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私の旅ブログ

自己満足のブログです。よろしければご覧ください。

6時30分 モーニングコール

日本は7時30分 いつも6時前には起床しているのでモーニングコール前に起きています。

大浴場 と 部屋の風呂両方に入っていました。 

  


8時出発

 
台東線 鹿野―山里 (鹿野駅から約1km南の地点)で走行写真撮影

花蓮 発 新左榮 行き  自強 304号  DR3100型 気動車  DR3103 他 6連

電化に備えた架線柱が建っています。






鹿野駅付近 の街並み。

どこのお店も、看板の大きさがそろっていました。商店会のような組織があるのでしょうか。




瑞和 駅



無人駅   朝と夕方しか列車が停まりません。


 



 



關山 駅 



花蓮 発 台東 行き 光 602号 が定刻でやって来ました。

この列車は荷物扱いがあります。 




この犬が、私たちを案内するかのようにどこまでもついて来ました。



荷物車 

日本では姿を消した荷物車が健在です。



 



 


 


花蓮06:30→台東 10:18  所要時間 3時間48分

ローカル急行と言える運行ですが、機関車含めて12両の堂々たる編成です。


最後尾の車両は、電源車です。



列車が出発した後、ここで降ろされた荷物を運搬します。

 



工事用車両 RC-09 Crane Car  



台南 発 (南廻) 花蓮 行き 自強 301号がやって来ました。 

DR2800型 DR2824 ほか9連 1982年 東急車輛製 

 





また、さっきの犬が”道案内”してくれました。 どこまでも人なつっこい。


 



旧 關山 駅舎  

1919年にできた台鉄旧関山駅は、花東鉄路幹線にたった一つ残る日本統治時代の和洋折衷式駅として残されることになりました。
自転車のジャイアント社がレンタサイクルのステーションとして利用しています。

関山旧駅 - 台東縣觀光資訊網 - 臺東縣政府 (日本語)  
http://tour.taitung.gov.tw/ja-jp/Travel/ScenicSpot/800/%E9%96%A2%E5%B1%B1%E6%97%A7%E9%A7%85


 
なぜか、さんま が入った袋が道端に落ちていました。

くわえましたが、別のところに置いて食べませんでした。



 


 
池上駅へバスで移動しました。



池上駅前の街並み



池上鐡路月台便當   駅弁屋さんです。




池上弁当博物館 (池上飯包文化故事館)


台東線で活躍した DR2062、DR2066が保存されています。
 



池上は台湾で一番おいしい米が出来る地と言われています。

池上の弁当は台湾では有名です。 


 


 




鐡路懐舊飯包 80元でした。


 



二階には、昔の教室を再現してありました。


 


お米を売っています。 

興味がありますが重いので買って帰れません。(植物検疫の規定も気になる。)


   (次回に続きます。)


台東旧駅 

ここに駅ができたのは、1922年(大正11年)4月20日 762mmゲージの軽便鉄道規格でした。

花蓮ー台東 172kmは、旅客列車で7~8時間の所要時間がかかっていました。

1968年 LDR2300型気動車による台東線光華号が運行開始。所要時間は3~4時間と大幅に短縮されました。 ナローゲージでの世界最高速 時速70km/hで運転しました。

1982年、1067㎜への改軌工事が行われ台北方面から、列車が直通してくるようになりました。LDR2300型気動車は、1067㎜での運行用に改造され、DR2000型となりました。

1992年 南廻線が全通、台東新駅が出来ました。

2001年 本駅と台東新駅の路線が廃止、廃駅となりました。 旧駅舎は取り壊されて台東鉄道芸術村となりました。

 



 

 

台東には基地があり空軍の戦闘機が飛んでいます。

 

2008年11月 「台東線光華号 40年」を記念して、DR2060、DR2067、DR2069が、台東線光華号塗装に戻されここに保存展示されました。  





プラットホーム 列車がいないときは鉄板をたたみ線路を横断できる構造です。

 


 

  貸切バスで今日のホテルに向かいます。



セブンイレブンでお酒やおつまみの買い物。

 

台東鹿鳴温泉酒店 Luminous Hot Spring Resort & SPA  

 

 

 


ロビーの春節の飾り



部屋に入ってびっくりしました。

 



部屋専用の風呂

 

バルコニー


 

 
   
夕食も美味しかった。 ツアーメンバーと話が弾みました。

 

  夕食の後は・・・  


宿泊客が外の広場に集まりました。
 

 

思い思いに願いを書きます。




天燈上げです。 熱気球の原理で上昇して行きます。

 

動画です。

 

この後は、有志で飲み会となりました。

(次回に続きます。)

 
 

