自ら助ける(=気づく=自覚する=自らで自らの意識を変える)者が救われる | ------時給数百円のフリーターが学ぶ本当の愛

自ら助ける(=気づく=自覚する=自らで自らの意識を変える)者が救われる

自分が経験している現実はすべて、自分以外の誰かによって作られるのではなく、自分自身で作り出している。

自らの、狭い思考の範囲に限定された、形に囚われた意識が影となり、自分が経験する現実に、
闇(=恐れ)として投影されているのですから、自らの経験する現実を、闇から光に変えるためには、自ら形への囚われを捨てる(=気づく=自覚する)しかないのです。

ですから、自分以外の誰かの意識を変えることによって、自分が経験する現実が変わるのではなく、自らで自らの意識を変えることによってのみ、自らが経験する現実を変えることができるのです。

つまり、「自ら助ける(=気づく=自覚する=形への囚われを捨てる)者のみが救われる。」のです。

だから私たちは、自分以外の誰かが気づく(=自覚する)きっかけを与えることはできても、その誰かの代わりに気づくことはできないのです。

なぜなら、それは、代わりに気づいてやれるのなら、それは自覚ではなくなってしまうでしょうし、自らの経験を通して、学ぶことにはならないからです。

自分以外の誰かに対して、ネガティブな形であるか、ポジティブな形であるかを問わず、どちらでも、その誰かが気づくきっかけ(=気づきの助けになるもの)は与えることはできるのです。

自ら形への囚われを捨てて気づいて(=自覚して)いれば、ポジティブな形で助けることができるでしょうし、形への囚われを捨てることができずに、気づいて(=自覚して)いなければ、ネガティブな形で助けることになるでしょう。

 ネガティブな形:自分以外の誰かを否定することによって、自分を肯定するやり方(=自分と他人は別々であるという分離の幻想(=競争原理)に基づくやり方)
 ポジティブな形:自分も他人もどちらも、肯定も否定もせずに、無条件に許容するやり方(=自分と他人はひとつであるという合一の真実(=助け合いの原理)に基づくやり方)

自らが作り出す現実の経験を通して学ぶということは、ネガティブな方向か、あるいは、ポジティブな方向かの選択肢はありますが、どちらも選択しないという選択肢はないということです。