医師の生命観/著者不明
¥2,625
Amazon.co.jp




生と死の省察     

 

                    菅 邦夫




そもそも、医学が取り扱い得ない事柄であると思う

もちろん、医学は死の事実を追認する。

また生の最後の闘いに患者とともに全力を傾注する。


しかし死そのものと対決するのは
もはや医学以上のものである。


医学がどんなに進歩しても、

生命の統一的機序が

どこで最後の一転を終結するかを予知することはできないし、

またそれに介入することもできない。


これを当然のこととして、

医学が生命や死の前に謙虚にその分を守るとき、

医学はもっとも厳粛な学問として

生命に最高度に仕えることができるのではないだろうか。



生命について考えるための、この上ない方法は、

死について徹底的に考えることである。



ここで、死の最も本質的な意味として、

死において人は全く孤独の世界に移りゆくものであることに思い至るのである。


親兄弟、夫または妻、子や孫、師や友、すべての愛する人たちに永遠に別れて、

絶対的な孤独に帰するのである。

人にとって死の恐怖は、まずさしあたっては、

死に至るまでの肉体の苦痛(他人においては見たかもしれないが、

 自分自身は当然経験したことのないもの)にたいする恐怖であろうが、

それにもまして不気味で底の知れない恐怖は、

絶対的な孤独についての恐怖ではないだろうか。


しかもそれは生前すでに断片的に現れることがある。


死とともに始まる絶対的な孤独の陰影は、

不治の病におかされた人の心の中に揺曳し、

孤独の深淵の断崖から、

明るく健康的な周囲を望見することの苦悩に人を責めさいなむのである。


その苦悩がどんなに深刻なものであるか。

若くして世を去られた稀有の優れた解剖学者、東大・細川宏教授の

魂の叫びに心の耳を傾けよう。



 病者らが横たわる場所からはるかに遠く
 重畳たる城壁に守られて
 健康な人々の社会がある

 そこに溢れる健康と精気
 明るさと躍動の生活
 人々はよく飲み よく食らい
 自信と活力にみちて
 日々の生業に余念がない

 たまたま城壁の畔りに来て
 病者の受難の場を幣(下が目)見する人は
 思わず眉をひそめて口々につぶやく

 「かわいそうに
  相変わらず病人が多いな」

 ・・・・・・・・・・・・・

 病者は黙然として心を動かさぬ

 「無理もない
  この俺だってつい先日までは
  同じようなことを考えていたのだ」

 そして過日
 病気などとは全く無縁なはずのその身が
 突然病者の烙印を打たれ
 健康人の社会から隔離されてしまった

 ・・・・・・・・・・・・・


   (詩集『病者・花』細川宏遺稿詩集、

    小川鼎三・中井準之助編、昭和五十二年、現代社)





人みな孤独であること、そのことを私たちは幸いにも普段は忘れてすごしている。


しかしふとした機会に内省や観照にさそわれるとき

まるで荒涼とした古里を想起するように、

深い孤独感におそわれることがある。


悲しみや失意のときはもちろん、歓びや愉楽の真っ最中にさえ、

思いがけず心の隙間に孤独の想念がふっと忍び込むことがある。


日本文化の特徴とされる「わび」「さび」も、

その本質は孤独の芸術的側面と見なしてよいのではないかと思う。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