台東駅を降りると見慣れない果物を売っていました。



釈迦頭  バンレイシ 英名 Sugar Apple  台東の名産です。

その名の通り、お釈迦様の頭に似ています。

長期の保存と運搬に向かない理由から、日本にはほとんど輸入されていないそうです。

 


台東機務分段  (花蓮機関区の台東分室)に向かいます。

台東の街はのんびりした感じです。



台東 機務分段に着きました。

今は役目を終えた、腕木信号機が飾ってあります。

ここにもスローガン  1日目 七堵(チードゥー)機務段でも目にしました。

確認 再確認 再三確認  
聯繫 再聯繫 再三聯繫   ※ 聯繫⇒「連絡」の意味 聯緊  

 

 

 

 

 

 

 



暑い台湾の必需品 車両用のエアコンが並んでいます。


構内見学が始まります。 いきなり 現れたこの車両にはびっくりしました。


DR2100型気動車(DR2102号)

台湾総督府鉄道が1931年(昭和6年)に日本車輛製造より購入したキハ100形気動車がルーツになる車両です。
車体を更新したため製造当初の面影はありませんが、1960年代の日本のディーゼルカーを思い出すスタイルです。
1999年まで支線で使われました。 

 



DR2200型気動車(DR2203号)

DR2100と同様、台湾総督府鉄道が1931年(昭和6年)に川崎車輛より購入したキハ200形気動車がルーツになる車両です。
DR2100型と同様の更新を受けています。1999年まで支線で使われました。 
左側の窓がない部分は、トイレです。
 



唐榮台北機械廠 73年のプレート 

民国73年(1984年)の車体更新時のものでしょう。

 




DR2300型(DR2303号)

台湾総督府鉄道が1935年(昭和10年)に日本車輛製造より購入したキハ300形気動車がルーツになる車両です。
DR2100型と同様の経緯で車体更新を受けています。1999年まで使用されました。

 



DR2400型(DR2404号)

台湾総督府鉄道が1935年(昭和10年)に日本車輛製造より購入したキハ400形気動車がルーツになる車両です。
DR2100型と同様の経緯で車体更新を受けています。1999年まで使用されました。
 

 

 



DR2510型 DR2511 +DR2512

1991年 台湾国産の車両です。 
老朽化したDR2100~2400型の更新を目論んで試作されました。
ローカル線の気動車は、冷房付きのDR1000型で更新される方針となり、増備は行われません
でした。
支線区を転々とした後、南廻線で使用されました。
その後、貨物線であった林口線の旅客化を目指し桃園県が補助金を出す形の無料の旅客列車として使われました。 (林口線は2012年12月に廃止されました。)

 

 



台湾の旧形気動車が出てくる映像を紹介します。

映像は、921大地震(1999年9月21日)の集集大地震で被災する前の集集線で収録されています。

台湾語歌謡の歌姫・黄乙玲(ファンイーリン)の「傷心的車站」。1995年の歌です。

この曲は日本歌謡のカバー曲。原曲は1972年(昭和47年) 第14回日本レコード大賞の大賞受賞曲です。 
40代後半以上の方なら懐かしいメロディではないでしょうか。

黃乙玲-傷心的車站 

 


 

【参考写真】
震災で倒壊した集集駅は、日本時代の姿で復元されています。
(2007年5月 訪台時に撮影)

  
  


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話が横道にそれてしまいました。 台東機務分段の見学に戻ります。

先ほど乗ってきた、普快車の客車が入場して来ました。

その動画です。
 

 

 


構内作業の動画です。







ディーゼル 自強号 DR3000型が並んでいます。

 

 

 
ディーゼル王国 台東機務分段

今年6月、花蓮―台東ー知本の交流2.5kv電化が完成するとディーゼル車の使用範囲が狭まるのかも知れません。

 

 

 

R100機関車 DR2700型気動車 DR3000型気動車の並び

 

 

 

 

 

光号客車と復興号客車 
架線柱が建っています。 

 

 

 

 


DR3000型 が入場してきました。

 

 

 


その動画です。



DR2700型が1両で留置されていました。

 

 

 

 

 

 

貫通路から車内をのぞいてみました。

 

 

 
かつて、特快(特急)光華号として、中華民国の夢と希望を乗せて台北と高雄を結んだDR2700型。

ヘッドマークには台湾の島から大陸を光が照らしています。

 

 

 


冷房設備がないために格下げされ支線で使われましたが、今は、花蓮―台東の花東線で運用されています。

1966年、日本の東急車輛製。 前面のスタイルは同じ頃に作られた伊豆急行の100系に似ていると思います。

伊豆急行100系電車
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%B1%86%E6%80%A5%E8%A1%8C100%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A 

 

 

 

 

