私の万葉歌 戀歌 第十二話 | TOSHI‘s diary

TOSHI‘s diary

Feel this moment...

ある日の昼休みだったかと思います。

グループの連中と徒党を組んで、学校内を歩き回っていた時のことでした。

そんな時、一年生の女子二人組が私たちのところに寄ってきました。
RZだけは煩わしいのか表情を変えずに二人組をじっと見据えていましたが、
他の野郎どもは嬉しそうにしています。
私はというと禁煙パイポをくわえたまま、他人事のようにその様子を眺めていました。

すると女子たちが口々に尋ねてきました。

女子たち「女いますか?」

最初に訊かれたRZは「いる。」とだけ答えてそれから何の反応も示しませんでした。

他の野郎どもは嬉しそうに「俺どうっすか?」などと食い付いています。

ここでカップル成立なんかもありえそうなところです。

さて、そんな状況の中、私に言い寄ってくる女子はいませんでした。

まあ私は顔に生々しい傷跡があり、悪人面な目付きで、

イケメンとは言い難いので仕方がありません。

少しだけ、ほんの少しだけ寂しいような気持ちはありました。

――俺には好きな女の子がいるから別に良いもん。

そう思っていたところ、女子の一人が私に話しかけてきました。

女子「トシローさんですよね?」

私「ん? そうだけど。」

女子「うちらの学年にトシローさん気になるってのがいるんですけど。」

私「マジっすか。」

女子「今度連れて来ても良いですか?」

私「良いよ。その子名前は?」

女子「A子っていうの。」

私「A子さんね。何なら一年の教室に行こうか? 何組?」

女子「一組です。」

私「わかったよ。じゃあ放課後でオーケー?」

女子「オーケーです。伝えときます。」

他の野郎たちから「やったじゃん。」と持ち上げられる私。

初めて名前を聞く上に、どんな子かもわからないので、そこまで嬉しいとも思いませんでした。

こんな時に妙なことを思い付いてしまうのが私でした。

そのA子という一年生と付き合っている設定にして、

先生には興味がありませんというアピールにするのも一つありかと考えたのです。

A子さんには失礼な話だとは思いましたが、先生に迷惑をかけられない私の思いやり――

だと思いたいところです。

私と先生の関係のためにここは役立っていただくのもありでしょう。

以前にも似たような発想をしていたように思います。

なかなかゲスい男ですね。

 

その日の放課後、私は一人で一年一組の教室へと向かいました。

教室には休み時間に私に話しかけた女子と、A子と思しき女子生徒が待っていました。

私が教室に入るなり女子は「じゃあ、あたし行きます。」と言い残して、

A子らしき女生徒と私を二人きりにしてしまいました。

多少突っ張っているとはいえ、こういう状況に慣れていない私は、

何だか少し緊張していたように思います。

私「君がA子さん?」

A子「はい。あの、彼女いるんですか?」

私「いないよ。」

A子「趣味とかありますか?」

私「読書かな。」

A子「漫画とかですか?」

私「いや、近代文学。」

A子「はあ……。好きな有名人とかっていますか?」

私「有名人ねえ。小野小町とか、芥川龍之介とか近代作家しかわからん。」

A子「えぇ……。テレビとか見ないんですか?」

私「うん。全然見ないなあ。」

A子「…………。」

私「他に質問ある?」

A子「……特にないです。」

私「ああ、そう。」

A子「…………。」

こうして話していると、内心「これはもうだめだな。」と理解していました。

それはA子も同じだったようで、ここからしばらく沈黙が続きました。

A子「あの――。」

私「ダチが待ってるから、話が終わりなら行くね。」

A子「あ、はい……。」

私「じゃあ。」

そう言って私は足早に教室を後にしました。

趣味が合うか合わないか――私には理解のあるガールフレンドが一人いるから、

どこの馬の骨ともわからない他人からどう思われようが、

もうどうでも良いような気がしていました。

そのガールフレンドとは恋愛関係になれないだろうけれど、

もうこれで良いのだと考えるようになっていました。

――俺にはたった一人、心に決めた相手がいるんだから。

 

【五十六】

戀妹 獨社居 皆人者 不知友縱 知不勝故

()ふる(いも) 一人(ひとり)こそ()れ 皆人(みなひと)は ()らずともよし ()りかてぬ(ゆゑ)

私には恋した貴女が一人いる。もう他の誰にも理解されなくて良い。わからないだろうから。

 

