医師の生命観/著者不明
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生と死の省察     

 

                    新福尚武



少し考えてみるとわかるように、

われわれが死について知っていることは、すべて他者の死からである。


そして、他者の死は、

どんなに愛するものの死であろうと、

どんなに人間的に接したものの死であろうと、

畢竟、他者について観察される客観的変化である。


そして悲嘆にくれ千々の思いに慟哭しても

いやそうすればそうするほど、

生者は生者の世界に、死者は死者の世界に引き離され、

生者の世界と死者の世界との隔たりはますます拡大するだけで、

そこに絶対無限の断絶のあることを知らされるのみである。


死を悼み、死者に訴えることが多ければ多いほど、

かえってよそよそしく、そらぞらしく感じられることがあるが、


それは、感情の高まりは、それが増せば増すほど、

生の緊張を増し、死者の世界との隔たりをいよいよ大きくするからである。


だから場合によっては、

それが生者の独りよがりでしかないと感じられることさえある


ともかく、死を考え、死に迫ろうとすればするほど

死から遠ざかるという、このパラドキシカルな関係こそ、

私の死の探求の原点である。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー








死は、本能的に恐ろしいものだと思いますが、


かといって、本能が感じるままに、感情のままに捉えても、


それは、本来の死を見つめることにはならない。



これ、なんとなく分かります。



病気で言えば、


病院にいくのを嫌がる人や、検査を受けることを避けようとする人、


悪い病気だったら大変だから、という恐怖から、


現実に向き合うことを避けてしまう。



(私も、最近、歯が痛むのですが、怖くて歯医者に行けてません・・・)



現実を、正確に把握するためには、


ある意味、感情を抜きにして、


ときには冷酷なほどに、ありのままを見つめる必要があります。



死への恐怖が、


  死んだら無になる、


  死んだら天国に、


  死んだら地獄なんじゃ、


などなどの憶測を生みますが、いずれもハッキリしないまま。



感情的にならずに死と向き合うことは、かなり難しいことだとは思いますが、


思い込みや希望、願い、感情の高ぶりなどは置いといて、


冷静に、論理的に、自己の現実を素直に見つめる必要があるとおもいます。



そういう意味では、まだ元気なうちに考えておくことが大事かと思えます。


今の内に。













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人にウケる生き方よりも、自分にウケる生き方を




私たちは、常識に縛られていないようで、

実はけっこう縛られているものです。


それは、自分の作った哲学で行動してみればよく分かります。

常識に従って生きていれば、

世間にウケもいいですし、素人目には教養人に見えます。

今は省エネが常識ですが、

ほんの数十年前までは、国家をあげて「消費は美徳」を謳っていたのです。

常識とは所詮、そんな節操のないものです。


そんな常識を崇めているだけの人と一緒にいても、

何も学ぶことはありません

そもそも、一緒にいてもつまらない人たちです。

ちょっと考えれば誰でも言えるようなことを

もっともらしく言っているだけのことです。


自分の美学を貫くことは、現代社会においては容易なことではありません。


なぜなら前述しましたように、

逆さまに見える人が大勢いるからです。


ホンモノがニセモノに純粋なものが不純に見えるのです。


だから、純粋に生きれば生きるほど誤解させやすくなりますし、

また無理解や嫉妬による意地悪に苦しめられることが多くなるからです。


誇りを持って自由に生きているからこそ嫉妬されるのです。


人の誤解や嫉妬ほど怖いものはありません。


しかも当人は自分が嫉妬していることも認めませんし、

正義感で意地悪をするのです。


しかし、それにめげることなく、

人にウケる生き方ではなく、自分にウケる生き方をしていると、

必ずいつか共鳴してくれる人が現れるものです。


そこが人生の不思議なところです。


昔から「徳孤ならず、必ず隣有り」と言うとおりです。


密かに陰徳を積んでいる人が、必ずどこかにいます。

それが世の中というものです。


世の中には、自分で美学や哲学を作れる人と、作れない人がいます。

こういう人は、自分の美学でものごとを判断しようとせず、

世間の常識を持ち出して判断しようとします。


「いい男」になりたいと思う人は、

自分で美学や哲学を作れる人です。

いえ、作らないと、自分らしく生きられない人です。

だから、作らないといけません。


でも、心配は要りません。


赤ちゃんにベロベロバーをしてウケる人は、

自分で哲学を作れる人です。



もし、作れないとしたら、

それはあなたが作ろうとしないからです。


作れないのではなく、作らないのです。


(中略)