ご好意で、2両編成のDR2700型を私たちの近くまで動かしていただけました。

 

 

 

 


 


その動画です。



黄色の全面は警戒色として塗られています。

 

 

 


R100型 ディーゼル機関車 (R118号) 米国製

 

 

 


反対側はこんなスタイルです。(R109号)

 

 

 


ディーゼル機関車群

 

 

 


R116号 R109号

 

 

 

 
スクラップ置き場  シートが廃棄されていました。

 

 

 


R103号

 

 


R123号  旧塗装の復活だそうです。

 

 

 

R123号 

1067㎜のゲージでアメリカンスタイルの機関車は台湾にしかないでしょう。

 

 

 
都市に住んでいると、ディーゼル車を見る機会がほとんどありません。

ディーゼル車を堪能できた台東機務分段見学でした。

                                (次回に続きます。)

 

 高雄から乗ってきた自強号で着いた枋寮駅

水色の客車は、快速に相当する「復興号」用の客車ですが、最近は普通列車に相当する「区間車」としての運行が主体です。
窓が開かない特急列車のような外観の車両です。



台湾の鉄道運賃には特急料金や急行料金はありません。
乗る列車の種類によって運賃が決まっています。
日本の相当 種別 10㎞ごとの運賃
特急 自強号 NT$22.7
急行 莒光 NT$17.5
快速 復興号・区間快車 NT$14.6
普通 区間車 NT$14.6
普通 普快車 NT$10.4

「普快車」には冷房設備がありません。そのため運賃料率は安く設定されています。
但し普快車としての定期運用が残るのは、枋寮―台東の1往復(客車列車) 台東―玉里の3往復(DR2700形気動車)、玉里ー花蓮の2往復(DR2700形気動車)だけだと思います。 
 

枋寮駅 11時42分 
12:05発 台東行き 普快車 3671列車の編成が入線してきました。

 




発車まではまだ時間があるのでちょっとだけ駅の外へ出ます。

この旅の中で、この時は晴れて暖かでした。



地方なのでのんびりした感じです。



犬ものんびりしています。

 

出札口  券売機の右側には荷物取扱いの窓口があります。



発車が近づいてきたので改札を通ります。







普快車 この日の編成はディーゼル機関車重連牽引、3両の客車でした、

客車の番号は 35SPK32717 + 35SPK32734 + 40TPK32206  最後部の車両はインド製です。 
記号の意味は、初めの二ケタの数字が車輛の重さ(整備重量)トン数、「S」は2等 「T」は3等に由来 「P」は客車の意味。「K」は緩急設備(手ブレーキ)を持つと言う意味です。

日本流に言うならば、オハフ32700形 オハフ32700形 スハフ32200形ということでしょう。
(私の解釈では「S」も「T」も、「ハ」とします。 32700は指定席扱いもある優等列車用として誕生した経緯がありますが、32200は製造当初から普通列車用車両です。)



客車の各種表記も日本と似ています。

この車両は、日本での全般検査に相当する期限は105年(2016年)4月のようです。
高廠は高雄工場の意味でしょう。



今は区間車運用が主体の復興号客車が並んで停まっていました。



間もなく出発する、普快車3671次(3671列車) 台東行き 



ビニール張りのシートが並んでいます。

 


定刻に発車。次の停車駅は、加禄 です。

花蓮 発 新左營 行き 自強号 304列車 との交換待ちです。

9両編成のディーゼルカーが高速で通過して行きました。 (その動画です。)




車端部には鏡が取り付けてありました。




客車内の動画です。



車窓風景です。



列車は、台湾最南端の駅、坊山 に到着します。 見えている海は、台湾海峡です。




ここから先は、中央山脈を抜けて行きます。

枋寮から台東に至る98.2kmの南廻線は、1992年10月5日に全線開業しました。
トンネル数:35 橋梁数:158 建設は困難を極めました。全長97.15kmのうち、トンネル区間が38.9kmを占めています。

8,070mの中央トンネルは台湾の鉄道で二番目に長いトンネル。
将来、列車が増えた時のことも考慮して複線のトンネルとして建設されています。
※台湾で一番長い鉄道トンネルは、北廻線の新観音トンネル(10,307m)


お弁当

 



臺鐡便當 60元 約200円 とても安い。



豚の排骨 煮玉子など定番のお弁当。

好き嫌いは分かれるのでしょうが。私はこのお弁当が大好きです。

 

トンネルの中を走っています。

 

長いトンネルを抜けて現れた海は太平洋です。

台湾の東海岸に抜けました。




トンネルをたびたび抜けて行きます。

 


 


列車最後部からの動画です。






最後部のインド製客車 車内はセミクロスシートです。


 

