私の万葉歌 - 戀歌 第十話 | TOSHI‘s diary

TOSHI‘s diary

Feel this moment...

ここで少しばかり私の家庭環境についてお話しします。

詳しく話すと、それだけで丸々一話分の枠を取ってしまいそうなので、

今回の話に必要だと思われる部分のみ触れておこうと思います。

いずれは恥と時間を惜しまず書くことになりますが、

今回だけは要点だけを押さえたものに留めさせてください。

親父は私が中学生の頃に蒸発し、母親、私、妹の三人家族の母子家庭という状態でした。

貧困家庭だと過去に何度も書いたわけですが、私はバイトをしながら自分の学費を払いつつ、

それと本やゲーム、以前までは煙草を買っていました。

母親は仕事とバイトの掛け持ちだったことに加え、

私は夜中に帰宅するか友達の家に泊まる日々だったので、

この時にはもうほとんど顔を合わすことはなかったと思います。

私のいない時間が多かった家では、私が買ったゲームを妹が占領している状態でした。

 

そんなある日のこと。

いつもより早く帰宅した私は、自分の部屋で読書をしていました。

とはいえ夜の十時くらいだったでしょうか。あくまで"いつもより"ということです。

以前までは早く帰ってきたところでゲームばかりしていた私でしたが、

その生活スタイルは全く違うものとなっていました。家で過ごす時は読書ばかりになっていたからです。

安く買った文庫本が少しずつ増えてきた部屋は、ようやく書斎らしくなったような気がします。

しかし、この時点ではまだ筆を執っていませんでしたね。

まずは時代もジャンルも問わず、広く深く吸収していきたいという思いがあったのでしょう。

この日はというと、何を読んでいたかあまり覚えていませんが、

確か王朝時代の随筆を読んでいたような記憶です。

部屋に引きこもって、活字が織りなす世界に入り浸るのは実に充実した時間でした。

もちろん友達と遊ぶ時間もゲームをする時間も大事なものです。

それでも現実世界のあらゆるものを忘れ、読書だけに集中できる時間は何より幸せでした。

文学は読んでいるだけで学びがあるというのも大きい気がします。

学んでいる時間なのだと考えると、大好きな先生から教えてもらっている状況を連想しました。

今は部屋で一人きりなので、思い出しながらキュンキュンしていても大丈夫のはず……。

結局は読書に集中しておらず、いつの間にか頭の中を煩悩が巡っていたのです。

アキラ「何ニヤニヤしてんの?」

私「っ!?」

部屋の扉の隙間から目を覗かせる妹の声がして、私は飛び上がりそうになります。

アキラ「何それ?」

私「何でもいいだろ! ノックくらいしろこのks!」

アキラ「さっきからしてたよ。」

どうやらノックが聞こえないほど、私は瞑想に耽っていたようでした。

それはそうと"アキラ"は私の一つ下の妹で、私目線だと生意気で意地汚い性格の持ち主です。

勉強をしているようには見えなかったのですが、高校では優等生で通っていたそうです。

本当は"妹"とだけ呼称しようと思っていたのですが、一応仮の名前を付けておくことにします。

私は本を机に置いて、苛立ち気味に問いかけます。

私「で、何?」

アキラ「ゲーム手伝って。」

私「…………。」

瞑想の邪魔をされたのは実に腹立たしい限りでした。

が、本来の目的である読書にも集中できていなかったからか、

私は頼まれた通りにゲームの手伝いをすることにしました。

もしくは、たまには遊ぶ時間もあった方が良いと思ったのかもしれません。

何でも難度の高いアイテムか何かを入手したかったようで、一人では取得が難しかったのだとか。

私たちはゲームをしながら、ふとこんなことを話します。

アキラ「さっき読んでたの何?」

私「ん? ああ、王朝時代の文学ってやつ。」

アキラ「プッw この兄貴が?」

私「何だよ。」

アキラ「別にぃ。ん? 古文わかんの?」

私「まあ、高校で習う範囲は何とか。漢字と漢文は苦手だけど。」

アキラ「三年の範囲も?」

私「うん。ほぼほぼわかるよ。」

アキラ「嘘やんw おかしいだろw」

私「そんなこと言ってたら手伝うのやめるぞ。」

アキラ「……ホントのホントに?」

私「たまには間違うけどさ。何なら今度教えてやるよ。古文。」

アキラ「マジか……。じゃあ今度宿題やってもらおうかな。」

私「それは自分でやりなさい。」

こういった具合で二時間ほど一緒にゲームをして遊んでいたかと思います。

そんな時、攻略法に行き詰まったアキラが言います。

アキラ「もう寝る。」

私「うん。」

アキラ「今日解けなかったとこネットで調べてから寝る。」

私「うん。ん? うちにネットつながってんの?」

アキラ「親父の仕事部屋のパソコンつながってる。」

私「マジか?」

先ほど「親父は蒸発した。」と書いたわけですが、それまでの経緯を少し補足します。

詳しいことは私も知りませんが、親父は機械を直す仕事をしていたらしいです。

結局はその仕事を辞めて、酒浸りになり、蒸発したという流れがありました。

仕事兼自分の部屋として使われていた部屋が、当時のままの状態で残っていました。

そのパソコンはインターネットがつながっているというのです。

ということは、以前に知り合った"先生との恋"を語れるであろう新たな仲間たちとまた話せる。

もうネットカフェで時間もお金も気にしなくて良くなる。

アキラ「どうした?」

私「ん? 何でもない。」

アキラ「……ふーん。」

私たちはどちらかというと、実際には仲が悪い兄妹ではなかったように思います。

が、私の恋の話などがバレると、どんなに馬鹿にされるか弱みを握られるか……。

とりあえずここはこの話が流れるように、プレイしているゲームの話に戻しておきました。

やがてアキラが確実に就寝したであろうことを見計らって、

私は以前に親父がいた部屋に入り込むことにしました。

 

【四十六】

過有氣 辞哉消流 吾歌者 何時人爾母 狹徑粳毛

過ぎたる日 言葉や消ぬる 吾が謌は 何時か人にも さ渡らぬかも

すぎたるけ ことばやけぬる あがうたは いつかひとにも さわたらぬかも

駆け巡る日々の中で思い浮かべた言葉、口に出した言葉、

それらは時の流れとともに埋もれてしまうの?

