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さんきちの「え~のんか~」

ラジオ、乗り物、食を中心とした内容になるかと…。
ホームページもありますので、よろしかったらご覧ください

京成電鉄のニュースリリースによると、12/5(土)のダイヤ改正で、シティライナーの
運行を取りやめるとのことです。
シティライナーとは、京成上野~京成成田間を京成本線経由で運行している有料特急です。
以前は毎日運行していましたが、現在では土日祝日の一往復のみになりました。

シティライナーには先代のAE車(AE100形)が使用されていますが、この車内アナウンスを、
”鶴光の噂のゴールデンアワー”やbay fmでお馴染み、”お美和子様”が担当されています。


※動画が表示されないときは、こちらをクリックしてください。
braunclockさんより

声のトーンが澄ましており、ラジオトークでの弾けているイメージが強いせいか、
そのギャップに思わず吹き出してしまいます。

定期列車の最終運行は11/29(日)になるようですが、正月の臨時列車として
運行する可能性も・・・。

いずれにせよ、姿を消すのは時間の問題なので、できればもう一度乗って
車内アナウンスを聞きながらニヤついてみたいものです(笑)

end


10月6日は、笑福亭鶴光のオールナイトニッポン(サンスペ)の終了からちょうど30年です。
今もなお語られる深夜放送名番組の一つサンスペ。
その最後の日について書きます。

最終回の模様は動画サイトにもアップされているようですが、
ここでは主にリスナーからのお便りを紹介します。

1985年10月6日より

- 感謝状 -
鶴光さん、いつも楽しい番組をありがとう。思えば、サンスペを聴き始めて早4年。
これまでにサンスペで数多くの言葉を憶えました。
以前の僕からは想像できないほど、たくさんの言葉を知るようになりました。
サンスペを聴き始めたときはまったく把握できなかった僕でも、
今ではしっかりと、糸川さんが今週中に”いてもうたれなかった”ことや、
代官山でフランス料理をごちそうすると、純子はなんでもしゃべるということ。
さらに、エリモと長一郎の子供が万太郎であることもわかりました。
これもひとえに、鶴光師匠をはじめ変質者の皆さんのおかげです。
これからも鶴光師匠のオールナイトニッポンを教養番組として聞いていくつもりです。
どうか下卑た番組をよろしくお願いします。
 (東京都・サイトウノブユキさん)

オールナイトニッポン、
特にサンスペは、私たち徹夜族にとって勉強の手を休める息抜きの時間、
いわば土曜日の深夜の青春でした。
それが終わってしまうんですよね。
今、10代後半から20代前半の人に、鶴光さんのあの声を知らない人はおりません。
実際、私のするワイ談はほとんどがサンスペに端を発しております。
鶴光さん、あなたが私たち若者に与えた影響は多大です。
きょう、この1985年10月6日を、”金魚鉢の青春記念日”と銘打って
いつまでも忘れずにいたいと思います。
 (静岡県・匿名希望)

大衆演劇、落語と、いろんな面で活躍している鶴光師匠ワンバンコ。
この12年間というか、僕自身はサンスペに触れたのが5年ちょっとですけども、
いろいろ品性下劣なことをやっていたけど楽しかった。
土曜の夜はサンスペと、もう僕自身の生活の一つでした。
アシスタントは、崖っぷちトリオからトリオ・ザ・ゴミになりました。
いろんなコーナーがありましたな。
もう、僕の青春といっても過言ではありません。
今、僕の青春が去ろうとしております。
でも、この番組のことは一生忘れず、心の中にしまっておきます。
 (大阪府・ハザマヒデカズさん)

ワテや、ワテや、ワテや。
サンスペが生んだ、かつてのハガキのヒーローといえば、
そう、ワシや!
思いだしたか。
え、知らん?コラ、おんどれ、ようそんなこと言えるな。
いっぺん死なん程度に殺したろか。
アレは7年前じゃ。
ワテは、毎週毎週ハガキを死ぬ思いで書いてレギュラーになってな、
榊みちこのファンクラブに入ったんじゃ。
サンスペ終わるんでっか。
なんか、自分のいとしい恋人を失うようで、ホンマに寂しいでおます。
ワテの一番思い出深い放送は、”青山墓地から生放送”ですなぁ。
心霊研究家の中岡俊哉先生が、宮本さん(当時D)のことを「霊感のあるお方だ」と言い、
宮本さんが青くなっていましたが。
それに和田さんがイボ痔になり七転八倒したり、
真面目に真夜中の絵本を読んでいるのに、梶原さんがドテッとひっくり返って
笑いがこみあげてきてその先が読めなかったり、いろんなことがありましたな。
アシスタントもいっぱいおりましたな。
レギュラーもいっぱいおりましたな。
12年間ご苦労さんでした。
 (北海道・ホソカワヒロキさん)

そして、エンディングでの、鶴光師匠のファイナルトークです。

昭和49年1月から昭和60年の10月6日まで、11年と9ヶ月、
ざっと12年という長きにわたりましてお送りいたしましたオールナイトニッポンですけども、
本当にいままで僕と一緒に仕事をしてくれたスタッフのみなさん、
長い間ありがとうございました。
それから、いろいろとアイデアを提供してくれた構成者のみなさん、
そして、もう何代とも変わったアシスタントのみなさん、
それから、なんちゅうても僕たちの番組の中で一生懸命支えてくれたのは、
ラジオを聴いている皆さん方です。
毎週毎週、(数)万というハガキをもらいまして、
中には全部採用できなかったこともありますけどもね、
いろいろと知恵なんか貸してもらいまして、
われわれはそれを読んで勇気づけられたり、お叱りの言葉を頂いたり、
“よし、これはもっと頑張らなイカンな”というふうに、
いままでみな考えながらやってきたつもりですけども・・・