列車は海に沿って快走して行きます。







車両の番号プレートがなく、番号が手で書かれています。

悪質なマニアの仕業ではないことを祈ります。

 


金崙駅では、台東 発 新左營行きの 光号 704列車との交換待ちです。

トンネルを抜けて列車がやって来ました。

 


13時35分 定刻です。(台湾では定刻を 準點 と書きます。)

 

太麻里 駅  

旧型の客車が留置されていました。

 

復興号カラーの客車もいました。 色あせていましたので廃車疎開留置でしょう。

旧型の客車に冷房を取り付け復興号カラーに塗った俗に「偽復興号」と呼ばれた車両でしょう。

(この写真だけは、タブレット端末で撮影したものなので画質が劣ります。)



さらに列車は進んで行きます。


 

 


知本 駅 では、 観光列車 「環島之星」を連結した、

花蓮 発 台東 高雄経由 台北行きの 光号 52列車と交換しました。

知本まで電化工事中 架線柱が建てられました。

 


この列車は、花蓮を11:05に発車 台湾を南回りで走り、21:40に台北着
10時間35分のロングラン列車、走行営業キロは682.1km 東京から秋田や姫路ぐらいまでに相当する距離を走る昼行列車です。
大回り運行のため通しで乗車する乗客はほとんどいないと思います。



枋寮から 98.2km 2時間14分のローカル列車の旅。

14時19分 定刻で台東に着きました。




駅での一コマ 


台湾も鉄道の近代化が進み、旧型の車両は姿を消して行きます。
暑い台湾 一般乗客にとって冷房は必須ですが、冷房車は窓が開きません。
このような路線、気候が良い季節であれば自然の風に当たってみたいものです。
割増料金の観光列車でも良いのでこのような列車を残していただきたいものです。

(次回に続きます。)

 
 
3日目は、6時30分モーニングコール 


 
国賓大飯店のブッフェはスタイリッシュなレストランでした。

朝食ブッフェを食べ8時出発。


旧高雄港駅  公園になったようです。

 
長物車の貨車に恐竜のモニュメント 

 
 打狗鉄道故事館

 

いつの頃のものかわかりませんが、切符売り場の掲示だと思います。

平快車は、かつて走っていた種別です。 軍人専用の窓口があったようです。


 



構内配線図など


DT609  (日本の9600形) 

 

CT259  (日本のC55)

 
35SP32426 客車  1966年 川崎車輛で製造




懐かしい雰囲気の客車です。

    

 

電源荷物車のようです。

 
國光號バス  国鉄バスに相当  
米国のグレイハウンドバスタイプの車両。

 

高雄85大樓 
 



後方の山には萬壽山 高雄忠烈祠があります。


バスで高雄駅に向かいます。
 



 

旧 高雄駅 駅舎  高雄駅の隣に移築保存されました。



高雄駅



高雄駅前
 



切符売り場



弁当屋さん

 

 

改札口

 

跨線橋

 

苣光號  急行列車です。

 

初老の駅員  日本の国鉄時代のような雰囲気です。



入換用の機関車が通過して行きました。(S202号)
1960年 米国製 もう50年以上現役です。

 

 

自強 229号 のきっぷ 団体券

自強號は、全車座席指定の特急列車です。

 

列車が入線してきました。

DR3000系  日立製作所製のディーゼルカーです。

 

車内  デザインに日本の国鉄の香りがするような気がします。

 

後ろを振り返って車内撮影。

台湾のディーゼルカーは、車両中央の「月洞門」が特徴です。

車内に張り出してしまう排気ダクトを巧みに中国伝統の様式で化粧しています。


 
潮州駅で軍用トラックを積んだ貨物列車とすれ違いました。



南へ列車は進んで行きます。

 

うなぎの養殖池でしょうか。



57分の乗車で、11時37分 坊寮に到着

 

自強号が発車して行きました。
この列車は、新左營 10:25発→高雄10:40発→坊寮→台東→花蓮→台北19:01着→樹林19:25着

台湾を反時計回りで走る列車です。 526.5Km(営業キロ) 9時間のロングラン。



(次回に続きます。)

台湾高鐡(台湾新幹線) 台中駅 は、台湾鉄路局(在来線)である鉄路局の新烏日駅と連絡しています。
台湾新幹線の各駅は、在来線の同名駅と離れていても、平気でその町の名を名乗っています。

在来線には、昔から台中駅があります。
台中市内でタクシーに乗る時は、ただ運転手に 「台中車站」 と言うと、在来線の台中駅に連れて行かれる可能性があります。 
高鐵の台中駅に行きたいのであれば「高鐵」を強調しておく方が安心です。 

