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未来の人間



未来の人間よ
君達こそ人間らしく生活してくれるだろう。

愚かなことをくり返さずに
幸福に生活してくれるだろう。

すべての人がよろこべるよう
働いてくれるだろう。


未来の人間
我等のまいた種をかり入れる人間、
出来るだけよき種を
我等はまけるだけまきたく思っている。

よろこびをもってとり入れてくれ。


未来の人間
君達を他人とは思っていない、
君達こそ
大きな仕事を
地上に完成してくれるだろう。

人間の栄光の為に働いてくれ。
人間らしくよろこんでくれ。

君達
未来の人間。



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この言葉は、「自分」に向けた言葉としたいです。



医者になった時の自分、

子供ができた父親としての自分、


そしてなにより、臨終を迎えた時の自分へ。



その時の自分からみて、


今、自分がやっていることは、果たしてどう映るだろうか。



感謝の気持ちか、


後悔の恨みか、



はたまた・・・。








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いのちの器―医と老いと死をめぐって (PHP文庫)/日野原 重明
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人生の悦び 

 患者の側に立った終末医学の確立を




入院中の病室における患者の最後の苦しみと最後の処置、

これは人生における最悪の状態である。


その人の人生が、帰らない人生であることは、

医学的にも分かり切っている。


にもかかわらず、

なぜ、その最後のいのちを無情なものにするのか、

ということを考えると、

日本の医師はもっと終末医学を真面目に勉強しなければならないと思う。


と同時に、人間という生き物は、

すべて死ぬということを予測できる生物であるからには、

若い時から、必然的にくる死にどう対応すべきかという

死の学問死学または死生学、原語は、サナトロジー(Thanatology)〕の

学習をもっとしなくてはならないと思う。



アメリカでは、1963年に、ミネソタ大学の社会学部にサナトロジーの講座ができたが、

日本では大学がたくさんあるのに、

死に対する本格的な研究体制が作られていないのが現状である。


「死」の学習は、医療職と一般人とが、一緒になってすべきものと思う。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




うちの大学でも、サナトロジーの講座ができたら、ぜひ一度受講してみたいです。



必然の未来について事前の準備をすることは、

ある意味、当然ではありますが、


如何せん、死というものにあまりに無知であり、

また、考えるだけでも不安になるほど、

自らの命の意味が不安定であることの表れでしょうか。


一向に、死については話題にすることすら嫌う傾向が強いようです。


それでも、必要だと思います。








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入試と人間形成 

 想像力と高い感性は受験では育たない



小学校の入学から大学の入学まで、

ひたすら受験時の点数を稼ぐのに都合のよい受験術が

予備校や塾で教え込まれている。


それが入試には事実、功を奏するので、

たいていの子供や若者が、学校よりも塾や予備校での学習を優先的に考える。


子供の時から一日の学校の授業を終えると、

すぐまた塾に行き、昼となく夜となく知識を詰め込まれる。


得点志向の教育に浸り通しでは

人間としてのよい資質が開発される機会が少ない。


諸科目の点数を総括的に上げる対受験戦略で、

若い者の個性的伸びは、全く無視されているといえよう。


私はよく外国に行くが、こんなことを聞く。

日本ではエリート中のエリートの若者の入るといわれる名門医学校の卒業生から、

百年近いノーベル医学・生理学賞設定の歴史の中で、

医師はだれ一人賞を勝ち取った者がないのが不思議だと。


大学とは創造力を培うところだといわれているのに、

いっこうその実があがらない理由はこうだと私は思う。


一つは日本の試験制度の欠陥であり、

一つは大学その他の研究機関の中で自由な研究がしにくいためである。


研究環境の条件がよくないのである。


小学校から始まり大学に続く受験のための猛勉強は、

人間がまっすぐ成長することを強く阻害しているのである。

一方、受験勉強のために受験の子供には

家庭内で両親や兄弟姉妹とのタッチが少なくなる。


そのような無理な生活が、子供や若者の心と体の両面をひどく浸食している。



(中略)



