~Integration and Amplification~ クラシック音楽やその他のことなど -9ページ目

~Integration and Amplification~ クラシック音楽やその他のことなど

学生時代から断続的に聞いてきたクラシックCD。一言二言で印象を書き留めておきたい。その時の印象を大切に。
ということで始めました。
そして、好きな映画や読書なども時々付け加えて、新たな感動を求めていきたいと思います。

【CDについて】

作曲:リヒャルト・シュトラウス

曲名:①交響詩「ドン・キホーテ」 op35 (41.59)

   ②交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 op28 (14:51)

演奏:ピアティゴルスキー①、ミュンシュ指揮、ボストン交響楽団

録音:①1953年8月17日(M)、②1961年3月20日 ボストン Symphony Hall

CD:BVCC-38457(レーベル:RCA、販売:BMGジャパン)

 

近年の再発売のCDシリーズは、全面的にオリジナルジャケットを使用したものが主になっていて、これがとても魅力的。かつて気になっていた録音を幾つか買ってみたりしてしまいます。ましてや、それが中古で超格安で出ているのを見かけてしまうと、もういけません。思わずポチッと…。きっとこのCDは、そういう経緯でうちにやってきたやつだと思います。

ということで、

買い置きのCDを聴こう、ふたたび…③

 

【曲と演奏について】

リヒャルト・シュトラウスの曲を最も聴いていたのは、学生時代かもしれない。その後聴く機会が減ってしまったが、標題音楽だけに、いつも同じ物語をなぞってしまって、新鮮さを失ったのだろうか?ティルやツァラトゥストラは曲だけでも面白く聴けるので、その後も時々聴いていたが、ドン・キホーテに至っては、手持ちCDが思い浮かばないくらいだ。LP時代にセルの演奏を聴いていたことは覚えているのだが…。そんなリヒャルト・シュトラウスの管弦楽を未聴CDの消化ということで久しぶりに聴いてみた。演奏は、ミュンシュとボストン響のもの。発売元のHPによると、これ以外にミュンシュはリヒャルト・シュトラウスの作品を録音していないとのことである。

 

まず、ドン・キホーテから鑑賞開始。あぁこんな曲だったなということなのだが、なんだか音がザラザラして高音がきつい。と思っているうちに、モノラルであることに気づく。そりゃそうだ、1953年録音だから。音を抑えて聴けば角が取れて普通に聴けるのだが、リヒャルト・シュトラウスは、輝かしい管弦楽が売りだけにちょっと苦しいものがあった。ティルに移ってからは、広がりのあるステレオサウンドになってほっとした。鮮やかに引き締まった演奏である。ドン・キホーテの方も同様に演奏はとても素晴らしいのだが、やはりリヒャルト・シュトラウスの作品を味わうとなると、そこそこ録音の良さが求められるようだ。

 

今回ティルを聴きながら感じていたのは、リヒャルト・シュトラウスの管弦楽曲って、テクニックと美しさを備えた高い水準の演奏であれば、それほど指揮者によって差が出ないのではないか?ということ。それであれば、美しく磨かれた音楽を聴かせるカラヤンのCDがあれば十分ではないか?と思ったりする。そこで、最近の人気録音は何だろうと確かめてみると、カラヤンに代わってロトが席巻しているではないか!なるほど、ロトの澄んだ見通しのいい演奏が出てきて、リヒャルト・シュトラウスの聴き方もイメージも変わって来たのかな…と思った。これは、これからのリヒャルト・シュトラウスの新録が楽しみだということかもしれない。

 

新しいR・シュトラウスの標準となるのか?ということで、ロト指揮、ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団の「ドン・キホーテ」の演奏です。この、ドン・キホーテとティルの2曲とも、このケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団で初演されました。

 

長い間リヒャルト・シュトラウスを真剣に聴いていなかったので、今更ながらの変な感想になってしまいました。今回はリヒャルト・シュトラウスの聴き方について、あまり標題や演奏効果に捉われず、音楽に直接向き合ったら、もっと面白く聴けるのではないかと思った次第です。的外れな所もあるかも知れませんが、今日時点の感想ということでとりあえずご容赦ください…😅

 

購入:不明、鑑賞:2024/08/21

 

関連過去記事リンクはR.シュトラウスの作品から…。あまり聴いてこなかったので、これしかありませんでした(笑)。

 

 

 

 

【CDについて】

作曲:シューベルト

曲名:歌曲集「白鳥の歌」 D957/D965a (51:22)

演奏:ムンテアヌー(t)、ホレチェック(p)

録音:1952年 オーストリア

CD:DUKC1001(原盤:Westminster) (Mono)

 

CDを買う時に、多少は何かの傾向があるのですが、これは多分、普段あまり聴かないリートをいろいろ聴いてみようと思って、ヤフオクで安く出ているものを買い漁った時期の1枚だと思います。結局あまり聴かずに多くは眠ってしまっているのですが、このCDはレーベルも発売元も書かれて無くて、素性がよく解りません。音源については調べればわかるのですが、発売についてはよく解らず、どうもディスクユニオンの非売品という形でヤフオクなどに出ているので、その線が濃厚かな?と思いました。超薄墨の背の字がほぼ読めないCDです(笑)。

