new暴れん坊商人~視覚障害者の呟き~ -89ページ目

避難訓練

 今週の17日に会社で避難訓練があった。
 そう17日と言えば、12年前、阪神大震災があった日である。
 
 昨年のブログでも書いたかもしれんが、当時、子供は1歳と5歳、とにかく子供たちの上におおいかぶさって揺れがおさまるのを待った。
 岡山市の笠岡市に住んでいたとは言え、震度4には達していたと思う。
 勤務していたスーパーの売場の田なの上の商品は通路にほとんど散らばっていた。

 視覚障害であるわしは、もし本当に地震があったなら、誰かの手引きがないと逃げ切れないかもしれない。
 まあ、家族のひじにつかまるか、白杖を振り回して逃げるしかないかと思う。
 その時はその時ですよねぇ。
どうにかなるでしょう。

本社の移動

 昨年末にわしの勤務している本社の耐震調査があった。
 その結果、今すぐ補強しないと、大きな地震があったときには、建物が崩壊するとのことであった。
 確かに30年以上経っている建物なので当然のことであろう。
 
 ただ、補強するのには数億円かかるとのことであり、これを機に本社自体を移動することになりそうなのである。
 わしは視覚障害である。
 よって通勤には白杖を使って歩行している。
 なので上司はわしが新しい本社へ通勤できるかどうかが心配なのである。
 
 その新しい本社は、自宅から電車で1時間、降車駅から徒歩30秒のとこにあるそうである。
 よって電車に乗っている以外、実際に自宅から本社まで歩行している時間は15分くらいであろう。
 電車の乗り降りは、生活訓練を受けた時に、みっちりしこまれた。
 よって、それほど心配はしていない。
 けんど、会社の上司は躊躇している。

 もし、その本社へのわしの転勤が困難であっても、自宅のある市内には30店舗近い自社スーパーがあるので、必ず事務所は残されるであろう。
 最悪そこで勤務して、社内LANと電話で本社の人事部の社員と連絡をとり、今までと同じように働くことをしてもらうよと上司に確約はとってある。
 さーって、どうなるのでしょうねぇ?

部屋の模様替え

 2007年度を迎えるにあたり部屋の模様替えをした。
 北側にある娘の部屋と南側にある畳の夫婦の寝室を入れ替えたのである。

 それにともない今まで畳部屋で布団を敷いていたのを、洋間にダブルベッドを置いて寝ることになった。
 大手のホームセンターでいろいろなベッドを見て、一生物にもなるという、アメリカのメーカーのダブルベッドを購入し、19日の金曜日に配送されることになっている。
 
 結婚当初はシングルベッドを2台購入し寝ていたが、それらベッドはいつのまにか子供の物となっていた。
 40も半ば過ぎて、ダブルベッドで妻と寝ることになるとは思わなかったが、子供たちもいずれ独り立ちして家を出て行くのだからそれも良しかなと思っている。

 それにもまして8条のこの新しい寝室にデスクトップのパソコンとノートパソコンを窓際に設置したのがわしのお気に入りである。
 しかーーし、その2台のパソコンも子供たちに占領されることが多くなった。
 高校生のお兄ちゃんは、毎晩のように、音楽を検索して聞いている。
 娘はお絵描き掲示板を自分で立ち上げ、他の人のHPにもカキコしているようである。
 
 今日、その様子をちらと見ていると、いつのまにか文章を入力するのに、両手でローマ字入力をバシバシやっているではないか。
 いつのまに覚えたのか。
 わしが子供の頃には考えられないことである。
 
 あさってのダブルベッド設置が待ち遠しいのぉ!

白虎隊

 昨日、今日とわしには珍しくテレビのドラマの「白虎隊」を聞いた。
 考えると今は戦争反対を唱えている日本でも、つい先日まで日本国内での戦をしていたんですよねぇ。

 今から考えると信じられないことなんでしょうが、その時代ではそれが当然のことだったのかも知れないですね。

 それから考えると、今の日本は何と平和なのか?
 食べることには何の不自由も無く、家電製品・パソコン・携帯電話どに囲まれて、この先どうなっていくのでしょうか?

 2050年には北極の氷が全部とけてしまって日本は全部生みのそこに沈むなんてことも言われていますが・・・。

 まあ、あまり先のことは考えずに今をしっかり生きていかなければいけんですね。

新年のあいさつ

 新年明けましておめでとうございます。
 今年も、ボチボチと投稿していきます。
 よろしくです。
 
 今年の年末年始はスーパー業界に勤務しているのにもかかわらず、30日~1日と3連休をとった。

 30日は買出しに行き、31日にかけて大掃除。
 1日は近くの神社に初詣、そしてショッピングセンターに出かけた。
 2日からはいつもどおりにお仕事である。
 他の社員は店に販売応援に出かけているが、わしは視覚障害のため本社に残って自分の仕事をしいしい電話番である。

 今年は新たな分野の仕事に挑戦していきたい。
 今までのようにダラダラと同じことをやっててはいけないと思う。
 けんど、どうなるのやら・・・?
 仕事のこと、子供のことなどいろいろ気になることもあるが、ボチボチやっていこうと思う。

 わしのつたないブログを訪れてくださった皆さんにとっても良い一年となるよう願っています。

大晦日に思う

 2006年もあとわずかで終わる。
 今年一年、あっという間であったような長かったような・・・?
 
