今週の九条の大罪/第90審 ※追記あり | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第90審/至高の検事26

 

 

 

組から絶縁状を出されてしまった京極。面会に訪れるものもいるだろうに、京極はそれを弁護士の山城から聞かされたのだった。

いつも落ち着いている京極が激怒、椅子を投げつけて暴れる。絶縁されたことに切れているというより、されるはずがないということのようだ。組長がじぶんの首を切るはずはない、誰か裏で絵を描いているやつがいると。事実、組長は京極を気に入っており、雁金はそれを説得することでこれを実現したのである。猛の件で構成員を私物化するようなふるまいをとったことを雁金は強調したのだった。げんに猛は殺されているのだし、私物化というほどのものでもないような気もするが、まあ、雁金はうまくやったのだろうな。

 

その雁金が期待するのが宇治という大物新人である。仮想通貨をつかって先月20億も組に入れたという男だ。これからの仕事をすすめるのに、今回の件で組の傘下に入った壬生の部下が欲しい、ということだったが、その前に裏切り者の壬生を見つけろ、という指示だった。

ホテルの外で車を待つ宇治は、痰を吐き捨てる老人をとがめる。そして、汚いから拭けとポケットティッシュを差し出すのだった。じぶんのティッシュを出すのがおもしろポイントだ。しかもこれ、鼻にやさしい種類のしっとりしたやつじゃん。未開封のやつがひとつ尻ポケットに入ってないと不安になるタイプだな・・・。

老人は宇治がヤクザだとわかったようだが、ぜんぜん臆することなく口の利き方などに文句をいうツワモノである。宇治は、ヤクザとか関係ない、人より長く生きてきたなら想像力を使えともっともな言い分だけど、老人が無視してどこかにいってしまったので、宇治はじぶんでこれを拭くのだった。マジで「汚いから」だけの理由で声かけたっぽいな、丑嶋社長かよ。

 

その宇治がメッセージアプリで連絡をとるのは壬生である。前回この予想はコメントでいただいた。京極絶縁、雁金は組長に昇進、そのボンクラ雁金のもとでじぶんは若頭となり実権をとると。壬生はそれをみて微笑む。要するに壬生と宇治はグルだったわけである。しかも、口調からすると、利害が一致したからそうなったというよりは、長年の友人のようなのだ。強固な関係というわけだ。

 

少し前の描写になるのか、どこかのお寺の境内で宇治と壬生が雑談している。アメリカの軍事産業株が上がっているはなしをしている。戦争勃発の予想が的中したと・・・。どの戦争のことかわからないが、これはいまより前のはなしのわけであるから、ウクライナのことかもしれない。

そこで、国産の武器のはなしになる。きっと国産は性能がいい。しかし宇治は、自首防衛能力を剥奪されている現状では無理なはなしだという。

壬生もこのことについては同意するもので、アメリカの核の傘で守ってもらえるとほんとうにおもっているのかなという。占領軍が9日間でつくった憲法を80年後生大事に崇めているさまはまるで新興宗教だと。

核兵器を使用して戦争を終わらせたアメリカと同盟って馬鹿げてる、憲法9条により丸腰のまま核武装した国と交渉したってなめられるに決まってる、このままではアメリカだけではなく中国の属国にもなってしまうと、このあたりまではふたりの見解は同一のようだ。壬生はもう少し具体的にはなしをもっていく。9条をいますぐ破棄して、核弾頭を装備すれば済むはなしだと。だが宇治は、それを「物騒だなぁ。お前らは。」と寝転がりながらいう。

※この部分、読み違いがありましたので、最後に追記があります。

 

 

 

「俺たちが絶対に奪われてはならなかったものは、

自首防衛権でも、金でもない。

 

信念だ。

信念が奪われた。」

 

 

 

価値基準がないから判断できない。目先の損得だけの拝金主義。これを変えるにはどうすればよいのか? 奪われた信念はどう回復するか? 宇治は敗戦後の、占領軍も驚く日本の屈服っぷりをいう。宇治の言い分を補うと、このときに、信念らしきもののいっさいは消滅した。つまり、信念がそれとして生きるためには、まずちからが必要なのである。

 

 

そして現在、九条と壬生の描写に戻る。壬生は、明治以前の教えを説く塾に通っていたらしい。天皇や武士道、仏教、儒教などを教わったと。そこの塾生についてのはなしだが、たぶん宇治のことだろう。そして、いま思い返していたことをそのままいう。自分だけが大事の価値観でよいのか? 命をかけて守るものがあるなら死ぬ覚悟が必要だ、広い海を眺めながら、壬生はそのときこういう美しい景色を思い浮かべたという。壬生は九条に、その男、宇治の顧問弁護士になってもらいたいというのだった。

 

 

 

 

つづく。

 

 

 

なんかクライマックスっぽい、終わりそう、みたいな印象が続いていたところですごいのが差し込まれたものである。

 

