第10話/キケン度高まる
鎬昂昇とジャック・ハンマーの試合がはじまる!
出血は不可避の危険なたたかいだ。バキ戦前のアライジュニアみたいな気持ちで臨んではいけない感じの試合である。
試合前のジャックの異様な補給風景だ。バキも試合前に大量の食事を摂るという異様な人間だが、ジャックではそれが食料ではない。なんだかわからないが、大量の錠剤と注射である。錠剤はばりばり噛み砕いて液体で流し込む。液体はただの水なのかな・・・。注射は腕にさして、なにやら心地よさげだ。
その光景を、選手の見送りをしている御手洗さんが笑顔で眺めている。水分でも補給するように堂々と、悪びれることなく薬物を摂取するジャックに、嫌味ではなく感心してしまっているのだ。御手洗さんは、選手がいってほしいとおもっていることをいってくれるよね。
ジャックは、加えて誇るものでもないという。強くなるために必要だからとっている、野菜や肉と同じだと。もちろん、ふつうの視点では同じではない。御手洗さんは、肉体が蝕まれるとしてもかと、要点をつく。ジャックのこたえは、今夜もちこたえれば、というものだ。このあたりの考え方は基本的に変わっていないらしい。もたなければ、それは「肉体」が弱かっただけだと。ジャックはバキ戦で過剰摂取による身体異常を克服した。克服はしたけど、それは健康体になったということではない。ジャックによればそれは、肉体の強さがもたらしたものだったのだ。
たほうの鎬は汗をびっしょりかきながら柔軟をしている。汗をかいているということはアップをしたということだとおもうのだけど、従前からの武術家はウォーミングアップをするのかしないのか問題については、彼はどう考えているのだろう。
立位の前屈ではあたまが足のあいだに入るくらい屈むことができる。そして続けて、今度は後方に向けてからだを折りたたみはじめる。サーカスかヨガの達人でしかみたことのない柔軟さで、鎬は後方からも足のあいだにあたまを挿しいれるのだった。そばには花田がひかえていて、感心している。
観客席には帽子をかぶって変装しているバキ、光成の横には花山、そしていつもの最後列の立ち見席みたいなところに独歩、渋川、克巳が待機するのだった。
つづく
柔軟もそうだが、鎬はウォーミングアップを行っていたようで、これは、バキのいう武術の自然な姿には反するものになる。
しかし、おそらく今回鎬昂昇が示しつつあることは、新しい武術家像みたいなものではないかとも感じられる。というのは、彼自身、直前に武術家の怠慢を批判していたからだ。それが、体操からも学ぶものがあるとして、今回のありえないからだのやわらかさにも通じる身体操作のはなしにつながっていったのだが、あのはなしはおもったより重要なのかもしれない。武術家は、行住座臥、日常すべてが「たたかい」の前段階でなければならない。いつおそわれるか、いつファイトがはじまるか予測ができない、こういう意識でいることが、真の武術家には求められる。その帰結が、ウォーミングアップをしないというバキのふるまいにつながる。だが、こうして書いてみるとわかるが、ここには少し違和感が残る。というのは、要するに、これは「ウォーミングアップをしてはいけない」ではないのである。してもいいはずだ。武術家は、いつでもたたかえるようでなければならない。それはいい。だがそれであるなら、その条件を満たす限りで、ウォーミングアップをするしないは、たんに試合にかんする自己満足の問題ということになる。ウォーミングアップをしてしまったら、たしかに「行住座臥臨戦態勢」の武術家とはちがう姿になってしまうだろう。しかし、そのときにちがう姿になってしまうからといって、その人物が「行住座臥臨戦態勢」ではなくなるということはないのである。
ある試験が、その人物の「能力」を測定するものだとして、当然出題者は、入学・入社後の活躍を期待して作問をしている。「能力」をはかられる受験者は、その後もその「能力」を維持することを求められるのであり、一夜漬けや直前に呼んだ単語帳などで得た知識や「能力」で合格すべきではない。誠実な受験者はそのように考えて、直前に受験対策に通じるいっさいの行動を封じるかもしれない。しかしそれは、あとになってみないと結果としては判定できないことである。直前にたまたま覚えた単語が未来永劫忘れられない知識となるかもしれない、塾の先生にいわれたなにかおまじないみたいなのが効いてたまたま受かった人物は、その会社にイノベーションをもたらす変人かもしれない。ある規範を最上位の価値観と信じる範囲では、この誠実さは有効だろう。ここでは、それは会社や学校である。誠実な受験者は、会社や学校の求める「能力」のありようを鮮明に見て取って、そこに馴染もうと努力するものである。鎬昂昇はこの規範意識のことをいっている可能性がある。ウォーミングアップは、してもいい。していけないということはない。そして多くの武術家は、誠実さゆえ、ウォーミングアップをしない。しかし、からだをあたためることで臨戦態勢が解かれるわけではないという前提が覆う限りにおいて、むしろその「ちがう姿」になった彼は、イノベーティブな存在になる可能性すらあるのだ。
こういう点においても、鎬昂昇とジャック・ハンマーはやはり少し似ている。どちらも、規範意識から逸脱することで勝利を得ようとするものなのだ。規範は、真理ではない。ただのコードなのだ。
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