いや、きっとそんなことはないはずだ。

僕がふと詠んだ何気ない詩だって、

いつかは誰かのもとに届くと信じているよ。

 

 

もう日付も変わろうかという夜中のこと。

昔親父が使っていたパソコンの電源を入れて、さっそくインターネットに接続しました。

あの時に見付けた桃源郷的な世界へと再び行けるこのワクワクする感覚。

とはいえ真夜中なので、以前に話した管理人やネコたちがいるかどうかはわかりません。

むしろ時間帯を考えると、誰一人いなくても不思議ではありません。

あの時は夕方の四時頃から人が増え、多い時には十人ほどで話すこともあると聞きました。

もしかしたら誰か一人くらいはいるかもしれない。

私はダメもとで"先生との恋"について話したあのホームページを探し出し、

再び例のチャットルームへと入室しました。

私が入室したことを伝えるメッセージがチャット履歴に表示されます。

時間的に誰もいないだろうと思いつつ入室したわけですが、

そこには私以外に一人だけいるようでした。

私は入室後すぐに"もう一人の誰か"に挨拶をしてみたのです。

私「こんばんは。」

すぐには返事がありませんでした。画面の向こう側で何か別のことでもしているのでしょうか?

三分から五分ほど待ったように思います。ようやく返事が返ってきました。

ところがその返事を見た時、何を書いているのか私には読めませんでした。

ひらがな、カタカナの他に、普段無縁の文字や記号が混じっていたからでした。

それはいわゆる"ギャル文字"と呼ばれる表記で、この時点ですでに消滅危機にある文字でした。

読めなかった私は率直に問いかけます。

私「何て書いてるの?」

歓談に入る前に、私はギャル文字の表記法について教わっていました。

なぜか未知なる文字に興味を持った私は、これまたすんなりと覚えてしまいました。

私がある程度ギャル文字を理解できるようになったところで、相手との会話が始まります。

ギャル文字だと読みづらい方も多いと思いますので、ここでは普通の文字で表記します。

というより私自身がギャル文字で書くのが億劫なだけですが……。

私「改めましてこんばんは。」

ギャル文字「こん。」

私「よろしくお願いします。」

ギャル文字「よろしく。何年生?」

私「高校二年生です。ギャル文字さんは?」

ギャル文字「高一だよ。タメ口で良いよ。」

私「じゃあそうします。」

ギャル文字「また敬語使ってる。」

私「ホントだ。」

ギャル文字「もうどっちでもいいよ。」

私「ここにいるってことは、俺と似た境遇なの?」

ギャル文字「そうかも。あなたは男の子?」

私「そうだよ。」

ギャル文字「あたしは女子だから似てないかも。女教師好きになったの?」

私「うん。」

ギャル文字「マジで? ちょっと詳しく。」

私は個人情報や学校名などを伏せながらも、全てをありのまま話しました。

初対面の人間だというのに、なぜここまで信用して話したのかはよくわかりません。

同じ悩みを抱えているであろう相手の話に、自分が苦しみから脱却するために必要な、

何かしらのヒントを得られるように思ったのかもしれません。

私「こんな感じ。ギャル文字さんは?」

ギャル文字「何かツッコミどころ満載な気がする。ってかやっぱ全然似てない。」

私「そっか。似てないってのはどうして?」

ギャル文字「あたしは不まじめなまんまだから。」

私「俺も完全にまじめになったわけじゃないよ。ちょっと成績上がって、煙草辞めただけ。」

ギャル文字「でもあなたはもう反抗してないんでしょ? あたしは反抗期のまんま。」

私「俺もともとそんなに反抗してなかったよ。昔はシカトしてただけで。」

ギャル文字「へえ。でもあたしと逆だ。」

私「好きになっちゃった相手はどんな人なの?」

ギャル文字「おっさん。ひげ濃いから剃っててもあごの周りがいつも青い。それにちょっとお腹出てる。」

私「めっちゃ具体的やなw」

ギャル文字「あと正義感強い。最初はウザかったけど、いつからかカッコいいって思ってた。」

私「うんうん。良い話じゃないの。」

ギャル文字「トシローもわかるんだ。」

私「わかるよ。」

ギャル文字「でもあたしは良い子になれない。」

私「どうして? 好きな人困らせる方が良いの?」

ギャル文字「良い子になるよりましだと思う。」

私は先生の前で良い子になったのは実に良かったと思っていました。

生徒がちゃんと言うことを聞くようになり、成績も上がれば、教師は手応えを実感してくれるはずです。

それに褒められた時というのは、何より嬉しいご褒美だと思っていたからです。

なのでギャル文字がなぜここまで反抗期のままにこだわるのか、純粋に疑問を感じて問いました。

私「責めるつもりないから誤解しないでね。どうして反抗続けるの?」

ギャル文字「恋心がバレない一番良い方法だから。」

私「なるほど。」

ギャル文字「叱られてばっかりも悪くないじゃん。」

私「ああ、それめっちゃわかる。」

ギャル文字「ぶっちゃけ反抗してる方が接してる時間長いんだよ。」

私「けどさ、愛想尽かされるかもしれないよ。」

ギャル文字「それならそれで良いよ。どうせ上手くいかないんだしさ。」

私「それもわかるよ。けどさ、やっぱり一緒に過ごす時間は楽しかったり有意義な方が良いんじゃない?」

ギャル文字「そりゃケースバイケースだよ。トシローの好きな先生は独身? 旦那か彼氏いるの?」

私「全然知らない。知ってることなんて性別と職業だけだよ。」

ギャル文字「それだけ?」

私「そういや趣味が読書ってことは知ってる。」

ギャル文字「その先生何歳?」

私「それも知らない。多分四十歳くらいかな。」

ギャル文字「相手が女だったら歳なんて訊きにくいか。」

私「恋する前にさりげなく訊いとけば良かった気もするけど、あの時は興味なかったからなあ。」

ギャル文字「まぁ今更探り入れるわけにもいかないもんね。」

私「ギャル文字の好きな教師はどうなの?」

ギャル文字「独身だって。でも超まじめな性格だから、生徒のあたしなんかアウトオブ眼中だよ。」

私「そっか。」

ギャル文字「そういう相手だから気持ちバレないの最優先にしなきゃダメなんだよね。」