繰り返しますが、

自分の可能性を信じた者だけが自分の能力を引き出すことができます。


そして、真実とともに生きた人だけが自分を信じ切ることができます


自分を信じた者だけが人と信頼関係を作ることができるのです。


自分を頼ることのできる人だけが人を頼る勇気を持つことができるのです。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


自分にウケる生き方を。。。


自分で自分のことを好きでいたいですからね。



自分にウソはつきたくありませんし。


自分の気持ちを誤魔化しながら生きていくのも残念です。



自分にウケない生き方は、


他の人にも、本当の意味ではウケないでしょうし、


たとえ世間受けしても、なんか虚しくなりそう。



自分の生きざまに誇りを持てるような生き方をしたいものです。




「 自慢はよくないが、矜持を持て 」


私の祖父の教えです。



※矜持 : 誇り、自負、プライド




うちのじいちゃんは、かっこいいんす。


米寿をむかえても、まだ元気だし。


一人前の医師になるのを見届けてもらわないとです。






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威厳のある人が智恵者とは限らない




精神的指導者は、

すぐれていればいるほど、理知的な顔はしていないものです。


どこにでもいるような、人の良さそうなオジサンという感じです。


自分を受容し、他者を受容して生きていると

威厳のある風格というよりは、親しみやすい風格になるからです。


人を受け入れる大きな器のある人でなければ、智恵者にはなれません。


これまで繰り返し述べてきましたように、

赤ちゃんにベロベロバーをして受ける人でないと智恵者にはなれません。


人を受容し、人を愛し、

人の幸せを願った者だけが、真の智恵を獲得できるからです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




器の大きさを計る、一つの物差しとして、


「赤ちゃんにベロベロバーをして受ける人」


というのは面白いですね。



まあ、赤ちゃんにも嫌われてしまうようでは、


精神的指導者にはなれなそうです。

器の大きさとは、


人の喜びも、悲しみも、幸せも、苦しみも、


色々なことを受け止め、願えるだけの心の大きさ。



自分の事だけで一杯一杯で溢れてしまうのでは、


他人の幸せを願うことはできないですからね。



いい意味での余裕や、スキを持ちつつ、


どっしりと、静かに構えていられるような医者になりたいです。











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つねに非常識が次の時代をつくってきた


ちょっと考えてみれば明らかですが、

科学や技術はもちろんのこと、

私たちの世の中は、常に過去の常識を壊しながら現在に至っています。


非常識なことが次の時代をつくってきたのです。

(ただし、それがいいことだったかどうか、という価値判断は、ここでは問いません)。


保守的な人はどの時代にも圧倒的多数の存在として君臨して、

新しいものの出現を妨害するのです。

何十年かしないと、妨害だったのか智恵のある制止だったのかは、

判断できないことが多いのです。


困ったことに、保守的な常識人は、

妨害しているという自覚はまったくありません

むしろ、いい決断と判断をしたと信じ切っています。

反省もしません。

常識という借り物でものを考えているのに、

人のふんどしで相撲を取っているおのが姿に気がつかないからです。


そういう人が、したり顔で人に説教したがる人です。

自分独自の哲学や美学を持っていないという不安

人を説教マンにさせるのです。

でも、自分独自の哲学がない人ですから、

当たり前のことしか言わないし、

情けないことに、

「そんなことでは世間では通らない」

「世間の人に笑われる」

「世間から批判を受けてしまう」と、

世間の目ばかりを気にした発言をします。


聞いている方がウンザリします。

今どき、中学生でもそれくらいの常識は知っています。

知っていることを重々しく言われてもシラけるだけです。

(中略)


常識人は、人からの批判を恐れて、決断をしない人です。

いえ、恐くて決断できないのです。


自分の責任でモノを言うことが出来ない人です。

自分で責任をとれないは、何かコトが発生したら、

必ず「逃げる男」になります。


いいことが発生すると、自分が関与したと主張しますが、

悪いことが発生すると、要領よく逃げる人です。


あくまでも常識に身をゆだねることでしか人生を考えない人なのです。

そういう意味において、

常識の盲点をついた「金持ち父さん 貧乏父さん」という本は、

たいへん興味深い本です。

私はお金儲けには興味はありませんが、

「幸せ父さん 不幸父さん」あるいは

「常識に惑わされない父さん、常識にすがりつく父さん」

と改題してもいいような内容です。

一読すれば、私たちがいかに常識に惑わされているかがわかります。

常識を参考にして生きるのはいいですが、

常識にすがっていると、人は幸せになれません。


もうお分かりですね、

常識家というのは、実は最後まで責任をとれない人の事なのです。


そして、偉そうなことを言うわりには、

いざというとき、あなたのために一肌脱いでくれない人です。


当然のことながら、こんな人にデカイ仕事はできません。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「竜馬がゆく」を読んでいると、常識にとらわれない発想の大切さと、