新幹線の台中駅構内は、鉄道に商品を販売するお店が多いです。

私は、この街に住む友人に会うために新幹線開通間もないころに、この駅に来たことがありますが、その当時は、売店以外はお店がありませんでした。

ずいぶんお店が出来たものです。 街の玄関口としての機能が働き始めたのでしょう。

新横浜の昔 その後の発展ぶりを思い起こしました。

 

 
模型屋さん


 




こんな商品見つけました。  台湾限定プラレール。

タロコ号セット(1495元)に 台湾新幹線セット(1795元)  


プユマ号のセットも発売されました。  
695元。 3.5円として約2400円 それほど高くないかと思ったら2両編成なので、日本と同等の価格か。 

 

紙箱王  段ボール細工のお店のようです。

左の機関車は、阿里山森林鉄路のシェイ型機関車。


こちらは、蒸気機関車 CK101

 

遅めの昼食は、夕食との時間も詰まるので、モスバーガーでハンバーガーのセットを食べました。

寒い一日、暖かい紅茶がありがたく感じました。


再び新幹線に乗って 台南を目指します。




チケット  團體票 と書いてあります。 団体券 です。

通常の運賃はこの区間 NT$ 710  5%引きのようです。
調べて見ると、11人以上で同じ列車の同じ等級であれば団体運賃を適用できるようです。

 
 以前台湾に来た時、台北は雨なのに、高雄は晴れていたことがありました。

今回台湾に来て初めて太陽の光を見たような気がします。

 

わずか40分ほどで台南に到着。




駅前には駐車場業者があるようです。

全部屋根付き駐車場 新幹線15%引き切符 一日最大100元 レンタカー会社の事務所もあるようです。

日本でも地方の新幹線駅に行くと、似たような光景が見られます。


 CHIMEI  奇美 と言えば、台湾のコングロマリット 
化学工業から食品まで様々な業態を持っています。
液晶パネルで名をはせた時期もありました。 


台南に本部がある会社です。 これは化学工場か。


建設中の公園らしきもの。  台南大都会公園と書かれていました。

調べて見ると・・・奇美博物館  地元企業の社会貢献でしょうか。
http://www.chimeimuseum.com/_chinese/03_news/03_news_detail.aspx?ID=210&MID=15




保安駅に着きました。 小さな駅です。
 


駅前は静かなたたずまいです。


區間車(普通列車) EMU500形電車  韓国大宇重工製の電車です。
冷房完備の普通列車は區間車と呼ばれます。
もはや冷房が装備されない普通列車(普快車)は、台湾西部にごく一部残るのみとなりました。


台湾の鉄道むすめ?

 
電車の発車風景 
改札口に乗客が降りてきます。 




縁起切符

保安 から 永康 まで 20元 
 
切符に表記された駅名を反時計回りに読むと、永・保・安・康となるからです。

これは中国語で 「永遠に安らかで健やかでありつづける」

というような意味になり、とても縁起のよい言葉になるのです。

 
この切符が台湾でブームになったきっかけは2000年に制作された、フォルクスワーゲンのミニバンのCMです。
 
VW T4 2.5 GP TVC-Taiwan(永保安康篇)

保安駅で永康駅まで3枚の切符を買ったのに電車に乗り遅れた3人の女子生徒

たまたまその電車から降りてきたお母さんと男の子。

お父さんが、駅まで迎えに来ていました。

お父さんは、永康駅まで車で送ってくれました。

お礼に、女子生徒は電車の切符をあげました。

その切符は、車のお守りになりました。
 


「永保安康」の検索過程で見つかった、中国語POPS。

吳宗憲《永保安康》 2001年の曲だそうです。

若かったあの頃を思い出す。あの娘は今どうしているだろう。
あなたの永保安康を祈ります。と言った内容の歌のようです。

伝言板に「希望你們 永保安康」

映像に出てくる切符は、90年。民国90年は2001年です。

この駅 この路線の映像が出て来ます。懐かしい列車も出て来ます。 

少し横道にそれました。


最新型の普通列車 EMU800型がやって来ました。

8両編成 最初の2編成は、2013年 日本車輛製。
今年1月2日から運行を開始しました。
量産編成は、日本車輛の指導の下、台湾車輛で製造されます。
 



貸切バスは、高雄を目指します。

高雄市内に入って来ました。

 
宿泊ホテルに入る前にレストランで夕食です。 
海寶國際大飯店 美味しかった。ツアーメンバーも皆打ち解けてきました。
やはり話が弾む食事は美味しいものです。

 海寶國際大飯店
http://www.haipao.com.tw/
ここはホテルではなく大宴会場を持ち婚礼などもできるレストランのようです。
台湾で大飯店と言えばホテルだと思っていましたが、レストランもあるようです。



