すっぴんマスター -23ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第7話/花田派と鎬流

 

 

 

本部の道場で鎬昂昇と花田が激突する。

はなしとしてはジャック対戦権をめぐってということになっているようだけど、ワンマッチでもあり、ここの喧嘩で決まるようなことでもないだろう。ジャックとしても花田なんて、最大トーナメントの会場で見かけたことがあるくらいでぜんぜん知らないだろうし。でも、本部がくちをきいたら別かもしれない。

 

実戦ということでスタートしたものでもあり、それらしく、花田が脱いだ上着を足でひっかけて投げつける。途中で広がってしまって、失速することは避けられないので、これは視界を覆う意味があったんではないかとおもう。が、昂昇は造作もなく指でこれを両断する。

昂昇は、このふるまいを、本部流なのかプロレス流なのかと問う。花田は本部の弟子であるとともにプロレスラーという、考えてみればけっこう異色の背景をもった人物だ。ふつう、プロレスと武術というと正反対ということになるわけだが、本部にかんしてはそうではないと昂昇はいう。爆薬、ロープ、手裏剣、火炎、まるでプロレスだと。たしかに、手裏剣はともかく、どことなくプロレスチックな響きの武具ばかりだ。毒もつかうからな。霧ではないけど。

花田は反論する。隠し武器は本部の専売特許であり、「寸鉄身に帯びず」が花田派だと。そもそも、プロレスは相手を傷つけない格闘演劇である。毒霧を顔に噴かれても失明することはないわけで、やっぱり武術と対極であることにちがいはないよと。

 

よく喋るな2人ともと、本部がくちにしたことで一瞬場が和んだが、むしろその瞬間を見逃さないのが鎬昂昇だった。シャープな後ろ廻し蹴り飛び出し、花田は驚きつつもこれを体勢を落としてかわす。続けて鎬昂昇の連撃、花田はぎりぎりかわしているようではある。そして最後の突きを肩のうえに抱え、地面に投げをうつ。あの体制で投げられながらふつうに着地してる昂昇のほうがすごい気がするんだけど、彼はともかく最後の一発がはずされたことに驚いているようだ。むろん、この投げは、ほんのちょっと前に花山薫でテスト済みである。なるほど、あれは打撃対策だったのか。スピードではまだうえがいるとはおもうが、少なくとも花山のパンチであれができるということは大きな自信につながるだろう。

 

だが花田の全身はずたずただ。攻撃そのものは防いでいたようだが、ちょっと触れた指先などで切られてしまったのだろう。バキ世界では試合不可能というほどの傷ではないが、本部が止めに入る。「組手」の域を超えた、ここまでとすると。いや「実戦」ということだったのでは・・・と花田いうが、想定は想定であって実戦ではないと本部は強弁、試合終了となるのだった。

 

 

 

つづく。

 

 

 

本部はいいなあ、すごい本質的なことをさらっとやってくれるよ。実戦なのかどうかを確認してからはじまる実戦は、そりゃ実戦とは似て非なるものだよね。

そういうこと以前にも、ぼくはここから本部の大人っぷりが感じ取れるような気がした。強いものがいるときけば飛んでいく範馬一族のような生きかたも、存在としてはもちろんあっていいのだろうけど、現実の日常生活というものは、そういう極端さを受け容れるようにはできていない。勇次郎やバキのようにじぶんより強いものがまず見つからないような人生ならまだしも、花田のように勝ったり負けたりがふつうのファイターではもっとそうだろう。強いとみるなり挑んでいく、それも、腕試しレベルではなく命のやりとりのレベルで勝負する、そういう毎日の人物が、ふつうの日常生活を送るのは難しい。そしてそれは、場合によっては彼が求めている強さそのものから彼を遠ざけてしまう可能性すらある。たとえば、ただの喧嘩自慢ではなく、それこそ花山レベルに強い素人がいたとして、こういうものが道場破りをくりかえしているとする。彼は、どこにいっても苦戦するということがない。だから、空手だろうと柔道だろうと、どこの大将とやりあっても負けず、そしてなにも学ぶことなく道場を去っていく。強さの一点をとっても、たいがいの人間というのはそうたんじゅんにできていないのである。もちろん、範馬一族のような例外もあるだろう。しかし、本部は道場主でもある。つまり、学校の教師のように国家主導のものではないにしても、いちおう、教育的立場にある人間なのである。学校教育ほど一般論によらないにしても、ある程度の普遍的指導は、当然行っていかなければならないのである。

 

書いていて気付いたが、おもえばこの本部の立場というのは、『バキ道』最終話付近でジャックを誉める流れに至ったあの描写と対である。ガイア、加藤との、「実戦」についての議論だ。正直いま読み返してもなにが主旨なのかよくわからない議論なのだが、もっとも強さに餓えた男としてジャックの名があがるのである。

ちょうど目の前にバキ道17巻が落ちていたので、じゅんばんに、読みながら議論を追ってみる。バキは、普段着のまま、ウォームアップもなしで宿禰を倒したという。まさしく「実戦」である。となれば本部の土俵ということになるが、本部は、いうほど自分を含めた武術界は「実戦」的ではないという。たとえば、なんのためにこうして和服を着ているのか?ということだ。人格形成より有効性が武術では優先されるべきだ。つまり、もし和服が不便なら、ほんらいは変わっていかなければならないということだろう。社会体育的武道は「道」をうたちがちだが、人格形成が必要なら殺傷能力を身につける武術である意味なんてない。だから、愚地独歩や渋川剛気も道を説かない・・・。この次のはなしでは、「カッコばかり」が議題にあがる。演武、様式美に染まった武道は「カッコばかり」。前後して書くと、ジャックにはそれがない、というはなしだ。他人からどう見られるかなんてかんけいない、必要なときに嚙みつきも敢行するのがジャックだと。カッコつけないことは強みである。それと比べると、バキや勇次郎、道を説かないとされた独歩や渋川さえ「エエカッコしい」だと。そしてこのとき「エエカッコしい」とされたものたちを、本部は「刃牙らへん」と呼んでいるのである(←このぶぶんは思い出しては忘れをすでに何回もくりかえしている)。

 

