自らゆだねることによって、意識の周波数を変えて、パラレルワールドに移行したことに気付く
現実の経験の創造において、自らの殺し合いの精神(=意識)による影が反映されることによって、闇(=幻想)を経験します。
また、自らの助け合いの精神(=意識)により、影はないので、そのまま光(=本当の現実)が反映された現実を経験します。
それぞれの現実の経験は、自らの意識の周波数の違いにより、別々のパラレルワールドとして創造されます。
自分が経験している現実は、自らの意識が反映された自分バージョンの宇宙ですから、自らの意識の周波数を変えることによって、今の現実とは別のパラレルワールドに移行することができるのです。
殺し合いの精神から助け合いの精神に、真逆の発想の意識を大転換させるときには、自らの意志でゆだねることによって、自らの意識の周波数を大きく変えて、パラレルワールドに移行することによって、今までとは違う現実にいると、はっきりと気付くことになります。
自分の創造するパラレルワールド(=自分バージョンの宇宙)に存在する他人は、自分バージョンの他人であって、その他人も、本当はその他人自身が創造するパラレルワールドで、その他人バージョンの宇宙を創造することによって、現実を経験していて、その他人の現実の経験の反映が、部分的に自分の創造する現実の経験に入ってきて、自分と他人は、間接的に交流しているということになります。
魂のレベルでは直接交流できても、パラレルワールドのレベルでは、間接的に交流しているのです。
だから、自分がまだ、自らの意志によって、ゆだねることができずに、意識の周波数を殺し合いの精神から助け合いの精神に大転換できていない場合は、自分以外の他人が、助け合いの精神に変わるのを待っていても変わらないし、自分のいる世界が、助け合いの精神からなる世界には変わらないということです。
他人が意識を変えても、その変わった他人は、別のパラレルワールドに移行するので、自分自身が意識を変えて、助け合いの精神からなるパラレルワールドに移行しなければ、自分バージョンの、意識を変えた他人とは、間接的に交流することはできないのです。
ゆだねることによって、自らの意志を働かせて、意識を大転換させる
エネルギー傾向の異なるものを、別々に細かく分けようとするのは、男性エネルギーである能動的マインドの働きです。
男性エネルギーに偏ると、潰し合い、独占(排除)し合い、殺し合いの競争の精神が生じます。
エネルギー傾向の異なるものを、ひとつとして受け入れることができるのは、女性エネルギーである受動的マインドの働きです。
受動的マインドの受容性は、ゆだねるという、エネルギー傾向の異なるものと融合したいという意志によって働きます。
ゆだねることによって、個性の異なるものどうしのリンク(=融合)が強化され、助け合いの精神が生じます。
発想の異なる二つの意識を大転換させるためには、三つの気付きが必要です。
一つ目は、自分は最初からすべてを許されているという気付き(=罪悪感、自責の念からの解放)です。
二つ目は、自分は最初からすべてを与えられているという気付き(=欠乏感、孤独感からの解放)です。
三つ目は、すべては喜びのもとにひとつであるという気付き(=恐れによる支配から自由になり、本当の自由と本当の喜びを得る)です。
これらの気付きは、自らのすべてを、創造の源と魂の意志にゆだねることによって、自分自身で自分を許す、自分自身で自分に与えるという意志を働かせることによって得られます。
罪悪感と自責の念や欠乏感と孤独感の経験は、すべては喜びのもとにひとつであるということに、気付くために形作られた現実の経験(=幻想)に過ぎないのです。
形作られない、ただ在るのみの、唯一、本当の現実は、すべては喜びのもとにひとつとして在るということです。
本当は喜びしかないのです。
喜び以外のネガティブな感情は、すべては喜びのもとにひとつとして在るという、究極の真理(=唯一、本当の現実)に、気付くために形作られた現実の経験(=幻想)に過ぎないのです。
だから、意識を大転換させるかどうかは、すべては喜びのもとにひとつであるということに気付きたいのか、気付きたくないのかという、個人の意志にかかっているのです。
気付きたくなければ、すべては恐れのもとに別々であるという、幻想を見続けることになります。
しかし、それも、すべては喜びのもとにひとつであるという、唯一、本当の現実に、気付くために形作られた現実の経験(=幻想)ということになります。
すべては恐れのもとに別々であるという、形作られた現実の経験(=幻想)を通して、創造の源と魂の意志にゆだねることによって、最初から自分は、すべてを許され、すべてを与られているという気付きを繰り返せば、最終的には、すべては喜びのもとにひとつであるという、唯一、本当の現実(=究極の真理)に気付くことができるのです。
自らの本質である、永遠に尽きることのない、無限(=無償)の喜びのエネルギーとつながり、最初から喜びに満たされていて、見返りを求める必要がない、無償(=無限)の奉仕の精神(=助け合いの精神)を持つことができるのです。
自分で自分を恐れから守ろうとして、自分自身や自分以外の誰かや何かを傷つけることによって生じる苦痛(=罪悪感・自責の念と欠乏感・孤独感)よりも、恐れを打ち消し、ごまかすために手に入れる、快楽(=肉体的・物資的な形に囚われた喜び)の方が大きければ大きいほど、その快楽を手放して、自らのすべてを、創造の源と魂の意志にゆだねることが難しくなってきます。
だから、手放すために、快楽を手に入れようとすることが、より大きな恐れと苦痛と困難を作り出します。
ゆだねることができないから、恐れが生じ、恐れが生じるから、その恐れから自分で自分を守ろうとします(=恐れを打ち消し、ごまかすために快楽を求める)。