 

 

ある時、RZから集会の誘いを受けました。

夕方に集まって軽くツーリングをするということだそうです。

私はバイクを持っていませんでしたので、彼の後ろに乗って行くことになります。

集会と言っても私とRZと、ドカン先輩の三人だけという話でした。

二人でドカン先輩との待ち合わせ場所に向かう道すがら、

RZがこんなことを話していました。

RZ「ドカン先輩、おめえに話があるって。」

ドカン先輩には、私と二人で話したいことでもあるのでしょうか。

そうなると以前のように恋した女性教師の話ではないかと思ってしまいます。

とは言え私の口からは先生が好きだという相談はできません。

それがRZの耳に入り、やがては同級生に、学校全体に――。

ということにでもなれば間違いなく生き地獄のような学校生活になってしまうでしょう。

先生に合わせる顔もなくなってしまいます。

とりあえずはドカン先輩に会っても聞き役に徹することにいたしましょう。

 

ツーリングは国道をぶらぶらと走って夜には解散と相なりました。

ドカン先輩が送ってくれるということで、次は彼の後ろに乗って走り回ります。

途中でコンビニに立ち寄り一服をすることとなります。

私は煙草に火を点けるドカン先輩に問いかけました。

私「そういえば話って何ですか?」

ドカン「おめえマジで煙草辞めれたのかよ。」

私「いや、吸いたいっすよ。もう二ヶ月くらい辞めてますけど。」

ドカン「すげぇな。俺は無理だわ。」

私「禁煙パイポで我慢っす。」

ドカン「そんなもんで我慢できんのかよ。」

私「慣れたらこれでもいけるかな。煙草辞めたら金が余るようになったんすよ。」

ドカン「そうかよ。そいつはお得だな。」

私「話って煙草のことですか?」

ドカン「おう。煙草辞めるきっかけになったって先公とは上手くいってんのかよ。」

持ち出してきたのはこの話でした。

彼なりに私の学校生活というか、先生との関係が気になっているようです。

私「うん、いってますよ。たくさん教えてもらってます。」

ドカン「いいなあ。」

私「そんなら先輩も高校入り直したらどうっすか?」

ドカン「今更無理に決まってんだろ。」

私「俺が入れたしいけるんじゃないですか?」

ドカン「その先公おばちゃんとか言ってたよな。」

私「まあ、歳は知りませんけど。何? 先輩気になるんすか?」

ドカン「気になってんのはおめえのことだよ。おめえに言いたかったのはな――。」

私「うん。」

ドカン「その先公反抗されまくったりしてねえか?」

私「今は俺が見てる限りはないと思いますけど。」

ドカン「仲良いんなら、おめえの前ではねえだろうよ。」

私「ですね。」

ドカン「女の先公ってのは舐められやすいからな。何かあったら助けてやれよ。」

私「言われなくてもわかってますよ。」

ドカン「おめえは尊敬してて好きってんだろうけどよ。見て見ぬフリして後悔するようなことだけはすんなよ。」

私「わかってますよ。先輩もしかして後悔してることでもあるんですか?」

ドカン「ちまちまとな。」

私「そうなんすね。」

ここまで話を聞いていて、私はこれ以上何も訊きませんでした。

言っていることがストレートにわかっていたからというのもあります。

女性教師を舐めている他の生徒に対して、何もできなかったことが、

体の大きい不良少年でさえあったということなのでしょう。

この辺りで話を切り上げて解散することとなりました。

私には一つ、気になる点がありました。

なぜかドカン先輩はRZがいる時にこの話をしませんでした。

自分の過去の話を聞かれたくなかったのでしょうか?

かなりオープンに自分のことを公開している人なので、その辺を意外に思っていました。

――俺がいれば誰も先生をいじめることはできない。

ドカン先輩と話して、改めてその決意が固まったように思います。

 

【五十七】

希見 爲妹西 守吾身 惜雲不有 情將盡

めづらしき (いも)(ため)にし ()()() ()しくもあらず 心盡(こころつ)くさむ

愛しい貴女のためならば私の身など惜しくはありません。そのためならば全身全霊を尽くしましょう。

 

 

 

