new暴れん坊商人~視覚障害者の呟き~ -55ページ目

臨時休校

台風ネタは続く。
事前準備は万全で台風通貨の夜を迎える。
夜の11時ごろから暴風県内に入る。
風と雨が強くなるが思ったより大したことはない。
けんど大雨洪水暴風波浪警報が出た。
そのまま一夜明け、外が明るく鳴り出す。
台風は近畿地方をそれ名古屋方面に上陸した。
かぜもやみ雨も小降りになる。
 
そこで今日は学校はどうなるのかが問題である。
朝の7時時点で警報が出ていたら学校は休みとの子と。
7時近くになりNTTで「177」で天気予報を聞く。
なんと話中。
電話の天気予報で話中になるのは始めてである。
何度かかけてやっとつながり、、まだ警報は継続している。
ラジオでもそげなことを言っている。
ってことは学校休み。
娘を起こすことはない。
娘自身も布団かぶって寝ている。
 
わしはたまたま会社休み。
妻は7時20分までに会社が休みになるかどうかがメールで知らせられるとのこと。
外はすっかり風もやみ雨も小降りなので妻の会社はあるとのことで出かけて行った。
 
10時ごろからガレージの中にしまった植木鉢を再び庭に戻す。
10個近くある植木鉢をえいこら運ぶ。
見えない中での運送なので落としてはいけんと注意深く運ぶ。
昼からはすっかり晴れて台風一過となったのでした。

携帯じいさん

明日は台風最接近。
わしは今日は会社休みで一階に住む親父が病院に行っている間に庭の植木鉢の大小10個をガレージの中に入れておいた。
2階でラジオを聴きながらベッドに横になっていると携帯電話のメール着信を知らせる音がなる。
なんかと思うと1階の親父から
「植木鉢をしまってくれてありがとう。」
との携帯メールであった。

階段の下からおらべばわかるのに。
わしがまた下に降りる機会もあるのにわざわざメールを送ってくるとは80歳のじいさんのすることなのか・・・?
 
まあ、それだけ最近の危機を使いこなしているんだから大したもんである。
けんど単純に電話にでることかけること、メールを送受信することくらいしかできず、シャメも撮っているみたいだがいらない画像やメールを消したりすることもできない。
「わしのノートパソコンを試しに操作してみるかい?」
との問いにも、
「わしゃ、最近の機械はようわからん。」
との答え。
パソコンのインターネットを閲覧できたらおもしろいんじゃろうになぁと思うのでした。

台風

台風が近づいている。
このままでいくと、近畿地方を直撃する可能性もあるとのこと。
けんど、現在、外は静かなもの。
雨も降っておらず風もなく、秋の虫がリンリン鳴いている。
 
明日とあさっては偶然わしは連休
台風の風と雨の中、通勤することもない。
一階にいるおやじが好きな庭の植木を明日の様子を見て家の中に入れておかねばと思う。
 
前のマンションは6階だったので台風の時はそれはそれはひどいもんだった。
植木はぶったおれ洗濯物を干すハンガーはふっとび、ベランダはぐちゃぐちゃだった。
ここは一戸建てでもともと酒屋だったのでじょうぶにできている。
道路わきの入り口はシャッターが降りていて雨風も完全に防げると思う。
まあ用心をこしたことはないと思うのでした。

台風はいずこへ

今日も会社から帰るのが遅くなる。
家に着いたのは10時前。
そんでもまだ会社で仕事している人がいた。
スーパーの店舗とは違い本社でのスタッフとしての仕事は終わりがないのである。
自分でここまででおしまいと思わなければなんぼでもすることがあるのである。
 
さて、台風が近づいているとのこと。
明日以後会社から帰るのに台風に遭遇してしまうとさすがのわしも白杖一本では風や雨に遮られて帰る自信がない。
そんで、今日できるだけ仕事を進めておいたのである。
 
とは言っても、今ブログ書いている時、外は静かなもの。
雨も降っていない。
明日以後どうなるんでしょうかねぇ?
今日は休肝日。
麦茶を2杯と氷入れてのお水を2杯飲む。
これはこれでおいしい。
プハーもんである。
ほんまにわしはお酒を飲む必要があるんかのぉ?

