今週の九条の大罪/第92審 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

第92審/生命の値段①

 

 

 

九条の逮捕・釈放を経て、新章で再開!ぜんたいに服の印象が黒っぽくなって変わっている。ずいぶん前のことになるが、釈放されてささやかなお祝いをしたとき、逮捕された人間にとって、たくさん接見に来てくれる弁護士がどれだけ心強いか理解した、といっていた。そして、よりいそう精進すると。そのことそれじたいは、理屈としては九条も知っていたはずである。それを実体験的に、肌で理解したというはなしだ。つまり、じぶんはまだ依頼人の立場からは遠いところにいたということを悟ったわけである。「精進」がなにを指すのかはおそらく複雑だが、端的には、この距離を縮めることを指すものとおもわれる。今回の新章から印象が変わっていることの原因は、ここにある。

 

 

白栖総合病院の医院長、雅之が謝罪会見を行っている。あとでわかるが、横にいるのはヤメ検の弁護士、相楽弘毅だ。むかし烏丸がいた東村ゆうひ弁護士事務所所属ということである。新型コロナ患者を受け入れるとして補助金を受け取りながら、じっさいは患者を拒み病床使用率ゼロで運営をしていたということで、不正受給額は20億を超えるという。責任をとって雅之は辞任、次期医院長には息子の大介を任命すると。ニュースをみている九条と烏丸は炎上すると予言する。炎上もなにも、不正なことをしたのだから非難されるのは当然では・・・とおもったが、ポイントはそこではなく、息子があとを継ぐというところだった。

 

白栖は相楽に文句をいっている。相楽とあたまを下げたら一件落着のはずが、バッシングは過熱しているじゃないかと。ぜんぜん、反省とかはなく、マインド的には生活指導の頭髪検査でつかまった半端な不良高校生みたいな感じだ。

相楽は、息子の件については忠告したということである。しかし白栖的には、開業医の既得権益を他人に譲るわけにはいかないということのようだ。ニュース記事の文章をみても、白栖は独力で病院を大きくしたようで、ここまでくるには苦労もあったのかもしれない。加えて、跡継ぎとして馬鹿な息子に大金をかけてきたという感覚もあるらしい。開業医は医師免許さえあればやっていける、だから何浪させてでも息子に免許をとらせたのだと。

雇われている身として炎上を沈静化させることに依存はない、相楽は人員を増やして対応すると約束する。依頼人ファーストだと。

 

どこかのホテルらしきところで白栖が、今度は壬生に愚痴っている。なんで壬生かっていうと、女の子を用意しようとしているところらしい。病院経営は甘くない、世間はわかってない、というはなしに、壬生は思いのほかのってくる。前回明らかになった意外なほどの保守思想のあらわれである。日本の医療機器は80年代までは技術の高さに定評があった、しかしレーガン・中曽根の協議で、医療品の承認をアメリカに得なくてはならなくなり、輸入が輸出を上回ったと。ここでも不利な立場におかれてしまっているわけである。が、白栖は俗物なので、じぶんに有利なものでも、そういうはなしにはのってこない。だいたい、壬生にそこまでの議論を期待してもいないのだろう。

 

烏丸は相楽のことを知っている。雲の上の存在だったと。あんなふうに炎上させる無能ではなかった。だが九条は、金儲けについては優秀だと笑うのだった。

 

 

 

つづく

 

 

 

烏丸の知っているころから相楽が能力的に変わっていないのであれば、九条がいっていることを踏まえると、今回の炎上は相楽の予想通りということになるのだろう。そうして仕事を増やし、白栖からお金をとっているということじゃないかな。

 

まだ導入部なのでナニだが、「生命の値段」という副題でもあり、当然、人間の価値の交換可能性のはなしになってくるとおもわれる。医療業界が描かれるのだとすれば、白栖のような俗物タイプでは特に、患者がその対象となってくるが、この観点は法律の世界にもあてはまるだろう。

九条は、蔵人が最初から悪人を悪人であると規定するのとは反対に、零度の態度で依頼人に接し、ひたすら手続きを守る。もっといえば、法律がなんらかの決定をくだしても、それは九条になんの影響もない。善も悪もない、ただ、予断を回避し、機械的な対応をするために、彼は感情を捨て去った。回想シーンでは泣いているのに、その記憶を呼び起こした母の墓の前では無表情で雨に打たれているというのは、そうしたことの象徴だ。現実には、九条はそうとうに心優しい男だ。それだからこそ、事前に態度を決定してしまうようなありかたでは見落としてしまうような弱いものに目をかけることができる。それを彼自身は、ある種の公平性による結果だと自己分析するわけである。

こういうふうにみたとき、依頼人に「値段」をつけるとはどういうことだろう。ひとつには、山城がそうであるように、金になるかならないかという視点で依頼人を評価するということがある。だが、医療と法律をあわせて観察している状況で、この見立ては表層的すぎるかもしれない。両者におけるより本質的なことを抽象すると、それは、ある算出可能な価値の原理のなかにおいて、ある人物と人物のあいだに差がないことがある、ということなのである。じっさい、法律はそうなのだ。同じ状況、同じ事件で、AさんとBさんで結果が異なってしまうようでは法治できているとはいいがたい。人治を超越した原理の支配する世界では、必然的にそういう定量的評価のしかたがあらわれてくるのである。もちろん、九条もここに与するものだろう。とするならば、蔵人との対比では感情の抑圧がフィーチャーされたところ、今回では彼の心優しさのぶぶんが際立つものかもしれない。

 

壬生は保守思想を隠さないようになっている。それじたいはひとそれぞれ、自由なので、別にかまわないのだが、気になるのはコミュニケーションのほうである。白栖は俗物で金持ちである。これが、病院経営が理解されないことについて愚痴っている。それを受け、たいへんなのはよくわかると一拍おいたうえで、アメリカとの不平等な関係性にいきなりはなしが飛ぶ。このように、あらゆる問題をひとつの原因に収束させる思考法を陰謀論とよぶ。げんにそうした現実があるかどうかは問題ではない。なにもかもそこに帰着させようとする思考の癖のようなものを、そう呼ぶのだ。今回の壬生からはそれが見えてしまった。まあ、壬生はふつうにキレモノなので、この一事をもってここまで書くのもなんなのだが、なんとなしの違和感は残るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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