今週の刃牙らへん/第9話 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第9話/帰ってこい

 

 

 

鎬昂昇のジャック戦が迫る!というか、試合はもう明日行われるらしい。。花田はいったい、マジでなにしに登場したんだ・・・。

 

 

鎬昂昇は兄・紅葉の前で自重による調整を行っている。調整といっても、内容的には自重でできるもっとも難しい動きの連続だ。三本指での逆立ち、くらいならバキ世界ならできるものはごろごろいるとおもうが、そこから足をつけないまま、腕の外側に足をまわしてVシット的な姿勢になる。パワーとか持続力とかいうことより、筋肉と筋肉、関節や骨の協働性を確認しているようなのだ。肉体と重力の関係、頭や顔の向き、手足の位置、こういうものにおもいを馳せつつ、アクロバティックな動きを含めながら回転して着地、見直し終了としている。紅葉はそれをまるで体操というが、昂昇はそれを受けてなのか、体操からも学ぶべきだとする。武術家は攻防の緻密度と空中での操作性においてルーズだと。独歩のモデルのひとりである大山倍達は、多分にフィクショナライズされたある書物で、格闘家以外で強い可能性のあるものとしてダンサーをあげていた。もちろん、ここに体操を含めてもいいだろう。なにしろ彼らは、からだをどのように動かすか、どれだけ正確にコントロールするかということに血道をあげるものたちなのだから。

 

昂昇は、「見直し」は終わったところで、吊り輪をつかって次の運動に入る。ということは、これは見直しではないということだろうか。見直して、歪みが見つかったから調整してるとか、そんなことかな。人差し指と中指だけをひっかけて自在にからだを動かしていく。最終的には、指をひっかけた状態で臀部を上部にまであげていくのだった。指っていうか手首の柔軟性に驚きである。

 

兄がなにかいおうとするのを、昂昇が制し、明日の相手はアスリートでも武術かでもなく、頭脳を備えた「猛獣」であるとする。ジャックのキケン度はそのまま彼の価値である。とりあえず生きて帰ってくれば必ず治療(なお)すと兄はいうが、昂昇は無傷で戻ると応えるのだった。

 

光成邸には花田がきていて、明日のはなしをしている。光成的には、鎬昂昇がナイフ1本で猛獣に挑む、という構図に見えるらしい。素人なら勝てない、プロのナイフ使いなら、と、花田は応えるのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

まじめなはなし、花田はここで「ものさし」の役割をしているということなんではないかとおもう。鎬昂昇とジャックという、意外性のある対決がどのようなものになるか、いい具合に武術性と実戦性を備えた人物として、計測する働きをしたのかもしれない。それくらい、鎬昂昇とジャック・ハンマーを比べるという行為が、作品にとってはよそよそしいものだということだ。そこにもっとずっと登場回数的によそよそしい花田を出しても意味はない気がするが・・・。しかも花田はジャックと接触してないもんな。なぜか花山にあいさつにいっていたけど。

 

ダンサーや体操選手が強いというのは、少し想像してみればよくわかることかもしれない。相手と向き合い、どのような速度、どのような角度で攻撃がやってくるのか、また当たったときの衝撃はどのようなものか、こういうことを知るには、経験が必要だろう。それなしで、無垢な状態のダンサーが最初から強いということは、あるいはないかもしれない。しかしそういう、闘争の現場のアウトラインのようなものさえわかってしまえば、身体の操作に長けたものが強くなるのは自然なことだろう。だいたい、突きや蹴りがまともに当たる気がしないし。

鎬昂昇は空手家だし、身体の感じからしてもいかにも自重を好みそうなところはあった。だがここに、彼は操作性という要素を付け加えたわけである。といっても、これは彼の特殊性によるものというより、けっこう自然にこういう考え方でいる格闘家は多いかもしれない。瞬発力を身につけるのにフリーウェイトはもちろん有用だが、それらのコントロールは神経と筋肉の協働性によるものなのだ。そして、床やバー、吊り輪をつかったトレーニングは、これを擬似的に、高い強度で行うというわけである。

 

 

通常の格闘技術は、自身の輪郭を淡く保ちながら、相手の動きに応じて変化していく外向きの体系である。それと比較したとき、ジャックの嚙道は、たんに技のひとつとして嚙みつきを用いるだけでなく、それを必殺のカウンターとして用いるところに特色があった。嚙みつきに用いるのは当然歯であり、つまりジャックは攻撃の際顔面を差し出すことになる。このことが、基本的には待ち(とは限らないが)、カウンターの戦術に傾かせるものとおもわれる。宿禰が「練りこむ」といううまい表現をしていたが、相手の動きに対応しつつ、しかるべき「嚙みつき」のベストポジションに状態を運ぶのが、この意味では嚙道の王道ということになるかもしれない。

鎬昂昇では、この「練りこむ」ということが、身体の操作性、つまり自身との対話に該当する。ジャックも昂昇も嚙みつきや貫手だけが決め技ではない。ほかにも無数に相手を倒せる技はもっているだろう。しかし、とはいえ、最終的にはそのもっとも強力な技のあるところに相手を運ぶことができれば勝ちと、こういう理屈がまちがいということでもない。ひとはジャックを猛獣よばわりだが、それはいかにもキャッチフレーズ的というか、周囲を幻惑する言葉遣いで、じっさいにはジャックも身体の操作性を探究した結果、嚙みつきを練りこむことに成功しているのである。こうみると、両者はよく似ているわけである。ナイフ1本でもそれがプロの手さばきなら、猛獣が爪や牙をもっているのと事情は変わらないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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