入学の選考に、時間をかけた面接と、課外活動の実績を高く評価し、

信頼のおける内申書を提出するということがなされていない限り、

今後入試はどうしようもない状態に陥るばかりである。

国民の健康を担う臨床医をつくることを主眼とした

医学校への入校の選抜の第一条件は、

感性の高い、人の痛みと苦しみを十分に共感できる人間を選ぶことである。


これには、生まれつきの資質も関与するが、

感性は主として家庭内や友人との交わりの中で形成され、

学校の中だけではそれは期待されにくい。


家庭教育のほうが学校教育より勝ること、

学校での授業よりも、家庭生活の中で学びとることの方が

よほど人間形成に役立つ。


それはすでに、明治11年に、福沢諭吉の『教育論』にはっきり書かれている。

『論語』にもこうある。


 性相近也、習相遠也

(天性はだれでも似通っている。

 教養や習慣の違いで差がつくのだ)



先人の残した知恵をもっと真摯に受け止めたいものである。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



環境というのは、慎重に選びたいですよね。



にしても、日本の医者からは確かにノーベル賞受賞者はいませんが、

外国から、そんな風に思われてたのかと思うと、なんか悔しいですな。



今後に期待。。。









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TODAY IS ANOTHER DAY/ZARD
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10.Today is another day  


作詞:坂井泉水 作曲:織田哲郎 編曲:池田大介

 かわいくなれない 本当の理由(わけ)は
 あなたが私を選ばないって 知っているから
 きき覚えのある 足音がして
 ”あっ” と振り返ったら 人違いだった

 きっと心が淋しいんだ
 他人(ひと)に期待したい あてにしたい 信じていたい
 もしあなたを忘れられたなら それでも私 生きていけるのかな
 明日がある

 口がうまい人だと 誰かにきいた
 目の前のとっても弱い人は うそなの?
 疑いだしたら きりがないのにね
 バカみたい それでもあなたの夢を見る

 きっと心が淋しいんだ
 他人(ひと)に期待しない あてにしない 信じたくない
 悲しい現実をなげくより
 今 何ができるかを考えよう
 今日が変わる


 Today is another day


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久しぶりに聞いて、しみじみしたので。。。









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二宮金次郎の農村立て直し


 役人を一喝!

「人の命よりわが身の立場が大事なのか」



金次郎の出身地である小田原も、深刻な飢饉に襲われていた。

藩主の大久保忠真は江戸屋敷で病気で寝込んでいたが、

小田原の状況が心配でならない。

そこで、金次郎に、自分の代わりに小田原へ向かわせ、

領民を飢饉から救うように指示したのである。


その際、「非常用に蓄えてある米倉を開けてもよい」という特別な許可まで与えた。

金次郎が小田原へ駆けつけると、

そこは、飢えに苦しむ人々であふれ、想像以上の惨状であった。


もはや一刻の猶予もない。


すぐに城の米倉を開けて領民に与えようとしたが、

重臣たちの反対に遭ってしまった。


「殿が米倉を開ける許可を与えられたというが、

 我々には、まだ正式な命令が届いていない。

 そなたの言葉を信じて米倉を開け、後日、お叱りがあってはかなわんからな。

 確かに急を要する事態ではあるが、

 一度、江戸へ使者を出して、殿にお伺いしてからにすべきだ」



 これを聞いた金次郎は、重臣たちの前で言い放った。



「何万とも知れぬ人々が、今、まさに死に瀕しているのですぞ!


 江戸へ使者を出して、返事が来るまでに何日かかるとお思いなのか。

 その間に、国民の半数は餓死するでしょう。


 おのおの方は、人の命を救うよりも、

 わが身に罪が及ばないことのほうが大事なのでござろう。


 それが政治をつかさどる者の態度といえましょうか。


 ああ、なんと無慈悲な! あまりにも情けない!


