし、カッチリ派は、それを「下手」だといい正確無比な演奏を「上手い!」と褒める。
とまぁ、こんな感じであるが、この論争には、決着など永遠につかない。
結局は、何を持って上手いとするかと言うと、それは「自分の価値観」なのだから。
これは、どちらが正しいとか間違っていると言う話ではない。
これで揉めるのは余りにも馬鹿らしい、無駄なエネルギーの消費と言わざるを得ない。
まぁ、身も蓋もない結論だが、とにかく、そんな事で言い争うのはよそうぜ、諸君。( *¯ ³¯*)♡ㄘゅ
☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
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