ということで、

買い置きのCDを聴こう、ふたたび…②

 

【曲と演奏について】

「白鳥の歌」は、シューベルトの遺作をまとめた歌曲集であり、シューベルト生涯最後の作品群がまとめられている。内容は大きく3つに別れ、第1曲から第7曲のレルシュタープの詩による7つの歌曲(本来8曲の歌曲集として作曲の予定で、1曲が未完に終わったもの)、第8曲から第13曲のハイネの詩による6つの歌曲、そしてシューベルトの絶筆ではないかと言われている第14曲の「鳩の使い」という構成になっている。新全集には第1~13曲がD957、第14曲がD965aとなっているので、シューベルトによる「白鳥の歌」という歌曲集は存在せず、出版時にまとめられた歌曲集につけられた題名という扱いである。

 

随分久しぶりなので、このような事をWikiで復習しながら聴いていた。ここで歌っているムンテアヌーはルーマニア生まれのテノールで、主にイタリアで活躍されたとのこと。1916年~1988年という生涯なので、かつて聴き親しんだ巨匠たちと同じ活動時期である。そして、このCDは1952年に発売されたWestminster盤の板起しであり、レコードのスクラッチノイズがかなり入っているが、伝えられる音質自体は全く申し分ないものであった。

 

LPのジャケットをNETで探してみました。WestminsterのWL-5165。USA盤です。

 

さて今回鑑賞して、まず「白鳥の歌」の3つの部分の違いを改めて認識。レルシュタープの詩の部分は、女性を想う恋の切なさから始まり、最後は別れの曲になっている。まるで人生の別れを軽く歌ってみたという表現が、とても寂しくもある名曲が並ぶ。ハイネの詩に入ると様相は変わり、シューベルトの研ぎ澄まされた孤高の姿が見えてくる。曲も極限まで抑制された伴奏とメロディで綴られ、およそこれまでのシューベルトの歌曲とは様相を異にしている。ピアノ・ソナタD960のシンプルさなどにも通じるシューベルトの最晩年の境地が詰まっている。最後のザイデルの詩による1曲は再び明るい基調の美しい曲で、いかにもシューベルトらしい感じがする。

 

ムンテアヌーの歌唱については、私はリートに関する経験値が少なく、何かコメントをすることは難しいのだが、テノールの張りのある美声と、美しい表情を楽しんだということになる。この曲集はかつてフィッシャー=ディースカウの演奏でも聴いていたが、それとはまるで表現方法は異なると思う。ムンテアヌーの歌を聴いてから、フィッシャー=ディースカウの歌を聴くと、まるでポリーニのピアノのような強いアクセントと正確性を持った歌唱に聴こえる。20世紀後半は確かにそういう時代であったと思った次第である。

 

この音源と思われる、名曲の第4曲「セレナード」。音がクリアで美声である。

 

ハイネの6曲の中のラス2「海辺にて」いかにも晩年のシューベルトの境地を思わせる曲。

ムンテアヌーの表情も素晴らしい。

 

もはやメロディや伴奏が極端にそぎ落とされたハイネのラスト6曲の中の最後にある「影法師(ドッペルゲンガー)」

 

併せて聴きたい、ムンテアヌーによるシューベルトの最後の作品の一つ「岩の上の羊飼い」

 

さて、ムンテアヌーの歌を楽しみました。そして、Youtubeの音源の音が、レコード特有の雑音が無くとても良かったので、そっちの方でも聴いてみたいと興味を持ちましたが、このCDセットは Preiser レーベルで、シューベルトとシューマンで85トラックあるようです。ちょっと無理ですね…。YouTubeでも全部きけますしね…。でも、もっとリートの鑑賞についてもいろいろ聴いて勉強したいと思いました。

 

購入:不明(2013年頃)、鑑賞:2024/08/20

 

関連過去記事リンクはシューベルトの歌曲から…

 

 

 

 

【CDについて】

作曲:ゴルトマルク

曲名:①ヴァイオリン協奏曲第1番イ短調 op28 (29:44)

   ②交響曲第1番「田舎の婚礼」op26 (42:35)

演奏:①リッチ(vn)、フロマン指揮、ルクセンブルク放送管弦楽団

   ②ライヒェルト指揮、ヴェストファーレン交響楽団

録音:①1977年、②1970年

CD:ACD 8173(レーベル:VOX)

 

お盆の間に自宅CDの棚卸をしたところ、まだ聴いていないものがやはり200枚以上あり、なんとかこれを解消しようと1枚取り出してみました。焼け石に水です(笑)。買い控えが一番とも思いますが、そういう訳にもいかないと…何故だ?🤣

ということで、

買い置きのCDを聴こう、ふたたび…①

 

【曲と演奏について】

ゴルトマルクが活躍したのは、ブラームスやブルックナーが活躍した後期ロマン派の時代。ゴルトマルクはブラームスとの散歩仲間であると同時に、ウィーン・ワーグナー協会の設立に大きな役割を果たしたとのこと。副業で音楽ジャーナリストとして活動もしたが、どちらかの会派に与することは無かったようだ。このCDにはそんなゴルトマルクの比較的演奏機会の多い2曲が収録されている。