その当時の記事でもう少し考察したような気もするが、ここでは読み返さないでおこう。いまこうしてまとめて書いてみて見えたものもある。ここで本部がいっていることは、要するに、実戦性の高さというのが、どれだけ餓えているかということに比例するのだということだったのだ。流れからしてそうなのである。「強さ」への餓えかたにも個人差がある。わけてもジャックは、他に類をみないほど「強さ」を求めていると。そんな彼の到達した境地が、象徴的な「嚙みつき」をメインにした嚙道なのである。この文脈では、いかにして人目を、「カッコつけたい」という欲望を取り払うかということが、武術性の高さに関係しているということになるのである。そうして、究極の武術体ともおもわれるジャックを配したとき、道を説かない独歩や渋川や、勇次郎や、つい先日、本部らも賞賛した「実戦」性とともに宿禰を葬ったバキですらが、「エエカッコしい」になると。そしてそれが「刃牙らへん」なのだ。

 

 

「刃牙らへん」というのが、この「エエカッコしい」のひとたちのことだ、ということを、なぜかすぐ忘れてしまうので、またこのひと忘れてるなとおもわれたかたには指摘していただきたいなとおもうが、ともかく、そうすると、本作のタイトル「刃牙らへん」は、「エエカッコしい」の、ジャックと比べればまだまだ実戦性、闘争への餓え、また純粋性に劣るものたちということになる。もちろん同時に、というか出版流通的な意味ではそれが「顔」になる以上こっちがメインだろうが、バキ周辺のサブキャラクターたちによる群像劇的な意味もあるだろう。だが、『バキ道』最終部分での本部たちの議論を踏まえると、ここにはそうした意味が含まれていることがわかるわけである。勇次郎が実戦性に欠ける?というのはいかにも疑問だが、「エエカッコしい」だといわれれば、そうかもしれないなとはおもわれる。時代がかった物言いや立ち居振る舞いなど、彼なりの「美学」は、たしかにそこにある。ふつうに考えると、それは別にあっていい、というか、あるのがふつうである。そういうレベルの、「それは人目を気にしているとはいわないのでは」という程度の「カッコつけ」さえ排除したのがジャックなのだ。ではバキはどうか? バキは、まさしく実戦というにふさわしいスタイルで宿禰戦にのぞみ、それを本部たちも讃えていた。しかし、果たしてあのときバキは、普段着である必要はあったのだろうか? 寝起きのまま試合に臨んでいたが、あれはほんとうに眠かったのか? 付き人の御手洗さんのくちから他人にそのことが伝えられることをほんとうに意識しなかったか? 普段着で試合場に出ることで観客がどう反応するかをまったく意識しなかったのか? 等々、考えてみれば「エエカッコしい」に相違ないのである。もちろん、勇次郎がそうであるように、誰しもそうした鏡像的自我を通じてはじめて自己確立を果たすものだ。しかも彼らには実力も伴っている。いまならともかく、バキや勇次郎は、ジャックよりも強かった。結果としてはカッコつよけようとなんだろうと、強さにはあまり影響はないともいえる。しかし、ここで本部たちが見出したのは強さへの「餓え」だったわけである。そこに、カッコつけをそぎ落とした真の実戦性は宿ると。

 

こうしたジャックの実戦性は、讃えるくらいならともかく、それをまっとうしようとするととたんに困難になる。というか、ふつうできない。人間には生活というものがあるからだ。それは、強さを求めるものにおいても同じである。程度のちがいはあれ、「じぶんがいちばん強いこと」を最良とする独歩や渋川のような人物がたがいにうまくやれているのは、最低限の社会性あってのことだ。これを、本部のような教育的立場のものはないがしろにできない。花田がもしこの鎬昂昇とのたたかいをほんとうの実戦に相違ないものと考えていたのだとしたら、ちょっと考え方が甘かったかもしれない。いや、それとも逆に、ここしばらく顔を見せないあいだに修羅場をくぐりすぎて感覚がにぶっているのか。ほんとうに実戦がやりたいのであれば、筋を通す必要なんてないし、ましてやじぶんのホームである本部の道場でやることもないのである。

 

ただ、これもまたいまふと思い出したのだが、ジャックは宿禰に勝利したあと、観客の声援を受け、甘いしびれとともに喜びを感じていた。彼にも、「強く思われたい」という「人目」への意識がないわけではない。だがその直後、まさに「刃牙らへん」を名指しし、尻の穴をさらしてでも勝つことと求める、じぶんのような渇望がなければ、(おそらく、じぶんに勝つのは)無理だ、ということをいうのである。つまり、ジャックは、「人目への意識の排除」を、意識的に行っているのである。彼にもそういうおもいはあるし、それが達成されれば喜びもする。しかし、それは実戦性や強さには直接関係しないことも、彼は理解している。だから、いつまでも「スマートさ」にとどまっている「刃牙らへん」に、「無理だ」といえるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第6話/どっちがイケる



水曜になってしまいました。毎回更新遅れてしまってすいません。明日発売号にも掲載はあるようで、記事に穴があくのも嫌なので、ざっと眺めるだけのものを書きます。そんな奇特なかたはそう多くないとおもいますが、ぼくの刃牙考察の理論構成に興味があるかたには、読まなくても済むように深入りしたものは書きません。



本部の弟子、花田が面構えもキャラデザインも一新して活躍する!そこへやってきたのはジャック戦をひかえる鎬昂昇である。

昂昇は、このたたかいが組手なのか実戦なのかを本部に訊ねる。彼にとっては、なにしろ技が技なので、とても重要なことだ。まあ、組手で独歩のハムストリング切ってたわけだけど。

行きがかり上始まったことであるからこれは実戦だ、というのが両者一致した見解だ。開始の合図はいらない、昂昇が花田のえりのあたりをつかむ。しゃべっている流れで筋的へ膝があがるが、花田はこれを防ぐ。続けて伸びた左正拳を、脇固め的な動きで花田が制す。だがその回転のまま、昂昇は蹴りを放つ。


花田はプロレスラーでもある。タフさはそうとうなものだろう。蹴りをまともに喰らいながら、ほんらいの昂昇じゃないということをいう。続けて、それじゃジャックなんてムリだと挑発。むろん、昂昇の貫手を引き出すためだ。突然突き出た昂昇の指は、かわされながらも花田の頬を裂く。