常識を自負する人が、それをつぶそうとするということが、


よく分かります。


常識は、将棋などでいう「定石」みたいなもので、


一応は知っておいた方がいいけれども、


あくまで現場では、臨機応変な対応が必要であり、


一人ひとりの患者さんに対して、


常識と言う名のマニュアルみたいな対応しかできないようでは、


残念です。



自分の頭で考え、自分の人生の問題として受け止め、


一人の人間と、一人の人間との対峙を心がけたいものです。






◆関連記事  金持ち父さん 貧乏父さん(まとめ)


(1)正反対のことを言う 「金持ち父さん」と「貧乏父さん」


(2)人間には二種類ある

(3)恐怖と欲望が仕掛ける人生の罠


(4)感情に支配されず、頭でものを考える

(5)無知が恐怖と欲望を大きくする

(6)鏡を見て 己を知る


(7)忙しい人が一番の怠け者


(8)無知を隠すために傲慢になる














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英雄体験を妨げるもの(2)

  ――人の痛みがわからない


英雄体験をするのを妨害する要因がもうひとつあります。

これが欠けている人には英雄体験は難しいという項目です。


これは、思いやりの心です。

相手の心の痛みがわかる、ということです。

これがまったくできない人がいますが、こういう人は英雄体験をすることは出来ません。


たとえば、くわえタバコです。

歩きながらタバコを吸う人、

自転車に乗りながらタバコを吸う人、よく見かけますね。


くわえタバコをしている人の大多数は、

吸い殻を道路にポイと捨ててしまいます。

無神経な男性の典型です。


くわえタバコをすることが悪いのではなく、

人の迷惑を考えないことが問題なのです。

携帯用灰皿を用意しない無神経さが問題なのです。


こんな実話があります。

ある男性が人ごみの中で、ぶら下げた手にタバコをもっていました。

近くにいた三歳の少女が振り向いた瞬間、

少女の目にタバコの先端が当たってしまったのです。

大人の指の位置と、子どもの目の位置が等しいのです。


そのため、当然のことながら、こういう事故は起こるべくして起こります。

かわいそうなことに、その少女は両目とも失明してしまいました。


これほど悲惨でなくても、

手に持ったタバコが他人の腕に当たってやけどをさせるとか、

服に当たって穴を開けるという事故はよく聞きます。

私もYシャツを焦がされたことがあります。

誰でもがこのような事故を容易に予測できるものですが、

それでも人混みの中で平気でタバコを吸える無神経さが問題なのです。


こういう、人の痛みに思いを馳せることが出来ない人は、

英雄体験をすることは出来ません。


人を思いやることが出来るかどうかではなく

あくまでも、思いやろうとする心がないことが問題なのです。


人の痛みがわかり

人を思う気持ち(=人の幸せを願う気持ち)があれば、

くわえタバコをしたり、ポイ捨てをすることはありません。

繰り返しますが、くわえタバコがいけないのではありません。

誰にも迷惑をかけないところで吸うのはもちろんかまいません。

吸い殻を持ち帰る気遣いがあれば、何の問題もありません。


傍若無人な態度が問題なのです。


人と人とが仲良くやっていくためには、

相手の事情や都合を尊重することが大前提です。


それが思いやり、というものです。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


実際に、相手の心が分かるかどうかは、

また別の問題として、


まずは、相手の心を想いやろうとすることが大事ですよね。



問われているのは、心であると。



すべては、心から始まるとおもいます。



Where there is a will, there is a way.