私「納得したよ。」

ギャル文字「わかってくれた?」

私「うん。嫌われるリスクもあるのに、つらくはないの?」

ギャル文字「バレるよりまし。もっとつらいことが待ってる。ような気がする。」

私「ギャル文字の話が聞けて良かったよ。俺もこの気持ち知られないようにしないと。」

ギャル文字「また続き聞かせて。意見してあげるからさ。」

私「うん。そういや俺の話に『ツッコミどころ満載』って書いてたけど、何かそういうとこあった?」

ギャル文字「いっぱいある。」

私「マジか。ここは女子の意見が聞きたいところかも。ちょっとアドバイスしてよ。」

ギャル文字「今日はもういっぱい話したから疲れた。また今度にしよ。」

私「それもそうだね。もう時間的にもあれだし。」

ギャル文字「じゃあ解散しよっか。」

私「うん。お疲れさま。おやすみ。」

ギャル文字「おやすみ。」

 

【四十七】

打背向 吾乎厭菜 恠毛 下咲哉毛 戀不所知者

打ち背く 吾を厭はな あやしくも した笑ましやも 戀知ら𛀁なば

うちそむく あれをいとはな あやしくも したゑましやも こひしらえなば

あたしは貴方に背を向ける。

どうぞ、あたしを嫌って。

不思議だなぁ。

それで良い――むしろ、その方が嬉しい。

だけど、やっぱりつらいよ……。

それでも、あたしの気持ちを知られないで済むのなら、

このまま貴方に嫌われたままで良い……。

 

※書き下し文にヤ行エを使用しています。デバイスによっては表示されない可能性がございます。

※また、ここで文法について補足を付け加えておきます。

五句の「戀知ら𛀁なば」の「𛀁」は受け身や可能の「ゆ」の未然形になります。

「𛀁」が未然形だと、次の「な」は打ち消しとなり「知ら𛀁なば」→「知られないのであれば」となります。

「𛀁」が連用形でも全く同じ文章が作れますが、この場合だと「な」は完了「ぬ」の未然になります。

後者の例だと「知ら𛀁なば」→「知られてしまったならば」という訳となります。

非常にややこしい話をしてしまって申し訳ないですが、

作者の意図としてここでの「𛀁」は未然形だという旨が伝われば幸いです。

それでは「な」が"打ち消し"or"完了"のどちらかを見分ける方法の一つを書いておきます。

打ち消しの場合は「不」⇔完了の場合は「去」のように、略体式万葉仮名では多く書き分けられています。

絶対ではありませんが、その慣例に従ってこのように表記いたしました。

 

 

後日の放課後。

この時は経緯はよく覚えていませんが、私にしては珍しく、午後八時頃という早い帰宅となりました。

私にとって新天地とも呼ぶべき例のチャットルームで、新たなる体験談を聞きたかったからでした。

自宅でインターネットがつながるのは結構なことでしたが、夜中ばかりに入るというわけにもいきません。

だいたい夕食後から就寝までの時間帯だと、人も多いように思ったのでしょう。

ここのところ描写を省いていますが、友達と遊ぶ時間、先生から古文を教えてもらう時間、

それとアルバイトに割く時間もありながら、このように新しい仲間との時間も作ろうとしていました。

この日もパソコンの電源を入れて、早速あのチャットルームに入室したのでした。

すでに五、六人で会話をしているようで、チャットの履歴も目まぐるしく流れていました。

初めて関わる人もいるようだと察し、私はその場の全員に向けるように挨拶をします。

私「皆さんこんばんは。」

皆「こんばんは。」

管理人「こんばんは。お久しぶり。」

ネコ「久しぶり。」

私「お久しぶりです。」

ギャル文字「こん。」

私「こん。」

挨拶もそこそこに、私は居合わせる人たちに問いかけます。

私「何か話してましたか?」

管理人「今相談聞いてたところだよ。」

私「そうだったんですか。俺いても大丈夫ですか?」

管理人「良いよ。」

私「ありがとうございます。」

管理人「フラワーちゃんは大丈夫?」

名前を呼ばれた"フラワー"という子は、しばらく間を置いてから返答しました。

フラワー「はい。」

私「初めまして。よろしくお願いします。」

フラワー「初めまして。」

当時の私は全く知る由もなかったのですが、ネット上で知り合ったこのフラワーという少女は、

今後も深く関わっていくことになるので、ここで命名させていただきました。

入室当初はギャル文字から"女子の意見"を聞きたいと思っていたわけですが、

すぐにフラワーの話を聞きたいと脳が切り替わっていました。

私「他言しませんし、悪口も言わないんで安心してください。」

フラワー「はい。」

私「その内俺の弱みも握られると思うんでw」

フラワー「男子ですか?」

私「はい。男子です。」

フラワー「何年生ですか?」

私「高二です。フラワーさんは?」

フラワー「同じ高校二年の女子です。」

私「同級生なんですね。」

フラワー「はい。でも私は来年三年生になれません。」

私「え? それはどうしてですか?」

フラワー「ずっと不登校なんです。」

そこまで聞いたところで、私にはふと疑問に思うことがありました。

ずっと学校に通っていないが、私たちと同じ境遇にあるということはどういうことなのでしょうか。

私「フラワーさんが嫌でなければ、初めから聞いても良いですか?」

フラワー「私は嫌じゃないです。でも気分を害する人もいるかもしれない。」

私「俺は真っ当な人生じゃないんでちょっとのことじゃ驚かないですよ。」

フラワー「じゃあ聞いてくれますか?」

私「はい。」

ネコ「ここで打ち明けたら気持ちが楽になるかもね。」

管理人「みんなフラワーちゃんの味方だよ。」

フラワー「ありがとう、みんな。それじゃあ聞いてください。私の話を。」

私も含め、居合わせる誰もが聞き耳を立てるかのように、

画面に流れる文字を見つめていたことでしょう。

フラワーの語った話は時々間が空いたり、文章が途切れがちだったりと安定していませんでした。

ですので、その内容を私なりにまとめて以下に書いていきましょう。

私の文章で書いてしまうので私の話に思われるかもしれませんが、

こちらはフラワーの言葉をまとめたものになります。

 