11年と9ヶ月、なんかアレですね、今ふっと振り返ってみると、
やっと長いマラソンなんかのゴールにたどり着いたという感じでね。
ひとりでこう、なんかゆっくり走らせてもうたね、11年9ヶ月というものを。
また、いろんな番組でね、お耳にかかったり、またお目にかかったりすると思いますけれど
その時は、またひとつよろしくお願いします。

そして、たくさんハガキをくださった皆さん、お小遣いの中から払って頂きまして
ありがとうございました。
また、新しい番組の方にお便りをどんどんください。
どうも、11年9ヶ月ありがとうございました。

それでは、鶴光のオールナイトニッポン、このへんでお別れです。さいならー。

※当日の番組内容はこちら

・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…━…‥・‥…

余談ですが、私にとってのサンスペとは、リスナーのお便りにもありましたが、
まさに青春そのものでした。
番組終了と前後して社会人になったこともあり、1985年10月6日は、自分の中で
大きなピリオドのひとつに位置付けています。
学生の頃は、それなりに苦しいことや辛いことなどもありましたが、
土曜深夜のサンスペは、そんなすべてを忘れ、楽しい時間に変えてくれる
かけがえのない4時間でした。
ですから、番組が終了した時は、心にぽっかりと大きな穴が空いたような感じでした。

社会人になってからしばらくしたある日の夕方、
ちょっぴり疲れた営業帰りの電車の中で聞いてたラジオから、ふと懐かしい声が・・・

それから16年間、私は鶴光師匠のラジオに、再び励ましてもらうようになります。

end

笑福亭鶴光のオールナイトニッポンが終了したのは1985年。
来月6日はちょうど30年の節目になりますので、2回にわたって最終回とその前について
ふれてみます。

1985年9月29日
放送の詳しい概要はコチラ

AM 1:00
いつものように石川みゆきAの前説で番組がスタートします。
この中で、2時48分に“鶴光のXデー”という緊急告知があるとのこと。

AM 2:48
糸川Dと石川Aがスタジオの中に入ってきて、10月6日をもって番組終了する旨を発表します。
師匠は、辞令を読みあげる石川Aに度々タッチするなど始終和やかでしたが、
その後の進行では、師匠が常連リスナーのお便りを読む毎にお礼を言うなど、
少ししんみりしたところもありました。

AM 4:34
アシスタント卒業は、いつもなら前週に降板の予告があるのですが、
翌週番組が最後ということで、急遽この日が卒業式に。
いつもは涙がつきものですが、3人一緒ということもあってか、和やかに終了。
3人が選ばれた経緯について、師匠が語ります。

AM 4:51
最後の曲、”サウンド・オブ・サイレンス”が流れたあとエンディングのあいさつ。
リスナーに、トリオ・ザ・ゴミを応援してくれた応援のお礼と、来週の告知で番組終了。

マンネリ化は感じていましたが、まさか番組が終わるとは思ってなかったので、
一瞬頭の中は真っ白に。
その後、自分なりに10月6日をどう迎えるかを考えた結果、近くのみどりの窓口へ。
最高で最後の一大イベントを、思い出の寝台列車の中で過ごしたく・・・

end

多くのメディア等で既に報道されておりますが、女優の川島なお美さんが24日ご逝去されました。
享年54歳ということですが、これからの活躍が期待されてただけに、本当に残念でなりません。

川島なお美さんは芸能界デビューした1979年4月に、7代目のサンスペアシスタントを担当されました。
当時のエピソードについては、以前こちらの記事でもふれましたので
ここでは割愛させていただきますが、初の10代のアシスタントであったことから、
同世代のコアリスナーを中心に結構人気があったように憶えています。

アシスタント歴は4ヶ月と、歴代の中では短い方でしたが、昨今のセレブリティな感じとは
まったく異なる、等身大のトークでリスナーの心をしっかり掴んでいました。

当時を偲びつつ、謹んでご冥福をお祈りします。

上野-札幌間の北斗星が今月の22日に廃止されることになり、
ブルートレインもいよいよ終焉の時が近づいてきました。
利用者の減少や新幹線の開通などが主な理由ですが、
最盛期を知るものとしては何ともさびしい限りです。

ブルートレインのブームは'70年代半ばからJR化までの10年ほど。
ちょうど、鶴光のオールナイトニッポン(サンスペ)の放送時期と重なります。

以前の記事でも紹介しましたが、当時拙者はブルートレインでサンスペを聴くのを
(年1回ではありますが)最大の楽しみとしており、名列車が次々に数を減らしていくのは残念でなりません。

そんな今日このごろ、格好なアイテムを手に入れました。
コレ!
1/12のサイズながら、細部までリアルに再現されており、臨場感たっぷりです。

これに、走行音の入ったサンスペ音源と以前撮った車窓の動画を組み合わせてみると
昭和の夜汽車の旅がよみがえります。


※'79年8月放送分を使いました。
 動画の作りが雑なのは、ご愛嬌ということでw
 ちなみに、このとき乗っていたのは24系ではなく、20系でした・・・

内装がトワイライトエクスプレス仕様なので、ちょっとリアルタイム感に欠けますが、
それでもレイアウトはまったく変わらないので、当時の気分に十分浸れます。

走行音や汽笛の入ったサウンドユニットなるものが付属していましたが、
時間が短く物足りないので、手持ちのオリジナル音源を使っています。

ハマりそうです。これ!

end