すっぴんマスター -22ページ目

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第96審/生命の値段⑤

 

 

 

 

伏見組の報復から逃れ、別荘みたいなところに隠れている壬生を、伏見組に属する宇治が訪れているところだ。ふたりは旧知のなかで、9条破棄という信念で一致する盟友だ。

宇治は、こんなところにいないではやく海外に身を隠すよう壬生にいっている。運営している介護施設や飲食店は、伏見組に吸収された久我がうまいことやっているらしい。

だが、壬生はまだやることがあるというのだった。なんか壬生の顔つきが九条に似てきてるな。

 

相楽が義父らとゴルフにきている。相楽も婿養子になったクチらしい。義父がなにものかはわからないが、まあ、大物みたい。あの相楽が、ニヘラニヘラ愛想笑いしながらおだてている。

そこへ白栖医院長から電話がきたので相楽が離れていく。

相楽がいなくなったところで、義父は、相楽を養子にしたのは失敗だったと、友人らしき人物に話し始める。検事長になるからって紹介されたのに出世コースからはずれて弁護士になったと。ヤメ検は重宝されるが、そういう問題じゃないっぽい。よくわからない感覚だが、検事長になっていれば、天下りで企業の顧問になって、ゆくゆくはなにもしないで年5億とかだったらしい。友人は、相楽が優秀だということでフォローしているが、義父にいわせれば、同期への引け目で金の亡者に成り下がったということのようだ。そして、以上の会話は、相楽に丸聞こえなのであった。

 

 

白栖一族の描写だ。えーと、父親が雅之で、父親と考えかたが近いめがねが次男の幸孝、父親とそりがあわない長男が正孝。冷静にみるとすごい名前だな。「孝」という字は、親孝行につかわれているとおり、子どもが老人によく仕えること、すなわち親によく仕えることを示す字である。父の「まさゆき」という名前をふたつにわけ、それぞれに「孝」をくわえたのがふたりの名前なのであった。

 

急患ということで次男の幸孝に呼び出しがかかる。なにか、左腕を切らなければならないかもしれないという事態らしい。しかし、利き腕が右ならとっとと切ってしまえということを幸孝はいう。親の意見など知らない。そういう親はあとでぎゃーぎゃー騒ぐ。後腐れなくささっと切断してささっと対処しろと。自分の人生を犠牲にしたくないということだ。

正孝は妻の早苗と外食中だ。今日も早苗は、幸孝の嫁・恵理子への対抗心を隠さず、彼女より先にインスタにお料理の写真をあげようとしている。鞄も新しいが、恵理子よりレアだということである。

正孝は別にそれを否定していないのだが、早苗は皮肉っぽいニュアンスを感じ取ったか、あなたこそなによみたいなことを言い出す。今日は早苗の誕生日らしいのだが、正孝はずっと手術前の患者の臓器写真ばかりみているのである。手術前はなにがあるかわからないからせっかくのワインも飲まないという。幸孝はしょっちゅうワインの写真をあげているが、あいつといっしょにするなと正孝はいう。ほとんどの医者は医者になってから勉強しないと。つまり、幸孝は勉強していないということだろうか。

そこへ緊急オペの連絡。早苗に運転を頼むという。手術前は絶対に自分で運転しないと。いや、じゃあ、そもそも素人が運転する車乗らないほうがいいのでは・・・。

病院についた正孝は、ナースにいつものを頼むという。病室でおセックスである。正孝は、出来る出来ると、手術の成功をくちにしながらナースの美咲を突くのであった。といっても、他のナースの口調からすると美咲だけがかわいがられているというはなしでなく、今日たまたま彼女だっただけのことらしい。

 

裁判所では烏丸と相楽が遭遇。ふたりはむかしの事務所の先輩後輩である。いまは九条の事務所を間借りしているというはなしをする。相楽は九条のことを知らなかったが、別のものが、九条がなにものかを伝える。相楽は、法曹界の恥さらしがと、これは烏丸にというより、そんなやつとつきあってるのかというようなことで、吐き捨てる。だが、すぐそばの車には九条がおり、にこやかに法曹界の恥さらしとしてあいさつするのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

九条は雰囲気変わったよなあ。逮捕されて気持ちをあらたにしてから、ひとかわむけたっぽい。

 

父・雅之の病院経営の考え方と対立するものとして描かれているぶん、正孝はなにかこう、読者の感情を付託できる親しげなもののようにおもわれたが、今回は饐えたにおいのする生々しさのようなものが描かれることとなった。

正孝の「患者のため」という信念は揺るがない。揺るがないのだが、「揺るがない」の意味が一般人とはぜんぜんちがう。レトリックではないのである。そのためなら、妻のことなんかどうでもいいし、ちょっと効果のほどはわからないが、病室でセックスもするのである。