 子供のこと、自分の仕事のこと、視覚障害者としての生き方。
 まあ、大きな病気もせずに、家族の皆、大晦日を迎えることができたのだから一安心です。

 今年の年末は30日から1日まで3連休を取りました。
 昨日から窓ガラス付記・お風呂の掃除・車の掃除とよく体を動かしましたです。
 それに、北側にあった娘の部屋と南に面した夫婦の寝室を入れ替え、それぞれの部屋も大掃除をして、心機一転、2007年を迎えるべく準備万端です。

 昨日ショッピングセンターに妻と買出しに行き、刺身にお肉、カニにおせち、花に注連縄と開墾できました。
 こんなに準備万端で大晦日と正月を迎えるのは久しぶりなような気がします。
 
 来年は、風水なんぞにも凝って、我が家にいい風を吹き込んでやろうともくろんでいる次第です。
 よっしゃ、来年もがんばんべぇ!

おにぎりの行方

 わしの家は共稼ぎなので、夕食の片付けはわしの役目である。
 そして炊いたご飯が余っていた時は、わしがおにぎりをこさえている。

 塩を一振り、ちりめんを一つまみ、サランラップでニギニギしておかずのりで巻く。
 それをダイニングテーブルの上にお皿に乗っけて置いておくのである。
 わしは翌朝、それを電子レンジでチンして食うのを楽しみにしているのである。

 けんど、翌朝まで残っているのはまれである。
 そう、誰かが夜中にこっそり食っているのである。
 お兄ちゃんか?それとも娘か?
 まあ、それほどわしの握るおにぎりはおいしいんじゃろうなぁ?と、半分あきらめているのでした。

ボーナス

 12月10日は、我が社でもボーナス支給日である。
 と言っても、土日は銀行が休みなので、すでに8日の金曜日には銀行に振り込まれている。

 そこで、今日の夕食は寿司、ステーキとはりこんだ。
 とは言っても、根っからの貧乏性なので、寿司の盛り合わせも2人前、ステーキも2枚。
 食べ盛りの子供二人を合わせて4人家族なので、その食欲を補うために、鍋焼きうどん2人前とご飯を2号炊いた。

 その食事の前に妻が言った。
「今日は、お父さんのボーナスの日なんよ。こうしておいしい夕食が食べられるのも、お父さんが一生懸命働いてくれているからなんよ。あんたらも、そこんとこよく考えてね。」

 ありゃ、こんなことを言ってくれたのも初めてかいなぁ?
 けんど、これは、いろいろな意味で子供たちへの心配りなんじゃないかなと思うのである。
 ほんま、中途で視覚障害になってもこうして毎日働けてお給料をもらって、こんなおいしい夕食を食べれるんじゃから、皆幸せじゃね。」
と、わしも久々に買った日本酒をチビリチビリ飲みながらつぶやいた。

 明日からも、またがんばんべぇ。

電気毛布

 昨夜、わしが「寒い、寒い。」と言ってたら、妻が電気毛布を買ってくれていた。
「何とじじくさい。」
などと思っていたのだが、いざ使ってみるとこれがええのです。

 かけるのでゃなく式毛布なのですが、もーーポッカポカです。
 こう見えても結構冷え性でして、冬は必ず靴下はいて寝ていたのです。
 
 子供の頃は、電気あんかなんぞを使ってたなぁ。
 やっぱし、足元ぬくめるのが一番ですなぁ。

アナログ10年日記

 朝、いつも聞いているラジオで紹介されていたのがこの「10年日記」である。

 本屋さんなどで販売されている日記ではなく、大学ノートの1ページを10ますに区切り、1枚を同じ日付にして、順番に書いていって、10年分の日記を作成するそうである。

 つまり、今日の12月5日の同じ日の日記が、1ページに10年分が書かれることになるのである。
 こりゃーなかなかええなと思ったが、自筆で書くことができなくなった視覚障害者のわしにとっては、このネットでのブログで、その日の出来事を投稿していくのがベストかなと思うのである。

 自分で個人IDを抹消しない限り、一生インターネット上で、自分が書いた日記が残るんだしね。
 そう考えると、よいよシンプルな造りでええんじゃが、最近のブログは、いろいろな機能が付きすぎてちょっと・・・って感じですね。

 10年後のわしはいったいどうなってるんでしょうかねぇ?
 このブログを見ている皆さんもどうなっているのかな?  ウフ!