花田は両手をあげ、すばやく引き抜きつつわずかに跳んで上着を脱ぐパフォーマンスだ。そして足先でその上着を昂昇の眼前に放って視界を遮る。しかしこれは難なく引き裂かれるのだった。




つづく。



どうもジャック戦をかけた試合になるっぽい。花田はいっつもなにかの参加権をかけてたたかってるな。


ふつうにみると、花田は勝てないようにおもえる。昂昇は死刑囚ドイルともふつうに渡り合える強キャラなのだ。でも、花田だってほんとうは天才だ。柳戦の本部みたいに、作中で機会を得られなかっただけかもしれない。それに、これで花田が負けたら、ちょっと登場した意味がなさすぎるもんな…。ということは花田が勝つ?!勝てるかなあ。






第90審/至高の検事26

 

 

 

組から絶縁状を出されてしまった京極。面会に訪れるものもいるだろうに、京極はそれを弁護士の山城から聞かされたのだった。

いつも落ち着いている京極が激怒、椅子を投げつけて暴れる。絶縁されたことに切れているというより、されるはずがないということのようだ。組長がじぶんの首を切るはずはない、誰か裏で絵を描いているやつがいると。事実、組長は京極を気に入っており、雁金はそれを説得することでこれを実現したのである。猛の件で構成員を私物化するようなふるまいをとったことを雁金は強調したのだった。げんに猛は殺されているのだし、私物化というほどのものでもないような気もするが、まあ、雁金はうまくやったのだろうな。

 

その雁金が期待するのが宇治という大物新人である。仮想通貨をつかって先月20億も組に入れたという男だ。これからの仕事をすすめるのに、今回の件で組の傘下に入った壬生の部下が欲しい、ということだったが、その前に裏切り者の壬生を見つけろ、という指示だった。

ホテルの外で車を待つ宇治は、痰を吐き捨てる老人をとがめる。そして、汚いから拭けとポケットティッシュを差し出すのだった。じぶんのティッシュを出すのがおもしろポイントだ。しかもこれ、鼻にやさしい種類のしっとりしたやつじゃん。未開封のやつがひとつ尻ポケットに入ってないと不安になるタイプだな・・・。

老人は宇治がヤクザだとわかったようだが、ぜんぜん臆することなく口の利き方などに文句をいうツワモノである。宇治は、ヤクザとか関係ない、人より長く生きてきたなら想像力を使えともっともな言い分だけど、老人が無視してどこかにいってしまったので、宇治はじぶんでこれを拭くのだった。マジで「汚いから」だけの理由で声かけたっぽいな、丑嶋社長かよ。

 

その宇治がメッセージアプリで連絡をとるのは壬生である。前回この予想はコメントでいただいた。京極絶縁、雁金は組長に昇進、そのボンクラ雁金のもとでじぶんは若頭となり実権をとると。壬生はそれをみて微笑む。要するに壬生と宇治はグルだったわけである。しかも、口調からすると、利害が一致したからそうなったというよりは、長年の友人のようなのだ。強固な関係というわけだ。

 

少し前の描写になるのか、どこかのお寺の境内で宇治と壬生が雑談している。アメリカの軍事産業株が上がっているはなしをしている。戦争勃発の予想が的中したと・・・。どの戦争のことかわからないが、これはいまより前のはなしのわけであるから、ウクライナのことかもしれない。

そこで、国産の武器のはなしになる。きっと国産は性能がいい。しかし宇治は、自首防衛能力を剥奪されている現状では無理なはなしだという。

壬生もこのことについては同意するもので、アメリカの核の傘で守ってもらえるとほんとうにおもっているのかなという。占領軍が9日間でつくった憲法を80年後生大事に崇めているさまはまるで新興宗教だと。

核兵器を使用して戦争を終わらせたアメリカと同盟って馬鹿げてる、憲法9条により丸腰のまま核武装した国と交渉したってなめられるに決まってる、このままではアメリカだけではなく中国の属国にもなってしまうと、このあたりまではふたりの見解は同一のようだ。壬生はもう少し具体的にはなしをもっていく。9条をいますぐ破棄して、核弾頭を装備すれば済むはなしだと。だが宇治は、それを「物騒だなぁ。お前らは。」と寝転がりながらいう。

※この部分、読み違いがありましたので、最後に追記があります。

 

 

 

「俺たちが絶対に奪われてはならなかったものは、

自首防衛権でも、金でもない。

 

信念だ。

信念が奪われた。」

 

 

 

価値基準がないから判断できない。目先の損得だけの拝金主義。これを変えるにはどうすればよいのか? 奪われた信念はどう回復するか? 宇治は敗戦後の、占領軍も驚く日本の屈服っぷりをいう。宇治の言い分を補うと、このときに、信念らしきもののいっさいは消滅した。つまり、信念がそれとして生きるためには、まずちからが必要なのである。

 

 

そして現在、九条と壬生の描写に戻る。壬生は、明治以前の教えを説く塾に通っていたらしい。天皇や武士道、仏教、儒教などを教わったと。そこの塾生についてのはなしだが、たぶん宇治のことだろう。そして、いま思い返していたことをそのままいう。自分だけが大事の価値観でよいのか? 命をかけて守るものがあるなら死ぬ覚悟が必要だ、広い海を眺めながら、壬生はそのときこういう美しい景色を思い浮かべたという。壬生は九条に、その男、宇治の顧問弁護士になってもらいたいというのだった。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

なんかクライマックスっぽい、終わりそう、みたいな印象が続いていたところですごいのが差し込まれたものである。

 

壬生と宇治が通じているのでは?という指摘はコメントでもあった。壬生は、負ける戦いはしないといっていた。つまり勝算があって、京極を陥れたわけなので、その勝算とはなにか、というところだったわけである。絶縁まで予想できたとして、10年後、無力化は果たされてもある種無敵になった京極をどうするつもりなのか、という問題は、壬生の暴力の大きさを勘定にいれても、わずかには残っていた。こたえは宇治だったというわけである。これは、菅原と犬飼を倒したときにも使っていた手だ。菅原は、圧倒的な人数にものいわせて壬生から金を奪い、介護施設ビジネスをなきものとされたうらみをはらそうとした。しかし、菅原の背後にひかえたモブマッチョはみんな壬生の手に落ちていたのである。

