-主に弦ちゃんとゾディアーツ・ホロスコープスについて、おまけで555比較論-


※ 23時ごろタイトル他微修正かけました><

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・自分がフォーゼの何に引っかかってるかについて考えてた。で結論として、結局フォーゼってどういうお話なんだかわからない、ってとこに行き着いた。

・ややこしいのは、素直に考えて即座に思い当たる「弦ちゃんがみんなとダチになるお話」とは、やっぱり思えないこと。素直にそう思えたらいいんだろうけど、全校生徒と友達になれてるわけじゃないし(まぁこれは「最後に学校全体まとめてダチになるイベント」とか相当な力技でもないとそもそも無理な話だけど)、あとはやっぱり、弦ちゃんのダチの選別(特にスイッチャーに対して)がひっかかってしまうわけで…。

・では、そうなってしまった理由を、ここではシリーズ構成から考えてみたいと思う。シリーズ構成って要するに「この話をどういう話にするか」の大まかなライン作りだと思うので。その上で、結局フォーゼってどういうお話だったのか、弦ちゃんの友情観や作中のゾディアーツの立ち位置なんかも含めて、自分なりの解釈をまとめてみたいな、と。


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・とっかかりは、終盤のホロスコープス連続登場がマジレンの冥府十神的なものとして当初から予定されていたという中島氏インタビューから(塚P発案とのこと)。

・そこから全体を俯瞰して、まずシリーズ構成を以下のような(マジレン同様の)全3部構成と仮定してみる…
 第1部:ライダー部結成編(1-16話、弦ちゃん来校からメテオ登場まで…転校してきた弦ちゃんがダチになった仲間たちとライダー部を結成しゾディアーツに立ち向かうようになるまでの話)
 第2部:流星との友情編(17-32話、流星来校からコズミック登場まで…本心を隠しながら幹部ゾディアーツ・ホロスコープスの一員を探す流星=メテオとぶつかり合いながら友情を深め、またライダー部の仲間との絆も確かなものにしていくまでの話)
 第3部:ホロスコープス決着編(33-48話、江本教授登場から理事長との決着まで…攻勢を強めるホロスコープスとの戦いの中で、彼らを統べ友情を否定する理事長ともダチになるまでの話)


・するとここで、第1部では基本弦ちゃんと賢吾らダチになるライダー部メンバーの関わり合いが物語の中心である、と捉えられると思う。ゾディアーツスイッチャーとの関わり合いは、中島氏と三条氏で程度の差はあれ、あくまでサブという構成ではないかと(スイッチャー主体の話は、第1部終盤、ライダー部の結束が固まった後の、三浦くん回・ペルセウス回になってから)。

・んで、ゾディアーツ≒スイッチャーの暗部、というのは初期から描かれている、と感じる。オリオン・カメレオン・ユニコーン・ハウンド・アルター・ピクシス、いずれもスイッチャーの暗い衝動がゾディアーツスイッチにより晒され暴走していると見て取れるかと。

・そして、弦ちゃんのスタンスは、暗部を晒したスイッチャー自身は(倒した後で)ダチとして受け入れるが、暗部そのものは否定する≒ラストワンゾディアーツとして倒す、という形かなと。この初期からして。

・この「悪人その人は受け入れるが、その暗部は否定して怪人として倒す」というのが、(Wにも通じる)フォーゼの基本的な勧善懲悪観なのかなと(JKにも本人が望まぬままにライダー部に引きずり込んでいるあたりがそれに相当するだろうか)。…でもこれ、ゾディアーツに関して言えば「暗部を爆散させて昇華している」とも「怪人として爆散させてるんだから暗部込みの相手は受け入れてない」とも、どちらとも取れるんだよなぁ…>< とりあえず閑話休題。


・続いて前述の通り、第1部終盤からスイッチャー主体の話も増えると同時に、ペルセウス・リンクスら復活するラストワンゾディアーツが登場する。彼らは、同時期に登場するメテオ=流星にとっては、親友の二郎を救い得るホロスコープス=アリエス・ゾディアーツとなるかもしれない存在であり、彼らの悪事をどうするかでフォーゼとメテオが対立する構図になっているのが第2部、と。

・一方で、第2部は前述の通り「弦ちゃんとライダー部がどのようにして流星とメテオを受け止めて行くか」が中心であり、そちらのドラマにもかなりの時間が割かれることになるわけです(流星登場回/リンクス・マグネット回/ドラゴン・プロム回/コーマ・メテオストーム回/キャンサーなどのエピソードでは、弦ちゃんと流星・ライダー部のドラマが主軸であり、スイッチャーのドラマが主軸ではないと取れる)。

・そして、第1部終盤から第2部にかけて活動が活発化するホロスコープスは、「≒完全に暗部に飲まれたスイッチャーであり、故に否定せざるをえない=倒すべき相手である」という構図が用意されているように思う。その象徴として、悪女の本質をひた隠しにした園田先生=スコーピオンと悪意全開の鬼島=キャンサー、晃星学園を支配したプレ理事長的存在としての山田=アリエス、と。

・さらにその補助線として、ペルセウス・リンクスら復活するラストワンゾディアーツが、≒簡単には変わらない暗部という構図を表し、キグナス・ムスカの長谷川脚本ゾディアーツが、ラストワンゾディアーツ≒スイッチャー本人にもコントロールできない悪意という構図を再強調している、と思う。これらの補助線を得て、「コントロール不能な悪意に完全に飲み込まれたスイッチャー=ホロスコープスは、倒してでも止めるしかない」という構図が完成する(あくまで構図としてで、視聴者の印象はここでは横におく)。


・ここまでをまとめると、第1部~第2部のシリーズ構成的に、弦ちゃんはダチの優先順位を、ライダー部(ダチとして付き合っていく)>撃破後のスイッチャー(一応はダチになる)>撃破前のゾディアーツ&ホロスコープス(倒すべき相手)、とせざるを得ない流れ・構成になっている、と考えられるのではないかと思います。

・一方、にもかかわらず、弦ちゃんは最初から最後まで一貫して「みんなとダチになる」「ダチの全てを受け入れる」と言っちゃうわけです…><; その辺の発言というかキャッチフレーズと実際の優先順位との矛盾は、ユニコーンとJKの扱いの差、アルターと友子の扱いの差、スコーピオンへの容赦の無さ、コーマ回での元ゾディアーツスイッチャーへの疑いの眼、などと枚挙に暇が無い。

・第2部クライマックスのコズミック回でも、流星=メテオの本気は一度死んでまでも受け止めて罰することもないのに、山田=アリエスは宇宙空間で迷わず撃破して運良く寝たきりになっても頓着しない、というやはり扱いの差があるわけで…。でもそれも、「ゾディアーツ・ホロスコープスは否定すべき・倒すべき存在である(倒してからでなければスイッチャーとはダチになることもできない)」という構成上・作劇上の縛りがあるならば、筋は通るわけです…一応ではありますが。



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・さて、もう一度シリーズ構成から見る物語の流れに返って見ると、1部で弦ちゃんの周囲を固め、2部で身内になったハードル高い相手ともダチになるけど、その間ゾディアーツ・ホロスコープスは撃破対象であり続けた、と。これが第3部で、やっとホロスコープスとダチになれるかどうかの話が浮上する、といった構成のようです。第3部は相変わらずの2話完結スタイルながら最終回に向けて連続劇としての色合いも増してきます。ここまでは第1部・第2部を俯瞰する形で考えてきましたが、今度はここまでの流れを踏まえつつ、長くなりますが各エピソード毎に考えてみたいと思います。


・して、まず京都回では「ダチを守るためにもゾディアーツは許さない」的なスタンスが、弦ちゃん自身のスタンスであるとして再確認されます。弦ちゃんがそのように思うからこそ、弦ちゃんは自らフォーゼとして戦うのだということで、ゾディアーツ・ホロスコープスを撃破対象とするこれまでの流れ・構成を、今一度示しているかと(メインの相手がこれまで幹部として立ちはだかり続けた、まさに倒すべき相手であるところのリブラ=校長というのもその表れかな)。


・次いでカプリコーン回では、そのチャラさ・身勝手さ・弱さ故にライダー部の中でも最もゾディアーツに近しかったJKに再度スポットが当たります。ホロスコープスであるカプリコーン=五藤と同じ目的でライダー部と袂を分かつJKだけれど、弦ちゃんはライダー部の仲間であるJKを受け入れる一方で、やはりカプリコーンは撃破してしまう。ここは逆に見ると、JKと同じ夢を持ち弦ちゃんからすればダチのダチでもあるカプリコーン=五藤は、ライダー部メンバーに近しいホロスコープスでもあったとも言えるわけで、若干の立場・構図のシャッフルが始まっているかと。


・その辺りを踏まえると、やはりアクエリアス回が構成上の大きなターニングポイントであると個人的には。弦ちゃんに似たポーズ、賢吾・ユウキと同等の宇宙を目指す情熱。アクエリアス・ゾディアーツであるエリーヌは、ホロスコープスであると同時に極めてライダー部メンバーに近しいタイプの少女だった。ダチになれたはずの彼女と弦ちゃんらを別つのは、エリーヌがゾディアーツ・ホロスコープスであり、弦ちゃんは彼らを倒す者=仮面ライダーだから。ここまで確認した事柄の積み上げが、矛盾として一度収束した瞬間と言えるかと。

・ぶっちゃけこの回は、エリーヌがどう言おうと、ゾディアーツ・ホロスコープスだろうと関係ねぇ、ってダチになろうとすればいいのに弦ちゃん、と思えて仕方なかったのだけれど(もちろん弦ちゃんがダチとしてエリーヌを尊重したのもわかるんだけど)、それ以上に、「ゾディアーツ・ホロスコープスは倒さなければならないんだ」という縛りが全編通じて存在したのがフォーゼであって、この回はその矛盾が顕著に表出した、というのが実際なんだろうな、と。


・そしてエリーヌを倒さねばならなかったことへの抗いは、次ぐタウラス回に構図として引き継がれていくかと。その表れと解釈できる姿勢として、弦ちゃんはタウラス=杉浦に対しては、これまでのホロスコープスと異なり(そしてライダー部やこれまでのゾディアーツスイッチャーの一部と同様に)、その背景事情に当たり彼の悪意の要因を知ろうと試みます。こうした「ダチになろうとする相手の掘り下げ」は、これまで各エピソードで取り組まれてきていたからこそ違和感はない展開と思います。

・しかし一方で、構成上は質が変わっているはずの「杉浦=タウラス=ホロスコープスとダチになること」は、印象としては「一般ゾディアーツのスイッチャーとダチになること」と変わりがなく見えます。これはダチになることの質の変化はあくまで構図として・シリーズ構成として読み取れることである点、また、杉浦が一般ゾディアーツのスイッチャー同様生徒である点なども、そうした印象の原因と思います。ただ今回、弦ちゃんはアクエリアス回で知る仲となっていた杉浦=タウラスを、倒すよりも説得してダチになることを優先しているのは確かと思います(故にまず得意技勝負に挑んで敗れ、杉浦を戦って倒すことができなくなっているという流れがあるかと)。


・ともあれ弦ちゃんの努力の結果、ダチになれたタウラス=杉浦は自らスイッチを捨てようとしますが、それをヴァルゴが挑発、タウラスに変身させて倒し、ダークネビュラに引きずり込むことで阻みます。第2部の初期から敵ホロスコープスの幹部メンバーとして暗躍していたヴァルゴは、ホロスコープススイッチを集める一方で、撃破されたものの命を落とさなかったスコーピオン・キャンサーをダークネビュラ(偽、実際はM-BUS)に引きずり込んで「退場」させたり、コズミックステイツに倒されたアリエス・カプリコーン・アクエリアスをスイッチとともに回収するなど、弦ちゃんがホロスコープスを殺さないような、すなわち弦ちゃんが自分の友情観から生じる矛盾と衝突するのをできる限り回避するような、サポートをしていたとも言える存在だったわけです。

・そのヴァルゴが、賢吾の父・歌星博士や理事長の盟友・江本教授であり、流星にメテオの力を授けたタチバナであることが判明しつつ、弦ちゃんとライダー部に立ちはだかります。ヴァルゴ回でのタチバナ=江本=ヴァルゴは、弦ちゃんの拠って立つ「友情」を明確に敵視し、ライダー部メンバーを追い込み戦線から退かせ、弦ちゃんに友情の絆を捨てさせようとする…と、これまでの構成の流れから見ると、これは弦ちゃんのゾディアーツ倒すべしという選別的な友情観を、その友情観で線引きし難いタチバナ=江本=ヴァルゴが全力で否定するという構図でもあったと言えるのではないでしょうか。

・そこで弦ちゃんは、なおも真正面からぶつかっていき、仲間との絆の力としてのコズミックステイツで課題を達成、江本教授ともダチになると。ここに、理事長との決着にも繋がる、弦ちゃんなりの矛盾の超え方があると見ていいと思います。つまり、「相容れない相手=ゾディアーツ・ホロスコープスにも、自分を曲げず全力でぶつかっていくこと」。結局これまでダチになれた相手はどこかしらで弦ちゃんの相容れる相手だった。でも、だからこそ、それ以外の相手にも、全力でぶつかり、ダチになろうとすること。それがシリーズ構成的に弦ちゃんに求められていたものだったんじゃないか、と。江本教授自身タチバナとして弦ちゃんたちを助け、また歌星博士との友情に揺らいでいた人物でもあり、まだ構図としては弱いけれど、一つの前段階ではあると思いますが、どうでしょうか。


・そして、問題の闇ユウキ=ジェミニ編へ。ここまでの構成の流れを考えれば、タチバナ=江本=ヴァルゴの死により、サポートを失った弦ちゃんらがついに矛盾に直面したのが、まさにユウキリンチと揶揄される展開なんだろうなと。ライダー部のメンバーであり弦ちゃんの当初からのダチだったユウキのホロスコープス化という、ゾディアーツ・ホロスコープスを撃破対象とする弦ちゃんの友情観ではやはり線引きし難い事態。

・しかし、キグナスのようにゾディアーツ自身が自我を持ったといえるジェミニ=闇ユウキは、ラストワンゾディアーツのようにただ撃破対象とすることも可能だったとも思う。実際そういう話にはなっているのだけれど、その闇ユウキがユウキ本人と入れ替わってしまい、ユウキ本人が撃破対象となってフォーゼ=弦ちゃんとライダー部に追い詰められてしまう展開=俗称ユウキリンチを挟んだというのは、作り手側の悪趣味の発露と見える一方で、こうしてシリーズ構成を順を追ってみると、むしろこれまで抱えていたフォーゼと弦ちゃんの矛盾を、(ようやくではあるが)正面から受け止めようとしたスタッフのあえての姿勢とも解釈可能なんじゃないだろうかとも思います(なお、今回監督の石田監督は、一部で問題となっているクウガのジャラジ回の監督でもある)。

・ただ、弦ちゃんはやはり、ライダー部の仲間やユウキ本人を殺そうとした闇ユウキ=ジェミニを撃破しなければならない。京都回で再確認された通り、ダチを傷つけるような行いを許さないのが、弦ちゃんでもあるから。ユウキ本人を殺さずに済むよう可能な限り軟着陸を(スタッフに)試みられながら、矛盾は矛盾のままに、弦ちゃんは一度友情の崩れかけたユウキと改めてダチになる。ヴァルゴ回でも見られた「自分を曲げない」姿、「ゾディアーツスイッチャーその人は受け入れるが、その暗部は否定して怪人として倒す」姿勢を曲げないと言う形で、弦ちゃんは自身の矛盾と対峙したとも言えるのではないかと。

(・ここでWを補助線とすれば、エクストリーム回の翔ちゃんがハードボイルドになれない弱さを抱えたまま、それでもそれしか自分にはできないという形で押し切ったのと、闇ユウキ回の弦ちゃんは相似形であるとも捉えられるかなと。ユウキの正体を見抜いた賢吾はさしずめ、翔ちゃんを受け入れ共に戦うことを選んだフィリップの相似かな?)