過去に同い年の幼馴染である怪獣と、その妹であるウェーブをご紹介したことと思います。

ウェーブは三歳年下の幼馴染で、家同士のつながりもあって、

実の兄妹のような存在でもありました。

ところが二年ぶりに再会した彼女は非行少女に変貌しており、

私に向かって「あんたなんか知らない!」と叫ぶという変わりようでした。

私が地元を離れて高校に進学した後、彼らの父親が体を壊して、

怪獣が仕事を手伝うために高校を退学したところまでは知っていました。

この期間に何かがあってウェーブが変わり果ててしまったということなのでしょうか。

高校生活が多忙とは言え、彼らのことを常々心配してはいたのです。

私は怪獣と連絡を取り合って、お互いに会える日を選んで、会う約束をしました。

そして彼の仕事が終わる夕方頃、自転車で彼の家へと向かいました。

もしかしたらウェーブからも話が聞けるかもしれない。

そう考えながら彼らの家へと向かったのでした。

彼らの家に到着した時、夕飯の支度の途中だった彼らのお母さんが出迎えてくれました。

どうやらウェーブはいないようです。

私は部屋で待っている怪獣のところへと向かいました。

久々に顔を合わせる幼馴染は相変わらずな様子でしたが、

少し顔に疲れが見えるような気がしていました。

私「怪獣、久しぶり。」

怪獣「おう、来たか。」

私「忙しそうだな。元気か?」

怪獣「毎日ヘトヘトよ。」

私「おじちゃんは? 体壊したって言ってたけど。」

怪獣「……親父はタヒんだ。」

私は驚きと同時に、そんな大事なことを知らなかったことに衝撃を受けました。

私「ごめん。知らなかった。」

怪獣「まだ言ってなかったからな。」

私「それで仕事引き継いだ感じ?」

怪獣「そうなんだよ。いやあ、しんどいな。親父の凄さがわかったよ。」

これだけを聞いて、ウェーブが荒れてしまった理由がそれとなくわかった気がします。

私「そういやウェーブは? こないだ会った時、別人になっててびっくりしたんだけどさ。」

怪獣「驚いただろ。俺もあんなになっちまうなんて思わなかった。」

私「こないだ『お前なんか知らん!』って言われてさ。」

怪獣「あんなに仲良かったのに、マジか……。今は誰に対してもああなんだよ。」

私「よほどつらかったのかな?」

怪獣「ああ、親父のこと大好きだったからな。」

私「それで? ウェーブはいないの?」

怪獣「ああ、友達の家に泊まるって。」

私「そうか……。」

大好きだったお父さんが亡くなって、荒れてしまったという話で間違いないようです。

私は父親が家族を捨てて出て行った経緯があり、全てを共感することはできませんが、

しかしその悲しみは想像しただけでも計り知れないものがあります。

もしもウェーブとまた話せる機会があるのならば、話を聞いてあげたりしたいのですが、

それ以前にあの状態の彼女が心を開いてくれるかどうか。

怪獣「もし良かったらさ、ウェーブと話してやってくれないか?」

私「俺が?」

怪獣「お前だったら何となくだけどさ、心開くような気がするんだよな。」

私「相談乗ったりとかしてあげたいとは思うけど……。俺に話してくれるかな?」

怪獣「そんな気がする。」

私「そうかなあ……。」

正直なところ自信はありませんでした。

しかし、幼馴染の頼みとあれば、ウェーブのためとあれば聞き入れることにしました。

私「わかったよ。ウェーブがいる時に呼んでくれたら行くよ。」

怪獣「ありがとうな。」

――言葉にできないくらいつらかったんだろうな。お父さんにタヒなれて。

 

【五十八】

戀繁 過去人乎 所念者 涕流而 無干時

()(しげ)き ()ぎにし(ひと)を (おも)ほ𛀁ば 淚流(なみだなが)れて (かわ)時無(ときな)

大好きだった亡き人を思われれば涙が流れて、乾くこともないくらいに。

 

※ヤ行エを使用しています。デバイスによっては表示されない可能性がございます。

 

 

 

 