 おのおの方は、領民を思う殿のご心労も、

 飢えに直面している人民の苦悩も、少しも分かってはいない。


 これ以上、議論しても何の意味もない。


 そこで、おのおの方に提案がござる。

 断食をしていただきたい。


 この議論が決着するまで絶対に食事を取らないでもらいたい。

 自身が暖衣飽食したままで、

 どうして明日をも知れぬ国民の気持ちが分かりましょうや。

 論より証拠、

 まずご自身が、断食して飢餓を味わえば、自然と結論が出るはずです」



その声は雷のごとく、人命を尊ぶ心は火のごとく、

徹底した理は矢のごとく、人々の胸を打った。


重臣たちは一言も反論できず、米倉を開くことに一決した。


かくて、数万の人民を救済する道が開けたのであった。




金次郎は、身も心も打ち込んで救助の陣頭指揮を執り、

二ヵ月半後に、大任を終えて、桜町領へ帰っていった。


金次郎に農村改革の援助を求める声は、この後も、関東全域からわき起こった。


まさに東奔西走の、忙しい日々を送っている。

七十歳で亡くなるまで、生涯、権力にこびず、地位を求めず、

自ら荒廃した農村を歩き回り、

悲惨な生活に苦しむ人々を救うことに尽力したのであった。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



現場を知らず、

人の苦しみが分からず、

まるで他人事としかおもえなければ、


人のためには何もできません。



医療者も、自分が患者になって初めて患者の気持ちが分かった、


とかもよく言われます。



とはいえ、健康なのにわざわざ病気になるのはもちろん、

入院するのも変ですし、


せめて、患者さんの声を聞き、

心を汲み取ろうとする努力は常に心掛けたいものです。









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適塾・緒方洪庵





大坂を好み、町民相手の医者だった緒方洪庵。

蘭学者、教育者としても名高く、彼が開いた「適塾」には、

全国から若き秀才が集まった。


幕末、維新の日本のリードする人材を多く育てた洪庵とは、

どんな人物だったのだろうか。



洪庵は、備中国(岡山県)足守の武士の家に生まれた。

十三歳の時に、日本初のコレラの大流行に遭遇する。

文政五年(1822)のことであった。


この恐ろしい伝染病は、朝鮮から対馬をへて九州、中国地方へ広がり、

瞬く間に大坂から東海道を襲った。


大坂では、患者は三日の間にコロリと死ぬところから「三日コロリ」と呼ばれたが、

「半時コロリ」もある始末。


全国で十数万人が犠牲になったといわれている。

洪庵は、毎日、手当てもされないまま死んでいく人を見送っていた。

一人が死ぬと、あっという間に周囲に感染し、三人、五人と死骸が築かれていく……。

当時の漢方医術では手の施しようがなかったのだ。

洪庵は、日本の医者のふがいなさに憤りを感じざるをえなかった。


そして、

「尊い命を守るために、医学を究めたい」

と決意した。


洪庵は武士の子である。

「医者になりたい」と言っても父が許さなかった。


だが十七歳になったある日、置き手紙をして家出を決行。

備中をたって大坂へ向かったのである。


その時、両親にあてた手紙が残っているので要約してみよう。


「父上から深い恩を受けながら、

 今日まで少しも報いることができず、不孝の限りを尽くしております。

 申し訳ありませんが、私は武士には向きません。


 医学を学びたいのです。

 そのために三年間、自由にさせていただけないでしょうか。

 聖人であれ、賢人であれ、病気の前では無力です。

 多くの人々を助けるためには、医学を研究しなければならないのです。


 自ら信じる道へ突き進むと、

 大恩ある父上、母上に孝行を尽くせなくなるのではないかと恐れ、

 今日まで、実行できませんでした。

 長い間、迷いました。


 しかし、平々凡々と生きることが孝行になるとは思えません。

 私は決意しました。

 医師を目指し、一生懸命勉強します。

 私の志をご理解ください。


 どうか、伏してお願い申し上げます」


(中略)



洪庵は、十二カ条の訓戒を作っている。


医学を志す者の心構えを謳ったものであるが、

その精神は、最初の三か条に凝縮されている。


 分かりやすい表現に改めてみよう。



一、医者がこの世に存在しているのは、ひとえに人のためであり、

  自分自身のためではない。

  有名になろうと思うな。 利益を得ようとするな。

  人を救うことだけを考えよ。


一、病人に向かったならば、ただ一人の患者として見よ。

  貴賎貧富で患者を差別してはならない。


一、医術は、患者のために施すものであって、

  決して患者を実験台にしてはならない。



江戸時代に、本格的に西洋医学を導入するにあたり、

このように明快な、医師の倫理規程が設けられていたのである。


洪庵自身が、一人の医師として、生涯にわたって貫いた精神であった。


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こういう訓戒は、繰り返し自分に言い聞かせたいと思います。