(・余談だけれど、ここで1週挟んでしまったのが大きな痛手のようにも思う。せめて連続していれば、ここで落ちた印象を最終回で少しでも上げられたかもしれないんじゃないかと。ユウキリンチで落ちたままの印象をこじらせてしまった人を減らせたんじゃないかな…なんて><)


・さて、続くピスケス編では、ムスカ回で新入部員となった1年生2人にスポットが当たりつつ、リブラ=校長との決着が描かれる。蘭=ピスケスが完全にライダー部の仲間であるホロスコープスとなった一方、リブラ=校長は理事長を裏切った振りをしてライダー部を利用し、ピスケスのスイッチ入手に成功。ここまででホロスコープスともダチになろうとする傾向にあった弦ちゃんは、流星などが危険視しながらも校長とダチになろうとした結果、思い切り裏切られてしまうわけです。

・さらに、ついに本性を現した理事長=サジタリウス。友情を全否定する理事長は、コズミックやメテオストームを凌駕する力で校長=リブラや立神=レオを従え、学園を自らの野望のための実験場としていた。ここでの理事長は友情を否定する存在であると同時に、支配と忠誠という形で人と繋がる、まさに友情を己の中核とする弦ちゃんとは価値観を異にする存在と言えるかと(理事長がホロスコープスメンバーを利用していただけでないことは、敗北したメンバーへの寛容さや、裏切られた江本への思い、闇ユウキへの執着、後の野望の危機においても仕えようとする立神の忠義に報いるように超新星の力を使うなど、そこここの描写に現れているかと)。流星=メテオが同じ友情であっても弦ちゃんのそれとは形が異なっていたことの、その先に現れるべき、弦ちゃんの友情観にとって重大な壁と言えるでしょう。つまり、そんな理事長たちと弦ちゃんがダチになれるかどうかがキーとなる構成になっていると。

・で、これはツイッターでも触れましたが、弦ちゃんは自分たちを裏切った校長=リブラと怒りを持って戦う一方、校長がサジタリウスを守って本物のダークネビュラに消えた際は、校長の行動を「友情」故のものとして理事長に訴えかけています。これは、校長の理事長への忠誠を、弦ちゃんが自分なりに何とか理解しようと試みた証かなぁと。もちろん理事長には一蹴されてしまう種類のものなのですが。


・こうした流れの中、賢吾がコアスイッチから生まれたコアチャイルドであることが判明します。まぁ自身が人間でないことに賢吾自身がどれだけ揺れようとも、既にMEGAMAXで撫子=SOLUとの友情を交わしていた弦ちゃんが、賢吾との友情を揺るがすはずもないわけです。

・MEGAMAXでは人間でない撫子=SOLUを一度は拒絶してしまう弦ちゃんでしたが、その恋心ゆえに大きな壁を越えて行っていました。ロケットステイツの力は、そうした大きな壁を越えた友情の証であり、タチバナ=江本=ヴァルゴとの戦いにロケットステイツが使われたのも、そうした壁を越えようという方向性の提示だったようにも思います。

・ただ、逆に言えば、そういった壁を越える要素がなければダチにはなれないし、さらにゾディアーツのように悪事を働くものならやはり弦ちゃんは許さないわけで。そういう意味で、撫子を殺した超銀河王やサドンダス、財団Xに弦ちゃんが容赦がなかったのは、弦ちゃんのキャラクターとしてはむしろ当然なわけです。

・これはみんキタでも同様で、キョーダインとXVⅡの存在が明かされたその最初のシーン、悪事を働いていた&非人間という時点で、あのキョーダインは弦ちゃんにとって倒すべき存在だったのではないでしょうか。XVⅡはあくまで兵器でありキョーダインに利用される存在であったことが、あるいは利用された撫子=SOLUを重ねるようなところもあって、ダチになろうとする相手になれたのでしょう。その後レーザートラップの一件で、XVⅡがユウキを狙ったのだと思ったところでダチになるのを諦めようとし、それがユウキを守ろうとしたのだとわかったところでダチになれたというのも、彼がダチになれるかどうかのボーダーライン上の存在であったことを補強しているかと。現れたキョーダインがライダー部を裏切りXVⅡを制圧したことは、彼らが弦ちゃんとダチになれない存在であるということの駄目押しでしょうね。

・んで、これまで言及した通り、全く異なる価値観を持ち悪事を働き続けた理事長一派は、弦ちゃんにとって超銀河王やキョーダインレベルにダチになれない相手だったわけです。しかも、プレゼンターの元へ発とうとした賢吾を殺すことで、駄目押しまでするわけです。これまでを考えれば、例え敵わなくてもブチ倒すべく全力で賢吾の弔い合戦に向かっていてもおかしくないのが弦ちゃんだったかと思います。しかし最終話、「理事長を止めてくれ」という賢吾の最期のメッセージが、弦ちゃんに壁を越えさせようとする契機になるわけです。

・弦ちゃんは決戦前、宇宙へ発とうとする理事長が学食のメニューに残したスープを食します。これも理事長の理念を何とか受け止めようとする弦ちゃんなりの行動でしょう。その末に弦ちゃんが辿り着いた答えが、ライダー部のダチとともに行ったあの支配からの卒業式かと。ただ倒して全否定するのでもなく、また、ただダチになろうとして自分の価値観を押し付けるのでもなく、理事長が学園に敷いた支配の存在を認めた上で、それとは別の在り方を歩むという決意を、仲間と共に全力でぶつける…あえて用意された「卒業式」には、そのような意味があったのではないでしょうか。すなわち、「相容れない相手=ゾディアーツ・ホロスコープスにも、自分を曲げず全力でぶつかっていく」という姿勢が(弦ちゃんが生身で戦い仲間がその思いを声で伝える、という形は、「ライダー部みんなで」という意識の現れかと)。

・…もちろん弦ちゃんは、別の在り方を歩むが故に、悪事を働いた理事長を倒さねばならないことに変わりはないのですが。その戦いにも初手でロケットステイツが使われ、壁を越えようとする姿勢を表す一方で、初めてゾディアーツを倒したベースステイツのロケットドリルキックを最後の決め手とすることが、弦ちゃんの当初からの姿勢を貫き通した形となっているとも思います。相手をできる限り受け入れようとする一方で許せないところは許さないという矛盾を孕んだ在り方を、最後まで貫き通したのがフォーゼという番組であったとは言えると思います。

・…立神=レオと流星の決着にも触れておきます。流星=メテオはスコーピオン・キャンサーを撃破するなど、コズミック登場前は弦ちゃんとホロスコープスが正面から決着を着けねばならないような事態を避ける緩衝材となっていた節があり、似たような構図がここにも見受けられます。つまり、価値観を異にする相手に自分たちの思いを全力でぶつけていった結果、弦ちゃんは理事長とダチになれたのですが、一方で、「理事長への崇敬に命を捨てる」覚悟の立神に対し「仲間たちと共に生きる」覚悟を「全力でぶつけていった」流星は、しかし最後まで立神とは結び付きを得られずに、彼を事実上殺してしまうわけです。「相容れない相手=ゾディアーツ・ホロスコープスにも、自分を曲げず全力でぶつかっていく」という姿勢の結果の暗部を、流星は背負わされてしまったようにも思えます。



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・長くなりましたが、まとめたいと思います。仮面ライダーフォーゼは一体どのような話だったのか。

・それは、「みんなとダチになると言いながらもゾディアーツやホロスコープスをダチを傷つける相入れない相手として倒し続けてきた弦ちゃんが、やがて彼らにも自分を曲げずに全力をぶつけていき、本当にみんなとダチになろうとするようになるまでのお話」ということだと思います。あくまでここまで考えた上での個人的な結論ですが。


・それに対して自分がどう思うか、付記しておきます。

・「みんなとダチになる」ということが現実的に可能かどうかと問われれば、やはり難しいと言わざるを得ません。そうした前提が頭にあると、その難しいことに挑む弦ちゃんは、現実に対して理想を追い求めるキャラクターと一見見えてしまいます。しかし実際の弦ちゃんは、これまで見たようにダチになることの優先順位をつけてしまうような、ごくごく現実的なキャラクターである面が少なからず描かれてきていました。この時点で、見る側の弦ちゃんのイメージと実際の弦ちゃんが乖離してしまっていたのは、間違いなかったと思います。私自身、愚直に理想を追い求めるキャラクターとしての弦ちゃんを見たかったという思いは今でも拭い切れません。

・しかし、こうしてシリーズ構成を追って考えた時に私が感じたのは、現実を追認するが故に悪意をも肯定せざるをえず自身を犠牲にすることでしか理想を描けないようなヒーローでもなく、現実や悪意を簡単に凌駕し純粋に理想を体現してしまうようなファンタジーとしてのヒーローでもなく、現実と共にありながらなお理想を追いかけていけるような形のヒーローとして、作り手は模索しながら弦ちゃんを描こうとしたのではないか、ということでした。

・これについて、中島氏の555・草加雅人に関するかつての言及を踏まえると、555あたりの初期平成ライダーへのカウンターとしてのフォーゼ・弦ちゃん、という趣向を想定することは容易いと思います。つまり、草加さんのような存在を否定できなかった555などのような作品たちに抗する形で、フォーゼにおける弦ちゃんの選別的な友情観は設定されていたと。

・それに対して、例えば「弦ちゃん自身が「俺を好きにならない奴は邪魔なんだよ」になってるじゃねぇか」というdisりは、過激だけど否定し切れないようにも思えます。私としても、弦ちゃんが辿り着くよう構成されていたと考える「相入れない相手=ゾディアーツ・ホロスコープスにも、自分を曲げず全力でぶつかっていく」という地平は、結局のところ、555などの初期平成ライダーが所与のものとしていた地平…様々な価値観の者たちが互いの価値観をぶつけ合わせるしかない世界と見分けがつかないと感じるからです。弦ちゃんの基本的なスタンスはオルフェノクを決して許さない草加さんのそれと近しく、また構成上最後に辿り着いたスタンスも、木場を人間と認めながらもアークオルフェノクや人を襲うオルフェノクは撃破すべき相手だった巧のそれと変わりがないようにも思えます。フォーゼは555の枠組みを出ることができなかったという意見を全否定するのは、私には難しいです(無論、私の思考・捉え方自体が555の枠組みに囚われているだけ、という可能性もありますが><)。

・ただ、例えば巧と弦ちゃんの初期のスタンスからの変遷の有り様には、それなりの違いはあるように思います。夢を持たず無目的に流離いながら生きてきた巧は、ファイズとして夢の守り人となる方向性を得て、草加さんの価値観よりは枠組みの広い「人間」を守るべく、例え戦う事が罪であってもそれを背負い、オルフェノクでありながら「人間」として/ファイズとして戦うという地平へ辿り着きました。この時、巧は己の寄って立つ価値観≒夢を元々持たない、ニュートラルな存在だった、だからこそ、より枠組みの広い「人間」を守るという地平に到達できた、とも言えると思います。対して弦ちゃんは、元々「みんなとダチになる」とか「ダチを傷つける奴は許さない」とかの価値観をはっきりと持っているわけです、それこそ草加さんのように。己の寄って立つ価値観=オルフェノクは決して許さないという怒りをはっきりと持っていた草加さんは、その価値観の枠組みに囚われ続けて己の身を滅ぼしてしまいました。しかし弦ちゃんは、仲間の支えによって、自分の価値観を曲げることなくしかし軟着陸させ、巧のような、それまでの弦ちゃんより広い「ダチ」の枠組みに到達できたと思います。その辺り、前述のdisりに対応させるなら、最終的に弦ちゃんは「きれいな草加さん」になれたんじゃないかな、と返したいなと(我ながら珍解答だ^^;)。

・で、結局そういうところへ弦ちゃんが辿り着けたのは、「ダチを傷つける奴は許さない」という選別的な価値観との矛盾を孕みながらも、「みんなとダチになる」というもう一つの(草加さんには持ち得なかった)価値観を持ち続けてきたからじゃないかと。この2つの矛盾した価値観(あえて「正義」と言いたい)の相克は、例えばウルトラマン(特にコスモス)が、悪い怪獣はやっつける/弱い怪獣は助けてあげる、といったあたりでやはりその選択基準を言及されてしまうような、特撮ヒーローの歴史上幾分かでも触れられざるを得ない領域なんじゃないかと、個人的には思っています。その領域に対して、フォーゼ・弦ちゃんは決して背を向けていたわけではなく、矛盾を孕みながら、フォーゼなりに・弦ちゃんなりに向き合っていたのだ、と、ここまで考えてようやく、言えるようになったかな、と個人的には感じています。

・草加さんの「俺を好きにならない奴は邪魔なんだよ」は、本放送当時から忌み嫌われる一方で、「そういう面って誰しも持っているよね」との評も散見されていたと思います(故に草加さんは今もって愛されるキャラクターだとも個人的には思います)。で、弦ちゃんの「ダチになる相手を選ぶ」という有り様も、結局は同じように、誰しも持っている側面だと思うのです(この場合は「俺を好きにならない奴は邪魔なんだよ」ではなくて、「俺が好きになれない奴はダチになれない」ですかね^^; 微妙だけど確かな違いで、でもやっぱり誰にでもある部分じゃないかなと)。その意味でも、草加さんが独り死を負って戦いに挑み首コキャられずを得ず、しかし弦ちゃんが仲間の存在によって軟着陸したことは、誰しもが持ち得る選別的な志向性とどう付き合っていくか、という点において、一つの解答だったんじゃないかな、とすら思います。譲れないところは譲らず、しかし相手を尊重する。言葉にすればこれだけのことが、如何に矛盾を孕み両立し難いかを、フォーゼと弦ちゃんは示しているのではないかと感じます。私も、誰かや何かを許せず攻撃的になってしまうようなとき、一度立ち止まり改めて相手を尊重できるか、そんな攻撃的な自分にひと声をかけてくれるダチがちゃんといるかどうか、そんなようなことを心に留めておきたいと思います。



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・さらに補足ですが、結局フォーゼの問題点って、冒頭に挙げたような「弦ちゃんがみんなとダチになるお話」とストレートには言い難いところだと、やっぱり思います。私が今回考えて得た結論も一つの解釈でしかなく、こんなにあーだこーだ長々しく考えずとも、はっきりこんな話と見えるような話にして欲しかった、という思いは残ります。「みんなとダチになる」というわかりやすいキャッチフレーズに応じて、弦ちゃんももっとわかりやすいキャラクターであって欲しかったと(具体的には、やはり初めから誰とでも=一部ゾディアーツスイッチャーやホロスコープスとも全員ダチに(少なくとも)なろうとして欲しかったし、ラストワンゾディアーツやホロスコープスも倒さずに受け入れようとするべきじゃなかったかなと…キャッチフレーズ通りのキャラクターであろうとするなら)。また、ラストワンゾディアーツやホロスコープスが倒さなければならない相手であることも、印象としてさほど強くなかった感があり、そのあたり設定的に強調した方が良かったかな、とか。ラストワンゾディアーツ→そのままだとスイッチャー死亡とか、ホロスコープス→そのままだと肉体も怪物化とか。理事長みたいな副作用をかなり早く出してもよかったかもしれません。塚田Pや脚本の中島氏・三条氏、メイン監督の坂本監督には、よりわかりやすいアクションエンターテイメントとしての特撮ヒーローを、次回作にて期待しています。



劇場版フォーゼ(以下、みんキタ)の感想を長々しく並べてみる。問題は既に方々で言われているだろうけど、個人的整理ということでご容赦を><
言いたいこと言い倒しております故、かなり詳細にネタバレ(してるつもり)なので、未見の方はロケットモジュール噴かして全力回避されることをおすすめします。
また、くどくどと苦言を発している箇所も多々ありまして、「そういうのは見苦しくて好かん」「ムカツク!」という方も急いでコズミックステイツでワープドライブしてくださいませ。










































<物語の振り返り>

さて、まずは物語を順を追って思い出して見る。
しかし初日に見てから既に1週間以上…そこここでシーンのつなぎが曖昧なのでご容赦ください><

最初は財団Xにホロスコープススイッチ12個を手渡す理事長と忠獅子&校長のシーン。
乱入したインガとブラックナイトがスイッチを奪います。
財団Xを退けインガの体術の凄さを示す一方、リブラとレオに追い込まれたインガを救い両ホロスコープスともいい勝負のブラックナイトのナイトっぷりが光るシーンです(特にお姫様抱っこ)。
この時点でインガVS財団Xの対人格闘、レオ・リブラVSブラックナイト+インガマシンガン使用のバトルとアクションてんこ盛り。個人的にはアクションが冗長に感じたシーンでした(理由は後ほど…)。
インガたちを追い詰めようとするリブラらを制する理事長は、インガたちの正体を知っていたのか否か…。

タイトル後はアンガールズ山根氏の客演シーン。
山根氏こと小松先生の授業を受ける弦太朗たちが、相方の田中氏こと大杉先生に呼び出されるくだりです。
やはり登場した山根氏と田中氏のシーンは、後の(あからさまに伏線シーンの)アボカド×プリン+醤油なウニトロ丼で昼食のシーン含め、ちょっとそこだけ浮いた感じもしつつ、アクションだらけの本作の良いブレイクタイムになっていたと思います。