――フラワーの言葉より。

私は虚弱体質で小さい頃から学校を休みがちでした。

それでも仲良くしてくれる友達はいたので、学校が嫌だったわけではありません。

が、運動が苦手――というより私の体には厳しく、登下校だけで疲労困憊になることもありました。

休みがちになると、どうしても授業に付いていけず、勉強にも遅れが生じてしまいます。

学校側に欠席の理由を考慮してもらえると思ったのですが、

私の症状にはこれといった診断や病名はなく、学校からは単に怠惰だと思われていたのです。

私なりに一生懸命やっているつもりでしたが、教師たちからは理解してもらえなかったのです。

そんな小中学校生活が過ぎ、やがて高校受験を考える時期が訪れました。

欠席も多く、成績もあまり良い方ではなかった私は、

地元近くでも最も評判の悪い高校以外に進学できないと言われていました。

表向きは進学校という体ですが、県内の不良少年少女が入学してくるような荒れた学校です。

受験の時も、とても受験に来たとは思えないような態度の中学生が多かったのを覚えています。

底辺の学校と謳われるだけあってか、私は何とか合格することができました。

入学してからいじめられるかもしれないと心配していましたが、私は影が薄かったのか、

ガラの悪い生徒たちからは絡まれることもなく、むしろ接点を持つこともありませんでした。

高校に進学してからも今までと同じように、体調が優れず休むことは多かったです。

登校したとしても、通学だけで疲れ果て、保健室で休むこともしばしばでした。

学校を休んだある日のことでした。心配してくれた担任教師が家まで様子を見に来たのです。

その教師は見た目からの憶測だと三十歳前後の男性教師でした。

担任でありながら全く話した記憶がなく、この時にはまだどんな人なのかわかりません。

家に来てくれた当初は、私の体が弱いことも何も打ち明けられなかったのですが、

ある問いかけをきっかけに自分の本音を明かすようになりました。

それは「あいつらからいじめられていないか?」という問いかけでした。

"あいつら"とはクラスにいる不良グループのことで、この担任も含め、

どの教師にも敵対的な態度を取っている生徒たちでした。

確かにクラスには男女問わず不良と呼ばれる生徒はいて、

中には現役の暴走族や刺青のある子、顔に向こう傷がある子もいました。

女子の中にも喧嘩ばかりしているような本物の不良少女がいました。

その内の一人だけ同じ中学校の男子がいましたが、その子も含めて全く接点はありませんでした。

そもそも同じクラスに私がいることすら忘れ去られていると思えるほど、

不登校気味だった私の存在感はなかったことでしょう。

フラワー「違います。」

私は初めてはっきりと返答しました。同時に、続けて自分の体が弱いことを打ち明けたのです。

そして、医師の診断がないことからずっと怠けていると思われてきたことも話しました。

すると担任教師は、すぐに思いがけない言葉を返してきました。

担任教師「来れそうな時だけ来れば良い。つらかったら保健室で休んでも良い。一言言ってくれれば家まで送る。今は出席数なんか気にしなくて良い。念のためもう一度訊くけど、学校が嫌なわけじゃないんだね?」

