RYUの生き方、逝き方 -10ページ目

24時間テレビとWe Are The World

YAHOO!知恵袋の質問から転載。


24時間テレビは何故ギャラが支払われるのにチャリティ番組として放送しているのか?

今週末に毎年恒例の24時間テレビが放送されますが、この番組ってチャリティーですよね?

海外のチャリティー番組はハリウッドスターや歌手達もノーギャラで出演してますが、24時間テレビって

ギャラ支払われているらしいじゃないですか…

人から金集めるだけ集めておいて出演者は一銭も出さずギャラをもらう

おかしいと思いませんか?

寸志程度だったらまだ納得いきますが、2億とも3億とも言われているじゃないですか…

それに感動の押し売りというか、障害者を見せ物として扱っているように思えもします。

みなさんはこの24時間テレビについてどう思いますか?







ちなみにWe Are The Worldは、参加アーティスト

アル・ジャロウ
ウィリー・ネルソン
ウェイロン・ジェニングス
キム・カーンズ
クインシー・ジョーンズ(プロデューサー及び指揮)
ケニー・ロギンス
ケニー・ロジャース
ジェフリー・オズボーン
ジェームス・イングラム
ジャッキー・ジャクソン
シンディ・ローパー
シーラ・E
スティーヴィー・ワンダー
スティーブ・ペリー
スモーキー・ロビンソン
ダイアナ・ロス
ダリル・ホール&ジョン・オーツ
ダン・エイクロイド
ディオンヌ・ワーウィック
ティト・ジャクソン
ティナ・ターナー
ハリー・ベラフォンテ
ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース
ビリー・ジョエル
ブルース・スプリングスティーン
ベット・ミドラー
ポインター・シスターズ
ボブ・ゲルドフ
ボブ・ディラン
ポール・サイモン
マイケル・ジャクソン
マーロン・ジャクソン
ライオネル・リッチー
ラトーヤ・ジャクソン
ランディ・ジャクソン
リンジー・バッキンガム
レイ・チャールズ
プリンスにも出演を頼んだが、トラブルに巻き込まれ収録時間に間に合わずキャンセルされたためマイケル・ジャクソンが二回ソロを歌っている。なお、プリンスはアルバムには楽曲を提供し、自らのアルバムを競合を避けるため発売を延期した。





売り上げとランキング [編集]

1985年当時、アメリカ国内だけでシングル400万枚、アルバム300万枚を売り上げた。最終的にはアメリカだけで750万枚のシングル(7インチと12インチ版が用意された)が売れ、シングルとアルバム、ビデオの合計で6300万ドルの収入となり、すべての印税はチャリティとして寄付された。




日本の常識、世界の非常識とはよく言ったもんだと思う。

RYU


P.S.We Are The World







































白秋

漂泊の思い止まず

漆黒の闇を彷徨う

季節は白秋を迎え

ただただ静寂の湖水に佇む

湖水には落ち葉がしんしんと紋様を刻み

鋭利な風はすべてを枯らしてゆく

時は止まりすべてを描写して露光する

RYU
























デートは女性を食事で幸せな気分にすれば概ね成功だ

「デートは女性を食事で幸せな気分にすれば概ね成功だ」と思う。

だからお気にの女性がいれば、彼女の「食」の嗜好を徹底的に聞くことにしている。

皆さんのブログを拝見していても「食」に関する記事は女性が圧倒的に多い。

それだけ女性にとって「食」というのは、おろそかに出来ない大事な儀式なのだろう。

これは今後大脳生理学の発達とともに、解き明かされていく分野だと思う。

ところで「食」に関する記事を読むといつも羨ましくなる。

好きな食事を好きなだけ食べられるという事は、それだけで幸せな事だ。

俺は好きなものは、基本的に肉関係だが、いつも腹6分目ぐらいにセーブする。

好きなだけ食べると最近太ってくるのだ。

20代はどんなに食べても太らなかった。

基礎代謝が高かったせいだろう。

30歳を境に好きなだけ食べると体重が増加し始めた。

だからといって低カロリーのものを、好きなだけ食べるより、好きなものを、セーブして食べる方が性に合っている。

でも蕎麦は大好きで、俺なりにこだわりがある。

でも天ざるを頼みたいところを、ただのざる蕎麦にするのは、結構辛い。

ある意味万年ダイエッターだ。

でも男は男で自分を磨き続けなければなければならないと思う。

また格好いい歳のとり方をしたいとも思う。

RYU
















彼女を失ってみて、彼女の不在がボディブローのように効いてきた

あと2日で8月31日だ。

カレンダー的には夏が終わる。

夏の終わりになるといつも思い出す事がある。

初夏に別れた彼女がいて、別れは2人で決めた事だったが、

彼女を失ってみて、彼女の不在がボディブローのように効いてきた。

その頃俺は20代で苦楽園でCAFEを経営していた。

いつもは閉店時間になると、スタッフと一緒に店を出るのだが、

8月31日は、スタッフを先に帰し誰もいない店内でカウンターに座り、

有線で矢沢永吉の「ひき潮」をリクエストした。

数曲後に聞き慣れたバラードが流れてきた。

「さらば夏よ、つらい恋よ、あなただけは幸せに、、、、」ーーーーーーーーー

あの時の「ひき潮」は滲みた。

不覚にも落涙しそうになった。

今思えば女々しいヤツである。

毎年この時期がくると思い出す青く切ない記憶だ。

RYU
















疵(きず)

