すっぴんマスター2023‐映画 | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

今年もたくさん映画館にいった。去年ほどではないけど、以前までのことを考えたらこれでじゅうぶんであるともおもえる。それに、今年はディズニーに行くようになってしまって、休日の消化とお金がかなりそちらにまわってしまっているので、やっぱり少しは影響しているっぽい。

映画は映画館で観るようにつくられている・・・という原理的な理由に加えて、やはり「出かける」ということの付加価値も、これが日常になってみてよく感じられる。基本的には同じ地区の映画館にいくわけなんだけど、だんだん、決まったパターンみたいのができていくわけで、そうなってみてそれははじめて日常に組み込まれていく感覚がある。つまり、いま「日常」となっているその時間運用も、最初は非日常だったということなのだ。人生とは、体感的には当たり前のようにそこに存在しているようにおもえて、じっさいはそういう非日常の堆積なんだなということがよくわかる。

 

記事にしていないのがほとんどだし、それならX(ツイッター)で、鑑賞したことだけタグつきでつぶやいて管理しようとしたけど、いま調べてみたらどうも正確に出てこないようで、ほんとうのことはよくわからないのだが、それでもまあ、ブログとXの投稿をあわせて考えると、12作品ということになりそう。2月のアントマン、5月のガーディアンズ・オブ・ギャラクシー、それから7月の『パール』以前までについては以下の記事で。『パール』は傑作だったなあ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8月22日はピクサー作品『マイ・エレメント』。川口春奈の声がすごくよかった。ピクサーは若いころから好きで、ディズニーと完全合体するトイストーリー3まではほぼすべてDVDをもっている。英語が苦手で、英語の接客がある仕事をしていたころは、そんなことをしたところでたいした効果はないのに、出勤前に『ファインディング・ニモ』や『バグズライフ』のDVDを英語で流していたものである・・・。

ディズニーは基本的には世界の子どもたちのものなので、原則的に最前線の倫理観をとりいれようと、少なくとも企業としてそう努力しているようにみえるよう努力してきた。虫の居所がわるいとそれが鼻につくときも、それはあるだろうけど、基本的には「さすがディズニー」としかおもわされない日々である。「マイエレメント」は多様性の物語。だが、「世の中いろいろなひとがいる」ということは、ディズニーに限らずさまざまな作品が描いてきたところであるし、現状こころある場所ではもはや自明である。さらに、そこから導かれる「私らしく生きる」といった物語も、なんならディズニーは合意形成のトップランナーだった。そういう倫理観が生まれたから企業として対応してきたのではなく、運命に立ち向かうプリンセスを通じてむしろそういう価値観を作り出してきたのがディズニーなのである。本作はそこからさらにもう一歩進んで、では、立ち向かうことで打ち倒された運命はどうなってしまうのかということに集中したようにおもう。もちろん、これまでの作品でもそこのフォローはないではなかったが、「ヴィラン」という語が現在定着しつつあることが示すように、物語の鮮明さを優先させたとき、どうしてもそこには二元論的単純さが生じてしまうもので、そのとき同時に、「ヴィラン」というほどには悪ではないような「運命」もまた、捨象されがちであったようにおもう。本作主人公のエンバーは、それじたい愛している「運命」から逃れるが、そこへの敬意を欠かすことはなかった。その場面で、ぼくはこれまでのディズニー映画経験でいちばん泣いてしまったようにおもう。

 

 

 

 

 

 

続けて25日、鳥山明原作『サンドランド』。サンドランドはもともとコミックももっていたが、どんな内容だか忘れていた。鳥山明は多分にもれずぼくも少年時代から大好きだが、なにがいちばん好きかというと、扉絵の一枚絵だった。人物の表情や衣装、メカなどがただ描かれているだけの一枚の絵に、世界が宿っている感覚がたまらなかったのだ。その絵に首をつっこむことができれば、左右や反対方向にも、世界が連続しているにちがいないとおもわせるちからがあるのである。サンドランドはこうした鳥山先生のデザインのパワーを感じさせる作品だった。まず、人物やメカが直感的に描かれ、しかるのち、それを自然なものとする世界が構成されていく感覚である。