これは、前回壬生と九条について述べた「仕事とプライベート」にかんする視点があてはまりそうでもある。弟の幸孝が「自分の人生を犠牲にしたくない」と述べたこともこれを補う。彼らには、「仕事をしているとき」と「プライベートをすごすとき」のあいだに差がない。厳密には差はあるのだろうが、時間的に変化を観察しても落差がとらえられないといったところだろうか。だから、仕事をすることによって「自分の人生」を犠牲にするという状況が、ありえない。それらは同一のものだからである。武術家は寝ているときも闘争の準備中である、みたいなはなしだ。行住座臥、弁護士であり、半グレであり、医者なのである。こういうものが、現実目線、つまり感情移入を省いた客観的目線ではどう見えるのかということが、今回の正孝の生々しい描写だったわけだ。

こういうわけで、正孝と九条には近いものがあるわけだが、すでに正孝はあの足を失った少年の件で九条にわだかまりを抱えている状況にあり、そういうほのぼの展開には当然ならないわけである。似たものどうしがうまくくっつけば、壬生と九条のような関係も築けるが、敵対すれば当然めんどうなことになるだろう。

 

相楽も幸孝みたいに婿養子になったクチだった。彼らのばあいには、その動機に政略がある。だから、正孝が「人生を犠牲にしたくない」といっても、それは言葉のままには受け取れない。彼のいう「人生」、要するにプライベートとは、政略のうちにあるからだ。あの生活感のない相楽の、プライベートでのゴルフがわざわざ描かれたことは、そういうことを指示している。ある意味では彼らにもプライベートは存在しないのだ。それは、かぎかっこつきのプライベートなのである。ではいったい、ほんものの彼らはどこへ行ってしまったのか? たとえば相楽では、出世するはずだったじぶんをどこかに置いてきてしまい、金の亡者になってしまったという状況がある。とするなら、父の経営方針とほぼ同じ考えかたをする幸孝も、同じように転向の経験をしているのかもしれない。

 

これらの視点について、例の「創出」と「対応」で整理できるかもしれない。患者を、情報の非対称性などを通して作りだすのか、やってきたものに応じるものが医者であるとするものなのかという、医師の態度として考えられる二通りのものである。父の雅之は、病院を企業のように経営するものとして、顧客を創出するように、欲望をつくりだし、患者を新しく「創出」する。それほど必要ともおもえない入院や診断をくりかえし、滞在時間や診察の回転を上げていく。これにはもちろん次男の幸孝を組み込んでいいだろう。そして、炎上をコントロールし、依頼人をずっと困難な状況に追い込むことで依頼を「創出」する相楽もあてはまる。「対応」するものは、まず正孝である。原理的には、患者より先に病院ができるということはありえない。困っている患者がいるから、医術は誕生した。そうして「対応」するものが、正孝である。そして、「対応」するものは、ちょうど今回、手術を想定して酒を飲まなかった正孝のように、想定していない事態に備えてプライベートがかなり損なわれることになる。かくして、仕事とプライベートの差がないものがここに連結することになる。もちろん、九条や壬生のことだ。九条は家をもたず、職場の屋上に住む文字通りのプライベートなし人間である。壬生も、いつヤクザにさらわれるかわからない状況で、年中半グレをやっている。なにがあるかわからないからつねに本番の気持ちでいる武術家的マインド、それが「対応」するもののありかたなのだ。つまり、患者に限らず、あつかう対象物を「創出」するのか「対応」するのかということは、かなり広い意味で「仕事」についての姿勢を決定する普遍的な論点なのである。今回は意外とお仕事論的なはなしになっていくのかもしれない。

 

 

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第13話/人類史上二人目

 

 

 

紀元前564年、古代ギリシャで行われていた、現代でいう総合格闘技であるパンクラチオンで、嚙みつきが実行された。スパルタ代表のメガクレスという男である。相手のヒゲの男は、左腕のあたりから出血している。とはいえ、食いちぎったとか咀嚼したとかそういう次元ではなく、歯をつかって攻撃したくらいの感じかもしれない。

ヒゲの男は審判に抗議する。これが容れられたのかどうかは不明だが、女のように噛みついたというクレームに対し、メガクレスは不敵に笑いながら、ライオンのように噛みついたのだといいなおすのだった。

 

このメガクレスが、ジャック以前で唯一、公式試合で嚙みつきを用いた選手だという。

それから2600年、すきのない技術として嚙みつきを完成させたのがジャック・ハンマーだ。謎の握手から鎬昂昇の左側僧帽筋のあたりにかみついている。服のうえからなのが心配だ。本部がやったように、ちょっとからだを返されたら歯をもっていかれる状況だけど、嚙道はその対策もしているのかな。

 

そこからジャックは首をつかって噛み切る。鎬の肩口から肉がごっそりもっていかれる。見た目よりまず痛いらしい。刃物で切るような怪我とちがうからな。肉をもぎとってるわけだから、そりゃあ、猛烈に痛いだろう。

