長いプロボクシング・ヘビー級の歴史において、唯一全勝無敗のまま引退するという偉業を成し遂げた名チャンピオン、ロッキー・マルシアノ(1923~1969)の評伝。

著者はコネチカット大学准教授のマイク・スタントン博士。樋口武志氏による翻訳版はミステリー小説文庫の豊富なラインナップで知られる早川書房から2019年に出版された。

 

49戦49勝(43KO)0敗、世界ヘビー級王座6度防衛という輝かしい戦歴を残したロッキー・マルシアノだが、プロボクサーとしてデビューした時の年齢が24歳と遅いことに加え、180cmに満たないというヘビー級にしては小柄な体格、胴長短足で不器用なことから、当時は彼がボクサーとして成功するとは誰も思っていなかったようだ。

 

だが、彼の運命を大きく変えることになったマネージャーのアル・ワイル、そしてトレーナーのチャーリー・ゴールドマンという二人のボスとの出会いによりボクサーとしての資質が開花し、長い下積み生活の後、ついにチャンピオンの座に登りつめたのである。

 

 

チャンピオンになるまでの彼の半生も、波乱万丈そのものであった。

幼少期から直面したイタリア系移民への差別や貧困、ストリート・ファイトに明け暮れた少年時代、兵役時代に起こしてしまった暴力事件による逮捕、プロ野球選手を目指しトレーニングを続けるも挫折、ボクサーとしてのキャリアを積み重ねていく中のある試合で対戦相手に後遺症を残すにまで至らしめてしまった時の苦悩。

 

ボクサーとなってからも、マフィアと密接なつながりのあるワイルの完全な支配下に置かれ、思うような試合を組んでもらえなかったり、ファイトマネーの一部を搾取されるだけでなく、私生活までコントロールされたりなど、華やかなボクサー人生と表裏一体の苦難の道のりがあった。

 

本書にもある通り、当時はボクシングが生み出す巨大な利権をめぐって背後にマフィアの存在があり、カネにまつわるトラブルや八百長試合などが横行していたことは周知の事実であった。

実際、こうした不正を行うマネージャーやプロモーターと手を組まなければ、選手はマッチメイクしてもらえないなどの事実がチャンピオン経験者を含む多くのボクサーによって証言されており、ロッキーも多かれ少なかれ、望むか否かに関わらずこうしたボクシング界に潜む闇に巻き込まれざるを得なかったようだ。

 

しかし、こうしたダークな側面があったとしても、ロッキー・マルシアノが古今東西で最も偉大なボクサーの一人であることに何も変りはない。

過酷なトレーニングにより身に付けた強靭な精神力とスタミナ、いくら打たれても決してひるむことなく前進する不屈の闘志、そしてその小柄な体躯から放たれるヘビー級屈指の強打で自分よりも大柄なボクサーたちを次々とマットに沈め、ついには世界ヘビー級ボクシングにおいて全勝無敗という前人未到の記録を打ち立てた。そんなロッキーの戦いぶりやボクシングに打ち込む姿勢、圧倒的な強さは、ジョー・ルイスに代わるヘビー級の新しいヒーローの登場というインパクトとシンクロし、今も多くの人を魅了し感動させている。

 

特に、ロッキーにとってタイトル初挑戦となった王者ウォルコットとの激戦の模様は本書において綿密に描かれており、血と汗と唾が飛び交うこの世紀の一戦を、まるで読者がリングサイドで観戦しているような興奮と錯覚を起こさせるほどだ。

この試合では、試合中にウォルコット側のセコンドが明らかな不正を働き、逆にロッキー側も意図的なバッティングを指摘されるなど、物議を醸すタイトルマッチとなった。一方で、地味なイメージで見られがちなウォルコットだが、ベテランの試合巧者ぶりやロッキーを散々に苦しめた強打はこのタイトル戦でも冴え渡っている。事実、ウォルコットはポイントでリードしていたとも言われており、この試合を間違いなく判定でモノにしていただろう。運命の13R、ロッキーの”スージーQ”がウォルコットの顔面を完璧に捕らえるまでは――。

動画サイトなどでも観られるが、KOパンチとなったこの右フックは強烈そのもので、ウォルコットをじわりじわりとロープ際まで追い込み(カウンターを狙ったウォルコットがロッキーをロープ際まで誘い込んだとも)、軽く左足を踏み込んだ刹那、ウォルコットの右フックに合わせ、一瞬早く、まるで稲光のようなスピードで繰り出したロッキーの右拳がウォルコットのアゴにクリーンヒット。頭部がちぎれ飛んでしまうような強打を浴びたウォルコットは、そのままロープに左腕をかけたまま倒れ込み、やがてマットに崩れ落ちた。戦慄の逆転KO劇であり、ロッキーはついにヘビー級王座を奪取したと同時に、一夜にしてアメリカを熱狂させた英雄となった。

 

王座獲得後は、初防衛戦となったウォルコットとの再戦、下積み時代に拳を交えたローランド・ラスタルザとの再戦、エザード・チャールズとの二度に渡る激闘を経て、6度目の防衛戦でアーチー・ムーアをKOで下したのを最後に引退。

 

引退後の彼がどのような生活を送ったのかはあまり知られていないが、本書によれば、世界チャンピオンになったことによって一流映画スター並みの名声と巨万の富を得たロッキーは、数々のビジネスを手掛ける事業家として成功した。莫大な財産を手にしながらも浪費や慣れない事業の失敗などで一文無しとなり、経済的に零落してしまった他のチャンピオンの例とは著しく対照的であるが、それは少年期の貧困や悪辣マネージャーにファイトマネーを搾取された苦い経験が慎重深い彼の気質と重なり合い、異常なまでの金銭依存となって現れ出たように思える。実際、ロッキーは貸金業的なビジネスにも関わっており、その取り立ての際にはかつてリングで見せたような苛烈な凶暴性を見せるなど、カネへの執着心は相当なものがあったようだ。

 

有名人となり幾多のビジネスで多忙を極めるようになったロッキーは、ほとんど家に帰ることもなく全米中を飛び回り、家族とも疎遠になってゆく。ボクサー時代にはあれほど忌み嫌っていた非合法組織との付き合いも必然的に増えていき、アスリートとしてのストイックさは完全に失われ、自己の欲望に順ずる生活を送るようになる。紳士的なイメージが強いロッキーも、引退後にはこのような一面を見せるようになった。

 

また、モハメド・アリとの友情についても詳しく書かれている。ともにマイノリティからのし上がった二人の偉大なチャンピオンは、共演したある映画の撮影をきっかけに知り合い、やがて友情を深め、人種の枠を超えた壮大な計画を語り合うようになる。しかし、それはロッキーの突然の死により、ついに実現することはなかった。

 

 

1969年8月31日、搭乗していたセスナ機の墜落事故により、ロッキーは不慮の死を遂げた。

彼が乗ったセスナ機がアイオワ州のトウモロコシ畑に墜落したというニュースは全米中を震撼させ、誰もが偉大なチャンピオンの無事を祈った。その中の一人、LAタイムス紙のスポーツ記者・ジム・マレーはこう言ったという。

 

 

『カウントを始めろ。彼はきっと立ち上がる』

 

 

しかし、ロッキーは立ち上がることなく、そのまま息を引き取った。

享年45歳。46歳の誕生日の前日の悲劇であった。