夢のような時は突然訪れる――。

それはテストが近いある日の特訓での出来事でした。

放課後に例の謎の女子と居残って先生から古文、漢文、現代文を集中的に教えてもらいます。

一緒に特訓を受けている以外は何もかもが謎だったので、

ここでは一応"謎子"とでも呼んでおきましょう。

一時間ほどともに勉強していた謎子は、別の教科の特訓を受けるためということで、

私より先に国語の特訓を終えることとなりました。

荷物を片付けて何も言わずに教室を去っていく謎子。

初めて一緒になって特訓を受けるようになってから、先生にお礼どころか、

会話をしている場面もろくに見たことがないままでした。

先生と二人きりになって緊張とやる気が同時に湧き上がります。

もうすでに三年生の範囲も勉強していたわけですが、

テスト前ということで改めて二年生の範囲を集中講義というわけです。

百点を取ったら先生も一緒に喜んでくれるはず。

そう思うと熱血漢が闘志を燃え上がらせるように必死になって頭に叩き込めるのです。

国語をこんなにも勉強できるなんて、何とも幸せなことでしょう。

それも先生と二人きり。この時間が無限に続きますように――。

ところが時はいつまでも留まってはくれません。

問題を解き、先生に答案を見てもらうこの流れの中で、

やがて夕刻を経て十九時を過ぎていました。

時の流れすらも忘れている内に、空はすでに陽も落ちて暗くなっています。

こんな時間まで私一人のために勉強を見てくれる先生に、私はまずお礼を述べました。

私「先生、遅くまでありがとうございます。」

先生「次は百点いけるよ。」

私「頑張ります。」

嬉しさが込み上げて溢れそうになる中で、先生は思いがけないことを口にします。

先生「今日はもう遅いから送ってあげる。」

私「!? 良いんですか?」

先生「良いよ。方向同じだから。」

こんなにも幸福の連続にぬるまっていて、私は本当に大丈夫なのでしょうか。

今度は先生と二人きりでドライブとは。

心臓が破裂しそうなほど高鳴りが止まらない中で、

色に出ていなかった自信は正直なところありません。

平静を装っていたつもりではありましたが、喜びのあまり生きた心地がしませんでした。

夢の中で彷徨しているかのような何とも言えない感覚です。

何しろ恋した相手ですので、異性への耐性の有無は関係ありません。

こうなってしまうのは仕方のないことだったのでしょう。

教室の施錠を確認した私たち二人は、職員室に鍵を返しに行きます。

その後は職員の駐車場へと向かいました。

先生「ちょっとだけ片付けするから待ってね。」

私「はい。」

先生の軽自動車に着いた時、先生は車内をガサゴソと片付けていました。

平静を装うつもりで、私は明かりの消えた教室を見上げて、

あまり先生の方を見ないようにしていたのだと思います。

先生「自転車載せれると思うけどどうする?」

私「載りますか?」

先生「うん。多分。」

私「じゃあ、取ってきます。」

私はまるで逃げるように走って、自分の自転車を取りにいきました。

駐輪場までそれほど距離があるわけでもないのに、息切れは凄まじいものでした。

冬だというのに汗が噴き出そうなほど顔が熱い気がします。

――先生と二人きりでドライブ!? 

緊張も何もないように演じなければなりません。

胸を手で抑えて何度も深呼吸をして、自分の心臓を制御してから、

自転車を先生の車へと運びました。

後部座席を倒して広がった荷台には、雑多に積まれた本があり、

それらを避けるようにして自転車を載せていきます。

助手席に座るように促されて、私はそれに従いました。

――近い!?

運転席と助手席の距離感に、せっかく整えた心拍がまたしても高鳴ります。

ハンドルを握って運転する先生の横顔が非常に気になりますが、

ここではできるだけ前を見るに留めておくことにします。

芳香剤の類は見当たりませんが、この空間には心なしか良い香りが漂っているように思います。

車が学校の駐車場を出たところで、先生の方から私に問いかけてきました。

ちょうど自分から話を持ち出せなかったところでした。

先生「家ではご飯どうしてるの?」

当時、私の母親は日中フルタイムで働きながら、アルバイトを掛け持ちしていました。

母が用意できない日には自分で作ることもあれば、

億劫な時はスーパーの半額弁当などで済ませることもありました。

私はそのありのままを先生に話しました。

先生「お母さんは今夜もお仕事?」

私「はい。今日は自分で適当に用意です。」

先生「一緒に食べに行こうか。」

私「えっ!? 良いんですか?」

先生「先生お腹ペコペコなんだもの。あなたもお腹空いてるでしょ?」

私「まあ、ペコペコです。」

先生「先生が奢ってあげるから。」

私「良いんですか? 本当に。」

先生「遠慮してるの?」

私「いや、何だか申し訳ないので。」

――先生と食事!? 行きたい行きたい行きたい!

こんなにも幸運の連続が重なって本当に私は大丈夫なのでしょうか。

教師と生徒が一緒に食事に行くなんてシチュエーションが実際にあるとは。

先生から私を食事に誘うとは、もしかして両想いなのでは!?