 

握手はしたままだ。激痛で体勢を崩しつつある鎬を、腰に手を当てた余裕のジャックが見下ろす。今度は握手を返し、鎬を後ろ向きにして、首をとる。きっちり裸締めが決まってしまった。格闘漫画ではいちどかかると絶対にほどけないで有名な裸締めである。

独歩が、これをジャックらしいというふうにいう。有効の証である握手を利しての位置取りが象徴的だというのだが、正直ぜんぜん意味がわからない。いつかふと理解(わか)るかもしれないので、そのときはみなさんにお知らせします。

 

裸締めじたいは完璧に決まっているところ、ダメおしでジャックは足で胴も締め、全身をロックしてしまう。鎬は微動だにできないだろう。終わったか?というところで、ジャックが腕をほどく。そして、無防備にさらされている鎬の首筋に噛み付くのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

あのまま裸締めをしていればジャックは勝ったわけだが、それでは満足できなかったということだろうか。

完全にきまった裸締めからは逃れられないというのは、バキに限らずよくいわれることだが、脱出した例がないではない。花山薫は握力にものいわせてスペックの腕を破裂させて逃れた。ケンガンオメガでも腕力で突破したやつがいたな。また、なりふりかまわなければ、まったく不可能ということはないだろう。前腕をものすごいつねるとか。独歩が天内にやったみたいに、爪をはぐとかもいいだろう。いずれにせよ、使えるものが限られていることはまちがいない。だが、指は動く。花山も、独歩も、ケンガンオメガの誰かも、握力や指のちからでなんとかしていた。そして鎬昂昇は指技の武道家である。とすれば、もしかするとあのまま密着し続けているのはむしろ危険ということになるかもしれない。ジャックは笑みとともに鎬を解放しているので、危険を感じたということではないだろうけど、結果としては正解だったのかもしれない。

 

今回、うそかほんとか、パンクラチオン時代に嚙みつきを行使した選手が紹介されていた。これの意味するところは、それだけ嚙みつきという技に意外性があるということである。ふつうの闘争、子どもどうしの喧嘩ならともかく、特にある程度技術を修めたものどうしのたたかいでは、嚙みつきが出現することがほぼ予想できないということなのだ。当初ジャックが嚙みつきを使い始めたときも、最大トーナメントの実況や客たちは、まず、なにが起こったのか理解できなかったのだ。この意外性という点に、まずは嚙みつきのアドバンテージがあった。天津飯みたいに背中から手が2本出てくるような人体を、我々は想定して行動していない。だから、そこからにょきっと出てきたら、対応できない。同じように、多くのファイターは嚙みつきの強力さというより意外性によって葬られてきたのである。

嚙みつきを「技」とする噛道の難点は、これを失うところにある。そうでなくてもジャックが嚙みつきを用いることはもはや周知のこととなった。そのうえで「嚙道」なのであるから、意外性もなにもない、ボクサーがパンチをつかうのと事態は変わらなくなったのだ。

だが、逆にいえばそれは、意外性が別のところに移ったということでもある。ボクサーが蹴りを使ってくればそれがどんなに稚拙なものでも、多くの相手選手はそれをもらってしまうだろう。同様にしてジャックが嚙みつき以外の技を決め技にもってくれば、多くの相手はこれを台本があるかのように受けてしまうのだ。今回の裸締めは一瞬そのようにみえた。けれども、ジャックはそれで試合が決まることをよしとしなかった。これは、計画性のある行動ではなかったろう。なぜなら、最初に握手から嚙みつきが決まった直後の鎬は、ほとんどなにをしても決まったであろう状況だったからだ。あのまま前から首に噛み付けばよい。そうしなかったのは、上記のような事情があったからなのかもしれない。それはわからないが、計画性がもしあるとすれば、裸締めまでだったはずだ。そこからの嚙みつきは、衝動的なものである。

 

ジャックのほうはそれでいいとして、鎬昂昇である。あれだけ煽っておいてこれで終わりかよ、という感じがないでもないわけで、もしこれで終わらないのだとしたら、試合直前に見せていたウォームアップが布石になっている可能性がある。

あのとき考えたように、あの柔軟体操に見えたものは、ジャックにもある、鎬昂昇の逸脱性である。武術の極地にいるバキは、ウォーミングアップをしない。わざとらしいほどに、しない。“エエカッコしい”で、しないのだ。武術は、日常に潜む脅威に対抗するものだ。だから、修めた技術はいつどんなときにも使えなくてはならない。風呂に入っていても、寝ていても、酔っ払っていても、使えなくてはならない。こういう哲学だから、その技術を確認する試合にあっても、日常のように臨まなくてはならない。こういう理屈で、バキら“エエカッコしい”は、まるでじぶんが武道のことをよくわかっているということを締めそうとするかのように、わざとらしいほどに準備をしない。からだをあたためないし、それどころか、おそらく眠くもないだろうに、横になって眠るのである。だが、これは、ウォーミングアップを「してはいけない」ということでは、ほんらいなかったはずだ。別にしてもいい。その結果として試合でいい結果を残せたとしても、あるいは意味がなかったとしても、そのものの武術性、日常の脅威にいかに対応するかというリアリティとは、なんの関係もないからだ。鎬は、そういうことを実践するものにおもわれたわけである。