 

ヴァイオリン協奏曲第1番(第2番は未出版、失われた?)は、ゴルトマルクの作品の中では最も演奏されている曲かもしれない。過去にはミルシテインが2回のセッション録音を残しているほか、パールマンやベルの録音もあった。最近の録音は定かではないが、YouTubeではヒラリー・ハーンの演奏も聴くことができるので、引き続き一定の演奏機会を保っていると思われる。私は、今回初めてで、印象としてはヴァイオリンが終始美しいメロディを奏で、大変見せ場の多い曲だと感じた。オーケストラは伴奏に回る部分が多いが色彩も豊か。情緒溢れるロマン派のヴァイオリン協奏曲であった。

 

この曲のかつての決定盤であったミルシテインの演奏から第二楽章。オーケストラはハリー・ブレック指揮フィルハーモニア管。最近、LPでも復刻されており、「第2楽章の陶酔的な美しさはミルシテインの全録音の中でも白眉」と発売元資料にあります。

 

交響曲「田舎の婚礼」も今回初めて聴く曲。高校生の頃、この曲のレコードが出たので、名前だけは脳裏に刻まれていた。「村の婚礼の交響曲」という標題で、同時期にVOXレーベルで珍しい曲のLPが幾つか発売された中の一つと記憶している。他にも、確かラフの交響曲とかがあったような気がするが、おぼろげな記憶である。そして、このCDはまさにそのLPの音源なので、既知の曲のように懐かしく感じながら聴くこととなった。

 

ネットにあった当時のLPの画像を編集してみました。結婚式の贈り物にできるようになっていたのですね…😆

 

ゴルトマルクは、散歩仲間のブラームスから「君の今までの仕事の中で最高の曲。単純明快で申し分なく、いきなり完成された姿で出来上がったんだから」と評されたとのこと。曲は五楽章構成で、それぞれ「婚礼の行進」「婚礼の唄」「セレナーデ」「庭園にて」「舞踏」という題名がつけられている。第一楽章が全体の4割程度を占め、いきなり変奏曲で開始されるというのも珍しい。五楽章構成と田舎という内容から、田園交響曲を思い浮かべてしまう。

 

第一楽章の変奏曲は牧歌的で、結婚式にまつわるいろいろな場面が、変奏として表現されているような気がする。交響曲全体も楽章ごとに緩急取り混ぜてという形であり、婚礼の日のいろいろな出来事が表現されている。いずれもおめでたい雰囲気が基調なので、曲全体として大変美しく華やかだ。最後の第五楽章唯一のソナタ形式の楽章とのこと。華麗な雰囲気の中でしっかりと曲が締められる。標題音楽風味であり、差し詰め交響的音画といった雰囲気も感じ取れる。

 

演奏は、ライヒェルト指揮のヴェストファーレン交響楽団。ライヒェルトに関しては詳しくはわからないが、CDで聴くのは2枚目でもう一枚は同じくVOXのブルックナーの第6番。メリハリのある演奏だと思った。「田舎の婚礼」は、録音はあまり多くないと思うが、有名なところでは、バーンスタイン=NYPの録音があり、YouTubeでも聴くことができる。今回は2曲とも初めての曲でそこそこ気にいったので、そうなると他の名演奏家のCDやゴルトマルクの室内楽なんかも探してみたいと思う様になるのだが、そういうことをしてしまうとCDが減らない。困ったものである。

 

バーンスタインの録音を貼り付けます。こちらの演奏の方が面白い…かな?

 

購入:不明、鑑賞:2024/08/20

 

関連過去記事のリンクが難しいのですが、同じVOX原盤のCDをリンクします。

このCDBOXにライヒェルトのブルックナーも入っています(笑)

 

 

【CDについて】

作曲:チャイコフスキー

曲名:交響曲第5番ホ短調 op64 (50:55)

演奏:ベーム指揮、ロンドン交響楽団

録音:1980年6月 ロンドン St. John's, Smith Square

CD:427 822-2(レーベル:DG)

 

【曲と演奏について】

この8月中旬の一週間、NHK-FMで4日間のカール・ベーム特集が放送されていた。今年の8/28は、生誕130年にあたるとのこと。カール・ベームの特集は、今やなかなか無いことだけに、「らじるらじる」でひと通り興味深く聴いてみた。増田良介さんの言葉の中にもあったが、カール・ベームはどうやら既に「忘れられた巨匠」らしい。出演の下野竜也さんの言われていた、小学生の時テレビで見た映像は、まさに前回アップした、私も学生時代に見た80年の来日公演の映像と同じものである。

 

 

 

特集の中で、ヘッセン交響楽団(現在のフランクフルト放送響)との、チャイコフスキーの第4番の演奏が流されていた。それは驚くほどの奔放な演奏で、それを聴きつつ、久しぶりにこのCDを取り出してみたのである。チャイコフスキーの第5番は大好きな曲なのだが、かつて誰の演奏を聴いても何か不満が残るというような気がしていた。その時この演奏を聴いて、これだと思ったものだ。演奏表現は勿論素晴らしいのだが、それ以上に全体の構成が実にバランスよく収まっている感じがする。

