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なぜ、ネガティブな観念が生じるのか?

ネガティブな観念とは、意識が、否定的な判断の方に偏った観念であり、ポジティブな観念とは、意識が、肯定も否定もせずに、偏りがなく、バランスが取れた観念です。


なぜ、ネガティブな観念が生じるのか


より振動数の高い次元では、エネルギー傾向の異なるものが、ひとつに融合して存在しています。


肉体的・物質的な次元では、結晶化の密度が濃く、粒子が粗く、振動数が低いエネルギー傾向の異なるものが、細分化されて存在しています。


エネルギー傾向の異なるものが、ひとつに融合して存在している魂が、肉体的・物質的な次元の、振動数が低く、結晶化の密度が濃く、粒子が粗い経験をするためには、ひとつに融合しているエネルギー傾向の異なるものを、振動数を下げて、結晶化の密度を濃く、粒子を粗く、細分化して、別々に、形として投影しなければなりません。


そのため、魂は、霊体、精神体、感情体、肉体の順に、振動数を下げて、エネルギー傾向の異なるものを、細分化して、別々に、形として投影しているのです。


つまり、魂の中には、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素という、エネルギー傾向の異なるものが、ひとつに融合して存在しているのです。


そして、それぞれの体が完全に分離して、独立して存在しているのではなく、霊体は魂と、精神体は霊体と、感情体は精神体と、肉体は感情体と、それぞれ、重なり合い、融合している部分があり存在しています。


魂の意志を、各体に反映させるときに、橋渡しの役目をしているのが、霊体から精神体の間においては、受動的マインドであり、精神体の中では、受動的マインドと能動的マインドが部分的に融合し、精神体と感情体の間においては、能動的マインドであり、感情体と肉体の間においては、脳ということになります。


魂から霊体を経由して、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、形として投影されるときには、まず、精神体の受動的マインドが、霊体から知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、ひとつに融合したものを受け取ります。


次に、精神体の能動的マインドが、受動的なマインドが受け取ったものを、知的・理性的な側面(=部分)から認識し、感情体が感情的・感覚的な側面(=部分)から認識します。



観念とは、現実の経験を創造するときの、パーソナリティーの視点からの青写真(=設計図)です。


その青写真をイメージするときに、能動的マインドを使って、否定的な判断によりイメージしたものが、ネガティブな観念です。


能動的マインドにより、否定的な判断をすると、霊体から、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素がひとつに融合したものである、合一の認識を、受動的マインドで受け取ることができずに、知的・理性的な要素または感情的・感覚的な要素の、どちらか一方の側面に偏った、認識になってしまうのです。


精神体主導で、知的・理性的な側面から判断をする場合と、感情体主導で、感情的・感覚的な側面から判断をする場合に分かれるのです。


どちらか一方の認識に偏るということは、他方は否定・抑圧されるということです。


精神体主導で、知的・理性的な側面から判断をする場合は、感情体が抑圧されて、知的・理性的な側面からは矛盾を生じないことであっても、感情的・感覚的な側面からは矛盾を生じるということになります。


例えば、感情的・感覚的には、喜びを感じられずに、したくないと思うことでも、知的・理性的な側面からは矛盾を生じないから、精神体主導で、能動的マインドを使ってしてしまう、というようなことが起こります。


感情体主導で、感情的・感覚的な側面から判断をする場合は、精神体が抑圧されて、感情的・感覚的な側面からは矛盾を生じないことであっても、知的・理性的な側面からは矛盾を生じるということになります。


例えば、知的・理性的には、矛盾していると認識できても、感情的・感覚的には、喜びを感じたいから、感情体主導で、能動的マインドを使ってしてしまう、というようなことが起こります。



より振動数の高い次元にある魂の中では、エネルギー的な傾向の異なる、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、喜びのもとに、ひとつに融合して存在しています。


魂から霊体までの間においては、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、喜びのもとにひとつに融合しています。


霊体からより次元の低い、精神体、感情体に変換されるときに、精神体の受動的マインドで受け取れば、次元は下がれども、知的・理性的なものと感情的・感覚的なものが、喜びのもとにひとつに融合しています。


しかし、精神体と感情体という別々な形に投影されているということと、受動的なマインドより次元が低く、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素を、同時にひとつのものとして認識できない、能動的なマインドとの組み合わせにより、霊体主導で受動的マインドを使うことよりも、精神体または感情体主導で、能動的マインドが使われた場合には、霊体から魂の合一の認識を受け取ることができずに、精神体以下において、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、恐れのもとに別々になってしまうということが生じるのです。


これがネガティブな観念が生じる理由です。


だから、ネガティブな観念である青写真(=設計図)は、知的・理性的な要素または感情的・感覚的な要素のどちらか一方に偏った、青写真になり、それらの要素が、恐れのもとに、別々になるのです。


一方、ポジティブな観念である青写真(=設計図)は、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、どちらか一方に偏らずに、バランスの取れた青写真になり、それらの要素が、喜びのもとに、ひとつになります。



ネガティブな観念をポジティブな観念に変えるためには、魂の意志である合一の認識を、霊体主導で、精神体の受動的マインドを使って受け取ればよいのです。


精神体または感情体主導で、能動的マインドを使って、知的・理性的または感情的・感覚的側面のどちらか一方に偏って、判断をするのではなく、すべてを無条件に許容して、魂の意志にゆだねることによって、霊体主導で、受動的マインドを使って、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素がひとつに融合した、魂の合一の認識を受け取ればよいのです。


精神体の受動的マインドで、魂の合一の認識を受け取ることができれば、後は、精神体の能動的マインドにより、知的・理性的な側面から認識し、感情体において、感情的・感覚的な側面から認識すればよいのです。