男と女は皆もともと1つのピカピカ輝く綺麗な球体で、時間軸を超越して漂っていたという神話がある。

それを邪(よこしま)な神が、欲しがり球体に触れた瞬間、球体は割れ2つに分裂してしまった。

怒った神は、お互いを見えなくした。

分裂した球体には、急に「ソウシツカン」というものが宿り、以来欠けた2つの球体のカケラは、もとの輝く球体に戻ろうと、見えない相手を探し始めた。

だから男も女も欠けているのだ。

その欠けを補完しようとある者は「依存」に走る。

ある者は相手を探し続ける。

相手を探し、1つの輝く球体に戻ろうとしている行為が、SEXならSEXもまんざら悪くない。

SEXして輝く1つの球体に戻れた人はある意味幸せである。

ある意味と言ったのは、「愛すべき対象を得られたという事は、つまりいつかくる何年の何月何日に、また自分の世界の半分が、引きちぎられる苦痛にたたき込まれという約束を、与えられたことに他ならないからだ。」by 中島らも

以前にも書いたが、幸せな人とは、「人間は最後は1人である」という絶対真理を、なるべく感じないで生きられる人を言うのだ。

RYU


















確かにこれほど横文字が多い業界も少ないのではないかと思う

慣れてしまっていたが、最近友人に「あまえの業界横文字多いよな」と言われ考えてしまった。

確かにこれほど横文字が多い業界も少ないのではないかと思う。

1つの典型的な仕事の流れは、「クライアント(顧客企業)」がCMを作りたいとする。

まず広告代理店数社を集めて「オリエンテーリング」を行う。

どういうCMを作って欲しいか、全社に説明するわけだ。

そして各代理店が「プレゼンテイション」を行う。

自社の企画の「コンセプト」を「マーケティング」の結果をまじえて訴えるのだ。

そこでまた横文字に応酬となる。

うちの会社は広告の他に「グラフィックデザイン」もやるので横文字はさらに多くなる。

またクライアントが「イメージガール」を求めていたらモデルの選別は「コンポジション」を見ながら考える。

新人が欲しい時は「オーディション」を開く時もある。

横文字だらけだが、入社してしまえばすぐに慣れる。

ちなみに俺は会社の代表の他に「コピーライター」でもある。

今日も午後からコンペでプレゼンだ。

RYU


















だから男は哲学、芸術、文学などで暇つぶしをしていたともいえる

魚のアンコウのオスというのを、ご覧になった事があるだろうか?

あのチョウチンのついたばかでかい魚だが、我々が鍋にして食べているのはみんなメスである。

ではオスはどこにいるかというとメスの何百分の1の大きさで、受精の大任をはたしたあとはメスの身体にへばりついて、そのうち皮膚ごとメスに同化してしまうのだそうだ。

百獣の王ライオンにしても、1日中寝っ転がってアクビをしている。

狩りをして獲物をとってくるのはメスである。

子供の世話もメス。

ではここ1番という緊急事態、外敵がテリトリーに侵入してきたときに、オスが獅子吼(ししく)して立ち上がるかというとそうではない。

敵を追い払うのもメスである。

こうやって海から陸までオスの生態を見てみると、「オスというのは生殖のこと以外に関しては基本的に無価値な存在なのだ」という生物学的考えが妙に信憑性をおびてくる。

だから男は哲学、芸術、文学などで暇つぶしをしていたともいえる。

暇な男の最悪な暇つぶしが戦争だ。

女が戦争始めた事例はない。

だから女性の子育ては、哲学、芸術、文学を凌駕(りょうが)する程尊い事なのだ。

子育ては義務でなく権利なのだ。

俺は1度だけ命がけで愛した女性と肩をならべて眠ろうとする時、「このまま小さく小さくなって彼女の子宮で眠りたい」という不思議な子宮回帰の願望をもったことがあるが、それを思うと次はアンコウのオスに生まれ変わるのも悪くない。

RYU
















今の自分は幸せかもしれないが、幸せに暮らしていると自信をもって言えない人は多い

今の自分は幸せかもしれないが、幸せに暮らしていると自信をもって言えない人は多い。

今の自分(の生き方)に対する不満や苛立ち、漠然とした不安や寂しさ、などを意識した時に、もっと幸せになりたいと思う人は「自分がわからない」と自分探しを始める。(引用)

実はこれが迷宮の入り口なのである。

追いかければ追いかける程、遠のく自分。

深まる苛立ち。

自分というドアを1つ開ける事に、またドアがある。

このドアはアンフィニに続く。

結局何が自分なのかは、分からないという事が分かって自分探しの旅は終わる。

俺は今まで自分探しで本当の自分を見つけたという人に会った事はない。

自然を意識する程不自然な事は無いのである。

RYU







































意志と感情の相関性

意志が、

味方になると、

不思議と、

感情が、

敵にまわる。

RYU




















心臓の呟き(再)

ふっとーーーーーーーーーーー(そんな感じだった)気がつくと、俺の心臓は何かしら同じ言葉を繰り

返し繰り返し呟き続けているのだった。

思い出そうとしてみたが、なかなか出てこない。

そんな平凡な言葉なのだ。

平凡な感じのーーー、ありふれた言葉ーーー。

やっとーーーーーーーーーーー(本当にそんな感じだった)思い出す事ができて安心した。



その言葉とは、

ーーー静かにーーー

という形容詞に過ぎなかった。

無意識のうちに、俺の心臓はそんな呟きを繰り返していたのだった。

ーーー静かにーーー静かにーーー静かにーーー。========-

そして、本当は、それに続くもう一言が、当然の如く略されているのを、俺は知っていた。

ーーー静かにーーー静かにーーー静かに死にたい。ーーー

それが、俺の疲れた心臓の切実な祈りだったのだ。

RYU