フラワー「はい。」

後日、私は仕事に行くお父さんの車に乗せてもらい登校しました。

が、久々に参加した体育の授業中、立っていられなくなるほどの息切れとめまいに襲われます。

他の女子たちや体育教師が保健室に連れて行ってくれて、私は休むこととなりました。

結局はその後も授業には出られず、私はさらに勉強が遅れてしまったのです。

それからは負のスパイラルの連続でした。

自分の体の弱さ、人並みに勉強もできないこと、家族や友達に心配をかけていること――。

私は自己嫌悪に陥ってしまい、体調不良も悪化していきました。

またも休んでしまったある日の朝のことでした。

担任教師が再び私の家にやってきて「迎えに来た。」と言うのです。

私が「しんどいです。」と返すと、担任は「わかった。無理しなくて良い。」と答え、

そのまま私の家を後にし、学校へと向かいました。

そんな朝が何度かあったある日。私は「学校に行きます。」と担任教師に言いました。

この日から、私は担任の車に乗って、一緒に登校するようになったのです。

彼は今まで出会ってきたどの教師たちとも違いました。

学校を休めば何かと怠惰扱いし、対応を諦めてきたこれまでの教師とは、

私に対する態度が全く違うものだったのです。

学校に向かう途中の車の中で、私は運転する担任教師に問いかけました。

フラワー「どうして、私なんかのためにそこまでしてくれるんですか?」

担任教師は寂しそうに微笑んだかと思うと、前を向いたまま私にこう答えました。

担任教師「僕も体が弱かったんだ。フラワーさんのつらさが他人事に思えなくてね。本当は学校に行きたいって気持ちもよくわかる。僕にはこれくらいしかできないけど。」

フラワー「ありがとうございます、先生……。」

この人の励ましに応えたい。そう思った私は、担任が迎えに来たら必ず登校しました。

確かに体はつらい日々でしたが、それ以上に自分の中の何かが変わっていました。

いつしか私は、その担任教師に会えることが最も大きな喜びになっていました。

そしていつからか、その人を誰よりも愛しいと思うようになってしまったのです。

しかし、この気持ちは私にとって"罪"でした。

同時に私にとっての"毒"のようなものでもあったのです。

たった一人の理解者であり、私を学校まで導いてくれた恩師に対して、

抱いて良い感情ではないことだと知っていたからです。

この気持ちは、私の意思に反して日増しに膨らんでいきました。

罪の意識は自己嫌悪をさらに大きくしていったものです。

それでも私は、ほんの小さな、それでも最も大きな喜びを求めて学校に通い続けました。

ある時、私は自分で登校したいと担任教師に伝え、体はつらかったですが、

それからは自分で自転車に乗って登校を始めました。

いつまでも彼に依存しているわけにはいかないと思ったからです。

そうすることでこの感情を抑えられるはずだと、その時には考えていました。

ところが一年生も終わりに近付いた頃のこと。

ある日の朝のホームルームで、その担任教師が結婚を報告してきたのです。

クラスメイトの何人かは「おめでとう。」という言葉を投げかけていました。

私はというと、彼の幸福を誰よりも祝うべきだというのに、

同時に深い絶望に襲われた感覚に陥ってしまいました。

当然それは、私の意思とは無関係に湧いて出てきたため、罪の意識をさらに深めたものです。

そして二年生になった時のことです。

その担任教師は私の担任ではなくなり、全く別のクラスを受け持つことになりました。

運の悪いことに、怠け者を嫌う厳しい教師が私の新たな担任になったのです。

再び身も心も廃れてしまった私は、またしても学校を休むようになってしまい、

たまに頑張って登校しても授業には付いていけませんでした。

新たな担任は、たまに顔を合わせる私に対して「なぜ休むのか?」「学校が嫌なのか?」と、

何度も問いかけてくるのですが、私は何一つ本当の理由を話せません。

最終的には、恋してはいけない相手に恋し、罪の意識に苛まれ、勉強も付いていけず、

誰にも本当のことを話せず、心も体も壊れてしまった私は、全く学校に行けなくなってしまいました。

怠惰や甘えだと言われれば、それは正論として受け止めます。

ですが、どうかこれだけは信じてください。

全ては私の意思で、私の選択でこうなったわけではないということを――。

 

以上がフラワーの語った話の内容になります。

私を始め、居合わせる誰もが、その気持ちを理解していたに違いありません。

私には、フラワーが甘えているとはとても思えませんでした。

むしろ自分が悩んでいることがいかに小さなことなのかと考えさせられました。

どさくさに紛れて手を握って後悔したり、二人きりの海辺で貝殻を渡して後悔したり――。

一人の時に好きな先生を思い出しながらキュンキュンすることもあります。

もちろん尊敬する恩師にこんな気持ちを持ってはいけないと、

同じような罪の意識を持ったことは一度や二度ではありません。

が、結局は積極的に大胆な行動を取ってしまい、その都度一喜一憂している自分がいます。

はっきり言って、私自身の悩みがあまりにもくだらなさすぎて、

圧倒的に弱いのは自分だとさえ感じるほどでした。

管理人「話してくれてありがとう。」

フラワー「いえ。私こそ聞いてもらってありがとうございます。嫌な気分にはなりませんでしたか?」

管理人「ならないよ。ここにいるみんな、フラワーちゃんの気持ちわかってるよ。」

フラワー「ありがとうございます。」

ネコ「無理しないでね。」

フラワー「はい。」

ネコ「またつらくなったら話して。何でも聞くから。」

フラワー「ありがとうございます。」

ギャル文字「卒業できんの?」

フラワー「多分もうできないと思う。」

ギャル文字「そっか。あたし何にもできないけど、苦しまないで。楽しいこと考えよ。」

フラワー「ありがとう。」

などなど、居合わせるみんなが優しい言葉をかけている中で、

私は何を言ってあげれば良いのかとあれこれ考えていました。

下手なことを言って余計に傷付けてしまうのではないかと考えてしまうものです。

こういう時に言葉がパッと出ないとは、物書きを目指して国語を必死に学んでいる身としては、

何とも情けないような気がしてなりませんでした。

フラワー「みんなはちゃんと学校行ってるのに、あたしは……。」

私は不意に、授業をサボってばかりいた自分の過去を思い出していました。

中には雨が降っているからだとか、先生と顔を合わすのが嫌だとか、

今となっては信じられないような理由で学校を休んでいたので、何ともみっともなく感じました。

思わず私はフラワーに言葉を投げかけました。

私「不登校が悪いなんて思いませんよ。いろんな事情があるわけだし、俺みたいにしょうもない理由でサボってたわけじゃなし。俺なんかと違って、すごくまじめなんだと思います。だからついつい自分を責めちゃってるんじゃないでしょうか。俺はむしろ、そうやって真剣に考えられる力がある方がすごいことだと思います。」

私がこんなことを書いた理由は励ましというのもあったのですが、

彼女の思考力の高さへの憧れのようなものもあったのかもしれません。

ただ、私も含めたみんなの言葉は、フラワーに何か響いたのでしょうか。

彼女は居合わせるみんなにこう返してきました。

フラワー「みんな、ありがとう。今度学校に行ってみるよ。」

私「無理しちゃダメだよ。」

フラワー「うん。でも、きっと行ける気がする。」

 

【四十八】

忍者 戀乃繁見丹 打和備弖 壊情 如屍

忍ぶれば 戀の繁みに 打ち侘びて 毀るゝ心 屍の如

しのぶれば こひのしげみに うちわびて こほるゝこゝろ しかばねのごと

貴方にも、誰にも知られてはいけない……。

そう思えば思うほど、私の恋心は勝手に膨らんでしまって、

自分ではどうすることもできないくらい大きくなり、

悲しみと苦しみばかりが支配する奈落の底に堕ちた私の心は、

嘆きながら、もがきながら、己によって内側から崩壊してゆく……。

そんな私は、身も心も枯れて散ってしまった花のよう……。

 

 