 

今回も4日間の放送で、いろいろな演奏を聴いたが、ライヴ録音が主体でとても楽しめた。カール・ベームはセッション録音も多く残している。それらは、どれもよくまとまった素晴らしい演奏なのだが、逆に物足りなく感じる時がある。カール・ベームの古典派のリズムはとても正確だし、ブルックナーはとても美しい肌触りを持っている。そして、微妙なテンポや強弱で表現された楽興が素晴らしいのだが、そこからすべてを聞き、感じ取るのが私には少々難しい所があったりする。

 

そんな中で、今回はかつて大変派手だったチャイコフスキーの演奏が、最晩年のセッション録音になって、ロマンチックで雄弁な演奏になったということに何か面白いものを感じた。こういうチャイコフスキーは大好きだ。レコ芸編の最新の新時代の名曲名盤500にも、新世代の録音が席巻する中で、鈴木淳史氏がこのCDに1票入れているのを見ると嬉しくなる。チャイコフスキーの後期交響曲は、私はムラヴィンスキーから入ったクチで、カラヤンの演奏もとても素晴らしいと思うのだが、このベームの演奏はいつまでも座右にあると思うのである。

 

この音源からの第4楽章です

 

 

購入:不明、鑑賞:2024/08/15(再聴)

 

今までの書いたチャイコフスキーの交響曲からのリンクです

 

 

 

 

 

 

 

今回は、古い映画の鑑賞記録です。8月15日が近いというのは偶然なのですが、前回ハンス・アイスラーの「ドイツ交響曲」を聴きつつ、アイスラーが映画音楽をつけたこの有名なドキュメンタリーを見ていなかったということに気付き、取り寄せて観てみた次第です。なかなか見るのに勇気のいる映画でもあります。

アラン・レネ監督は、難解な映画ということで知られる「去年マリエンバートで」が有名なのですが、見たいと思いつつちょっと敬して遠ざけている感じで、まだ見ていません。この「夜と霧」は、ホロコーストを描いたドキュメンタリー映画で、第二次大戦10年経過したこの時期に、アウシュヴィッツなどナチスの強制収容所を描いたごく最初期の映画という形で製作されています。

 

「夜と霧」は30分超の短いドキュメンタリー映画で、現在(1955年当時)のアウシュビッツのカラー映像から開始され、前半は強制収容所の建設から、収容者の過酷な移送、および、過酷な強制労働や虐待の記録映像が続きます。そして、1942年ヒムラー視察による「生産的に処分しろ」という命令の場面のあとは、ガス室の建設による「処分」の映像が続きます。

ここからおびただしい数の死体を見ることになります。もともと人間だった物を見ているという感覚にならざるを得ません。この大量の死体が、それぞれの人生や喜怒哀楽を宿していたと考えることすら難しい映像となっていました。それらの画像はただただ目の前を流れていくだけでした。きっとこの映像を見る感覚は自己防衛的本能によるものなのかもしれません。

その後、ホロコーストに関してはたくさんのドキュメンタリーやフィクションが作られ、今ではある程度見慣れた感覚にまでなってはいますが、このドキュメンタリーはその原点であり、淡々と語られる事実こそが、すべてを語るという作品でした。

アイスラーの音楽は30分間ずっと流れ続けています。前半は少し諧謔的な感じも含む音楽で、後半に入ると緩徐部分となり、木管の二重奏が印象的です。最後はナレーションに乗って明確なコーダで締められます。大げさな音楽で凄惨な映像を妨げない、適度な緊張と美しさのあるいい作品だと思います。この音楽を指揮したジョルジュ・ドルリューは、パリ音楽院で学び、この作品のあと、本格的に映画音楽作家として250作以上の映画音楽を担当。特にフランソワ・トリュフォーの作品には多くの音楽が残されています。

 

アイスラー作曲の夜と霧より:オスタポヴィチ指揮ウクライナ祝祭管弦楽団の演奏です。

2021年12月の演奏です。

 

さて、この作品はカンヌ映画祭に出品されましたが、ドイツ政府からの要請によりコンペティション外の上映となりました。アイスラーにとってはパリ万博の時の「ドイツ交響曲」と同じ体験になります。アラン・レネ監督はその後、原爆をモチーフとしたドラマ「二十四時間の情事(ヒロシマ・モナムール)」をカンヌに出品しましたが、アメリカからの参加者に配慮し、コンクール非参加の形で公開しています。配慮忖度はいつの世でもあるもののようです。

この映画の最後のナレーションを引用しておきます。これは、これからもずっと問いかけるべきこととして、しっかりと認識しておく必要があるようです。何故なら、人間というものは、どうやらいつまでたっても変わらないようですから…。

 冷たい水が、廃墟の溝を満たしている

 悪夢のように濁った水だ

 

 戦争は終っていない

 今、点呼場に集まるのは雑草だけ

 「都市」は見捨てられた

 火葬場は廃墟に、ナチは過去となる

 