孤独と言うのは、


自分との関係の希薄さ、喪失を感じてしまうこと、と言えるような気がします。



健康だった過去の自分と、今の自分のギャップ。


目の前にいる健康な人と、病気になってしまった自分との差異。


もはや、対等ではない関係だと思ってしまうとき、


いいしれない孤独を感じるのかもしれません。



「あの時はよかった・・・」


「本当は私もあんなふうに・・・」


「病気さえなければ、自分だって・・・」



現実と、理想・夢・希望とのギャップの間にあるのが、孤独感なのかと思います。




なればこそ、その現実を直視することが大切になるような気がします。



孤独な現実を見つめることは、それはそれで恐ろしいことではありますが、


これは乗り越えなければならない壁なんだと思います。












人気ブログランキング


にほんブログ村 大学生日記ブログ 医大生へ
にほんブログ村


一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)/石川 啄木
¥420
Amazon.co.jp


悲しき玩具





いつとなく記憶に残りぬ――
Fといふ看護婦の手の
 つめたさなども。




はづれまで一度ゆきたしと
 思ひゐし
かの病院の長廊下かな。




起きてみて、
また直ぐ寝たくなる時の
 力なき眼に愛(め)でしチュリップ!




堅く握るだけの力も無くなりし
やせし我が手の
 いとほしさかな。




わが病の
 その因るところ深く且つ遠きを思ふ。
 目をとぢて思ふ。




かなしくも、
 病 いゆるを願はざる心我に在り。
何の心ぞ。




新しきからだを欲しと思ひけり、
 手術の傷の
 痕を撫でつつ。




やまひ癒えず、
死なず、
 日毎にこころのみ険しくなれる七八月かな。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



自らの限りある命を感じたとき、


ひとのこころは、とても敏感に、繊細になるのだとおもいます。



普段は気付かないような、些細なことにも心がかかってゆく。



「生きている」ということに想いを馳せ、


静かに、穏やかに、深く、重く、いのちと向き合うことになるのだと思います。




そんな方と接する医者に求められる姿勢とは。。。




難しく考えすぎかもしれませんが、


今の内に、がっつりと考えておきたいものです。








人気ブログランキング


一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)/石川 啄木
¥420
Amazon.co.jp


悲しき玩具






人間のその最大のかなしみが
 これかと
ふっと目をばつぶれる。




廻診の医者の遅さよ!
痛みある胸に手をおきて
 かたく眼をとづ。




医者の顔色をぢっと見し外に
何も見ざりき――
 胸の痛み募る日。




病みてあれば心も弱るらむ!
さまざまの
泣きたきことが胸にあつまる。




寝つつ読む本の重さに
 つかれたる
手を休めては、物を思へり。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー








人気ブログランキング


一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)/石川 啄木
¥420
Amazon.co.jp


悲しき玩具





思ふこと盗みきかるる如くにて、
つと胸を引きぬ――
聴診器より。




もう嘘をいはじと思ひき――
それは今朝――
今また一つ嘘をいへるかな。




何となく、
自分を嘘のかたまりの如く思ひて、
目をばつぶれる。




今までのことを
みな嘘にしてみれど、
心すこしも慰まざりき。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



嘘は、結局は、自分の首を絞めるだけ。


わかってはいるんだけど・・・。



人間、追い詰められると、自分を誤魔化すことが出来なくなるのだと思います。




重ねてきた嘘は、取り消すことはできず、


嘘だろうとおもいたい現実は、嘘にならない。








上辺ばかりを撫で回されて
急にすべてに嫌気がさした僕は
僕の中に潜んだ暗闇を
無理やり ほじくり出して

もがいてたようだ

真実からは嘘を
嘘からは真実を
夢中で探してきたけど


         ( Mr.Children ~  Any )









人気ブログランキング



一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)/石川 啄木
¥420
Amazon.co.jp


悲しき玩具





病院に入りて初めての夜といふに、
すぐ寝入りしが、
物足らぬかな。




何となく自分をえらい人のやうに
思ひてゐたりき。
子供なりしかな。




ふくれたる腹を撫でつつ、
病院の寝台に、ひとり、
かなしみてあり。




目さませば、からだ痛くて
動かれず。
泣きたくなりて、夜明くるを待つ。




びっしょりと寝汗 出てゐる
あけがたの
まだ覚めやらぬ重きかなしみ。




ぼんやりとした悲しみが、
夜となれば、
寝台の上にそっと来て乗る。




病院の窓によりつつ、
いろいろの人の
元気に歩くを眺む。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