本日の宿泊ホテルは、高雄国賓大飯店(アンバサダーホテル)

                   (この画像はホテル紹介ページから。)

私がこのホテルに泊まるのは、2回目です。
四半世紀以上前、初めての台湾旅行で落成間もないこのホテルに泊まりました。
とてもきれいなホテルであった印象が今でも焼き付いています。
その後さらに新しいホテルが建ったものの老舗ホテルの貫録が充分あります。

 
窓から外を見て感激。 愛河の眺めが素晴らしい。

 
新年 干支である馬の飾り

 
くまもん ではありません。
「黒熊」は台湾で一番大きい動物で、台湾原産のクマ 環境破壊で絶滅に瀕しています。
国賓大飯店の開業50周年を記念して環境保護を訴えるためにここに立っています。



ツアー参加者の方と、高雄MRTに乗りに行くことにしました。

愛河のシンボルの小龍 高雄がこれから経済的にも発展して 
『 龍のように 』 空高く飛んで行ける様に・・・という願いがこめられているそうです。



 
市議会駅まで徒歩約10分 

橘線で一駅 美麗島 で紅線に乗り換えます。

 
シーメンス製の電車車内  


7駅目 世運 駅 で地上に出ます。

2009年 ここにある 高雄国家体育場で、夏季オリンピックの翌年に開催される、ワールドゲームズ(2009高雄世界運動會)が開催されたことを記念して命名された駅名のようです。
台湾は略して表示するのが好きなようです。
(わが国で、国民体育大会を国体と言うようなもの?)

台湾のMRTは右側通行 3両編成の電車ですが、6両分のホームが作ってあり、電車はホームの端まで行って停まります。夜間撮影ではこの場所では電車が流れてしまいます。


後方から停車中の電車を撮影。


流し撮りに挑戦 


ホテルに戻る前に、ホテルの対岸のイルミネーションが気になっていたので行って見ました。

 
ホテルの隣に二倍ぐらいの高さの高層ビルが建ちました。 



このゴンドラで遊覧クルーズもできます。


屋台  フライドポテト えびのスティック  真ん中の店は何でしょう?

 
お姉ちゃんが売っていますが・・・

炸蟋蟀 ・・・・・こおろぎ の揚物?  これは ゲテモノです。

你有勇気挑戦嗎 勇気を出して挑戦しなさい? これは遠慮しておきます。

 
(次回に続きます。)

彰化駅  南国ムードです。 でも今日は寒い。


駅前の大通り


駅前にあった郵便ポスト

左から 彰化市外(国内) 彰化市内  航空便  速達郵便

後方にはコインロッカーもあります。 

コインロッカーがこんなところに設置できるのは、この国の治安が良い証拠でしょう。


彰化機務段の玄関

 
貨車が並んでいました。 


蒸気機関車 CK124 (日本のC12形)

日本統治時代に日本車輛製造が台湾総督府鉄道向けに製造。
1979年まで使用されました。 2001年 動態復元が決定され台湾各地で運行されます。

近いところでは3月8日 9日に運行があります。

台湾鉄路局 リリース
JR北海道C11型機関車と姉妹列車締結2周年記念列車の運行
http://www.railway.gov.tw/tw/news_Detail.aspx?SN=6802





日本のC12形にはデフレクタがありません。
C56と同様のデフレクタをつけたかたちなので印象が異なります。

 
蒸気機関車 CK101
1917年に日本の「汽車製造」で台湾総督府鉄道400形として製造。
1974年まで使用されました。

 
蒸気機関車 DT668  (日本のD51形)

1941年 川崎車輛(現 川崎重工業)で製造。
1984年に除籍されました。

 

転車台が現役です。

 
扇形機関庫

1922年(大正11年)に建てられ、転車台を中心に12本の車庫線が放射状に配置され、それに半円形弧状の車庫があります。台湾の日本統治時代の産業遺産の一つです。 


パノラマ写真(クリックで拡大)

 

 


 
R24号(R20形)ディーゼル機関車
米国で1960年に製造 50年を超えた今も現役で使用されています


R72号ディーゼル機関車(R20形機関車のラストナンバー 1965年製) 


S318号(S300形)ディーゼル機関車  1965年 米国製造の入換用機関車。


 

E322号電気機関車 
R34号ディーゼル機関車 

 


彰化機務段の動画

レールが正しく固定されたことを安全確認して発進して行きます。






(次回に続きます。)
2日目は、6時30分モーニングコール 
日本との時差は1時間 日本の7時30分に相当するので得をした気分です。
朝食ブッフェを食べ8時出発。

バスの車窓から  


台北駅 台湾高鐡(新幹線)の改札を通ります。

 