だとしたらなにかというと、彼はジャックの嚙みつき対策をしてくるのではないかということなのだ。武術性をつきつめれば、日常に出現する脅威の質はふつうわからないわけだから、試合でも相手のことはなるべく調べないようにするだろう。だが、くりかえすように、調べてダメということはない。今日調べて試合に勝ったり負けたりすることと、明日通り魔と遭遇することとは、なんの関係もないからだ。そうおもわれたわけだが、何回読み返しても、ジャックの歯は鎬の首筋に食い込んでるんだよなあ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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第95審/生命の値段④

 

 

 

壬生と離れてから伏見組付けになっている久我である。

家を出るときには、やるぞ!と口に出してやる気があるようだが、組でこなす雑務はモチベーションがどうとかいうものではない。いじめられながらトイレ掃除である。敬愛する壬生のことがあるから、がんばることができるというようなところみたいだ。

ときどきでてくる半グレみたいなヤクザふたち組だ。介護施設で働いてたから便所掃除得意なんだろうと、掃除が不徹底であると責める。介護施設で働いてなくても久我はなんとなくていねいに掃除をしそうだが、まあ、ただの言いがかりだ。

久我がちょっと黙ってにらんだだけで、反抗的な目をしたと暴行がはじまる。うーん・・・なんてしょぼい連中なんだ・・・。

そこに宇治がとめにあらわれ、久我に車を出すようにいいつけて去っていく。

同じ部屋にいた鍛冶屋が、どうも宇治は気に食わないとくちにしている。で、金髪のほうの若いヤクザに、久我は壬生と連絡とってるはずだということをいうのだった。とってるのかな。プライベートのスマホでLINEとかじゃ、だめだろうな。どうやってやるんだろう。

 

久我の運転でどこかに向かいながら、宇治は、久我を評価していることを告げる。一歩下がり、周りをよく観察している、役に立ちたいという心意気も感じると。謙遜する久我に、どこと覚えたかと宇治は訊ねる。もちろん、壬生との関係で身につけたものだ。回想のなかで久我は、雨のなか、コンテナに入れた死体を壬生といっしょに運んでいる。溺死体を漁師に処分してもらうんだそうだ。いきなりありえない状況なのが彼ららしいが、久我にはよい思い出のようだ。

 

「久我 “今”と“いざ”を分けるな。

 

人の一生は一瞬が積み重なったものだ。

 

今日死んでもいいように丁寧に生きろ。」

 

 

宇治はわかって聞いているのかもしれない。恩師みたいなひとに教わったと聞いて、久我は少し笑うのだった。

 

白栖医院長は、あんな写真が流出しているというのに、その点について恥ずかしいとかそういう気持ちはないみたいだ。ともかく、相手が未成年で炎上していたことについて、その紹介をした壬生に怒っている。そっか、プレイ写真がしっかり流出していたもんだから、それで炎上しているような気でいたが、相手が未成年だったわけね。まあ、未成年でなくても炎上してたとおもうけど。

白栖は、まず壬生が売ったのではないかというが、秘密を預けている以上、それをいってもはじまらない。誰がネットに売ったか調べてくれと、電話口の向こうの壬生にいう。その壬生は、久我の運転で到着した宇治もいるのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

宇治は壬生と会うために久我の運転で移動していたようだ。なんか、なんだろう、久我は伏見組にばれないように壬生と連絡とっているらしいし、宇治はその久我の壬生に対する敬愛の気持ちを確認した足で壬生に会いにいくし、どろどろの不倫ドラマみたいだな。宇治はなんで壬生に会いにいくのにわざわざ久我を運転手に呼び、しかも久我の壬生への愛を確認したんだよ・・・。

 

今回の描写で、ふたつのことが明らかになった。久我は壬生と宇治の関係を知らない、宇治は壬生が白栖を陥れたことを知らない、この2点だ。じぶんを慕うふたりのヤクザ両方に、かなり重要なことを秘密のままにして「さあね」とかいっちゃう壬生はやっぱり作中最凶かもしれない。

 