続いてラビットハッチ。
大杉先生が招き入れたOSTOレガシーの白山静からの協力依頼を快諾するライダー部一同。
静嬢というかジャスミンは、Wでの登場時も思い出して裏切りの気配が無いかと心配していたら、ドジっ子ぶりと以降のシーンでのインガとの対立姿勢に、味方でいいのかな?と思っていたのですが…^^;
個人的にはここで、秘密のラビットハッチに侵入していた静を疑って弦ちゃんらに諌められる流星を見たかったかな、と(後述その2です;)

次いで、詳細な事情を聞くべくOSTOレガシーの施設へバスで向かうライダー部と静を、ブラックナイトとインガが強襲。
弦太朗がフォーゼに変身しブラックナイトと、追いすがり乗り込んできたインガとは流星が、またも長尺のハードアクションに突入していく。
ようやく登場したフォーゼのVSブラックナイト戦は、もう既にスイッチフル活用バトルが始まってる感じで熱い。
ただ、後のホロスコープス戦もそうだけど、ちょっと目まぐるし過ぎる><
インガ嬢は今度は護衛車と激しいカーチェイスアクション(監督入魂らしい)。
乗り込んできてからは流星と対決で、ライダー部非戦闘メンバーを巻き込んでの車内格闘戦と、この辺りまではほとんどインガ嬢がアクションの主役なのですよね…^^;
のちの展開を思えば、それはそれで一つの選択肢とも思いますが、正直「ライダーはどうした!」と言いたくなったのは確かで…(伏線)。
伏線と言えば、インガ嬢が流星にワンインチパンチ(fromブルー・スリーじゃなくてブルース・リー、コズミック回前編で弦ちゃんを一度落命させたアレ)を放って流星を車外へ弾き飛ばしています(何故生きてる…まぁ気付いたので急所を外したんでしょうけど><)。

この後の繋ぎを忘れてて、「なんとかブラックナイトを退け駆けつけたフォーゼに、仕方なく撤退するインガ(と再起動したブラックナイト)」だったような気がするのですが、それはさておき。

次はOSTOレガシーの施設にて。
静と、ローラースケートで登場の変な兄ちゃん・冴葉晴海によるミッションの説明。
アリシア連邦の宇宙鉄人キョーダインが目論む、人工衛星ⅩⅤⅡによる破壊工作の阻止-ⅩⅤⅡの破壊によるミッションの遂行に、「機械とも友達になれる」と弦ちゃんは異を唱えます。
否定的な冴葉も含め、この時点でニュアンス的に「機械=ⅩⅤⅡ」であり、暗にキョーダインは除外されてしまっていることは、一つのポイントかと。
今回弦ちゃんがダチになるのはⅩⅤⅡであり、敵として倒すべくはキョーダインであることが、既に暗示されているわけです。
この「ダチになる/敵として倒す」の明解な区別は、TV本編の「ゾディアーツスイッチャー/ラストワン後のゾディアーツ・ホロスコープス」の区別に通じ、非常に興味深いです(手前味噌な参照:http://ameblo.jp/the-final-r-cr3/entry-11319560201.html)。

あと、確かここでは、賢吾らによる弦ちゃんの肯定があったと思いますが、その手前で流星が反目していたかどうかはちょっと記憶が曖昧…><

さて、シーンは宇宙ミッションへ向かうための特訓シーンへ。
目立つのは賢吾くん…病弱設定どうした!?身体大丈夫か!?それともここで鍛えられて強くなるのか!?><
しかし、続く夜空のシーン含め、パンフのライダー部キャスト座談会にもあったような「合宿」感が、個人的にはとても心地良く。
自分と同じ流派の予感をインガに覚える流星に、機械=ⅩⅤⅡと友達になる思いを強くする弦太朗。
物語の主軸が、この2点に集約されていくことを予感させます。

そして、遂にミッションスタートへ。
ライダー部を宇宙へ導くのは、一同驚愕のエクソダス・マークⅡ-かつて財団Xのレム・カンナギ=超銀河王が用いた大気圏脱出用の機体の同型機でした。
ここでMOVIE大戦MEGAMAXと地続きの世界であることが明示されます。
(最終話に至っていない現在、みんキタがTV本編と整合性ある話なのかどうかは判然としません。ただ、後のスイッチのシーンでエリーヌは出てるけど生徒会メンバーが出ていないことから、38話と39話の間のエピソードであることが推測できますが、どうなんでしょうね…?)

立ちはだかるインガはホロスコープススイッチを使用-12体のホロスコープスが、勢揃いでライダー部の行く手を塞ぎます。
ここで眼前のホロスコープスが単なるエネルギー体であることが賢吾から説明され、冒頭のホロスコープススイッチがコピーであることが判明します。
コピーとはいえ12使徒、ゾディアーツ最大の脅威を前に、非戦闘メンバーと静をエクソダスへ向かわせ、弦太朗と流星はダブル変身-戦いは、オールホロスコープスVSオールスイッチの大バトルへ。
様々なスイッチとステイツを上手く使ったなぁ(特に印象的なのはパラシュートやメディカル…あとファイヤーの爆熱シュートは外道過ぎる><哀れアリエス)と時に感心しつつも、やはりめまぐるしく何がなにやら><

と、いつのまにやら8体のゾディアーツを撃破するも、サジタリウス・レオを筆頭としたホロスコープス中心メンバーはやはり強力。
しかしここで、新たなる戦士が登場-近年の夏ライダー映画恒例・新ライダー・ウィザードのお目見えです。
響鬼を思わせる面持ちとキバを思わせる装飾と彩色に、翻るマントとゴツいリングが目立つ新ライダーがフォーゼとメテオを送り出すと、銃と剣に変形する武器・リング×ベルトで放つ魔法で、ホロスコープスを翻弄していきます。
飄々とした変身者の態度、またライダーの名に自覚がなく、むしろフォーゼとのやり取りでライダーを自認するというのが、ウィザードという作品の方向性を予感させてgood。
分身魔法からのライダーキック×4でのサジタリウス他の撃破は、ちょっとやりすぎと思いつつも、TV以前にフォーゼたちに撃破させるのも微妙だろうし…と複雑な心境><

何とか大気圏を脱したエクソダスⅡ内部のライダー部一同+静。
ⅩⅤⅡの自動防衛システムの突破とⅩⅤⅡ侵入が次のミッションなるも、侵入していたインガに静が腕を撃たれます。
何とかインガを制しつつ、一同はⅩⅤⅡ内部に強行突入。
弦ちゃん&ユウキ、賢吾&静、流星&友子、美羽&隼&JKの4班に分かれ、時限爆弾による4箇所のⅩⅤⅡの自動防衛システム中枢の破壊へ向かう一同。
…うーんこの辺はちょっと息子が騒いでてあまり記憶ががが><
内部の防衛システム・ガンベースと隼のパワーダイザーの第1戦もあったような…?

さて、せり出した床にこけたユウキ、彼女が巻き込まれそうになったレーザービームのトラップに、弦太朗は「やはり機械とダチになるのは無理なのか」と弱気に。
一方で、賢吾に腕の傷を案じられた静は不穏な表情…やっぱりなのか?><
そしてシステム中枢の一つに迫る流星と友子の前には、インガが立ち塞がる。
流派東方不敗がぁ~と言いたくなるような型の披露で、互いを星心大輪拳の同胞と認めるインガと流星。
なおも迫るインガに何故を問いながらも、制しつつ流星はシステム破壊を友子に託す…時限爆弾の爆発まで時間がない!
何とか設置し、爆発から脱出する流星と友子、そして他のメンバーも破壊に成功。
改めて何故を問う流星に、インガは父親の死の間際を思い浮かべて…。

その頃、最後のミッション・ⅩⅤⅡ制御中枢の奪還に向かう弦太朗らと静。
制御中枢(ブレインのオマージュであることは明白)から迫る球体のついた触手のようなものを「最後のトラップ」として撃つ静。
彼女により制御中枢の奪還作業が始まる…が、そこへ待ったをかける流星・友子と、インガ。
そして現れる冴葉…人間の姿に擬態していた、彼らこそが宇宙鉄人キョーダインだったのだ。
ライダー部が破壊したのは防衛システム中枢ではなく、キョーダインの活動抑制装置…「エンダー・スカイダイン」「エンダー・グランダイン」の掛け声とともに、スカイダインとグランダインの兄妹に変形する静と冴葉。
システム中枢の書き換えが終わり、彼らの手に落ちたⅩⅤⅡが地球に、重力子砲グラビトンの砲口を向ける。
ⅩⅤⅡはトラップからユウキを守ってくれていたのだ…そのことに気付いた弦太朗は、ⅩⅤⅡの意識を奪い、インガを助けに現れたブラックナイトをも破壊したキョーダインに、怒りを爆発させる。
フォーゼに変身しての「頭にキターッ!」に篭るのは、ダチを信じられなかった己の不甲斐なさか。
流星は、父の死後孤独に戦ってきたインガを理解し、友達と認めた彼女に仲間達を預け、自らもメテオに変身。
ライダー部一同とインガはⅩⅤⅡからの脱出を図る。
インガとの絆を結ぶ流星の姿は、彼なりの弦ちゃんからの影響が垣間見れて、メテオストーム回やコズミック回を思うと非常に熱い。
しかし、人間を理解せず非道を是とするキョーダイン兄妹は、合体技も駆使してフォーゼとメテオを圧倒。
弦太朗と流星はダメージを負いながら、下位階層に叩き落されてしまう…。
※この辺、またしても順番が前後してる箇所があるかと思われます><

弱威力のグラビトンで人類に宣戦布告するキョーダイン。
脱出に向かう賢吾たちの前には大量のダスタードとガンベースが。
絶大な危機に炸裂する、ライダー部メンバーの素面アクション!
かわいらしく協力アクションのユウキと友子、完全に病弱を克服したかに見える賢吾の大技が炸裂すれば、JKはブレイクダンスを絡めつつどこかのドンさんのようなおちゃらけバトルを展開、ガンアクションを凛々しくクイーン美羽会長がキメて魅せる。
隼は一人パワーダイザーでガンベースの群れに向かい死亡フラグを立てるも、美羽とJKの軍事用パワーダイザーで楽々フラグ破壊。
勿論アクションを忘れないインガに心強さを与えながら、一同は何とか脱出の目処をつける。

一方、弦太朗と流星は、静に打たれて本体から切り離されたⅩⅤⅡ制御中枢の端末に命を救われていた。
無力を噛み締める流星に、弦太朗は涙を流しながらⅩⅤⅡに詫びる…ダチを信じられなかったことを。
オトシマエをつけるべく、今一度キョーダインに挑もうとする弦太朗の無茶を、流星が制する。
それでもダチのために、命がけで向かう弦太朗は、フォーゼコズミックステイツで大規模ワープドライブを敢行…。
このくだりは弦太朗の演技がひたすら熱く、「キョーダインどうすんだ><」という内なる声に脅かされていた私にもクルものがありました…。
本作1点目の泣きポイントでしょう。
…余談ですが、最強フォームでのワープドライブは、同じ宇宙を決戦の舞台にした劇場版カブトGSLへのオマージュを感じなくもなかったり^^

地球砲撃目前のⅩⅤⅡは、脱出直前のエクソダスⅡもろとも、月面へワープドライブ(その様を報道中の、タイアップ?のアナウンサーさんが白々しい…><;)。
脱出した賢吾たちは、ラビットハッチへ向かいます。
しかし、全スイッチのコズミックエナジーを使い切ったフォーゼは変身解除、スイッチはラビットハッチへ戻ってしまいます。
弦太朗たちに迫る、怒りのキョーダイン兄妹。
「もう2度とお前を死なせやしない」決意の流星は、メテオに変身して抵抗を試みます。
弦ちゃんへの熱い友情から変身するここの流星は個人的に燃えポイントが高く、是非ともここでEvoluvin' Storm(メテオストーム用ED)が聞きたかったところ^^
しかし、生身&戦力不足の弦太朗と流星は、キョーダイン兄妹にいいように嬲られてしまいます。

どうすることも出来ない極大のピンチに、嘆き叫ぶことしか出来ない賢吾…人間嫌いだった彼の弦ちゃんへの思いは、彼の成長を思わせます。
その時、ⅩⅤⅡの端末から通信が-そこに現れたのは、新たなスイッチの設計図。
しかし、このスイッチの発動には、フォーゼを、弦太朗を想う人々に、40個のスイッチを押してもらわなければならない…。
学園に戻り、あるいは卒業後の生徒らをあたり、奔走するライダー部のメンバー達。
その間も、嗜虐を楽しむキョーダイン兄妹に弄られ続ける弦太朗と流星がオーバーラップし、ライダー部メンバーの必死さを煽ります。
…このシーン、方々で冗長と言われ、確かにそうとも思いますが、この煽りがあったおかげで、個人的にはそこまで気にならなかった点ではあります^^;
キョーダイン兄妹のキチ度を増す演出効果もあったと思いますし。
そして、「弦ちゃん友達少ないw」の件も、そもそも2話完結スタイルでスイッチャー一人ずつとダチになるフォーゼでは、どう頑張っても24,5人+α程度しかダチは作れない計算なので、しゃあないかなと><;
ただ、スイッチオンのシーンはどうにか見せ方があっただろうとは思いますが…せっかく映画の大画面なんだから、バストアップで40人1画面同時スイッチオンとかさw
とはいえ、ここが本作2点目の泣きポイントであることに変わりはありません。
個人的な押しは、一杯いっぱいで涙ぐむユウキを抱き寄せるハリケン青先生でした^^;
もちろん、理事長もスイッチ押してるのはポイントでしょう。

そんなこんなで完成した、フュージョンスイッチ。
届けられたその力一つで、弦太朗は迷わず変身。
スイッチオンと同時にメテオは変身を強制解除され、メテオスイッチが宙を舞いフォーゼドライバーにセット、空いた2箇所のソケットにはクリアのスイッチが生まれ、フォーゼはメテオフュージョンステイツ(以下フォーゼMFS)に変身を遂げます。
このシーン、メテオ強制解除はナシで、と言うのは同意^^;
できたら、せっかくなんで、流星に手渡して欲しかった…。

さて、ラストスパートです。
フォーゼMFSは流星譲りのカンフーアクションと弦ちゃん由来のケンカアクションの融合でキョーダイン兄妹を圧倒、ⅩⅤⅡの機体外へ引っ張り出すと、月面バトルを挑みます(ああ、月の兎ことサイボーグS-1さんに出てきて欲しかった!)
キョーダインは変形合体して対抗、マシンマッシグラーを駆るフォーゼMFSと月面宙空を問わないチェイスアクションバトルを展開。
スカイダインの機首顎可動とミサイル攻撃にニマニマ^^(ぶっちゃけ原作未見だけどなんとなくさ!><)
最後にはライダーフュージョンドリルキックで、兄妹を完膚なきまでに爆殺…ええ、爆殺でした…。
まぁ、ここは後に譲りましょう><

戦い終わってエンドロール。
父の無念を晴らし、解放されたインガを見送る流星。
心通わせたインガから別れのキスを貰って硬直する流星に、木陰からジェラシーオーラを燃やす友子は、もはや定型ネタか?^^;
母校のシンケン姫を交えた、流星争奪・異種格闘最強ヒロイン決定戦なOV版仮面ライダーメテオを心待ちにしております^^
そして宇宙を目指すⅩⅤⅡを見送る弦太朗たち。
巨大な機械のⅩⅤⅡ(ここまで触れてなかったけど勿論、大鉄人17です!灰色1色だけど><)とも、ダチの仕草を交わすフォーゼは、なかなかいいもの(byエスケイプさん)であります…(きょーだいさんたちは…><)
そして〆には、画面の向こうのキミたちに、「次はお前らとダチになるぜ!」…とても弦ちゃんらしい、フォーゼだからこそ出来る、フォーゼにしか出来ない朗らかさでもって、映画本編は幕を閉じましたとさ。

…なお、忘れちゃいけない冬映画予告。
本編ではシナリオの都合か触れられなかったフォーゼとウィザードのダチの仕草のやり取り…コレは外せません。
ウィザードのノリはWとディケイドくらい違ってそうなので、逆にどんな化学反応が生まれるか、今から楽しみです^^
勿論、秋のギャバンもね!



