誰もが、本来覚えていることに、目を向けるようになることが目覚めるということ。 本来最初から誰もが覚えていることだから、それに目を向けさえすれば、誰もが思い出すことができる。
思い出すためには、まず目を向けるきかっけとなる方法を探さなければならない。その方法が語呂合わせだ。 他の誰かではなく、自分が最も、覚えていることを思い出しやすい語呂合わせを探すのだ。
語呂合わせは人それぞれに違う。なぜなら、それぞれが皆、無条件の愛の波動の一側面として、個性を持っているからだ。
だから、他の誰かの語呂合わせをそのまま使ってみても、思い出すことができるとは限らない。自分自身が本来持っている、無条件の愛の波動の性質にあった語呂を自分自身で探せばいい。
最近の参考書:『バシャール2006』 バシャール ダリルアンカ VOICE、『バシャール×坂本政道』 VOICE、
『癒しと愛は時空を超えて』 堀江克子・飯沼正晴 著 コスモ ビジョン
大人におすすめの本:『はじめてのことば』 日木 流奈 大和出版
最近のお気に入りの本:
『時間のない領域へ』 マイケル・J・ローズ ナチュラルスピリット、
『真理を生きるⅡ』 マイケル・J・ローズ 知玄舎 、 『リサ・ランドール 異次元は存在する』 リサ・ランドール+若田光一 NHK出版
散る散らぬ 名より実を取る 桜かな
「散る散らぬ 名より実を取る 桜かな」
桜は、実を付ける準備ができたら、嵐が来なくとも散るが、実を付ける準備ができていなければ、たとえ、どんなに強い嵐が来ても、散ることはない。
だから、人が生きるということも、桜と同じように、形としての結果を得ることが目的ではなくて、逆に、自ら形への囚われを捨てて気づくこと、自らの経験を通して学ぶことが目的なのです。
形は実を得るための手段にすぎず、形に囚われたままでいることは、目的ではないということです。
桜は、実を付ける準備ができたら、嵐が来なくとも散るが、実を付ける準備ができていなければ、たとえ、どんなに強い嵐が来ても、散ることはない。
だから、人が生きるということも、桜と同じように、形としての結果を得ることが目的ではなくて、逆に、自ら形への囚われを捨てて気づくこと、自らの経験を通して学ぶことが目的なのです。
形は実を得るための手段にすぎず、形に囚われたままでいることは、目的ではないということです。
自ら助ける(=気づく=自覚する=自らで自らの意識を変える)者が救われる
自分が経験している現実はすべて、自分以外の誰かによって作られるのではなく、自分自身で作り出している。
自らの、狭い思考の範囲に限定された、形に囚われた意識が影となり、自分が経験する現実に、闇(=恐れ)として投影されているのですから、自らの経験する現実を、闇から光に変えるためには、自ら形への囚われを捨てる(=気づく=自覚する)しかないのです。
ですから、自分以外の誰かの意識を変えることによって、自分が経験する現実が変わるのではなく、自らで自らの意識を変えることによってのみ、自らが経験する現実を変えることができるのです。
つまり、「自ら助ける(=気づく=自覚する=形への囚われを捨てる)者のみが救われる。」のです。
だから私たちは、自分以外の誰かが気づく(=自覚する)きっかけを与えることはできても、その誰かの代わりに気づくことはできないのです。
なぜなら、それは、代わりに気づいてやれるのなら、それは自覚ではなくなってしまうでしょうし、自らの経験を通して、学ぶことにはならないからです。
自分以外の誰かに対して、ネガティブな形であるか、ポジティブな形であるかを問わず、どちらでも、その誰かが気づくきっかけ(=気づきの助けになるもの)は与えることはできるのです。
自ら形への囚われを捨てて気づいて(=自覚して)いれば、ポジティブな形で助けることができるでしょうし、形への囚われを捨てることができずに、気づいて(=自覚して)いなければ、ネガティブな形で助けることになるでしょう。
ネガティブな形:自分以外の誰かを否定することによって、自分を肯定するやり方(=自分と他人は別々であるという分離の幻想(=競争原理)に基づくやり方)
ポジティブな形:自分も他人もどちらも、肯定も否定もせずに、無条件に許容するやり方(=自分と他人はひとつであるという合一の真実(=助け合いの原理)に基づくやり方)
自らが作り出す現実の経験を通して学ぶということは、ネガティブな方向か、あるいは、ポジティブな方向かの選択肢はありますが、どちらも選択しないという選択肢はないということです。
自らの、狭い思考の範囲に限定された、形に囚われた意識が影となり、自分が経験する現実に、闇(=恐れ)として投影されているのですから、自らの経験する現実を、闇から光に変えるためには、自ら形への囚われを捨てる(=気づく=自覚する)しかないのです。
ですから、自分以外の誰かの意識を変えることによって、自分が経験する現実が変わるのではなく、自らで自らの意識を変えることによってのみ、自らが経験する現実を変えることができるのです。
つまり、「自ら助ける(=気づく=自覚する=形への囚われを捨てる)者のみが救われる。」のです。
だから私たちは、自分以外の誰かが気づく(=自覚する)きっかけを与えることはできても、その誰かの代わりに気づくことはできないのです。
なぜなら、それは、代わりに気づいてやれるのなら、それは自覚ではなくなってしまうでしょうし、自らの経験を通して、学ぶことにはならないからです。
自分以外の誰かに対して、ネガティブな形であるか、ポジティブな形であるかを問わず、どちらでも、その誰かが気づくきっかけ(=気づきの助けになるもの)は与えることはできるのです。
自ら形への囚われを捨てて気づいて(=自覚して)いれば、ポジティブな形で助けることができるでしょうし、形への囚われを捨てることができずに、気づいて(=自覚して)いなければ、ネガティブな形で助けることになるでしょう。
ネガティブな形:自分以外の誰かを否定することによって、自分を肯定するやり方(=自分と他人は別々であるという分離の幻想(=競争原理)に基づくやり方)
ポジティブな形:自分も他人もどちらも、肯定も否定もせずに、無条件に許容するやり方(=自分と他人はひとつであるという合一の真実(=助け合いの原理)に基づくやり方)
自らが作り出す現実の経験を通して学ぶということは、ネガティブな方向か、あるいは、ポジティブな方向かの選択肢はありますが、どちらも選択しないという選択肢はないということです。
競争原理による苦しんでする努力から、助け合いの原理による楽しんでする努力に変える
エネルギーをネガティブな方向に使って、助け合わないから、無駄が生じ、その分苦しまなければならなくなります(=苦しむことにエネルギーを使ってしまう)。
だから、エネルギーをポジティブな方向に使って、助け合うことによって、無駄がなくなれば、その分楽しむことができる(=楽しむことにエネルギーを使える)でしょう。
競争原理では、「楽をすることは怠けることである。」という思い込みが強いですから、苦しみ過ぎて、楽しめなくなって、うつ病などの症状となって現れます。
助け合いの原理によって、「努力するのに苦しむ必要はない。楽しんでする努力もある。」ということに、もっと多くの人が気づけば、世の中全体に本当の幸せが訪れるでしょう。
だから、エネルギーをポジティブな方向に使って、助け合うことによって、無駄がなくなれば、その分楽しむことができる(=楽しむことにエネルギーを使える)でしょう。
競争原理では、「楽をすることは怠けることである。」という思い込みが強いですから、苦しみ過ぎて、楽しめなくなって、うつ病などの症状となって現れます。
助け合いの原理によって、「努力するのに苦しむ必要はない。楽しんでする努力もある。」ということに、もっと多くの人が気づけば、世の中全体に本当の幸せが訪れるでしょう。