しかし、笑い事でもなく、ここには九条もからんでいる。九条は、壬生の居場所を知る宇治以外で唯一の人物である。このようにして、壬生には秘密ごとの層のようなものがあり、そこに届くか届かないかで、彼の交友関係は整理できるようである。久我は、宇治や九条ほどに秘密を共有してはいないことになるが、かといって彼が久我をないがしろにしているかというとそうではないのもポイントだ。また、宇治とは友人関係かもしれないが、九条とはどうだろうという疑問もある。友情とはなにか、というような問いに踏み込むつもりはないが、いま現在、壬生と九条がとても仲良しだったとしても、はじまりは仕事の関係だったわけで、それが難しいところだ。仕事の関係とは、つまりたがいにステークホルダーだったということである。現実には、仕事上のつきあいから友情や愛情が生まれてくることはある。壬生と九条の関係は果たしてそういうものだろうか。どうも、ちがうようにおもわれる。高い次元での信念の共有のようなもの、それが、彼らの関係をあのようにさせているのである。壬生は弁慶と義経の関係に九条とのものを見立てたが、弁慶と義経もいってみれば仕事上のステークホルダーだ。しかしこれが、ある段階を超えたとき、友情、もしくは友情に似たなにかになることがあるのだ。

弁慶と義経、壬生と九条のような関係を成立させるのに必要な条件とはなにか。それは、仕事とプライベートの差がないということだ。仕事と、たとえば家庭が、収入という点以外で文脈を断っているとき、これを連続させたものとしての友情は成立しない。一般に、仕事のつきあいのひとと友人になるというときは、プライベートでのつきあいもするようになるということを指すのだ。だが、壬生と九条がそうではないことは自明といっていいだろう。彼らは、プライベートふうに食事をともにしたりもするが、それはどこかおままごとのようである。自他に向けてそういうふりをしているという感じが否めないのだ。彼らには仕事とプライベートのあいだに差がない。だから、九条は職場に住む。壬生にかんしてそのような指標があったかどうか思いつかないが、ひょっとすると今回のような人間関係の階層化がそういうことなのかもしれない。たとえば、久我は壬生を、文字通り命をかけるほど(菅原、京極の件では死んでもおかしくなかった)慕っており、壬生も久我を買っている。こころから信頼している感じが伝わってくる。こういうものと友人関係になったとしても不思議はない。けれども、壬生では仕事とプライベートに差がない。仕事にかんするつきあいについて、冷静にその価値を計量するように、関係性に段階を設けることに、壬生は抵抗がないのだ(もちろんこれはひとつのわかりやすい例としてのことであって、壬生はおそらく久我を守るためにも秘密をつくるのである)。

 

九条は、職場の屋上で暮らし、事件の死者が残した犬を飼い、まったく異なる倫理観の師匠をふたりもつ。どうしてそういうことをするのか、またどうすればそんなことが可能なのか、それは、九条のスタンスが、つねに「本人」であることを要請するものだからである。彼は、依頼人を選ばない。はためには機械のように、やってくるもののはなしをとにかくよく聞くことで仕事を開始する。それは「手続きを守る」ためだ。弁護士の任務というものが、弱かろうが強かろうが、ともかくやってきたもののはなしを聞くことから開始すると、そういう信念があるから、それを貫徹するのである。そのために、ひとがひととして生きていく過程で必ず帯びてしまう認知バイアスを、可能な限り排除しなければならない。それが、彼に感情を捨てさせた。父や母の墓参りの際には、必ず雨がふる。感情は両親の墓においてきたのだ。依頼人を選ぶものは、それに応じたペルソナを装着することになる。貧乏人をすすんで救済する流木は、人権派弁護士としてのふるまいを自然選び取るだろうし、金持ちばかりを相手にする山城は成金ふうになる。そういう、後天的な、社会が規定する価値のようなものを、九条はまとわない。もしくは、そうならないよう努めている。それが彼に常に「本人」であることを求めるのだ。こうして、「本人」でありながら「感情」を欠くというあの独特の「自然体なのに空虚」な雰囲気をもたらす。

こうしたありようを、彼は物理的にプライベートを排除することで成り立たせる。究極は娘と離れていることだ。もちろん、丑嶋社長がうさぎを愛していたように、九条も娘をおもうことはあるだろう。しかしそれもわずかな時間である。娘が九条と離れていることは、原因でもあり、結果でもある。そんな生きかたをしているものに家庭など維持できるわけがないのである。

 

壬生と宇治も同じように友情以上のものを感じる仲だが、九条とは逆っぽいのがおもしろい。どうも、壬生にとっての宇治は、いまの「壬生」が成立する以前からの仲のようなのだ。つまり、いってみればプライベートの関係から仕事とプライベートの差がなくなった現在においての超・友人に昇格したわけである。宇治と壬生は9条破棄の信念において交わる。憲法9条と九条がじっさいに今後の作中において交差することがあるのか、その名前は偶然の一致か、わからないが、壬生の人間関係という点でみると、九条と宇治は逆方向から壬生と親しくしているのであり(ここまで書いておいてあれだが、たぶん九条はいうほど壬生に友情の感情をもってはいなそうだが)、9条破棄の信念は、信念ではなくあくまで利害関係の延長で親密な関係を築く九条を否定する感情の比喩となっていくかもしれない。いずれ登場する、壬生が九条に顧問弁護士になってもらいたいという人物も登場すれば、このあたりはわかってくるだろう。その際には、久我の役割も重要になってくるはずだ。ポイントは「仕事」と「プライベート」なのである。