<検討・問題点とMEGAMAXとの対比>

…だいぶただの感想をぶちまけましたが、ここからはちょっと色々考えて見たい。


やっぱりひっかかりどころは、キョーダインの扱いだと思います。
ただ、コレも方々で言われてるだろうけど、「キョーダインの扱い」と言う話は、「過去ヒーローであるキョーダインを悪役として扱うことの是非」と「悪役(のキョーダイン)を悪として撃破してしまうことの是非」との2点に分けて考えねばならないと、私も思っています。

「過去ヒーローであるキョーダインを悪役として扱うことの是非」については、もちろん「兄弟を兄妹にして名前も変えて年齢差もひっくり返してる」「結構悪役ヅラ」「原作再現ネタはかなり盛り込んである」とのフォローは可能です。
しかし、前二者のリマジ要素と後者の原作再現フォローについては、後者は掛け声や演出などの表面的なところであって、むしろリマジ要素および悪役化の鼻につきやすさに、火に油を注いでいないかと心配しています。
私は原作未見ですが、私が見た少ない事例の中では、リアルタイム視聴の年長者の方が、大人の割り切りを見せて好意的評価を向けるパターンと、ソフト化や配信での視聴者層の方が、原作品とのあまりの差異と完全な悪役扱いに憤られているパターンと、双方がありました。
原作の人物像や物語に関しても、もう少し配慮があってもよかったのではないか、とは思う次第です。

「悪役(のキョーダイン)を悪として撃破してしまうことの是非」については、前述して少し触れましたが、これはTV本編の「ゾディアーツスイッチャー/ラストワン後のゾディアーツ・ホロスコープス」の扱いの差にも関わる問題で、フォーゼ全体の問題であると思います。
要するに、「どこまでを撃破してよい悪とし、どこまでを救い友達となる相手とするか」という点が明示されておらず、一貫した要素が(わかりやすく)暗示されることすらされていないため、人によっては、弦ちゃんの恣意に拠って生殺与奪・友人の可否が左右されている感が大きくなってしまう、ということです。
(余談ですが、こうした印象はウルトラマンコスモスにも通じるところがあると思いますので、より詳しい方の分析を待ちたいと思います。)
しかしこの点は、みんキタがフォーゼのメインスタッフ(特に坂本監督・中島脚本)で作られている以上、拭いがたく孕まざるを得ないところだったともいえ、「これが良くも悪くもフォーゼらしさだ」という開き直りも可能に思え、なんとも言えない感じです><
残るTV本編2話の語る内容にも関わるでしょうから、今は「これはヒーローモノにおいては非常にバランスの難しい問題なんだよなぁ…(ウルトラの地平を見つつ)」というところまでの言及に控えておこうかと思います(←なんじゃそりゃ><)


さて、ようやく表題に掲げたMEGAMAXについて触れたいと思います。
名作との評価が高いMOVIE大戦MEGAMAXですが、メインスタッフ(特に坂本監督・中島脚本)は同一です。
にもかかわらず、みんキタはなぜこのように賛否の否も多く散見される作品になってしまったのでしょうか。

先の「客演ヒーローの扱い」について言えば、MEGAMAXの7人ライダー&Wは完全に味方としての参戦であり、故に「原作再現ネタはかなり盛り込んである」点が功を奏し、名作との評価を高めたのでしょう。
また、「悪役を悪として撃破してしまうことの是非」については、W本編&映画から続けて悪役扱いされてきた、「年季の入った悪」であるところの財団Xとそこを基盤とするレム・カンナギ=超銀河王がメイン敵である点が、悪役の「悪役らしさ」を強く補強している点は指摘できるかと思います。


ここでもう一点、両者の作品構造について、私見ですが、触れてみたいと思います。

MEGAMAX・フォーゼ編の主題は、言ってしまえば「撫子=SOLUをどう扱うか」に尽きると思います。
これは、TV本編のフォーゼが主題(の一つ)とする「ゾディアーツおよびスイッチャーをどう扱うか」とは一線を画す主題です。
なにしろ、撫子は「仮面ライダー」なでしこなのですから。
劇中の扱いも、恋をした当の弦ちゃんに「スライム」と言われながらも、一貫して「敵」「悪」としては扱われません。
MEGAMAX・フォーゼ編の物語は、「撫子=SOLUとダチになるか」と言う点に、「弦ちゃんの恋」というひねりを加えながら、それ故に出せる「ダチになる」という答えを、鮮やかに一本の筋をつけて導き出しているように、私には思えています。
これらは、弦ちゃんが撫子とライダー部のメンバーの関わりの中で悩み、見つけ出した答えです(否定的な賢吾らと、支えるユウキらのポジションが美味いと思います)。
物語の中で敵となる財団Xも、フォーゼ編のラスボスであるサドンダスも、MEGAMAX編のラスボスである超銀河王も、彼らの障害とはなりますが、その主題と答えには、なんら関わりません。
そして、だからこそ、ライダー部メンバーの身体を張ったアクションも映えます。
これらは全て、ダチである弦ちゃん(がダチである撫子のために流した涙)のために向けられた、無力な彼ら彼女らなりの友情の戦いだからです(ハンカチを差し出すことしかできないけど、それでもきてくれたJKの素晴らしさといったら!)。

では、みんキタはどうでしょうか。
みんキタの主題は、特訓と夜空のくだりで少し触れたように、「機械=ⅩⅤⅡをどう扱うか」と「インガをどう扱うか」の2点に分裂してしまっているように、私には思えます。

「インガをどう扱うか」については、関わるのが流星ということもあり、「機械=ⅩⅤⅡをどう扱うか」よりも一歩引いたところにあるようにも思えます。
しかしそれでいて、中盤までの物語において大きな尺を割かれて描かれているのは、インガのアクションです(流星との対決も含む)。
これは、見る人にインガの重要度を必要以上に見せ付ける効果を生んでいるのではないかと、個人的には感じます。
(坂本監督の(美女)アクションへの拘りが上手くいかなかった箇所だと思います。)

「機械=ⅩⅤⅡをどう扱うか」については、撫子=SOLUの時に成立していたイコールが、同じく機械であるキョーダインが存在していることによって分裂してしまっているために、この主題自体が「機械をどう扱うか」という形に捉えられてしまうのではないかと思っています。
つまり、この「機械をどう扱うか」という主題は、「ⅩⅤⅡをどう扱うか」に加えて、暗に「キョーダインをどう扱うか」という裏の主題を抱えてしまっている形になっている、ということです。
(キョーダインが「過去ヒーローの客演」であることも、そうしたイメージを強化しているといえるでしょう。)
そして、裏の主題が暗示に留まっている(弦ちゃんとしては機械=ⅩⅤⅡという認識から抜け出ない)ことで、「キョーダインをどう扱うか」は、彼らが「敵」役・「悪」役である以上、「撃破する」という答えにしかならない。
そうすると、「ⅩⅤⅡをどう扱うか」が「ダチになる」という答えだと、「機械をどう扱うか」という主題に対して、表と裏の答えが一つになれず矛盾してしまうわけです。
…ややこしいので端的に整理しちゃいますと、「やっぱり「機械とダチになる」って言ってんのに、ダチになるのはⅩⅤⅡだけで、キョーダインと仲間にならないのは、筋が通らないよ><」ということになります(←それでいいのかよ><
んでなおかつ、この主題は「インガをどう扱うか」とはほとんど無関係なわけです。
唯一インガと機械たちを繋げられそうなブラックナイトは、弦ちゃんらとさしたる関係も結べずに撃破されてしまうわけですし。

ライダー部の戦いも、冴葉&静=キョーダイン兄妹に騙されての特訓と破壊工作、アクションは撤退戦、スイッチ作成は弦ちゃん救出×キョーダイン撃破のためで、ⅩⅤⅡやインガの主題とのかかわりは(MEGAMAXの時に比べても)だいぶ薄いです。
弦ちゃんのように、ⅩⅤⅡの破壊工作に組みしたことを詫びるわけでもないですしね。
スイッチ作成前のコズミック単独での大規模ワープドライブの段階で、流星がインガを認め、弦ちゃんがXⅤⅡに対するオトシマエを着けて、その辺りの話を一度落ち着けちゃってる点も、スイッチ作成からのフォーゼMFSでの戦いを、「頭にキタ」非道を働いたキョーダイン兄妹を潰すためだけの戦いにしてしまっていて、ライダー部一同を撫子の時のようにⅩⅤⅡの話に絡ませられなかった要因になっているかと思います(非常に微妙な構成の差異だとは思うのですが…)。

こうした各点において、強い一本の柱を持っていたMEGAMAXと、柱が分裂して細くなってしまいどれが大事なのかわからなくなってしまいそうなみんキタとでは、構成において大きな差があると思います。



<まとめ>

個人的には、話のわかりやすさというのは、一本筋が通っているかどうかに左右されるもので、明解に敵と味方が分かれていることは必ずしも重要ではない、と思います。
この点については、同時上映だったゴーバスターズ劇場版が、詳細な説明をTV本編に頼っている(=未見の人に優しくない)という欠点を持ちながらも、サブタイトルにもあるような「特命:東京エネタワーを守るため、エンターとスチームロイドおよびメガゾード軍団を撃破せよ」というヒロムら主人公たちの目的を主軸として一貫していることで、みんキタ同様アクションてんこ盛りながら、短い尺の中で(むしろ短いからこそ)目を引きつけさせる作品に仕上がっていたことにも通ずると、個人的には思います。
その点、みんキタは「敵と思っていたのが味方で、味方と思っていたのが敵」という物語の流れを取っていて、故に弦ちゃんら主人公たちの目的が一貫しない構成のため、それとは別に、物語の主題を主軸として一貫する必要があると思い、このような(長ったらしい)検証を展開した次第です。


一方で、補足として、「TV本編のフォーゼを重ね見てしまうこと」についても触れておきたいと思います。
先に触れた「悪役を悪として撃破してしまうことの是非」の問題については、それが問題となること自体、「(悪役である)ゾディアーツ(のスイッチャー)ともダチになる」ことを志向するTV本編のフォーゼの主題があればこそのものです(この問題がTV本編とオーバーラップしていることも前述のとおりです)。
もちろん、映画単体の作品・演出の構造として問題がある(と思われる)ことについては、ここまで検証してきたとおりですが、映画のこのような点を問題としている人とあまり気にしていない人では、TV版に対しても同様な傾向が見受けられるような印象を、個人的には持っています。
これを、単に「枝葉の気になる人と気にならない人の個人差」に帰して混ぜっ返すのもアリかと思いますが、ここではあえて、こちら(http://ameblo.jp/the-final-r-cr3/entry-11319560201.html)で検証したような、TV本編のフォーゼの、迷走とも言える「(悪役である)ゾディアーツ(のスイッチャー)ともダチになる」ことの変遷の影響を持ち出して、お茶を濁したいと思います><;

キョーダイン問題もそうですが、やはり「元々の作品・キャラクターのイメージ・印象」の問題は大きいと思うのです。
個人的には、スーパーヒーロー大戦が、「敵を騙すにはまず味方から」でみんキタのような物語の流れのねじれを持ちながら「様々なヒーロー同士の絆」という主題で(最終的には)一貫していたにもかかわらず、「みんな(視聴者の)味方」というイメージの強いヒーロー同士の殺し合いや、近作ゆえイメージの強い(薄れていない)ゴーカイジャーやディケイドの面々の(状況的には致し方ないとも言える)変貌が、「キャラの改悪だ」「彼らはこんなことしない」と非難されたのを、思い出さざるをえません。
(yahoo映画のレビューでは、スーパーヒーロー大戦が酷評の嵐なのに対して、みんキタは絶賛の声が大きい状態です…なんででしょうね^^;)

ともあれ、通り一遍ですが、「各キャラクターを(ファンの思い入れも込みで)大事にしながら、一本筋の通った作品にしてほしかったな」ということで、締めさせていただきたいと思います。






<おまけ:妄想改変みんキタを考える>

さて、文句ばかり言ってもなんなので、「じゃあどうしたらよかったのか」を、なるべく公開版を大事にしつつ、妄想込みで考えてみたいと思います。
…もしかしたらカットシーンにあるかも?といった余計で分不相応なな期待もしつつ…><;

ポイントはⅩⅤⅡの主題とインガの主題の融合です(もちろんこれにキョーダインの扱いも絡まります)。

そして改変ポイントは2点、ゲストキャラ4体+1人の関係性と、弦ちゃんに対する流星の立ち位置です。

ⅩⅤⅡ・キョーダイン兄妹・ブラックナイト・インガについて、作中での彼らの関係性は、前4者はインガの父・ブリンク博士の作った宇宙鉄人であり、今は前3者と後2者は敵対関係になり、インガにとってキョーダイン兄妹は父の仇です。
ここで、彼らの過去がほとんど描かれていない点を使い、
「ⅩⅤⅡ・キョーダイン兄妹・ブラックナイト・インガはかつて友達だった」
と改変してみます。
(…実際には4体の宇宙鉄人とインガは、ブリンク博士を「父」に持つ「兄妹」と言えるのですが、ここはあえて、フォーゼの主題である「ダチ」に沿う形で改変を考えてみたいと思います。)

例えば、キョーダイン兄弟の頭部デザインも、元々は原作に似た丸いタレ目のデザインだったのが、ブリンク博士殺害の一件に至るまでに(例えば、落雷事故によるショックでシステムが異常を来たしたとか何とかで…ってどこの人造人間だ><)、公開版の凶悪フェイスになった、とか。
同性(?)のインガと静=スカイダインは元々親友だった、とか(百合言うな←言ってねぇ)。
ブラックナイトも元々喋れたのが、事故により喋れなくなったとか。
ⅩⅤⅡも元々原作カラーだったのが、事故によりフェイズシフトダウン(違)したとか。
…えーと^^;

ともかく、この変更により、ゲストメンバーを互いに関係させられるようになり、バラけていた主題を近づけることができるでしょう。
何より、弦ちゃん=フォーゼがキョーダインを倒すことに、「(ダチになれた)ⅩⅤⅡのかつてのダチの暴走を止める」という、(あえてイヤな言い方をすれば)大義名分を与えることができます。
大規模ワープドライブの前に、ⅩⅤⅡから弦ちゃんに「キョーダインの制止」を頼めば流れはできると思います。
(助けられないので倒してでも止めてほしいⅩⅤⅡを、ダチなら助けようと制してまずは止めるべくワープドライブを敢行する弦ちゃん、しかしキョーダインは公開版同様に端末を破壊・弦ちゃん怒り爆発…と言う流れだと、倒すしかない相手としてのキョーダインの凶悪さがより引き立つかと。)
インガとブラックナイトの戦いも同様に、「かつての友達の暴走を止める(倒してでも)」ということになり、フォーゼMFSの最終決戦に、ゲストメンバーとライダー部も含むレギュラーメンバーとの総意を集約できるようになります。
序盤のバスからのインガと静の対立も、ただの敵対相手から、既知の相手→旧友との対決という意味合いに変わり、ブラックナイトの破壊も、ⅩⅤⅡ端末破壊と同様に、倒すしかない相手としてのキョーダインの印象を後押しするかと。
「機械」とダチになりたい弦ちゃんに、「機械」の友達に裏切られ父を失ったインガが反発する、というようなシーンもあれば、インガと弦ちゃんの関係性も生まれます(空港戦あたりかな?)。

一方で、流星はもう少し弦ちゃんから距離をとってもいいように思います。
機械とダチになりたい弦ちゃんと、それは無理だと突っぱねるが当初は敵であったインガとは心を通わせてしまう流星…と言う対比構図を、もう少し目立たせてもいいように思うのです。
それにより、インガと心通わせた流星が、機械とダチになろうとする弦ちゃんを後押しすることで、弦ちゃん&ⅩⅤⅡとの主題と流星&インガの主題とが結びつく、といった流れが生まれるのではないかと。
具体的にはⅩⅤⅡ端末破壊のシーン、怒るも力尽きる弦ちゃんと、想いを請けたインガのために、一人変身しキョーダイン打倒のため戦う流星…はい、そういうのを私が見たいだけです><
流星については本当に、個人的なほんのちょっとのニュアンス・描写の違いだけかなと思うので、ゲストの過去に関する俺設定とは関係なく、DC版などでそういう感じになっていたら嬉しいです^^

さて、問題はこのあたりの尺をどう捻出するかですが、やっぱりスイッチ40個のところの短縮と、監督には悪いですが、序盤のインガのアクションシーンを削ってもらえればいいかなと><
具体的には、アバンタイトルというには長過ぎる財団X&レオ・リブラVSインガwithブラックナイトの尺をアバンタイトルらしく削り込み(監督失礼します)、主人公である弦ちゃんの登場に素早く繋ぎ、次いで、OSTOレガシーへ向かう途上でのインガのカーチェイスアクションも(すみませんが)削減。
この2点だけでも十分にちょこちょこ追加するための尺の余裕ができると思います。
(ぶっちゃけですね、主人公はインガじゃなくて弦ちゃんでありフォーゼなんだから、弦ちゃんとフォーゼの活躍をこそ早くじっくり見せて欲しかったのです…いくらハニー(違)が美女でアクション映画らしい素敵アクションであっても、これはフォーゼの映画なんだから、見たいのはフォーゼとメテオの着ぐるみアクションだったんだ、というのは、最後に声を大にして言っときたいです><)


えーなんか締まりが悪いですが、これ以上は妄想が過ぎるしスタッフに失礼と思いますので(今更かい!(-。-;)、暴言はここまでとして、残る最終2話と冬のMOVIE大戦を、心から楽しみに待ちたいと思います^^
…これでもフォーゼと弦ちゃんは好きなんですよ、ホントに!