西洋で言う、「ヒポクラテスの誓い」に似てるのかもしれませんが、



日本人としては、緒方洪庵のこの訓戒を大切にしたいです。











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有名になろうと思うな。利益を得ようとするな。

医者は人を救うことだけを考えよ

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徒然草ー14


「死」は嫌だからといって逃げていては、
何の解決にもならない



満月の丸さは、いつまでも変わらないものではない。
すぐに欠けてしまう。
気をつけて見ていないと、一晩のうちに、それほど変わるとは思えないであろう。


同様に、病気が重くなると、刻々と悪化して、すぐに死が近づいてくる。

元気な時は、自分はいつまでも平穏に暮らせると思いこんでいるから、

まず、やりたいことを成し遂げてから、心静かに仏法を聞き求めようと考えている。



しかし、ひとたび病気になって死の入口に立たされると、

自分の人生に何一つ満足していないことが知らされ、嘆かざるをえない。



今度もし病気が治って、命を取り留めたら、

心を入れ替えて、あれもこれも、怠けずに、
やり遂げたいと誓いを立てるのであるが

たちまち病気が重くなり、取り乱して死んでしまう。



世の中の人は、こういうたぐいの人ばかりである。


人々よ、この事実を、何よりも先に、心にとどめておくがよい。

何かを成し遂げて、暇ができたら仏法を聞こうとしていては、

いつまでたっても聞けるものではない。

幻のような一生の中で、何を果たそうとしているのだろうか。


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『徒然草』の特徴の一つは、

「死」に関するテーマが多いことである。

兼好は、人が嫌って、避けようとしている「死」を、

あらゆる角度から書き込んでいる。

そこには、

「嫌だからといって逃げていては、何の解決にもならないぞ。
 ある日、突然、直面してから慌てないように、

 まず、事実を事実として見つめようじゃないか

というメッセージが込められているようだ。


実際に、死を直視してこそ、本当にまじめで、真剣な人生を送ることができる


『徒然草』が、古典の中で最も読まれている理由の一つは、

「より良く生きたい」という日本人の思いの表れではないだろうか。



『徒然草』の、ほぼ最後に当たるこの章には、

死に直面した時の心境が書かれている。


読者の中にも、健康診断で「精密検査を受けてください」と言われて、

ドキッとした経験を持っている人はないだろうか。

検査を受けている間に、

「もしかして、治らない病では」という思いが、ついつい頭をよぎる。


不安がつのると

「ああ、もっと真剣に○○しておけばよかった」と後悔を始め

「命があれば、今度こそ、心を入れ替えて取り組もう」と決意する


ところが、検査の結果が出て、「大丈夫です」と言われたら、

「なーんだ」と、ウソのように不安が吹き飛んでしまう。



「もしかして・・・」と、死の「影」に接しただけでも、こんなに苦しくなるのだから、

「死」そのものに直面した時の心境は、とても平生には想像できないだろう。


七百年前の兼好から、

「いつの時代になっても、こういうたぐいの人ばかりである」

と指摘を受けないように、

私たちも、自分の問題として考えていくようにしたい


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



せっかくなので、原文も。




第二百四十一段


望月の円かなる事は、暫くも住せず、やがて欠けぬ。

心止めぬ人は、一夜の中にさまで変る様の見えぬにやあらん。

病の重るも、住する隙なくして、死期既に近し。

されども、未だ病急ならず、死に赴かざる程は、

常住平生の念に習ひて、生の中に多くの事を成じて後、

閑かに道を修せんと思ふ程に、

病を受けて死門に臨む時、所願一事も成せず。


言ふかひなくて、年月の懈怠を悔いて

この度、若し立ち直りて命を全くせば、夜を日に継ぎて、

この事、かの事、怠らず成じてんと願ひを起すらめど、

やがて重りぬれば、我にもあらず取り乱して果てぬ。


この類のみこそあらめ。

この事、先づ、人々、急ぎ心に置くべし。


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徒然草、深いですね。


高校の授業でも、こういうのを取り上げてくれればいいのに。



毎度毎度、試験が終わるたびに、

「あぁ、なんでちゃんと勉強しとかなかったんだろう・・・」と後悔して、

「次こそ、もっと早めに勉強を始めよう」と決意はする。


そして、何度同じ過ちを繰り返してきたことやら・・・。



一事が万事、とおもうと恐ろしいです。



どうか、人生において、

このような後悔の無いよう、


思い立ったが吉日、

今からしっかり準備しておきたいです。









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思いやりのこころ/木村 耕一
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人間がせっせとやっていることを見ると、