恐れから自分で自分を守ろうとすることによって、自分自身や自分以外の誰かや何かを傷つけて、それが苦痛(=罪悪感・自責の念と欠乏感・孤独感)となります。
だから、手に入れる快楽が苦痛を上回っている間(=ごまかしきれている間)は、ゆだねることができないのです。
苦痛が快楽を上回ったときに、ゆだねることができるのですから、ゆだねることができないときには、自分で自分を恐れから守るためにしていること(=恐れを打ち消すために快楽を手に入れること)を止めてみればよいということになります。
そうすれば、苦痛(=罪悪感・自責の念と欠乏感・孤独感)が快楽を上回って、ゆだねることができるようになり、その結果、もととなる恐れが解消するのです。
最初からすべてとのリンク(=つながり)によって、無限の喜びに満たされていれば、見返りを求める必要はなく、無償の奉仕の精神(=助け合いの精神)を持って、それぞれの個性が、ありのままにその能力を発揮してできることをすればよい、ということになります。
なぜなら、それが自らの本質(=すべては喜びのもとにひとつとして在る)だからです。
潰し合い、独占(排除)し合い、殺し合いの競争の精神で快楽を求めることは、最初に恐れと欠乏感があるから、欲望を満たすことによって、恐れを打ち消して満足感を得ようとするものであって、最初から尽きることのない喜びに満たされている、無償の奉仕の精神(=助け合いの精神)とは、真逆の発想です。
恐れや満たされない欠乏感・孤独感にもとづく殺し合いの精神は、自らの本質ではなく、すべてがリンクでつながっている、無限の喜びのエネルギーが自らの本質なのです。
創造(=豊かさ)は、すべて(=個性・多様性)の組み合わせ(=リンク・絆)によって生まれる
ひとつなるもの(=創造の源)がすべて(=組み合わせの源となる個性・多様性)となって、組み合わせ(=リンク・絆)を変えることによって、豊かさ(=創造)を生み出しています。
ひとつなるものは、すべてが絆で結ばれたものであり、永遠に尽きることのない、無限の喜びのエネルギーです。
無限にある現実の経験は、無限にある個性・多様性の組み合わせにより創造されます。
個性・多様性の組み合わせは、絆・リンクによってなされます。
絆・リンクは、見返りを求めない、喜びに基づく、無償の奉仕の精神(=創造の源の無限の喜びのエネルギー=助け合いの精神)により強化されます。
絆・リンクが弱くなると、すべてが別々になって、個性・多様性の組み合わせが困難・不能になります。
だから、無限の喜びのエネルギーにつながるためには、見返りを求めない、喜びに基づく、無償の奉仕の精神(=助け合いの精神)が必要なのです。
それが、ひとつなるもの=すべての本質なのです。
助け合いの精神による絆を強くすることによって、無限の喜びのエネルギーとつながることができます。
個人の視点から視た場合、絆・リンクを強化するとは、男性エネルギーと女性エネルギーの融合を強化することになります。
個性・多様性を組み合わせる(=リンクさせる)ことが創造する(=豊かさを生み出す)ということですから、創造の源-・・・・・-オーバーソウル-魂-霊体-精神体-感情体-肉体のつながり(=リンク)において、つながりが弱くなっている、個人の精神体の受動的マインド(=女性エネルギー)と能動的マインド(=男性エネルギー)の融合を強化することによって、創造の源までのつながりを強化することができるのです。
創造の源と魂の意志に、個人のすべてをゆだねるというと、自らの個性を無くしてしまう、自分が無くなってしまうことになるのではないかと恐れる方がいらっしゃいますが、ゆだねるとは、つながり・リンクを強化することによって、個性・多様性の組み合わせによる豊かな創造を可能にすることであり、個性をなくして、つながり・リンクを無くすことではないということを理解していただきたいと思います。
ゆだねるとは、つながりの輪の中から外れることではなく、その逆の、弱くなっているつながりを強化する、回復することです。
自分には自分が生きて行けるだけの十分なものが与えられていないという恐れから、精神体の能動的マインド主導で、自分で自分を守ろうとすることによって、精神体の受動的マインドとの融合が弱まり、その結果、個人から創造の源までのつながり・リンクを弱めているのです。
精神体の受動的マインド(=女性エネルギー)と能動的マインド(=男性エネルギー)の融合(=リンク)が弱くなると、高次の自分と低次の自分とのつながり・リンクが弱まるのです。
すべて(=個性・多様性)の組み合わせにより、本当の自分(=豊かさ)が創造されるのですから、精神体の能動的マインド(=男性エネルギー)主導により、肉体的・物質的な自分だけが、自分のすべて(=つながりとなるもの・絆)であるという思い込み、形への囚われがあると、恐れから自分で自分を守ろうとして、肉体的・物質的なものを奪い合う、殺し合いの精神が形作られるのです。
無限の喜びのエネルギーが、すべての本質(=ひとつ)です。
喜びのもとには、すべてがひとつ(=本質)となるのです。
本来、存在するものすべてが、見返りを求めない、喜びに基づく、無償の奉仕の精神(=助け合いの精神)を持っています。
だから、逆を言えば、見返りを求めない、喜びに基づく、無償の奉仕の精神(=助け合いの精神)を持てば、そのつながり・リンクにより、無限の喜びのエネルギーにつながることができます。
そこへのつながりは、助け合いの精神によりできます。
殺し合い、潰し合い、独占(排除)し合いの競争の精神では、そこへはつながれないのです。
創造の源と魂の意志に、自らのすべてをゆだねることによって、強化されるつながりの中で、個性・多様性は殺されるのではなく、生かされるのです。