 だが、900万の霊が彷徨う

 我々の中の誰が戦争を警戒し、知らせるのか

 次の戦争を防げるのか

 今もカポが、将校が、密告者が隣にいる

 

 信じる人あるいは信じない人

 廃墟の下に死んだ怪物を見つめる我々は

 遠ざかる映像の前で、希望が回復したふりをする


 ある国の、ある時期における特別な話しと言い聞かせ、
 消えやらぬ悲鳴に、耳を貸さぬ我々がいる。

 

鑑賞:2024/08/14(ブルーレイ)

 

関連する過去記事のリンクです。

 

【CDについて】

作曲:ベートーヴェン

曲名:交響曲第2番ニ長調 op36 (36:32)

   交響曲第7番イ長調 op92 (41:44)

演奏:ベーム指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1980年10月6日 東京 昭和女子大学人見記念講堂(ライヴ)

CD:ALTSA065(レーベル:Altus、販売:キングインターナショナル)SACD

 

【曲と演奏について】

カール・ベームは最晩年にウィーン国立歌劇場とともに日本を訪れ、「フィガロの結婚」と「ナクソス島のアリアドネ」の指揮台に立った。そのさなかに、人見記念講堂のこけら落としも兼ねて、一夜のオーケストラのコンサートを開催し、それがこの録音である。そして、このコンサートの模様は、NHKによってテレビやラジオで配信された。その時私は、高校三年生。クラシック鑑賞に没頭して間もない私は、食い入るようにテレビを見、もちろんエアチェックもしっかりとさせてもらった。

 

このエアチェックのテープは何度聞いたかわからない。たぶんベートーヴェンの第2番、第7番に関しては、この演奏を聴いた回数が最も多いかもしれない。少なくとも、学生時代を通してこのテープは聴いていた。そして、第7番のLPも旧録音のBPO、新録音のVPOとも購入した。しかし、これと聞き比べても、この日のライヴと比べると全く物足りなく感じた。録音はもちろん素晴らしいが、音楽に宿る力強さ、情緒ともに遥かにこのライヴの方が勝っている。

 

カール・ベームは指揮台に立つと、指揮台上の椅子に着席し、決然とした動作でタクトを振り下ろした。ウィーン・フィルが反応し音楽が始まる。ベームは椅子に座ったまま、無駄なく全身をはっきりと動かし、オーケストラに指示を与えている。派手な動作はないが、そこから毅然としたベートーヴェンの音楽が流れていく。第7番の第三楽章も後半に入ってくると、曲が進むのを惜しむかのようにテンポが落とされていく。そして、最後の第四楽章に入っていく。

 

エアチェックのテープはやがて聴かなくなり、しばらく記憶だけが美化されていった。そして、ある日CDが出ていたのを知って、とりもなおさず購入した。長い年月を経ての再会ではあるが、昔と同じ感興はさすがに戻ってこない。しかし、そこにあるのは同じ音楽であるのは事実。それを聴きながら、かつて感じたことを記憶の中から思い起こすことになる。そこにはベームの音楽だけでなく、テレビ映像のことや、この音楽を聴いていた頃の周囲の情景も記憶から蘇ってくる。

 

第四楽章の最後の音が終わると、大歓声が沸き上がった。ベームは満足そうに楽員に微笑みかけ、握手を交わすと、観客の声援に応える。オーケストラのメンバーが退出したあとも鳴りやまない拍手に応えてベームは登場し、舞台の前まで押し寄せ、握手を求める観客に何度も応えていた。

 

かつて高3の時にテレビで見た第7番の演奏風景。今でも記憶に焼き付いています。

 

購入:不明、鑑賞:2024/08/10(再聴)

 

関連する過去記事のリンクです

 

 

 

 

 

 

【CDについて】

作曲:モーツァルト

曲名:交響曲第25番ト短調 K183 (26:27)

   交響曲第26番変ホ長調 K184 (8:09)

   交響曲第27番ト長調 K199 (19:35)

演奏:レヴァイン指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

録音:1985年6月8-10日 ウィーン ムジークフェライン・ザール

CD:F35G 20080(レーベル:DG、販売:ポリドール)

 

【曲と演奏について】

レヴァインは、1980年代の後半に、ウィーン・フィルとモーツァルトの交響曲全集を完成している。これは、ウィーン・フィル側がレヴァインを指名したということらしい。ちょうどこの時期に映画「アマデウス」が公開されていて(1984年公開)、この映画の中で交響曲第25番(ネヴィル・マリナーによる演奏)が非常に効果的に使われて印象的であった。そして、このCDが発売され買ってみると、レヴァインの演奏がとても気に入ったので、以降、録音が進むたびに買い求めていった。最終的に第21番以降を買いそろえたが、全集までは手が出なかった…。

 

交響曲第25番は、モーツァルトの交響曲では2曲しかない短調の作品のひとつ。1773年後半にモーツァルトはウィーンに滞在して、当時のハイドンの「シュトゥルム・ウント・ドラング」と言われる作風や、新しい音楽表現にふれ、これに触発されてこの交響曲が出来上がったと言われている。鮮烈な印象を残す第一楽章が特徴的で、このレヴァインの演奏は颯爽としていて、この曲の特徴をとても鮮やかに表現している。