とも言われますし。






■関連記事



人を憂へる、人の淋しさ、侘しさ、つらさに敏感な事、

これが優しさであり、また人間として一番優れてゐる事ぢやないかしら。


  太宰治 (河盛好蔵にあてた手紙)







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挑戦し続けることが大事




転職をする場合、注意しなければならないことが一つあります。


それは、

どうせこんな会社に履歴書を送っても自分のようなものを採ってくれるはずがない、

こんなことをしても実現するはずがないと、

行動を起こすことをやめてしまうことです。


どうせこんなことをしてもダメにちがいない・・・という

ひねくれた発想をすると魂が汚れてしまうからです。

会社案内をみてピンときた会社、あるいは、入りたいなぁと思った会社は、

全部に応募することです。

挑戦し続けることが重要なのです。


なぜなら、魂は、

チャンスがあるのに何も行動しないということだけでも汚れるからです。

人は、応募し続けることで、

つまり未来の幸福に向かって挑戦し続けることで誇りが保てるのです。



ダメでもともと、という発想で、

いいと思ったことはどんどんやり続けないと、たちまち魂は汚染されてしまうのです。


男性は常にチャレンジャーであり続けなければならないのです。


挑戦をやめた瞬間から、魂は腐っていきます


こんなことがオレにできるわけがない、と思った時点で負けが決定してしまうばかりか、

魂も激しく汚染させてしまうのです。

自分の能力や自分の未来を信じ切れた者だけが

自分の能力を引き出すことが出来るのです。


自分の能力というのは、本来未知なる能力です。

能力が開花する前に、

「たいした大学を出ていない自分に、こんなことできるわけがない」とか

「今まで誰もやったことがないのだから、自分にできるわけがない」と思ってしまったら、

永久にその能力は開花しなくなります。


隠された未知の能力の存在を信じ続けた者だけが、

試行錯誤の末に掘り当てることが出来るのです。

それが、未来が拓けてくる、ということです。


人生に「棚からぼた餅」はありません。

努力した分しか実りません


逆に言えば、おのれの誇りのために努力したことは全部報われます。

誇りが持てる、という意味では、自分のした努力はすべて実ります


(中略)

チャレンジャーであり続ける自分に誇りが持てるようになったら、

たとえ自分が失敗したときでも友人の幸せを祝うことは可能です。


ここが人間の不思議なところです。


むしろ、悦びを分かち合うことで、元気や意欲が出てきます



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー





挑戦し続けること。



安西先生(SLUM DUNK)の


「 あきらめたら、そこで試合終了だよ 」


を思い出します。



未来の幸福を信じ続けること、


生きることの大切さ、


命の意味、生命の尊厳さを信じ続けることが、


医者にとって、やはりとても大事なことだとおもいます。




 











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英雄体験を妨げるもの(1)

 ――自分のウソを認めないこと


英雄体験をするために、

これだけは絶対にしてはいけないという大前提が二つあります。


一つは、無私の愛(見返りを期待しない愛、純粋な愛)信じないという、

人間不信の態度です。


換言すると、

自分の親以上に自分を愛してくれる人なんているわけないさ、

斜に構える態度です。

こういう人間不信の目で世の中を見たら、キレイなものも汚く見えるからです。

純粋な人や純粋な愛に出会ってもニセモノに見えてしまうのです。


困ったことにこういう人は、

自分が人間不信の人である事実を認めません


不信があるのにないと言い張っている人ですから、

世の中が逆さまに見えてしまいます


たとえば、親切を受けてもイヤミとして受け取ります


イソップ物語の「すっぱいブドウ」に登場するキツネと同様、

「フン、どうせすっぱい愛に決まってるさ!」とニセモノ扱いします


言い訳というウソ自分についているのにそれを認めないで、

相手がウソをついているように見えるのです。


相手がホンモノであればあるほどニセモノに映ります。


(中略)