  

 


速達タイプの列車なので板橋だけ停車 桃園 新竹は通過 50分足らずで台中に着きました。

 
貸切バスで新幹線の台中駅をあとにします。

 
渓湖糖廠に着きました。


渓湖糖廠

日本統治時代 1919年(大正8年) 大和製糖會社として操業開始しました。
1946年  台湾糖業公司が発足して渓湖糖廠と改名されました。
2002年まではここで砂糖の製造を行っていました。
製糖工場跡は観光施設として生まれ変わりました。
台湾には、観光糖廠と呼ばれる、製糖工場跡地利用の観光施設が多数あります。


日立製作所製のディーゼル機関車


建物の中には、機関車が保存展示されています。

604号機関車  1920年(大正9年)日本製

 


326号機関車  1940年(昭和15年) 日本製

 


364号機関車  1949年(民国38年) ベルギー製 

 


 801号 ディーゼル機関車 1967年(民国56年) 日本 日立製作所製

 


構内の裏手に行ってみました。

製糖工場で使われた貨車などが残されています。

 
ディーゼル機関車も保管されています。

 
ひっそりと廃車体がありました。 

 
製糖関連の原料や製品のほか、旅客輸送もしていました。

 


復元して欲しいものです。

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2005年 台湾人の友人に、月眉観光糖廠へ連れて行ってもらいました。
そこではディーゼルカーが整備されて保存展示されていました。

ちょっと 横道にそれますが、その時の写真です。


運転台 

 
車内はこんな感じです。 

 
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元に戻ります。

列車がやって来ました。

 
動画です。



五分車 とは 半分の車の意味です。
線路の幅 標準軌間は1435mm  ここの列車は、762mm 
ナローゲージです。

かつてはサトウキビを運んだ線路のうち、3.6kmを往復します。

 
列車は畑の中をガタガタ揺れながら走って行きます。

 



2月11日ですがもう田植えが行われています。
でもこの時の台湾は寒気に見舞われ体感気温は5度ぐらいに感じました。
現地テレビでは、この週に150人ほど、寒さによる死者が出たと報じていました。
(言葉はわからないのですが台湾のニュースは字幕が多いのでこれでよくわかります。)
亜熱帯の台湾でなぜ寒さによる死者? 日本本土よりは暖かいはずなのに。 
台湾には暖房設備そのものがあまりありません。 部屋が寒くなってしまうのでしょう。

  

 

 

折り返し点の 濁水  機関車の機回し作業が始まりました。



 

 
戻って来て、名物のアイス 寒いので迷いましたがせっかくなので買いました。
なんだか懐かしい味でした。


(次回に続きます。)

1日目の夕食後はフリータイムです。

夜の街へ  錦州街 と言う通りを歩いて行きます。

 


初めの目的地はここです。
私が台北に来た時はいつも寄るお店です。
足マッサージと上半身マッサージをしてもらいました。  70分 1000元


以前にもらった反射区解説図。家でも使っています。


足がすっきり。 ただいまの時間 21:51。
目抜き通りである、中山北路はイルミネーションで飾られていました。


台湾名物 庶民の足バイク



動画をご覧ください。



電光表示板

代行運転サービスの電話番号を告知しています。
行政当局も飲酒運転を撲滅したいのでしょう。台湾は役所も進んでいると感じます。

「隣の芝生は青い」という感覚なのかも知れませんが、
台湾は行政にスピード感を感じます。

それに引き替え我が国は、行政のスピードが遅く感じます。


しだれ桜のようなイルミネーション


大学の校門もイルミネーション
迎春 午年  お正月ムードです。

 
台北燈節の会場 花博公園
2010年の春、ここで花と緑の国際博覧会が開催されました。

 
各種ランタンが飾られています。

 



 
 


 



教会やお寺もスポンサーとしてランタンを出展しているようです。

 

 

 

 


メインランタン 馬のペガサス でしょうか?


動画です。 目のまばたきはたぶん大型液晶テレビで表現しているのでしょう。
液晶 LED 電子立国の台湾らしいです。

 






  


 


 


 

 
よく見ると おめでたいことばかり書かれています。漢字は本当に面白い。

これをぐるぐる回すと願いがかなうのでしょうか。私も順番に回してきました。


 


MRT駅に近いこちらの方が、通常の観覧ルートのようです。
私は、徒歩で来たので逆から来たようです。


マカオから出展のランタン


I LOVE TAIWAN (I ♥ T W )

 
臺北燈節 歓迎你  台北ランタンフェスティバルはあなたを歓迎します。 

 


MRT 淡水線 圓山駅 

 
MRTで帰ります。


ホームから会場を眺めました。



 