 

 

 

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第12話/あの頃より

 

 

 

また更新が遅くなり、月曜になってしまった。すみません。駆け足でいきます。

 

ジャック対鎬昂昇の試合がはじまり、開始早々、鎬の斬撃拳が炸裂、ジャックは上半身の全体にわたってあちこち切られてしまう。とはいえ、傷じたいは浅そうだ。筋肉の厚さのせいなのか、頭蓋骨ごと切ってるんじゃないかというほど深く猪狩の顔を裂いたシコルスキーの斬撃も、ジャックではせいぜい切り傷程度のものになっていた。皮膚の下の肉がかたすぎて弾かれてしまうのかもしれない。

 

観戦しているバキの評価では、鎬昂昇の拳は以前対戦したときより鋭利になっているということである。あれって最大トーナメントよりも前のことだもんね。ドイル戦であれだけ強かったんだから、そりゃそうだろう。

鎬の構えはこれ、紐きりかな。視神経に指をひっかけて切り、視力を奪うというおそろしい技だ。

ジャックからすればたいした傷でもない。脱力をきかせながら構える。そうして、試合っぽい攻防がはじまる。ジャックの猛烈なジャブをかわし、風圧で試合場の土が舞うようなローキックも飛んでかわす。その足で、鎬はジャックの顎を打ちぬく。少し効いたっぽいが、ジャックの攻撃は止まらない。攻撃の嵐のすきまを狙い、鎬の親指一本拳がジャックの眉間をうがつが、特にダメージはなさそう。するとジャックは、あいている鎬の左手をしたから握手の要領でつかみとる。サイズはけたちがいだが、とことん指を鍛えている鎬は握力もそうとうあるはずだ。部位鍛錬もずいぶんしているだろう。だがジャックはその手をやわらかいという。

 

次の瞬間、鎬の貫手が閃き、ジャックの左目から光が失せる。紐きりが決まったようだ。とほぼ同時に、それを待っていたように、ジャックの嚙みつきが鎬の左肩に入るのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

やはり嚙みつきはカウンターの技術だな。これをカウンターとは呼ばないかもしれないが。

 

ジャックの考え方は計画的なものではない。この試合に勝てれば、今夜を乗り切ればそれでいいという刹那的なぶぶんがかなりあるのだ。

よく似ているしジャックじしんあまりちがいを区別していないようなのだが、「勝利」を求めることと「強さ」を求めることは異なっている。両者の様態が異なるからだ。極端なことをいえば、常時強くなくても、その瞬間だけ強さを引き出せれば、勝つことはできる。また、勝利数が少なくても、本部のように、じつはとても強いファイターというのは存在する。「勝利」は、観測可能な事実の説明であるのに対し、「強さ」は、通時的であり、観測したり手に取ったりするものではない、物事の形容文句なのだ。

試合前の御手洗さんとのやりとりでは、ジャックはやはり今夜を乗り切ること、つまり「勝利」を求めているようだった。その意味で、紐を切らせて嚙みつきを敢行するというのは、理にかなっている。おそらく、切られた紐はもとにもどるのだろうけど、しかしこの戦略は、「強さ」という点においては、疑問が残るものとなる。かつて大山倍達は、日本刀とのたたかいにかんして、片腕を捨てろといっていた。だが、大山総裁自身は、無傷で完勝したのである。つまり、「片腕を捨てろ」というのは、気の持ちようのはなしであって、戦略ではない。片腕を切らせているあいだ、相手は無防備であるのだから、そのとき必殺の打撃を加えろと、こういうはなしなのだが、じっさいには「片腕を切っているつもりにさせているあいだ」でじゅうぶんなわけである。そして、もしじっさいに片腕を差し出せば、その勝負に勝つことはできても、次の勝負には負けてしまうだろう。「勝利」のために「強さ」を手放す、それが今回ジャックが実行したことなのである。

 

ジャックが確立した嚙道は、「勝利」のための技術なのか、それとも「強さ」のための技術なのかというと、くりかえし体系という言葉が使われていることばから分かるとおり、「強さ」を導くものである。「体系」とは、その確立に関与していないものもなんらかのかたちでコミット可能な、またなんらかのかたちで読み取ることができるデータで表現可能な全体をいう。「勝利」のための技術、つまり、じっさいに片腕を切らせる技術というのは、普遍化不可能である。誰もが片腕を切らせるほどの胆力をもっているわけではない、というはなしだけではなく、そうした状況が、想定としてはふたしかすぎるからだ。しかし、むしろはなしを具体的なところから遠ざけ、淡くすることで、これは「体系」に組み込むことが可能になる。つまり、「片腕を切らせるつもりで立ち向かえ」というようなことだ。もちろん、これだけでは精神論かもしれない。だが、そうして新しい回路を開くことで、技術的な明度があがり、道は拓かれるのである。