子供の頃の記憶

両親と話をしていた時に、わしの子供の頃の話題が出てきた。
わしは3歳の字に盲腸の手術をした。
その時の入院している部屋が畳部屋で、子供ばかり30人くらい布団を敷いて寝ていて、まだまだ皆小さいので母親も一緒に添い寝をしていたこと。
盲腸の手術の切り口のガーゼを取り替える時に
「痛くしないでねぇ?そっとしてね。」
と3歳の小さなわしがお願いをしていたことなどを話してくれた。
 
その時の記憶ははたしてわしに残っているのか?
わしが覚えているのは確かに畳部屋に寝ていたこと。
おもちゃの自動車を買ってもらってそれで遊んでいたこと。
ガーゼを換える時にベッドに載せられてこれから痛い思いをせにゃあいけんと涙をこらえていたことなどがフラッシュバックしてきた。
 
あの時から45年が過ぎているのにどうなっているんだろうか?
45年前のわしはわしであり、わしであるけど今のわしとは違う。
その45年もの間に、妻と出会い息子と娘が産まれ息子も20歳の大学生、娘は高校1年生。
結婚して23年目になり妻の姿も変わったのだろうか?息子も娘も容姿や顔はどう変わったのだろうか?
それが見えないことだけくやしいが、無事45年という人生を送れてきた事に感謝、感謝である。
今を大切に生きねば・・・と思った瞬間なのでした。

チャレンジド

10月10日から5週連続でNHKのドラマで視覚障害者の先生のお話をするということである。
一般的に晴眼者が興味ある内容なのかなぁ?
 
そういえば9年前に泊り込みでリハビリ受けていた日本ライトハウスにも何人かの教師がいらっしゃった。
小学校の先生で視力が落ちてどうにもならなくなり生活訓練を受けにきていた人。
大学卒業間近で英語の教師を目標に職業訓練を受けにきていた若者。
熊本大学で生物の教師家庭を卒業し中途失明で生活訓練を受けながら高校の教師を目指していた若者。
英語の教師に見事受かった人以外はなかなかええ具合にいかなかった様子である。
 
公務員も民間の会社も中途失明は条件がなかなか厳しい。
そんな中でキーパーソン的役目をはたしていただいた上司がいたおかげでどうにか職場復帰できたわしはラッキー以外の何者でもないような気がする。
けっぱらねば・・・。

仕事がいそがしい

最近、わし以外の社員は新店の採用や来年張るより改定される退職年金制度の説明会や登用試験やなんやかやででずっぱりである。
よってわしともう一人の小脳摘出した社員と女性社員で本社の人事の電話版をすることが多い。
わしはわしで人件費や個人の給与に関する定例、突発の仕事は持っている訳で、電話の対応でその仕事が段取りよくできないのである。
 
朝、パソコン立ち上げてメールを見るといろんな部署から依頼の仕事が入ってくることも多い。
依頼してくるということはそんだけその人もそのデータ・資料がすぐにでも欲しい訳でして、できるだけそちらを優先して片付けてから自分の仕事に移る。
結局、昼前後から自分の仕事にとりかかることが多いのである。
 
今日も結局会社を出たのが8時前。
家に着いたのが8時30分。
かえりすがら家の近くの下町の路地を通ると夕食のおかずのいろいろな匂いがしてくる。
「おぅ、今日はここはカレーじゃな?ここは秋刀魚の塩焼きじゃな?」
とこれはこれで楽しいもんである。
夜でもあり目が見えないわしにとってはこの嗅覚の他にも聴覚と白杖での触覚ともう一つの周りの状況を肌で感じて帰り道を歩く。
人間には両目の間の上のひたいにもう一つの第3の眼があったそうな。
そこらへんで何となく車が停まっているのや4差路に入ったのを感じるもんである。
 
帰ると妻も娘も夕飯は食った後。
今日のおかずは天然ハマチのお刺身とワカドリの手羽中(テバナカ)の唐揚げ(カラアゲ)。
それに両親からのおすそわけで奈良漬がおいてある。
ロックの焼酎がうまい。
夕飯食って1階の両親のところで少し話をする。
おやじは熱狂的なファンである横浜ベイスターズの野球を見ている。
おふくろは朝日新聞の勧誘の話や先月帰った萩の実家の話などをしてくる。
実の息子であるわしと離すのは楽しそう。
そういやわしの息子は昔から父親であるわしと面と向かって話すことは少なかったなぁ?
わしも子供の頃は両親、特に親父と話すことが少なかった事を思い出す。
時々息子が親父となったわしに話しかけてくることがあるとわしも妙にうれしかったことを思い出す。
今を大事に、一緒に暮らせているわしの両親に少しは親孝行をせねばと思うのでした。