酒も飲まずに相当酔い潰れてしまいそうなほど、私の胸は高鳴り、

顔も真っ赤になっていたのではないかと思います。

もう色に出ていてもどうすることもできなかったでしょう。

私「行きます。一緒に。」

ここで断ったら先生の面子を潰すことになり、自分は男じゃないとまで考えていました。

いや、一生後悔を残すことになるような気さえしていたのでしょう。

私は先生のお言葉に大いに甘えん坊することにしました。

こうして私と先生は帰る道すがらにある、

地元近くのファミリーレストランに立ち寄ることとなります。

私は先生の後ろを付いていき、店内に入り、席に座ります。

そしてメニューを開くわけですが、選ぶ余力などないくらいに気が動転していました。

先生「何でも好きなの注文して良いよ。」

私「ありがとうございます。いただきます。」

先生「私は――。ハンバーグ。」

私「ど、どうしようかなあ。」

自分でもはっきりとわかるほど、言葉が詰まってしまいました。

メニュー表で顔を半分隠しているとは言え、先生には私の動揺が見えていたかもしれません。

これまでの短い半生において、ここまで緊張したことがあったでしょうか。

先生「決まった?」

私「あ、はい。」

今度は何を注文するか決めてもいないのに「はい。」と返事をしてしまいました。

自分がかなりおかしなことになっているのが、手に取るようにわかります。

二人きりで勉強している時はここまで動揺していませんでした。

が、さすがに食事となるとそうはいかなかったようです。

ウェイターが注文を聞き取りに来ます。

先生「ハンバーグのセット。あなたは?」

私「えっと、同じもので。」

何も考えていなかったので、咄嗟にそう言ってしまいました。

呼吸と脈拍を整えるため、私はいったん席を立つことにします。

私「すみません。ちょっとお手洗いに。」

先生「はあい。」

私は用を足しにきたというより、火照って脂ぎった顔を洗おうと考えていました。

さすがに動揺と緊張が尋常ではないほど襲ってくるので、

深呼吸と洗顔を繰り返して、酔った自分の目を覚まさせようとしていました。

この日の幸運の連続や先生の積極性に、やはり先生も自分のことが好きなのか?

と、思ってしまうほどでした。

手ぬぐいで顔を拭き、何度か深呼吸を繰り返します。

そして何事もなかったかのように装い、先生の待つ座席へと戻りました。

その少し後で注文していたハンバーグとライス、スープのセットが届きました。

先生「おいしそう。いただきます。」

嬉しそうに大きく口を開けて、切ったハンバーグを頬張る先生。

彼女の唇にはデミグラスソースが付着していました。

――かわいい! かわいすぎる!

今まで一度でも、女の子をこれほどまでにかわいいと思ったことがあったでしょうか。

思わずその姿に見入ってしまっていました。

先生「どうしたの? 遠慮しないで。」

私「はい。いただきます。」

慌てて私も食べ始めます。さすがにじっと見つめすぎたと後悔していました。

ただ、このハンバーグには今まで感じたことのないおいしさがありました。

もしかしたらそれは、大好きな先生と一緒に食事をしているから?