 

だが、ジャックは「勝利」を望むものである。そう考えると、嚙道はいうほど普遍的ではないのかもしれない(当たり前だが)。試合開始前に、両者は規範意識から逸脱するという点で似ていると書いた。武術家でありながらかまわずウォーミングアップをする鎬昂昇と、オンナコドモの技術である嚙みつきを真顔で駆使するジャック・ハンマーなのだ。ひょっとすると「体系」の意味も、ジャックでは微妙に異なってくるものなのかもしれない。

 

 

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第94審/生命の値段③

 

 

 

初登場の平川幸孝がおそらく不必要な入院をお年寄りに迫っているところだ。

幸孝は白栖総合病院の医院長、雅之の次男で、正孝の弟である。名字がちがうのは、ちがう病院の平川に婿養子に入ったからだ。

父が相楽弁護士のところに相談にいっているところで、兄弟が話し合う。次期医院長については、正孝が辞退したいとしているのを受けて、幸孝にはなしがいっているらしい。だが、彼は平川委員の婿養子、そうかんたんに首肯できることではない。そもそもなんで辞退したのかというところで、弟は兄の理想論にうんざりした様子をみせる。理想で飯は食えない、というのが弟の考えだ。診療報酬が下がったせいで、病院は薄利多売でやっていくしかない状況なのだと。善人ぶってたってしょうがない。それが病院経営のセオリーなのだ。

でも、だとした病院の存在理由とはなんなのか? 正孝は拝金主義という。幸孝はそれを否定しない。なぜなら、患者の意識が低いからだ。保険で安くなっているぶん、じっさい高齢者はちょっとしたことですぐ病院にくる。高額医療を受けている自覚など誰にもない。そうやって、満員電車の現役サラリーマンからしぼりとったお金を湯水のように使っていると。その恩恵を医者は受けているのだ。

 

少し考え、正孝はある患者のはなしを始める。事故で足を失った少年である。これは、第1審に登場したあの子どもだ。彼は左足を失ったが、その前に、病床がうまっているという理由で白栖総合病院を拒否されていたのだ。その後もたらいまわしされ、けっきょくどうにもならなくなってしまったのである。じぶんなら切除せずに済ませることができたと。

正孝は少年のことが気がかりで、裁判にまで出かけていた。あの事件の運転手・森田を弁護したのが九条である。正孝は、悪徳弁護士として、九条の名前まではっきり覚えているのだった。

 

 

正孝の妻・早苗は、夫が次期医院長を辞退するのを撤回してくれと電話でいっている。恵理子にマウントをとられるからと。恵理子とは、幸孝の妻、つまり平川のところの娘なのである。ああ名前がややこしい・・・。早苗と恵理子は以前からの友人らしい。恵理子がミス柏に選ばれたらじぶんはミス我孫子に、タワマンに引っ越したらその下の階に、という具合に、恵理子に遅れるかたちで、早苗はずっと張り合ってきているらしい。最後には恵理子が結婚した夫の兄と結婚までしたわけである。まあ、これは恵理子の言い分なので、どこまでほんとうかわからないが、医院長の件をみると、だいたいあっているのだろう。早苗からしたら長男である夫が医院長になるかもしれないということは切り札だったはずだ。

 

 

SMプレイ写真の謝罪会見ということだろう、また白栖雅之が記者達を呼んでなにかしている。その後、相楽から請求書を預かる。額は10億となっているのだった。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

弁護士とのつきあいはないので、ぜんぜん相場はわからないが、相楽は相応の相場だといっている(相が3回も続いちゃった)。10億って・・・。

 

幸孝と父の雅之の考えかたはほぼ同じとみてよさそうである。しかし、幸孝は当然雅之よりあとにこの世に生まれたもので、父のふるまいをみているものであるから、その発想は選択的なものとなる。つまり、ほかにももののとらえようはあったろうに、自発的にそれを選び取っているのだ。兄の正孝が父の経営に違和感を抱えていることがそれを示す。しかも、それほど年は離れていないようだが、幸孝は兄のふるまいさえみているのである。そのうえで、自明のもののように、父の経営思想を引き継ぐのである。

 