ある日の放課後。私は職員室で先生の特訓を受けていました。

先生「漢文さえ克服できれば百点満点もいけると思うよ。」

私「ホント? でも漢字自体が苦手で……。」

先生「漢字は小学校からの積み重ねだからね。地道に自主勉するしかないよ。」

私「はい。やっぱ読むだけじゃダメっすよね。」

先生「日頃から書いて使ってないとね。」

私のテストの点数は九十点代半ばをキープしていました。

ただ、私にとって最も弱点だったのが漢字及び漢文の問題でした。

それでもその気になって必死になれば、百点満点も夢ではないようにも思います。

百点を取れたなら、より先生に近付けるような気がする……。

褒めてもらえるかもしれません。一緒に喜んでくれるかもしれません。

また手を取り合ったりもできたりして……。

そのためだったら何でもやってやる! などと煩悩こそが活力になっていたようにも思います。

前にも書きましたが、やはりこの物語のタイトルは『私の暗黒史』の方が適切かもしれませんね。

いっそのことどこかのタイミングで変更してみましょうかね。

とはいうものの、冷静さを取り戻している時には、

骨抜きになってふにゃふにゃになっていた自分のだらしなさを恥ずかしく思うと同時に、

ある疑問が幾度となく頭を通りすぎていきます。

ここからお話しする"疑問"は、もしかしたら私以外の方も感じたことがあるかもしれません。

それは「漢文は古代中国語を表記するための文章であって、そもそも日本語ではない。」のに、

なぜか日本語の授業において必修科目として扱われている点です。

確かに漢文学から題材を得て描かれた小説はいろいろとあります。

しかし、私が学ぼうとしているのは"日本語"であって"古代中国語"ではありません。

実はその疑問が引っかかっていて、私の勉強に対する本気度を下げているのでしょうか。

あれやこれやと考えてみるのですが、結局は先生から褒められたいので頑張ることにしました。

先生「トシロー君。」

私「あ、はい。」

煩悩やら漢文についてあれこれ考えていた私は、急に名前を呼ばれてドキッとしてしまいます。

先生「勉強楽しい?」

私は突然何の話が始まったのか把握するよう脳を切り替え、とにかく正直に答えます。

私「はい。楽しいっす。」

先生「それは良かった。」

先生はにっこりと笑ってそう言いました。当然、勉強は楽しいに決まっています。

何といっても世界一の美女がいつも目の前で微笑みながら教えてくれているのですから。

たまに厳しく言われることもあるけど、そんな先生をまた好きになっていく……。

日常の中には嫌なことも私にまとわりついてはいますが、そんなものが何だというのでしょう。

もちろん本人にそのようなことは話しませんが……。

――今の俺ならできる!

私「先生。俺百点取るよ。」

先生「次はいけるよ。」

私「ありがとうございます。」

私の人生を振り返ってみて、最もやる気が燃えたぎったのはこの時期でしょう。

心の中では喜びのあまり飛び跳ねていましたが、平静を装い席を立ちます。

手を振って私を見送る先生のなんと愛くるしいこと。

 

職員室を出ようとした時、同じタイミングで退室しようとしていた同級生の男子生徒と出くわします。

彼は野球部なのか坊主頭で、体格も良く、少し強面にも見えます。

呼び出されていたのか、先ほどから生徒指導のカリアゲの説教を受けていたようです。

あまり話したことのない生徒で、見た目の割にまじめそうな少年です。

この少年も今後いろいろと関わっていくことになるので、ここでは"ボウズ"と命名しましょう。

先生の手前ということもあってか、妙に紳士的になっていた私は、扉の前を彼に譲りました。

私がジェスチャーで譲る動作をした途端、彼はビクッと怯えるような反応と表情を見せました。

突然の思いがけない反応に戸惑う私から、彼は視線を逸らして立ち尽くしています。

私「どうしたの?」

ボウズ「いや…………。」

私「先行きなよ。」

ボウズ「…………。」

まるで渋々といったような様子で、ボウズは促されるままに職員室を出ます。それに続く私。

職員室を出たところで、私は特に何も考えずに彼に問いかけました。

私「ねえ。さっきはどうしたの?」

ボウズ「…………。」

話しかけたところ、ボウズは立ち止まって、私をじっと見据えてきました。

どういう心情なのか全く読めませんでしたが、何かを言いたそうな目にも見えます。

もしくは詮索しないでほしいという訴えにも見えましたが、この時の私は遠慮なく問いかけました。

私「……ん?」

ボウズ「…………。」

私「カリアゲにイビられてた?」

ボウズ「…………。」

私「そういう時はケツでもおもいっきり蹴飛ばしてやれば良いよ。」

ボウズ「…………。」

私「何なら俺が代わりに――。」

ボウズ「ほっといて……。」

私「ん?」

ボウズ「俺にかまわないで……。」

私「これでも心配して言ったつもりだったんだけどなあ。」

ボウズ「君にはわからないよ……。」

私「は?」

ボウズ「幅利かせてて、先生とも仲良くて、成績も良くて……。君にはわからないよ。」

私「何だよそれ。まだ何にも聞いてない内から……。」

ボウズ「とにかく俺にかまわないで……。」

私「……わかったよ。じゃ。」

先入観やパッと見で私の価値を決め付けられたようで、内心苛立っていました。

怒ってやろうとも思いましたが、扉の向こうには先生もいるのでやめておきました。

同時に、このボウズは私と真逆で「学校が楽しくない。」と訴えているような気もしていました。

まあ、私もそうでしたが、誰しも触れられたくない部分はあると知っていましたので、

ここはもうこれ以上関わらないことにしました。

私は背後に冷たい視線を感じながら、足早にその場を離れていったのです。

 

【四十九】

異人 被窘而 所傷 密誰 令和南

異なる人 たしなめら𛀁て 損はゆ 細かなる誰そ 言向けせなむ

けなるひと たしなめらえて そこなはゆ こまかなるたそ ことむけせなむ

少しでも周りの人間と違うところがあれば、いじめの標的にされて、癒えることのない傷を負わされる。

心優しい誰か。これを鎮めてはくれないだろうか?

 

 

とある補習の時間。

この日も私は、進学を目指す一部の生徒たちに混じって授業を受けていました。

自慢をするつもりはありませんが、この時の私の成績は苦手な漢文さえ克服すれば、

テストで百点満点を取るまであとわずかのところに来ていました。

また、現代文と古文は全問正解が続いており、入試問題も難なく解ける状態でした。

漢文さえ何とかすれば、学年どころか学校内で一位になれます。

国語の一つ覚えなので、実際には偉そうに言えるものでもありませんが……。

とはいえ、やはり引っかかるのは漢文が"古代中国語の文章"であるという点です。

日本語を極めるのに、漢文は本当に必要なのかという疑問です。

それでも先生は一生懸命私に教えてくださいます。私はそれに応えなくてはなりません。

この疑問の答えは追々わかる時が来るのですが、この時の私はあれやこれやと考えてしまいます。

考えてしまうのですが、チョークを持って黒板に書いている先生の後ろ姿、

教室内に響き渡る彼女の美しい声は、私からあらゆる思考力を奪ってしまうのでした。

未だに先生を好きになってしまったこの現実が夢のような感覚――。

――ダメだ! 先生から褒めてもらうために頑張れ俺!