徒然草―11


春の日の雪ダルマと、人間の寿命は、

どちらが長いのだろうか

まるで春の暖かい日に、雪ダルマを作り、

その雪ダルマのために金銀珠玉の装飾品を集めたり、

堂を建てようとしたりするのに似ている。


果たして、その堂ができあがってから、

雪ダルマを中へ安置することができるだろうか。


いや、すぐに解けてしまうから、できるはずがない。


人は誰でも「自分の寿命は、まだまだある」と思っているが、

実際には、雪ダルマが解けていくように日々刻々と縮まっているのだ。


それなのに、あれもしたい、これもしたいと、

非常に多くのことを計画し、成就する日を待ち望んでいるのは、

雪ダルマのために堂を建てようとしているのとまったく同じではないか。


その願いがかなう前に、自分の命が尽きてしまうのだ。


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 強烈な例えである。


人間の寿命が、春の日の雪ダルマくらいだとすると、

そんな短い期間に、何をするべきかが、最優先課題となってくる。


 長い一生だと思うと、つい時間を浪費してしまう。


 しかし、「短い」という大前提に立てばよほど厳選しなければならなくなる


 過ぎ行く人生で、一番になすべきことは何か。


 本当の「人生の目的」を考えることの重要性を説いたものである。



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せっかくなので、原文も。



第百六十六段

人間の、営み合へるわざを見るに、

春の日に雪仏(ユキボトケ)を作りて、

そのために金銀・珠玉の飾りを営み、

堂を建てんとするに似たり。

その構へを待ちて、よく安置してんや。

人の命ありと見るほども、

下より消ゆること雪の如くなるうちに、営み待つこと甚だ多し。


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利根川進博士が言っていた、「ジャッジメント能力」とおなじですね。



それの、人生論バージョン、みたいな。




まだ医学生、と思っていても、


卒業、研修、仕事を始めれば、あっという間に、


時は過ぎていきそうです。



自分にとって、一番大事なことは何か、を考えることこそ、


学生時代にやっておくべきことなのかもしれないと思います。









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精神と物質―分子生物学はどこまで生命の謎を解けるか (文春文庫)/立花 隆
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百年に一度の大研究


1987年度ノーベル生理学・医学賞は、日本の利根川進博士に授与された。

利根川博士の受賞理由は、

「抗体の多様性生成の遺伝学的原理の解明」ということだった。



しかし、こう説明されても、よほどの専門家でないとその意味はわかるまい。

記者たちもよくわからなかったのだろう。すぐに、


「トネガワの研究はどれほどすごいのか」


という単刀直入な質問がとんだ。それに対して、選考委員の一人が、


「医学界の大きな課題を見事に解き明かした。

 百年に一度の大研究だ」


と答えて、記者たちははじめてホホーッと感心したという。



(中略)




運命の分かれ目



「大半の学者は、何が本質的に重要で

 何が重要でないかの見分けがつかないから、

 どうでもいいことを追いかけて一生を終わっているわけです。


 サイエンスの側から見たら、いてもいなくても関係ない人たちなんですよ。

 

 結局、何が本当に重要なのかを見極めないうちに

 研究をはじめちゃうからなんですね。

 これはちょっと面白いなというぐらいで研究テーマを選んでしまう。

 それじゃダメなんです。


 前にもいったように、科学の世界というのは広大ですからね。

 その程度のことでテーマを選んだら、やることはいくらでもある。

 それで実験をし、論文を書き、それを学会や専門誌で発表し、

 というようなことをしていれば、

 何となく自分もサイエンティストになったような気がしてくるかもしれないけど

 その程度では、どうでもいいサイエンティストにしかなれない。


 

 だからぼくは、学生に"なるべく研究をやるな"と言っている。
 "何をやるかより、何をやらないかが大切だ"とよく言っている。

 だってそうでしょう。

 一人の科学者の一生の研究時間なんてごく限られている

 研究テーマなんてごまんとある。

 ちょっと面白いなという程度でテーマを選んでたら、

 本当に大切なことをやるヒマがないうちに一生が終わってしまうんですよ。

 だから、自分はこれが本当に重要なことだと思う

 これなら一生続けても悔いはないと思うことが見つかるまで

 研究をはじめるなと言っているんです。


 科学者にとって一番大切なのは、何をやるかです。

 何をやるかというアイディアです。

 そして、何をやるかを決めるのは、何を重要と思うかです。

 若い時に本当に大切なのは、

 この本当に重要なものを重要と判断できる

ジャッジメント能力を身につけることなんですね。


 若いときにそれを身につけなかった人が多いから、

 どうでもいいことをやっているのに、

 自分では何か重要なことをやっているつもりで

 一生を終えるサイエンティストが多いわけです。」




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


免疫学の授業でやりました、抗体の多様性。


大絶賛された研究だったんですね。



ノーベル賞受賞者は、言うことが違います。


本当に重要なものを重要と判断できる力


は、とても大事だと思います。


これが狂うと、本当に何をやっても空回りというか、

無駄骨になりかねませんからね。



医師にとって、一人の人間として、


本当に重要なことはなんなのか、


死生観を学ぶことは、これに値するものだと思います。










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歎異抄をひらく/高森 顕徹
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11 葬式・年忌法要は死者のためにならないって?
   それホント?



