なぜ、ネガティブな観念が生じるのか? | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

なぜ、ネガティブな観念が生じるのか?

ネガティブな観念とは、意識が、否定的な判断の方に偏った観念であり、ポジティブな観念とは、意識が、肯定も否定もせずに、偏りがなく、バランスが取れた観念です。


なぜ、ネガティブな観念が生じるのか


より振動数の高い次元では、エネルギー傾向の異なるものが、ひとつに融合して存在しています。


肉体的・物質的な次元では、結晶化の密度が濃く、粒子が粗く、振動数が低いエネルギー傾向の異なるものが、細分化されて存在しています。


エネルギー傾向の異なるものが、ひとつに融合して存在している魂が、肉体的・物質的な次元の、振動数が低く、結晶化の密度が濃く、粒子が粗い経験をするためには、ひとつに融合しているエネルギー傾向の異なるものを、振動数を下げて、結晶化の密度を濃く、粒子を粗く、細分化して、別々に、形として投影しなければなりません。


そのため、魂は、霊体、精神体、感情体、肉体の順に、振動数を下げて、エネルギー傾向の異なるものを、細分化して、別々に、形として投影しているのです。


つまり、魂の中には、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素という、エネルギー傾向の異なるものが、ひとつに融合して存在しているのです。


そして、それぞれの体が完全に分離して、独立して存在しているのではなく、霊体は魂と、精神体は霊体と、感情体は精神体と、肉体は感情体と、それぞれ、重なり合い、融合している部分があり存在しています。


魂の意志を、各体に反映させるときに、橋渡しの役目をしているのが、霊体から精神体の間においては、受動的マインドであり、精神体の中では、受動的マインドと能動的マインドが部分的に融合し、精神体と感情体の間においては、能動的マインドであり、感情体と肉体の間においては、脳ということになります。


魂から霊体を経由して、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、形として投影されるときには、まず、精神体の受動的マインドが、霊体から知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、ひとつに融合したものを受け取ります。


次に、精神体の能動的マインドが、受動的なマインドが受け取ったものを、知的・理性的な側面(=部分)から認識し、感情体が感情的・感覚的な側面(=部分)から認識します。



観念とは、現実の経験を創造するときの、パーソナリティーの視点からの青写真(=設計図)です。


その青写真をイメージするときに、能動的マインドを使って、否定的な判断によりイメージしたものが、ネガティブな観念です。


能動的マインドにより、否定的な判断をすると、霊体から、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素がひとつに融合したものである、合一の認識を、受動的マインドで受け取ることができずに、知的・理性的な要素または感情的・感覚的な要素の、どちらか一方の側面に偏った、認識になってしまうのです。


精神体主導で、知的・理性的な側面から判断をする場合と、感情体主導で、感情的・感覚的な側面から判断をする場合に分かれるのです。


どちらか一方の認識に偏るということは、他方は否定・抑圧されるということです。


精神体主導で、知的・理性的な側面から判断をする場合は、感情体が抑圧されて、知的・理性的な側面からは矛盾を生じないことであっても、感情的・感覚的な側面からは矛盾を生じるということになります。


例えば、感情的・感覚的には、喜びを感じられずに、したくないと思うことでも、知的・理性的な側面からは矛盾を生じないから、精神体主導で、能動的マインドを使ってしてしまう、というようなことが起こります。


感情体主導で、感情的・感覚的な側面から判断をする場合は、精神体が抑圧されて、感情的・感覚的な側面からは矛盾を生じないことであっても、知的・理性的な側面からは矛盾を生じるということになります。


例えば、知的・理性的には、矛盾していると認識できても、感情的・感覚的には、喜びを感じたいから、感情体主導で、能動的マインドを使ってしてしまう、というようなことが起こります。



より振動数の高い次元にある魂の中では、エネルギー的な傾向の異なる、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、喜びのもとに、ひとつに融合して存在しています。


魂から霊体までの間においては、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、喜びのもとにひとつに融合しています。


霊体からより次元の低い、精神体、感情体に変換されるときに、精神体の受動的マインドで受け取れば、次元は下がれども、知的・理性的なものと感情的・感覚的なものが、喜びのもとにひとつに融合しています。


しかし、精神体と感情体という別々な形に投影されているということと、受動的なマインドより次元が低く、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素を、同時にひとつのものとして認識できない、能動的なマインドとの組み合わせにより、霊体主導で受動的マインドを使うことよりも、精神体または感情体主導で、能動的マインドが使われた場合には、霊体から魂の合一の認識を受け取ることができずに、精神体以下において、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、恐れのもとに別々になってしまうということが生じるのです。


これがネガティブな観念が生じる理由です。


だから、ネガティブな観念である青写真(=設計図)は、知的・理性的な要素または感情的・感覚的な要素のどちらか一方に偏った、青写真になり、それらの要素が、恐れのもとに、別々になるのです。


一方、ポジティブな観念である青写真(=設計図)は、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素が、どちらか一方に偏らずに、バランスの取れた青写真になり、それらの要素が、喜びのもとに、ひとつになります。



ネガティブな観念をポジティブな観念に変えるためには、魂の意志である合一の認識を、霊体主導で、精神体の受動的マインドを使って受け取ればよいのです。


精神体または感情体主導で、能動的マインドを使って、知的・理性的または感情的・感覚的側面のどちらか一方に偏って、判断をするのではなく、すべてを無条件に許容して、魂の意志にゆだねることによって、霊体主導で、受動的マインドを使って、知的・理性的な要素と感情的・感覚的な要素がひとつに融合した、魂の合一の認識を受け取ればよいのです。


精神体の受動的マインドで、魂の合一の認識を受け取ることができれば、後は、精神体の能動的マインドにより、知的・理性的な側面から認識し、感情体において、感情的・感覚的な側面から認識すればよいのです。


そして、魂の合一の認識を、形として表現するときには、精神体及び感情体によって、能動的マインドを使って、エネルギー傾向の異なるものとして、それぞれの働きによって、ありのままに、表現すればよいのです。


エネルギー傾向が異なるものとして、別々に表現されても、もととなるものが魂の合一の認識であれば(=魂の意志が反映されていれば)、それらは形の違いを超えて、喜びのもとにひとつとなっているのです。