私の人生においていろいろと最盛期だったのはまさにこの時でしょう。

やがて補習の時間が終わりを迎え、次は先生から漢文の集中講義を受ける時間です。

燃え盛るやる気とともに、何ともドキドキするこの感覚。

すると先生はニコニコと笑いながら話しかけてきます。

先生「今から〇組の教室に行くよ。」

私「あ、はい。」

職員室か準備室か、あるいは私たちのクラスの教室だと思っており、

全然関係のない別のクラスの教室へ行くことが単純に疑問でした。

私は少し戸惑っていましたが、先生は変わらず続けます。

先生「もう一人いるけど良い?」

私「えぇ?」

まあ、二人きりになるよりは、勉強に集中できそうな気もしなくはないのですが、

正直なところがっかりしてしまっていました。

というより、私以外の弟子でも取ったのでしょうか?

先生の一番弟子であることを何より誇っていた私はさらにがっかりします。

新しい弟子が事実と仮定して、その生徒はまさか男子でしょうか?

だとすれば、私の立場を奪われるかもしれません。

先生「ほら、行くよ。」

私「あ、はい。お願いします。」

目的の教室へ向かう途中、廊下を二人並んで歩く中で、思わず私は問いかけました。

私「先生。もう一人って誰?」

先生「何? 気になるの?」

私「いや、俺以外に弟子取ったの?」

先生「ふふふ。弟子に欲しいかもね。」

私「マジか……。」

先生「その子はそんなこと考えてないと思うけど。」

私「どんな奴だろ……。」

先生「女子だよ。」

私「ああ、女子ねえ……。」

少しホッとしたのも束の間、先生は妙なことを言ってきました。

先生「その子が気になって集中できないとかやめてよ。」

私「いや、別に女子とか興味ないし……。」

咄嗟に返した言葉でしたが、女子に興味がないというより、先生以外に興味がなかったのでした。

確かに集中できないのは良くないので、勉強以外を考えないよう心がけることにします。

とにかくここは、これ以上変なことを口走らないように口元をキュッと引き締めていました。

それにしても先生は、私に対してはやたらとこういうネタを投下してくるような……。

 

〇組の教室近くまで来た時のことでした。

先生「ちょっと待ってて。」

私「はい。」

先生は私を置いて先に教室へと入っていきました。

中からは先生と、男性教師と思しき野太い声が聞こえてきました。

私が覗き込んで見たところ、英語教師のおじさんが先生と会話をしている様子が見えます。

そのすぐ近くの席に座ってノートに書き込んでいる一人の女子生徒。

真っ黒な長い髪が横顔を隠していて、どんな顔なのかはわかりません。

ただ、初めて見るような生徒だったことは確かでした。違う学年の子かもしれません。

すると先生が、その女子に優しく話しかけました。

先生「トシロー君が一緒だけど大丈夫?」

女子「…………。」

その女子は顔をもたげて先生に視線を向けるのですが、何も答えようとはしません。

前髪は目まで覆うほどの長さがあり、顔を上げたところで表情が読めません。

ただ、私の名前が出てきたところでこの反応だと、私と一緒は嫌そうな様子に感じ取れました。

ということは、この子は私のことを知っているのでしょうか。

その後は先生が何か説明して、その女子がずっと黙って聞いていました。

やり取りの後、その女子は何か納得したのか、ようやくゆっくりと首を縦に振りました。

そして英語教師が教室を出ていったところで、先生が私を手招きで誘いました。

私は促されるままに教室に入り、先生が立っている近くの席に着きました。

この女子と私との間に、先生が入る形で勉強会が始まります。

私はひたすら漢文の復習と、間違いが多い点を解いていました。

当時の私にとって漢文は、古文の勉強とは比にならないほど難しく感じていました。

とはいえ、先生から褒められるためにはやるしかないので、必死になって頭に詰め込もうとします。

たまに質問をしながらも、何とか一段落が付いたところで、

先生を挟んで反対側に座る謎の女子にふと目を向けました。

淡々と問題を解いているようには見えず、書く手が何度も止まっているように見えます。

横目でその女子が解いている問題をチラッと覗き見ることにします。

その子が解いている問題の内容までは細かく見えませんでしたが、

どうやら古文、漢文ではなさそうでした。

あまりまじまじと覗き見るのも性質が悪いので、自分の課題を見直すことにしました。

聞き耳を立てていたわけではなかったのですが、説明する先生の声を聞く限り、

高校二年生の範囲ではなく、それよりも下の国語の範囲であるとわかりました。

女子が解いている問題を気にしつつも、私は漢文の問題の見直しを終えて先生を呼びます。

私「できました。」

先生「ん? どれどれ。」

こちらを振り返り、私が書き込んだ解答を手に取り確認する先生。

先生の反応を見守りながら、一瞬だけその女子に目を向けました。

私「っ!?」

女子「…………。」

目を合わせたのは一瞬だけでしたが、目まで覆う前髪のわずかな隙間から覗く彼女の視線が、

思い込みではなく確かに私の目を見ていたように感じたのです。

何かを訴えようとしていたのかどうかは定かではありません。

いつだったかボウズがジッと私を見据えていた時にも似たような感覚でした。

ただ、それ以上に読めない眼差しだったと思います。

ずっと口元一つ緩ませることもなく、常時無表情な点がさらに読めない要因だったのでしょう。

私はすぐに気にしていない素振りを装いながら、解答を採点している先生に視線を戻します。

私「…………。先生、どうでした?」

先生「まだ全部見れてないけど、早速間違えてるよ。もう一回やってみて。後で説明するから。」

私「はい。」

解答を見直そうと努めながらも、なぜかその女子がここにいる理由を気にしていました。

そもそもこの謎の女子は何者なのでしょうか?

同じ学年でなければ一年生か三年生かとも思ったのですが、

仮にそうだとしてもどこかで見たことがあってもおかしくはないはずです。

だとすれば、なぜ二年生の国語を担当する教師が教えているのかという新たな謎が浮上します。

もしくは他にあり得るパターンとして転校生説があります。それが最も納得できる気がします。

二年生の転校生だと仮定して、なぜ一年生や中学校の範囲を教わっているのでしょうか?