先生「今一番食べないといけない時期なんだから。しっかり食べて。」

私「ありがとうございます。おいしいです。」

先生「それは良かった。」

私が食べることに集中しようとしている中で、先生は先に食べ終わりました。

箸で副菜の人参を食べているところ、私を見て先生が言います。

先生「偉いね。好き嫌いなくちゃんと食べてて。」

私「先生――。」

ハンバーグと人参に限らず、口に入れるもの全てをおいしく感じられました。

こんなに幸せな食事は、いったいいつ以来だろうと考えます。

私は食べ終えたところで、にっこりと微笑む先生に向かって深く礼をしました。

私「先生、ごちそうさまでした。」

先生「お腹いっぱいになった?」

私「はい。おいしかったです。」

先生「それは良かった。」

私「いつかお返しを――。」

先生「良いって。喜んでもらえたらそれで十分。」

私「先生、どうして俺にそこまで――。」

先生「家の事情とか知ってるから。ひもじい思いをしてる子がいたら助けたいと思うもの。」

私「本当に、ありがとうございます。」

この時私は、とても大切なことを思い返していたのでした。

なぜ先生を尊敬したのか――この人のような優しい大人になりたいと思ったからではと。

それを一人で浮かれて赤くなって、かわいいとまで思ってしまって……。

自分の無礼さに恥じとともに、何とも言えない情けなさが込み上げてきました。

そしてこれまでに受けたことのない先生の優しさに、

私は泣き出しそうになってしまいました。

先生「私も楽しい時間を買えて良かったです。お会計済ませるから、外で待ってて。」

私「はい。」

私は言われるままに、先生が会計を済ませる間、外で待つことにしました。

夜風がすがすがしいほど心地良いのですが、思い返すのは己の恥ずかしい勘違いでした。

先生に申し訳なさすぎて、なぜ恋心など抱いてしまったのかと、

何度も何度も悔やむような気持ちになっていきます。

それでも、無意識に先生がハンバーグを頬張る、あの美しい顔を思い出しては、

――かわいいなあ、先生。

そう思ってしまうのです。

 

【五十九】

食妹者 愍美 雖禮 忘萬代日 丹穂日來鴨

()(いも)は めぐし(うつく)し (ゐや)ぶれど (わす)るるまでに (にほ)ひけるかも

食べる貴女はかわいくて美しい。尊敬する気持ちを忘れてしまうまでに、かわいさが引き立っていましたよ。

 

 

 

突然ですが、ここで私が一年生の時に起こった事件を一つ紹介いたしましょう。

私は一年生の時、剣道部に所属しており、県大会に出場しました。

その時、D高校の不良生徒に因縁を付けられ、いきなり蹴られるということがありました。

何でも私の同い年の従兄弟と地元が近く、

中学時代から縄張り争い的な抗争をしていたようです。

その抗争相手だった敵の従兄弟が私だったと知ったらしく、

いきなり蹴りをかましてきたのだと言っていました。

D高校というのは不良高校というほどでもないのですが、

学科によっては荒れた生徒もいるという具合の高校です。

そして私に蹴りを入れたというのは、D高校一年の番長で、

別の高校の不良三人を一人で勝利するほど喧嘩が強かったらしく、

世間では"雷神"というあだ名で呼ばれていました。

このエピソードは本当かどうかは不明ですが。

これから物語に関わってくるので命名をしたいところではありますが、

雷神などというカッコいい名前で呼んでやる謂れはありません。

彼の髪型だった"アフロ"とでも呼んでおきましょう。

まあアフロだったから雷神と呼ばれていたのかもしれませんが。

さて、突然蹴りを入れられた私は激怒し、その場で乱闘騒ぎを起こしてしまいました。

結局お互いがボコボコに殴り合ったところで、周りから止められていったんは収束します。

が、大会は両者が棄権となり出場停止に。

私は学校に帰った後で、対外試合禁止の沙汰が言い渡されました。

 