久々のブログ記事であります…そして久々のライダーネタであります!で、やっぱりツイッターに上げるには長過ぎてしまったネタであります…><

というわけで、フォーゼ脚本家考を通じて弦ちゃんについて考えてみたいと思います。具体的には弦ちゃんとゾディアーツおよびスイッチャーそれからライダー部の扱いの、脚本家3氏(中島・三条・長谷川)の違いと変化について。まあ、かなり大雑把な印象論ですので、異論大歓迎です(できたらお手柔らかに…σ(^_^;)

<1クール目:中島氏と三条氏が引いてしまった基本ライン>
中島氏の初期担当回は1-6話、健吾・美羽・JKとダチになる回だったわけだけれど、弦ちゃんが友達作りのエキスパートな性格とは必ずしも言い難い面はところどころ描かれていたように思う(短絡して健吾に謝ったりJKの優先順位低かったり)。
一方でさすがにメインライターの中島氏、ライダー部メンバーだけでなくゾディアーツのスイッチャーとも友達になろうとする弦ちゃんの姿がちゃんと描かれていた印象。ラストワン状態のゾディアーツ撃破後にも、多少なりともスイッチャーの姿が描かれていたイメージがある。
一方その後の三条氏による隼・友子編では、ライダー部メンバーとなる2人と弦ちゃんの友情にフォーカスされている感じで、ハウンド・アルター両ゾディアーツともに撃破後のスイッチャーの姿はスルーされていたように思う。
この辺りの描写の比重が、「弦ちゃん的にライダー部メンバー>ゾディアーツスイッチャー」というイメージの元じゃないかと思っているのです。ただ、多分これは一概に三条氏のせいとは言い切れなくて、中島氏も直後のピクシス(ロッカー)編で同じようなことになってるので…><
実際これは、ライダー部メンバーの描写の比重が上がると避けきれないことのようにも思います。どうしても主人公は弦ちゃんとライダー部なので、フォーゼが彼ら中心の物語でありゾディアーツスイッチャーはゲストであることは避けられないんじゃまいかと。

<2クール目:三条氏のメインライター化?と長谷川氏の参戦>
で、個人的には中島氏・三条氏相互に影響を与え合ってる感じにも見えるのが2クール目序盤のフォーゼ。三条氏がオリオン三浦くんのその後やペルセウスのようにスイッチャー側重視の話を描く一方で、メテオ/流星の登場とホロスコープス暗躍の本格化で中島氏もライダー部中心の作劇にシフトしてる感じ。
というか、2クール目だけを見ていると、メテオ(流星に非ず)やマグネットの初登場という重要回を担当し本数も多く(4エピソード)手がけてる三条氏にメインライターがシフトしているようにも見えてしまったり…中島氏は流星と鬼島の初登場回のみの担当(2エピソード)なんですよね…。
そしてこの2クール目で、一応は和解対象だった一般ゾディアーツに対し、彼らを生み出す悪役としてのホロスコープスと、ライダー部内部にいながら弦ちゃんとダチになれない異分子であるライバルライダー・流星という、内外で弦ちゃん・ライダー部と対比になるキャラの配置が顕在化してきてる印象。
それだけに、どちらも一般ゾディアーツを利用する側のホロスコープスと流星に対して、ライダー部内部にいる流星のみが和解対象になる、という歪みを見てしまうのだけれど…。これにライダー部をメインに描きがちな傾向のある三条氏のメインライター化?を重ね見てしまうと…><
で、中島氏が流星と鬼島を描いてるてのは、氏が弦ちゃん&ライダー部に対置されている側を描いてる的指摘もできるかなと。それでもやはりライダー部寄りになってく流星と、一般スイッチャー時の描写がミスリードで削られて結果悪役ホロスコープスとしての描写中心になった鬼島という差はありますが;
一方、2クール目終盤から参戦の長谷川氏は、キグナス・ムスカで一般ゾディアーツのスイッチャーにフォーカスした話を描いてて、それらに目が届かない傾向になってきてる三条氏と中島氏へカウンターをかけている感じ。どちらもスイッチャーの情念を昇華するような話になってるのが個人的に好印象^^

<3-4クール目:3氏のローテーションとホロスコープス>
3クール目にかけては3氏のローテーションが確立されつつ、ホロスコープスとの戦いが本格化していく。流星と鬼島の一応の決着をつけた中島氏が京都回で幹部続出の下準備をすれば、三条氏はコーマ・アリエスとやはり重要回を描きながらライダー部中心の描写でスイッチャーの悪役描写を進める、と。
長谷川氏は、和解対象とは言えないながら悪役というよりただの音楽バカ系とも取れるカプリコーンと、彼と弦ちゃんとの友情の2択や自身の夢と未来に揺れてライダー部から飛び出すJKを描くなど、3氏それぞれのキャッチボールが見える感じが個人的には。
ホロスコープスに対しては、三条氏もダチになれそうだったアクエリアスを描き、長谷川氏がタウラスで実際にダチになるとこを描き、さらに中島氏が長らく中心幹部だったヴァルゴともダチになれる様子を描く、と4クール目までに3氏共同で徐々に悪役から和解対象にシフトしてく様子が見て取れるかなと。
(この展開は、シリーズ構成的にこうなったようにも3氏間のキャッチボールの結果にも見えるのが面白いなあと。この辺りは塚田Pの采配はどうだったんでしょうかねぇ…長谷川氏参戦の最終判断は塚Pによるものでしょうけど。)
ただ、一般ゾディアーツのスイッチャーが初期から和解対象的(ダチになれる)だったことを踏まえると、やはりアクエリアス戦でライダー/ゾディアーツだからというのを鵜呑みにする弦ちゃんや、ジェミニ回の例のユウキリンチは違和感を禁じ得ないわけで。で、これどっちも三条脚本という…><
(ついでにどっちも「巨匠」石田監督回でもあり…; 劇中描写については監督の采配も大きいでしょうし、初期のJK編も巨匠監督回なので、結構与えてる印象は大きいような…>< ただ、ハウンド・アルター回やコーマ・アリエス回は別の監督で三条脚本なので…三条ファンの方ごめんなさいorz)

<補足とまとめ:弦ちゃんとダチとゾディアーツ>
あと、一般ゾディアーツも終盤の続出ホロスコープスも、弦ちゃんが全員とダチになるとしている「生徒」てとこが与える印象も大きいかと。園ちゃん「先生」は倒されてハリケン青「先生」とはダチで、とかも含めて、「なんで片方はダチにならんのだ」感が育まれるのかな><
…肝心の弦ちゃんに触れてない>< 3氏とも弦ちゃんのキャラは「ダメな所もあるアホだけど友の為には命を張れる」的な基本線は外してないかと。とすると問題は、ここまでのような弦ちゃん以外への描写の比重の置き方が、≒弦ちゃん自身の彼らへの比重の置き方、的な印象になってんじゃないかな、と。
まとめると、序盤から三条氏中心に傾向があったライダー部>スイッチャーの描写比重が弦ちゃんの生徒全員とダチになるというスタンスに歪んだ印象を与えていて、その描写比重が、終盤にかけてホロスコープスともダチになるような方向になってきてる物語と、齟齬を生じてるのではないかと #個人的には
…ぶっちゃけ三条氏がホロスコープス=悪役て配置から抜けられなくて、終盤からのホロスコープスの扱いの変化に対応しきれてないんじゃ、と思うけどこれは偏見っぽいかな><; 長谷川氏がスイッチャーとの和解メインなのに対して、中島氏はメインライターらしく両者のバランスを取ろうとしてる印象。
残り8月分は中島氏が最後まで書くんだろうけど、うまくバランス取ってまとめてくれることを期待したいなぁと #個人的には …レオか校長にシワ寄せ行きそうな気がしちゃうけどさ><(まさかここに至って財団Xは出さない…よね?^_^;)


といったあたりで終了です。ツッコミ歓迎です。コメ欄でもツイッターの方でもどうぞ。長々と駄文失礼しましたーm(_ _)m

新ライダーフォーゼ開始も迫っているので暴投(?)してみる。ツイッターに流そうかと思ったけどあまりにTL汚しなのでこちらで。言葉の定義とか論じてる対象とか作品とかの解釈上色々アレでしたらごめんなさい(と先に逃げを打っておく)。ちなみにウルトラマンネクサスとガンダム00ネタもあるよ!(やめろって)



オーズとまどマギに関して色々考えてみた。考えながら書いてたから最初と最後で言ってること違うかもしれないけど気にするな!


まどマギが「ゼロ年代()」と言われるのは、ゼロ年代というか決断主義的な、「私、決断します!私一人で決断します!他の人は全て敵ですよね!」的なところがあるからなんかなぁ、とか(ぼんやり)。龍騎やバトル・ロワイヤル的な、他人を敵として戦わなければ生き残れない、感覚、みたいな?

オーズは始めから違って、自分同様に決断する他人の欲望を認めたり、他人を利用したり、他人を拒絶しない視点が多分ある。理解し合えたり折り合いついたりしなくても、とりあえず自分とは違う相手がそこにいる事を認めながら、一緒にやってく、みたいな。その結果そこはかとない、でも確かな絆が生まれる。


他人は無きに等しくキミとボクしかいないセカイ系
→ある意味でほとんどボクと他人しかいなくて他人はすべからく敵という決断主義
→物語にはキミしかいなくてボクは物語の外からキミたちを見て楽しむ日常系
→他人同士がキミとボクの輪を育てて拡げていくオーズ(持ち上げすぎだwあとまどマギは?)


こうみるとまどマギがゼロ年代の集大成てのは、確かにと思えてくる。セカイ系と決断主義と日常系のハイブリッド。
セカイ系は世界を侵すほむまど愛とか杏さや心中とかのカップリング面。
物語の基盤は決断主義的バトロワ設定。
男がいなくて視聴者が少女たち(の悲劇)を愉しむのは日常系(のネガ)的。

ただ、まどかは結構その辺から逸脱しているとも思う。
まどか主人公としての話を通している辺り、(金太郎飴っぽくてともすれば誰が主人公でもいい)日常系っぽさは薄いし。
まどかの概念化はほむらのためだけでなくさやかのためでもあるあたりキミとボクとは言い難いし。
バトロワの舞台には中々立てないし。

でもそういうまどか自身が世界を書き換えるんだよな…たった一人で。
でも全くの一人じゃない。まどかはマミの、さやかの、杏子の、ほむらの、全ての魔法少女の生き様と死に様を目の当たりにして、少なからずそれらから影響を受けながら、世界を書き換えた。まどかの願いは全ての魔法少女の願いの最果てにある。


言うなればウルトラマンネクサスだ。受け継がれていく魂の絆。その果てにあるのが戦い続ける世界というのも相似だ。
ただ、孤門が凪・姫矢・憐と徐々に理解し合っていったのに対し、まどかは果たして他の魔法少女を理解していたのか。
ほむらを筆頭に、まどかにとって彼女らは未知なる様々な事情を持った他人だ。(禁句:尺)


ちょっと逸れたがオーズに戻って。オーズもセカイ系と決断主義と日常系のハイブリッドに思える。
各人とグリードの欲望とメダルのせめぎ合いはバトロワ的だし、
中盤のキャラの掛け合いを楽しむ辺りは日常系っぽい。
それでいて世界の終末云々言い出すとこもセカイ系的(平成ライダーはいつもそんなもんだけど)。

で、オーズもネクサス同様(禁句:尺があるから)映司はアンク・比奈の事情や人となりを理解していった。
また、さやかのように自分と違う他人を完全に拒絶はしないし、ほむらのように自分の目的だけに拘らない。
…その辺はまどかもほむさや共闘を持ちかけるとか努力してた気がするけど。うまくいってないけど><


まどマギを、ボクとキミと他人とで言うとしたら、まどかの決断→概念化は、
他人をキミに見立てて、ボクとキミたちの思いを押し通そうとした、とか言えるのかも。
あくまで見立てで、ボク=まどかから見たキミ=魔法少女たちでしかないから、実際には他人であって、ほむらもさやかも泣く破目になる、と。


セカイ系・決断主義・日常系・オーズ・まどマギを、キミとボクと他人の関係として、さっきみたいにまとめると、世界というかシステムというか問題というかに対する態度みたいなのも、まとめられるかもしれない。


「他人は無視してキミとボクのセカイに篭って問題を壊そう」というのがセカイ系
→「キミのためにボクは決断して問題を解決する!(他人?敵だよ!)」というのが決断主義
→「キミたちかわいいねー他人も問題も無いしボクは楽しいよー」というのが日常系(disっぽいけど日常系も好きだよ!)

「キミたちのためにボクが決断して問題を解決するよ!(でもキミたちは本当は他人なんだ…><)」というのがまどマギ。
「問題を解決するには、ボク一人では足りなくて、他人ではなくなったキミたちが必要なんだ」というのがオーズ。
というのはどうでしょうか?


(おまけ)ネクサスは「元は他人だったキミたちの思いを継いで、ボクも問題に立ち向かうよ!」という感じで。
さらにガンダム00は「問題を解決するには、ボクと他人から、ボクとキミになれればいいんだ」という感じかしら。


(補足)まぁオーズも他人であり続けた真木博士やカザリ他のグリード(アンク除く)は皆殺してんですけどね><
やっぱり分かり合えない相手もいる(皆殺していいかどうかは別の話としてもこれは確か)。
伊達さんも真木博士と仲良くなれても、袂を分かつしかなかった。
キミになりきれない他人もいる。

でもそれがオーズのリアリティでもあると思う。劇中的にも現実と比較しても。
誰も彼もと分かり合えるってのは実際には難しい訳で。要は「人類全てに叡智を授けてみせろ!」て話で(違うか><)。
それこそトランザム(クアンタム)バーストみたいな裏技でもカマさないとどうしようもないはずで。

まどマギでもまどかは概念化という裏技がなければほむらたちの事情は知り得なかった。
ただ、知り得なくても、自分の中の他人(キミに見立てた他人)に全力で命を賭けたのがまどかで。
それは半ばエゴだけど、努力しても他人の全ては知り得ない我々にとっても、自分のできる精一杯かもしれなくて。


まどかが悲しいのは、大事な時に誰もまどかの話や気持ちをちゃんと聞いてくれないんだよな…
マミさんはもう何も怖くなくなっちゃうし、さやかはあたしってほんとバカだし、
杏子はそんなの私が許さないだし、ほむらも最後に残った道しるべだし。
まぁまどかも私の最高の友達でほむら泣かすんだが><

オーズだとその辺は比奈が担ってて。アンクにも映司にも比奈の声は届かない。
ただ(尺のおかげで)映司もアンクも比奈の想いはある程度理解してる。
で映司とアンクは、男らしく殴り愛で理解し合うとw 互いと自分の欲望を。
知って満足したアンクは、ある程度理解していた比奈を気遣ったりもできて。


映司は戦いを共にし少なからず理解し合ったアンク・比奈・後藤や伊達の助けで己の欲望に気付き、
彼らと手を繋ぎ合うことでそれを叶える道を見い出した。
まどかはマミさやあんほむの生き様死に様から自分の願いに辿り着き、
概念化という孤独な戦いを選んだけど、彼女と共に魔法少女たちは戦い続ける。


オーズ・まどマギで違うのは、やっぱり絆のあり方だよなぁ。
互いに手を伸ばし合うオーズでは、人間に戻れた映司はこれから絆を広げていける。
対してまどかの概念化は一方的で一般人は蚊帳の外だけども、それもまどかなりのマミさやあんほむの尊重ではある、と。
彼女らが一般人を守っていくだろうことも確かだしね。


そんなこんなで全くまとまらないけどこれまでにしておく。これ以上やってもまとまる気がしないw でも気にするな!