この「実は敵のなかに味方が潜んでいた」という戦略は、危うさも含んでいる。モブマッチョたちをどのように手なずけたのかは不明だが、金が理由だとしたら、それはいつ転倒してもおかしくないということになる。そういう領域に入るということは、じしんもそれをされても文句がいえない状況になるということなのだ。これを予防する方法はひとつしかない。その、敵を手なずける根拠を、交換不可能なものとすることである。たとえば、モブマッチョたちが壬生のカリスマ性に感服したうえで味方についたのだとすれば、この問題はかなり解消されるのだ。仮にカリスマ性が測定可能な数値で、壬生以上のカリスマがあらわれたとしても、じっさいには壬生のカリスマは彼しか持ち得ない固有のものなのだ。その点、宇治は長年の友人っぽいので、とりあえず心配しなくてよさそう。

 

今回、壬生と宇治、そして作品そのものは、憲法9条問題に突撃することとなった。本作のタイトルが明らかになった当初の真鍋読者や、また現在でもまだ本作を読んでいない未来の読者が想像する内容は、むしろこれだったろう。闇金ウシジマくんで一世を風靡した一級の社会派漫画家が、今度は憲法に切り込むのかと。じっさい、その気はあったんだろうなという感じはする。なぜいまここに切り込むのかといえば、おそらく準備が整ったということではないかとおもう。準備というのは、作品として、また作品内のキャラとして、憲法より高次のレベルで「法とは」という問いかけがなされているということだ。

いくつかポイントはあるが、いちばん最初に思い浮かぶのはやはり九条と烏丸の「悪法」にかんするやりとりだ。たぶん10巻収録になるとおもうが、九条が逮捕されたあと、アクリル板ごしのやりとりで、まず烏丸が、悪法も法なら、制度とたたかうという。対して九条は、掻い潜るという。こういう、「法とはなにか」というもっとも広い問いかけについて、いくつかの異なるスタンスが描かれている、そういう状況をもってして、はじめて憲法9条の描写が可能になったのである。

 

複雑そうにみえてそうでもないかもしれないが、ぼくの想像も含めて書くと(ここに書かれていることはすべて想像だが)、まず真鍋先生の物語のスタイルとして、作者の漂白ということがある。要するに、作者個人の主張、価値観、美意識みたいなものをぎりぎりまで薄めてしまうというものだ。このことが、通常は感情移入できない異物的な人物へのそれを可能としてきた、というのがぼくの見立てである。バカで同情の余地もない犯罪者的人物を、「バカで同情の余地もないなあ」という作者の価値観を隠さないまま描いては、この人物はただ既存の記号的立ち位置を出ることがない。ウシジマくんも九条もそういう漫画ではなかったはずだ。読者は、ちょっとうしろ下がってみると明らかにふだんの人生とは無関係で、関係しそうになったら逃げ出したくなるような人物に、感情移入してきた。それは、仮に「バカで同情の余地もないなあ」と作者がおもったとしても、漫画として実現するにあたってはそれが(とりわけ写真的技法を通じて)零度になっているからなのだ。

これを踏まえて、憲法について書こうとする。だが、9条に関しては、おそらくこれまでの「作者の価値観の漂白」では、たりないのである。なぜなら、国民的合意形成の現場で、いくつもの言説が、それぞれ強固に成立しきってしまっているからだ。ただ作者不在の状況を作り出して、写真を撮るように物語を抽出しても、それが受け取られる場所ではそうもいかないという状況になりかねないのである。亀岡がフェミニスト的ふるまいをとっても、それはたんに亀岡というフェミニストがどのようにふるまっているか以上の意味をほんらいもちえない。作者がそういう価値観であるということでもないし、あるいは亀岡と意見を異にする九条と同じ見解であるということもない。けれども、ある程度以上の強固さをもってげんにわたしたちの世界にあらわれている「ものの見方」は、そういう漫画的技法を無視して作用するのである。

 

こうしたわけで、憲法9条を真鍋作品として抽出するためには、準備が必要だった。これまで通りの「作者不在」だけではたりない。その準備とは、「法とはなにか」という問いかけと、それに対するいくつかのこたえ、姿勢だったというわけである。

さて、壬生と宇治は9条を破棄しようとするものである。つまり、悪法も法なら、制度とたたかうという、烏丸と同型ということだ。烏丸が9条についてどう考えるかはわからないが、もしそれが「悪法」なら、変えなければならないというのが、この種類のものたちの立ち位置ということになる。問題は九条がそうではないということだ。九条では、もはや憲法9条が「悪法かどうか」さえ問題の俎上にはあがらない。ただ、巧妙に掻い潜り、利用するだけである。というか、それが弁護士の仕事だと信じている、といったほうがいいだろうか。これが、宇治の顧問弁護士になるということなのだ。

 

ただ、注意してみると、宇治と壬生では厳密には異なった視点にいるようではある。

※この部分、読み違いがありましたので、最後に追記があります。

ひっかかるのは、「物騒だなあ お前らは」の、「お前ら」は、なにを指すのかということである。ひとつには、まず「半グレ」だろう。宇治と壬生では仕事の内容もそれにかかわる人間関係のもろもろも異なっている。もうひとつは、9条を破棄しようと主張する壬生の背後に広がる「9条を破棄しようと主張するひとたち」である。ふたりの考え方はほとんど等しいが、このぶぶんでのみ、わずかにかみ合っていない感じがある。壬生は、とにかく「なめられている」という感覚が強い。丸腰で外交したってそりゃそうなると。そして、この感覚は丑嶋社長以来続く不良たちの自尊心保持の根拠と地続きだ。いま「不良」としたのは、半グレだけでなくヤクザも同型の価値観でいることがあるからである。ただ、ヤクザはそもそもそういう命題が前景化されることは少ないようにおもわれる。どちらかといえば、ハブがそうだったように、すでになめられており、おわりが近づいていると、そういう感覚が訪れたときのみ、この感情があらわれるようなのである。そもそも、ヤクザになるということが、そういう「なめられたらおわり」の世界から脱し、なめられない世界に身をおくということを意味しているからだろう。だから、理論的危うさを認めつつも、この価値観は半グレのものであると言い切ってしまってもいいかもしれない。そう考えると、いま書いた「お前ら」の指示するものは、二者一致することになる。つまり、半グレと、9条破棄を主張するものである。これに、おおむね同意しつつも、物騒だなと、宇治はわずかな違和感を表明するのである。

