- 女は男のどこを見ているか (ちくま新書)/岩月 謙司
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英雄体験を妨げるもの(1)
――自分のウソを認めないこと
英雄体験をするために、
これだけは絶対にしてはいけないという大前提が二つあります。
一つは、無私の愛(見返りを期待しない愛、純粋な愛)を信じないという、
人間不信の態度です。
換言すると、
自分の親以上に自分を愛してくれる人なんているわけないさ、
と斜に構える態度です。
こういう人間不信の目で世の中を見たら、キレイなものも汚く見えるからです。
純粋な人や純粋な愛に出会ってもニセモノに見えてしまうのです。
困ったことにこういう人は、
自分が人間不信の人である事実を認めません。
不信があるのにないと言い張っている人ですから、
世の中が逆さまに見えてしまいます。
たとえば、親切を受けてもイヤミとして受け取ります。
イソップ物語の「すっぱいブドウ」に登場するキツネと同様、
「フン、どうせすっぱい愛に決まってるさ!」とニセモノ扱いします。
言い訳というウソを自分についているのにそれを認めないで、
相手がウソをついているように見えるのです。
相手がホンモノであればあるほどニセモノに映ります。
(中略)
こういう不信の人の特徴は、
ホンモノの愛を見た時、妙にイライラしたり、気分が悪くなったりすることです。
忘れようと思っても気になります。
もし、それがニセモノだったら、イライラもしませんし、クールに無視できます。
すぐ忘れてもしまいます。
でも、それができずに、わざわざアラ探しをしてまで批判したくなるのは、
無意識の世界ではホンモノだと認知しているからです。
でも、当人はニセモノだからイライラさせられているのだ、と
思いあがった解釈をしています。
そして、真実の愛を受け取っている人を見ると、
悔しくなってそれはニセモノだよ、と言ってやりたくなるのです。
余計なおせっかいですが、当人にはその自覚はまったくありません。
教えてあげるのが正義だと思っているからです。
なぜ、素直にホンモノをホンモノと言えないのでしょうか。
もし素直になったら、
「無償の愛が存在しないのではなく、
自分が不信の人だから受け取れないだけなのだ」
という真実が自分にバレて傷ついてしまうからです。
自己欺瞞している分だけ傷つきます。
真実の愛で行動する人や真実を語る人が、
自分を傷つける悪いヤツに見えるのです。
明らかな逆恨みですが、人間不信の人は真実を恐れるのです。
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逆にいえば、
恐れるものにこそ、真実が潜んでいる可能性が高い、とも言えるのかもしれません。
そういう意味では、
死生観を重視し、死を見つめていくことは、
やはり人間にとっての、真実の幸せとは何かを考える上で、
避けてはならないことなのだと思います。
自分で自分に対して、不誠実になっていないか、
見て見ぬふりをしていることはあるか、
自分にウソをついて過ごす毎日は、きっと後悔になってしまうとおもいます。
現実を見つめ、真実を信じて生きていきたいものです。