(全体の補足)ボク=主役キャラ、キミ=主役キャラと親しい人間、他人=主役キャラにはよくわからない人間、くらいの定義で話しています。この場合、キミにもボクには知り得ない側面はたくさんあるので、容易に他人になりえるのですが、さらにややこしくなりそうなので最後に補足として置いておきます。


そろそろライダーネタより「まどマギネタやるよ」にブログの説明文を変えたほうがいいような気がしつつ、今回はまどマギのスピンオフ漫画「魔法少女おりこ☆マギカ」について。
本作はまどマギ本編のIFでありつつ、鏡のようにまどマギ本編の諸問題を浮き彫りにするような作品として、某所でも話題になりました。
(発刊後数日の一部の皆さんの意見まとめはこちら↓
「おりマギとまどマギについてみんなで丸2日考えてみた」 http://togetter.com/li/149680)

その中で、先週水曜の昼に自分とある方々で議論になった
「おりこ☆マギカにおける、ゆまの「いつかはいまじゃないよ」でマミは救われたのか、その妥当性はいかほどか」
という件について書き溜めてた分を、返信代わりにブログで流しておきます。

あくまで検討途中で印象論も込みなので、再読・検証で細部が変わる可能性も低くは無いと思われます(と逃げを打っておく)。


マミさんとゆまの問題、個人的にはおりマギの構成の問題だと思ってます。端的に言えば、散々既出だろうけど、描写が足りないんでないかと。マミも、ゆまも、両者の関係も。

マミは中盤主役張ってるけど、その間ゆまとも杏子ともほむらとも、もちろんおりことも一瞬しか関わらない。大部分をキリカと向かい合っている(んでキリカは決戦時に魔女化で事実上退場)。マミ自身のドラマはほぼない。狂言回し的に魔法少女殺人事件を追った果て、魔女化を知り豆腐化する。

そこでゆまの台詞が来るわけだけれど、序盤魔法少女になって以降、ゆまの出番はほとんどない。決戦に杏子と参戦し(ほとんど杏子のオマケ状態)、キリカの魔女化に動揺し、マミが完全に豆腐化した瞬間、例の台詞を放つ。もちろんマミとのコミュニケーションはほとんど描かれない(決戦時に会った際傷を心配する程度)。

何故こうなるかというと、多分1巻と2巻で主人公サイドが交代してるからじゃないかと。1巻はゆま杏とマミさん、2巻はおりキリ。描写の比重がそんな印象。

とまあこれだけだと印象論なので、もう少し検証してみる。

おりマギは3部構成になっている。「ゆま魔法少女になる(1・2話)」「マミさんVSキリカ(3・4話)」「見滝原中最終決戦(5・6・7話)」…このそれぞれで実質上の主人公が異なっている。

ゆま編の主人公は杏子で、物語は主に彼女の視点から語られる。あらすじは「杏子は助けた少女ゆまと行動をともにするようになる。魔法少女に憧れるゆまを咎める杏子だったが、謎の白い魔法少女おりこの策略により、ゆまは魔法少女となってしまう。おりこを敵視するようになる杏子。」といったあたりか。

マミキリ編の主人公はマミ。「魔法少女殺人事件を追うマミは少女キリカと出会う。束の間ふれあう二人だが、キリカは事件の下手人たる黒い魔法少女だった。追い詰められながらもなんとかキリカを撃破するマミ。だがその前に、黒幕たる白い魔法少女おりこが現れる…」的なあらすじかと。

とすると、決戦編は「主人公二人(マミ杏)が協力し巨悪(おりキリ)に挑む」というのが自然な流れかと思う(実際そういう側面はある)のだが、ここからが歪なところで、物語はむしろおりことキリカを中心に進む。しかも、彼女たちの敵はマミ杏ではなく、あらすじに現れない程度の存在感だったほむまどなのだ。

ちなみにおりキリが物語の前面に立ってくるのは、第3話から連続するアバンでの過去語りによる効果が一つあると思う。3話までのおりキリは何を考えて行動しているのか、その真意がわかりづらい。3話については1・2話でほとんど悪役サイドだった印象が残っている面もあり、そこで巻も切り替わって一拍置かれるので、そうした効果もあるだろうけど(1巻2巻で主人公サイドが代わるというのはそういう話)。

決戦編あらすじ(おりこ中心)「見滝原中を魔女結界に包むおりこ。彼女の目的はまどかの抹殺―立ち塞がるほむら、そしてマミ・杏子・ゆまらを、魔女化したキリカとともに追い込むおりこ。だがゆまに奮起させられ共闘した一同に、キリカ共々倒されてしまう。それでも最後の力でまどかを殺し、おりこは目的を達するのだった」

たぶんマミ杏ておりキリの目的(まどか抹殺)を最後まで理解してないよな…?前半主人公が後半ほとんど蚊帳の外ってどういうこと…?

こういう主人公交代なら種死を例に出すのが通例だよねw ゆまがシン、杏子がアスラン、マミはキラ。んで、おりこ=議長でキリカはレイかな。…問題はおりこ議長の敵が、当初イザディアくらいの扱いなほむまどってことだw シン・アスランはもちろん、キラでさえほとんど議長と話ができないという><

ああ、さやかあちゃんは狂うぜ隊長ね。忘れてたけど!(グシャ ←オクタさんに潰されました

おりマギ、なのはstsにも当てはめられそうだけど誰かやってー><

とりあえずそんなところ。主人公の機能についてはもうちょい考えたいところもあるけど、それはまた次の機会にということで。
ツイッター用に書いたけどとりあえずここに。検証目的だけどこれしんどいわw 殴り書き程度です。


まどマギを1話から見直してる。ようやくですよ今さらですよw あらかた言及されてるだろうけど、まぁ自分用ってことで。主な注目ポイントはまどかの視点。彼女の自己肯定感の変遷とか。それからまどかと家族の関わり。あと気付いたこと思い付きでちらほら。

というわけで1話。まずアバン。4周目のワルプル戦。まどかをそそのかすQB。実際はこの時の言葉通り、まどかが全てを覆すのだが(いやま魔法少女システム全て取っ払う訳じゃないけどさ。なんつうかイメージ的に)

4周目の時点のまどかはたぶん何も知らないのよね。ほむほむから魔法少女/魔女から遠ざけられてたはずだから。知らないから、ただワルプルを倒す力だけを望んだのかもしれない。そんな印象。クリームヒルトは救済の魔女だから違うかもしれんけど。

まどか「私なんかでも、ほんとに何かできるの?」…アバンから既に微妙な自己評価の低さが>< 4周目はほむほむに守られっぱだから、戦いとか関係なしに、日常生活でもこっそりもどかしさを溜め込んでたんじゃなかろうか…。

多分ほむほむは日頃からまどかに付きまとって手取り足取り以下略。さやかにウザがられつつまどかにフォローもらってるとこまで妄想した…ほむほむマジほむほむ。

夢から覚めたまどか「…夢オチぃ?」…うーん、なんかメタ視点を感じて、好きじゃないセリフなんだよなぁ。別に要らん気がする。普通に「…夢ぇ?」ってだけでいいんじゃない?まぁフックはあるけどさ。ヲタ向けのキャッチーさというか。

OP。涙を流す魔法少女まどか。本編最終話のまどかには、涙を流すようなことは…あったか。家族とも友達とも永遠の別れだもんな…。しかし詐欺OPだなぁw

魔法少女としてうまくいってない「詐欺OPの」まどか。ベッドで悶々としたり、その後で変身シーンだったり、魔法少女になることがまどかに自信を与えるように見えるけど、繰り返すけどこれ「詐欺OP」なのよね…(^^;

OP明け。家庭菜園のトマトをハサミで切って摘むパパさん。少女→魔法少女→魔女→グリーフシードを摘み取るQBの暗示?とかなんとか。…てかパパさんがママより先に出るのね。

幼児に叩き起こされるママさん。…非常に親近感覚えるわぁw 男親ポジでしょこれw ホントに男女の役割逆転してる夫婦よね(^_^)

個人的最注目の洗面所シーン。母娘のコミュニケーション。円滑。友達親子っぽい? …仁美はモテる(メモ書き)。しかしママン容赦無いな(奥手な少年に対して)。続いてママンの友達でもある先生の恋愛話。まどかはあんまりよくわかってないというw…しかし恋愛というとさやかあちゃん…(TT)

リボン選定。まどか「派手すぎない?」ママさん「それでいいのさぁ。女は外見でナメられたら終わりだよぉ?」マ「いいじゃん。コレならまどかの隠れファンもメロメロだ」ま「いないよそんなの~」マ「いると思っておくんだよぉ。それがぁ美人のひ・け・つ」ピンクのリボンを付けた自分を見て笑むまどか。

リボン選定のシーンは小さな承認のシークエンスかと。ほんの少し自信のないまどかに、ママさんが大仰なこと言って自信をつけてあげる流れ。ママさんからまどかへの他者承認を経て、まどかは自己承認に至る。一連の流れはごく普通の日常といった印象。まどかが年相応にママさんに甘えている、とも見れるか。

トマトをフォークで刺して食べようとする幼児。冒頭のパパさんに繋げれば、この子もQBということに…(^^; QB=男のメタファー、か…?しかしバリ主夫のパパさんという…食卓でのポジションといったらw ともするとむしろQB=母親=女のメタファーだったりするのか?(←もはや混乱の域)

出立の時間。パパと息子にはキスを、娘にはハイタッチを交わすママさん。…まぁ母親が年頃の娘にキスはしないか。パンをくわえて駆けてくまどかはテンプレ描写やねぇ…実際これやってるリアル中学生はどれだけいるやらw 耳まで押し込んでにっこりまどかさんかわゆす。

近未来っぽい街並み、爽やかな緑、そして仁美とさやか。二人にピンクのリボンを褒められるまどか。またも「派手すぎない?」当人にしてはちょっと背伸びした感覚だろうね。普通の反応な気がするけど、この繰り返しがおとなしめの印象を与えるのかな…?

仲良さげな3人…今だけだよ(;_;) ちょっと仁美がまどさやより引いたポジション?まどかママをバリキャリと呼ぶさやか…初見時から思ってたけど、今の女子中学生はこういう言葉を使うのかね?おじさんにはわかりません(爆)

まどかさんの恋愛話はその後少しもなかったね…まぁ嫁はほむほむだから仕方ないかw さやかあちゃん、君じゃないんよw さやかの嫁発言もメタっぽくてちょっと…ヲタの視聴者意識し過ぎというか。仁美の恋文への反応は、後から見ると恭介への思慕を想起させるけど、この描写だけではどちらとも取れるね。

さやかのリボン評含め、ここまでのまどかは、恋愛にちょっと背伸びしたい、普通の女の子、といった印象。…今の世の女子中学生としたらやっぱりおとなしい方なのかしら?おじさんよくわからんけど(汗)教えて現代の中高生!(爆)

これも初見時から思ってたけど、先生がロリっぽく見えて仕方がない…キャラデのせいか。目玉焼きの焼き加減とかその程度でダメとか良いとか言っちゃいかんよ、特にまどかたちはw 夕方帰ったら仲良くなってるかもしれないでしょ?…そうでないのがあの先生なのかw

さて、真打ち登場。ほむらさんです。さやか「すっげぇ美人…」まどかは夢の少女にまず驚き。見つめられて戸惑い。

ほむほむの心境は追いにくいなぁ…3周目以降は描写少ないから。この時の気持ちも、3周目4周目でもこのシークエンスはあったはずで、その時のまどかのリアクションがわからないことには、推測に推測を重ねるだけだなぁ。まどかの感じただろう「この娘なに?」的なとこに共感するしかない。

ほむほむはミッション系の学校だったか…教会へ通ってたりしたのかな?杏子の力を借りようとした一因かもしれない。…いやほむら的にはさやかもマミも信じられないって消去法なんだろうけど。

仁美のほむら評は「不思議な雰囲気の人」。ガン飛ばされた理由をさやかに聞かれるまどかだけど、答えられるはずもなく苦笑い。

気分の悪そうな(演技の?)ほむら…実際同じような経験5回目じゃある意味疲れるだろうw 保健係を理由にまどかとの時間を作るほむほむ…まどかを見下ろす表情は、まどか視点ならまさしく何考えてるかわからない感じだけど、事情を知ってるとまどかにハァハァしてるのを必死に押し込めてるように見えてくるぞw

道行く誰もに見留められるほむほむマジ美少女。保健係を知ってた理由を訊くまどかに、すぐ答えなかったのは焦って理由考えてたからか?一方、現状まどかにしてみりゃ戸惑うしかなくて、それがおとなしい、自信のない印象をここでも視聴者に与えてる感じか。

まどか「もしかして場所知ってるのかなぁって」おどおどしながらも警戒するわけじゃなく、明らかに怪しい美少女とそれでもそれなりに会話しようとしてる、まどかさんは案外しっかりしてると思うな。対するほむほむはなんかもうハァハァしてるようにしか見えなくなってきたぞ!w

とはいえ「暁美さん?」は堪えるらしい>ほむほむ 口つむぐけどアンタ、そりゃ自分の態度のせいですよ…orz 回りが見えてない、若さ故の、ってか…でも仕方ないでしょ。大切な友達の死に様を何度も見てきたんだもの。黒くもなるって。

ほむらが躍起になるのは当然のことと思う。…いや、実際躍起になったのは3周目で、親友殺しの一線越えて意地張って突っ走って一人で失敗した4周目の後、今回はそれなりに冷静なんだろうか?計算はしてるんだろうか…?

ほむらとなんとかコミュニケーションを取りたいまどかだけど、それが返ってほむらを追い詰めていく。知らないという罪と知りすぎる罠。なんぞとブレイドの前期OPの歌詞が浮かんだ。そして遂にほむらの忠告シーンへ…。

ほむら「鹿目まどか、貴女は自分の人生が、尊いと思う?家族や友達を、大切にしてる?」まどか「え…えっと…私は…大切、だよ。家族も、友達のみんなも。大好きで、とっても大事な人達だよ」ほ「本当に?」ま「本当だよ。嘘なわけ、ないよ」

ほむら「そう…もしそれが本当なら、今とは違う自分になろうだなんて、絶対に思わないことね。さもなければ、全てを失うことになる」まどか「え…」ほ「貴女は、鹿目まどかのままでいればいい。今まで通り、これからも」歩み去るほむら。独り残されるまどか。…しかし完全にすれ違ってるなぁw

ほむらにしてみれば精一杯の忠告だろう。具体的な危険を伝えてもまともに取り合ってもらえなかったし(3周目)、何も言わなくても結局まどかは契約してしまった(4周目)。婉曲に、しかし強く危機を伝えなければならない。…すると、何も知らないまどかにしてみれば、電波でしかないというw

文武両道才色兼備なほむほむ。といってもアドバンテージは4ヵ月程度なので、どんだけ努力しても病弱少女がここまでにはなれまい。魔法少女となったことで身に付けた能力でFAかな?

ほむらに見られてさやかの影に隠れるまどか。あっちゃーとうとう怖がっちゃったかー。ほむらの忠告はまどかにほむら自身を警戒させてしまう、と。ほむほむ的にはまどかの方見ただけなんだろうにね…orz

遂に現れるQB。この草みたいのはさやかの契約時(5話)に屋上にあった奴かな?…ってあれは病院だっけ?

ショッピングモールなどの街並みからファーストフード店へ。ほむらの忠告をさやか・仁美に話すまどか。「わけわかんないよねぇ…」いや、貴女が初出ですか?w しかし「サイコな電波さん」とか「キャラ立て」とか「萌えなのかー」とかどんだけヲタ視聴者向いてんですかさやかあちゃん。

初めて第1話見た時の、この辺のさやかのヲタ向け台詞の印象ってかなり強いのよね…個人的に。そのせいで、同じ魔法少女モノでも、例えば今のプリキュアとか昔のサリーちゃんとかと、まどマギ(あとなのはとかね)を同列に語るのに、ずっと違和感を感じてる。向いてる客が違うんじゃないかと。散々既出ですが。

夢の話まで二人に話すまどか。さて今回のタイトルコール入りまーす。「夢の中で会った、ような…」んまぁ、笑われるのも致し方なし。「酷いよぉ、私マジメに悩んでるのにぃ」しかしさやかのいう前世の因果、一番運命に抗えないのは言ってる当人という…orz

仁美「もしかしたら、本当は暁美さんと会ったことがあるのかもしれませんわ」まどかがほむらを夢に見たってのは結局なんだったんかね…前回のループの記憶ってほむら以外は持ちようがない気がするんだが。周回重ねて強化された因果の影響なのか…もっと面白い解釈はないかなぁ?