携帯電話のその後

今年の6月に携帯電話を始めて購入した。
ドコモのラクラクホンⅤ。
妻の機種変更と高校生になった娘の初携帯購入のおまけみたいなものである。
けんど、わしの携帯が一番ん高かった。
 
音声で操作できるので最初はいろいろといじくりまわった。
設定や音楽のダウンロード、メールの送受信方法などどうにかできるようになった。
けんどメールの本文は音声入力でまずは全体の入力をしてあとから間違って変換している箇所を修正している。
ちょっとした文章でも始めて書くと結構時間がかかる。
感じの変換の時に入力した文字だけの変換をしてくれればいいのに、文節単位で追加した語句がくっついてきて上下カーソルで音声確認して候補から選択するのに時間がかかるのである。
もちろん、片手で操作するなんてことはできずに、左手で持った状態で耳を近づけて右手の人差し指で一つ一つゆっくりプッシュしないといけないのである。
 
それとメール本文の中のアドレスや文章などを範囲選択してコピーやはりつけする方法など、どうもようわからん。
パソコンのキーボード操作はかなりの域まで達しているとは思うが携帯ではまだまだヒヨッコなのである。
息子や娘と比べると
「何やってんのぉ?お父さん。そんなことしてたら日が暮れるでぇ。」
ってなもんである。
妻にも
「お父さんにはほんまは携帯は必用なかったんじゃあないのぉ?」
と言われる始末で。
ちくしょう、もっとうまくなってやるぞぉと思うが最近どうも携帯いじってないなぁってとこです。

わしにとってのブログとは?

わしのブログのアクセス解析を見てみると昨日のアクセス数が192であった。
オゥ!一日でこんなにも多くの人がわしのブログを訪れてくれているのかと驚く。
つい先日までは50前後しかなかったのに・・・。
 
ここんとこ毎日書き込むようにしているからなのか?
日記なんぞは小学校の頃の宿題くらいしか書いたことがないのに、2005年に始めて5年目となる。
自分の視覚障害のこと家族の話題、会社のできごとなんぞをつづりつつ毎月10回程度の書き込みをしてきた。
毎日それほど変わったこともないのだがその時その時での思いはあるのだが会社から帰ってパソコンの前に座るとそれを思い出せないのである。
けんどここに書いてあることを何年か経って聞き返すと、その当時のわしの重いが蘇ってくるのだと思う。
わしが毎日回覧している方のブログもわしと同じ時期に始めた方のものが多い。
それと一緒にこれからも大事に書いていこうと思うのでした。

会社のパソコン

会社の今のパソコンは2代目である。
1代目は富士通のデスクトップ。
2代目はLENOBOのA4ノートのシンクパッドである。

OSはXPのSP3。
スクリーンリーダーは95ReaderVer6.0(XP Reader) JAWS Ver4.5
ホームページ閲覧ソフトは ホームページリーダー Ver3.02
OCRソフトはよみともVer5.5
他にOCRソフトのためのスキャナ
拡大読書器も机の左前方にどんと置いてある。
最初はレイアウトの確認とマニュアルを電子データにするために白黒反転で拡大してみてはいたが最近はまったく文字の判別はつかない。

OSがXPなのでどのソフトもちと古い。
 パソコン自体もコア2ではあるがメモリが512メガしかないので大きいファイルで操作していると上書きするのにモッタリ時間がかかる。
もっとテキパキ動いてくれんと仕事にはならないのではあるが情報システムの社員にメモリを増設してくれとはなかなか言い難いのである。

2代目のノートはちょうどまる2年となる。
障害者継続雇用助成金で購入しているので3年はもたさないといけない。
3年過ぎたらもっとハイスペックなパソコンを購入してもらいソフトもバージョンアップしたやつに買い換えたい。
最低30万くらいはかかるじゃろうなぁ?
どないなもんかなぁ?