 

交響曲第26番と第27番は、1773年の前半に作曲されている。モーツァルトはこの年の3月にイタリア旅行から帰国し、イタリアの流行に触発されて4曲の交響曲を作曲したが、これはそのうちの2曲である。時系列的に並べると、イタリア旅行→第26番、第27番、第22番、第23番の作曲→ウィーン滞在→第24番、第25番となる。第26番は短い8分程度の曲でありながら情緒溢れる曲で、当時イタリアでは、オペラから発達したシンフォニアが盛んに作曲されていたが、なるほど、これが当時のイタリア風なのかと感じる。特に第二楽章が叙情的で美しく、古楽器の音色でも聴いてみたいと思った。雰囲気がよくフィットしそうである。

 

第26番の第二楽章。モーツァルト交響曲全集の大先輩格のベームの演奏です。

 

レヴァインの演奏は、オーケストラの音色がとても洗練されて美しい音楽になっている。極端な誇張は行わず、モーツァルトのそれぞれの曲想を適度なニュアンスで鮮やかに表現していると思う。これは、レヴァインの音楽性によるところが大きいと思うし、匠の技を感じる。どの曲の演奏も大変完成度が高く、どれをいつ聴いても楽しさや美しさが感じられる。個々の曲にはそれぞれたくさんの名演があるが、交響曲全集としては大変質の高い素晴らしいものだと思う。

 

購入:不明、鑑賞:2024/08/09(再聴)

 

モーツァルトの交響曲に関する過去記事のリンクです

 

 

 

 

 

前回、ちらっと書いたのですが、いまアンプの慣らし運転でいろいろ聴いているところです。何か面白そうなの無いかな…、と思って自宅のCD棚から取り出してみたのがアイスラー。きっと10年前に買った時に数回聴いただけですね。この際、久しぶりに聴いてみます。

 

【CDについて】

作曲:アイスラー

曲名:ドイツ交響曲 op50 (64:07)

演奏:ポンマー指揮、ベルリン放送交響楽団、ベルリン放送合唱団

   ブルクハーツ(S)、プリーヴ(Ms)、ラング(A)、ゾマーフェルト(Br)、メーヴェス(Bs)他

録音:1987年10月 ベルリン Schauspielhaus

CD:0093262BC(レーベル:BERLIN Classics)

 

【アイスラーについて】

アイスラーといえば東独の作曲家であり、ドイツ交響曲という題名から、何やら国威発揚めいた印象を受けるのですが、これは全く逆で、圧政に虐げら蹂躙されるドイツ国土と民衆をかなり直截的に描いた曲になっています。逆説的にはもちろんドイツを憂い、鼓舞するという思いのこもった曲にもなっていると思います。そしてそれは、普遍的には世界に向けて発信されるものであるかもしれません。

 

まずは、アイスラーについて簡単におさらいしました。アイスラーは新ウィーン楽派のシェーンベルクを師とする、三人の高弟の一人。他の二人のウェーベルン、ベルクとは10歳以上年下になります。一方でのちに共産圏で活躍した作曲家ということで見ると、ショスタコーヴィチより8歳年上ということになります。

 

アイスラーはやがて音楽上、政治上の対立から新ウィーン楽派と訣別。音楽に関してはその社会的機能を追求し、政治的には共産主義を信奉。ベルトルト・ブレヒトとともに活動しました。しかし、ユダヤ人で共産主義者という立場から、ナチスの台頭するドイツを出て各国を渡り歩き、最終的にアメリカに落ち着くと、やがてハリウッドで確固たる地位を気づき、ブレヒトとともに活動しています。そして、この時代にオスカーに2度ノミネートされています。しかし、第二次大戦が終結すると、マッカーシズムの台頭により、赤狩りの対象となってアメリカから追放され、帰国先として東独を選択。今度はスターリニズムと折り合いをつけながら、社会的な作品や映画音楽を含め多数の作品を残しています。

 

アイスラーの遍歴はまさに、混乱の20世紀前半のヨーロッパやアメリカそのまま映し出していると思います。その過程で、欧米の様々は芸術家とも交流しており、大変興味深いものです。

 

【ドイツ交響曲について】

ドイツ交響曲は、独唱、合唱、管弦楽のための作品で、交響曲とありますがカンタータのスタイルとなっています。主に、アメリカ亡命中の1935年から1947年の間に作曲されましたが、最終的な完成は1957年で、1959年東ベルリンの国立歌劇場で初演されました。

この曲は、ドイツにおけるナチスの台頭を主なテーマとしており、当初は「反ヒトラー交響曲」という副題がつけられたとのことです。部分的な演奏で成功をおさめ、1937年のパリ万博でも演奏される予定でしたが、ナチス政権かフランスを説得したことにより、演奏は中止させられています。

 

この作品は、ベルトルト・ブレヒトの詩によって作曲されており、全11楽章。うち3楽章が管弦楽のみとなっています。初演後しばらくは忘れられた形でしたが、20世紀末から徐々演奏され始め、近年録音も増えてきました。この録音は1987年ですので、まだ東独時代のもの。ドイツ交響曲の録音としても、ごく初期のものと思われます。