父・雅之と長男の正孝の病院像は、患者を「創出」するものか「対応」するものかという視点で整理することができると前回考えた。原理的には病院や医者というものは、病気や怪我で困っている患者がまず存在して、しかるのちに出現するものである。ここに誠実に「対応」していく限りでは、正孝の考えは正しいものとなる。ところが、今回細かく次男の幸孝が示したように、そればかりでは経営が成り立たない。だから、情報の非対称性を利用して不必要に入院をすすめたり、過剰な延命措置をしたりして、患者を「創出」するのである。これはじっさい、ふつうの会社なら、当然の発想だ。どんな良心的な販売店も、ただ頼まれたものを売るだけでは成り立っていかない。顧客のニーズにこたえるだけでは大きくもならないし持続もしない。そこから先にいくためには、顧客の欲望を創りだし、また顧客を開拓することが必要になってくるのである。だから、両者の相違は、福祉や自治体に近い目線で患者をみるのか、本人さえまだ気がついていない欲望を抱えた客として患者をみるのかという点にあることになる。

さらには、父の雅之には病院をファルス(男根)的にとらえているふしがある。一代で築き上げたじぶんの病院をおおげさにも「一族」のものとし、長男が拒否したら次男という具合に、息子に継がせようとしていることからもそれはわかる。このとき、息子たちはただじぶんの代理人である。

 

こうしてみたとき、その立場、つまり、父の男根としての病院を引き継ぐ立場を喜んで引き受けるものとしての幸孝は、自画像をそこに託していることになる。ここではじめて、雅之が語るぶんにはいまいち内実をともなわなかった「一族」という語が質量をもったものになる。幸孝は、「一族」のものであればこそ、父が膨張させた病院を、その経営理念に則ったしかたで受け継ぐのである。だから、幸孝はどことなくカラッポな印象があるのだ。妻の恵理子も、どことなくトロフィー的であり、恵理子じしん、その役割を喜んで引き受けているようである。心の底からわきでてくるような欲望や自尊心が、どこか欠けているのだ。早苗もまたそういう人物のようだが、その早苗を馬鹿にしつつ、恵理子は、彼女を馬鹿にするという行為によって、じしんも相対化している。早苗が張り合ってくることを馬鹿にすることによって、じつは恵理子もその土俵にのっているのである。

 

今回のはなしでおもしろいところは、この白栖家の標準形である患者の「創出」ということが、顧問弁護士の相楽にもあてはまるということだ。相楽もまた、依頼人を、というか厳密には依頼を「創出」する。雅之が炎上しても、それが微妙に鎮火しないよう努め、依頼人が困る状況にたくみに誘導するのである。

 

今回は、正孝の脳裡に焼きついて離れない足を失った少年の記憶を象徴として、ここに九条もからんでくることとなった。正孝には九条が悪徳弁護士にみえているようだが、ここまでの考えをみるとどうだろう。九条は依頼人を創出したりはしない。徹底的に「対応」するものである。だから、むしろ正孝とは気が会いそうなにおもうのだが、そうもいかないらしい。だが、冷静にみると、彼が九条を悪徳弁護士とするのは、かなりのぶぶん感情的なものだ。病院が満床を理由に少年を拒否したことと、九条が手続きにしたがって森田を釈放に導いたことは、なんの関係もない。もっといえば、法律上の事件の経緯と少年の足の行方も、関係がない。少年が足を失うかどうかということは、森田が有罪になっても無罪になっても、別の文脈で起こっていたことだからだ。したがって、この正孝の反応は、白栖総合病院をはじめとした医療業界へのうらみをのせかえたものだ。正孝も事件のほんとうのところはテレビなどみている一般人と同程度の知識でしか見えていないはずであり、さらにいえば法律は素人のはずである。それなら、ほんとうは、九条を悪徳であるかどうか、彼は判定できないのだ。しかしそうする。それは、じしんが救えなかったという罪の意識の反転で、少年は救われるべきものだったという信憑が強くあるからである。とすれば、ここにはまったき「善」が想定されていることになる。あの事件にかんして、少年は絶対に救われるべきだった。足にかんしていえば、じぶんなら切除させずに済ませることができた。同様に、犯人は有罪になり、少年は報われるべきだった。このようにして、彼は「善」なるものを想定しているのである。

だが、これはいわゆる二元論的な善とは異なるもののようである。おそらく、根底にあるのは罪の意識だ。二元論的な善は、目の前に広がる景色をホワイトボードに油性ペンでくっきり区切るようにしてわかつものだ。だが彼のばあいは、父の系譜において、悪をなしているという自覚がまずあった。である以上、父のふるまいの外側にあるものは、悪ではないことになる。それはたとえば、患者の創出の向こう側にみえる、誠実な対応である。このようにして、正孝は罪の意識から、疑う余地のない完全な善を予感しているのである。じしんの否定ののちにあらわれるにちがいない善、それをはばむものが九条であるというわけである。こうみれば、それは正しいだろう。九条は、前提された善悪というものに与する兄の蔵人や過去の烏丸とは対立するものだからだ。九条の前にあるのは、ただ法律の文章であり、手続きなのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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