対する宇治は、ではどういう考えかというと、引用した信念のくだりに集約される。ここでいう信念とは、状況によってかわるようなものではない確固とした価値観のようなもののことだ。「ひとの悪口をいわない」ということが信念なら、占領軍に銃を向けられても悪口をいうことはないだろう。だが、圧倒的ちからの差でこころを折られたものは、いつまでもそれをしないで済むだろうか。だから、占領軍に銃を向けられても屈することがないちから、「権力」を宇治は求める。ともに暴力を求めつつ、壬生は「なめられないため」、そして宇治は「信念を折らずに済むようするため」、互いに微妙に異なった動機からはじまっているのである。

 

壬生は、このようにして、ある種の幼さも残した根拠により9条破棄を求めるものだったが、宇治のはなしは黙って聴いており、しかもこのときのことばをそのまま引用するかたちで九条にはなしている。したがって、現在の壬生も回想シーンのままの観点ではない可能性がある。このあたりからはなしは複雑になる。というのは、九条こそが、信念に生きるものだからだ。宇治は、信念を折らないために、ちからが必要だという。だが九条は、そこにちからを必要としない。掻い潜るのだから。これが宇治の弁護士になるというのがどういうことか? この状況が複雑さを呼ぶのである。


※コメントをいただき、致命的な読み間違いを発見しました。ご指摘感謝いたします。壬生と宇治のやりとりの場面には、彼ら以外もうひとりおり、それが寝そべってはなしをしている人物でした。したがって彼のいう物騒な「お前ら」とは、壬生と宇治のことでした。この場面で立ってるひとが、この場面では座ってる、みたいなことがよくあるので、そういうやつかと思ってスルーしてしまいました、すいません。


人物は白州次郎みたいな帽子を顔にのせて寝そべり、少し離れたところからはなしを聞いていたようである。壬生がこの人物のセリフを引用し、九条に依頼しているところをみると、どうやら九条が顧問になるのはこの白州次郎みたいな男っぽい。宇治をその人物と読み替えれば意味は通るので、もとの即興スタイルを保持するためにも、原文はいじらず間違ったまま示すことにする。

どことなく先輩感のある人物だが、壬生の言い方や「世代」という発言からして、同世代と思われる。壬生と宇治はほぼ同じ思想で、彼がもう少し大局的な、本文で宇治のものとした、信念云々の考えをもっていて、壬生らは影響を受けているという感じだろう。としたら、壬生も宇治も、いまではもはや「なめられたらおわり」的な価値観からは脱しているのかもしれない。

 

 

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第89審/至高の検事25

 

 

 

嵐山と取引をして九条を売ることになった壬生。壬生は京極の武器を提出することで自首し、みずからの身を守るとともに、10年間京極を封印することに成功したわけである。と同時に、犬飼への逃亡示唆ということで九条についても告発、壬生はその取引の結果無事外に出れたわけである。

 

烏丸のサポートもあり、伝家の宝刀20日カンモクパイで解放されたっぽい九条が壬生と会う。ダーチャみたいな謎の家である。いや、以前こんな描写があったような気も?

壬生はご機嫌でプロテイン入りコーヒーを出そうとして、九条は、それは市民権を得ている当たり前のものなのかとかいったりして、気軽な雰囲気である。しかしもちろん、そんなことはない。なぜじぶんを売ったのかと、九条は率直に訊ねるのだった。

ひとことでいえば、九条を守るためである。京極は九条を非常に信頼していた。「捨て駒」というのがなんなのかよくわからないが、ともかく、京極に利用される前に解放したのだと。さらに、表向き壬生は九条を裏切っているわけで、そんなふたりが共謀して京極を陥れたとは誰もおもわない、ということもあったようだ。なるほど、壬生としてはこれが最適解だった、というわけである。

といっても、京極は死んだわけではない。10年したら出てくる。そうなったら、壬生は確実に殺される。

壬生は、九条との共謀を秘密にするためには、あくまで「九条を裏切った」という物語を生きなければならない。京極やその仲間だけではない、じぶんの部下たちからも、平気でひとを裏切るやつだとおもわれていることだろう。そんな全方位に敵がいる状況で大丈夫なのかと九条はいう。これは、以上の経緯を踏まえて言い換えれば、じぶんと共謀する仲のままでよいのか?ということになる。九条と壬生は誰にもばらすことのできない秘密を抱えることになった。それを他人に打ち明けることじたいは別に難しくない。しかし打ち明ければ九条も殺される。それよりも、全方位に敵をつくって九条と親密でいるほうを、彼は選んだというはなしなのである。

しかし、壬生にはなんらかの根拠に基づいた自信があるようだ。負ける戦いはしない、勝つ戦いだけをすると。

 

山城と面談中の京極が組員のことで相談をもちかける。嫁の銀行口座で給食代を払っていたが、ついにそれまで止められてしまい、給食代が払えなくなって子どもがクラスでいじめられていると。銀行を訴えられないかというはなしだ。いいけど、それどころじゃないのでは?みたいなことを山城はいう。伏見組から絶縁状が出ているというのである。京極はぜんぜん知らなかったみたい。絶縁されちゃったら、お金も動かせないから、こんなふうに弁護士をあごで使うこともできなくなるだろう。給食費の件は組員が面会にきたときに話したんだろうけど、そのとき彼は絶縁状のことを知っていたのだろうか・・・。あと、あれだな、もしかしたら壬生はこの件も見越していたのかもしれないな。

 

雁金は満足しているらしい。京極逮捕から登場し始めた人物だが、たしかに、振り返ってみると、ふたりが会話してる場面とかは描かれなかった。雁金は露骨に反感を出すタイプではないだろうが、用がなければ会わないという関係性だったのかもしれない。暴力丸出しの京極タイプの時代は終わったと。京極は組長に気に入られていたが、武器庫に武器を大量に抱えていた件と、猛についての個人的な復讐心で組員を私物化した件で組長を説得、筋の通った絶縁が成功したと。その彼の横には井森レベル100みたいなメガネひげの宇治という男が座っている。立場的には雁金よりしたみたいだが、これからは金と頭脳と暴力が三拍子そろっているお前の時代だと、雁金はそうとう気に入っているみたい。だが、いつものような名前の表示は出ていないな。