 

この動画は、きっと同じ音源ではないかと思います。鑑賞される場合は、下の対訳をご参照ください。また、58分くらいから約10分ほどオーケストラだけの第10楽章があります。

 

このドイツ交響曲が日本で初演されたのは、昨年のこと。2023年10月17日、ヴァイグレと読響により、サントリーホールで初演されました。それに際し、この演奏会のための対訳がネット上に掲載されていますのでリンクします。私はこのCDを10年前に初めて聴いた時は対訳を持っていなかったので、苦労しました…というか半分も判りませんでした(笑)。

 

対訳へのリンクです。

https://yomikyo.or.jp/2023/10/3e4607abf6b5757cfb8fcbd8766f3a968b3f0007.pdf

 
アイスラー研究者である、和田ちはるさんによる初演時の寄稿

 

長木誠司さんによる初演時の寄稿

 

【鑑賞しての感想】

今回再び鑑賞してまず印象的だったのは、このブレヒトの詩ですね。反ファシストという文脈もあるのですが、一方で圧政と民衆の苦悩が直接的に語られていると思いました。どちらかというと、共産主義的な発想、階級闘争的な筋書きも強く感じます。いつも聴いているショスタコーヴィチの音楽も同じような基調はありますが、これほど直接的な表現はなかなか無いと思いました。たぶんソ連の中にいると、逆に当時あった理想的な共産主義というものは語れないのかなと思いました。スターリンを否定してしまいますので。そして、アメリカからもブレヒト/アイスラーは追放されてしまうというのは、歴史的な事実です。

 

音楽は確かに二十世紀的なものですが、新ウィーン楽派の流れを汲みながらも、わかりやすい音楽になっています。すでに1920年代後半に、アイスラーの音楽はシンプルなものに変わっていったとのことです。アイスラー自身の、政治的色合いを濃くしていき、音楽の社会性を追求する思想は、同じころにロシア・アヴァンギャルドを否定し、社会主義リアリズムに向かっていたソ連も含め、全世界的な流れだったのですね。

 

フランス政府は、1937年のパリ博で、ドイツ交響曲の演奏を、ドイツの要請により中止したとのこと。1937年のパリ博はフランス、ドイツ、イタリア、ソ連、内戦中のスペイン、日本、アメリカなど、主要国が参加した第二次大戦勃発2年前の博覧会で、すでに世界情勢は緊張が高まっている時代でした。

 

現在において、この交響曲と詩を鑑賞するにあたって、歴史的な共産主義的な背景を頭に置きつつ、やはり反ファシストという文脈を主に普遍的に見ていくべきではないかと思います。戦禍による民衆の苦悩と、さらにその先に待ち受けている独裁者による戦禍が全体として描かれています。それは、この詩の序曲とエピローグに相当する短い連が象徴的でした。そして、そこに至った過程、なぜそうなったということに関して、その中間に連なっている詩文から、少しでも読み取っていくということではないかと思いました。

 

購入:2013/01/07、鑑賞:2024/08/08(再聴)

 

ここでは、ブレヒトに関連する過去記事のリンクです

 

 

 

最近リリースされた新譜から ㊵

久しぶりの新譜といっても、4ヶ月前ですがギリギリ賞味期限内ということで…。ネルソン・ゲルナーはアルゼンチン出身のピアニスト。お恥ずかしながら、今回初めてききます。アルゼンチンといえばアルゲリッチが有名ですし、おとなりのチリ出身のアラウもリストの演奏が素晴らしいですね。ゲルナーはどうなんでしょう。

【CDについて】

作曲:リスト

曲名:3つのペトラルカのソネット S270 (18:56)
   忘れられたワルツ 第2番 S215-2 (6:12)
   ピアノ・ソナタ ロ短調 S178 (29:29)
   3つの演奏会用練習曲第2番「軽やかさ」 S144-2 (4:54)
   ハンガリー狂詩曲 第6番 変ニ長調 S244-6 (7:04)
演奏:ゲルナー(p)

録音:2023年5月(L) リエージュ Salle Philharmonique de Liege

CD:ALPHA1036(レーベル:Alpha Classics)

 

【曲と演奏について】

私はリストのピアノ曲は、そうたびたび聴く訳ではないので、曲名と曲が頭の中で結びつかないのがほとんどである。最初の「ペトラルカのソネット」も何度も聴いたことはあるのだが、曲は思いつかず、キラキラとして澄み切った静かな雰囲気の曲というイメージしかなかったのが正直なところ。聴いてみても、やはりそうだった(笑)。リストのピアノ曲はなんとなく雰囲気で聴いているのかもしれない。このCDに曲名として書かれているS270というのは、原曲の歌曲の作品番号で、ピアノ版は「巡礼の年第2年イタリア」の第4-6曲なのだが、なぜこの番号が書かれているのか不明である。もしかして「巡礼の年」とは違うバージョンなのか?と思ってみたりするのだが、曲を明確に知らないので何とも言えない…。

 

このPVの題名は、「巡礼の年第2年S161-6、ペトラルカのソネット」みたいな書き方になっています…

 