ではここで時間を先生と一緒に食事をした直後に戻します。

私が店の外で、禁煙パイポをスパスパと吸いながら、

先生が会計を済ませるのを待っていると、突然何者かが私を呼びます。

「おい、おめえ〇高のトシローだろ。」

誰かと思って振り返ったそこにいたのはアフロと、腰巾着らしいヤンキーたちでした。

アフロの腰巾着は四人いました。

ここで喧嘩が勃発すれば多勢に無勢であまり思わしくありません。

それ以前に私は、先生と出会って更生することにしたので、

喧嘩などをするつもりはありませんでした。

先生がいるのに喧嘩するところなど見られたくありません。

かと言って一方的にフルボッコにされる姿を見られたくもありませんでした。

もっと言うと先生に危険が及ぶのだけは避けなければなりません。

ここで体を張って先生を守ったら、カッコいいかもしれません。

そんなことをいろいろと考えながら、振り返った私は返事をします。

私「アフロか……。久しぶりだな。」

アフロ「おめえら皆控えてろ。」

アフロがそう言うと、腰巾着たちが下がっていきます。

私「俺を探してた?」

アフロ「いや、偶然通りかかってここに寄っただけだ。」

私「そいつは奇遇だな。」

アフロ「ケリを付けようぜ。」

先生と一緒に来ているところで、かつての喧嘩相手と遭遇するとは、

何ともタイミングの悪い偶然でしょうか。

よくよく考えてもみれば、本当に絶妙なタイミングでした。

とりあえず私は拒否することに徹底することにします。

私「いや、今はまずい。」

アフロ「何でだ?」

私「今ツレ待ってんだよ。関係ないのに巻き込むのもあれだろ?」

アフロ「ツレって女かよ?」

私「女性だけど。」

アフロ「じゃあ女の前で恥かかせてやるから、かかってこいよ。」

私「今は冗談抜きでまずい。」

アフロ「おめえのツレがまさかサツとか先公とか言うんじゃねえだろうな。」

私「ははっ。半分当たってるわ。」

アフロ「へっ。マジかよ。」

私「ってことで今回は見逃せ。また今度たっぷり相手してやるから。」

アフロ「そんな嘘が通用するとでも思ってんのか? ええ?」

その時でした。

会計を済ませた先生が店の外に出てきて、私の元へと歩み寄ります。

先生「あら、雷神じゃない。」

アフロ「えっ……。マジだったのか……。」

思いもよらないことは連続で起きるようで、二人は知り合いのようでした。

私とアフロがうろたえている中で、先生には特に驚いた様子は見えません。

一瞬で勢いを失ったアフロは、私と先生を交互に見て黙ってしまいます。

私もしばらく黙っていたのですが、気に掛かるあまり先生に問いかけます。

私「先生、アフロと知り合いなんですか?」

先生「去年はD高の教師だったからね。」

私「京都にいたんじゃなかったんすか?」

先生「それは試験に受かる前の話よ。」

私「へえ……。」

先生「二人ともお友達だったのね。知らなかった。」

私「えぇ!?」

アフロ「いや、ちが――。」

先生はにっこりと笑いながらそのまま続けます。

先生「でも良かった。二人が喧嘩しないで仲良く話してたみたいで。」

私「ははっ。喧嘩だなんてとんでもない。俺ら仲良いですよ。なあ、アフロちゃん。」

とにかく良い子ちゃんに徹しなくてはならないという思いからか、

私は咄嗟にこのように口走ってしまいました。

アフロ「やめろ……。気持ち悪い……。」

いろいろと落ち着かない状況ではありましたが、

アフロが明らかに勢いを失ったのは確かにわかりました。

――こいつもしかして先生が怖いのか?

アフロ「大体おめえら何で一緒にいるんだよ……。どういう関係なんだよ……。」

先生「担任教師と生徒だよ。一緒にご飯食べに来てたのよ。」

アフロ「はぁ……。信じらんねえ……。」

先生「元気ないけど大丈夫?」

アフロ「…………。」

私は勢いを失い黙り込むアフロの上に立ったと思い、彼に向けて言います。

私「それよりダチ待たせてるんだろ? 行ってやれよ。」

アフロ「あぁ……。またな……。」

私「じゃあね。」

先生の前で喧嘩にならなかったのは良いことなのですが、

あのD高で同学年の番長をしているアフロが、一気に萎縮したのは驚きでした。

かつて務めていた高校では、先生はどんな教師だったのでしょう。

私は先生のことを本当に何も知らないままでした。

 

【六十】

吾妹子之 諸知 雖欲 事問金津 今乎愛南

吾妹子(わぎもこ)が 諸々知(もろもろし)りが ()しけども 言問(ことと)ひかねつ (いま)()でなむ

愛で合う私たちですが、貴女の全てを知っているわけではありません。知りたいとは思うけれども話すこともできず、訊くこともできず……。貴女の今を愛しましょう。

 

 

 

第十三話に続きます……。

私の万葉歌 戀歌 第十三話 | TOSHI‘s diary (ameblo.jp)

 

 

【あとがき】

サムネイルに困ったので前回以降、行書体で書いた万葉仮名の木板風画像をご用意しています。

今後もこういった画像を作って貼っていこうと思います。

こちらにも目を通していただければ幸いです。

 

それとここ最近になって恋煩いが重度化しています。

元々先生への恋心はずっと続いているのですが、恋煩いには波があって、

今また重症度が増している状態です。

後悔していることを思い出したり、それで夜眠れなくなったり――。

もしかしたら文章や和歌が支離滅裂になっていたりするかもしれません。

誤字脱字は見つけ次第修正しようと思っております。

どうか今後とも暖かい目で見守っていただけましたら幸いです。

 

今回は以上になります。

最後までお読みくださりありがとうございました。

過去記事のリンクも貼っておきますので、もしよろしければご覧くださいませ。

ではでは皆さんまたお会いしましょう。

 

私の万葉歌 - 戀歌 第一話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第二話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第三話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第四話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第五話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第六話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第七話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第八話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第九話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第十話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 戀歌 第十一話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)