 

気に入っているのは、金をしっかり納めるからだ。DEXとは仮想通貨分散型取引所のことらしく、今月も20億組に入れたと。ふつうにやっている会社もあるみたいだが、それとは別に、ハッキングによる盗難と、もぐりこませたDEX業者に顧客資金を引き出させて傾きかけた会社を買収するということを加えてやっているという。雁金にもぼくにもちんぷんかんぷんだが、まあ金が入るならなんでもいいよ。

その宇治が、雁金に頼みがあると。壬生の手下を預けてくれないかというはなしで、ここで宇治が本編にからむことになるわけである。壬生の手下って、たぶん久我らのことだろうけど、そういう、元半グレみたいな荒っぽい人間が必要なんだそうだ。だが雁金は、その前に裏切りものの壬生を探すよういうのだった。

 

 

 

つづく。

 

 

 

九条と壬生が海辺で散歩している。九条しかこの場所は知らない、尾行されていなければ大丈夫だというはなしで、壬生の九条への固着はそうとうのものだ。

九条は、裏切られて20日勾留されたことにちがいはないのだし、まだすっきりしているようではないが、とりあえずふたりの関係性が戻ったようでよかった。

 

京極は組から絶縁されてしまった。いま現在、たとえば山城を雇うに際して、どのようにお金が動いているのかよくわからないが、もし組のお金を使っているのだとしたら、山城を雇い続けることも不可能になってしまうだろう。いや、弁護代ってどういうふうに決まるのかも知らないので、じっさいのところぼくにはなにもわからないが・・・。ともあれ、山城は金があるからこそ京極の弁護もするというタイプの人間であるのだから、彼が離れてしまう可能性も出てきたとみるべきだろう。ヤクザ組織という背景なしで、強者だったヤクザがどのようにふるまうことになるのかというのは、考えてみるとウシジマくんでも描かれなかったことだ。この後京極がどうなっていくのか、かなり興味深い。しかも京極は、彼個人の思いいれもあって、上下関係を重んじるタイプの古いヤクザである。それが京極のいう「道理」だった。これが壬生にはないと。雁金は結果として京極を切る方向に動いたが、このときも「筋」は意識していたようである。この件で、道理を重んじつつも雁金に反論するということが、京極にはできなくなっているのである。ソクラテスが死刑を受け容れたように、「道理」のヤクザを自認する以上は絶縁を受け止めなければならないのだ。もしそれができなければ、彼のいう「道理」とは、それが成立することで事後的にまるでそれがアプリオリのものであるかのように語られる、建前上のものでしかないことになる。じぶんが壬生のような半グレとなにがちがうのかということが、絶縁によって試されるかたちとなるわけなのだ。

雁金はそれでも壬生を探してはいる。伏見組のものが裏切られたということにちがいはないから、ということもあるだろうし、「筋」を通すということもあるだろう。京極についてはもう切ってしまっているのだからどうでもいいといえばどうでもいいのだが、大きくみれば伏見組が裏切られたということにちがいはないのだし、ここできちんと筋を通して裏切りものを探し続けるというふるまいをとり続けることは、10年後に京極が出所するときまでひきずることになる禍根を緩和するだろう。

だから、壬生はこの「絶縁」を予測できた可能性はあるのだが、それが彼の考える勝算に直接つながるともおもえない。つまり、この件で彼は10年後確実に京極にねらわれるし、そうでなくてもいま伏見組が彼を探している。なんとなく、雁金は、壬生を殺すよりは久我路線で引き入れるんじゃないかという気はするけど、ともかく探しているのだ。あるいは、雁金の「壬生探し」があくまでポーズであり、やがて弱まっていくだろうということも予測しているのかもしれない。そうなれば、あとは絶縁されてちからを失った京極が残るだけだ。それなら勝てると。

 

壬生の九条への執着はそうとうなものだ。これが恋人関係の固着だったらちょっとゾッとするレベルかもしれない。利害関係で読み取り可能な関係だから、まだ納得できるというものだ。弁慶の辞世の句「六道の 道のちまたに 待てよ君 遅れ先立つ 習ひありとも」の引用は、そのままに、地獄の果てまで運命をともにするという意味だったわけである。

ごく単純化していえば、まず壬生は、武器を提出することで、京極を陥れ、かつじぶんの身を守るということを同時に達成した。しかし九条がシャバには残ることになる。これは二重の意味で見逃せない。まず、凄腕の九条が京極につくであろうということ、そして、京極を落としいれた計画に九条が関与している疑いが生じうる、つまり九条の身に危険が及ぶかもしれないということ、この2点である。だから、壬生は九条を売った。バッジをとばす危険や、そうでなくても逮捕されたという醜聞を勘定にいれてもそのほうがじぶんにとっても九条にとってもよいと壬生は計算したのである。その結果として、表向き「九条を売った壬生」というイメージが完成した。そのイメージが定着するのであれば、壬生と九条が組んでいるというふうに考えるものは出てこないだろう。だが、壬生は多くを失う。菅原がどこまで知っているかにもよるだろうが、その他大勢の半グレからは見放されてしまうだろう。それでも九条を守る、それだけ九条が必要だと、こういうことなのだ。

 

壬生の目的はなにかというと、それはひとつではないだろう。もっと金をかせぎたいだろうし、悪の道をつきすすんでいきたい。だがもっとも直情的な彼の動機は、おもちのかたきうちだ。彼は、京極から逆らえない命令を下されて、みずからの手で愛犬おもちを殺した。そのうらみが、彼のもっとも大きな原動力だったのである。このうらみは、今回の件で果たされたのだろうか。おそらく、こんな程度では足りないはずだ。とすると、おそらく彼は、10年後に無力化した京極が出所してからのことまで考えてこの計画を立てたはずなのである。無力化した京極を壬生が殺すことはかんたんかもしれない。それならある意味すでに目的は達成されたともいえる。だが同時に、この「10年」という保留期間に、なにかべつのものも感じないでもない。というのは、じっさいのところ京極への復讐心というのは、半グレでい続けるためにはとても大きなものだったにちがいないのである。つまり、それは原動力としては失うのが惜しいほどの火力を孕んでいたのだ。じっさい、なんなら殺すか?みたいなはなしさえしていたのに、壬生はそうしなかった。絶縁を見越して、カンモクパイで出てくるような状況にももっていかなかった。これは、彼自身がそう意図してやったというようなはなしではない。おそらく無意識に、壬生は京極への復讐が完了することを回避したのである。誰かを殺そうと決めて行動しても、じっさいに殺さないのであれば、それは犯罪ではない。いつかぶっ殺してやるとくちにしながら、その熱量だけを糧にして、けっきょくは殺すつもりがない、そういう状況が、彼ら不良にとってはベストなのだ。その、犯罪的精神を宿しつつぎりぎりのところでそれを実行しない緩衝材みたいなものが、おそらく壬生にとっての九条なのだ。たんに、じっさいに犯罪を発生させてしまったときのライフラインが九条であるだけではない。そうならずにいるための精神的よすがのようなものとしても、九条は機能するのである。