とりあえずさやか・仁美とのお茶会を経ても、まどかのほむらへの評価はわけわかんないよのままの様子。表情から不安が増しているようにさえ見えますな…。

お稽古事で先に発つ仁美さん…言葉尻からの意味ありげな表情アップといい、事情知ってると言い訳感甚だしい…(汗)恭介用のCD買いにまどかを誘うさやかと同一カットで背中映ってるのも意味深に見えてきてしまうな…。

ほむほむに狙われるQB(既に負傷か、血を散らしつつ逃走中)。…今このタイミングなのはなんでなんだろうね?4周目はほむらがまどかに接触する前に撃破だった様子だけど。ワルプルについて統計取ってたけど、他の周回とは大まかな流れが変わらないだけで、細部では色んな違いが普通に生じてしまうのかな。

QBさんからまどかに救援要請来ました!ピンポイントにまどか宛てだったのはこの時点でまどかさんターゲットにされてたんだろうな…そしてほむほむの怒りを買ったと。さやかあちゃんはついてかなきゃよかっただろうに(涙)喚び声に導かれてしまうまどかさん…気になった方へ向かってしまうのは仕方ないのかな。

恐々ながらも声の方へ向かい、呼び掛け、目の前に落ちてきた謎の生物を迷いなく抱き上げるまどかさん。中々の剛胆さです。そして(因果の?)鎖とともに舞い降りる女王様もといほむほむ。謎衣装のほむらにまどかさん驚愕です。

怪我したQBを庇うまどか「ダメだよ…酷いことしないで!」敢然と言い放たれます。芯の強さですな。悪人認定されたほむほむは可哀想ではありますが。「貴女には関係ない」で切って捨てる(つもりがないのは今なら声色でわかるけど、まどかにはそうとしか聞こえないw)あたりのディスコミュさがマジほむほむ。

見つめ合うまどほむ。インサートされる鎖はやはり因果の演出か?QBを守りたくて必死なまどかに対し、硬い表情のほむらだけど、内心は相当焦ってただろうなぁ。

そして消火器でさやかあちゃんがインターセプト。逃げられたほむらは風を起こして煙を吹き飛ばすけど、QBに撃ったビームやマミのバインド同様、ちょっとしたサブ的な能力なのかな?あんまり攻撃力高い能力だと自衛隊の装備要らなくなっちゃうしねぇ。そしてここでイヌカレー空間発動。

さやかのほむら評は「コスプレで通り魔」に進化w まどかはほむらに対しては混惑の度合いを深めるものの、傷付いたぬいぐるみのような生き物のようなモノに対しては「助けなきゃ…!」と決意の表情。やっぱ芯の強い娘だわー。主人公特有の能力かも知れんけど。

まどさやの周囲にも展開されるイヌカレー空間(と書いてダークフィールドと読む)。ちょっと展開が慌ただしい?ほむら・QBとびっくりさせられっぱなしなせいか、一番異様なはずの結界内部にはあんまり驚いてないように見えてしまっている>まどさや 実際には驚いてはいるのだけど。

まどさやを取り囲む使い魔の群れ。画はともかく、BGMと使い魔の声は割と明るめで、異様さが削がれてる感じ。声がもっと怖ければよりおどろおどろしいイメージになったかしら?助けに来たはずのさやかのステキな怯えっぷりが、辛うじて恐怖感を盛り上げている、か?

鎖の切れる演出。その鎖がまどさやを囲み障壁(と書いてメタフィールドと読む)を展開する。…うーんあれか、その前の演出も込みで、実はマミさん関連の演出だったか?もしくは「因果を断ち切るのはやはり魔法少女の力」という暗示か?ともあれ遂に参上、魔法少女マミさんです!

いろいろ起こりすぎたか、マミさん登場にも引き気味のまどさや…(^^; マミ「その子(QB)は私の大切な友達なの」白い悪魔にかどわかされてるマミさん乙です。臆せず事情を説明するまどか…まぁあからさまに怪しいほむほむより信用しやすいわね、助けてもらったし。助けてほしいだろうし。

いわゆるシャフト角度?のドヤ顔から、マミさんの変身シークエンスに突入です!…うん、このこっ恥ずかしさはさすが魔法少女です!w(←無印なのはさんの変身シーンも恥ずくて直視できない人) でもマスケット銃量産時の気合一声はかなりドスが効いてますw

しかしこのマスケット銃一斉射撃は酷いな…タイマンで使われたら逃げ場ないぞ。マスケット・フルバーストってか。ティロ・フィナーレ的な訳はマミさんに任せる。…実際技名いろいろ付けてそうだよね、マミさんw

何が火を噴いたか知らないけど大爆発、の前に舞い降りるマミさん。まどかは驚嘆。さやかは、元に戻った空間に安堵する。そして現れるほむほむ。ちょっとしょんぼり顔?

穏やかな口調ながらのっけから喧嘩腰のマミさん。「大切な友達」QBをやられた怒りか、声にドスが効いてます。効きすぎて、不穏当な雰囲気が漂い出したマミさんには、視聴者的には疑念さえ持ってしまうほど。対するほむほむも苛立ち気味。まどかとQBの接触は防げず、マミがいては力づくにいかず。

結局ほむらは、怯えるまどさやと不敵なマミさんを見て、その場を去ることに。ぎゅっと目をつむる表情が、今なら心情を察せられて痛々しい。背を向けたほむらを息を詰めて見つめるまどかのアップ。去ったほむらに、安堵の吐息でマミと微笑み合うまどさや…ほむほむマジ不憫。

マミのサブ技能・治癒能力で傷を癒すQB。そんな必要もなかろうに…(端末変えて傷物は食ってもらうとかさ)。かわいらしさ全開の自己紹介といい、まったくいやらしい演技だこと。名前を知られているまどさやの戸惑いも構わず、満面の笑顔で決め台詞を放つQB「僕と契約して、魔法少女になってほしいんだ!」

次ーー回っ!QBの誘う危険な契約!どんな願いでも叶えるって?そんな美味しい話…「それはとっても嬉しいなって」んな甘い話はないでしょー!まどさや逃げてー!そんな次回の魔法少女まどか☆マギカをみんなで見よう!(←今更ウザい)

予告の一枚画は本編漫画版のハノカゲ氏。まどさやとマミほむ。魔法少女になろうとする二人と、既に魔法少女である二人。提供バックはまどかのちょっととぼけたような笑顔。天然の気はあれど、地は別段自己評価低い娘じゃないと思うんだがなぁ。

さて、今回のまとめ。①ピンクリボン→電波ほむとの遭遇→魔女空間ご案内とイベント立て続けで、まどかは基本戸惑うしかない状況下だった点(普段の彼女の様子は推察するしかない)。②でも意外と前向き・剛胆そうなまどかさん?③ディスコミュほむほむマジ不憫。

さて、次回第2話はマミさんガイドの魔女退治体験ツアー。マミさんのカッコよさ以外にまどかが魔法少女になろうとする理由がつかめないかな…。いつ更新できるかって話もあるけどさorz
いやあ終わりましたね…まどか☆マギカ。個人的には大変満足でした。
とりあえず初見時の気持ちが消えないうちに、感想を書き残しておきたいと思います。

以下、ネタバレ注意ですよ!!!!



















































まどマギ11話、実況時の感想は「ママさんのシーンだけでもうどんなラストがきても俺はいいやwww」

まどかのメンタルは意外と強かった。いや、8話や9話でQBと対峙した辺りからわかるところではあるんだけど。QBを殺すでも絶望するでもなく、自分はどうするべきかを考え抜いて戦場へ赴く。11話はまどかの決意までの話よね。

でも不安が無いわけじゃないよな。だからママさんに問う。「私を信じてくれる?」と。して、ママさんはママさんらしい肯定をしてくれる。自分だって大切な娘がどうなるかわからない不安の中で、それでも成長した娘を信じて送り出す。最終2話でここが唯一涙腺緩んだ。

逆にアバンの時点で既にほむほむは追い込まれてる。自分のしたことがまどかを追い込んでいるという絶望が忍び寄っている。戦闘中のQBのほむら評は正しい。立ち止まれば絶望するしかない。

ちゅうか倒れたほむほむの片足なかった気がしたんだが気のせい…?

まどかはほむらの孤独と悲しみを知る。知ってなお、ほむらが望まないことを承知で、ほむらを救うべく変身する。ほむらからまどかへ、まどかからほむらへ。絆がまどかを変身させる。

卑弥呼とかジャンヌダルクとかも魔法少女で、QBたちは人類の進化に必要不可欠だった。それでも魔法少女システムに少女たちが絶望のまま呑まれていくことを、まどかは許せなかった。そう思ったのは、呑まれて死んでいったマミ・杏子・さやか、今もなお苦しんでいるほむらを見てきたからだ。まどかは彼女たちの想いが、祈りが純粋だと知っていた。傍観者から当事者へ。まどかの変身は、受け継がれてきた絆そのものだ。


そしてまどマギ12話、実況時の感想は「ホントに期待を裏切らない…満足でした!」

まどかの願いは、全ての魔法少女を魔女にしないこと。魔女となる絶望から救うこと。でもそれは、彼女たちの消滅をも意味する。ジェムが穢れないように変えることはできなかった(願いによっちゃ、できたかも知れんけど)。「ジェムが穢れ切ると魔女になる」から「ジェムが穢れ切ると消滅する」への、宇宙のルールの書き換え。それだけでも、魔法少女たちの魂はだけ救われる、か…。

しかし、「自分の天文学レベルのジェムの穢れ→魔女化→世界の崩壊」すら、「魔女にしないのが願いだもん!」でクリアーするってのは、なかなかステキな力技で大好きですw 希望ってのは、力技なんだよな!w

そして、因果地平の果て、まどかとほむらの別れ……もう会えない、忘れてしまう、そう縋るほむらを、まどかが諭す。「諦めないで」……きましたよ、きましたわー!! 手を取り合うまどほむとかもう私には某超人絆にしか見えんかったwww

まどかからほむらへ。受け継がれていく希望。

さやかがどん詰まりになるのは、結局まどかには止められんかったのよな。他の誰にも。でもまどかの救済によって、上条の演奏を聞きたかっただけのさやかの恋心は、年頃の少女の恋心の結末として昇華された感じがする。そうやってまどかは、願いの対価を払った魔法少女たちを、他人に呪いを振り撒く前に連れて行く。本人に降りかかる因果応報はそのままに。

きっとあのマミも杏子も、いずれはジェムを穢れ切らせて、まどかに連れて行かれるんだろうな。他の方の感想にあったが、イヌカレーな翼を広げたほむらも、やがてはまどかに連れて行かれる。そのときにはまどかの声が聞こえるし、またまどかに会えるんだろうな。

今一解せなかったのは、なんで3週目だったんだろう、ってところ。作劇の都合の面でさやかの問題だろうけど……まぁほむらにとって仲間の多い時期ということで収めておくか。

とにかくわたしゃ「魔法は、絆だ!」も「諦めるなぁ!」も見れた”気がする”から満足じゃ!

…でもあんな力技は現実には成し得ないから、やっぱり「夢」と「希望」の物語だな、魔法少女まどか☆マギカはw QBみたいな奴は現実にいるし、さやかみたいな追い込まれ方をする人も現実にいる。そこで撒かれる呪いから皆を救うためには、それこそ世界のルールを変えなきゃいけない。それくらいの物事は現実にある。でも、できないよな? 魔法の奇跡でもなけりゃ。

それでも、「奇跡も、魔法も、あるんだよ」というファンタジーがまどマギだったのよな。諦めなければ、世界だって変えられる。純粋な祈りを捨てなければ。

そんなわけで、満足しましたのですよ。
後はぽつぽつのんびり考えていきますか……ネクサスとの比較論とかライダーとの比較論とか。


あ、もう一言追加。まさにらぁぁぶあんどぴぃぃぃす!!なエンディング……虚淵氏のトライガン・リスペクトを勝手に感じてみたりw




さあ、さらにライダーから離れた話題。
またしても、まどか☆マギカです。

こちらのブログ(管理人さんにはツイッターでいつもお世話になってます)で書かれていた記事から考えました。

一人ぼっちはいやだという作品-tyokorataの日記-
http://d.hatena.ne.jp/tyokorata/20110305/1299410885


ポイントは最後の方の画像。
お題は、「まどか☆マギカ」×「トライガン」です。


ツイッターに流そうかと思いましたが、TL汚しになりそうだったので、
こちらでまとめます。
(要するに、以下散文ということ)


とりあえずまどかはミリメリだよね今のところ。つうか普通(少年漫画的には?)、力を持たない者は傍観者にならざるを得ない。トライガンの世界でもそれは同じ。ヴァッシュVSGUNG-HO-GUNSの戦いにミリメリは加われない(無論多様なサポートはする訳だが)。


ただ、他がよくわからんのよね…ほむら・マミ・さやか・杏子・QBの誰が誰に当てはまるのか。ヴァッシュは、ウルフウッドは、ナイブズは誰なのか。

シチュエーションだけなら色々あるんだけどね。先のブログの方の記事にあったような「杏子、さやかを孤独にしないで」的なのとか。

あと昼間考えてた小ネタ。
さやか「あんたは強い。あんたは負ける。あたしと、杏子と、あの人(マミさん)に負けるんだ」。


QBはなんだろうね…敵にするならナイブズなんだろうけど。でもナイブズほどの狂気じみたものはないよな。QBはあくまで合理の塊。意志疎通の難しいシステム的存在と捉えるなら、あえてプラントとか言ってみるか。

魔法少女とは、魔の法を扱う者、魔の理に従う者、と言える。魔、すなわち異者…まどマギ世界における異者の理と言えば、QBの魔女システム理論だろう。魔法少女たちは魔女システムの支配下に置かれ、死に至るその運命を握られている。

トライガン世界に置き換えれば、異者の理とは、人知を越えた生産システムたるプラントの力に他ならない。つまり、魔女システム下に置かれながらQBと異なり感情を持つ魔法少女たちは、プラントでありながら自我を持つ自立種に当たる、と言えるだろうか。


トライガン世界で人知を越えた存在は、自立種以外にも居る。人間を越えた、人間を捨てた、既知外の力を誇る魔人たち―GUNG-HO-GUNS。普通の人間なら力に翻弄されるしかないプラント=自立種=ヴァッシュに、肉薄する者たち。敵役でありつつも各々の悲哀を抱える彼らもまた、まどマギ世界における魔女=魔法少女たちだ。


QB=プラント、魔法少女=自立種/GUNG-HOとするなら、プラント側に立ったナイブズに類似するキャラがまどマギにはいる―QB同様目的のための合理性を追求する、ほむらだ。ほむらは知らず、敵対者たるQBと同じような思考形態に陥っている。

ほむら=ナイヴズとしたら、彼女を孤独から救いうるのは、ヴァッシュとなれるのは誰か…もうまどかしかいない。まどかは無力に等しいミリメリから、魔法少女=自立種になることでヴァッシュに、ナイブズ=ほむらと思いを分かち合える仲になり得る存在なのではないか。


杏子「まどか…ほむらを…孤独にしないで…」


まぁ最大の差はヴァッシュを人間側からプラント側にしたいナイブズと、まどかを人間のままに留めたいほむらなんだけども。その辺はプラント=異者側が立脚点のナイブズと、思考がQB=異者に近いだけのほむらとの差かもしれない(ほむらが人間側というのは保留。ほむら=淫Qβ説もあるし)。

最終局面で一度折れたヴァッシュが、ミリメリを筆頭とした人間たちの頑張りを見てに立ち直っているところもポイントかな。人間の想いの強さが、人を越えた力(の持ち主)を支え、強くする。魔法少女の忌むべき力も、まどかの強い想いで明るい未来を導く鍵となるのかもしれない。おおなんという王道か。


まとめ:まどか=ミリメリ→ヴァッシュ。ほむら=異者になりきれないナイブズ。すると、プラント+ナイブズの異者性(≒敵対性)=QBということでどうだろうか。


さて、残るマミ・さやか・杏子はどうかな?先のネタでいうと、マミ=ウルフウッド、さやか=リヴィオ、杏子=ラズロになるのだけれども。

案外外れてないような気もする。ウルフウッド=マミはヴァッシュ=まどかの盟友だし。まどかがいち早く契約し、なおかつ魔法少女の(本当の意味での)自覚を持てていたら、間違いなく共闘していただろう、と。

リヴィオ=さやかはウルフウッド=マミの後を受け継ぐものだし。そのリヴィオ=さやかのネガが、ラズロ=杏子だし。ツンデレっぽく善人化するあたりとかさ。あと、マミもさやかも杏子も結局QB=ナイヴズの思惑の一部でしかなかったあたりも一致しますな(爆)

その他のGUNG-HOは魔女かな。マミ=ウルフウッドを倒したシャルロッテはマスターチャペルか?ヴァルプルギスの夜は、決戦時のエレンディラとレガート様あたりでどうかしらね?