原文 - 親鸞は父母の孝養のためとて念仏、一返にても申したることいまだ候わず

                               (『歎異抄』第五章)


意訳 - 親鸞は、亡き父母の追善供養のために、
     念仏一遍、いまだかつて称えたことがない。



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葬式や年忌法要などの儀式が、

死人を幸せにするという考えは、
世の常識になっているようだ。


印度でも、釈迦の弟子が、

「死人のまわりで有り難い経文の唱えると、
 善い所へ生まれ変わるというのは本当でしょうか」


と尋ねている。


黙って小石を拾い近くの池に投げられた釈迦は、

沈んでいった石を指さし、


「あの池のまわりを、石よ浮かびあがれ、浮かびあがれ、

 と唱えながら回れば、石が浮いてくると思うか」


と反問されている。


石は自身の重さで沈んでいったのである。
そんなことで石が浮かぶはずがなかろう。

人は自身の行為(業力)によって死後の報いが定まるのだから、
他人がどんな経文を読もうとも死人の果報が変わるわけがない、と説かれている。



読経で死者が救われるという考えは、本来、仏教になかったのである。

釈迦八十年の生涯、教えを説かれたのは生きた人間であり、
常に苦悩の心田を耕す教法だった。


死者の為の葬式や仏事を執行されたことは一度もなかったといわれる。

むしろ、そのような世俗的、形式的な儀礼を避けて、
真の転迷開語を教示されたのが仏教
であった。


今日それが、仏教徒を自認している人でも、
葬式や法事・読経などの儀式が、死人を幸せにすることだと当然視している。

その迷信は金剛のごとしと言えよう。


(中略)



仏教界はその意味で、いまや病膏肓に入ると言えよう。

いまにして聖人の御金言を噛み締めなければ、

残るは死骸の仏教のみとなるであろう。


では、葬儀や法要・墓参は全く無意味なのかといえば、
仏法聞いた人には仏恩報謝・法味愛楽、
仏法知らぬ人には仏縁ともなろう。



毎年、多くの交通事故死が報じられる。
「昨年は何千人」と聞いても少しも驚かない。

ただ漫然と数字を見るだけで、
「死」については、まったくマヒしていないだろうか。

忙しい忙しいと朝夕欲に振り回され、自己を凝視することがない。


そんなある日、葬儀に参列したり、墓前にぬかずく時、
人生を見つめる得難い機会になることがある。

「オレも一度は死なねばならぬ。酔生夢死ではなかろうか」


否応なしに冷厳な真実を見せつけられ、厳粛な思いにさせられる。

願わくは、単なるしきたりに終わらせず、
自己の後生の一大事を感得し、解脱を求める機縁としたいものである。



*病膏肓に入る 治る見込みのない重病。
*法味愛楽 弥陀に救われたことを喜ぶこと。
*酔生夢死 無駄な一生を過ごすこと。
*後生の一大事 永遠の苦患に沈むか、永遠の楽果を得るか、の一大事をいう。
*解脱 後生の一大事の解決。信心決定のこと。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



お釈迦さまって、たとえ方がお上手というか、


「石よ、浮かびあがれ」って言うことで石を浮かばそうとするのはおかしいな、


と、思わず納得してしまいます。




よく分からない儀式みたいなものだから、ということで、


あまり深く考えたことはありませんでしたが、


亡くなった人のためにお経をあげるとかっていうのは、


そもそも本来の仏教じゃなかったんですねぇ。



でも、うちの寺でもあげてたような・・・・。


せめて意味を説明してほしいです。



常識とされてることでも、よくよく考えて見るとおかしいな、というのは、


こういうところにもあるんですね。



「死」に関することでは、ほかにも、


おかしな常識がまかり通っていることは多そうです。




死生観を学ぶ上では、その辺を見極めることも大事そうです。










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