 

たほうで九条は、前回考えたように、離婚や学生時代の苦痛などを抑圧するために弁護士業を必要とする人間である。厭うべき記憶を抑圧する方法は、直視しないことである。そしてこれが、彼のいう「黙秘」のコツそのものだったのだ。彼は、トラウマ的記憶に関しては黙秘する。そこにいかなる価値判断もくださないよう、自我を再構築する。そのとき彼がすがりつくのが、「神の呼び声」にしたがって歩む弁護士の道なのである。これは、嵐山の人格攻撃によって揺らいでしまっていた。嵐山はたくみに彼が黙秘を決め込んでいた記憶を揺さぶり、呼び起こす。そうして、離婚と勉強は連関するものとしてよみがえり、ペンをがりがりかんでしまったのだ。九条にとっての弁護士としての自負心は、そのまま「黙秘」の強度につながり、嵐山が揺さぶりをかけた「人格」のアウトラインを決めていくだろう。弁護士として必要とされる、そういう状況の唯一無二性が高ければ高いほど、彼の黙秘の強度も高まるというからくりである。かくして、九条と壬生は、共依存的に互いをどうしても必要なものとして規定するのである。

 

こういう唯一無二性を抱えた関係性というものは、それじたいの価値は高いとしても、危ういものだ。それが失われたとき、バランスが大きく崩れて立ち上がることができなくなってしまうからだ。リスクヘッジ的に問題があるのである。それを、特に壬生がわからないはずはない。もちろん、彼には九条が裏切らないという確信があるのだろう。九条の人格を見抜いたうえでのことでもあるだろうし、京極という共通の敵をなかば強制的に抱えさせることで、じぶんについていたほうが得だという状況を作り出しているということもある。だがそれ以上に、退路を立つというような意味もここにはあるだろう。九条にはむりやりつきあわせるかたちにはなるが、それ以外にやりようがないという状況にみずからを追い込むことで、通常であればあらわれようもないパフォーマンスを生み出そうとするのである。

 

 

 

↓九条の大罪 10巻 12月27日発売予定

 

 

 

 

 

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26日、ディズニーランドに行ってきたぞ!今年2回目!

 

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ぼくがハロウィン生まれで相方がハロウィン好きなので、この季節のディズニーには、はるかむかし十数年前から行ってみようということを話してきたのだが、いつの間にか39歳になってしまった。39歳は関係ないけど、まあ、40歳になる前に来れてよかった。孔子にいわせれば、40になったら惑わなくなってしまうからな。まだまだジュディとかジェラトーニみて具合悪くなりたい。

 

 

前回ランドにいったのが7月で、13年ぶりとかだった。まだそこまで暑くなってはいなくて、混雑もそれほどではなく(帰りのショップは戦場だったが)、快適だった記憶しかない。その後8月に行ったシーが、致死的な暑さとお盆休み的な混雑でやられてしまい、シーのあの広さもあって、登山レベルで消耗してしまったことをおもうと、7月のランドはいいタイミングだった。今回は暑さも失せ、混雑もおそらくハロウィン直前のものをおもえば常識の範囲内ということで、さらに快適なものとなった。あと、慣れたらまたはなしはちがうんだろうけど、シーは初心者のままではすごく迷う感じがする。いま歩数をみたら、今回ディズニーが19575、シーが23075、前回ランドが20421だった。でも、そんな程度のちがいなんだな。前のシーは5万歩くらい歩いた感じがした。

なんで13年も行っていなかったかって、仕事で同じ休みがとれなかったからだが、かといって、とれていたとしていっていたかというと、あやしいぶぶんはある。ぼくらにとってもっとも決定的なのは、パークの混雑やなんかではなく、行き帰りの電車である。その混雑と、乗り換えである。だが、今年は新宿・東京を経由しない行きかたを知り、それがとても楽だということを発見して、より積極的になっているのであった。乗り換え回数が増えてはいるので、たぶんこれまでは最初から候補にしていなかったのだろう、覚えていないけど。ディズニーに行く=東京駅経由と思い込んでいたのである。

 

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前回からの課題としては、もう少し効率的に動けたらということで、今回はアプリ以外に講談社のガイドブックみたいなやつを買って、いろいろ調べてから出かけた。見切り発車の即興人生なので、いつもとても時間をむだにするのである。まあ、それはそれで楽しいし、そのスタイルそのものを変えるつもりはないのだけど、もう少しこう、目的地みたいなものがあってもいいのではないかと。それで、ガイドブックについた地図をとりはずし、行けなくてもかまわないくらいの強度で行きたいところに印をつけ、あと前回パークの西側、ウエスタンランドのほうにまったく行かなかったので、そこのほうに行こうとか、チュロスがどこに売ってるのか調べてもわからずあきらめたのを見つけようとか、そんな程度のことだけ決めたのだった。あと、これまでのパーク体験で、ぼくはじつは「××マウンテン」系のやつにいちども乗ったことがなかったので、それもなんとかしようと。正直にいうとそこまであの手の乗り物には興味ないんだけど(極論をいえばただパークのなかを歩くだけでぼくの目的は達成される)、とりあえず森鷗外をまったく読んだことがないというのは文学青年としてまずいから舞姫だけ読んでおこうとか、そういう感覚で、乗っておいたほうがいいかもしれんと考えたのである。ぼくはディズニーの物語の世界が好きで、そこに入り込めるパークが好きなのであるから、美女と野獣のあの「魔法のものがたり」とか、あとハニーハントとか乗れたらそれでいいんですよね。なので、ビッグサンダーマウンテンかスペースマウンテンに乗りたいと考えていったのだけど、結論からいうと、どちらも乗らなかった。細々決めていった「いけたらいく」ところに寄っていたら時間なくなっちゃった。まあ、スプラッシュマウンテンは、背景の物語に問題があって、いつかなくなるかもしれないけど、ぬれるのやだからいいかな・・・っていう感じだし、あとのふたつはなくなるものでもないから、いつか乗れたらいいかな・・・というところだ。