入院されている方は、


このようなことを、ふと思いながら、


時を過ごされているのでしょうか。



言葉にできる人は、まだいいのかもしれません。


言葉にならない、悩みや孤独を抱えている方の方が、


多いような気がしますので。








人気ブログランキング


思いやりがある女性の行動7パターン
男性に好印象を与える女性像のひとつ、「思いやりのある女性」。自分勝手ではなく、他の人にも配慮する女..........≪続きを読む≫



これは、一人の男としても、興味津々なところではありますが、


【思いやりのある「医療従事者」の行動】と読み替えて、反省したいと思いました。





【1】体調が悪いときに心配してくれる。

男性の体調が悪いとき、心配してあげるパターンです。

会話の中で、体調がすぐれないことを言っていた場合には、

心配していることをメールで伝えることで、

思いやりのある女性という印象を与えることができるでしょう。

「ちょっと風邪気味なんだ・・・」など、些細な会話の中で、男性の体調を察知して、

心配することで、より好印象を与えることができるでしょう。

→まあ、これは王道ですかね。

 あえて医療の現場でも言うならば、検査値などの機器ばかりに目を向けずに、

 患者さん自身の表情や、目をしっかりみて会話をするなど、でしょうか。


 でも、こういうことこそ、心掛けることが大事なのかもしれませんね。

 当たり前のようで、出来ていないこともあるような気がしてきました。






【2】些細なことに対しても、「ありがとう。」と言う。
部屋に入るとき先に通してくれたときなど、

日常的な些細な出来事において、しっかりとお礼を伝えるパターンです。

相手の好意に対して感謝を示すことで、相手も喜ぶでしょう。

相手に気持ちのよい配慮ができれば、「思いやりのある女性」という印象を与えられるでしょう。


→小さなことこそ、その心遣いに気付けるような感性を持ちたいものです。

 体調が悪くて、行動範囲が狭くなっているような方の、

 それこそ些細な行動、ちょっとした一言に、敏感でありたいです。






【3】エレベーターで他の人が降りるまで、「開」ボタンを押す。
複数の人とエレベーターに乗っていたとき、

自分が率先して降りるのではなく、先に通してあげるパターンです。

「開」ボタンを押さずに時間が経過することで、

ドアが閉まり、降りようとしている人に当たってしまう恐れがあります。

降りる人の安全を考え、他の人が降りるまで、「開」ボタンを押してあげることで、

「思いやりのある女性」と思ってもらえるでしょう。

→ちょっと先のこと、その行動をとらなかったらどうなるかを想像する余裕は、

 是非ともほしいものです。

 相手が、今していること、目の前でおきていることだけでなく、

 まだ見ぬ少し未来のことまで思いやる想像力はたくましくなりたいですね。

 相手のために、自分にできることを探し続ける気持ちが大切だとおもいました。





【4】電車で立っている老人に、即座に席を譲る。
電車において、おじいさんやおばあさんが席に座れずに立っているとき、

率先して席を譲るパターンです。

電車で立つことの辛さなど、おじいさんやおばあさんの立場に立った配慮ある行動は、

「思いやりのある女性」という印象を与えることができるでしょう。

→若い自分が、お年寄りの苦労を想像することは、簡単ではないでしょうが、

 だからこそ、思いやりの心が試されるのかもしれません。

 というか、席を譲るのは、敬老の精神の基本のような気もしますが。

 基本こそ大切に。

 即座に、というのは難しいかも、ですし。

 結果的に譲ったとしても、迷いは生じそうだ・・・。情けないけど。 




【5】周囲の人が悪口を言っても、決して悪口を言わない。
周囲に同調することなく、悪口を言わないパターンです。

職場など飲み会において、お酒を飲んだ場合、

普段のストレスから関係者の悪口に発展する場合があります。

そんなとき、悪口を言われる相手の立場を理解して、

悪口を控えることで、好印象を与えることができるでしょう。

→これは、「忍耐」という名の、思いやりですね・・・。

 周りに合わせるのはラクですが、

 思いやりたい人と、目の前で悪口言っている人の間に挟まれる形になるので、 

 けっこう辛いですが、そこはなんとか我慢できるかどうか。。。

 目の前にいる人と、目の前にはいない人。

 相手が目の前にいないときの行動にこそ、本音が表れるのかもしれません。

 