ある程度ネタは出たかな…散漫でまとまりないけど(汗)あえて無理にまとめるならどうなるか…。

(以下妄想ネタ)魔女となり杏子を取り込んださやかは、マミの命を賭した戦いでなんとか自分を取り戻した。しかし、QBはほむらを取り込むと、ヴァルプルギスの夜を引き起こす。まどかとともに立ち向かうさやか…ってあれ?さやか主役になってる?

(妄想ネタ2)ヴァルプルギスの夜の魔女と戦うさやかは、自分の中の杏子の力を借りつつ、致命傷をマミの残したグリーフシードで回復して、瀕死ながら勝利を納める。しかし、QBに魔女化されたほむらは、さやかを人質に心ならずもまどかに契約を迫る。

(妄想ネタ3)遂に契約を果たしてしまい崩れ落ちるまどかだが、自分自身の思いに奮起、願いでほむらを魔女から戻し、QBから分離させる。まどかが放った感情の力に感嘆するQBだったが…。

(妄想ネタ4)ほむらはまどかの魔法少女化を許さず、自分の存在が消える覚悟で時間軸を再びねじ曲げようとする(ループ説採用にしておきますとりあえずw)。魔女さやかに飲み込まれる直前の杏子の言葉を胸に、ほむらを独り逝かせないよう必死の説得に向かうまどか…。

以上妄想ネタ終了。まぁエンディングは適当でいいや。きっとハッピーエンドでしょ?なんせラブ&ピースだからねw



いやあ長らく放置してたなぁ。
見てる人もほとんどいないだろうけど、そして以前の予定なんて雲散霧消してしまっているけれど、久しぶりに記事を書いてみたい。

平成ライダー関連作品(とあえて言い切ってしまおう)として、昨今のヲタク界隈で大人気のアニメ「魔法少女まどか☆マギカ」がある。
この作品、やれ龍騎やら、やれオーズやらと、平成ライダーとの関連性が多く取り沙汰されているが、とにかく毎週が見逃せない展開の連続であり、00年代を(いろんな意味で)席巻し続けてきた平成ライダー同様、多くのヲタクたちを引き付け続けている。

本作(以下「まどマギ」と略す)と平成ライダーの関連性はいずれ本腰を入れて語ってみたいと思うが、今回は取り急ぎ、最新第8話視聴時点で、この物語がどこへ向かっているか、あるキャラクターに関する角度から考えてみたい。

ネタバレ豊富なので、第8話未見の方は以下は絶対に読まないように!







(ネタバレ防止用 本論は以下に↓)










◎キュゥべえとは何か~魔女システムの統制者としてのインキュベーター~

 さて、タイトルからしてネタバレ満載なのだが、一度彼について改めて確認してみたい。

 キュゥべえとは、「まどマギ」における魔法少女の使い魔的存在である(「魔女の宅急便」におけるキキに対するネコのジジ…っていろんな意味で酷い喩えだ)。
 同種のキャラクターとして、「カードキャプターさくら」のケロちゃんことケルベロス、「魔法少女りりかるなのは」のユーノ・スクライア(本来人間体であるが、第1作では多くの場面を動物体で過ごしている)などが該当する。まぁこの辺りはわざわざ読まれている方には周知であろうが。

 キュゥべえが特殊なのは、(これも言うまでもなく、)ケロちゃんやユーノくんと違い、主人公の魔法少女に対して善意を持たない、という点に尽きる。
 ケロ・ユーノも魔法少女(さくら・なのは)を利用している側面は少なからずあるが、同時に故あって止むを得ずという側面もあり、また彼女たち、ひいては自身の存在と魔法の存在が脅かすであろう人々に対して、一定以上の理解と善意を向けて付き合っている。
 それに対し、キュゥべえは自身が接触した人々…魔法少女になる定めのまどか・さやかや、既に魔法少女として働いているマミ・杏子に対して、善意どころか、なんらの感情も持たずに接している(ように見受けられる)。
 彼は彼女らに対して、とにかく魔法少女となるよう勧め、なった後は魔女殲滅のサポートを行なう、それ以上の対応は取らない。
 それどころか、彼女らを魔法少女にするためには、口八丁手八丁でだまくらかすことも厭わない、というより、それが常態にさえ見えるのである。
 利用するただそれだけのために魔法少女たちと接触しているように見えるキュゥべえだが、これは一体何故だろうか。

 ここで、魔法・魔法少女・その敵対者について考えてみる。
 実はこれらはどれも、「元々魔法少女たちが所属していた日常」に対する異分子、という点で共通している。
「さくら」にせよ「なのは」にせよ、それまで平凡な日常側にいた少女が魔法少女となり、魔法の力を用いて敵対者に対抗する、という点で共通している。無論「まどマギ」もだ。
 この時、往々にして敵対者たちも魔法を扱う・あるいは魔力をもった存在であり(「さくら」のクロウカードや小狼たち、「なのは」のジュエルシードやフェイトなど)、魔法少女は異分子的な力を使うという点で、敵対者たちと全く同類である。
(わざわざ"異分子"などと言うのは、もちろん、それが平成に限らない仮面ライダーの殆ど、ひいてはヒーローモノの一つの類型と合致するからである。)
 そして、ケロ・ユーノ・キュゥべえたち使い魔は、魔法少女に魔法の(異分子の)力を与え、少女たちを異分子側に引きずり込むという点で、そのスタンス―人々への善意の有無―に関わらず、物語上の機能として、共通しているのである。
(つまりは初代仮面ライダーにおけるショッカーであり、最新作オーズにおけるグリード・その代表としてのアンクなのである。)


 さて、「まどマギ」第8話において、いくつかの設定が視聴者に開示されている。
 一つ、キュゥべえの肉体はあくまで入れ物に過ぎずスペアがあること。
 二つ、キュゥべえの真の名前は「インキュベーター」であること。
 三つ、ソウルジェムを極限まで穢れさせた魔法少女は、最終的に魔女となること。
 他にもほむらの特殊能力が時間操作であることが確定したなどあるが、ここではこれら3点を含めて、先の異分子に関する問題を考えてみよう。

 魔法少女が魔女になる、このことは多くの視聴者が予想していた通りになった。
 つまり、魔法少女とその敵対者である魔女は、質的な側面だけでなく、実際的にも等しい存在であるということである。
(すなわちショッカーの改造人間と戦う、悲しみの改造人間・仮面ライダーである。)
 それらを作り出すキュゥべえは、魔法少女を生み魔女へと育てる存在と言える。
 視聴者的に予想外だっただろう「インキュベーター」の語は、「孵化器」の意味であり、再三グリーフシードから魔女が「うまれる」とキュゥべえ当人が言及していたことを踏まえれば、彼が孵化させていたのは契約を迫った魔法少女ではなく、その結果やがて「うまれて」くる魔女に他なるまい。
 契約の結果事実上の死人となってしまう(とされている)魔法少女は、契約の対象がうら若い少女である時点で、「人で無いもの」となってしまった絶望の果て、魔女となるのは確定的である。
(とあえて言おう。さやかの物語はそう言わんがために仕組まれている印象があり、それについて反論したい面もあるのだが、それはまた別の話。)
 魔女を前提に置きそこから魔法少女の語を導き出す8話本編最後の台詞からしても、キュゥべえがその目的として希求しているのは魔女であると言っていいだろう。
(まさしく改造人間を生み出すショッカーの所業である。)

 さて、ここで問題となるのは、「何故キュゥべえは魔女を生み出させるのか」と言う点である。
 キュゥべえは魔法少女と契約し、彼女らを魔女にし、その魔女を魔法少女に倒させ、そのグリーフシードを食らう。何か奇妙に歪んだ食物連鎖が組み上がっているのがわかるだろう。
 キュゥべえはその仕組みを循環させるために、魔法少女を作り、魔女を育てるのである。
 ではさらに、それは何のためであろうか。仮にそれがキュゥべえの存在を維持するためのものとして、何故キュゥべえは存在し続けなければならないのだろうか。

 キュゥべえが1体限りで無いことについては、ほぼ視聴者の予想の範疇であったが、興味深いのは今回初登場の3体目のキュゥべえは別固体ではなく、意識を共有している節がある点であろう。
 ここから予想されるのは、現在まどかたちに接触している以外の(複数の)キュゥべえの存在であり、おそらくはそれらも同一の意識を共有しているのではないだろうか。
 すなわち、肉体としての複数のキュゥべえを端末として統括する、精神・魂としてのキュゥべぇ(真キュゥべえとか言ってみる)の存在が考えられるのである。
 当人たちからすればゾンビ化とされ否定される魔法少女のあり方を、肯定するキュゥべえからすれば、彼はほぼ不死の存在なのである。存在の維持の必要性はなく、キュゥべえは永遠に存在し続ける存在なのである。
 これは、魔女を倒してグリーフシードを得られなければ、ソウルジェムが穢れて魔女化してしまう魔法少女―すなわち、魔女の存在の継続性の強固さと併せて、魔女と魔法使いの存在の永続性を高めている。
 つまり、魔法少女がいる限り魔女は生まれ続けるし、キュゥべえがいる限りは魔法少女が生まれ続ける、そしてキュゥべえは事実上不死という、この魔女システムとでも言うべき極めて強固な循環の、中核にして根本、いうなれば統制者が、他ならぬキュゥべえである、ということなのだ。
(いうなれば、彼は仮面ライダー剣におけるバトルファイトの統率者・捩れたモノリスなのである。どちらも生み出したものが不明という点も共通する。)


 そんなキュゥべえにとっては、自身が「魔法少女と契約し、彼女らを魔女にし、その魔女を魔法少女に倒させ、そのグリーフシードを食らう」ことは、あくまで人間が息をし食事を取るような、極当たり前の営みなのではないだろうか。
 彼は存在し続ける限り、魔法少女を生み、魔女を産み続ける。自動的に。
 それはおそらく、まどかにしても例外ではあるまい。
 キュゥべえは彼自身の当たり前の営みとして、まどかを魔法少女にしようとしているだけなのではないだろうか。筆者はそんな気がしている。
 たまたままどかは強い力を持っていただけで、まどかの力自体がキュゥべえの目的ではない、と考えているのである。
 彼に目的は無く、強いて言えば、その当たり前の行為それのみが目的なのではないだろうか。
 それが証拠に、まどかの力の強さが彼自身にとっても意外であることを、8話で当人が述べていたはずである。
 逆に言えば、その意外な力こそ、キュゥべえの当たり前を、魔女システムを砕く、枠外からの力となりえる。
 まどかが契約し、魔法少女となってキュゥべえの予想以上の力を振るうとき、そのときこそ、魔女システムが崩壊する、奇跡の到来の瞬間なのかもしれない。
 



ふむ、意外とライダーネタが多く含まれたなぁ。
まぁ理屈付けては見たものの、あくまで個人的な妄想的考察なので、あまり本気にしないようにw


ではまた。
次の更新はいつになるやら…w




さて、一つ前の記事は盛大に忘れて(苦笑)、ようやく本題。
仮面ライダーWという作品の軸について、昔のツイートを補足しながら考えてみたい。
…考えるという割には、直感的だけれども。



けいおん劇場版情報見て直感した。仮面ライダーWは日常系特撮だったんだ。(既出?)

翔太郎が依頼を受け、フィリップが検索、亜樹子がスリッパを振るい、照井が切られ役となる(ぇ)。現れる悪女、憎みきれない敵、そしてライダーがドーパントと戦い、勝利する。その繰り返し。繰り返されるそれは非日常的だが、間違いなくそれが劇中の翔太郎たちの日常だ。

日常系だからこそ主人公の翔太郎は成長する必要が無い。成長のドラマが動き出したとたん、日常は崩壊する。そこには結果として、それ以前との決定的な変化があるからだ。だから翔太郎は、1年を通したドラマを持つことが許されなかった。日常を永遠に生き続ける、主人公であるがために。完璧なハーフボイルドだから、ではない(それはあくまでエクスキューズでしかない)。

逆に、性格が変化し成長してしまったフィリップは、禊を受ける必要があった。翔太郎とともに、互いの欠点をを補完しあう日常に戻るために。だから消滅した。ある意味では存在のリセットだ。そして物語に「フィリップと翔太郎が共に補完しあう」日常が必要であるからこそ、二人の関係性が衝突と共に構築されていったであろうビギンズナイトからの一年も、フィリップのいない翔太郎が1人努力する一年も、描かれない。翔太郎の終わらない日常のために、フィリップは復活しなければならなかった、とも言える。

照井が復讐心への傾倒と昇華とを繰り返したのもそのためだ。それが彼の日常であり、彼に与えられた役割だからだ。そしてシュラウドを許し完全に復讐心を昇華した彼に残されたのは、翔太郎たちを引き立てる役目でしかない。終盤何度となく傷つき、また最終回にアクセルに変身しなかったのも、そのためであろうか。

冬の劇場版タイトルがスカルに乗っ取られているのも同様だ(注:Wパートのタイトルは「仮面ライダースカル メッセージforダブル」…)。照井と亜樹子の結婚もまた、関係性の激変による日常の終焉であり、故にW本編に取り込まれるべきではない。逆説的に、だからこそTV版で終わらない日常世界となったWの最終作でもある。

園咲家は翔太郎たちの日常において、実は特に重要ではなかった。必要なのは倒される敵としてのドーパントであり、園咲家は背景組織でしかない。財団Xも同様で、だから翔太郎たちは、日常世界=風都から離れた財団Xを追わない。追う必要が無い。彼らは既に物語の枠組みから消滅している。風都という箱庭世界の枠組みから。

だから別に刷毛がイービルテイルでも、テラー流兵衛が翔太郎の日常に現れるドーパントと大差ない「弱さを持った人物」であることがわかればそれでいい。「ガイアインパクトが何だかわからない」でも、翔太郎たちの日常には影響がないので別にいい。そんなもの知る必要はない。

Wが一定の人気を勝ち得たのも、けいおんなどに並ぶ日常系作品の1つだと捉えれば、まさに時流を掴んだのだと納得がいく。日常という枠組みさえ守られていれば、矛盾は大して気にならない。

つまり、Wのメインテーマは「左翔太郎のライダーとしての日常」だったのだ。

ああ…このところ「Wのテーマってなんだったんだ!」という問いに答えが出なくて、故にほぼアンチ状態だったんだけれども、これですっきりした。ようやくぬるい感覚で(イライラせず)Wを見られるような気がする。

改めて全話見返してみるのも良いかもな…アンチになるきっかけだったエクストリーム回も受け入れられるかもしれない。とまぁ自己完結してしまいましたよ!



ああ、自己完結しているが故に、これ以上の補足がないw

強いて言えば、「怪人との戦いが日常」っていうのは昔からの特撮も実はそうで、1話完結型であった昔の特撮の方が、実はそういうところが顕著だったのではないか、という点。
(だからいわゆる昭和からのファンが付いたのかな?と。当人らが意識していたかどうかはわからないけど。)

付随して、Wを含む平成ライダーはそれを「敵は完全には滅ばない」という形で「永久に続く日常」にしうる土台があったのだという点。
以降のツイートでも触れてるけど、響鬼とかそんな感じだし。

ただ、このテーマの捉え方って、結局アンチ的な視点からでしかない。
(Wの箱庭的、そういうアニメ的なところが嫌いってアンチはそれなりにいる。)
信者というかファンというか、Wを最後まで肯定的に捉えた人らはどう思ってるのかな?
反応してくれる人がいれば教えてくださいm(_ _)m


そんな尻切れトンボ気味に、仮面ライダーWのツイートまとめはいったん終了。
さて、次はどうするかなぁ(あれ?カブトは?