それもあまり筆が進んでいないようなので、ほとんど理解できていないようにも見えます。

先生「こら。」

私「あ、はい!?」

先生「手止まったままだよ。何か考えごとでもしてたの?」

私「いや、難しいんで……。」

先生「さっき教えたじゃないの。あなたそんなに物覚え悪かった?」

私「すみません。この漢字の意味もう一回教えてください。」

先生「それは良いけど、まさか集中できませんとかじゃないよね?」

私「いや、違います。」

先生「だったらちゃんとしなさい。」

私「はい。」

先生の言葉が再び私を奮い立たせました。

時間を割いて教えてくださっている先生に応えなくてはならないと。

自分の頬を両手でバチバチと叩いた私は、必死に脳を切り替えて、

いったんこの謎の女子のことを頭から切り離します。

私が何度も問題を解いている中で、先生が謎の女子に優しく話しかける声が聞こえました。

先生「大丈夫?」

女子「…………。」

先生「急にいっぱい言われても覚えきれないよね。今日はこのくらいにしよう。」

女子「…………。」

先生「気を付けてね。」

そして謎の女子は、ノートや参考書などの荷物をゆっくりとカバンに入れると、

何も言わずに席を立って、そのまま教室から出ていったようでした。

私はというと勉強に集中していたので、謎の女子がどんな態度だったのかあまり見ていません。

お礼を言った声は聞こえませんでしたが、お辞儀くらいはしていたのかもしれません。

先生「トシロー君はもうちょっと頑張ろうね。」

私「はい。」

私が書いた解答用紙に目を通す先生。

表情は変わらず優しいものでしたが、私はまた叱られるのではないかと緊張しています。

叱られること自体はそれもありがたいのですが、勉強のこととなると少し違いました。

ところが先生の口から飛び出した言葉は勉強のことではありませんでした。

先生「……あの子が気になってたんでしょ?」

私「えっ、いや……。」

先生「前にも言ったけど、私は何でもお見通しなんだよ。」

私「別に気になってたわけじゃ……。」

先生「ま、いつも私と二人だし、たまに若い女の子がいたらこうなるか。」

私「先生、また俺をそんな目で……。」

先生「あら?」

そう言うと先生は、私の背後に向かって軽く手を振りました。

私「ん?」

誰がいるのかと気になった私は、ふと慌てて後ろを振り返りました。

教室の廊下側の窓ガラス越しに、先ほどの謎の女子がこちらを向いて突っ立っているのが見えました。

不意打ちだったので、幽霊でも見てしまったかのように声を上げて驚く私。

私「うわっ、ビックリしたぁ……。」

私の反応を確認してからか、その謎の女子は無表情のまま、教室の前から去っていきました。

日頃先生と過ごしている時とは違う意味で心臓が高鳴っています。

私「何なんだよあの子は……。」

先生「これからトシロー君と一緒に特訓受ける子だよ。」

私「えぇ? あの子も国語とか古文集中的にやるの?」

先生「国語だけじゃなしに全教科やるって。」

私「マジか。」

結局のところ、謎の女子が何者なのかはよくわかりませんでしたが、何とも複雑な気持ちでした。

ただ、常に無表情で、何を言われても返事をしない辺り、何とも変わった子のように思えます。

私も変わり者なので人のことをとやかく言えませんが、

そんな不思議な子が一緒だとどうしても気になってしまいそうです。

プラスに考えると、先生と二人きりだとまたしても大胆な行動を取りかねないので、

もう一人いてくれるならそれはそれで悪くないような気もします。

先生「もし話すことあったら、仲良くしてあげて。」

私「ああ、はい……。」

正直なところ、全く仲良くなれる気がしませんでした。

先生に言われたからという点、先生の手前だからという点しか、親しくする理由も思い付きません。

いずれにしても、自分から話しかけることはないでしょう。

話しかけても返事があるとは思えませんでしたので。

 

【五十】

寤西 深目思見津 中々爾 成不出者 不侘有申尾

現にし 深め思ひ見つ なかなかに 生り出でざらば 侘びざらましを

うつつにし ふかめもひみつ なかなかに なりいでざらば わびざらましを

この世に己が存在することによって、

その是非を思考し続け、無限に問い詰めてきた。

それは何よりも苦しいものに他ならない。

ただ一つ、解がわかるものがあるとするのならば――。

いっそこの世に生まれて来なければ、これほど苦しまずに済んだものを。

 

 

第十一話に続きます……。

私の万葉歌 戀歌 第十一話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

 

 

【あとがき】

九話と十話で今後も関わっていく登場人物が出そろいました。

これからどんどん話が大きく膨らんでいく予定です。

少しばかりややこしい展開やドシリアスな展開、さまざまな場面が出てくるかと思います。

ただ、私が伝えるべきメッセージやテーマはブレることはないと思います。

どんなに話が膨らんでも、最終的に導かれて辿り着くところは一点だけです。

今後もどうか見守っていただければありがたい限りです。

 

それといきなりであれですが、ここで一冊の本を紹介させてください。

 

 

こちらは私の実の妹で、詩人・狭間暁(さまあきら)の詩集になります。

ブログで紹介すると本人に言っていたのですが、今日まで機会がありませんでした。

ノンフィクションのブログ小説を書くことになって、

ようやく妹・アキラの話題が上がったため紹介することにしました。

念のため明記しておくと"アキラ"は仮名というか筆名であり、実名ではありません。

また、現在は他の筆名で作家として活動しているようです。

妹が先に文壇デビューしたということで、物書きとしては私の先輩ということになりますね。

狭間暁『零れた記憶の言葉たち』もし気になられましたら、ぜひ読んでみてくださいませ。

先ほど妹の話題をようやく出したと書いたのですが、

【今は昔】淡嶋神社に行った話【10年前】 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

ここに妹の話がちょっとだけ書いてありました。

まあ、妹の話メインではないので本の紹介はしていませんでしたね。

 

こういった活動をしていると、他にも作家の方々と関わる機会があります。

実は私が詠んでいる和歌は、京都のとある作家さんに目を通していただいております。

下読み的なところを担っていただいて、それから公開するかどうかを判断しています。

日本文学全般に精通されている方なので、私は今でも教えていただくことばかりです。

なかなか時間が合わないこともあり、今後も公開が遅れがちになるかもしれません。

その方の話は物語上に登場しませんが、出版されている本はいずれご紹介したいところです。

 

今回は以上になります。

最後までお読みくださりありがとうございました。

ではではまたお会いしましょう。

 

 

私の万葉歌 - 戀歌 第一話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第二話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第三話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第四話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第五話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第六話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第七話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第八話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)

私の万葉歌 - 戀歌 第九話 | TOSHI's diary (ameblo.jp)