壬生と宇治が通じているのでは?という指摘はコメントでもあった。壬生は、負ける戦いはしないといっていた。つまり勝算があって、京極を陥れたわけなので、その勝算とはなにか、というところだったわけである。絶縁まで予想できたとして、10年後、無力化は果たされてもある種無敵になった京極をどうするつもりなのか、という問題は、壬生の暴力の大きさを勘定にいれても、わずかには残っていた。こたえは宇治だったというわけである。これは、菅原と犬飼を倒したときにも使っていた手だ。菅原は、圧倒的な人数にものいわせて壬生から金を奪い、介護施設ビジネスをなきものとされたうらみをはらそうとした。しかし、菅原の背後にひかえたモブマッチョはみんな壬生の手に落ちていたのである。

この「実は敵のなかに味方が潜んでいた」という戦略は、危うさも含んでいる。モブマッチョたちをどのように手なずけたのかは不明だが、金が理由だとしたら、それはいつ転倒してもおかしくないということになる。そういう領域に入るということは、じしんもそれをされても文句がいえない状況になるということなのだ。これを予防する方法はひとつしかない。その、敵を手なずける根拠を、交換不可能なものとすることである。たとえば、モブマッチョたちが壬生のカリスマ性に感服したうえで味方についたのだとすれば、この問題はかなり解消されるのだ。仮にカリスマ性が測定可能な数値で、壬生以上のカリスマがあらわれたとしても、じっさいには壬生のカリスマは彼しか持ち得ない固有のものなのだ。その点、宇治は長年の友人っぽいので、とりあえず心配しなくてよさそう。

 

今回、壬生と宇治、そして作品そのものは、憲法9条問題に突撃することとなった。本作のタイトルが明らかになった当初の真鍋読者や、また現在でもまだ本作を読んでいない未来の読者が想像する内容は、むしろこれだったろう。闇金ウシジマくんで一世を風靡した一級の社会派漫画家が、今度は憲法に切り込むのかと。じっさい、その気はあったんだろうなという感じはする。なぜいまここに切り込むのかといえば、おそらく準備が整ったということではないかとおもう。準備というのは、作品として、また作品内のキャラとして、憲法より高次のレベルで「法とは」という問いかけがなされているということだ。

いくつかポイントはあるが、いちばん最初に思い浮かぶのはやはり九条と烏丸の「悪法」にかんするやりとりだ。たぶん10巻収録になるとおもうが、九条が逮捕されたあと、アクリル板ごしのやりとりで、まず烏丸が、悪法も法なら、制度とたたかうという。対して九条は、掻い潜るという。こういう、「法とはなにか」というもっとも広い問いかけについて、いくつかの異なるスタンスが描かれている、そういう状況をもってして、はじめて憲法9条の描写が可能になったのである。

 

複雑そうにみえてそうでもないかもしれないが、ぼくの想像も含めて書くと(ここに書かれていることはすべて想像だが)、まず真鍋先生の物語のスタイルとして、作者の漂白ということがある。要するに、作者個人の主張、価値観、美意識みたいなものをぎりぎりまで薄めてしまうというものだ。このことが、通常は感情移入できない異物的な人物へのそれを可能としてきた、というのがぼくの見立てである。バカで同情の余地もない犯罪者的人物を、「バカで同情の余地もないなあ」という作者の価値観を隠さないまま描いては、この人物はただ既存の記号的立ち位置を出ることがない。ウシジマくんも九条もそういう漫画ではなかったはずだ。読者は、ちょっとうしろ下がってみると明らかにふだんの人生とは無関係で、関係しそうになったら逃げ出したくなるような人物に、感情移入してきた。それは、仮に「バカで同情の余地もないなあ」と作者がおもったとしても、漫画として実現するにあたってはそれが(とりわけ写真的技法を通じて)零度になっているからなのだ。

これを踏まえて、憲法について書こうとする。だが、9条に関しては、おそらくこれまでの「作者の価値観の漂白」では、たりないのである。なぜなら、国民的合意形成の現場で、いくつもの言説が、それぞれ強固に成立しきってしまっているからだ。ただ作者不在の状況を作り出して、写真を撮るように物語を抽出しても、それが受け取られる場所ではそうもいかないという状況になりかねないのである。亀岡がフェミニスト的ふるまいをとっても、それはたんに亀岡というフェミニストがどのようにふるまっているか以上の意味をほんらいもちえない。作者がそういう価値観であるということでもないし、あるいは亀岡と意見を異にする九条と同じ見解であるということもない。けれども、ある程度以上の強固さをもってげんにわたしたちの世界にあらわれている「ものの見方」は、そういう漫画的技法を無視して作用するのである。

 

こうしたわけで、憲法9条を真鍋作品として抽出するためには、準備が必要だった。これまで通りの「作者不在」だけではたりない。その準備とは、「法とはなにか」という問いかけと、それに対するいくつかのこたえ、姿勢だったというわけである。