次の忘れられたワルツは、全4曲の中の第2番が収められている。初めて聴く曲で、早いパッセージが続く曲。何か逡巡しているような所から、思い出したように盛り上がっていくワルツであった。リスト晩年の曲で、当時リストの関心は過去にあったということである。

 

そして、きっとこのCDのメインであるロ短調ソナタ。ロ短調ソナタといえば、同じアルゼンチン出身のアルゲリッチの名前が浮かんでくる。ただ、この曲も私にとっては難しすぎて、なかなかとらえどころがなく、アルゲリッチの演奏が一番「わかりやすい」。アルゲリッチは「クライスレリアーナ」でもそう思ったが、旋律を際立たせてくれるので、こういった演奏者によって肌触りが変わってくるような曲に、最も普遍的な答えを出してくれるように感じる。

 

さて、それではゲルナーの演奏はどうだろう。ここまで聴いてきて、ゲルナーの音はとても澄んでいて、かつ暖かい音がするような気がしていた。そして一つ一つの音がとても丁寧に表現されていて輝いている。この入り組んだロ短調ソナタも、美しい音が丁寧に積み上げられて、流れていっているという感じを持った。これには30分間惹きつけられたし、興味深かった。この曲は近年いろいろなピアニストがいろいろなスタイルで演奏していると思うので、往年の演奏にとらわれず、もっといろいろ聴いてみたいと思った。

 

この音源から、ロ短調ソナタの第三楽章

 

あと2曲。ロ短調ソナタを聴いたあとなのでで、どうもアンコール的に聴いてしまう。3つの演奏会用練習曲は、とても美しく叙情的に演奏されている気がする。私は、この曲はアラウの演奏が好きだし、美しさが強く出た演奏もありだと思うのだが、アラウのような力強さが欲しいなぁと思ってしまう。ハンガリー狂詩曲は、それこそアンコールを聴くつもりで楽しく聴かせていただいた。

 

ゲルナーの演奏は、一音一音がとても念入りに美しく磨かれて、全体として輝くような雰囲気を作り上げていると感じた。それもライヴ録音なので、集中のとてつもない高さを感じる。ペトラルカのソネットが先頭に来ているのも、そういう雰囲気の流れを作っているのだろうか?アルファレコードのディスコグラフィを見てみると、尾高忠明=N響がバックのブラームスの2番があったりするのも面白い。ソロでは、ドビュッシーは是非聴いてみたいと思った。

 

NHK交響楽団とのブラームス:ピアノ協奏曲第2番

 

購入:2024/04/29、鑑賞:2024/08/07

 

【余談】

アンプが壊れてしまってたので、ついに新しいアンプを新調しました😆。

とりあえず、ご機嫌に鳴ってます…。

 

 

リストのCDの過去記事リンクです

 

 

 

 

 

【CDについて】
作曲:ベートーヴェン

曲名:交響曲第3番変ホ長調 op55 (50:07)

演奏:フリッチャイ指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1958年10月 ベルリン イエスキリスト教会

CD:POCG-3086(レーベル:DG、発売:ポリドール)

 

【演奏について】

王道のクラシック鑑賞である。フリッチャイは、もしかしたら私が最初に買ったベートーヴェンの交響曲のレコードがフリッチャイの第9だったかもしれない。当時、廉価版シリーズといえばフリッチャイが多かった。どれも素晴らしい演奏であったが、カラヤンやベームの人気に隠れていたことは事実。しかし、内容はそれらを凌ぐものもあるはずだ。この第一楽章の力強さやメリハリの効いた演奏はどうだろう。一聴して、すべてを取り込んでいく、堂々として引き締まった、雄大な演奏ではないだろうか。前時代の巨匠の時代の録音をステレオで聴いているという気にすらなるのである。

 

この録音の頃、フリッチャイは白血病の症状が現れ始めている。ただ、それまでの実績からしても、そういった要因から生まれた名演という事でもないはずだ。フリッチャイはクーベリックやジュリーニと同じ年の生まれ、カラヤンとバーンスタインの中間の世代である。クーベリックがベートーヴェンやマーラーを録音していた1970年前後は、まだ若手世代という認識もあった気がするが、フリッチャイはそれよりはるか昔、モノラル時代から録音を積み重ね、早くから才能開花させ、実績を残していた。

 

フリッチャイは、ハンガリー出身であった。ハンガリーといえば、ショルティ・オーマンディ・セル・ライナー…。どの指揮者もオーケストラを鍛える指揮者という印象がある。ショルティはフリッチャイの2歳年上にあたるので、最も世代的に近い。活躍の場は違っていたが、意外と気質的には近いような気がしないでもない。確かな造形と鍛錬の上に立った演奏は、いつ聴いても安定であり、信頼度が極めて高い。そんな中でも、深い情緒も兼ね備えたフリッチャイの演奏。幸いCDは昔いろいろ買っているので、これからも聴き続けていくと思う。クラシックを聴き始めた時に慣れ親しんだ演奏というのは、いつまでも影響を残すものなのだ。

 

購入:1993/12/04、鑑賞:2024/08/06

 

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