 

 

今年はディズニーリゾート40周年ということで、ハーモニー・イン・カラーというカラフルなパレードが日中行われている。前回も超見にくい場所から見たのだが、あれから基礎力を高めて、よく知らないキャラや物語についての理解を深めてきた。パレード参加のものでいうと、これまで見たことのなかったポカホンタス、リメンバー・ミー、それにズートピアをしっかり鑑賞したのだ。これが13時ということであったから、12時くらいに舞浜につくように行動した。しかし、今回も座る位置を失敗した。きちんと案内される場所に座れば見えるようになっているんだろうけど、ぼくらは、なんというか、ぐいぐい前面に出れなくて、きっと同類のかたもおられるとおもうが、できたらこう、いちばんうしろのほうからこっそり見たいタイプなのだ。しかしそれでは見たいものも見えないのである・・・。この点については、夜のエレクトリカルパレードにおいて、じっさいにはたまたまなのだが(歩いていたら急にキャストのひとに案内・誘導された)、指定の場所に座ってパレードがくるのを待つということを人生ではじめて行い、想像をはるかにこえた距離感と解像度でミッキーたちを目撃、呼吸できなくなるという経験をして克服できたようにおもう。これからはうじうじしてないで案内にしたがい、詰めて座っていこうとおもう。みんなレジャーシートもってきてたけど、そんな用意はないので、あきらめてじかに座った。かといって次回からレジャーシートというのもかさばるので、なにかこう、つかったら捨てられるでかい紙みたいのをもっていけばいいんではないかなと考えている。

 

 

それから、ハロウィンということなので、当然のことながら仮装しているひとがたくさん見えた。見えたが、まだ26日だったということもあるかもしれないけど、おもったほどたくさんいるわけではないというか、コスプレにも程度というものがあり、全身作りこんでいるひともいれば、ただ小物をつけているだけのひともいるわけで、想像したほど超私服の場違い感はなかった。渋谷ハロウィンの非知性的なイメージもあって、コスプレというよりコスプレをするひとたちへの抵抗感というものは当初否定できなかったのだけど、そういう感情もまったくわかなかった。というか、あれとはモノがぜんぜんちがうのだろう。ただただ、来園者の幸福感と愛が伝わってくるだけで、これも新鮮な体験だった。包み隠さずにいうと、そういうコスプレについては、若干冷笑系であることは否定できなかったわけですよ。ところが、現場ではそういう感覚はいっさい生じなかったのだ。ズートピアのニックとジュディのカップルが多かったようにもおもうが、それはたんにじぶんがズートピアを見たばかりだからそう感じるだけかもしれない。みんなかわいかった。また、プリンセスの仮装とか、あそこまで完璧にがっつりやるのか・・・という衝撃もあった。園内のホンモノのプリンセスのひとたちは、グリーティング気合入るだろうな、などとくだらないことをおもった。

 

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ジュディラブ

 

 

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ガジェットラブ

 

 

記録の意味もあるから正確に書きたいのだけど、もう忘れちゃったな。スペースマウンテンのところには喫煙所があるので、わりとそのあたりを拠点にしがちである。トイレもすぐ近くで座るとこもいっぱいあるのだ。前回もそこを中心に動いたけど、今回も同じだったな。で、最初はガジェットのコースターに乗ったのだったかな。トゥーンタウンにあるやつ。ガジェットは大好きなのだけど、ちょっと子ども向けかなとおもっていた。調べたら大人もヨシということなので、乗ってみた。並んでいるところからガジェットの手作り感が出ていてたまらなかった。ただ、やっぱりコースターの椅子は小さかったかな・・・。ディップスマシンでトレーニングするシェイマスみたいにみっちりになってしまった。

 

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美女と野獣のやつは、前回入ったし、また行きたい気持ちもあったが、今回は西側を開拓することがメインと決めていたから、さびしかったがスルーした。ハニーハントももう人生で10回くらいは乗っているからスルー。ルフウのチュロスだけ食べて、西側に行った。といっても、ここでハロウィンのパレード的なやつがはじまってしまったのだったかな、しかもなんか寒くなってきて、カントリーベア・シアターに入ったり、その足でウエスタンウェアに入ってふつうにカーディガン買って、エレクトリカルパレードまでの時間を考えてまた小さな世界に入って・・・などと、けっきょく無計画に入りたいところに入るうち時間は過ぎていったのだった。ただ、このあいだは閉演後にショップを駆けずり回って野獣の抱き枕を買って、その日の消耗の3割くらいがそれだったことから、買い物は早いうちに済ませており、閉演までいることもないのかな・・・とか考えて、パレードのあとスターウォーズ乗ってそれで帰ろう、とか話していたのだけど(スターウォーズはなぜか締めのラーメンのように最後に乗る習慣になっている)、また例の帰りたくない病が出てきて、まだ20分くらいはあったので、日中は混んでいて並ぶ気にもなれないモンスターズインクの「ライド&ゴーシーク」に入ることにした。なにしてもなに見てもかわいくて幸せで、なんで帰らなきゃならないのか?帰るって、どこへ?みたいな気持ちにもなるのだった。

 

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西側を開拓・・・といっても、けっきょくはほぼなにもしていなくておもしろいが、まあそこでピザ食べたり船眺めたりはしたので、とりあえずはそれでいいのかもしれない。ただ、スペースマウンテンなどがあるトゥモローランドと比べると、あのあたりは夜になるとけっこう暗くて、ぜんぜん建物の位置がわからなくなってしまうな。次は最初に西側いって、ビッグサンダーマウンテンにまず乗ってしまって、という流れがよいかも。ハーモニー・イン・カラーがやってるうちにもういっかいは行きたいな。

 

 

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