ホテルのある行天宮駅までは、次の民権西路で乗換、二駅目 
乗換待ち時間を入れても15分ほどで帰れました。
ホテルに着いたのは日が変わる少し前でした。

結構歩いたけど足が軽い。足マッサージのおかげです。

台北燈節2014は、2月7日(金)から16日(日)の予定でしたが、2月21日(金)~23日(日)にも延長開催されました。
http://2014taipeilanternfestival.com/


(次回に続きます。)
 通常は非公開の七堵(チードゥー)機務段の見学です。

 
会議室に案内されました。

スクリーンには私たちの団体を歓迎する画面が投影されていました。

 
パワーポイントで七堵機務段の業務概要が説明されていきます。

 
パワーポイントの結びの言葉

私なりに訳してみると・・・

台湾鉄道は127周年。
人々は歴史ある車両を愛します。鉄道に国境はありません。
薪火相伝(しんかそうでん) ※ が台湾鉄道にあります。
※中国には荘子に由来する「薪火相伝」という言葉があり、薪は人材のことで、それがあって伝統が受け継がれるという意味だそうです。
優れた鉄道技術、旅客サービスが台湾鉄道にあります。


   鉄道員としての誇りを感じる言葉です。


 

ヘルメットと反射チョッキを着用して見学のスタートです。

乗務前に姿を見られる鏡があります。

書いてある言葉は 身だしなみ整えて 安全運行 と言ったところでしょうか。


乗務員の待機室

後方の掲示板には乗務員の3日間の仕業が掲示されています。

若い乗務員さんが乗務の準備をしていました。


掲げられたスローガン

確認 再確認 再三確認

聯繫 再聯繫 再三聯繫   ※ 聯繫⇒「連絡」の意味


カバンに貼ってあったステッカー

抗議 年金修悪 台湾鐡路工會 
年金改悪に抗議する労働組合(工會)のスローガン

どこの国も問題の根っこは似たようなものなのでしょうか。
鉄道は大きな組織、社会に与える影響も大きい組織です。 
乗客に迷惑をかけないなら国民の福利向上のためにも政策要求は頑張って欲しいものという見解を私はとります。

また、第二次大戦後の激動の時代 228事件 恐怖政治 が続いた台湾。
この国の国民が言論の自由を勝ち取ったことは素晴らしいと思います。

 (参考) 
台湾における言論の自由は日本と同等 (台北駐日経済文化代表処)
http://www.taiwanembassy.org/ct.asp?xItem=43874&ctNode=3591&mp=202&xq_xCat=politics&nowPage=29&pagesize=30



各路線の徐行区間などに関する注意事項が掲載されています。

 
窓の向こうに機関車が見えます。

 
工場構内に入って行きます。

E1000形 自強号 の中間客車が整備中。 


最新鋭 普悠瑪(プユマ)号 TEMU2000形電車が整備中でしたが、撮影を遠慮して欲しいとのことでした。
TEMU2000形は、本年6月予定の台東までの複線電化に備え増備中の車両。「日本車輛」が製造しています。
日本から台湾に到着後、まだメーカーから正式な引き渡しを受けていないものなのかも知れません。

急行列車に相当する、光号の客車です。


R150形ディーゼル機関車 米国製


E400形電気機関車 米国製


R151号機関車が発車して行きました。




安全 教養 清掃 清潔 整頓 整理 6S活動 

日本の工場を持つ企業では広く6S活動が実施されています。

「教養」の部分が日本では「躾」とされています。


DSC1000公務車 外観はDR1000に準じていますが、運転室上の機器が最大の違いです。
他ブログでライトであると書かれている方がいましたがこれはカメラではないでしょうか。

VIPの乗車用に使われるそうですが、車内には検査機器のようなものが見えました。
 検測車としての用途があるのでしょうか。


 反対側からもう一度 


E1000形電車

PP(プッシュプル)自強号  特急列車です。
南アフリカ製の電気機関車を前後に配し、中間に韓国製の客車を挟み込んだ編成です。

 
EMU600形電車  韓国製です。

普通列車である 「區間車」に運用されます。


車輪の研削作業が行われていました。

 
動画です。


会議室に戻り質疑応答のあと七堵機務段を後にします。
冷たい雨が降ってきてしまいました。

 
今日の宿泊は、このホテル。

台北慶泰大飯店  Taipei Gala Hotel

ホテルの絵葉書





今日の夕食は、三徳大飯店  

ツアーメンバー全員での会食となりますが、どうしても初めはみなさん遠慮がちです。


食事が終わり、バスで宿泊ホテルに戻ります。

フリータイムとなります。 単独で夜の街へ出かけることにしました。 

(次回に続きます。)