 



【6】男性が酔っ払って帰った翌日、「大丈夫でしたか?」と心配する。
飲み会の翌日に、男性を心配するパターンです。

飲み過ぎたことだけではなく、「終電に乗れましたか?」など

帰り道についても心配することで、「思いやりのある女性」という印象を与えることができるでしょう。

→こういうとき、心配してもらえるとうれしいですからね。

 情けないことがあっても、「それは自業自得でしょ」、と正論を突かれるよりも、

 それも承知の上で心配してもらえると、涙ちょちょぎれます。




【7】コンビニで買い物したとき、小銭を募金する。
コンビニで買い物をしたとき、募金するパターンです。

コンビニのなかには、世界の子どもたちの救済や環境保全、震災の支援など、

様々な募金活動を行っているところがあります。

支援先となる人々の立場を考え、自分ができる範囲の協力をすることで、

「思いやりのある女性」だと思われる可能性があります。

男性とコンビニに行ったとき、当たり前のように小銭を募金してみてはいかがでしょうか。

→広い心、というか。

 分け隔てなく、平等にやさしい、器の大きさみたいな。

 ケチはイカンですよね。


 


とまあ、こんな感想を持ちました。












人気ブログランキング


一握の砂・悲しき玩具―石川啄木歌集 (新潮文庫)/石川 啄木
¥420
Amazon.co.jp


一握の砂





いのちなき砂のかなしさよ
さらさらと
握れば指のあひだより落つ



はたらけど
はたらけど猶(なほ)わが生活(くらし)楽にならざり
ぢっと手を見る




死にたくてならぬ時あり
はばかりに人目を避けて
怖(こは)き顔する




人といふ人のこころに
一人づつ囚人がゐて
うめくかなしさ









人気ブログランキング


なぜ生きる/明橋 大二
¥1,575
Amazon.co.jp


この坂を越えたなら、幸せが待っているのか?





生死輪転の家に還来することは
決するに、疑情をもって所止となす (『教行信証』)