 

 

 

 

 

 

10月11日には『コカイン・ベア』。いまどき熊一匹でどこまでのものになるのか・・・などとおもっていたけど、めちゃめちゃおもしろかった。脚本的には主人公らしい主人公がなくて、コカインに狂った熊にふりまわされるひとたちが個別に、等価に描かれていく感じで、ブレットトレインとかデッドドントダイとかを思い出した。

 

 

 

 

 

 

11月16日『マーベルズ』。三本目のマーベル作品。ぼくはふつうに楽しんで鑑賞したが、興行的にはインクレディブルハルクを下回ったそうである。キャプテン・マーベルの強さは全マーベルファンの熟知するところで、単独でサノスの軍艦を墜落させるところに狂喜しなかったファンはいないとおもわれるが、なぜそうなってしまったのだろう。ツイッターで見かけた見解としては、初見では理解不能の描写が多すぎた、というものがあり、なるほどとおもった。「初見では理解できない」は、チケットを買って、鑑賞しないと出てこない感想であるから、これは要するに、見る前に「初見では理解できなそう」と感じてしまうひとが多かったということである。その原因としては、エンドゲームのあと、コロナがやってきて、もともと動き出していたドラマ製作が、自宅で見れるものとしてより活発に行われるようになり、それでいてそれはしっかりストーリーに組み込まれている、という複雑さがもたらしたものとおもわれる。ガーディアンズのように作家色を出したり、あるいはスパイダーマンくらいヒーローにパンチがあったりという状況でなければ、マーベルはもはやそういう印象をぬぐえなくなっているのではないかなとおもう。ぼくは引き続きぜんぶ観ているから問題ないけど、興行がふるわないと、製作も難しくなっていくはずなので、どうかみんなあきらめないでついてきてほしい・・・。というところで、カーン役のジョナサン・メジャースが逮捕され、またもや不明確な状況になりつつある感じである。ストーリーからカーンを退場させるか、別のひとがやるか・・・。ともかく、エンドゲームで映画史上最高のものを作り出して以降、マーベルにはなにか「ついてない」という感じがつきまとっている。

 

 

今年の映画納めは12月21日ディズニー作品『ウィッシュ』。非ピクサーのストレートなディズニー作品を劇場でみるのは、少年時代を除けば初めてのような気がする。といっても、本作はぜんぜんストレートなプリンセスものではない。まず、本作はディズニー創立100周年を迎えるにあたってつくられた記念作である。そのため、随処に、「ディズニー100周年」を意識させるメタ的な仕掛けがほどこされているのだ。ふつう、物語というものは、単独で成立するようにできている。それこそマーベルのようなものはそう見えないかもしれないが、それは、たんに物語がものすごくでかいというだけのことで、究極的には、あれらの作品すべてが集まってひとつの物語となっているわけである。だが本作は、物語の外部情報をもった状態ではじめて理解できるようなちょっとした小ネタやなんかが豊富に仕込まれているのだ。物語としても、アーシャがプリンセスではなく、また最終的には魔法をかけられるものではなくかけるものになることなど、冒頭に述べた倫理観の最前線を踏まえつつ挑戦的でもあって、すばらしいものとなっている。そして、ぼくでは今年、久しぶりにディズニーランドに行くようになったという背景もあった。そのため、駆け足気味ではあったが、これまで観ていなかったディズニー作品をけっこう流し込んでいたのである。あとで調べて出てきた小ネタらしき小ネタはほとんど見つけられなかったが、本質的なぶぶんで、製作者のディズニーへの愛は共有できた。ほんとう、ディズニーが好きでよかったとおもう・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

管理人ほしいものリスト↓

 

https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1TR1AJMVHZPJY?ref_=wl_share

 

note(有料記事)↓

https://note.com/tsucchini2

 

お仕事の連絡はこちらまで↓ 

tsucchini5@gmail.com