サンスペ終了から30年(2) | さんきちの「え~のんか~」

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10月6日は、笑福亭鶴光のオールナイトニッポン(サンスペ)の終了からちょうど30年です。
今もなお語られる深夜放送名番組の一つサンスペ。
その最後の日について書きます。

最終回の模様は動画サイトにもアップされているようですが、
ここでは主にリスナーからのお便りを紹介します。

1985年10月6日より

- 感謝状 -
鶴光さん、いつも楽しい番組をありがとう。思えば、サンスペを聴き始めて早4年。
これまでにサンスペで数多くの言葉を憶えました。
以前の僕からは想像できないほど、たくさんの言葉を知るようになりました。
サンスペを聴き始めたときはまったく把握できなかった僕でも、
今ではしっかりと、糸川さんが今週中に”いてもうたれなかった”ことや、
代官山でフランス料理をごちそうすると、純子はなんでもしゃべるということ。
さらに、エリモと長一郎の子供が万太郎であることもわかりました。
これもひとえに、鶴光師匠をはじめ変質者の皆さんのおかげです。
これからも鶴光師匠のオールナイトニッポンを教養番組として聞いていくつもりです。
どうか下卑た番組をよろしくお願いします。
 (東京都・サイトウノブユキさん)

オールナイトニッポン、
特にサンスペは、私たち徹夜族にとって勉強の手を休める息抜きの時間、
いわば土曜日の深夜の青春でした。
それが終わってしまうんですよね。
今、10代後半から20代前半の人に、鶴光さんのあの声を知らない人はおりません。
実際、私のするワイ談はほとんどがサンスペに端を発しております。
鶴光さん、あなたが私たち若者に与えた影響は多大です。
きょう、この1985年10月6日を、”金魚鉢の青春記念日”と銘打って
いつまでも忘れずにいたいと思います。
 (静岡県・匿名希望)

大衆演劇、落語と、いろんな面で活躍している鶴光師匠ワンバンコ。
この12年間というか、僕自身はサンスペに触れたのが5年ちょっとですけども、
いろいろ品性下劣なことをやっていたけど楽しかった。
土曜の夜はサンスペと、もう僕自身の生活の一つでした。
アシスタントは、崖っぷちトリオからトリオ・ザ・ゴミになりました。
いろんなコーナーがありましたな。
もう、僕の青春といっても過言ではありません。
今、僕の青春が去ろうとしております。
でも、この番組のことは一生忘れず、心の中にしまっておきます。
 (大阪府・ハザマヒデカズさん)

ワテや、ワテや、ワテや。
サンスペが生んだ、かつてのハガキのヒーローといえば、
そう、ワシや!
思いだしたか。
え、知らん?コラ、おんどれ、ようそんなこと言えるな。
いっぺん死なん程度に殺したろか。
アレは7年前じゃ。
ワテは、毎週毎週ハガキを死ぬ思いで書いてレギュラーになってな、
榊みちこのファンクラブに入ったんじゃ。
サンスペ終わるんでっか。
なんか、自分のいとしい恋人を失うようで、ホンマに寂しいでおます。
ワテの一番思い出深い放送は、”青山墓地から生放送”ですなぁ。
心霊研究家の中岡俊哉先生が、宮本さん(当時D)のことを「霊感のあるお方だ」と言い、
宮本さんが青くなっていましたが。
それに和田さんがイボ痔になり七転八倒したり、
真面目に真夜中の絵本を読んでいるのに、梶原さんがドテッとひっくり返って
笑いがこみあげてきてその先が読めなかったり、いろんなことがありましたな。
アシスタントもいっぱいおりましたな。
レギュラーもいっぱいおりましたな。
12年間ご苦労さんでした。
 (北海道・ホソカワヒロキさん)

そして、エンディングでの、鶴光師匠のファイナルトークです。

昭和49年1月から昭和60年の10月6日まで、11年と9ヶ月、
ざっと12年という長きにわたりましてお送りいたしましたオールナイトニッポンですけども、
本当にいままで僕と一緒に仕事をしてくれたスタッフのみなさん、
長い間ありがとうございました。
それから、いろいろとアイデアを提供してくれた構成者のみなさん、
そして、もう何代とも変わったアシスタントのみなさん、
それから、なんちゅうても僕たちの番組の中で一生懸命支えてくれたのは、
ラジオを聴いている皆さん方です。
毎週毎週、(数)万というハガキをもらいまして、
中には全部採用できなかったこともありますけどもね、
いろいろと知恵なんか貸してもらいまして、
われわれはそれを読んで勇気づけられたり、お叱りの言葉を頂いたり、
“よし、これはもっと頑張らなイカンな”というふうに、
いままでみな考えながらやってきたつもりですけども・・・

11年と9ヶ月、なんかアレですね、今ふっと振り返ってみると、
やっと長いマラソンなんかのゴールにたどり着いたという感じでね。
ひとりでこう、なんかゆっくり走らせてもうたね、11年9ヶ月というものを。
また、いろんな番組でね、お耳にかかったり、またお目にかかったりすると思いますけれど
その時は、またひとつよろしくお願いします。

そして、たくさんハガキをくださった皆さん、お小遣いの中から払って頂きまして
ありがとうございました。
また、新しい番組の方にお便りをどんどんください。
どうも、11年9ヶ月ありがとうございました。

それでは、鶴光のオールナイトニッポン、このへんでお別れです。さいならー。

※当日の番組内容はこちら

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余談ですが、私にとってのサンスペとは、リスナーのお便りにもありましたが、
まさに青春そのものでした。
番組終了と前後して社会人になったこともあり、1985年10月6日は、自分の中で
大きなピリオドのひとつに位置付けています。
学生の頃は、それなりに苦しいことや辛いことなどもありましたが、
土曜深夜のサンスペは、そんなすべてを忘れ、楽しい時間に変えてくれる
かけがえのない4時間でした。
ですから、番組が終了した時は、心にぽっかりと大きな穴が空いたような感じでした。

社会人になってからしばらくしたある日の夕方、
ちょっぴり疲れた営業帰りの電車の中で聞いてたラジオから、ふと懐かしい声が・・・

それから16年間、私は鶴光師匠のラジオに、再び励ましてもらうようになります。

end