そして、魂の合一の認識を、形として表現するときには、精神体及び感情体によって、能動的マインドを使って、エネルギー傾向の異なるものとして、それぞれの働きによって、ありのままに、表現すればよいのです。


エネルギー傾向が異なるものとして、別々に表現されても、もととなるものが魂の合一の認識であれば(=魂の意志が反映されていれば)、それらは形の違いを超えて、喜びのもとにひとつとなっているのです。

















2極性のもととなっているのは、男性エネルギーと女性エネルギーです

より次元の高いところでは、異なるエネルギー傾向のものが、条件付けの程度が弱く、同じになって、ひとつに融合しています。


そして、同じ次元にある異なるエネルギー傾向のものを、条件付けの程度を強くして、差をつけることによって、別々に投影します。


男性エネルギーと女性エネルギーがひとつに融合したものを、受動的マインド(=女性エネルギー)と能動的マインド(=男性エネルギー)として別々に投影し、精神体(=男性エネルギー)と感情体(=女性エネルギー)として別々に投影します。


また、精神体は、知的・理性的な要素からなり、感情体は、感情的・感覚的な要素からなります。


精神体の中に、受動的マインドと能動的マインドがあり、それらが接するところで、男性エネルギーと女性エネルギーが部分的に融合しています。


能動的マインドは、精神体と感情体の両方に接し、融合しています。


精神体(=男性エネルギー)に、受動的マインド(=女性エネルギー)により、受容性を持たせ、バランスを取り、感情体(=女性エネルギー)に、能動的マインド(=男性エネルギー)により、能動性を持たせ、バランスを取っています。


受容性がなければ、異なるエネルギー傾向のものを、ひとつとして受け取ることができませんし、能動性がなければ、ひとつに融合している、異なるエネルギー傾向のものを、別々に分けることができないということになります。


感情体には、感情的・感覚的なものを、別々に分けずに、ひとつとして感じ取り、受け取る、受容性があります。


しかし、受容性だけがあって、能動性がなければ、感情的・感覚的に感じ取ったものを、形として表現することができませんので、男性エネルギーである、能動的マインドと部分的に融合することによって、能動的に表現することができます。


また、精神体に、能動的マインドしかなく、受動的マインドの受容性がなければ、形のない全体から形のある部分に分けて、形のある部分を、形のある全体に再構成することによって、客観的に表現する、ということができなくなります。


受動的マインドと能動的マインドが接するところにおいて、それらの部分が融合していなければ、主観的には表現できても、客観的には表現できないということです。



すべての2極性は、男性エネルギー(=知的・理性的・能動的)と女性エネルギー(=感情的・感覚的・受動的)のどちらかのエネルギー傾向の中での、さらに、細分化された傾向の違いとして表現されます。


例えば、正・誤は、知的・理性的な傾向の中で、さらに異なる傾向に分けられた2極性であり、正よりも誤の方が条件付けの程度が強い場合には、正よりも誤の方が結晶化の密度が濃く、光の保有量が少ないということになります。


また、例えば、優しさ・冷たさは、感情的・感覚的な傾向の中で、さらに異なる傾向に分けられた2極性であり、優しさよりも冷たさの方が条件付けの程度が強い場合には、優しさよりも冷たさの方が結晶化の密度が濃く、光の保有量が少ないということになります。











ネガティブな意識とポジティブな意識について

ネガティブとは、どちらか一方を肯定し、他方を否定するような条件付のある、消極的な許容です。


ポジティブとは、肯定も否定もせずに、どちらも同時に無条件に許容するような、積極的な許容です。


肯定する場合には、必ず、その判断の根拠となる、否定するものがあり、否定する場合には、必ず、その判断の根拠となる、肯定するものがありますから、肯定も否定もせずに、どちらも同時に無条件に許容する、ということになります。


肯定あるいは否定的な判断をするときには、否定的な判断の方に偏った(=凝縮した)、ネガティブな意識(=恐れの意識)になります。



凝縮するとは、結晶化の密度が濃く、光の保有量が少なく、振動数が低く、流動性がないために、固定化・個別化することです。


肯定も否定もせずに、無条件に許容するときには、偏りがなく、バランスが取れた(=拡大した)、ポジティブな意識(=喜びの意識)になります。


拡大するとは、結晶化の密度が薄く、光の保有量が多く、振動数が高く、流動性があるために、全体化することです。



意識が否定的な判断の方に偏った場合は、恐れにより、今に意識が凝縮します。


恐れにより、今に時(=ネガティブな可能性)が凝縮(=限定)されるのです。


恐れのもとでは、すべての時(=過去・現在・未来)が別々になります。


また、意識が肯定も否定もせずに、無条件に許容することによって、偏りがなく、バランスが取れている場合は、喜びにより、今からすべての時(=ポジティブな可能性)へ意識が拡大します。


喜びにより意識が、今からすべての時(=ポジティブな可能性)に拡大されるのです。


喜びのもとでは、すべての時(=過去・現在・未来)がひとつ(=今)になります。



例えば、善を肯定し、悪を否定する場合、その否定的な判断の方に偏った(=凝縮した)、否定する悪の方の影響を受ける、ネガティブな可能性が現実化します。


今、悪を否定するという、否定的な判断の意識(=恐れ)により、今がその恐れの意識に凝縮(=流動性がなく固定化・個別化)され、肯定する善からの影響を受ける未来(=ポジティブな可能性)と、今が別々になり、未来においても、恐れにより恐縮した、今(=ネガティブな可能性)が現実化するのです。