さて、壬生と宇治は9条を破棄しようとするものである。つまり、悪法も法なら、制度とたたかうという、烏丸と同型ということだ。烏丸が9条についてどう考えるかはわからないが、もしそれが「悪法」なら、変えなければならないというのが、この種類のものたちの立ち位置ということになる。問題は九条がそうではないということだ。九条では、もはや憲法9条が「悪法かどうか」さえ問題の俎上にはあがらない。ただ、巧妙に掻い潜り、利用するだけである。というか、それが弁護士の仕事だと信じている、といったほうがいいだろうか。これが、宇治の顧問弁護士になるということなのだ。

 

ただ、注意してみると、宇治と壬生では厳密には異なった視点にいるようではある。

※この部分、読み違いがありましたので、最後に追記があります。

ひっかかるのは、「物騒だなあ お前らは」の、「お前ら」は、なにを指すのかということである。ひとつには、まず「半グレ」だろう。宇治と壬生では仕事の内容もそれにかかわる人間関係のもろもろも異なっている。もうひとつは、9条を破棄しようと主張する壬生の背後に広がる「9条を破棄しようと主張するひとたち」である。ふたりの考え方はほとんど等しいが、このぶぶんでのみ、わずかにかみ合っていない感じがある。壬生は、とにかく「なめられている」という感覚が強い。丸腰で外交したってそりゃそうなると。そして、この感覚は丑嶋社長以来続く不良たちの自尊心保持の根拠と地続きだ。いま「不良」としたのは、半グレだけでなくヤクザも同型の価値観でいることがあるからである。ただ、ヤクザはそもそもそういう命題が前景化されることは少ないようにおもわれる。どちらかといえば、ハブがそうだったように、すでになめられており、おわりが近づいていると、そういう感覚が訪れたときのみ、この感情があらわれるようなのである。そもそも、ヤクザになるということが、そういう「なめられたらおわり」の世界から脱し、なめられない世界に身をおくということを意味しているからだろう。だから、理論的危うさを認めつつも、この価値観は半グレのものであると言い切ってしまってもいいかもしれない。そう考えると、いま書いた「お前ら」の指示するものは、二者一致することになる。つまり、半グレと、9条破棄を主張するものである。これに、おおむね同意しつつも、物騒だなと、宇治はわずかな違和感を表明するのである。

対する宇治は、ではどういう考えかというと、引用した信念のくだりに集約される。ここでいう信念とは、状況によってかわるようなものではない確固とした価値観のようなもののことだ。「ひとの悪口をいわない」ということが信念なら、占領軍に銃を向けられても悪口をいうことはないだろう。だが、圧倒的ちからの差でこころを折られたものは、いつまでもそれをしないで済むだろうか。だから、占領軍に銃を向けられても屈することがないちから、「権力」を宇治は求める。ともに暴力を求めつつ、壬生は「なめられないため」、そして宇治は「信念を折らずに済むようするため」、互いに微妙に異なった動機からはじまっているのである。

 

壬生は、このようにして、ある種の幼さも残した根拠により9条破棄を求めるものだったが、宇治のはなしは黙って聴いており、しかもこのときのことばをそのまま引用するかたちで九条にはなしている。したがって、現在の壬生も回想シーンのままの観点ではない可能性がある。このあたりからはなしは複雑になる。というのは、九条こそが、信念に生きるものだからだ。宇治は、信念を折らないために、ちからが必要だという。だが九条は、そこにちからを必要としない。掻い潜るのだから。これが宇治の弁護士になるというのがどういうことか? この状況が複雑さを呼ぶのである。


※コメントをいただき、致命的な読み間違いを発見しました。ご指摘感謝いたします。壬生と宇治のやりとりの場面には、彼ら以外もうひとりおり、それが寝そべってはなしをしている人物でした。したがって彼のいう物騒な「お前ら」とは、壬生と宇治のことでした。この場面で立ってるひとが、この場面では座ってる、みたいなことがよくあるので、そういうやつかと思ってスルーしてしまいました、すいません。


人物は白州次郎みたいな帽子を顔にのせて寝そべり、少し離れたところからはなしを聞いていたようである。壬生がこの人物のセリフを引用し、九条に依頼しているところをみると、どうやら九条が顧問になるのはこの白州次郎みたいな男っぽい。宇治をその人物と読み替えれば意味は通るので、もとの即興スタイルを保持するためにも、原文はいじらず間違ったまま示すことにする。

どことなく先輩感のある人物だが、壬生の言い方や「世代」という発言からして、同世代と思われる。壬生と宇治はほぼ同じ思想で、彼がもう少し大局的な、本文で宇治のものとした、信念云々の考えをもっていて、壬生らは影響を受けているという感じだろう。としたら、壬生も宇治も、いまではもはや「なめられたらおわり」的な価値観からは脱しているのかもしれない。

 

 

↓九条の大罪 10巻 12月27日発売予定

 

 

 

 

 

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