こういう不信の人の特徴は、

ホンモノの愛を見た時、妙にイライラしたり、気分が悪くなったりすることです。


忘れようと思っても気になります。

もし、それがニセモノだったら、イライラもしませんし、クールに無視できます。

すぐ忘れてもしまいます。


でも、それができずに、わざわざアラ探しをしてまで批判したくなるのは、

無意識の世界ではホンモノだと認知しているからです。


でも、当人はニセモノだからイライラさせられているのだ、と

思いあがった解釈をしています。


そして、真実の愛を受け取っている人を見ると、

悔しくなってそれはニセモノだよと言ってやりたくなるのです。


余計なおせっかいですが、当人にはその自覚はまったくありません。

教えてあげるのが正義だと思っているからです。


なぜ、素直にホンモノをホンモノと言えないのでしょうか。

もし素直になったら、

「無償の愛が存在しないのではなく、

 自分が不信の人だから受け取れないだけなのだ」

という真実が自分にバレて傷ついてしまうからです。


自己欺瞞している分だけ傷つきます


真実の愛で行動する人や真実を語る人が、

自分を傷つける悪いヤツに見えるのです。


明らかな逆恨みですが、人間不信の人は真実を恐れるのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

逆にいえば、


恐れるものにこそ、真実が潜んでいる可能性が高い、とも言えるのかもしれません。



そういう意味では、


死生観を重視し、死を見つめていくことは、


やはり人間にとっての、真実の幸せとは何かを考える上で、


避けてはならないことなのだと思います。




自分で自分に対して、不誠実になっていないか、


見て見ぬふりをしていることはあるか、


自分にウソをついて過ごす毎日は、きっと後悔になってしまうとおもいます。



現実を見つめ、真実を信じて生きていきたいものです。







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にんげんをかえせ



ちちをかえせ ははをかえせ 

としよりをかえせ 

こどもをかえせ


わたしをかえせ わたしにつながる 

にんげんをかえせ


にんげんの にんげんのよのあるかぎり 

ずれぬへいわを 

へいわをかえせ




これらのことばは予言のうただろうか?

これらのうたは前兆のことばだろうか?

これらのうたはにんげんがおもいもかけぬ苦しみの記録

またと心に刻まるべきでない悲しみの叫び




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




二度と繰り返してはならない悲劇だからこそ、


その悲しさは、忘れてはならない、という逆説的な教訓。



裏を返せば、


ともすれば、同じような悲劇を繰り返しかねない人間の愚かさがある、


ということ。




またと心に刻まるべきでない悲しみの叫び


があることを、心に刻まねばならないとは、


人間の悲しさを、自覚し、自戒せねばなりません。


人間らしさを失わせる悲劇から、


人間らしくあらねばならないことを教わるのも、皮肉な話です。




それほど恐れられる「死」の恐怖。


原爆がなくとも訪れる、人間にとっての一大悲劇。


その「死」から学ぶべきことは、何があるのか、


常に自らに問うていきたいです。








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女は男のどこを見ているか (ちくま新書)/岩月 謙司
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英雄体験をした人、しない人



勇気というのは、

自分の弱さや呪縛と戦った人だけが、

いざという時に発揮できるものです。


戦った経験のない男性は、勇気よりも恐怖が頭を埋め尽くしてしまいます。

真に勇気ある決断や勇気ある行動をすることは出来ません。



(中略)



男性に必要なのは、現実で使える智恵です。


民話や童話では、魔法をとく、ということで象徴されています。

女性にかけられた魔法をとくカギを男性は握っているのです。

人に必要なのは、こうした体験を通して得た智恵なのです。知識ではありません


ただし、誰がどのくらい呪いをとく智恵をもっているかは、

大学入試と違い、試験でチェックすることは不可能です。

当の男性に聞いても、自分がどれくらい智恵を持っているかはわかりません。

比較のしようがないからです。


しかし、男性の持っている智恵と愛の量が多ければ多いほど、

女性を安心させますので、

女性がどのくらい安心するかを見れば、ある程度は推定できます。


もし、たくさんの問題を解決してきた人なら、

四十歳を過ぎるころから、自分に自信を持てるようになります

仕事に誇りや自信を持っていることは当然ですが、

自分自身に対して自信が持てるようになるのです。

この自信が女性を安心させる原動力になるのです。

男性は本来、英雄体験を重ねることで、心が純粋になっていく動物です。

子ども時代よりもさらに心がきれいになっていくのが本来の人間の姿です。


女性は、純粋な愛で愛されてこそ、

大人になるにつれて純粋になっていくのです。

子どもよりも純粋な大人本物の大人なのです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



老病死の苦しみに悩む患者さんに接するとき、

自分自身も、我がごととして真剣に考えたことがなければ、


辛い思いをされている患者さんに向き合う勇気は持てないとおもいます。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーー


勇気というのは、

自分の弱さや呪縛と戦った人だけが、

いざという時に発揮できるものです。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーー



知識に拘泥するのではなく、


現実に使える智恵、


臨床の現場で生きる智恵を身につけたいものです。



そういう智恵を持てれば、


子供よりも純粋に、人の心を見つめられる大人に、医者になれるのかなと思いました。


そんな医者になりたいです。







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  物情騒然




「お田鶴さま、あなたはむかし、こんな男が好きだとおっしゃったことがあるでしょう」


「どういうことだったかしら?」


「天下がこれを非とするも

 自分が正しいと思えば断乎として往くのが男である、

 そういう男になってもらいたい、ということ」


「ああ」


「わしゃ、それじゃ」



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



自分勝手とは違う、


けれども、誰が避難しようが、断固たる決意で往くのが男。



かっこいいですねぇ・・・。




こういう、信念に生きる人間になりたいです。






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