 まず、「生死輪転の家に還来する」から解説しよう。

安心、満足というゴールのない円周を、

限りなくまわって苦しんでいるさまを、

「生死輪転」とも、「流転輪廻」ともいわれる。


家を離れて生きられないように、

離れ切れない苦しみを「家」にたとえられている。

「人生の終わりなき苦しみ」のことである。


 ドストエフスキーはシベリアで強制労働をさせられた体験から、

もっとも残酷な刑罰は、「徹底的に無益で無意味」な労働をさせることだ、

と『死の家の記録』に書いている。


監獄では、受刑者にレンガを焼かせたり、壁を塗らせたり、畑をたがやさせたりしていたという。


強制された苦役であっても、その仕事には目的があった。

働けば食糧が生産され、家が建ってゆく。

自分の働く意味を見いだせるから苦しくとも耐えてゆける

 しかし、こんな刑を科せられたらどうだろう。

 大きな土の山を、A地点からB地点へとうつす。

汗だくになってやりとげると、せっかく移動した山を、もとの所へもどせと命じられる。

それが終わると、またB地点へ……。


意味も目的もない労働を、くり返し強いられたらどうなるか。


受刑者は、ドストエフスキーが言うように

「四、五日もしたら首をくくってしまう」か、

気が狂って頭を石に打ちつけて死ぬだろう。


「終わりなき苦しみ」の刑罰である。


 だが、、人間の一生も、同じようなものだとはいえないだろうか。

「越えなばと 思いし峰に きてみれば なお行く先は 山路なりけり」

病苦、肉親との死別、不慮の事故、

家庭や職場での人間関係、隣近所とのいざこざ、

受験地獄、出世競争、突然の解雇、借金の重荷、老後の不安……。

ひとつの苦しみを乗り越えて、

ヤレヤレと思う間もなく、別の苦しみがあらわれる。

賽の河原の石積みで、

汗と涙で築いたものがアッという間に崩されてゆく。

「こんなことになるとは」


予期せぬ天災人災に、何度おどろき、悲しみ、嘆いたことだろう。

「この坂を越えたなら しあわせが待っている

 そんなことばを信じて 越えた七坂四十路坂」


の歌(都はるみ)が流行ったのも、共感をよんだからかもしれない。

「この坂さえ越えたなら、幸せがつかめるのだ」と、

必死に目の前の坂をのぼってみると、

そこにはさらなる急坂がそびえている。


そこでまた、よろめきながら立ち上がり、

「この坂さえ越えたなら」とあえぎながらのぼってゆく、

こんなことのくり返しではなかろうか。


そんな人生を聖人は

「生死輪転の家に、還来する」と言われているのである。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



「幸せが待っている」 


と、信じていられるからこそ、

苦労や病気にも耐えられる。


そう、信じていられる間は。



この坂を越えたなら、果たして本当に、

報われる幸せはあるのか、どうなのか。


A地点から、B地点に土を、移動させただけの、

徹底的に無益で無意味な、忍耐だったのか・・・。



そんな風に思ってしまったら、


もう、我慢なんてできません。


つらい病苦に耐えてまで、生きようなどとは思えないとおもいます。








人気ブログランキング


海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)/著者不明
¥340
Amazon.co.jp



山のあなた


     カール・ブッセ (上田敏 訳)




山のあなたの空遠く


「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。


噫(ああ)、われひとと尋(と)めゆきて、


涙さしぐみ、かへりきぬ。


山のあなたになほ遠く


「幸(さいはひ)」住むと人のいふ。




ーーーーーーーーーーーーーーーー




幸せは、いつも、遠くにある。


見えないくらいに、遠くに。


遠くにあって、本当にあるのかどうか、分からないからこそ、


きっとある、と信じられるのかもしれない。


そう思っている限り、現実的な話は聞きたくないとおもうのだと思います。


「もう少しだけ、夢を見ていたい・・・」


なんとなくは気付いていても、涙をこぼしながらも、


見果てぬ夢に、なお、期待はせずにおれない。



人は、幸せを求めながら、その幸せは、手の届かないところにあり続ける。



病に苦しむ人に、


「手を伸ばせば、あと少しですよ」、と声をかけてあげたいけれど。。。






人気ブログランキング


中原中也詩集 (新潮文庫)/中原 中也
¥500
Amazon.co.jp



 言葉なき歌




あれはとほいい処にあるのだけれど
おれは此処で待つてゐなくてはならない

此処は空気もかすかで蒼(あを)く
葱(ねぎ)の根のやうに仄(ほの)かに淡(あは)い



決して急いではならない
此処で十分待つてゐなければならない
処女(むすめ)の眼のやうに遥かを見遣つてはならない
たしかに此処で待つてゐればよい



それにしてもあれはとほいい彼方で夕陽にけぶつてゐた
号笛(フイトル)の音(ね)のやうに太くて繊弱だつた
けれどもその方へ駆け出してはならない
たしかに此処で待つてゐなければならない



さうすればそのうち喘(あへ)ぎも平静に復し
たしかにあすこまでゆけるに違ひない
しかしあれは煙突の煙のやうに
とほくとほく いつまでも茜(あかね)の空にたなびいてゐた


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




「待つ」ことに関する作品は、意外と多いですね。



この詩を読んで思うのは、


「待つ」ことは、「信じる」こと。


信じ続けること、なんだなぁと。



そして、待っているものは、

「とおく」 にあって、

「此処」 にはない、ということ・・・。









人気ブログランキング