高峰秀子のファンであります。前回の「二十四の瞳」と、先回の「喜びも悲しみも幾歳月」の映画は、いずれも彼女が主演しているほか、別の共通点もあります。どちらも松竹映画で、木下惠介監督。時代もほぼ同じ。田村高広が出ている(ソンキ役)。彼は京都出身でイントネーションが西日本風。淵田美津雄は奈良の人で、「トラトラトラや」と、言うてはりました。
この灯台守の映画も私の生まれる前の作品ですが、DVDで観ることもできるし、まだ小さな子供のころTVドラマで見ておりましたから、主題歌も好きです。主要業務は、妻と二人で沖ゆく船の無事を祈って灯をかざす。
いま日本の灯台はすべて無人操業です。私が最後に登ったのは、犬吠埼灯台だ。絶景なり。なぜか知らないが、地名は「岬」で、灯台は「埼」でなければならない。それにしても、犬吠とは凄みのある地名です。ガダルカナル島のクルツ岬(Point Cruz)は十字架? 似てなくもない。
所轄の官庁は海上保安庁ですが、海保は戦後にできた組織。戦前戦中は、運輸当局が主管していたのだろうか? 東北の第二管区海上保安部のウェブ・サイトがあります。その名も「みちのく灯台物語」。
このサイトの「塩谷埼灯台」(福島県いわき市)の項に、当時の塩屋埼灯台長の夫人”田中きよ”さんが雑誌「夫人倶楽部」に寄稿した手記「海を守る夫とともに20年」が、この映画の原作であると紹介されています。さて、本日は映画の趣旨には沿いますが、ストーリーからは離れます。
サイトでは塩谷埼灯台の上の欄に、「金華山灯台」(宮城県石巻市、これは岬ではなくて島にある)の解説がありますが、文中に「戦災では,潜水艦による砲撃で被弾し施設に甚大な被害を受け,灯台長が殉職しています」とある。
いつだったか雑誌か本で、灯台守の戦争中の被害について綿密に調べ上げた資料を見た覚えがあります。艦砲射撃あり、空襲あり。なにせ灯台は目立つし、敵には軍事施設に見えるだろう。おおぜい亡くなっていますが、軍人軍属ではないから「殉職」です。
この映画は、戦中から戦後にかけて、主人公夫妻が各地の灯台に転勤してゆきます。このうち私が行ったことがあるのは二つだけで、去年の観音埼灯台と、子供のころ何度か連れて行ってもらった静岡の御前埼灯台です。御前埼だけ映画に二回出てくるのは、木下監督が静岡の人(浜松出身)だからだ。推定です。
横須賀市のサイトより、沖ゆく船と観音埼灯台
映画は観音埼灯台が最初の職場です。この映画は異動する度に、和暦が字幕で表示され、併せてその年に起きた出来事が示される。観音埼は昭和七年(1932年)、上海事変。御前埼は昭和二十年(1945年)で、ようやく玉音放送が流れ、笑顔が戻り、灯台に施してあった迷彩を剥がし、燃やしている。
ちなみに、太平洋戦争の開戦は、佐渡島北端の弾埼灯台に赴任した年。「はじきさき」という名の響きも良いし、ここに灯台を置かずして、どこに置くかという位置にある。昨年、新潟に行ったとき、これを目指して白く大きなフェリーが南下しておりました。それにしても先ほどから、出てくる場所が、ガダルカナルに部隊を送った土地が多い。
十五年戦争の期間は、昭和六年(1931年)の満州事変の勃発(盧溝橋事件の発生)を起点とします。あえていうと、満州事変は万里の長城の外で起きた、二国間の戦闘ですが、翌年の上海事変は中国沿岸地帯のど真ん中にある国際都市で、欧米が租界(なわばり)を置く危険な場所で起きた。
しかも、満州事変は日本陸軍の戦いですが、上海では海軍まで出てきた。これでは、先着組の帝国主義が黙っているはずがない。日本はここから、植民地分捕り合戦に参戦して、第二次世界大戦に至る。
上海事変にスポットを当てている作品は、最近もう一つ観ており、ジブリのアニメ「風立ちぬ」。堀越二郎が航空機の軽量化に苦心している中、取り寄せたジュラルミンをくるんでいる新聞紙に上海事変の記事が出ている。まだ多くの日本人にとっては、対岸の火事だったかもしれないけれど、振り返ればこのとき長い戦争が始まったのだ。
これも灯と台
アメリカが中国での利権に高い関心を示していたのは、例えば「ハル・ノート」でも明確です。直前の仏印進出が引き金だったとされているが、この脅迫状には「日本は中国およびインドシナより、陸海空および警察の武力を引き払うであろう」とある。イェール大学のサイトより。
結果的には戦後、日本は引いたが、アメリカも横取りできなかった。ともあれ、ガダルカナルの段階では、まだソ連はドイツと戦いはじめたところであり、太平洋の反共色は終戦時よりは薄く、米国は引き続き中国が金蔵に見えていたと思う。ならば、日本が手放すまで米軍は本気で攻めてくる。あのロデオの国を相手に持久戦とは、見通しが甘かったかもしれない。
映画にも出てくるが、灯台守は夜勤が欠かせず、暴風雨の日が繁忙という厳しい仕事。長い休みも取れますまい。これに戦争が重なったら大変だ。空襲警報や灯火管制のときは、どうしていたのだろうか。
なお、サイパンやトラック(現チューク)には、今も日本軍の旧灯台が残っている。そのころは誰が守っていたのだろう。裏方の記録は、なかなか残らんなあ。テニアン島にもあったらしくて、写真だけ見たことがあります。何はともあれ、この映画はぜひご覧ください。カラー時代に入っており、海が青い。
(おわり)
館山の洲埼灯台。宿のお方に、晴れれば富士山が見えると言われましたが雨だった。
(2019年4月27日撮影)
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